懐かしい自販機の前に立った。
その間、
消費税は8%に引き上げられたはずだが、
値段は変わっていないようにも思えた。

ちょっとふんぱつして、
天ぷら・カレーセットの食券を買って、
お店の人に差し出してみた。

『そばにします?うどんにします?』

「うでんでお願いします。
 あのー、ごぶさたしてます。」

『ですよね。』

その数十分前、私は池袋駅前にいた。
2012年の暮れ、
衆議院解散総選挙があったとき、
私はここで、
当時“日本維新の会”の
石原慎太郎共同代表による演説の
前座を勤めていた。

このとき、私は
”日本維新の会”公認候補として、
東京板橋区から立候補し、
下村前文科大臣と戦っていたのである。

板橋区とは縁もゆかりなかった。
が、選挙戦のときにかまえた
小さな事務所のすぐそばの商店街で
何名かの方々と仲よくさせていただいた。

無性に懐かしくなった私は、
いつの間にか東武東上線に乗っていた。

『もう、三年も経つんですね。』

しばらくすると、もう一人の女性が、
コップに入った水を
私の前にやさしく置いてくれた。

「かな子ちゃん(仮名)、元気?
 おじさんのこと、覚えてる?」

『うん、選挙カーで
 名前呼んでくれたよね!』

そう、選挙が初めてで、
つい、マイクを使って、
個人名をいってしまったのである。

当時、お手伝いもおぼつかなった彼女が、
今は、テキパキと仕事をこなしていた。

私が板橋区に足を踏み入れたのは、
選挙公示日の数日前である。

下村前文科大臣に敗れたとはいえ、
こんな状態にもかかわらず、
五万票近くもいただくことができ、
次点となれたのも
“日本維新の会”の力のおかげである。

当時の“日本維新の会”は、
石原・橋下のツートップ体制で
東京でも多少の勢いはあった。

政党の力とはすごいものである。

選挙後、
落選者全員が大阪に集められた。
そして、そこで
選挙に弱いやつは要らないと
当時の橋下共同代表から
クビを言い渡された。

クビになった私は、
幼稚園、小学校、中学校、そして高校と、
ずっとお世話になっている
愛着のある我がふるさと江東区で
無所属で活動することに決めた。

下村前文科大臣が強いのは自民党だから
というだけでなく、
同区で、都議時代から
数十年活動してきたからだと感じていた。

また、私は、中高校生のとき、
政党の代表や著名人らと
二人並んで写っている
地元政治家らのポスターを見て、
「有名人に頼ってなんて情けない連中だ。
 自分で勝負してみろよ!」
と思ったことがある。

実は、このポスターについては、
選挙の半年前から、
個人ポスターを貼ることは
禁止されているからなのであるが、
当時、そんなことは知るよしもなかった。

下村前文科大臣は
私より一世代前の方である。
板橋区では、私含め、野党候補が
選挙のたびにころころ変わる。

一方、江東区には
自民党比例選出の代議士のみならず
父親から地盤を引き継ぎ、
連続トップ当選を果たしている
強力な野党代議士もおり、
二人とも、若干だが、私より若い。

おそらく、
板橋区で活動を続けていた方が、将来、
当選する可能性は高かったかもしれない。

それでも、やはり
ふるさとで選ばれたい。

それに、イチロー選手いわく
合理的な手段ばかりおっていると
深みのない人間になってしまう。
たしかに、
要領よく立派な肩書きを手にいれても、
M議員のような政治家はじめ
深みのない人間は多い。

だから私は、
自分という人間で勝負して、
深みのある政治家をめざす。

二年後の2014年の暮れ、
衆議院解散総選挙があった。

その前の選挙活動時に、
昼下がりのある駅前で
一度だけお話しをしたことのあるご婦人から、
『今回は板橋から出ないの?』
と、携帯に連絡があった。

この他にも、選挙期間中、
毎朝、私に激励のことばをかけてくれた
いく人かの通勤客の方々がいらした。
こうした方々の顔は今でも覚えている。

そして、顔は分からないが、
私に投票してくれた
五万近くの板橋区民がいらっしゃった。

後ろ髪を引かれる思いだったが、
それでも、ふるさとから出たい、
その思いが勝り、
無所属で江東区から立候補した。

しかし、自分で勝負した結果、
深みのない私は9千票弱で惨敗。

それでも、
ここ江東区で続けよう、
と思った出来事があった。

そのお話は、後日。



スポンサーサイト
Tag:
| TrackBack:0
およそ一か月前、
3人の維新の会の大阪府議が
離党届を提出した。

理由は、来春の府議選で、
定数削減と選挙区割りの変更により
別の維新現職と競合するところ、
幹事長から
くじ引きでの候補者調整を打診されたことに
反発したかららしい。

組織で働く者は歯車である、
といわれることがある。

仕事が終わり帰宅できるはずの部下を
自分に代わり
ワープロ打ちやコピーをさせるためだけに
帰宅させずに待機を当然のように命じる上司。

部下が自分の思いどおりに動かないと
腹を立てる上司。

当然と思う方もいらっしゃるかもしれないが、
問題は、自分の都合ばかり考えて
部下の人格を無視している場合。
だから、同じように見えても、
部下の人格まで考慮している場合は
問題ない。

その違いは、
上司から注意されているときの
部下にはよく分かる。

残念ながら、私的には、
上司から注意されながら、
人格まで考慮してもらった覚えは、
OECDという国際機関の場でしかなかった。

また、実は、
中世社会のほうがマシだったのではないかと
NHKの大河ドラマなどを見ながら
思うことがある。

組織のために働けば、
たしかに給料はもらえる。
しかし、出世や役職という点で
報われないことが分かっている場合、
特にきつい。

組織で働く者については、
大企業に雇われた者や役所のキャリアなどであれば、
一生懸命働けば、将来、
出世や役職がついてくる余地はある。
しかし、それ以外の者にとっては、
かなり困難な途となる。

私の場合、
一生懸命働いたのに、
出世しないのはまだしも、
12~13年前のポストに戻されたのだから、
キツイ。

中世の武士であれば、
奉仕をすれば
ある領地を支配できるという御恩がある。
なければ、主人から離れることもできる。

領主のために身を粉にしても
御恩がなかったのが、
農民など武士以外の者。
給料のような金銭的な報酬なら
武士以外の者にもあった。

維新の会に離党届を出した三人のうち、
二人は私の選挙を手伝ってくださった方。
だから、少なくともその二人については、
その効果や方向性は別にしても、
維新の会のために身を粉にして働いてきたことは、
私にもよく分かる。

それでいて、
くじ引きだと言われたのだから、
カチンときたのだろう。

もちろん、
他の現職府議も一生懸命に働いたからこその
くじ引きという判断だったのかもしれないが、
おそらく、当の三人は、
今までの働きぶりが考慮されなかったとか、
党の道具としかみなされていなかったとか、
そんなことを肌で感じたのであろう。

自分らは武士と思っていただけに。

その証に、
橋下徹代表が当の3人について
『単に議員を続けたいだけ。
いなくなった方が維新にとってプラスだ』
と語っていた舌の根の乾かぬ内に、
議運で過半数割れとならないように、
離党を認めず処分を先延ばしにている。

そして、号泣元県議で有名になった
政務活動費についても、
三人分の活動費は当の三人ではなく、
党のふところに入っている。


Tag:
| TrackBack:0
増税前はセールもやっていたからか、
今月に入ってからの
各店舗での値上がり感が
3%を超えていて半端ない。
本当に買い物する気になれない。

資金などを貯めるためには、
これまで以上に
不要不急なものを買わないようにしていくしかない。

と、いう私からしてみれば、
渡辺喜美氏がDHCから8億円も借入できたことは、
正直、羨ましい。

『みんなの党』の議員や、
同党から離党した『結いの党』の議員の中には、
渡辺喜美氏を非難している者もいるが、
彼ら、彼女らは、選挙時に
この8億円から資金援助を受けなかったと
胸を張っていえるのだろうか。

ちなみに、私の場合、
一昨年末の衆院選時に
『みんなの党』から推薦をいただいたが、
資金援助はもちろん一切なかった。

むしろ『維新の会』に
100万円を上納したくらいである。


渡辺喜美氏は、8億円を
『個人的』に借りただけと主張している。

小保方氏の論文改ざん問題もそうだが、
内心の問題は、
一般人を基準にして考えるのが、
法律の世界では通説のようである。

渡辺氏の借入の場合は、
利子や返済期限もないようだし、
借入の時期も選挙前のようで、
政治資金としての寄付といわれてもおかしくない。


私は、昨年12月10日付のブログで

「私も、渡辺喜美氏には、
 衆議院調査局に出向していたとき、
 何度か、“ご説明にうかがった”こともあるが、
 かなり特異な人だったのは確かである。
 
 だから、自分も、一年前の衆院選時に
 “みんなの党”から推薦をいただいたものの、
 渡辺氏が代表を務める政党だけは、
 目指す政策内容が何であれ、
 所属はしたくないと思っていた。」

と、述べたが、
渡辺氏は、やはり、特異な人だった。



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
交番に着くと、なぜかお巡りさんは、扉を閉じて奥の部屋に。
しばらく出てこない。

5分ほどして、今度は、
先ほどのお巡りさんより大柄な警察官が出てきた。

  警察官がもう一人奥にいたんだ。

どうやら、その警察官は、遺失物法の専門家らしい。

その警察官いわく、
マクドのような施設内の落とし物は速やかに、
その施設の管理者に預けなければならいと
法令で規定されているらしい。

なぜなら、施設内で落とし物を拾った人が
勝手に施設外から落とし物を持ち出すと、
今度は、その拾った人が窃盗犯になりかねないからだ。

窃盗とは、他人の意思に反して占有を侵害することをいう。

だから、そのカバンの占有が誰にあったかが問題となる。
私なのか? その男性なのか? 店長なのか?
私に占有があれば、その男性は窃盗。
その男性にあれば、そのカバンは遺失物等々…

だから、今度は、その占有が問題となるのだが、
占有とは、財物を事実上支配している状態をいう。

ただ、物理的に持っているという意味ではなく、
客観的事実や当事者らの意思などを総合的に判断して、
社会通念上、排他的な支配が及んでいるかどうかで決まる。

例えば、自分の部屋にある物なら、外出中でも占有が及んでいる。
だから、空き巣は窃盗犯になる。


さて、交番で私といっしょにいた、その男性だが、
警察官から、本来は、マクドの店長にカバンを預けなければならなかった
という説明を受け、納得。

納得したのは意外だった。

そして、警察官は、その男性が納得した以上、
後は本人たちどうしの問題となるので、
これ以上は、警察は関わらず、
私のカバンも落とし物扱いはしないと、おっしゃってくださった。


そして、二人で交番を出て交渉。

カバンをトイレに忘れた私にも責任があり、
この男性が見つけてくれなかったら、
他の人がカバンもしくは小切手をくすねた可能性もあった。

そこで、三千円の謝礼ですますことに。

が、財布の中には、二千円と小銭しかなかった。

不憫に思ったその男性は、
『二千円でいいよ。』
といって、その二千円を鷲づかみにして去って行った。


ところで、カバンは誰の占有にあったか?

その男性は、カバンのチャックをわざわざ開け、
小切手と通帳が入っていることを知ったからこそ、
60万円欲しさに、マクドの店長の言葉を無視してまでも
お店から出て行ったこと。

私が、お店から数十メートル離れたところで、
その男性を見つけたこと。

こうしたことなどから判断すると、
その時点でも、そのカバンの占有は、依然私にあったと思う。


それにしても、マクドの店長には、
強制的にでもカバンを預かっておいて欲しかった。

でも、一番悪いのは私。
すみませんでした。




Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
選挙に立候補したときに預けた
300万円の供託金を返してもらうためには、
”持参人払式小切手”をもらい、
これを銀行に持っていかなければならない、
と3/15付のブログでお話しした。

その後日、大変なことが起きた。

小切手をもらった時点で、
銀行に行っても間に合いそうもなかったので、
翌朝、銀行に行くことに。

そして、その日の朝、まだ銀行が開くまで時間があったので、
マクドに寄って、二階で朝マックをしながらくつろぐ。

そして、トイレに入るとき、
300万円の小切手の入ったカバンも
いっしょに持って入った。

  そして、そのカバンをトイレに忘れた。

普段、カバンをもってトイレに入ることがないので、
出るときもカバンがない状態が自然だった。

習慣というのは恐ろしい。

その後、しばらく私はそのことに気がつかずにいたが、
不意にカバンをトイレに忘れたことに気がついた。

あわててトイレにダッシュ。

が、トイレは使用中。

そうとは分かっていても、今までしたことがないほど、
激しくドンドンとドアを叩く。

すると、トイレの中からは、
冷静な音がしてきた。

今度は血相を変えて一階に駆け下り、
レジと厨房との間くらいにいた店長らしき方に、
カバンの落とし物がないか尋ねた。

そしたら、

”ある男性客がトイレでカバンを見つけたといってきたので、
 お店のほうで預かって、あとで警察に届けますよ、
 といったら、そのお客さんは、自分が警察に届けるといって、
 今しがた出て行きましたよ。”

と言われた。

  なんで、お店で預かってくれなかったんだ!

と思いつつ、すぐにマクドを飛び出る。

幸いなことに、
20~30m先に私のカバンをもった男性がいた。

  助かった

と、思った。

が、その男性、一筋縄ではいかなかった。

近くに、違法駐車を注意しているお巡りさんがいたのだが、
その男性は、そのお巡りさんに寄りそうようにして、
私のカバンを放そうとしない。

『お前、本当にカバンの持ち主か?』

「そうですよ。
 中に通帳も入ってますから、運転免許証と合わせれば分かります。」

『あー知ってるよ。300万円の小切手も入ってるよな。
 だから、このカバンを拾った俺が2割もらえるんだ。
 お巡りさん、このカバンを落とし物として届けたいんだ。
 早く交番に行こう。』

「お巡りさん、何とかして下さいよ。
 本当は、このカバン、お店の人から預かるといわれたんだから、
 預けなきゃいけないのに、この人がもってきちゃったんですよ。」

違法駐車していた運転手さんと話を終えたお巡りさんは、
その男性に

”だんな、すぐに、2割もらえる権利が発生するとは限りませんよ。”

とおっしゃってくださり、三人でマクドに戻る。

そして、お巡りさんは、
マクドの店長が、その男性に
カバンを預かりましょうかといったら、
その男性が自分で交番に届けるといって店を出て行った、
ということを確認。

そして、今度は、数百メートル離れた交番に。

  2割といったら、60万円だぞ。
  冗談じゃない。

と思いつつ、
さっさと歩くお巡りさん先頭に、
私は、ちんたら歩く男性について、やはり、ちんたら歩く。
その男性は、私のカバンをつかんで放そうとしなかったから。

つづきは、後日。



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
昨日は、供託金のお話しをしたが、
本日は、それをどうやって返してもらうのか、
といったお話しと、
そして、東京にも、
心温まる方がたくさんいらっしゃるというお話しも。

一昨日の13日、風が異常に強かったので、
本当は外に出たくなかった。

しかし、先日、維新の会から必要書類とともに、
供託金を返してもらえるという連絡があったので、
一日でもや早く返してもらいたいという思いで、
意を決して、外出。

まず、東京都の選挙管理委員会事務局に行くため、
新宿の都庁に向かう。

が、早速、電車に遅れが。
いきなり20分ほど待たされた。

都庁では、
供託原因が消滅したことを証明する書類などを受け取る。
つまり、昨日、申し上げたように、
有効投票総数の10%以上を獲得したことを証明するものである。

このときの職員の対応は、当初、
決して丁寧とはいえない感じだったのだが、
自分が立候補した本人だと知ると、
若干、丁寧になったような気がした。

ここでも、選挙時と同様、
わざわざ立候補した本人が来る必要がない旨
繰り返しいわれた。

ただ、落選した私にスタッフを雇う余裕などあるはずない。


そして、次は、九段下にある東京法務局に。
今度の移動手段は地下鉄なので、遅れはないと思っていたが、
やはり地上部分も走っているので、遅れがでていた。

東京法務局には、都庁でいただいた書類を持って、
実際に供託金を返してもらうための手続きに行く。

この法務局がある建物には、
私が一年前に勤めていた東京国税不服審判所もある。

ここには、私と同様、
供託金を返してもらうために来た人の姿が目立った。
ただ、見るからに、立候補した本人ではなく、
代理人のようだった。

実際に300万円を供託したのは私だったので、
形式的にも供託の主体は私かと勘違いしていたのだが、
それは、”日本維新の会”ということだった。

だから、300万円が、直接、私の口座に振り込まれるわけではなく、
供託官が振り出して、”日本維新の会”に渡すという形の
”持参人払式小切手”を渡された。

聞いたことがあっても、
実物を見て手にするのは初めて。
思わず、職員の方に
「これ、どうすればいいんですか?」
と聞いてしまった。

これを銀行に持参すれば、自分の口座に振り込んでくれる
といわれた。

ちょっとだけ嬉しかったのは、
180円の利息がついていたこと。
予想外の収入である。


そして、東京法務局のある建物を出ると、
相変わらず強風が吹き荒れている。

風に飛ばされそうになって、
思わずガードレールにつかまった。
生まれて初めてである。
それくらいすごかった。

今までだったら、デスクワーク中心の仕事だったので、
こうした外の様子を知る機会は少なかった。

赤ちゃんを抱っこするお母さんが、
風で倒れた自転車を片手で起こそうとしていたので、
手助けしようと思ったら、
私の先を歩くご婦人が手助けを。

別のところでは、
スーパーの前の路上に散乱する
カップラーメンを拾うご婦人の姿も。

駅のプラットホームで、遅れがでている電車を待っていると、
向かい側にあるプラットホーム上では、
"駅ナカ"(小型のコンビニのような施設)
に入ろうとするも、ベビーカー片手に、
風で扉がうまく開かずに困っているお母さんの姿が見えた。

すると、ある紳士の方が、扉を抑えて、
お母さんが ”駅ナカ”に入るのを手助けする。


東京の人の人情が垣間見えた一日であった。



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
供託金とは、選挙に立候補しようとする者が
国に預けるお金のことをいう。

これが、えらく高く、300万円。
ただ、これは、みなさんが投票所で個人名を書く分。
いわゆる小選挙区分のみ。

さらに、みなさんが政党名を書く分に
300万円が必要になる。

この政党名を書くことによって
どうやって当選者が決められるかというと、
まず、各政党の得票数に比例して、各政党の当選人数が決められる。

次に、その各党に割りふられた人数分、
具体的に誰が選ばれていくかというと、
各政党が提出した名簿に掲載された者から選ばれるのだが、
各々の政党がつけた順位にしたがって選ばれる。

学校の出席簿とかだと、五十音順ということになるが、
各党がどうやって順番を決めているのかというと、
そこは各党のまったくの自由であって、
不透明なところもある。

そして、この名簿に掲載してもらおうという者も、
300万円を国に預ける必要があるということである。

したがって、小選挙区から立候補する者が、
いっしょに、各政党の名簿にも掲載してもらおうとすれば、
合計600万円の供託金が必要となる。

選挙区で落ちたはずの候補者が
ゾンビのようによみがえってくるのは、
600万円を払っているからである。

だからこそ、議員定数削減の話になると、
この政党から当選するという部分、いらねんじゃねー
という意見がでてくる。

が、小選挙区ではなかなか当選できそうもない
中小の政党がこうした意見に反対するのである。

一昔前のような、選挙区が若干広めの中選挙区制だったら、
複数の者が当選するので、中小の政党にも当選のチャンスはあった。

しかし、現在のように、
小さな選挙区からは一人しか当選しないという仕組みだと、
最も得票数の多かった政党からしか当選者が出なくなってしまう。
これが、小選挙区制の短所である。

今回の場合は、近畿は格別、
自民党が一人勝ちしたような結果になった。

その前の選挙では民主党、
そのまた前の選挙では、小泉旋風にのった自民党と、
議席数が大きくぶれるのも、この小選挙区制の特徴である。


さて、私も、ゾンビによる復活も狙っていたのだが、
他の小選挙区からの候補者と同列の4位だったので、
ゾンビになれなかった。

東京ブロックでは、維新の会は今一つ票を伸ばすことができず、
3位までの者しか当選できなかったからである。
このうち上位2位の者は名簿に掲載されていただけで、
そのうち1位が石原代表だった。

そして、近畿ブロックでの1位は、
あの東国原前宮崎県知事だった。

ちなみに、同順位の候補者どうしの場合は、
どれだけ惜しく敗けたかによって決まる。


と、偉そうに縷々ご説明申し上げたが、
まことに恥ずかしながら、
私は300万円だけ供託すればいいと勘違いしていた。
そこで慌ててしまったというお話しは、
昨年11月30日付のブログをご参照いただきたい。


ところで、
なぜ、これだけ莫大な供託金が必要になるかというと、
供託金制度がないと、立候補する者があまりにも多くでてきてしまい、
収拾がつかなくなるからである。

つまり、
有効投票数の10%未満しか得票できなかった者は、
供託金を国に没収されてしまうので、
ある程度の得票を見込める者だけしか
立候補できないようになっているのである。

ただ、立候補する自由は、
憲法でも保障されているといわれているので、
300万円なんか没収されても構わない、
と思えば、誰でも立候補はできる。


そして、昨日13日、
小選挙区分の300万円分だけ、
預けてから100日以上経って、ようやく返してもらえることになった。

私の得票率は約20%だったので、没収は免れたのである。

これも、選挙スタッフの努力の賜物。
そして、”維新の会”というネームバリューのおかげ。
どちらかが欠けても、供託金は没収されていたと思う。


どうやって供託金を返してもらうかの具体的なお話しは、
また後日に。



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
先日、
選挙のとき、いろいろ手伝ってくださった方々をお招きし、
カラオケボックスで慰労会。

私は、公務員だったので、
公示日まで一週間を切っていたにもかかわらず、
当初は手伝っていただけそうな方がまるでおらず、
非常に困っていた、というか、発狂しそうだった。

しかし、知人の知人の知人というように、
日に日にだんだん人が集まりだし、
最終的には20人くらいの方に手伝っていただいた。

もう、本当に助かった。
みなさんに手伝っていただけなければ、
とてもではないが、私も選挙運動に専念できなかった。

そして、みなさんがいなければ、
知名度ゼロの私が、5万票近くもいただくことができなかった。

こうした感謝の気持ちを皆さんに少しでも早くお伝えしたかったのだが、
選挙の後は、
退職後の手続きや引っ越し、挨拶まわりなどで落ち着かなかったので、
2月に入ってようやく実現できた。

当日は、ちょうど10人にお集まりいただいた。
急な話にもかかわらず選挙を手伝ってくださった方々なので、
主婦、行政書士、アロマエステティシャン、DJ、就活中の大学生等々
本当に多彩な顔ぶれである。
ただ、共通していたのは、
私も含め、選挙についてはずぶの素人だったということ。

そして、私にとっては、かけがえのない大切な仲間。

が、しかし、である。
場所をカラオケボックスにしたものの、
誰一人として歌が好きな人がいなかった。
あのDJも、歌は唄わない。

これだけ人が集まれば、誰かは歌が好きな人がいるだろうと思い、
自分も歌は嫌いではなかったので、
個室で、落ち着いて話もできると思って
カラオケボックスにしたのだったが…

結局、二時間のうち、私が3~4曲歌っただけだった。
しかも、”長い夜”とか ”贈る言葉”とか、
三十年以上前の曲ばかり。

若い子は、頭がふさふさの松山千春さんを見てビックリ!


