2016.07.30(Sat):未分類
小説『野菊の墓』の作者として有名な
明治の文豪・伊藤佐千夫は、
晩年、死没するまで、
東京都江東区の亀戸や大島などで
活動していた。

その縁で、私の母校である
都立・城東高校には、
伊藤藤佐千夫の歌碑がある。

そして、年に一度、城東高校では、
伊藤佐千夫を偲ぶ会が催されている。

この集いでは、
高校生の親御さんやそのOBらが
事前に作った短歌が披露され
短歌の先生からご講評をいただく。

私も、先日、初めて、
この会に参加させていただいた。
短歌は百首ほど集まったが、中でも、
ご子息への愛情を詠んだ短歌が目立った。

もう何年も前になるが、
私は、友人や知人らから、
子育ての苦労話をよく聞かされた。
ただ、未熟な私は、その行間にある
わが子への愛情を読み取ることが
できなかった。
そのため、
結婚への考え方が消極的なものへ
変わっていった。

しかし、
今回の集いで披露された短歌では、
わが子への愛情が
ストレートに表現されていた。

世の中の、私のような独身者が、
こうした短歌に接することで、
家族をつくることへの想いが
高まるかもしれない。
短歌にはこうした力もあるようだ。

私ももう少し早く、
この偲ぶ会に参加していたら、
結婚できたかもしれない?

それでは、ここで、
私が生まれて初めてつくった
季節外れの短歌を一首。

『祖父祖母の
 お墓に落ち葉
 父母の
 お墓も落ち葉
 恩返しの夕』


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2016.07.26(Tue):未分類

私の母校、都立・城東高校は、
高校野球東東京予選の準決勝で
関東一に0対3で惜敗してしまった。
ただ、私立校と比べれば、
練習環境の整っていないなかで、
よくぞ、ベスト4まで残ってくれた。
部員や部を支えてきた方々の頑張りは、
OBの私の励みにもなる。
本当に感謝したい。

さて、日米大学野球の日本代表として、
33年ぶりに選ばれたことで話題になった
東大野球部だが、実は、
城東高校野球部の監督さんも
東大野球部の出身者である。

東大野球部も本当は強いのだが、
プロ野球選手を輩出するような
六大学の中にあっては弱くみえてしまう。
そして、強豪私大のようには、
強い選手を集められないという
不利な環境にある。

そんな不利な状況下でも
勝ち上がっていく雑草魂。
城東高校の活躍と重なってみえるのは
私だけであろうか。


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2016.07.16(Sat):未分類
夏の甲子園の地方予選が
各地で行われているが、
わが母校の都立・城東高校は、
十五年前に、夏の甲子園に出場して以来、
関東第一や帝京、二松学舎大付属らにはばまれ、
出場できていない。

しかし、今年は、
高校生ながら140Km台の速球を投げる
エースを擁している。
楽天のオコエ選手を輩出し、
この前のセンバツ大会にも出場した
関東第一にも、
先の春季大会では引き分けている。

そして、昨日の東東京予選では、
初戦の三回戦(シード)で、
日大一に5対0で快勝。
しかも、観戦したOBによると、
エースは投げずに、
二年生ピッチャーが
頑張ってくれたとのこと。

明日の四回戦では、
巨人の阿部慎之助選手の出身校
安田学園と激突。

東東京は130校以上が出場しているため、
先はまだまだ長いが、
今年こそは、
十五年ぶりの甲子園出場を
果たしてくれることを願ってやまない。


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2016.07.10(Sun):未分類
参院選に出ない私は、
朝の駅頭挨拶時、
地元議員らスタッフが
参院選の応援演説などを
始めようものなら、
そこは遠慮するつもりであった。