今度は、普通に居酒屋さんにしようと思う。



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月26日(水)


大阪の党本部に全国の落選者が集められた。

そして、その場で、
落選者全員、支部長解任を言い渡される。
これは、維新の会が、選挙での得票率も加味しながら、
候補者や選挙区をゼロから選定し直すことを意味する。

落選者からは、
今からでも運動をしたいので早く支部長を決めてくれ、
支部長が決まるのはいつ頃か、
支部長になったら活動費は月にいくらくらい出るのか、
比例順位の決め方が不透明だ、
比例当選組は参議院にくら替えさせてほしい、
といったお願いや質問がでる。

これには、ある幹部もあきれたらしく、
  そんな自己保身的なことや
  ちまちました手続き的なことばかりいって
  どうする!
  そんなみなさんにはがっかりだ。
  どうしても代議士になりたかったら、
  自民党にでもいってくれ、そのほうが確実だ。
  党ばかりに頼ってないで、
  もっと自立心をもちなさい。
といったようなことをおっしゃって、いさめる。

これに感化されたのか、今度は、
政党交付金は辞退すべきだ、
という党に自立を求める意見がでて、拍手も起こる。

が、その幹部はこれにも切れ、
  そういうなら、OO億円ここに持ってきてください。
  代替案もなく、外から批判だけするようなことは
  止めてくれ!
と、おっしゃる。これにも拍手が起こる。

たしかに、ゼロから党を築き上げ、
政党交付金をもらえるまでに大きくした、
そんなご苦労をされた方々にとっては、
ごもっともなことである。

ただ、若干気になったのが、
幹部の方々がドブ板的な選挙には消極的であること。
政策をきちんと有権者に訴えかければ大丈夫だ、という。
おそらく、しがらみのない政治を目指していることとも関係がある。

それはその通りなのだが、
ただ、人間は理屈だけではなく、感情によっても動く。

今の維新の会の幹部の方々や今回の選挙で当選された方々は、
マスメディアを通じて既に全国的な知名度があったり、
特殊な風が吹いたことによって
現在の地位を得た方々のほうが多い気がする。

それ以外の候補者は、
地道な活動で、せめて地元での知名度を上げるしかない。
多少なりとも、情にも訴えかける必要はある。
ま~、それは、演説で訴えかけるという方法もあるが、
今回の選挙戦で肌で感じたことである。

そうでもなければ、何かマスメディアに長く取り上げられるような
そんな特別なことをする必要がでてくる。

たしかに、ドブ板的な運動は
しがらみのある政治につながってしまう危険はあるので、
そこらへんとの兼ね合いが難しくはなってくる。


今回思ったのは、
従来からの、そして今後の党の候補者の支援の仕方、
比例順位の決め方
そして、先ほどの支部長解任といった一連の方針、
これらを総合的に勘案すると、
維新の会は、候補者個人の事情はあまりかえりみず、
党勢拡大に注力していること。
それが他党より明確になっているということである。

それは、それで当たり前のことではあるが。


そして、身分が安定しないまま、
落選者は放り出されるかのように
党本部を出ていく。

外で待機していた記者たちは、
マドンナ候補といわれた女性らを囲む。

私はというと、ちょうど一か月前、
自分の運命を変えてくださった
このビルの管理人さんにご挨拶。

その直後の私の笑顔を2~3枚撮ってくださった
報道関係者の方もいらしたが、
そのフィルムが無駄にならないようにしたい。



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月15日(土) -選挙運動最終日-


朝の6時半ころ、いつもどおり、大山駅を下りると、
いつもと違って、他の候補者の巨大な街宣車が

デ~ン

とかまえていた。

マイクを使用できるのは朝8時から、との決まりがあったので、
8時から駅前演説でもするのかと思っていた。

そして、事務所に到着するやいなや、
選挙運動用のジャンパーに着替え、タスキをかけ、
女性スタッフ中心につくっていただいたオシャレ看板二枚を両手にかかえ、
商店街に出る。
毎朝、犬の散歩をされる洋服屋の社長さんにご挨拶申し上げ、
大山駅に到着。

いつもどおり、定位置に看板を置いたときである。

『これが、見えないの?』

相手候補陣営の選挙スタッフの方だった。

「見えてますけど…」

『じゃー、なんで、ここに立とうとするんだ!』

「この場所に街宣車は置いてないし、
 誰も立ってないじゃないですか?」

『駅周辺の一角に街宣車を置いたということは、
 駅周辺の場所をおさえたということなんだよ。』

「そんな決まり、どこに書いてあるんですか?」

『それじゃー、君の理屈だと、
 私が君の隣に立ってビラを配ってもいいということだよね。』

「どうぞ、どうぞ」(by not ダチョウ倶楽部)

この方が私の隣に立ったところで、負ける気がしなかった。

『そっちのスタッフの責任者はどこにいるの?』

「今は、私一人ですし、事務所にも今は誰もいませんが。
 というか、責任者とかいませんけど。」

『話にならん。』


しばらくして、別の白髪の方が近寄って来られた。

『私は、選挙運動の責任者です。』

今度は、責任者の方のお出まし。

『このポスターを利用した板を置くのは違反だよ。』

「あっ、すみません。知りませんでした。」

本当に知らなかった。

そして、自分のポスターを利用したほうの板をひっくり返すと、

『ま~候補者本人が横にいるから、構わないけどね。』

といわれたが、取りあえず、
維新の会のツートップのお二人を切りばりしたほうの板だけ、
それを表にしたままにしておいた。


そして、ついにご本人登場!
わざわざ手袋をはずし、手を差し伸べてくださった。
あまりに急なことで、私のほうは、
手袋をしたまま握手をしてしまった。

『私なんかは、街宣車とかあったら、
 その場は遠慮するようにはしてきたけど。』

「あの~、せめて8時まで
 ここで挨拶だけでもさせてもらえますか?」

『いいけど、あなた、埋もれるよ。』

ざっと見渡すと、
ジャンパーを着てチラシを持ち、待機をしているスタッフが十人ほど。

  おもしれー、受けて立とうじゃねーか。

「おはようございます。」

学生時代に鍛えた声で挨拶。

相手候補陣営が束になってかかってきても負けなかった。
だいたい、一人一人の声が小さいし、
それに、通っていない。

相手陣営の声が大きくなってくる。

私も負けじと、さらに音量を上げる。

すると、十人の束が、チラシを配りながらも
私のほうに近寄ってくる。


本当に大人げない争いである。

  私が予想に反して追い上げているという情報で
  最終日になって、ようやく焦り始めているのか?

いつもここで私に声をかけてくださる方々が
いつも以上に私を応援してくださる。


朝8時前、いつものように、運転手さんが
私に声をかけてきた。
そして、いつもと違って、
相手候補者に近寄り、失礼しましたとご挨拶。

今度は、こちらが素手で、お相手が手袋で握手。



これまで選挙運動をしていても、不思議と
相手候補者とバッティングすることはほとんどなかった。

しかし、この最終日は、行く先々でバッティング。


先ほどの話ではないが、先に相手候補が演説しているときは、
その場所で演説が終わるのを待つか、あるいは
場所を変えるのが暗黙のルールと理解していた。

ルールというか、
相手候補者の演説の邪魔になるし、
そもそも自分の演説も聞こえなくなるので、
常識といえば、常識。

しかし、他の候補者の場合、前もって演説の時間と場所を
緻密な分析のもと、しっかりと決めておくので、
なかなか柔軟な行動がとれない。

他方、こちらはゲリラ戦法。
私の個人的な勘だけで、行き当たりバッタリで演説場所を決める。

だから、相手候補者が先に演説していても、
私のほうは、あまり気にならない。

しかし、相手のほうは、私が先に演説をしていると、
相当イライラするらしい。
計画どおりいかず、予定が狂いだすからである。

先日も、私が駅前で演説中、
相手候補陣営の方が私の選挙スタッフに対し、
この駅はO時から演説することになっているんですけど、
といった、とんちんかんな文句を言ってきたらしい。

そして、この日も、私は高島平団地内で最後のお願いをしていた。
すると、拡声器を使った相手候補者の声が聞こえてきた。

  おいおい、こっちは演説しているんだよ。

そのヒステリックな声は、私の話をかき消そうとするかのように
だんだん大きくなってくる。

しかし、その声は、明らかに団地にこだまして
内容がまるで分からなくなっている。

  これ、逆効果だぞ。

私のほうといえば、先日の ”Hくん”の助言で、
声がこだましないよう、ゆっくり話をすることができていた。

相手候補陣営のほうがスタッフも多いし、
組織も大きいはずである。
それなのに、二十歳そこそこの ”Hくん”のように
助言できる人がいないとは…

これも、大人げない争いである。


この高島平団地内での失敗談を一つ。

ある女性が私に近寄って来られたので、
いつものように
「お願いします」
とご挨拶。

が、この女性の方、明らかに迷惑そうな表情。

すると、ウグイス嬢見習いの娘があわてて
『候補、陣痛中の妊婦さんですよ。』
と、私をいさめる。

その妊婦さんは、私の背後にある病院に急いでいたのだった。

本当に申しわけないことをしてしまった…

その後、無事に元気な赤ちゃんが産まれたことを願ってやまない。


最後は、お世話になった
”ハッピーロード大山”そして、”遊座大山商店街”を
スタッフ総出で行進して、選挙運動終了。

総出といっても4~5人で、昨日の行進と比べると
寂しい感じがした。

そして、事務所に戻り、ダルマの片目を入れる。

最後の最後は、狭い事務所内でみんなと三本締め。


ようやく、明日は、投票日である。

私には、あっという間の選挙運動だった。

何たって、三週間前は、京都の嵐山で
のんびり、紅葉狩りをしていたのだから。



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月12日(水)~14日(金) -選挙運動9~11日目-


選挙運動も終盤にさしかかると、
だんだん手ごたえを感じるようになった。

選挙カーを走らせても、声援をおくってくださる方々が増えた。
期日前投票で私の名前を書いてきた、
といってくださる方が何人もいらっしゃる。
選挙カーを下りて握手をさせていただく機会も増えた。

特に未成年の方からは人気があった。
ま~、学生さんだから、自らの経験からしても、
どの候補者にも同じような反応だったのかもしれないが…
小学生には ”いのっち” ”いのっち”と
からかわれる。

V6の井ノ原さん、すみません…

演説時も、寒いのにわざわざベランダまで出てきてくださり、
聴いてくださる方々も。
あるいは、さすがに寒かったのであろう、
演説が終わると、部屋から出てきてくださり、
手を振ってくださる方々も。
もちろん、演説終了後、こちらも飛び跳ねて声援にお応えする。

どうやら、私の演説は、部屋の中まで聞こえていたようだ。

路上でご声援をいただいたときも、握手をさせていただく。
白い手袋が血まみれになっていないことを確認して。

駅前演説でも、
わざわざ立ち止まって聴いてくださる方々の姿も目立ちはじめた。
最後まで聴いてくださった方々には、もちろん握手。

なかには、某有名塾のカバンをしょった小学生もいて、
演説終了後、パンフください、といってくる。
将来が楽しみというか、末おそろしいというか…

また、演説中に、元の職場でお知り合いになった方が、
握手を求めに近寄ってきてくださった。
急ぎの用があったのだろう。
演説を途中でやめるわけにもいかず、
そのまま握手を交わし、お互いなつかしむ。

別れるときも、演説をしながら頭を下げる。
頭を下げるような演説内容ではなかったので、
まわりの方々は、どう思ってみていたのだろうか。


選挙運動も残りあと二日となった日の午後、
第二のウグイス嬢さんが、
明日最終日には、”甲先生”にも是非応援に来ていただいて、
商店街を行進してフィナーレを迎えるのが理想的だと教えてくれた。

私は、そんないきなりなお願いをきいてくれるはずもない
と思っていたが、第二のウグイス嬢さんの強い押しで、
今どこにいらっしゃるか分からない ”甲先生”に連絡。

そうすると、意外にも、
間もなく石原代表がこの前の商店街を歩かれるから、
近くにいたら合流してくれ、
と ”甲先生”がおっしゃったように聞こえた。

ちょうど10分くらいで商店街に戻ることができる位置、
その場所でたまたま選挙カーを走らせていた。
そこで、私は、ゆっくり運転してくださっている運転手さんに
超特急でかつ安全運転で商店街に戻るようお願いした。

間もなくして、維新の会の街宣車が見えてきた。
選挙カーをあわてて下りると、携帯が鳴った。

二週間ほど前までいた職場からだった。
あれだけ退職時に迷惑をかけたこともあり、
信号待ちを利用して携帯で話す。

しかし、話が思いのほか長くなり、
信号が変わり横断歩道を渡りきったあたりで
ガチャ切り。
石原代表に失礼になると思ったからである。
携帯の相手にも失礼になることは承知で。

が、石原代表はいらっしゃらなかった。
どうやら、石原代表来る、の部分は、
私の聞き違いだった。

なお、ガチャ切りの件については、
選挙後、大阪に戻ったときに、
ご本人にお会いして謝罪した。


”甲先生”は、
九日ぶりにお会いするやいなや、
『頑張っているじゃないですか。
 雑誌とかの分析だと、
 自民党候補をかなり追い上げているらしいですよ。』
と、おっしゃってくださった。

私は、毎晩、早く眠りたいという気持ちが先行し、
雑誌の分析まで目を通そうという気もおこらなかった。
なんとなく、手ごたえを感じはじめてはいたが…
結果からすると、ちょっと大げさな分析ではあったが、
その大げさなお言葉をきいて、元気百倍になった。


そして、公示日以来、
”ハッピーロード大山”そして、”遊座大山商店街”を行進した。
この前と違うのは、党の職員の方や維新の会の塾生の方々と
大勢で縦一列になって行進し、賑やかにできたということである。

さらに違っていたのは、公示日に行進したときよりも、
ウケがよかったということ。
握手に応じてくださった方のほうが明らかに多かった。
そして、若い娘からは、
いっしょに写メを撮ってくださいと、
生まれて初めてお願いされた。
  
  これなら、いけるかもしれない。

そのときは、舞い上がっていたので、そう思った。


ただ、その後、現実に引き戻された時があった。

事務所に戻ると、昔、英会話学校でお知り合いになった
先輩でかつ親友でもある ”N先輩” が外で立って
私の到着を待っていてくださっていた。

私が何時に戻るのか分からないのに、
私をねぎらってくださるためだけにである。

その ”N先輩” は、
『猪野ちゃん、追い上げてるみたいじゃん。』
とおっしゃって、某新聞の分析を見せてくださった。

そこには、私については
”追い上げるも苦戦” とあった。
そして、民主党候補については、単に
”苦戦” とだけあった。
そして、
”無党派層の半分が自民に流れているもよう” ともあった。

  苦戦か…

この分析は、結果的にドンピシャだった。



それでは、最後に、この頃の私の演説内容を紹介します。

  私は、この選挙期間中、多くのみなさんから、
  なんで、石原代表と橋下代行がいっしょになったの、
  という疑問というか、ご意見をちょうだいしました。
  それに対するおこたえは、こういうことです。

  それは、二人とも東京、大阪の二大都市で実際に改革を行い、
  かつ国の規制という壁にぶち当たった。
  自らの経験を通じて、
  同じように国の規制を撤廃すべき必要性を痛感し、
  同じように苦い思いをした。
  実行した二人だけにしかわからないこうした思い、共感が、
  最後は二人に握手をさせたのではないでしょうか。

  理屈だけで人と人が手を結ぶというわけではありません。
  だから、維新の会は、主張する政策が近いはずのみんなの党とは
  いっしょにならず、選挙協力という形にとどまっているのだと
  思います。


  そして、これが、
  維新の会と、みんなの党も含む他党との間で
  大きく異なるところでもあります。
  つまり、維新の会は、
  実行力ある二人がツートップにいるということです。

  例えば、
  二人ともそれぞれ東京と大阪で、財政再建を成し遂げました。
  東京では、複式簿記という当たり前の方式を導入することで、
  財政赤字の原因や責任が明確になるようにしました。

  ですから、日本維新の会は実行力がある。
  これが他党と大きく異なるところです。


  さて、みなさん、先日、中国機が尖閣諸島の領空を侵犯しました。
  これは、そもそも石原代表が都知事のときに尖閣諸島を買う
  といったことから始まった問題ではあります。
  しかし、その後の民主党の外交政策の失敗によるところもあります。

  そこで、自らの経験も踏まえ、
  外交について考えるところを申し上げます。
  
  外交で重要な点は、二つあると思います。
  一つ目は、人脈です。

  そして、二つ目は、日本シンパを増やすことです。
  例えば、私がOECD・経済協力開発機構という
  国際機関に勤めていたときのお話です。

  その頃、私は、東欧諸国や発展途上国を訪れ、
  現地の方々に日本の税金のことについてお伝えする
  という仕事をしていました。
  そのとき、現地の方々からよく言われましたのが、
  
    日本ってすごい国ですね、
    尊敬できます。
    日本が好きになりました。

  と、いうことです。
  このような地道な活動によって、
  日本のことを好きになってくれる人、国を増やす。

  こうして日本に味方してくれる国々を増やすことで、
  中国や韓国、ロシアとの領土問題だけでなく、
  捕鯨の問題、国連安保理の常任理事国入りの問題などでも
  わが国は、外交を有利に展開できるはずです。

  したがいまして、日本維新の会は、
  首相は一年のうち100日は外国にいってこい、
  と主張しています。
  人脈をつくり、そして日本シンパを増やすためにも。

  (あとは、その場の雰囲気で、
   従来の演説内容の一部を取り入れたりして
   時間調整をしていました。)



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月11日(火) -選挙運動8日目-


いつものように、朝は、
大山駅で通勤・通学される方々にご挨拶。

中高生、そして小学生にまで頭を下げて挨拶した。
礼儀正しい学生さんは私に挨拶してくれる。

さすがに、お母さんに手を引っ張られる園児には
笑顔で手をふるだけ。
それは、もちろん、選挙のためだけでなく、
本当に可愛かったからである。

そして、この頃から、
数人の方から声をかけられるようになっていた。
中には、毎朝、助言してくださる女性の方もいらした。

『毎朝、頑張ってますね。』

『おはようございます、だけじゃなく、
 名前と政党名もいったほうがいいわよ。』

  そんな余裕はないし、名前を言わないほうが、
  かえってみなさんの方からタスキをのぞきこんでくれる、

とは思っていたものの、これがけっこう名前や政党名までいえてしまう。
そうすると、こんどは、

『おはようございます、だけじゃなく、
 いってらっしゃいませ、とか
 バリエーションをもたせたほうがいいわよ。』

『立っている横に何か政策をアピールするような
 そんな看板を置いたほうがいいわよ。』

私が助言どおりに実行していくごとに、
彼女の助言もグレードアップしていく。

そして、選挙運動の終盤時には、彼女からお手紙をいただく。

  ラブレター?