しかし、逆に遠慮してもらったのか、
私の知る限りでは、
彼らが所属政党などのために
朝、地元の駅頭で活動する姿は
一度も見かけなかった。

街中に貼ってあるポスターも然りである。
自身の個人用ポスターを
参院選用に、所属政党もしくは
その比例代表の候補者のポスターに
貼り替えるのかと思いきや、
KM党やKS党などを除き、
ほとんど貼り替えられることはなかった。
いや、むしろ、
噂された衆院解散総選挙に備えていたのか、
自身の個人用ポスターを
新しいものに貼り替えていたくらいである。

選挙カーも、地元に限っていうと、
公示日以降の十八日間で、
KS党だけは確かに頻繁に見かけたが、
その他はJM党のを一回だけ
見かけただけである。
自身の選挙のときのように、熱心に
地元地区でも選挙カーを走らせるのか
と思いきや、そうではなかったようだ。

たしかに、地元の議員らも、
参院選候補者の応援演説はしていたようだ。
ただ、この選挙に限らず、
議員らの他候補への応援の形は、
自分も目立つことができるもので、
いわゆる泥臭い活動は、
敬遠したがる傾向が見受けられる。

ある意味当然なのかもしれないが、
これらからいえることは、
政党より自分が第一であるということ。
政党は自分が当選するための道具。
政党が掲げる政策の実現は二の次。

私にはうかがい知れない事情も
あるのかもしれないが、
そうとしか見えざるを得ない
地元議員らの地元地区での
十八日間の戦いであった。
(他の地区は存じあげませんが)



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2014.08.29(Fri):未分類
先日の高校野球でどこが優勝したか、
ご存知でしょうか?

興味のない方は、
分からないかもしれませんが、
大阪桐蔭です。

そして、私の地元の東東京代表は、
二松学舎大付属でしたが、
三回戦で沖縄尚学に惜敗しました。

そして、私の母校、都立城東高校は、
東東京予選のベスト16のところで、
この二松学舎大付属に負けてしまいました。
昨年とまったく同じです。

こんな私も、高校一年のとき、
野球部に所属していました。
当時は今ほどは強くなかったのですが、
練習はきつかったです。

勉強をいいかげんにすれば、
ついていけないこともなかったのですが、
勉学との両立は絶対無理!
と思って、
二年生になる手前で退部してしまいました。

その後、私は、せっかく退部したんだから
とことん勉強してやろうと思い、
学校から帰宅後、
夜中の3時まで勉強をしていました。

が、予備校とか塾にも通わず、
まったくの独学で、
今、振り返って見ると、
ただ根性を出して、夜中の3時まで
眠いのを我慢して机に座っている、
そんな状態でした。

本当にばかげていることですが、
こうすることで
自己満足していただけだったのです。

だから、成績はまるで伸びず、
高3の時に受験した大学は
すべて落ちてしまいました。

はっきり申しあげて言い訳ではありますが…

一方、三年間、野球を続けた仲間は、
正直、誰が浪人したのかどうか
そこまでは分からないのですが、
大学には進学しました。
しかも、難関大学といわれているところです。

あのキツイ練習に三年間耐えて、
しかも、勉強をおろそかにせず、
きちんと大学に進学した。

これは、本当にすごいことです。
尊敬ものです。

私も、陳腐な表現ですが、
高校一年生のときまで
時計の針を戻すことができれば、
もう一度、野球部に入部して、
あのキツイ練習に耐えながら
勉強もしっかりする、
そんなことに再挑戦したい、
そんな気持ちもあるのですが、
もちろんそんなことは不可能です。

だから、私は、
彼らに一生かなわない、
ずっとそんな劣等感を抱えていました。

そんな中、先日、
野球部の仲間と会うことになりました。

獣医になった者、
実家を継いで商売をしている者、
大企業に勤めている者、
みんな立派に社会で活躍しているようです。

そんな、根性あるみんなが、
どうやってそこまでたどり着き、
そして今、
どんだけ活躍しているのか、
そんな話を聞きたかったのですが…

ちょっとした私の連絡ミスで、
結局会えずじまいでした。

しかも、後から聞いた話、
私の自宅の目と鼻の先のお店にいたというのだから、
大ショックです。


後は、彼らに負けないよう、
でも焦らずに、
生きていくしかありません。


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2014.08.08(Fri):未分類
先日、
私が中学生の時に所属していた野球チーム
『大島クラブ』の後輩が
東京都は墨田区の鐘ヶ淵というところで、
喫茶店を経営しているという話を聞き、
訪れてみた。

私は知らなかったのだが、
テレビ東京の『アド街ック天国』
そして、日本テレビ系列の
『ヒルナンデス』という番組では、
ガッツリ紹介されていたらしい。

ぶらり旅系番組では、
芸能人があたかもその場で
初めてお店を発見するというのは、
ヤラセであることは、
多くの人が知るところではあるが、
その喫茶店には、
ジャニーズとか人気No.1女子アナとかも
来店したということもあり、
30人ほどのスタッフに囲まれながら
“ぶらり”やって来たらしい。

番組の制作側がこの喫茶店を知った
詳しい事情・経緯までは分からないということだが、
この後輩の真摯な努力が実ったというのが
私の印象だ。

二十年近く修行し、九年前に独立したということ。

カウンターにはロッキングチェアが置いてあり、
初めてのお客さんにも
カウンターに座っていただけるように
との工夫かららしい。

店内はオシャレでありながら、
落ち着いた雰囲気で、
とにかくきれいなお店であるというのが
第一印象だ。

珈琲の中でも、
特に水出しコーヒーにこだわりをもっていて、
そのために、
専門店で修業を積んできたらしい。

メニューもカレー、パスタ、ピザと
今でこそ豊富だが、
当初はパン系のみで、
メニューを増やすごとに、
その料理の研究、修業をする必要があり、
これが大変みたいだ。

私は、フランスパンに驚いた。
ちょっと嫌みになるかもしれないが、
私がパリ滞在中に食べた
本場フランスパンに勝るものは、
日本では出会ったことはなかったのが、
この喫茶店のは美味。

やはり、話に聞くと、
酵母からこだわっているとのこと。

日曜を除き、
毎日、夜の8時までの営業だが、
そこから、
清掃とか仕込みとかがあるので、
終わるのは夜中らしい。

銀行などの金融機関は、
夕方の3時、4時で閉まることが多いが、
その理由は、
そこから清算とかで数時間かかるかららしいが、
そこは、飲食店も似たようなもので、
閉店時間が遅い分、この点だけは、
飲食店のほうが
大変でハードなのかもしれない。

コーヒー、料理、店内装飾・清掃など
手抜きしようと思えば
いくらでも手抜きはできるらしいが、
私の誇らしいこの後輩は、
一切妥協しないと力説していた。


だから、地元の多くの人から愛され、
そして、テレビでも
紹介されるようにまでなったのだろう。



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2014.07.03(Thu):未分類
今回は、完全に私的なお話し。

私は、下手の横好きで、
小学校6年から高校1年まで、
野球をやっていた。

中学時代は
地元江東区の野球チームで、
当時できたばかりの『大島クラブ』
というチームに所属していた。

私は補欠だったが、
チームは当時からそこそこ強かった。

それから35年近く、
今や強豪と呼ばれるほどにまで
成長したらしい。

そして、本日、プロ野球の
オールスター選手が発表されたが、
そこに『大島クラブ』出身の選手が
初出場選手として名を連ねていた。

私の母校、都立城東高校が
夏の甲子園に出場したときも
嬉しかったが、今回のニュースもうれしい。

私はその25年ほど後輩に当たる選手を
直接は知らないし、
もちろん、彼も私を知らない。

それでも、うれしくなるのは、
なぜだろう。



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2013.07.21(Sun):未分類
わが母校・都立城東高校は、
三回戦で、昨年の覇者・東東京代表の成立学園、
四回戦で、春夏甲子園通算10回出場の堀越、
五回戦で、春夏甲子園通算3回出場の日体荏原を下し、
今日21日、準々決勝で、
春の甲子園4回出場の二松学舎大附属と戦った。