そんなんではない。

私の挨拶の仕方の長所と短所を並べたものであった。
ことばでは伝えきることができなくかったらしく、
わざわざ、私のために時間をつくって、
一枚の紙にしたためてくださったのだ。

なお、ラブレターと勘違いされないように、
お勤めの会社のロゴが入ったお手紙である。

でも、本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。


他に、先日の公開討論会の主催者、
十年以上前に国税庁で同勤させていただいた方、
それこそ、老若男女を問わず、
毎朝、声をかけてくださる方々が他にもいらっしゃった。
今でも、その方々のお顔はきちんと覚えている。


朝の挨拶を終えて事務所に戻ると、
第二のウグイス嬢さんが待ってくださっていた。

そして、挨拶そこそこ、選挙カーに乗りこむ。

第二のウグイス嬢さんは、
私にマイクを渡すときはきちんと合図をする。
そして、マイクを握らないときは、自分のことのように、
窓から身を乗り出して、大声をはりあげてくれる。

私が連呼する内容についても、
そろそろ自己紹介めいたものはやめてもいい、
信号待ちのときには、短めに話を終えたないと、
かえって、うるさがられる、
等々の助言をしてくれる。


この頃になると、
街で手をふってくださる方々をお見かけするようになった。
だから、私も含め、マイクを握っていないスタッフにとっては、
応援してくださる方々を見逃さないこと、
これが重要な役目になってくる。

そして、肉声で ”ありがとうございます”ということで、
マイクを握っている人に伝え、
やはりマイクでも ”ありがとうございます”という。
ご声援をくださる方がいらっしゃれば、
私も選挙カーから下りて握手を求める。

その握手だが、私は今まで素手でやっていた。
第二のウグイス嬢さんから、
すぐに白い手袋、それも上等なやつを着けたほうがいい、
とアドバイス。

手荒れがひどくなってきたので、
たしかに、手袋はほしかった。
と、いう問題ではないが…

  選挙用の手袋?
  そんなのどこで売っているの?

そこは、さすがハッピーロード大山商店街、
すぐに見つかった。

亡くなった母もそうだったが、
私も、クリームを塗ってもすぐに赤切れをしてしまう。
だから、白い手袋はあっという間に血だらけ。
はずすときも、体液が手袋にひっつくので、痛い。
もちろん、手袋は交換する。


そして、演説時。
朝の挨拶時にお会いした女性のご助言で
これまた、女性スタッフらにつくっていただいた、
石原代表、橋下代行ツートップの写真、
そして維新の会のロゴなどを切りばりして、
それこそオシャレに仕上げてくださった板を横に置く。
さすがは、女性目線。
本当に、感謝感激である。

ある朝、このオシャレ板を置いて
大山駅でいつものように朝の挨拶をしていたとき、
八十過ぎのおばあちゃんが
板の上の石原慎太郎の写真を見ながら、
石原裕次郎のほうの思い出話をする。

私も ”太陽にほえろ”の話をしてみるが、
やはり、かみ合わない。
年代が違うか…


演説時、男性スタッフには、ビラ配りはもちろん、
近くに集合住宅があれば投かんしてもらう。

しかし、肝心の私の演説に異変が生じ始めていた。
第二のウグイス嬢さんからも、そして、
なんと、駅前で待機しているタクシーの運転手さんからも、
演説に覇気がなく、単調になってきている、
まるで、念仏を唱えているようだ、と指摘された。

毎日、3~4時間睡眠で、選挙運動中は、
昼食など、スタッフのためにも、休憩はいれているものの、
メールなどのチェックや返信で、仮眠もとれない。
こうした疲労の蓄積が原因の一つであることは分かっていた。

ただ、より深刻だったのは、
演説が自分の中でマンネリ化していたこと。
もう、頭の中にしみついていたので、
無意識に言えてしまっていたのである。
これは、演説に感情がこもっていないことを意味する。

そういえば、最近、特に日が暮れての演説では、
ただただ震えながら
寒さをこらえることに一生懸命になり、
演説内容はまったく気にせず、
それこそ念仏を唱えるかのように
言葉を口から出しているだけだった。

いやっ、念仏に失礼。
念仏は、本来、仏の姿などをしっかり思い浮かべながら唱えるものである。

また、また、大変失礼ながら、
7~8年前の当時の小泉首相の亀戸駅前での演説、
そして、先日の石原代表の池袋駅前での演説、
どちらとも、思っていたよりは、正直、心に響いてこなかった。
おそらく、ご本人らの中で、
おっしゃることがマンネリ化していたのかもしれない。

そこで、私は、石原代表、橋下代行お二人による政見放送を聴き、
演説内容を変更することにした。
これも、第二のウグイス嬢さんのご助言によるものである。

演説のマンネリ化、
これは予想だにしていなかったことである。

それにしても、タクシーの運転手さんからもご助言をいただくとは、
普段、しっかり聴いてくださっていることと合わせ、
感謝の気持ちでいっぱいになった。
と同時に、自分も、早く一人前の候補者にならなければ、
と選挙後半戦に入り改めて痛感させられた。


他にも、第二のウグイス嬢さんから、注意されたことがある。
それは、商店街を行進したことはあっても、
一軒、一軒丁寧に声をかけていなかったことである。

そこで、私は、さっそく、各々の店頭で声をかけたり、
握手を求めることにした。
公務員一筋20年以上、営業経験のない私にとっては、
煙たがられることが本当につらかった。
が、そんなことはいってられなかった。

中には、自分の息子のように慕ってくださる洋服屋の社長さん、
いろいろ辛口のアドバイスをしてくださるお茶屋さん、
自分らの活動を知ってほしいと親切に説明してくださる
ボランティア団体のみなさん、
そして、気さくにお話をしてくださる、うどん屋のみなさん、
こうして親切に、逆に声をかけてくださる方々もいらした。

ときには、商店街を歩くご婦人の方々からも、
もっと、胸をはって元気に歩きなさい、
と、何人かの方からご助言をいただいた。

寒かったこともある。
だた、当選したとたんに、
ステッキ棒を飲み込んじゃったみたいに
急に偉そうになる代議士らの話をきいていたので、
そんな姿は避けたかった。
が、ちょっと、背を丸めすぎたか…

体育会ばりの大声を出して
元気さをアピールしているつもりではいたが、
疲労が表情にあらわれてしまっていたようである。

疲労を押し殺して、元気さを醸し出す。

予想だにしていなかった苦労で、
もっともつらく、難しいことであった。


第二のウグイス嬢さんのご助言で、
東武練馬駅で、
帰宅する通勤者、通学者へご挨拶することは中止に。
選挙運動も後半にさしかかり、
挨拶のための時間を他の選挙活動にあてたほうが
効果があるという。

でも、本当は、帰宅されるみなさんに
ご挨拶し続けたかった。


お手紙をくださった女性の方をはじめ
大山駅で声をかけてくださったみなさん、
第二のウグイス嬢さん、
タクシーの運転手さん、
そして、商店街でお会いしたみなさんだけではなかった。

まずは、定年を過ぎたご年齢の運転手さん、
カーナビは使えず、トイレも近い。
道もお詳しいとまではいえない。
しかし、ものすごく、気をつかってくださった。

私が勘を頼りに行き当たりバッタリで演説したにもかかわらず、
演説場所はすべて細かく記録にとっていただいた。
私が演説をしている最中、どこまで声が届いているか心配で、
選挙カーで移動しながら、聞こえる範囲を確認してくださる。

また、移動中も幹線道路を避け、
なるべく住宅が密集している場所を通ってくださる。
他方、一目見ただけでは分からないのだが、
ここは住宅が一軒もないとおっしゃって、車をとばしてくれる。

さらに、私がある場所で演説するかどうか迷っていると、
『この団地は耐震工事中で幕がかっていますが、
 実は、住民の方々はしっかりいらっしゃいます。』
と教えてくださる。

細かい道はお詳しくないが、板橋区についてはお詳しい。

コンビニ休憩にはいると、
必ずミニアンパンをほおばる運転手さん。
しかも、ミニアンパンにこだわっていたのは、
他のみんなと一緒に食べることができるから。
本当にお世話になった。


次に、”Hくん”。
私の演説が、特に高層の建物に響くことがあるので、
こだまするのを待ってから、もう少しゆっくりめに話したほうがいいと
アドバイスをしてくれる。

また、演説も長いので、もう少し短くしたほうがいい、とも。


そして、ウグイス嬢見習いの娘さん。
私に子どもがいたら、このくらいの年齢か。
この娘のほうも、父親のからだを気づかうように、
私のからだを心配してくれた。

カーディガンをもってきてくれたり、
カイロを背中や腰に貼ってくれたり、
手荒れに効く薬を教えてくりたり、
本当の娘のように思えてきた。


さらに、事務所に常駐してくれたスタッフのみなさん。

例えば、”Sさん”の大学の四十年近く後輩にあたる ”Y兄妹”。
特に妹さんのほうが、事務所内を切り盛りしてくれたらしい。
のみならず、他の候補の事務所に偵察。
と、いっても、チラシや政策集を入手するだけだが、
現閣僚の候補の事務所は自動ドアだったと報告してくれた。

最後に、”Mさん”。
手続き関係は、ほとんどこの方に任せっきり。

旧友や知人弁護士さんの奥様方みなさんには、選挙管理委員会や郵便局などに
何度も往復してくださった。
しかも、往復せざるを得くなったおもな原因が、
大阪の党本部で教えてもらった手続きや書式では
まったくお話にならなかったということだった。

ちなみに、旧友の奥さんと運転手さんとが
微妙な距離の親戚どうしで、
約二十年ぶりの再会だったらしい。
本当にこんな偶然があるものだとご本人たちも驚いていた。


私は、こうした方々に支えられ、育ててもらった。

もちろん、自分のために選挙活動をしてきたが、
いつしか、こうした方々のご厚意に報いるためにも、
当選しなければ、という思いのほうが強くなってきた。



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月10日(月) -選挙運動7日目-


昨晩、自宅に電話があった。

『明日、池袋駅東口で石原代表が演説します。
 選挙区は違いますが、猪野候補も来ますか?
 他の候補者も来ますが、
 ただ、石原代表以外の候補の場合、
 名前だけの紹介になります。』

  名前だけか…
  しかも、池袋は豊島区で選挙区外。
  けれども、板橋区は隣だから、
  聴衆者のなかにはたくさんの板橋区民がいるかもしれない。

「分かりました。行きます。」

『それなら、政党ビラを持って来てください。
 それから、ビラ配り要員も出してください。
 で、何人、出していただけますか?』

ただでさえ、スタッフが足りない状況、

「えっと、一人でもいいですか?」

『わかりました。
 では、代表の演説は午後3時からですので、
 必ず10分前には来てください。
 OOさんが担当なので、指示に従ってください。』


翌日、午後2時すぎ、政党ビラを小さな段ボール箱につめ、
”Hくん”に持ってもらう。

『ぼくは、何をすればいいでんすか?』

「OOさんの指示に従って、その中のビラを配ってくれる?」

タスキも箱につめ、大山駅へ。

いつものように、通過する急行列車を見送る。
ようやく来た普通列車に乗りこみ、
10分ほどして池袋駅に到着。

すでに人がたくさんいる。
東口に出る。
さらに人がたくさんいる。

  場所はどこだろう?

すぐに分かった。
西部警察のテーマ曲がガンガンに流れていたからである。

  こんなミーハーな感じでいいの?
  それに、裕次郎は連想できるけど、
  慎太郎はイメージできないんですけど…
  ましてや、橋下代行など…

音源に近づきたいけど、近づけない雰囲気。
SPがたくさんいたからである。
このあたりから、昨晩の電話の話と違う、と感じはじめる。

  みんなビラはどこで配っているんだ?
  とりあえず、OOさんを探さないと…

選挙運動用のジャンパーを着てから、SPの一人に声をかけた。

「あの~、候補者の一人なんですけど…」

そのSPさんは、すぐにわれわれ二人を ”護衛”してくれた。

大きな街宣車が目の前にあらわれた。

『箱の中身は何ですか?』

「ビラです。」

『ビラ、チラシだそうです。』

と、われわれを ”護衛”してくれたSPさんが無線で報告。

  一応、中身を調べられたほうが…
  それとも、プロだから、
  われわれ二人の人相や雰囲気だけで判断できたのかも…

と、このときは、余計なことを考える余裕があった。

  それにしても、ビラ配りはどこでやっているんだろう?
  人ごみの中で配っているから見えないのかな?
  OOさんも、人ごみの中にいるのかもしれない。

近くに、同じジャンパーを着た方がいた。

「あの~、OOさん、いらっしゃいますか?」

と、とりあえず、テーマ曲に負けないよう、大声を出した。

すると、意外にも、OOさんが街宣車の横から現れた。

『あっ、お疲れ様です。
 ちょっと、そこで待っていてください。』

これが、OOさんとの唯一の会話であった。

どうやら、ビラ配りはやっていないらしい。
”Hくん”が空しく、爆弾が入っているかもしれない箱をそっと置く。

「や~、せっかく、こんな重い箱もって、いっしょに来てもらったんだけど、
 すまないね。」

”Hくん”に謝りつつ、私はその箱をおもむろに開け、タスキを取り出した。

が、他の候補者が見当たらない。

  みんな、地元選挙区の運動で忙しいのかなあ~

午後3時になって、党の職員らしき人が私に近づいてきた。

何か、嫌な予感がしてきた。

もう、7~8年も前になるであろうか、
郵政民営化が争点となった総選挙の選挙期間中、
地元近くの亀戸駅に
当時の小泉首相が地元候補者の応援演説に来る
というポスターを見かけた。

自分は行く気がなかった。
しかし、当時は、介護を必要としていた父が
ヘルパーさんのおかげで、
杖をつけば多少歩けるくらいには回復していた。
そして、主治医の先生からは、
脚の筋肉をつけるべく、なるべく歩くようにとの助言をいただいていた。

父は、いつも、テレビをつけっぱなしで、
ベッドの上で横になりながらも、よく政治の討論番組をみていた。
母を亡くす前の元気だったころは、
画面に向かっては、よく文句をいっていたが、
もう、そんな元気はなかった。

  政治には興味をもっていたのは知っていたので、
  小泉首相が亀戸駅に来るということが分かれば、
  聴きに行くというかもしれない。
  でも、小泉首相のことは嫌いだから、
  行くとは言い出さないかもしれない。

と、思いつつ、一応、父に
”小泉首相、亀戸駅に来る!”
という一報を入れた。

すると、
「行ってみようか。」
と言った。

父も意外にミーハーだった。
というより、早く回復したい、
という思いがあったのかもしれない。

現地に着くと、父は意外に積極的で、
係りの方に止められるほど、
なるべく街宣車の近くに寄ろうとする。

このとき、演説開始時刻になっても小泉首相は現れなかった。
それまでは、地元候補者はもちろん、
自民党の参議院議員などが入れ替わり立ち代わり演説をしていく。
しかし、みんな、小泉首相の話を聴きに来たのだから、
そんな演説はどうでもよく、だんだんイライラした空気が漂ってくる。

と、そのとき、ようやく小泉首相が到着。

小泉首相は、米百俵の話をされた。

  窮状にあった長岡藩に米百俵が贈られてきた。
  しかし、ある長岡藩士がこれを他の藩士に分け与えず、
  代わりに米百俵を売却したお金で学校を建てた。

というお話である。

”明日のために今日の屈辱に耐えるんだ、それが男だ。”
という宇宙戦艦ヤマトの第一話での
沖田艦長の名言にも通じるお話しである。


それは、さておき、
この7~8年前の経験、
今、目の前にある街宣車には
石原代表と藤井孝男先生の垂れ幕しかないこと、
そして、藤井先生はおろか、私以外に候補者がいなかったこと、
これらを、総合して考えると、
両先生が到着されるまで、私が前説をしなければならない。

そして、案の定、党の職員の方から言われた。

『藤井先生と石原代表が到着されるまで、
 猪野候補がつないでください。』

  こんな大勢の前でしゃべれというの?
  聞いてないよ!
  名前の紹介だけじゃなかったの?

「”Hくん”困ったよ。」

と私に言われた ”Hくん”も困った顔をしていた。

  何を話そう?
  普段どおりに演説するしかない。
  でも、石原代表の話を聴きに来た方々に
  自分の話をしても…
  んっ、待てよ、
  普段の演説でも、冒頭は石原代表の話だったけ。

と、思ったところで、私が紹介された。

生まれて初めて街宣車の屋根に乗り、
黒山の人だかりを見下ろす。

みなさん、非常に寒そうだった。

  みなさん、わざわざ石原代表の話を聴くために
  こんな寒い中、待って下さっている…

そして、7~8年前の経験もよみがえってきた。

「みなさん、お寒い中すみません。
 石原代表かと思ったら、こんなやつが出てきて、
 きっと落胆されていることと存じます。
 でも、せっかくみなさんがお寒い中、待っていただいているので、
 維新の会の主張を、しっかりみなさんにお伝えしようと思います。
 若手芸人の前説ではありませんが、しばらくご勘弁ください。」

と、本能的にいった。

が、シ~ンとした。
芸人さんがスベルのを恐れる気持ちが分かった。

そして、いつもどおりに演説を始めた。
しゃべり出したら、だんだん快感になってきた。

そのうち、藤井先生がご到着。
止めてください、
とのメモが下から見えた。
切りのいいところで、演説を止めて藤井先生にバトンタッチ。

ホッとして、街宣車を下りてしまった。


いよいよ、石原代表がご到着。

『君、登ればいいじゃないか。』

石原代表を見下ろす位置でお待ち申し上げることはできなかった。

代表の後に、はしごを上る。

そして、あとは代表にへばりつくのみ…


その後、ある板橋区民がわざわざ私の事務所に来られ、

『さっき、池袋で、猪野さんのお話聴きましたよ。
 維新の会、応援していますから。』

と、おっしゃってくださった。

やはり、石原代表の効果はすごい。


その夜、ニュース番組で、予想どおり
私の姿がモザイクになっているのを確認して
就寝した。



 
Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月7日(金)~9日(日) -選挙運動4~6日目-


ウグイス嬢さんに来てもらうまでは、
一人で自己紹介や名前を連呼していた。

だから、演説中はもちろん、
選挙カーで移動中も休む暇がない。

もちろん、コンビニに寄ってトイレ休憩をしたり、
ファミレスで昼食をとる時間はつくった。
ちなみに、コンビニではトイレを借用する前にきちんと断り、
その後は食べ物や飲み物も購入した。

こうした休憩時間も、たまっているメールや留守電をチェックし、
場合によっては返答のメールを打つ。
本当は、寝不足もあり、軽く眠りたかったのだが、
なかなかその時間もない。
つまり、休憩時間といえども、休めなかった。


だから、ウグイス嬢さんに来てもらったときは、
助かったと思った。

しかし…

ウグイス嬢さんからアドバイスを受けたのは、
候補者本人からマイクをにぎってうったえかけたほうが
有権者にアピールできるということ。
特に、信号待ちのときに自己紹介をするといいといわれた。

なるほど、と思い、
最初は信号待ちのときに自分がマイクをにぎるようにしていた。
しかし、だんだんと、自分がマイクをにぎる時間が増えていった。
ウグイス嬢さんは、自分が疲れだすと、

『それでは、候補者本人からうったえかけさせていただきます。』

と、突然、私にふる。

私も自らうったえかけたほうがいいと思い、
そのままマイクをにぎる。
マイクをにぎっていないときは、
窓から身をのり出し、有権者に大声でうったえかける。

自分が休んでいる姿は有権者に見せられない。


運転手さんは、板橋区に詳しい方ということだったが、
それは、昔、仕事上で板橋区に来ることが多かったということで、
最近の街のようすまではご存知ないらしい。
しかも、定年を終えられたご年齢ということもあり、
カーナビもお使いにならない。
行き先や演説する場所は、行き当たりバッタリで、
私が、その場その場でカンで決めていく。

まさに、ゲリラ戦法。

だから、私が次に行く場所を決めると、
運転手さんと助手席にいる私とで、
地図を広げながらその場所や道順を確認してから出発する。
そして、運転手さんは、カーナビを使わず、地図を頼りに運転。
私も時おり指をさしながら、行く方向を指示する。

と、いった具合に休む間などない。


演説する場所は、ときわ台駅や成増駅といった東武東上線の駅前、
そして、高島平団地であることが多かった。
後は、選挙カーで通っていて、住民が多そうな集合住宅が見えたら、
そこでいきなり止めてもらって、演説をしていた。
おそらく、一日十か所以上、演説をしていたと思う。
時には、ファミレスの裏で演説をしたこともあった。
もちろん、付近の住民の方の了承を得て。


また、集合住宅の場合は、まるで人影が見えず、しかも
最近の住宅にいたっては防音サッシが充実しているので、
本当に聴いてくれている人がいるのか、最後まで不安であった。
時には、うるさいとの苦情があるから他でやってくれ、
と管理人さんに注意をされたことも多々あった。

住民の方からも直接、
  うるさい!
  いつまでやっているんだ!
と、怒鳴れたこともあった。

  あっ、聞こえてはいるんだな…

こんな感じなので、友人・知人やマスコミの方から、
前もって演説の場所や日時を教えてくれときかれても、
お答えのしようがなかった。


このころは、区内のあちこちを廻っていたものの、
不思議と他の候補者を見かけることが少なかった。
現閣僚候補の選挙カーを一度見かけたことがあったが、
実におとなしい選挙活動、という印象だった。
さすがは、5期連続当選、
野党候補は新顔ばかり、余裕だったのであろう。


それでは、最後に、このころの私の演説内容を紹介します。
ちょっと、長いです。

  みなさん、政治家の言うことはみんな抽象的で、迫力がないと思いませんか。
  他方、石原代表と橋下代行の言葉は、内容については賛否両論ありますが、
  少なくとも具体的で、迫力がある。
     
それは、なぜか?
  
石原代表も橋下代行も東京、大阪の二大都市で改革を行ってきたからです。
  自ら現場を知り、改革の必要性を肌身に感じ、そして、実際に改革をし、
  かつ国の規制という壁にぶち当たった。
  実際に苦い思いをした。
  だからこそ、どんな規制を撤廃すべきなのか、どんな規制改革が必要なのかを、
  具体的に、自らの経験を通じて知っているからです。

  したがって、私も現場を知る政治を行っていきます。
  実際にみなさんが何にお困りなのか、何をどのように変える必要があるのか、
  そうした具体的なお話を、みなさまからきちんとうかがっていきます。
  
  と、同時にきちんとみなさまに説明責任も果たさせていただきます
  国会議員は、憲法の前文にも書かれているように、
  みなさまから国政の信託を受けた者なのです。
  ですから、国会議員には、憲法上、
  国政を信託したみなさまに説明をする責任があるからです。

  具体的にお話ししましょう。
  たとえば、民主党のお話です。
  民主党は、たしかに、マニュフェストを守れませんでした。
  しかし、それは仕方がなかったところもあったかと個人的には思います。
  なぜなら、事情が変われば、私も、みなさんも考えを変えることもあるからです。
    
それでは、なぜ民主党はあれだけ非難されたのでしょうか?
  
それは、きちんとした説明がなかったからではないでしょうか。
  なぜ、子ども手当や高速道路無料化を実現できなかったのか、また、
  なぜ、マニュフェストに反してまで消費税率の引上げを決めざるをえなかったのか、
  きちんとした納得のいく説明さえあれば、
  あれだけ非難されることはなかったのではないでしょうか。
  
  維新の会は、みなさんにご負担をかけるような
  そんな政策を実行していく場合もあります。
  しかし、そのときは、みなさんにきちんと説明します。
  ご負担をかけざるを得なくなった理由や経緯などを
  みなさんが納得されるまで、きちんと説明をさせていただきます。

  さきほど消費税率の引上げに言及しましたので、
  関連したお話で、消費税についても一言。
  
  消費税率引上げの理由として、よく、
  国と地方合わせて借金が1,000兆円近くにもなるので、
  財源を確保する必要があるんだと、よくいわれています。
  しかし、そんなことは、中学生でも、
  そして、小学生でも高学年であれば分かります。
    
    それでは、なぜ、消費税率引上げについて賛成される方も
    いまひとつ釈然とされないのでしょうか?
  
  一つは、これだけ借金を増やした責任の所在が
  はっきりしていないということではないでしょうか。
  ただ、少なくとも、
  これまでの政府・与党には責任があるということはいえそうです。それにもかかわらず、
  これだけ借金を増やしてしまったことに対して
  みなさんに何の説明も、謝罪の一言もない。

  借金が増えた説明も謝罪もなしに、
  税率引上げだけをお願いされても釈然とされないのではないでしょうか。

  私は、きとんと説明します。筋の通った政治を行います。


  維新の会ときくと、みなさん、
  原発問題でぶれていると思われる方、多いのではないでしょうか。
  しかし、私は、ぶれているとは思いません。
  原発問題は、廃止をするのか、しないのか
  という単純なものではありません。
  〇×クイズではないんです。

  この問題の肝は、
  人の生命・健康そして生活をいかに守るのか
  ということにあります。
  そのためには、即廃止というのが近道のようにも思えます。
  
しかし、火力発電がこれ以上増えれば、地球温暖化や環境破壊が進み、
  それこそ人体に悪影響を及ぼしかねません。
  有害な光線が、原発からではなく、
  こんどは宇宙、上空から地球規模で差し込んできます。
  
  電気料金の高騰も企業の経営やみなさまの家計を直接圧迫します。
  それだけではなく、消費税率引上げと電気料金引上げによる物価上昇によっても、
  さらに家計を圧迫します。
  こうした現実を踏まえ、いかにして私たちの生命・健康そして生活を守るのか?

  それは、原発を稼働させるにしても、
  そのための ”明確で厳格なルール”をつくるということです。
  今、自然エネルギーをはじめとする代替エネルギーは、
  コストが異常にかかります。
  ですから、コストのかからない代替エネルギーの利用が可能になるまで、
  このルールさえ守っていれば、私たちの生命・健康は絶対に守られるんだ、
  そうしたルールが必要なのです。

  TPP問題にしても、交渉するのか、しないのか、
  という単純なものではありません。
  Yes, Noクイズではないんです。
  この問題も、いかに国益を守るのか、この一点に集約されるのです。

  維新の会は、このように、問題の本質をとらえた政治を行ってまいります。


  維新の会がもう一つ主張しているのが、”しがらみのない政治”です。
  しがらみはみなさんの生活にもあります。
  私の生活の中にもあります。
  しかし、それをみなさんのための政治にもってきてはならない。

  ”しがらみのない政治”というだけであれば、誰でもいえます。
  では、具体的なお話をしましょう。
  私は、20年以上、税金問題に携わってきましたが、
  こんな経験をしました。

  税金を安くするためだけに、
  ある会社が資産を買い替えようとしました。
  買い替える必要もないのに、節税するためだけにです。
  しかも、ある決められた資産に買い換えれば、
  今まで持っていた資産を売って利益が出たとしても、
  その時点で税金はかからないのです。
  つまり、二重に税金が安くなるのです。
  
  ですから、その会社は、その決められた資産が見つかるまで、
  税金をかけるのを待ってくれ、と税務署に届け出るのです。
  本当は買い替える必要もないから、こういうことになるのですが…

  これは、別に違法なことではありません。
  しかし、必要ある資産の買替えを税金が邪魔をしない、
  こういった本来の法律の目的からははずれてしまっている、
  ということが問題なのです。

  さらに問題なのは、わが国が一千兆円近い借金をかかえているにもかかわらず、
  なぜ、こういう法律ができ、そして存在し続けているのか、
  ということなのです。

  それは、いろいろな業界としがらみのある政党が後押ししているからです。
  今紹介した節税は、すべての会社ができるというものではありません。
  しがらみのある業界のためには汗を流す政党があるのです。
  
  そして、みなさんのためには汗を流さず、消費税率引上げを求める。
  税率引上げの必要性そのものは否定しませんが、とにかく
  筋が通っていません。

  そして、
  より問題の根が深いのは、
  例えば、こうした筋の通らない法律が存在するということを
  みなさんがご存知ないということなのです。
  
  私は、これではいけないと、
  みなさんに、きちんとお知らせしなければならないと。
  先ほど、個人的に、筋が通らないといってしまいましたが、
  内容の是非も含め、とにかく、みなさんに判断していただく必要があると。
  だから、私は、公務員を辞め、出馬することを決意したのです。


  みなさん、今度の選挙のときは、よく判断してから投票しましょう、
  といわれています。
  しかし、私は、みなさんに判断材料がきちんと示されていないと思います。
  先ほどご紹介した法律のように、みなさんがその存在を知ったならば、
  釈然としないであろうと思われる法律の存在、
  そして、その他、政策が決まるまでの過程や国会での動きなど、
  自らの経験にもとづき、自らの口で、みなさんに分かりやすく伝えていきたい、
  そう思っております。
  
  こうした説明責任が、憲法上、みなさんから信託を受けた
  政治家には課せられているはずだからです。
  
  そして、その説明をきいたみなさんご自身が判断し、投票される。
  そして、それによって選ばれた政治家が、また、自らの言葉でみなさんに説明し、
  その説明を受けて、また、みさんさが判断される。
  私は、こうしたみなさんとの双方向の政治を目指していきたいと思っております。


  最後に、景気の問題について触れさせてください。
  現在、自民党の安倍総裁が、景気対策として、
  公共投資の促進や財政出動、金融緩和をとなえています。
  
  しかし、今や、国境のない時代です。
  数年前のアメリカでおきたリーマンショック、そして、
  スペインやギリシャの財政破たんの問題が、なぜか
  日本経済にも飛び火してくるような時代です。
  
  こんな時代に、一昔前の時代の教科書に書かれているような政策で、
  果たしてマニュアルどおりに景気が回復するのでしょうか。
  景気が回復したようにみえたとしても、
  それは、実感とはかけ離れたマクロの数字でしかありません。

  それでは、どうしたらよいか?

  それは、みなさんがご存知なのではないかと、私は思っています。
  実際に、生活にお困りになり、あるいは苦しんでおられるのは、
  みなさんご自身だからです。
  景気が回復しない根本原因や理由、問題に直面しているのは、
  みなさんご自身だからです。
  
  生活に困っていない政治家は何も知りません。
  だから、みなさん、
  何も知らなない政治家にいろいろ教えてやってください。
  実態を教えてやってください。
  政治家を目指している私がこういうのも変ですが…

  だから、みなさん、お知恵を貸してください。
  ヒントをください。
  もう、みなさんといっしょに考え、
  みなさんといっしょにやっていかないと
  今の日本を元気にさせることはできません。
  
  何の実態も知らない政治家に任せてばかりでは
  何も変わりません。
  どうか、みなさん、お力を貸してください。
  日本を元気にさせるために、
  みなさん、いっしょにやっていきましょう。
  
  どうぞ、よろしくお願いします。

  

  
Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月6日(木) -選挙運動3日目-


朝5時前に起床し、朝6時半ごろ事務所に到着。
しばらく、こうした生活が続く。

この時期の夜明けは朝7時前。
暗くて寒くつらい。
しかも、今冬は12月のなのに真冬なみの寒さ。

事務所の最寄り駅で手袋も着けず、

「おはようございます。」

の一点ばりで挨拶。

学生のとき、陸上部で大きな声で先輩に挨拶していたのが、
ここで役だった。

一時間ほどたって、
運転手さんとその仲介業者の部長さんが私に近寄ってきて、
お互い自己紹介。

そして、三人で事務所に戻ると、
こんどは、ウグイス嬢さんが待っていた。

これで、何とか形がととのった。

昨日の経験から、まず、バス停のある大きな駅、成増駅で演説することに。

実は、この駅、板橋区内で事務所とちょうど反対に位置していたので、
到着までに時間がかかった。
もはや、通勤客がいなかった。

  もっと、早く行けばいいじゃん。

マイクを使えるのは、朝8時から。
板橋区内の駅は一つではないので、選挙カーを常に移動する必要がある。
演説する場所と時間は行き当たりバッタリ。
そして、特に運転手さんとウグイス嬢さんとは、
朝8時に事務所に集合するという内容で契約。

前もって、何々駅に朝8時に集合、ということがいえる状況ではなかった。


成増駅には北口と南口とがあったが、
とりあえず、すぐ行ける南口から演説。

バス停も含め、駅の乗降客もすでにまばらである。

案の定、聴いてくれる人がいない…

と思いきや、演説が終わったとき、
喫茶店から、エプロンをかけたまま
女性従業員の方が近寄ってきた。

『維新の会、応援しています。
 頑張ってください。』

二日前、こちらから商店街の有権者の方々に握手を求めたが、
初めて握手を求められた瞬間であった。

まだ赤ぎれしていないその素手で、
あわてて両手をこすり、いちおう手を温めてから
握手をさせてもらった。

その後意気揚々と、同じ駅の北口で演説。
こちらは、バス停で待つ乗客の方が何人かおり、
明らかに聴いてくださっている方の姿も何人かみられた。

ロータリーでタクシーを止めている運転手さんも
聴いてくださっている様子。

背後では、駅のプラットホームで電車を待つ乗客の方々も
聴いてくださっているのが、見えなくても分かる。

手ごたえを感じることができる最高の場所、
とそのときは思った。


ある程度、選挙区を回っていると、自分のポスターだけが
まったく掲示板に貼られていないことに気がつく。

昨日、業者さんに、
区内のすべての掲示板にポスターを本日中に貼ってもらうことを依頼していた。
公示日は、他の選挙区も含め、他の候補者からの依頼がいっぱいだということで、
応じてもらえなかった。
しかし、選挙運動三日目の本日であれば応じることができる
ということで、お願いしていた。

しかも、ポスター自体の仕上りも当初はさらに2~3日後だった。
しかし、先日、”府議の先生”がそれを許さなかった。
選挙のプロの目からすると、
そもそも公示日からポスターが貼られていないことが
信じられないことらしい。
ましてや、公示日から2~3日になっても貼られないなんてことは
許されないことである。

有権者にしてみれば、
誰のポスターがいつから貼られているなんて、
まったく気にしていない。
2~3日貼り出しが遅れたところで、
どれだけ効果に違いがでてくるというのだろうか。

もっとも、公示日前から、それこそ何年も前から
街中に大きめのポスターが貼ってあることがよくある。
それならば効果は絶大である。
ただ、それだけのお金と人も必要でもある。

公職選挙法は、なるべくお金がかからないように、そして、
財力によって不公平にならないようにはしてある。
しかし、憲法が保障する表現の自由の問題もあり、
さすがに、選挙運動期間外、何年もの空白期間、
その間の政治活動まではなかなか規制できないようである。


さて、個人的には、投票日までまだ10日もあるのだから、
ポスター貼りを慌てる必要はないと思っていた。
ただ、お世話になっている ”府議の先生”の忠告を受け、
印刷業者の社長さんと携帯で相談。
結局、防水加工の予定だったポスターの品質を落とすことで
完成を早めることにした。
選挙期間中は、天気予報によると、雨が降りそうもなかったからである。

このことを ”府議の先生”に報告すると、
  候補者自身がそのように判断したならば構わないけど…
という反応だった。
おそらくは、自分がプレッシャーをかけたことによって
雨でポスターが破れてしまった場合の責任を回避したかったのだろう。

  それにしても ”府議の先生”は、
  ご自分でポスターの作成依頼をしたことがあるのであろうか?
  ポスター作成に日数がかかるのをご存知ないのであろうか?

お昼2時ごろになっても、
いまだにどの掲示板にもポスターが貼られていなかったので、
いや、正確には、一枚だけしか貼られていなかったので、
業者にいそいで連絡。

「すいません、本日中という約束だったんですけど、
 ぜんぜんポスター貼られていないんですけど!」

『順番で貼ってますんで、
 地域によってはまだ貼ってないところもあるかと思います。』

「こっちは、選挙カーで区内隈なく廻ってるんですけど、
 どの地域の掲示板にも貼ってないから、こうやって連絡してるんですけど!」

『わかりました。すぐに貼らせます。』

どうやら、私の目も、
有権者から選挙のプロの方にようやく向かいはじめたようである。

その後、徐々にではあるが、私のポスターが貼り出されはじめていた。


日も暮れたので、東武練馬駅へ。
この駅、名前には「練馬」とあるが、
練馬区と板橋区との堺近くにある。
板橋区の住民の利用客数も多いという情報を得て、
帰宅する住民の方々にご挨拶することにした。

多くの方は、こいつは誰だとタスキをのぞきこむ。
少なくとも、昨晩のように避けて通られることはない。

この時点で、朝の挨拶は大山駅、夕方の挨拶は東武練馬駅と決めた。

運転手さんとウグイス嬢さんとは夜8時までという契約だったので、
帰りは、東武練馬駅から東武東上線に一人で乗車。
一応、駅員さんの了解を得て、タスキをかけたまま車内に乗り込む。
案の定、効果抜群、効果絶大である。
みんな、振り向く。見て見ぬふりをする。
もちろん、駅構内や車内では一言も発しないのにである。

夜8時半すぎ、事務所でスタッフが待っていてくれた。
が、それは、私への報告もあったからだ。

その大半が、”責任者”や大阪の党本部からの
私をけしかける内容のものだった。

選挙管理委員会が、投票日に開票を見守る人をつけるのは必須ではないというが、
それでも、何としてでも探せ!とのご命令。
この見守り役、
日当15,000円はでるものの、投票日の夜8時から翌夜中の3時まで拘束され、
しかも、板橋区民に限られていたため、なかなか見つからないでいた。
”Mさん”にお願いし、至急、コンビニで、”募集中”の貼り出しをすることに。


支部、つまり政治団体設立の手続きは済ませたのか!とのけしかけ。
私は、寄付をいただくのでもなく、そんな設立の手続きをしている暇もなかったので、
無視をしていた。
そもそも、同じ寄付をするのであれば、
世界には食べ物や飲み物、そして住むところにさえ困っている方が大勢いるので、
選挙する余裕のある人よりは、どうぞそちらの方々に寄付を、という思いもあった。

とはいうものの、無視し続けるわけにはいかず、こちらも ”Mさん”にお願い。
が、私の予想どおり、後日、この手続きがまったく無意味なものになる。

あと、チラシの新聞折り込みの手配はしたのか!とのけしかけ。
このけしかけは、正直助かった。
個人用のチラシを何万枚も刷ったのだが、こんなに手渡しできるはずがない、
と思っていたところ、ようやくそれだけのチラシが必要だったことに合点がいった。
こちらは、翌日、とりあえず事務所の目前にある新聞販売店に
手続きや料金のことをきくようにと、別のスタッフにお願い。


このように、必要なこととは理屈では分かっていても、
やはり選挙運動後、疲労困ぱいの中、こうした報告をきくのは、
かなりのストレスになる。


私の自宅は、実は板橋区ではなく、江東区大島というところである。
父が亡くなった後も、引っ越しできないでいた。
もう、45年近くも暮らしている場所。
生前、両親とも愛着をもっていた部屋で、
今も両親がいるような気がするからである。


今までは、帰宅が夜遅く、夜食を食べている気力などなかった。
そして、朝食についても、
食べている時間があったらその分眠っていたかったので、
とっていなかった。
しかし、体力や栄養もつけないと選挙戦を戦っていけないと感じた。
そこで、夜中2時まで営業している ”ラーメン大学”という
近所の中華屋さんで、毎晩、野菜ラーメンを食べることにした。



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月5日(水) -選挙運動2日目-


朝8時に目覚める。
こんなにゆっくりできたのは、十日ぶりである。
身はスッキリしたが、心は依然スッキリしない。

父が亡くなったのは、一年前の12月6日。

そして、本日は、父の一回忌。
朝11時から八王子のほうのお寺で法要。

選挙期間中ではあったが、
さすがに長男で喪主もつとめた私が欠席するわけにはいかない。

ここ数日、元職場からの事務手続き上の連絡、
風呂がま工事の業者からの日程の連絡、
友人・知人からの応援メッセージ等々
いろんな方からいろんなメールや留守電が入っていた。
しかし、返事をする時間がなかったので、ここぞとばかり、
八王子方面に向かう電車の中で返信メールを打ちまくる。

駅に降りると、地元候補者が演説中。
バス停でバスを待ちながら聴いていた。
ここで初めて、
同じ駅でもバス停のある駅で演説するほうが効果的である
とようやく気がつく。

バスで移動中、”府議の先生”からお叱りのメール。
もちろん、選挙期間中にもかかわらず、
事務所に私がいなかったからである。
”責任者”と”甲先生”には事情を説明していたが、
”府議の先生”には説明するのを忘れていた。

メールで事情を説明するも、
『なんで、選挙カーだけでも動かさないのか!』
とお叱りを受ける。

ウグイス嬢がいない旨伝えると、
『なぜ、業者に依頼しないのか!
 運転手も至急必要だ!』
とまたまたお叱りを受ける。

正直、そんな余裕はなかったのだが、
どうやら、私はあまりにものんびりしすぎていたようだ。

私は、常に、有権者目線ということを心がけていた。
ふつうの有権者は、私もそうだったが、公示日とか、選挙期間とか、
そもそも知らないし、どうでもいい。

数日間、選挙運動しなかったところで、たいして変わらない。
むしろ、選挙カーがしつこくくると、うるさいだけで、
かえって、こいつだけには投票しないでおこう、
と決めることさえある。