場所は、昨晩オールスターのあった神宮球場。
余裕で座れるかと思いきや、休日ということもあり、
内野席は、ほぼ満席だった。

炎天下の中、2時間近く座っているだけでも
体力がいる。
自分も十代のとき、
この暑さの中、ユニホームを着て、
数時間も練習していたのが信じられない。

当時と違っていたのは、
スタンドで、しきりに、
“熱中症の予防対策に、こまめに水分補給をして、
 日陰に入りましょう。“
という場内アナウンスがあったことだ。

十数年前と違っていたのは、
城東高校にもチアリーダーができて、
応援が板についていたこと。
前回、城東高校が甲子園に出場したときの応援は、
正直、即席観があった。

プロ野球と違うのは、
ピッチングのテンポがとにかく速いこと。
これは、ピッチャーの球種の数と
コーナーへのこだわりの違いからくるのだろう。

また、ホームランがとても出そうにもないこと。
何年ぶりかに生の球場を見たが、これが広い。
並みの高校生のパワーでは、金属バットとはいえ、
そうそうホームランは打てそうにもない。
実際、今日の試合でもホームランは出なかった。

結果は、0対3で城東高校が敗退。
なぜか、私も、
「これで、夏は終わった」
と思った。


さて、ここからは、
城東高校の野球部員がこのブログを見ていてくれているとは
とても思えないが、一応、彼らにメッセージ。

「私は1年生のとき野球部に所属していましたが
 勉強との両立をあきらめ、
 2年生になる直前にやめてしまいました。
 後悔していないと言えば嘘になりますし、
 やめてよかった、とは思っていません。そこで、

 ベンチ入りはとても無理、と思っている1、2年生へ。
 あきらめたら絶対ベンチ入りできません。
 10代は化けます。
 現実に私は、
 不断の努力で突然野球が上手くなった友人を知っています。
 自分を信じて最後まで頑張ってください。

 ベンチ入りできなかった3年生へ。
 皆さんはベンチ入りできなかった悔しさで、
 自覚していないかもしれませんが、
 厳しい練習に耐えぬいたことはもの凄いことなのです。
 卒業したらいつか自分の偉大さに気づくはずです。
 私は皆さんを尊敬しています。
 進学しても、社会に出ても、きっと活躍できます。
 だから、胸を張ってください。」



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おもろい話やで | 日記
2013.03.08(Fri):未分類
本日8日も、対台湾戦があるが、
ワールド・ベースボール・クラシックが盛り上がっている。

なぜ、盛り上がっているといえるかというと、
対ブラジル戦や中国戦でさえ、
NHKドラマや笑点、そして、あのサザエさんより
視聴率がよかったからである。

そこで、本日は、若干強引であるが、野球関連の話題を。


みなさんの母校が突然、高校野球で夏の甲子園に出場、
なんてことになったら、ビックリしますよね。
常連校でない限り、

1999年夏、そんなことが自分自身にあった。
わが母校、都立城東高校が、
東東京代表で甲子園出場を果たしたのである。
1980年夏に、西東京から都立国立高校が出場して以来、
都立高校として2番目の出場であった。

私も高校一年のときだけ野球部に所属していたが、
その頃は、一、二回戦で敗退が当たり前の状態。

卒業後もやはり、夏になると東東京予選が気になり、
予選のどこまで勝ち進んでいるのか時おりチェックしていたが、
ベスト16まで勝ちすすむなど、
着実に力をつけてきたというのは分かっていた。

が、1999年の夏は、
わが母校が、東東京予選でどこまで勝ち上がっているのか
まったくチェックしていなかった。

と、いきなり、都立城東高校が甲子園初出場、
というニュースが飛び込んできた。

私も、野球部が着実に力をつけてきたことを知ってはいたものの、
そこは帝京や関東一高など140校近くがひしめく激戦区東東京、
まさか甲子園に出場できるとは考えたこともなかった。
そんな私でさえ、驚いたのであるから、
いわんや、野球部が強くなっていたのをまったく知らなかった卒業生をや、である。

地元は江東区大島も、お祭り騒ぎ。

準決勝の相手は、当時は東東京にあった、あの早稲田実業高校だった。
スタンドは、ほとんどが早実ファンで埋め尽くされ、
早実は、相手が都立校だったということで、エースを決勝のため温存。
が、城東高校打線が、早実のピッチャーをボコボコにする。
エースが出てきたときは、時すでに遅し、ということだったらしい。

勢いそのまま、決勝では強豪、駒大高を降し、
甲子園初出場、ということだった。

が、甲子園では、智弁和歌山に2-5で初戦敗退。


都立城東高校の野球部が強くなったのは、
ある名物監督さんによるところが大きかったらしい。
一番でなければ意味がない、
二番では初戦敗退と同じである、
という蓮舫先生にもお聞かせしたいような思いで、
部員を指導していたらしい。

その監督さんが城東高校から異動された後も、
その指導の下で育った選手がもう一度夏の甲子園出場を果たす。
2001年の夏であった。

このときは、甲子園に行く前の野球部の打撃練習を見たが、
スイングスピード、打球音、打球のスピード、
久しぶりに見て聞いたというのもあるが、
自分が現役時代とは次元が違うと感じた。

この夏は、私も甲子園まで応援に行った。
東京から、夜行バスで、休憩も入れてだが、十時間ほどかかった。

甲子園に到着したときは、もうヘトヘトである。

第1試合にもかかわらず、地獄のような暑さ。
想像以上である。しかし、
『都立城東高校のスターティングメンバーを発表します。』
とのアナウンスがあったときだけは、
自分の母校が甲子園に出場したんだ、という実感で鳥肌がたった。

元来、恐怖で鳥肌がたつ、といったように、
イメージのよくない場面で使用することばらしいが、
鳥肌がたったのは事実である。

用意した2ℓボトルの水はあっという間になくなる。
かち割氷がとぶように売れるのもうなずける。
第2試合、第3試合だったらと思うと、おそろしい。

前にいる女子高生たちも汗でブラジャーが透けて見えてしまっている。
応援の仕方も、二度目の甲子園出場だったとはいえ、どこかぎこちない。

試合は、佐賀の神崎高校に2-4で、またもや初戦敗退。

しかし、甲子園に二度も出場ということになると、
グランドの様子が変わる。
今までは見たこともないスタンドやナイター設備が現れた。


先ほども述べたが、私は一年間だけ野球部に所属していたが、
受験勉強に専念したく、退部してしまった。
それで確かに勉強時間は増えたが、
当時は予備校にも通わず、というのは言い訳だが、
間違った勉強方法で決して学力は上がらなかった。

だから、野球部退部については後悔した。
その一方で、体は鍛える必要があると思って、
ジョギングを始めるきっかけになったということでは、
よかったのかもしれないが、それも心理学でいうところの合理化か…

当時の練習も、私には勉強との両立ができないほどの厳しさがあった。
チームの強さと練習の厳しさとがそのまま正比例するとは限らないが、
甲子園出場を果たした当時の練習は、質量とも、
おそらく想像を絶するものであったに違いない。

だから、すべてのスポーツの強豪高校の部員にもいえることだが、
失礼、強豪校部員に限らないが、
ベンチ入りできなかった三年生の補欠選手も胸を張っていい。
三年間、厳しい練習を耐え抜いたというだけで、すごいことである。
高校生当時は、自分のすごさに気がつかないものであるが、
きっと、社会に出ても活躍されるはずである。




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