だが、選挙をする側の目線は違う。
一分一秒でも惜しい。

そんなことを思いつつ、かつ

  私の父の法要のことを聞いても何の一言もない ”先生”方は、
  まだ両親の面倒をみるということを知らない年代だしな…

と思いつつ、謝罪のメールを打つ。


お寺に到着したらしたで、ひと悶着。
法要開始30分前、選挙用品を扱う某有名業者の社長と言い争う。

昨日、その業者は事務所の外に掲げる巨大な横断幕を
私が住む団地の15階に送ってきていたのだ。
もちろん、私は自宅にはいなかったので、
運送業者は持ちかえっていたのだが、
これでは、特急料金を支払った意味がない。

社長は、事務所の住所を聞いていないというが、
そもそも同時に依頼した立看板のほうは、すでに事務所に届いていた。
社長は明らかに嘘をついていた。
百歩譲って、事務所の住所を聞いていなかったとしても、
プロとしてそんな姿勢が許されるはずがない。
そもそも団地の15階に巨大な横断幕が必要なのか、
ちょっと考えれば分かることである。

弟が、間もなく法要が始まるぞ、
という表情で、心配そうに近づいてくる。

そこで、私は、最後の手段にうってでた。

「訴えてやる!」

結局、その場は、後日、特急料金を返金するということで落ち着いた。

法要は時間どおりに行われ、
その後、墓前でもお経をあげていただき、無事終了。

選挙に出ていることは、弟には知らせていたが、
その他の親族の方には伝えていなかったし、その時間がなかった。

「実は、今、選挙に出ているんです。」

ご住職もいっしょに驚いてくださった。

本当は、法要前にきちんと説明したかったが、
先ほどの社長とのやりとりのせいで、できなかった。

でも、すぐに事務所に戻らなければならない。

通常は、ご住職を見送ってから自分らもお寺を離れる。
しかし、このときばかりは、ご住職より先に失礼してしまった。
ご住職とお寺の職員さんらにお礼を申し上げて、飛び出た。

帰りの電車の中で、”府議の先生”からメールを受け取る。
『これから、他の候補者の応援に行くので事務所を出るが、
 ウグイス嬢と運転手さんはきちんと依頼しておくように。』
との内容。

交渉力のある ”Sさん”にお願いした。


自宅で、父の位牌と写真を元の場所に戻し、
母の位牌にも手をあわせ、
喪服から戦闘服に着替え、板橋区へ急ぐ。


まぬけだった。

急がなければ、と思うあまり大山駅を降り過ごしてしまった。
次の中板橋駅で逆方向の電車を待つも、なかなか来ない。
何本かの急行が通りすぎていくだけ。


予定より20分ほど遅れて事務所に到着。

お疲れさまの一言もなく、
”甲先生”が鬼の形相で待ちかまえていた。
突っ立っているだけで、
選挙のお手伝いをしてくださっているわけではなかった。

チラシができていたので、それに貼る証紙を請求する必要があったが、
書類の書き方が依然分からない。
”法務担当”という肩書きをもつ ”甲先生”に伺うも、

  知らない

の素っ気ない一言。

予想はしていたが、実際に言われるとつらい…

結局、他の手続きも含め、行政書士の ”Mさん”にお願い。

実は、このころから ”Sさん”のおかげもあって、
私の知らないところでスタッフが集まりだしていた。
そして、今まで一人で全部やっていたのを、
スタッフに全面的にまかせることができるようになっていた。

”Sさん”の元同僚、
”Sさん”の40年以上の後輩、
その妹さん、
そのお友達、
知人弁護士さんの奥さま、
もう一人の旧友の奥さまと
そのお友達 等々

  これでようやく選挙活動に専念できる。

問題は、もはや、誰がいつ何時に事務所に来ていただけるのか
把握しきれなかったことである。

ただ、そのときの私にとっては、小さな問題であった。


事務所内の問題をひととおり片づけたところで、
いよいよ、”Kさん”の運転で、完全装備の選挙カーで出発。

”甲先生”は、
  やっとか、
という表情を黙ってする。

まだ、ウグイス嬢もいなかったので、昨日と同様、
”甲先生”がスピーカーでうったえかけ、私が手を振る。

そして、やはり昨日同様、駅前で ”甲先生”が降りる。
ただ、昨日と違っていたのは、
しばらく東京の選挙区には応援に来れないといわれたことだ。

私は、正直、これで自由に選挙運動ができる、と思った。


実は、このころ、
大阪でも、維新の会が意外に苦戦しているという情報があり、
大阪選挙区以外の候補者を ”支援”するはずの ”先生”方も
急きょ大阪に呼ばれたらしい。


日が暮れて、選挙カーが完全装備でないことが判明。
屋根の上がスピーカーだけなのは元々ではあるが、
暗くなると車体に貼ってあるステッカーが見えなくなる。
通行する有権者の方々が、こいつは誰だと
ワゴン車をのぞくような恰好をされていたので、気がついた。

他の候補者の選挙カーの屋根の上には、
名前のかいてある ”みこし”が乗っかっており、
それが夜になるとライトで照らしだされる仕組みになっていた。
と、その日にはじめて知った。

事務所に戻ると、”Sさん”から、
ウグイス嬢と運転手さんを探してくださった、とうかがった。
この時期、引っ張りだこで、なかなか見つからなかったところ、
非常にご苦労されて探してくださった。

ただ、ウグイス嬢については、
沖縄での仕事をキャンセルして
兵庫からはるばる東京に来てくださるということだった。
もちろん、東京までの交通費はこちらが支払う。


その後、最寄りの大山駅で、昨晩同様、帰宅される有権者の方々にご挨拶。
昨晩と異なるのは、
”Hくん”に、証紙を貼り終えたばかりのチラシを配ってもらったこと。

そして、もう一つ昨晩と異なることが。
  
  ご通行中のみなさんが私のほうを向いてくれない…

昨晩は、こいつは一体誰だ、という感じで
一生懸命、タスキをのぞきこんでくれた。
しかし、今晩は、チラシを配り、政治色をバンバン出していたので、
みんな本能的に避けて通る。
私のほうを振り向くどころか、避ける…

もちろん、チラシを受け取ってくださる方もいらしたが、
ごく少数であった。

  こんな方法でいいのか?

と思いつつ、事務所に戻る。

そして、明日の予定もたてず、
というか、予定のたてかたも分からなかったし、
分かる人がいなかった。


とりあえず、明日からは、
先ほどの大山駅で朝も挨拶することだけを決めて、
帰宅した。


「お疲れ様」

といってくれる父と母が待つ自宅へ。



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月4日(火) -公示日当日-


朝7時前、さみしい事務所に到着。

さっそく、机一脚といすを並べる。
机の上に文具を並べ、トイレに石鹸とトイレットペーパーを置く。

ゴミ袋を設置したとき、
初めてお会いするスタッフ第一号が到着。

一目で元同僚の弟さんの ”Hくん”と分かった。
その弟さんしか来ることになっていなかったからだ。

「これから、区役所に行ってくるので、
 とりあえず、留守番をお願いします。
 何もやることがなくて、かえってつらいかもしれませんが、
 それも仕事なので。
 どうしても、暇でしょうがなくなったら、
 カギを閉めてコンビニで雑誌とか買って時間をつぶしてください。
 近くにコンビニがあるんで。
 一時間くらいしたら戻ってきます。」

と、言い残して区役所に向かった。

途中、心配そうな表情をした ”Sさん”が向かってきた。

  えっ?もう東北から東京に来てくださったの?

前日から東京に入ってくださったらしい。

『今、事務所に誰かいるの?』

「あっ、おはようございます。
 ご無沙汰してます。
 今日は、ありがとうございます。
 今、”Hくん”がいます。」

間もなく、区役所で、ポスターを貼る場所を決める抽選が始まる。
そこで、急いでいた私は、挨拶そこそこ、
必要なことばを並べるのが精いっぱいだった。


締め切り時間の5分前、区の選挙管理委員会に到着。
板橋区からは、維新の会のほかに、
民主党、自民党、未来の党、そして共産党からも立候補者がいた。
が、候補者本人が来ていたのは、私だけだった。

しかも、そこにいた他の各候補者のスタッフも一人ではなかった。

くじ引きの順番を決めるくじは1番だったが、
1番に引いたくじは3番だった。
これによって、掲示板のポスターを貼る場所や書類の届出の順番が決まる。

くじ引きの後、先日、都庁でチェックしてもらった書類を
ここ板橋区の選挙管理委員会に正式に提出した。

職員の方から
『チラシの証紙とかはいいんですか?』
と聞かれ、
「後日でもいいんですよね。」
とこたえておいた。

証紙をもらうための書類の書き方がよく分からなかったが、
公示日当日に提出する必要がないことだけは把握していた。
というか、チラシはまだできていなかった。

その後、選挙の七つ道具といわれているものをいただく。
その中には、事務所に掲げる立て板看板も二枚あった。
道具の数が足りなくても、この部屋から出たら請求できないといわれた。
それは、選挙運動が制約されることを意味する。

他の候補者のスタッフは、
いそいで、手分けして数量などを確認していた。
が、私にとっては、初めて目にするものばかり。
それぞれ、何に使うのかを職員の方にうかがうことから始めた。


大阪の党本部からは、
番号が決定次第、至急、FAXするよう言われていた。
だから、区役所から出るやいなや、コンビニに直行した。
が、三~四度試しても、FAXが通じない。
電話で党本部に確認すると、FAXが一台しかないので、
時間をおいてから送信してください、と言われた。

  ……

事務所に戻る道すがら、コンビニを見かけるたびに
送信を試みるも、まったく通じる気配がない。

最近、ろくに食事もとっていなかったので、
お腹も減ってきた。
喫茶店の入口にあったモーニングの写真にそそられ、
思わず入ってしまった。
事務所に掲げる立て板看板を気にしながら、モーニングをほおばる。

  おいしい

他の候補者は、おそらく選挙運動をはじめているころだった。が、
はやくFAXをしなければ…

事務所には、まだ、
FAX機能つきの電話が秋葉原から届いていなかった。
だから、コンビニに寄るしかなかった。
しかし、さらに5~6度送信を試みても、やはり通じない。

  こんなことを続けていたら選挙活動ができない。

FAX送信はあきらめ、事務所に戻ることにした。

事務所に戻ると、スタッフ用のジャンパーが届いていた。
”甲先生”からだった。
ずっと、必要、必要と頭の中にはあったが、
おそろいのものを一度に買うことができるのかと思い、後回しにしていた。
だから、非常にありがたかった。
ちなみに、無償ではない。

字のお上手な ”Sさん”に
区の選挙管理委員会からもらった立て板看板や運動員用の腕章、
そして演説中に掲げる旗に名前を書いていただき、
看板は事務所の外に立てかけた。

と、そこへ、知人の弁護士事務所に勤める ”Mさん”が来てくれた。

  さて、選挙運動といっても、何をしよう?
  選挙カーはまだステッカーとか貼っていないし、
  ”Mさん”も ”Hくん”も運転できない。
  運転できる”Kさん”はまだ到着していない。

とりあえず、届いたばかりのジャンパーを着て
”Mさん”と ”Hくん”と三人で、
事務所の外で大声をはりあげながら、挨拶をすることにした。
拡声器を使わないので、近くの病院に迷惑はかからないはず。

事務所の場所は川越街道沿いで、目の前で車はしきりに走っている。
現閣僚候補の選挙カーも目の前を走っていった。
通行人も比較的多い。
こちらから動かずとも、車も人もむこうからやって来てくれる。
悪くない方法だと、このときは思っていた。

「よろしくお願いします。」

と、ジャンパーの送り主である ”甲先生”にのんきに挨拶してしまった。

表情が険しかった。
  
  何をやっているんだ!

選挙カーを動かそうにも、
運転できるスタッフが到着していないことを告げると、
近くの ”ハッピーロード大山”そして、”遊座大山商店街”
という商店街を練り歩くことに。

そのためには、拡声器が必要だった。
昨日、東京本部から拝借したものを取りに
結局、コインパーキングにとめてあるご本人の車へ。

今度は、険しい表情ではなく、あきれた表情に。

  拡声器とマイクに電池が入っていない…

このとき初めて、拡声器に10本の単一電池が必要であることを知る。
大至急、”Hくん”に買ってきてもらう。

表情はイライラしたものに変わっていく。

ようやく、”Hくん”が到着。
今朝もらった七つ道具のうちの一つの小札を拡声器につけ、商店街へ。
その道すがら、有権者に握手をするコツを教えていただいた。

商店街に到着し、初めてのご挨拶。
”甲先生”がマイクで、維新の会の主張や私の紹介をしてくださる。
私は、商店街の通行人の方々に握手を求める。

なるべく、老若男女を問わず、求めるようにした。
強面の男性には、体育会ののりで挨拶するとウケがいい。
ほとんどの若い女性は、近寄るなオーラを出している。
両手をポケットに入れていたり、
両手に買い物袋を持っていてくれると分かりやすくて、助かる。

握手してくれた方と、拒絶された方とは半々くらいか。
一番気さくに握手してくださったのは、
性別に関係なく、私の人生の先輩の方々だった。


大山駅の近くで、”甲先生”が、ふと立ち止まった。
私がここで演説をはじめる
と、突然おっしゃりはじめた。

生まれてはじめての演説。
自分は、演説もしたくて立候補したわけだから、
緊張感とワクワク感とが入り混じっていた。

聴いてくれる人がいない演説はもっとつらいものかと想像していたが、
そうでもなかった。


商店街の行進が終わり、事務所に戻ると、
旧友の奥さん ”Kさん”が到着していた。

これで選挙カーを動かせる。
といっても、この時点では、
屋根にメガホンがついただけのふつうのワゴン車だった。

が、とりあえず
”Kさん”の運転で、いざ、区民のみなさんにアピール。
といっても、”Kさん”にとって板橋区はまったく見知らぬ土地。
カーナビ頼みなので、自然と走るところは幹線道路ばかりになる。

最初のうちは、ウグイス嬢もいないので、
”甲先生”がマイクで叫び、見本を示してくださる。
私は、窓から身をのり出して、大声をあげながら手をふる。
はじめは恥ずかしくてできないだろうと思いきや、
すんなりできた。

このとき、手をふるなどして応えてくれる通行人の方はほとんどいない。
それもそのはず、外見はふつうのワゴン車なのだから、
そもそも選挙カーだと自信をもって思うことができる人は少なかったと思う。

数年前、宮本警部が勇気ある行動で市民の命を救い、自らは殉職された場所、
ときわ台駅に到着すると、”甲先生”は他の候補者の応援に、
と車を降りられた。

ここからは、素人だけで車を動かす。
そして、私がウグイス嬢役。

とりあえず、高島平団地へ。
板橋区で人が多そうな場所は、ここしか知らなかった。
二十年ほど前、5キロの周回コースを四周する
20キロのロードレースに出場した場所だが、
感慨にふけっている余裕はなかった。

コンビニで小休止。
今朝、喫茶店で食べたモーニング以来の食事。
といっても、あんまん一個に”Kさん”差入れの栄養ドリンク。

この間に、選挙公報の原稿を印刷業者に取りに行ってくださっている
”Sさん”に現状を確認。
区の選挙管理委員会から、本日中に提出しないと、新聞に載らなくなる
と催促の連絡があったからである。
でも、”Sさん”のおかげで、何とかギリギリ間に合いそうだ。

再び、車を走らせる。
ここで、大阪の党本部からFAXはまだか、
との問い合わせが入る。
今朝、何度も試みたが通じなかったと理由を説明し、
とりあえず3番だったと告げて、いそいで携帯を切る。


夕方6時すぎ、いったん事務所に戻ることに。
正直、事務所には戻りたくなかった。

とても十分に選挙活動ができる体制にはない
という現実に引き戻されるからだ。
選挙参謀なんていう人はいないので、
私が留守中にあったことは、すべて私に報告が上がり、
疲労しきった頭で、その場で判断しなければならなかったからだ。

マスコミから、まだアンケートをいただいていないとの連絡。
  そんな時間はない…

別のマスコミからは、今後の演説の場所や日時を教えてほしいとの連絡。
  そんなの決められるわけない…

党本部からは、投票日当日の開票を見届けてくれる板橋区民を決めておくようにとの連絡。
  選挙管理委員会に問い合わせたら必須ではないといわれたと、党本部に連絡…

郵便局からは、持ち込み予定の選挙ハガキの枚数や日にちを教えてほしいとの連絡。
  ハガキを出すための名簿もないし、
  郵便局が想定しているような枚数なんか出せるわけない。
  よって、とりあえず無視…

秋葉原から、まだ電話・FAX機が届いてない。
  怒るしかない…

机がもう一脚きたけど、いすも机も足りそうもないので、追加注文をしてほしい。
  その場で、携帯で追加注文…

TBSからは、当選した場合の ”朝ズバッ!”の出演依頼が。
  ……

そして、一番まずかったのは、区の選挙管理委員会からの連絡。

『メガホンしか装着していないので、警察に届け出なかったのかもしれないが、
 それでも早く警察に届け出てくれ、
 それに、選挙カーには、今朝渡した小旗をつけれくれ。』

との連絡があったとのこと。

  なんで、メガホンしか装備していないといったことまでの通報が?
  それに小旗はつけていた…

もう、戦争が始まっていた。

”Mさん”が行政書士だったので、届出は彼にお願いした。
ただ、ステッカーは、これから夜8時すぎに
”府議の先生”のお知り合いである業者の方が
大阪からわざわざいらして装着してくださることになっていた。
よって、届出はそれからでないとできなかった。

この十日ほど寝不足状態だったので10分ほど居眠り。

前日の公開討論会で、一番幸せと感じる時は、という質問で、
ある候補者が、事務所に戻って一息つけるとき、
と答えていたが、とても信じられない。

ちなみに、私の答えは、
お風呂の湯ぶねにつかる瞬間と床に入った瞬間である。


軽い眠りから覚めたあと、
印刷業者の社長さんに依頼していたほうのタスキが届いていたので、
それを着けて、最寄りの大山駅で帰宅する有権者に一時間余りご挨拶。

夜8時過ぎ、本日は解散した。

ただ、私は、大阪から来られる業者さんから、
『海老名で渋滞にあったので、一時間ほど遅れる。』
という連絡が入っていたので、その場で待機。

そして、夜9時過ぎ、業者さんが到着。
コインパーキングにとめてあったワゴン車を
なるべく街灯のあたる場所に移動して、作業をしていただく。
作業に数時間かかるといわれたので、私は帰宅した。

その数時間後、選挙カーに変わった写真が送信されてきた。
さすがは、プロの方、
大阪から到着された直後にかかわらず、きれいに仕上げてくださった。

自宅で、お礼のメールを打って、就寝。


明日の朝は、十日ぶりにゆっくりできる。




Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月16日(日)~17日(月) -投票日以降-


こんなに、ぐっすり眠れたのは、
父親の一回忌の日以来である。

その日は、まさに小春日和。
さっそく、選挙の投票に行く。
自分が立候補した選挙区ではないが。
これまでの12日間の選挙運動の日々が
走馬灯のようによみがえってくる。

投票所に行くと、意外にも長い列が。
こんなのは、初めてだ。

そういえば、この前の選挙のときは、
小さなお子さんづれのヤンママのお姿が目だったが、
今回は、あまり見当たらない。
子ども手当てもなくなったことだし…

各党の比例名簿の名前が小さく張り出されていた。
維新の会の4位というところに私の名前もあった。
でも、周りの方たちは、まさか本人がここにいるとは、
気がつかないだろうな…

他の党では、小選挙区の候補者が同列1位で並ぶことが多いが、
維新の会では、石原代表をはじめ重鎮の方々が比例の上位にのり、
小選挙区の候補者は、実績ある一名を除き、同列4位となる。


投票を終えると、洗濯だ。
選挙運動期間中は、洗濯する時間もなかったので、
山のように洗濯物がたまっていた。
今日は、晴れて本当にラッキーだ。

洗濯物を干したあと、いつの間にか二度寝。

気がつくと、日が落ちていた。
事務所のスタッフから、
いつ来るのかと携帯に連絡が入る。


事務所に向かう東武東上線の中で
つり革につかまって立っていると、
目の前に座っている女性の方が選挙公報の新聞を見ている。
私のところに目をとめてくれるかと、かってにドキドキしていたが、
あっさり、スルーされてしまった。

よほど、私が本人です、と告げようかと思ったが、
今日は、選挙活動してはならないと思い、一応やめた。
本当は、周りの目が気になっていた。

ふつうの人に戻っていた。


事務所に到着すると、みんなが、といっても3人だが、
私を待っていてくれた理由が分かった。
片付いているばかりか、
完全に当選したとき用に事務所が飾られていた。

白いテーブルクロスに、
きれいなお花、花束、
酒樽、
昨日、片目を入れたダルマ、
”必勝”の張り紙…

こぢんまりとしながらも、輝いていた。
それは、ここにいないスタッフも含め、
みんなの気持ちが十分に伝わってきたからだ。

本当に、いいスタッフの方々に恵まれた。


いよいよ、開票。

が、わずか30分後、

  あっ

と、スマホをみていた ”Y兄妹” のお兄さんのほうが声をもらす。

もう、それで十分だった。

当選された方は、現文部科学大臣。
地元で二十年以上、地盤を固めてこられてきた方。
新参者に敗けるわけがない。

ただ、望みがまったく断たれたわけではなかった。
300万円をかけた比例4位で復活できるかも…

比例で復活するかどうかは、簡単にいうと、
自分の得票数が当選者の得票数に
どれだけせまることができたかによる。
どれだけ惜しい敗け方をしたか。

  選挙期間の後半、あれだけ追い上げたんだ、
  あれだけ手ごたえがあったんだ、
  大丈夫。

と同時に、

  開票30分で勝負が決まったということは、
  相当票差を開けられたはず。
  だめかも…

期待とあきらめが交錯する。


ぼちぼちとスタッフが帰宅していく。
というより、二十代そこそこの学生さんということもあり、
帰宅してもらった。

  花束とかあるけど、
  万が一のとき誰が渡してくれるんだろう…


買ったばかりのパソコン画面をにらみ、
NHKの開票速報に釘付け状態。

が、板橋区の開票速報はなかなか出ない。

と、そのとき、
当確の自民党候補が3万票、
私と民主党候補がそれぞれ1万8千票ずつ、
という速報が流れた。
一番気分が高揚した瞬間だった。

というのも、この時点で惜敗率60%、
悪くない数字だったからである。

しかし、その後、東京選挙区における
維新の会の比例の議席数が今一つ伸びない。
大阪や近畿では票を伸ばしているのに…

ただ、東京では、
大阪で感じたような維新の会への追い風が吹いていないことは
選挙期間中、すでに肌で感じていた。

「維新の会です。」といっても、
ピンとこない方が意外に多い。
石原代表や橋下代行の名前を出して初めて、
ピンとこられる方々が多かったからだ。


時たま、前を通る通行人が事務所を覗こうとする。
事務所には薄い白いカーテンが一枚だけ。
これも、今までカーテンさえなかったのを
スタッフが気を使って用意してくれたものである。

おそらく、夜中に煌々とした灯りがみえたからであろう。
話に聞いたところ、この事務所は以前、
アジア系の外国人の方が経営するお店だったそうだから、
不思議に思うのも無理はない。


夜中の3時すぎ、”責任者”から一通のメール。
比例復活の望みも完全に断たれたことの宣告。
すぐに、お礼の返信メール。

このとき初めて、”責任者”が
大学の陸上競技部の7~8年後輩にあたることが判明。
私の3~4年後輩、”責任者”の3~4年先輩にあたる
お互いが知っている元部員の話で
若干盛り上がる。


朝6時半過ぎ、いつものように大山駅で挨拶。
しかし、いつもと違って、通勤・通学される方々に
大声でお礼のあいさつ。

だんだん、悔しさが疲労を凌駕していく。
あまりの情けなさで涙が出そうなのを
必死でこらえる。

いつも応援してくださった方々が、
残念だったね
と声をかけてくれる。

かたや、
俺、自民党に入れたから、
と、わざわざ意地悪をいってくる人もいた。

学生時代、
馬券売り場が近くにある駅前で
募金活動をしたことがあるが、
何人もの人から、お金を入れるふりをされたのを思い出した。

  もちろん、彼らは打ち合わせたうえで
  こうした意地悪をしているわけではない。
  こうした人たちの考えることはみんないっしょなんだな、

と思ったということを思い出した。


そして、商店街のお店が開いたころの時間、
体に鞭打って、一軒一軒、
お騒がわせしましたということでご挨拶。
何十軒も周っていくうちに、
今度は徹夜による疲労が悔しさを凌駕していく。


私は、この選挙戦を戦う前、
大阪の職場を飛び出してきてしまった。
今まで大阪でお世話になった方々に
きちんとご挨拶申し上げていなかった。

宿舎も、洗濯物を干したまま
夜逃げをするかのように飛び出してきた。
退職のための諸手続きもほとんどしていなかった。

だから、その日のうちに大阪に行く必要があった。

余ったポスターやチラシ、転居不明で戻ってきた多数のハガキ、
不要となった机やいす、事務所の横断幕や立て看板、選挙道具等々
処理する必要があった。
ふつうに粗大ゴミに出すわけにもいかない。

  酒樽とかあるけど、俺、酒飲めないし…
  そういえば、片目のダルマとかどうすればいいんだろう?

そのほか、電気、ガス、水道、電話、そして事務所自体の契約のこと、
そうそう、収支報告書も年内に作成し、
都の選挙管理委員会に提出する必要もある。

そんな心配をじっくりしている余裕もなかった。

すぐさま大阪に出発するため、とりあえず自宅へ。


東武東上線の中で、
選挙期間中にたまっていた
大阪の元職場からのメールをようやくチェック。

その途中、”府議の先生”からメールが入ってきた。
ついさっきまで、私が実際に行っていた敗戦処理を
”人として”きちんとするように、という内容だった。

もう、そんなことはとっくに済んでるんですけど、
という思い、そして、

「選挙期間中といえども、父親の一回忌法要には、
 人として欠席するわけにはいきません。」

という、先日私が ”府議の先生”に送ったメール内容の
一番の核心となる言葉を皮肉を込めて使ってきた無神経ぶりは
本当に許せないという怒りで、
はらわたが煮えくり返るほどだった。

しかし、”府議の先生”には、
選挙カーの件では大変お世話になったことを一生懸命思い出し、
ご助言に対するお礼の返事を送信しておいた。


開票結果?

当選された現文部科学大臣が11万6千票余り、
私はというと、5万票弱で、
3位の民主党候補に1万3千票以上の差をつけ、
堂々の次点であった。

12日前の公示日の時点で知名度はゼロに等しく、
板橋区には地盤となる組織も知縁も何もなかった。
板橋区に初めて足を踏み入れたのも公示日4日前。
落下傘候補にしても、落下するのが遅すぎた。

それまで、HPもブログも何も立ち上げておらず、
当初は供託金没収の心配も周りからされていた。
なお、没収ラインは、有効投票総数の10%である。

それにもかかわらず、
甲子園球場が満員になるくらいの区民の方々に
投票していただけたというのは、
奇跡に近い。
それにしても、この5万票近くの票、無駄には絶対できない。

これも、第一にスタッフさんらのおかげである。
選挙に詳しい方が一人もいなかったにもかかわらず、
党との連絡、諸手続き、証紙貼り、おしゃれな宣伝用の板づくり等々、
私が外で運動している間に、私の見えないところで、
いろいろご苦労されたおかげ。

また、いっしょになって外での運動に協力してくださった
運転手さん、ウグイス嬢さん、ウグイス嬢の見習いさん、
そして、旗を持ってくれたり、チラシを配ってくれたりした
スタッフさんのおかげ。

こうした方々のおかげで、何万票もいただくことができた。
ただ、不思議なのは、
スタッフの中に一人として板橋区民がいなかったということ。


次に「維新の会」という党のおかげ。
しかも、石原代表と橋下代行という
ツートップのお二人の顔のおかげ。

おそらく、私がまったくの無所属で立候補していたならば、
これほどたくさんの票をいただくことはできなかったであろう。
これなら、100万円という広報活動費というのもうなずける。

そして、ワゴン車を貸してくださり、
短時間ではあるが、選挙運動について指南してくださった ”甲先生”、
選挙カーに関して大変お世話になった ”府議の先生”。
そして、”責任者”。
こうした先生方がいらっしゃらなかったら、
少なくとも、選挙カーを公示日から動かすことはできなかったはずである。


そして、”責任者”は、次のように総括された。

  今回の選挙では、各候補者に対して
  十分には支援できなかった。
  ただ、そもそも自分の世話もできない人が、
  他人の世話なんかできるはずがない。

  そして、候補者みなさんは立派に戦った。
  そんなみなさんを誇りに思う。

立派なことをおっしゃるな、とも思ったが、
  そもそも自分の世話もできない人が、
  他人の世話なんかできるはずがない。
の部分は、橋下代行の受け売りであったことが
後日分かった。

私は、こうした自己責任という考え方が
大好きであり、賛同もする。

ただ、それなら、もう少し自分のペースで
自分の好きなようにやらせてほしかった。
責任は全部自分が負うのだから。

指示をするなら、少なくとも指示した分は、
結果責任も取ってほしいものである。


ところで、東京選挙区は小選挙区全滅、
比例代表も、定数29人の近畿比例区が10人だったのに対し、
定数17人の東京比例区はわずか3人にとどまった。


東京選挙区の ”責任者”は責任を取ったのか、
定かではない。



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月3日(月) -公示日前日-


朝一番は、選挙公報の原稿やチラシの内容などについて
印刷業者の社長さんと打ち合わせ。

この打ち合わせの間にも、四日前に私の愚痴をきいてくださった
党の東京本部の職員の方が心配して連絡をくださった。

ポスター貼りの要員で困っている旨告げると、
業者にお願いする方法もある旨おっしゃってくださった。

  もう、それはお願いしました。
  それでも、無理だったので困っているんです。

とは、さすがに言えなかった。


思いのほか、打ち合わせに時間がかかった。

この後すぐ、板橋の不動産業者と
事務所賃貸の正式な契約を交わす約束もあった。

電車で行っては間にあわない。

再び、無職のくせにタクシーに飛び乗った。
痛い出費。

それでも、10分ほど遅れた。

事務所の賃貸契約は、初めて。

賃料、敷金・礼金はもちろん、保証、保険等々の説明、契約書の読み上げ、
契約終了後の話、電気・ガス・水道の契約、ゴミの出し方まで
いろいろあり、ここでも思いのほか時間がかかった。

私がそわそわしていたころ、携帯がなった。
”府議の先生”からだった。

『まだ、不動産屋?
 もう、到着したから、早く来て。』

近くの商店街で待ち合わせの約束をしていた。
わざわざ、”甲先生”からお借りした
選挙カーとなる車に乗ってきてくださっていた。

ようやく正式な契約が終わり、あわてて飛び出る。

「今、商店街ですが、どこにおられますか?」

『ローソンの前、早く。』

それしか告げたくないという機嫌であることが伝わってきた。

この商店街、結構長い。
とりあえず、視界にローソンがない。
三日前に板橋に足を踏み入れたばかりの私にとっては、
まるで、場所が分からない。

  もう、賭けだ!

とりあえず、右のほうに走った。
携帯片手に ”府議の先生”に実況生中継のように、
視界に入ってくる両サイドのお店の名前を告げながら…

自分の居場所を伝えるため、そして、免罪符のための情報ではあったが、
私と同様この商店街に不案内な ”府議の先生”にとっては、
どうでもいい情報であった。

しばらくすると、屋根にメガホンのついた車が見えてきた。

  賭けが当たった。

『なんで、契約するだけでそんなに時間がかかるの?』

  この方、選挙のプロみたいなこといってたけど、
  もしかして、事務所の契約は人まかせ?

「すみません。」

わざわざ、車をここまで運転して来てくださっただけに
こう返事するしかなかった。


その車で、党の東京本部へ。
演説用の拡声器とマイクを借用するためだった。
正直、ここまで頭が回っていなかった。


それから、再び、板橋の事務所近くまで行く。

『駐車場とかの契約は?』

正直、気づきもしなかった。

『まー、この期に及んだら、コインパーキングでも同じか…』

と、いってコインパーキングに車をとめてもらった。

『また、明後日に様子を見にきますから。』

と、おっしゃってくださり、そこでお別れした。


この ”明後日”ということばに気をつかっていなかったがために、
後日、ちょっとしたトラブルを招いてしまうはめになった。


それから、事務所に戻り、
事務所の机やいすを購入するため、数社の業者に連絡した。
もう公示日を翌日に控えていたので、
すぐにでも持ってきてくださる業者さんを探していた。

ようやく、いすと机一脚だけなら本日中に持ってきてくださる
という業者さんをみつけることができた。

  あとは、電話とFAXか…

秋葉原に向かった。

購入中にも、二件の連絡が入った。

一つは、選挙カーに装着するため
自分の名前と写真がのったステッカーを作成してくれた業者からだった。
見本の写真を送信してきてくださった。
自分が考えていた写真とは異なるほうの写真だったので、
奇跡の一枚のほうと変更するよう依頼。

また、このとき、印刷業者さんにタスキの作成を正式に依頼していたものと
勘違いしていたことが発覚したため、
タスキの作成も至急お願いした。

と同時に、印刷業者の社長さんにも、お知りあいの業者さんに
タスキの作成依頼をお願いしておいた。

もう一つは、党のチラシ7万枚を事務所にもっていきたいという運送業者から。
なんと、数日前、大阪の党本部の手違いで文京区にもっていってしまったらしい。
どうすれば、板橋区と文京区とを間違えるのか…
東京で暮らす者からすると不思議でたまらない。

一時間後に事務所で待ち合わせることにした。


そして、私は急に選挙運動を手伝ってくださるスタッフが
まるで足りていないことに気がついた。

いや、気がついていたが、
立候補するための手続きで頭がいっぱいだったので、
あえて、意識から排除していた。

公示日である明日は、元同僚の弟の ”Hくん”が朝8時から、
知人の弁護士の事務所に勤めている ”Mさん”が朝10時から、
旧友の奥さん ”Kさん”がお昼ごろから事務所に来てくださることにはなっていた。
あとは、週末だけ何名かの方が助けに来てくださることになっていたが、
他にスタッフはいなかった。

  このままでは、選挙運動ができない。

また、大きな不安が私の精神をむしばんでいった。

  まずい、本当に頭がおかしくなりそうだ…

このときは、もう、元上司で退職された、あの頼りになる”Sさん”
にSOSを発する以外になかった。

泣きついた。

”Sさん”は、
大学時代の将棋部の後輩などいろいろ探してくださるのみならず、
ご自身も、明日から数日間、
東北からわざわざお手伝いに来てくださる旨
おっしゃってくださった。

四日前におっしゃっていたように、
選挙期間中は、
のっぴきならない御用が本当におありだったらしいが、
数日間だけでも、私のほうを優先するとおっしゃってくださった。

  本当の恩人。

  選挙とは、いろんな人に甘え、
  迷惑をかけながらでないとできないものなのか?

  いや、心からこの候補者を支援したい、
  と他人に思わせるほどの人徳者になる必要があるのかもしれない。


と、思ったのもつかの間、
至急、タスキ代を振り込んで、板橋区の事務所に戻った。

運送業者の運転手さんが待っていた。

チラシ7万枚。

その運転手さんと二人で、空だった事務所に運び入れた。
7万枚ともなると、時間もかかる。
すでに12月だったが、コートはもちろん、
背広を脱ぎ、ワイシャツの袖もまくり上げながらでなければ
暑くてしょうがなかった。

このチラシ、石原代表と橋下代行のツートップがうつったものだが、
実は、公示日前までに配布するためのものであった。
あと数時間で公示日となるので、本来、不要なものだった。
実際、この後の選挙期間中も、これらを配布するだけの余裕がなかったので、
7万枚まるまる余るはめになってしまった。

選挙後に処分した費用も含めると40万円近くもかかった。
もちろん自腹だ。
これ以上虚しいことはないし、なんといっても環境に悪すぎる。


と、そこへタイミングよく、いすと机一脚が到着した。
料金は、選挙が終わり落ち着いてからでもいいと
業者の方がおっしゃってくださった。

残りの机は翌日持って来てくださるという。


その後、ペン、ノート、ガムテープ、ゴミ袋、ティッシュ、
トイレットペーパー、石鹸など、当面必要だと気がつくものを
近所のスーパーマーケットで購入。

事務所に戻り、すぐにでも、机といすを並べたかったが、
あと20分もすれば公開討論会が始まる時間だった。


歩いて10分ほど会場に到着。
楽屋のような所に案内された。

そこには、他の候補者が勢ぞろいしていた。
初めてお会いする戦う相手。

公開討論会の説明を受け、いざ本番。

政治信条、原発問題、消費税問題等々の
テーマごとに持論を制限時間内に披露。
〇×形式の質問にも何問か答えたが、
ポスターの写真に修整をいれたか、という質問で
私だけが、〇を上げたらしい。

後日、選挙運動をしている際、
この討論会に来てくださった方から
『猪野さんて、正直な方ですね。』
と声をかけられた。

緊張していたためか、終了するまでの二時間が
あっという間に思えた。

なお、討論会のようすは、
以下のアドレスからご覧になれます。

e-みらせん http:www.e-mirasen.jp

もしくは、”公開討論会 板橋 衆議院”の
検索であれば、一発でヒットします。


終了したあとも、
公開討論会中に携帯に数件連絡が入っていたので、
こうした方々に連絡。
すぐには帰宅できなかった。


この日から3~4週間後、
主催者をはじめ、この討論会を支えてくれた方々の集まる
忘年会に参加させていただいた。

自分の主張を披露する機会、そして名前をみなさんに知ってもらう機会を
くださったあの討論会を行うまでに、
どのような方々がどのようなご苦労があったのかを知るため、
そして、みなさんに感謝の気持ちを伝えるためであった。

衆議院の解散が急に決まったので、会場をおさえるのが大変だったこと、
人を集めるのにご苦労されたこと、等々を知った。

また、定年退職された方や大学生の方など
ボランティアの支えによって公開討論会が成り立っていた
ことも知った。

  党の方針に反して、公開討論会に出席して本当によかった。

改めて、ありがとうございました。



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月2日(日) -公示日まであと2日-


頭はスッキリしていなかった。

でも、選挙公報の原稿を書くしかなかった。
なぜなら、本日の夕方には、その原稿を
都の選挙管理委員会にチェックしてもらう必要があったからだ。

いそいで、ワープロで原稿を書き上げ、都庁へ。
そこで ”府議の先生”と落ち合った。
選挙管理委員会に、夕方からの最終チェック前に
そもそも書類がそろっているかなどを事前にみてもらうためだった。

すなわち、夕方の最終チェックで不備が見つかっても、時間がなく、
公示日当日に区の選挙管理委員会に書類を提出できなくなる可能性があったからだ。
提出できないと、そもそも立候補できなくなる。

この事前にみてもらうという作業、他の維新の会の候補者はすでに済ませていた。

が、都の選挙管理委員会に断られた。

これから、民主党候補者の最終チェックが始まるからだという。
もう、夕方にぶっつけ本番でのぞむしかない。

そこで、”府議の先生”と車で事務所に移動。

車内でも、選挙運動を助けてくれそうな方を、メールなどで探す。

運転しながらも ”府議の先生”が人集めのコツを教えてくださる。
と、同時に、
  ポスター貼り要員、選挙カーの運転手、
  そして、ウグイス嬢の手配を早くしないと間に合わない、
  もう、知人ではなく業者に依頼するしかない、
とも。


既に14時をまわっていた。

『食事はしっかり取ろう。』

ファミレスに入った。

一週間ぶりの昼食であった。

立候補が決まってから、食事は一日一食、できて二食だった。
しかも、ファーストフードで10分足らずでかきこむ食事。

ただ、その一週間ぶりの昼食もじっくり味わってはいられなかった。

事務所に到着してからやろうとていたことを、自然にやり始めていた。

まず、会計責任者やポスター掲示責任者を探す。
何人かにあたり、結局、旧友にお願いした。

それから、事務所の電話設置のためNTTに連絡。

次に、ポスター貼りをしてくれる業者を何社か探し、連絡。
案の定、どこも、公示日とその翌日はすでに予約でいっぱい、と断られた。

その間にも、先週までの勤務先の職員からメールが入る。
その内容は、宿舎の退去のことや健康保険料の支払いのことなど
今後の手続きについてであった。
今までも、何度か携帯に連絡はあったが、あまりに忙しく出られなかった。

だから、その職員としては、休日に私にメールをするはめになってしまった。
退職時、あれだけ迷惑をかけのに…
落ち着いて返信できるのは今だけだと思いつつ、そして、
申し訳なかったと思いつつメールを打つ。

  えーと次は、事務所に設置する机やいすの調達先を探さなければ…

と、そこでタイムアップ。

今から都庁に戻らないと、書類の最終チェックに間に合わない。


”府議の先生”と都庁に戻ると、
東京選挙区の候補者の使いの者がたくさん待機していた。
が、チェックをしてくださる職員の数のほうが圧倒的に少ない。
すなわち、順番が最後のほうで、
数時間待たなければならないという状況だった。

これは、幸いだった。

このころになると、数日なら手伝えるといってくださる方から、
数名だが、メールが入っていた。
時給や交通費、車の運転の可否などの確認がしたかった。

また、選挙用品や選挙カー装備などにかかった料金を振り込む必要があったので、
そのための時間もほしかった。

一分、一秒でも惜しかった。

「しばらく、はずします。」

と ”府議の先生”、そして、都庁にいらした ”責任者”に告げた。

  何しに行くの?

という表情をされたので、事情を説明した。


まず、友人の奥さんが手伝いに来てくださるということで、
友人と相談。
時給や旅費については、結構、シビアに交渉してくる。
複雑な気持ちだった。

  お金は、人間関係を破壊する。

中学生のときの担任の先生がおっしゃっていたことばが、
不意に思い出された。


そんな、複雑な思いをかかえながら、
銀行のATMで振り込みをしているときだった。
こちらも、不意に携帯がなった。
新聞記者からだった。

『明日、午後7時から、
 板橋区文化会館で公開討論会があるそうです。』

「えっ、明日?
 そんな、あまりに突然ですね。」

『主催者が連絡をとりたがってますので、
 とりあえず、連絡してみてください。』

 ”ATMの前では携帯電話はご遠慮願います。”

という目の前の注意書きを無視して、主催者の方に携帯で連絡してみた。

どうやら、私と連絡をとりたくても、連絡先が分からなかったらしい。

私は
「党と相談してから返事をします。」
といって、携帯を切った。


とりあえず、中途だった振込みをすまして、都庁に戻った。

”責任者”をはじめ、都庁にいらした党の方々に相談すると、
新人候補が公開討論会に出席するのは原則禁止
というのが党の方針であるとの説明を受けた。

  マスコミが今回の候補者らを
   ”橋下チャイルド”と揶揄する理由が分かった。
  党は、新人候補を完全に信頼していなかったのである。

この目の前にいらっしゃる方々も本気で心配してくださっていた。

ただ、”府議の先生”だけは、
『最後は、候補者本人の判断に任せますよ。』
と、おっしゃってくださった。

主催者に再び連絡すると、
『過去も今回も欠席者はいません。』
ということで、出席を決めた。

と、いうより、
知名度ゼロの私が、自分を売り込む絶好の機会だと思った。


ついに、自分のチェックの順番が来た。
”府議の先生”は、
他の候補者の分も面倒はみていたのであろうが、
数時間も待ってくださっていた。


大阪の党本部からきいていた内容と違っていた点が数か所あったものの、
特に大きな問題はなかった。
選挙公報の原稿を除いては…

私は、今朝、急いでワープロを打った文章だけで十分かと思っていた。
しかし、この都庁の職員の方は、
明らかに選挙の素人であると分かる私を不憫に思ったのであろう、

『もうちょっと絵柄とか入れ、字体も工夫して
 有権者にアピールできるものにしたほうがいいですよ。
 今までのアンケート結果によると、
 この選挙公報は、投票先の決め手として上位に
 ランクインしてますから。』

とアドバイスをしてくださった。

そこに、たまたま、元国会議員である候補者の使いの者が
隣の机でチェックを受けていた。
彼がよさげな原稿をもっていたので、
そのコピーを参考のためいただいた。

電源が切れそうな携帯で、印刷業者の社長さんに至急連絡を入れ、
翌朝、相談にうかがうことにした。

やはり、不憫に思われたのであろう、
”府議の先生”がもう半日だけ
私に付き合ってくださることになった。


休日の夜遅くにもかかわらず、都の選挙管理委員会のお仕事は
まだ終わる気配がなかった。

大変なのは候補者サイドだけではない、
という当然のことを改めて感じた一日であった。



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月1日(土) -公示日まであと3日-


朝起きて最初にやったことは、お寺への連絡。
選挙の準備で頭がいっぱいだったため、
父の一回忌の日程と参列者の確認を忘れていた。

あと、大阪で愛飲していた青汁の契約をストップする連絡も。
そうしないと、明日、誰もいない大阪の宿舎に
配達しに来ていただくはめになってしまう。

その後、再び頭を選挙モードに、

  とりあえず、明日までに都庁でチェックしてもらう必要のある
  書類を作成しなければ、
  あと、マスコミからのアンケートにも答えて、

  そうそう、二日前に頼まれていた共済組合員証と
  記章も大阪国税局に返送しなきゃ。

  そうそう、三日前に頼まれていた、戸籍謄本
  速達代分の切手を宇和島の役場に郵送しなきゃ。
 
  んっ、待てよ。
  二日前、戸籍謄本が自宅に届いて中断しちゃった、
  事務所の看板の調達や備品のレンタルもしなきゃ。


再び頭がごちゃごちゃになった。

  とりあえず、今日は内部事務にしよう。
  まずは…、今、土曜日の午前中だから、
  書類を作成するのも超重要だけど、
  看板の調達と備品のレンタルから。

と、ネットで何社か探し、連絡…
が、備品のレンタルのほうは、二日前の選挙カー同様、
今さら無理だった。

公示日まであと3日。
全国で300選挙区。

もう、どこも備品はすべて貸出中。

ただ、事務所にかかげる看板や幕だけは購入できそうだ。
土曜の午前中ということもあり、申込みはドタバタ。
超特急料金も払うはめに。

しかも、この選挙用品を扱う某有名業者、雰囲気がよくなかった。
HPにのっていた携帯番号にかけたら社長の携帯だった。
迷惑そうに、事務所に連絡するように言われた。

  だったら、土日・至急時はこちらに連絡、とかHPにのせるなよ…

そして、後日、トラブルが発生することになろうとは、
このとき想像する余裕さえなかった。


  さて、事務所の備品のレンタルが不可能であれば、
  購入をしなければ。

しかし、机、いす、電話・FAX…そもそも何を揃えていいのか、
選挙をしたことがない私にはすぐに思いうかばなかった。
思いうかんだとしても、
それぞれの備品ごとにネットで業者を探しているひまもない。

  もう、さすがに書類を作成しなきゃ。

書類の作成中ではあったが、郵送しなければならないものもあったので、
郵便局が閉まる前に郵便局へ。

と、そのとき、維新の会の地方議員のお一人である ”甲先生”から携帯に連絡があった。
なんと、ご自身の自動車を私に選挙カーとして貸し出してくださると
おっしゃってくださった。
どうやら、私の現状を知った ”責任者”が手配してくださったようだ。

とにかく、ありがたかった。

実は、このとき、私は選挙カーをあきらめ、
自転車で選挙区を回ることを考えていた。
しかし、選挙のプロには考えられないことだったらしい。

自転車をこぎながらマイクでうったえかけることができないので、
タスキをかけたおっさんが自転車で通りすぎていくだけになるらしい。


夕方、昨日撮影した写真館に向かう。
写真はデータとして送信してもらうことも可能だったが、
選挙公報に使用する写真は、
指定の台紙に現物を貼る必要があった。

その途中 ”責任者”から携帯に連絡があった。

  もう一人の ”府議の先生”が、
  全国の候補者の支援をしていたところ、
  急きょ、明日一日だけ
  私に付きっきりでお手伝いしてくださる、
  そして、間もなく東京に到着すると。

よほど、私の準備状況が悲惨に思えたのであろう。
とにかく、私にとっては、本当にありがたいお話であった。


書類をすぐにでも作成する必要があった私は、
道すがら、必要な印鑑を購入し、いったん自宅に戻った。

先ほどの連絡があって3時間ほど経っただろうか。
”府議の先生”が池袋のホテルに到着されたということで、
池袋に呼び出された。

池袋駅前で ”責任者”、”府議の先生”そして、他の候補者と合流。
府議のお二方は、お酒をかっくらいながら
私の到着を待ってくださっていたようだ。
そして、昨日借りたばかりの事務所に、飲酒をしていない他の候補者の車で向かう。

車内で、現状を報告。
事務所内の備品の調達、選挙カーの装備、マイク等の準備、
そして選挙スタッフ集めがまるで出来てないことを。

府議のお二方は、今まで何をやっていたんだ、という表情。

『板橋区の人口は?』

「いや、資料だけは区役所でもらいましたが、
 まだ見てません。」

『そのくらい、調べとかなきゃ』

  そんなことは、言われなくても分かっていた。
  ただ、そんなこと調べているより、
  先にしなければならないことが山ほどあった。

私としては、頭の中で、やらねければならいことを
とりあえず優先順位をつけて十個ほど並べていた。
そして、一番目、二番目、三番目…と片付けていく。
これらの手順を知らず、でも
五番目、六番目が必要であることだけは知っている人からみると、
私は何もしていないように映ったのであろう。

人を思いやること、それは想像力。

こう、理屈っぽい反論をする気力も、勇気もなかった。

『候補は、HPも、ブログも、FaceBookも、Twitterも
 何もしてないんでしょ。
 それで、どうやって有権者に知ってもらうの?
 このままじゃ、供託金没収だよ。』

正論をぶつけながら、
大阪からの応援隊は、私をどんどん精神的に追いつめていく。

『ポスターの掲示板の数は?』

「495箇所です。」

さすがに、そのくらいは知っているか、
という表情をしながら、こう続けた。

『ポスター貼りの要員は?』

昨日、区役所で思い浮かんで以来だった。

「まだ、目途がついてません。」

「いいわけに聞こえるかもしれませんが、
 何も準備してこなかったわけではありません。」

こう、こたえるのが精いっぱいだった。

やる必要のあることをけしかけるだけでは支援にならない。
要は、言い方の問題。
言い方によっては、支援どころか、精神的においこむだけになってしまう。
こんなことも、分からないのか…


こう、理屈っぽい反論をする気力も、勇気もなかった。

見かねた ”府議の先生”が知人に連絡し、
選挙カーの装備を依頼してくださった。


事務所に到着した。

『いい場所、見つけたね。』

『広さも、ま~十分か。』

『んっ、病院の近くか… 大きな音出せないね。』

  さすがは、選挙のプロ。

と、同時に、
この時期に、こんないい場所を借りることができた理由が分かった。

”責任者”は、その事務所を写真に収めていた。

”府議の先生”とは、翌日、落ち合う時間と場所を決め、解散した。


午前12時ちょっと前に自宅に戻り、
書類作成のつづき。
完成したのが夜明け前。
と、いうより、書類の内容がよく分からないものもあったので、
とりあえず完成したと思ったのが夜明け前。

この後、選挙公報の原稿書きが残っていたが、
これは、有権者にアピールするのに重要な手段。
スッキリした頭で書きたかった。

  少しでも寝てから書こう。





Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年11月30日(金) -公示日まであと4日-


最近、寝覚めるのが怖い。

やらなければならないことが、
意識していないものまで含め、
頭の中にギューギューに詰まっていて、
しかも、減らない…

さっそく、ATMに駆け込む。

お金がおりない…

  今日中に供託金300万円を法務局にいれなければならないのに、
  このままでは立候補できない…

焦った私は、携帯をかける。

  どうなっているんだ、
  今日ならおろせるといっていたのに…

しかし、つながらない。

仕方なく、もう一度トライ。

おろせた。

  ほっ

としたことは、これ以上ない。

要は、8時がすぎたからだった。

300万円の現ナマをわしづかみに地下鉄に飛び乗った。

実は、半年前まで、法務局の上の階に勤めていたのだが、
お世話になった方々に挨拶をしている暇もない。

法務局で供託の手続きを待っている間にも、
選挙活動を協力していただけそうな知人に
メールや携帯で連絡しまくる。

が、またもや成果なし。

このあたりから、
大阪の党本部で教えてもらった書類の記載内容が、
東京では異なることが明らかになっていく。

この時点で、すでに二か所。
しかも、登記内容が微妙に違うぞ!

支援体制を含め、今さらながら、
維新の会が組織として成熟していないことを痛感させられた。


次は、印刷業者。

また、地下鉄を飛び乗り、道に迷いながらようやく到達。

本当に親切な社長さんだった。

非常にお忙しいなか、急なお願いにもかかわらず、
ポスター、チラシ、ハガキなどの印刷はもちろん、
本来業務ではないポスター撮影やタスキなどの手配もしてくださった。
そして、私が忘れかけていた
事務所の内外備品の調達まで心配してくださった。

やるべきことはもちろん自分でメモをしていたが、
あまりにも多すぎて、意識できてないことが多かった。

しかし、この時点で依頼してもポスターの仕上りは、
どんなに急いでも公示日をすぎて、つまり
選挙運動解禁日から4~5日後といわれた。
そもそもポスターやチラシなどをつくる前に
撮影が、まだすんでいない。

  なら、今すぐ撮影すればいいじゃん。

実はそんなに甘くないのが世の中。

まず、撮影の申込みをしても、順番というものがある。
撮影日は申し込んでから数日かかるのが通常。

写真館は、選挙用ポスターのためだけにあるわけではない。
人生の節目に立派な写真を記念に撮りたいという方々は
世の中にたくさんいらっしゃるのである。

しかも、撮影してから仕上がりまでも
10日ほどかかるのがふつうである。

それでも、その社長さんは、お忙しいなか、初対面の私のために、
写真館に顔がきくご友人をわざわざよんでくださって、
無理くり撮影日を本日の夜にねじ込んでくださった。
ただ、超特急料金がかかった。

世の中、やはり甘くなかった。

  四日前から、いったい何人の方に迷惑をかけているんだ…

ある意味、予想だにしていなかったことである。


またまた地下鉄に飛び乗って、いざ、板橋区へ。

二日前、都の選挙管理委員会から
板橋区の選挙管理委員会からも
必要書類を入手するようにいわれていたからだ。


本日あたりから、私の退職が、元いた職場に知れ渡ったのだろう。
多くの方が驚きと心配の携帯連絡をくださる。

ただ、本日は地下鉄に乗ることが多く、しかも急いでいる。
落ち着いて話ができない。
途中で話を切ることが多い。

せっかく、心配してくださっているのに、
申し訳ない…


公示日4日前にして、ようやく板橋区に足を踏み入れた。

今思えば、こんなやつが、
ここで二十年以上地盤を固めてきた先生に
選挙で勝てるわけがない。

だいたい、この時点で、私の名前を知っている
板橋区民はいない。

しかも、私はパソコンをもっていなかったのだから、
公務員だったこともあり、
HP、ブログ、Facebook、Twitter 何もしていない。
特に私がいた国税という職場では、不祥事と秘密漏えい防止のため、
こうしたのを立ち上げることにもうるさい。

しかし、こんな状態で、
どうやって自分を知ってもらうんだ?

冷静に考えればあまりに無謀。
全有効投票数の十分の一得票できなければ、供託金没収。
私の出馬を知った方のほとんどが、そう思ったにちがいない。

しかし、私にはそんなことを考えている余裕がなかった。


板橋区役所の受付で選挙管理委員会の場所を尋ねる。

私が事情を説明すると、

『候補者本人ですか?』

と驚かれる。

こちらが、驚いてしまう。

  ふつう、本人が来るんじゃないの?

教えてもらったとおりに、エレベーターで上がって
選挙管理委員会に。

ここでも、

  候補者本人が?

という反応をされた。

ここでは、選挙ポスターを掲示する場所を示した地図、
選挙カーの警察への届出用紙、
公示日当日についてのお知らせなどたくさんの書類をいただいた。

  掲示版は全部で495箇所。

ここでようやく、ポスター貼り要員が必要であることが
意識にのぼってきた。

が、区役所にいる時だけでも、
印刷業者の社長さんと詳細な打ち合わせのため、
いくどとなく携帯で連絡しあっていた。
その間、いつしか、ポスター貼りのことは頭から
吹っ飛んでいた。

先ほどお世話になった受付で
板橋区の地図と板橋の名所などを紹介した冊子とをいただく。

『選挙期間中、板橋区での催し物の宣伝もしてくださいね。』

とお願いされた。


次に、選挙事務所をすぐにでも探す必要があった。

しかし、区役所を出ても不動産屋さんが見当たらない。

薬局店が目の前にとびこんで来た。

何も買わずに道をきく勇気がなかった私は、
東京に戻って足りなかった日用品を購入して
不動産屋の場所をたずねた。


そして、教えてもらった不動産屋に飛び込む。

挨拶そこそこ、選挙用事務所が必要なことを伝え、
さっそく探してもらった。
その間にも、先ほどの印刷業者の社長さんやガス会社の人と携帯で連絡。

ガス会社のほうは、選挙とは関係がない。
自宅の風呂がまが調子悪かったからである。
もう、既に寒かったから、すぐにでも修理してほしかった。

公示日4日前ともなると、いい場所の事務所はすでに
他党におさえられていた。

しばらくして、川越街道という大通り沿いの
恰好な場所の事務所を見つけてくださった。
ただ、キッチンなし。
この期に及んで贅沢はいってられない。

そして、現地視察。
客観的には狭かったが、この時点で他に選挙運動員がいない状況下、
ちょうどいい広さだと思った。

ここから、さらに手続きに時間がかかった。
このとき、私は、無職。
無職の者には貸せないといわれた。
”責任者”からは、党としてではなく、
個人として契約してくれ、といわれる。
八方ふさがり…

選挙という事情でどうにかならないかと頼み込む。
ご担当の方が本社に連絡してくださり、何とかなった。
この承諾だけでも時間がかかった。

今日だけでも、何度目の無理なお願いだろう。


この後、都庁で生まれて初めての記者会見。

しかし、事務所探しに思いのほか時間がかかり、
もう、電車で行っては間に合わない。

タクシーに飛び乗った。
無職だが仕方がない。

タクシー内では、まず、弟に携帯で連絡し、
事務所の賃料の保証人になってもらうことを依頼。

そして、運転手さんに事情を説明して、急いでもらった。
私が疲れ切った表情をしていたからであろう。
運転手さんが元気づけてくれた。

『大丈夫、当選しますよ。
 私も板橋区民ですから、応援します。
 だから、元気出して!』

これまで精神的にクタクタだった私が、
初めて勇気がわいてきた瞬間であった。

私は、しっかり自分の名前を名乗り、
運転手さんのお名前もうかがった。
私の名前を覚えてくださった初めての板橋区民。
私の支援者第一号。
このお方のお名前は今でももちろん覚えている。
一生、忘れない。


都庁に到着し、若干迷って、開始数分前に記者会見場へ。
党の方が、待ってましたという表情。

各新聞社の記者の方々がよってくる。
名刺と調査票と称するアンケート用紙を次々といただく。
一度に持ちきれないほど。

ついに、生まれてはじめての記者会見開始。

私のほかに三人の東京選挙区の候補者がいらした。
”責任者”から私が紹介され、いよいよ私も自己紹介。
マイクのスイッチをいじってモタモタしていると、

『スイッチ入ってますから』

と、冷たくいわれる。

写真のフラッシュがパシャパシャとなると思いきや
そこは、芸能人の記者会見とは異なる。

「名前は ”いの たかし”と単純ですが、
 頭は単純ではありませんので、ご安心を」

芸人さんがスベることを恐れているのが理解できた。

どうやら、記者会見の様子はどうでもいいらしい。
記者会見自体もどうでもいいらしい。
質問はほとんどなく、私も、立候補の動機をきかれただけである。

本番は、そのあとだった。
各社の担当記者が私を囲み、いろいろと質問してくる。
写真も候補者ごとに、そして各社ごとに何枚も撮られた。

要は、候補者そろって、というのはどうでもよかったのである。

その後、”責任者”を含め党の方々が、
別部屋でちょっと飲みましょう
と候補者を誘ってくださった。
われわれ候補者の労をねぎらってくださる?

  この後、ポスター用の撮影があるのに…
  選挙準備のため一分一秒でも惜しいのに…

階下に降りて、その部屋に入った。
アルコールと中華の混ざった臭いがきた。
そして、食べかけの焼きそば、焼きうどん…

  この人たちは、本当に大阪から
  東京の候補者の選挙運動を助けに来てくれた方々なのか?

  こちらは、朝早くから一人で駆けずり回っていたのに、
  何余裕ぶっこいて、酒かっくらっているんだ…

ここで初めて "責任者”は各候補者の現状を知るべく
簡単なアンケートをとった。

私は、現在、選挙の準備を一人でやっている旨
アンケート用紙に書き、急いで部屋を出た。

  写真館が閉まってしまう。
  せっかく、社長さんがお忙しいなか、予約してくださったのに…
  せっかくのご好意を無駄にしてしまう…

とにかく、焦った。
 
  これ以上、他人様に迷惑はかけられない。


たどり着いた。

開いていた。

幸せそうなご家族の方々がいらっしゃった。
事情は分からない。
でも、きちんとした写真館で記念写真を撮っておくような
そんな幸せな人生の節目を迎えようとしているに違いなかった。

私の番が来た。

ポスター用の写真の他に選挙公報用の写真も
追加で撮影していただきたいことを伝えた。

こんなことも誰も教えてくれない。
都庁でもらった資料を先ほどの不動産屋で
たまたま読んでいたからこそ分かったこと。
読んでいなかったら、
私の選挙公報用の記事が危うく新聞に載らなかったところである。

いろんな角度から、いろんな表情で、何枚も撮られた。
笑った顔、すました顔、さっそうとした表情…
撮影をされる方は、本当に人をのせるのがうまい。
ちょっとした、モデル気分だった。

先ほどのタクシーの運転手さんにお会いしていなければ、
いい表情はできなかった。
あの運転手さんが元気づけてくださったから、
撮影は成功した。

撮影が終わってしばらく経ち、
パソコンの前に担当の女性の方と座った。
何枚もの写真から、私が気に入った奇跡の一枚の写真と
そして、その女性が気に入った一枚の写真とを選んだ。
女性目線も大事にしたかった。
と、突然、その女性から、

『修整しますか?』

と聞かれた。

「顔のシミを薄くしてください。」

ためらいがなかった。

『消すこともできますよ。』

「いや、それはウソになりますので結構です。」

「眉毛は黒くできますかね?」

もう、言っていることが無茶苦茶である。

『それは、無理です。』

久しぶりに楽しかった。


撮影が終わって、会計も終了。

仕上りは翌日。
これも、ポスターをできるだけ早くつくるため
無理にお願いしたこと。
通常は、10日ほどかかるらしい。
もちろん、超特急料金も支払った。

ようやく、帰宅。

先ほどの記者会見にいなかったマスコミからの
調査票のファックスが部屋に散乱していた。

  それより、明後日には
  都の選挙管理委員会に書類をチェックしてもらわなければ…
  そもそも立候補できなくなっちゃう。

でも、都の選挙管理委員会からもらった冊子を見ながら
何枚もの書類を作成する気力はもはや残っていなかった。

  もう、ダメだ。
  明日やろう。

長い一日、ようやく終わらせることができた。




Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年11月29日(木) -公示日まであと5日-


『いよいよ来月2日は公示日前最後の日曜日、
 各候補者は演説の場所と時間を私に連絡すること。』

各候補者の事情をまったく無視した、
精神的に追い込むだけのメール

目覚め一発目のメールが、
この ”責任者”からのメールだった。

そういえば、党本部からも ”責任者”からも、
まず、供託金の関係で法務局に行くように、といわれていた。

供託金の300万円は、昨日、党が指定した口座に振り込んでいた。
だから、別途、手続きのためだけに
法務局に行く必要があるのかとばかり思っていた。

ただ、不安もあったので、さきほどのメールをあえて無視し、
”責任者”に法務局に行かなければならない理由をきいた。

不安は的中した。

昨日、払い込んだ供託金は、党の比例分であって、
個人の小選挙区分の供託金は別途300万円かかるということであった。

選挙に出ようと思った以上、
その程度は自分で調べておくべきだった。

ただ、党にも ”責任者”にも、
各候補者の置かれた状況を無視してけしかけるだけでなく、
供託金には二種類あって、合計で600万円必要であることを
きちんと説明しておいてほしかった…

しかも、その別途の供託金は明日までに
法務局にもっていかなければならない。

金融機関にあちこち電話しまくった。

中小企業の経営者とは、こういうものか。

なんとか、明日までに300万円を用意することができそうだ。


落ち着いたところで、もう一つ軽い難題。

私の戸籍は愛媛県宇和島であった。
そこで、昨日、これまた役場に無理をいい、
速達で謄本を東京の自宅のほうに本日の午前中にでも届くように
郵送してください、と電話でお願いしていた。
本来は、電話では受け付けてくださらないらしいが、
事情が特殊であることを説明申し上げ、ようやく納得していただいた。

が、これまで大阪で暮らしていたものだから、
東京の自宅に送られてきた郵便は、すべて
大阪のほうに自動的に転送されてしまう。

郵便局にかけこみ、
転送を至急止めていただくようお願いした。

が、

『手続きまで、3~4日かかりますね。』

といわれてしまった。

戸籍謄本も、今すぐにでも党の東京本部にもっていく必要があった。

ここも、郵便局に事情が特殊であることを説明申し上げ、無理をお願いした。

  もう何回目の無理なお願いになるんだろう。

郵便局から自宅に戻る途中、
神社前でふと思った。

  ポスターとかもそうだけど、選挙カーはどうするんだ?

そこで、何人もの元代議士とお友達で
もっとも頼りになる元上司で退職された ”Sさん”のお顔が浮かんだ。

  神のおかげか、

ただ、この期に及んでも
運転手やウグイス嬢のことまで気がまわらなかった。

それだけ、いろんなことで頭の中がパンパンだった。

いや、おそらく思い浮かんでいた。
しかし、それよりも先にやらなければならないことが
たくさんありすぎて、
故意に頭の中から排除したのかもしれない。

  さすがは、頼りになる ”Sさん”

この近くの印刷業者、そして選挙カーのレンタル方法まで教えてくださった。
ただ、”Sさん”ご自身は東北で暮らされていることもあり、また、
選挙運動期間中は、のっぴきならない御用もあるということで、
ご自身が東京まで行くことは無理である旨もおっしゃっていた。

自宅に戻って、早速、教えていただいた印刷業者に連絡。
社長さんと翌日お会いする約束をした。
この社長さんも
非常に親身になって相談にのっていただけそうな方だった。

しかし、戸籍謄本がまだ届かない。
宇和島の役場に、昨日、速達で送ってくださったか、確認。
本日の昼過ぎには届くはずだとのご回答。
発出する際、わざわざ郵便局に確認してくださったらしい。


さて、事務所そのものは、翌日、板橋区の不動産屋に飛び込むとして、
事務所の看板や備品、そして選挙カーのレンタルも頼まなければならない。

  レンタル先を探すためにはパソコン。

あわてて昨晩購入したばかりのパソコンを箱から出す。
説明書を読んでいる暇はない。
ヘルプサービスに電話して、何とか立ち上げる。

この間にも、昨日までお世話になった職場から携帯が入る。
共済組合員証と記章を書留めで至急郵送してくださいとの依頼。


パソコンのメルアドもようやくゲット。

が、肝心の選挙カーのレンタルは、今さら無理だった。

公示日まであと5日。

選挙カーをレンタルできたとしても
今からでは16日の投票日当日の数日前ということだった。


ようやく玄関のチャイムが鳴った。
愛媛県の宇和島からやって来た戸籍謄本だった。

さっそく、赤坂にある党の東京本部へ急いで届けに行く。
そこの看板がまだ ”太陽の党”となっていたのが
慌ただしさを物語る。

このとき、自分の苦労話や不安な気持ちを、
対応してくださった職員の方に、ぶつけた。
そうでもさせていただかないと、つぶれそうだった。
本当にありがたかった。

すでに日が暮れていた。

それから、何十年も前、私が中高校生のときに
お世話になった方々のお宅訪問がはじまった。

  とにかく、選挙活動に協力してくださる方を見つけなきゃ…

親身になってお話をきいてくださった方、
もしくは、
もう私のことを忘れ、門前払いにした方、

いろいろあって、数時間歩き回った結果、
中学時代に所属していた「大島クラブ」という
野球チームの元コーチに
ハガキを書いていただくことだけお願いできた。


立候補するためにしなければならないことが
頭の中で、優先順位をつけて並んでいたため、
もはや、不安で押しつぶされそうになる余裕はなかった。

夕方、私の愚痴をきいてくださった東京本部の職員の方のおかげもあって。




Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年11月28日(水) -公示日まであと6日-


翌朝、宿舎に洗濯物を干したまま、出勤した。


同じ部署の仲間には、まだ何も伝えていない。

みんなの目の前で、ここでも身辺整理をする。
これほど心苦しい身辺整理はない。

みんなは何も知らず、いつもどおり私と接してくる。
私もいつもどおりに接する。
でも、心は…

  表情は大丈夫か?

別室で退職のための手続きもする。
でも、早く東京に戻って、選挙管理委員会で書類ももらわないと…

このころから、東京選挙区の ”責任者”と称する維新の会の府議の先生から
しきりに私の携帯に連絡が入りはじめた。

自ら行動をおこしたもの、まさか公認されるとは思っていなかった。
もちろん、選挙ははじめてで何をしたらいいのか、まったく分からない。
だから、このときは "責任者”が頼もしく思えた。

ここでも、身辺整理は終わらなかった。
しかし、ついに職場を離れるときが来た。

部長からは、正式に退職するまでは、
他のみんなには黙っておくようにいわれた。

「父親の相続の関係でゴタゴタしているので、
 急きょ東京に戻ります。」

仲間たちへの最後のことば。
あまりに、さみしすぎる…裏切り…

人生、もっとも心が痛んだウソだった。

みんなにお別れだと気がつかれないように
わざと椅子にセータをかけたまま、
職場を去った。


供託金と広報活動費の400万円を指定の口座に振り込んで
新幹線に飛び乗った。

  都庁があいている時間に間にあうのか?

そう焦りながらも、知人という知人にメールをして
選挙活動に協力してくださりそうな知人を探す。
公務員は選挙活動ができないから、
公務員の知人には協力してくださりそうな方の紹介をお願いする。

さらに、党本部からもらった書類にも目をとおす。
でも、イメージがわかない。
つまり、分からない。

でも、さすがに、ポスターやチラシの印刷が必要なことは分かった。
が、そんなものを印刷している業者なんて知らない…

”責任者”にメールで問い合わせるも、まるで返信がない。
ああしろ、こうしろ、とけしかけるメールはしきりに来るのに…

メールを打ち続けているとき、突然、携帯が鳴った。
知らない番号。

  なんだ、このくそ忙しいときに!

そのままデッキに急ぐ。

別の部長からだった。

『この通知をもって正式に退職になります。
 お疲れさまでした。』

「お世話になりました。
 ありがとうございました。」

このことの重大さを痛感したのは一か月以上
経ってからだった。


メールの返信がきはじめていた。

  自分は無理なので、協力してくださりそうな人を探しておきます。

そういった、もっともな、でも、
ありがたい内容のものがほとんどだった。

と同時に、自分の人徳のなさにも気づかされていた。
 
  普段、自分は他人のために何もしていないのに、
  こんなときだけお願いするなんて、
  虫がよすぎるよな…


このころ、
維新の会の最後の公認のニュースが流れていた。


こんな短い旅は生まれて初めてだった。

東京駅から中央線に乗って新宿へ急ぐ。

  6時までに間にあうのか?

勝手に時間を設定した私は、
新宿駅から都庁に向かって走った。

これが結構、遠い…
背中には重いリックを負い、
片手には軽くはない荷物をもったまま走る。
これが、しんどい。

  よし、数分前、滑りこみセーフ

どころか、余裕でセーフだった。
と、いうのも、この時期、都知事選も重なって、
選挙管理委員会はてんやわんやの大忙し。

そんな中、私が候補者ということで、
担当の方が丁寧に対応してくださった。
でも、私の頭の中では丁寧ではなかった。

冊子四冊と、たくさんの書類が入った
大きな手さげの紙袋をいただいた。

  これも税金だよな。

荷物が増えた。


それから、秋葉原に行った。

「今すぐにでも、メールができるパソコンをください。」

実は、私はそれまでパソコンをもっていなかった。
不要だったから。

会計の途中、また、知らない番号から携帯がはいった。

もう、慣れた。

『あさって金曜夕方に、都庁で記者会見がありますから、
 絶対来てください。』

  芸能人でもないのに?

なかば公人になったことを自覚させられた瞬間だった。


  パソコンの使い方も分からない。

  人も集まりそうもない。

  書類の内容も、意味も、書き方も分からない。
  しかも、多い。

  事務所の開き方も分からない。

ここで初めて、選挙事務所の中はどうしたらいいのか
疑問をもつことができたが、事務所の外までは気がまわらなかった。

  ポスターに、チラシに、ハガキに、たすきに…
  制作を依頼すべき業者が分からない。

この時点で、選挙カーやウグイス嬢のことまで
気がまわっていなかった。
ポスター用の写真撮影のことも。

  これらを、公示日までに全て自分でやらなければならないのか…

ちょうどそのとき、”責任者”から
大阪の広告代理店を紹介するメールが入った。

押しつぶれそうになった。

  本当に、これで選挙活動ができるのか?

いつもおいしく食べていたはずの
丼ぶりものがおいしくない。

というより、のどを通らない。
というより、もどしそうだった。

  誰も助けてくれない…

体力的にも、
そして、
精神的にも限界が近づいていた。


Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年11月27日(火) -公示日まであと7日-


まずは、そのラブレター。

「 来る総選挙の準備で大変お忙しいところ、失礼いたします。私は、次期衆議院議員選挙
 候補者第一回公募に応募し、先月に面接をさせていただきました猪野隆と申します。

  現在、すでに全候補者が出そろったころかとは存じますが、どうしても候補者になりたいという私の想いを伝えたく、筆をとらさせていただきました。

  予算、規制、権限などで地方をしばる中央集権をなくし、既得権益にしばられない政治を目指す、そうした必要性は、国のために働きたいと思い国家公務員になって20年あまり、嫌というほど痛感してきました。そして、日本維新の会という、都構想や地方交付税廃止といった具体的に政策を、一部実行しつつ、掲げた初めての政党が出てきたのです。これらの政策を完遂しなければ日本は沈む。だから応募しました。

  ただ、国会議員になることはさりながら、私は演説がしたいのです。橋下代行は、候補者には自分の代わりに上述の必要性を選挙民に訴えかけてほしいはずです。しかし、大変失礼ながら、現在の候補者の演説はマニュアルをただ読んでいるかのような感じで、いっていることも抽象的である、これは私が感じているだけでなく、私の知り合いも口をそろえていっていることです。私なら、聴く者の興味を惹きつけ、心に訴えかけるような演説をする自信があります。

  維新の会は、今回の候補者は150人程度になると聞き及んでいます。しかし、残念ながら、権限ある長のいる地方行政とは異なり、国会では数がものをいいます。だからこそ、国会議員の経験がおありになる石原代表は大同小異を唱え、党勢を拡大することに努めてこられたのではないでしょうか。私を含め、希望者がいるのであれば空白区をつくるべきではありません。

  空白区がないのであればあきらめもつきます。先日、選挙資金がなく立候補を断念した方もいらっしゃると聞いております。是非、私に立候補させてください。演説をさせてください。私は、もう47歳です。政治家になる機会はもうありません。人生はやり直しがききません。このままでは死ねません。お願いします。」


昼休み、党本部のあるビルに行ったときは、
あのご婦人が見当たらず、すんなり二階に上がれた。
そして党の職員にラブレターを渡した。


携帯がなったのは、職場に戻って小用をたしていたときだった。

そうに違いないと思った私は、ばっちい手そのままで携帯をとった。

『島根や鳥取、岩手とか、
 関東でも栃木しかあいてないけど
 それでもよければ、すぐにでも党本部に来て。』

  栃木か~

しばらくだけ迷った。

  取りあえず行ってみるか…
  そうしないと、道は開けないし。

 人生一度きり

そう思って有給をとり、党本部に急いだ。


党本部で即席の面接。

『お金と人は大丈夫なの?』

「お金は大丈夫ですけど、
 正直、一週間で人を集めるのは無理です。」

お金は大丈夫とはいったものの、
もし、私が結婚し、ましてや子どもがいたら絶対無理だった。
私が独身を貫いた理由は、ここにもあった。

すみません、いいわけです。

  だから、ご家族がいながら立候補される方は
  かなりの資産家にちがいない、

と、発言中に一瞬思った。


『ま~、赤帽さんにお願いするという手もあるし。』

『ご家族の方の承諾は?』

「私は独身でして、両親もいません。」


私を止めれくれる人がいなかった。


『じゃー、決まりだな。』

「ちょっと、待ってください。
 一つだけお願いがあります。
 選挙期間中、 昨年亡くなった父の一回忌があります。
 これだけは参列させてもらいます。
 これだけは、人として譲れません。
 絶対に。」

『もちろんだよ。』

『で、選挙区はどこがいいの?』

「できましたら、関東、いや、東京で…」

面接官がとりあえず手元にある紙に目をとおす。

『んっ? 11区ならあいてるね。
 今日、太陽の党の人が辞退したんだ。
 ちょっと、確認するね。』

携帯で維新の会の重鎮と話しはじめた。

『11区大丈夫ですか?
 年齢は47歳です。』

  よしっ。

面接官が携帯を切った。

『よし、決まりだ。
 きみ、運がいいよ。
 昨日までだったら、無理だったよ。』

「あの~、11区って何区でしたっけ?」

地元の江東区が15区ということは知っていたので、
23区のにおいはしていた。

関西出身のその面接官は、またしばらく紙を見た。

『え~と、板橋区だよ。』

「死にもの狂いで頑張ります。」


その直後、党広報用の写真を撮られた。

そのまた直後、
選挙公示日までにやっておくべきこと、
公示日後にやっておくべきことを
10分くらいの間にたたみかけられた。
聞いたことがあまりに多く、かつ
イメージがまったくできなかったので、
ほとんど頭に残らなかった。

NHKの政見放送はすでに撮ってしまったので、
私の場合は、静止画になり、声もアナウンサーのものになります
と言われたことだけははっきり頭に残っている。

そして、いろいろな書類にいろいろ記載し、
たくさんの書類を渡された。

また、
翌日までに供託金と広報活動費用とを合わせて400万円を振り込むこと。
これだけは、きつく言われた。

他の党では、候補者に選挙資金として100万円を渡すらしいが、
維新の会では、候補者から広報活動支援金なるものを徴収する。


それから職場に戻ってからが大変だった。
部長に退職を申し出る。

あまりにも突然のことで、面食らう。
当然といえば、当然。

30分後には退職届を出した。

この前後、職場では、私の見えないところで、
蜂の巣をつついたように、静かに大騒ぎとなっていた。

お世話になった職場に かなり迷惑をかけた。

夜中、宿舎に戻り、身辺整理をはじめた。

翌日、いや、正確には本日中には、
東京都の選挙管理委員会に行かなければならなかった。
だから、身辺整理とはいっても、完全にはできないことは分かっていた。
しかし、できるだけのことはしておきたかった。

このときから、もう、すでに
不安で押しつぶされそうになっていた。



Tag:
| TrackBack:0
実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年11月26日(月) -公示日まであと8日-


三日前、京都嵐山でのんきに紅葉狩りをしていた。

しかし、心中はのんきではなかった。

大蔵省で勤務していた当時
隣の課の職員だった先生のポスターが
不意に目にとびこんできた。

その誇らしげな表情がうらやましった。

「そういえば、ここが選挙区だったな。」


解散があったのは十日前、

その翌日、維新の会は一次公認候補者を発表。

TVの中の若者がみんな活き活きしていた。

「自分はまだよばれないのか」

TVの外の私は、ゴロゴロしながら、焦っていた。


公募の書類審査が通り、面接を受けたのがその一か月前。

結果通知用の封筒に自分の氏名と住所をわざわざ書いて
維新の会の職員に手渡した。

が…

それ以来、合否の知らせがこない。

あのTVを見てから、
何度も本部に電話をかけ、合否結果を照会するも、
しばらくお待ち下さいの一点ばり。

すでに選挙運動をしている候補者を
TVの外から見て、うらやましく思う。

公認候補者がどんどん決まっていく。

自分が希望していた東京の選挙区もどんどん埋まっていく。


公示日まであと一週間近く、もう時間がないのに…

業を煮やした私は、

  もう、直接、党本部に行ってきくしかない、

そう思った。

四か月前、
東京から大阪に転勤になっていたから思えたこと。
この転勤も、まさに運命だった。

勤務後、
宿舎とはちょうど反対方向に位置する本部のあるビルに行き、入ろうとした。

あるご婦人が、数秒間だけではあるが、私にくっついてきた。
 
  うっとうしいな~

と、思ったそのとき、
そのご婦人がはじめて私に声をかけてきた。

『どちらに、行かれるんですか?』

「二階ですけど…
 公募に応募したんですけど、合否の結果がこなくて、
 自分が公認されるのかが知りたくて…」

『私は、このビルの管理人ですけど、
 維新の会さんから、
 誰も入れるな、といわれているんですよ。』

  そういうことは、党の職員にやらせろよな

と心の中だけで思った。

「そうですか、分かりました。」

と、困った表情で帰ろうとしたときだった。

まさに私の人生を変えた一言が
そのご婦人の口から発せられた。

お名刺があれば、私から渡しておくことはできますよ。
 他の方も、よく来られるんですけど、
 お名刺をお持ちの場合、維新の会さんに渡してますし。』

  こんなときに、なんで持ちあわせていないんだ…

焦った私は、ポケットじゅうのポケットに手をつっこんで、
ようやく見つけたのが、東京で勤務していたときの名刺。

かじかんだ手で、自分の名前以外の肩書き、住所、電話番号等々
を書き換え、その汚い名刺をそのご婦人に渡した。

『私なら事務所の中に入れますので、渡しておきますね。』

「ありがとうございます。どうぞ、よろしくお願いします。
 本当に助かります。」

深く深く、頭を下げた。

『ご丁寧にありがとうございます。
 なかには ”なんで中に入れないんだ”
 といって怒りまくって帰っちゃう人もいるんですけど。』

といって、後光の射すそのご婦人はエレベーターの中に消えていった。

そのときは、本当に助かったと思った。


私は、宿舎に向かう電車の中で考えていた。

  本当に、あんな名刺でなんとかなるのか…

  でも、中には入れない。

  ただ、あのご婦人に手紙を託せば、
  自分の想いは伝えられる。

  よしっ、手紙を書こう。

  ことばより、かえって想いは伝わる。

そうして、その晩、想いをつづった。

まさに、ラブレターを


Tag:
| TrackBack:0