連日、
川崎市での上村さん殺害事件に
関する報道がなされているが、
キャスターも、識者も、そして政治家も
共通していることは、
忘れていることである。

2~3年前の、
いじめを苦にして中学生が自殺した数々の事件、
大津市、広島県廿日市、名古屋市での事件
そして、未成年者どうしではないが、
大坂のバスケ部顧問の
暴行等を苦にして高校生が自殺した事件。

しかも、こうした事件があった頃、
『いじめ防止対策推進法』
なるものも成立している。

今回の事件が、
この法律の対象になるか
微妙なところはあるが、
問題の本質はそこではない。

つまり、みんな事件が起きると、
真剣に考え、対策を講じたふりをするが、
その場限りの体裁を整えて終わること
そこが問題なのである。

マスコミも、国会審議でも、
似たような議論は、
数年前に同様の事件があったときに
既にしている。

議論すべきことは、
過去にとった対策や既存の法律が
なぜ有効に働かなかったのか、
そこを洗い出し、
そして、それを踏まえ、
あらたな対策を講ずること。

ただ、テレビなどを見ていると、
今の識者や政治家では到底無理と感じた。

発する言葉が抽象的で宙に浮いている。
なぜなら、自分たちは
いじめられた経験もなく、
不良グループに関わったこともないため、
つまり実体験もないのに、
思い付きで議論しているからである。

人間が思いつくことは限られている。
だから、
議論が数年前のものと同じになる。
そして、時間が経つと興味がなくなるから、
後は考えない。

これでは、
事の本質や根本原因を見極めることはできない。

私の個人的意見はこうだ。

いじめられている子の中には、
恥ずかしくて誰にもいえない子もいる。

特に、親や教師には。
ばれると仕返しがこわいし、
親や教師は、
仕返し防止策までとってくれるとは
思っていない子もいる。

人は、仲のよい人か、
逆に、まったく知らない人に
声をかけやすく、
かえってその中間にある人たちには
声をかけづらい傾向にある、
という話も聞いたことがある。

報道によると、
上村さんも仲のよい友達には、
現状を訴えていたようである。

これらのことを踏まえると、
ある市町村
(すみません、どこか忘れました)
でとっている次のような対策が有効だと思う。

それは、
匿名で児童生徒から相談を受け付け、
内容なども秘密にするという約束で
相談を受けるというところをつくった、
ということである。

秘密のままでは対策はとれないので、
おそらく対策の進行度合いなどを加味して、
どのタイミングで、どこと
連絡をとるのかを慎重に考えるのであろう。
(すみません、正確なところは分かりません)


とにかく、キャスターも、識者も、政治家も、
無責任に、しかも無意識に、
数年前と同じ議論をして
ええかっこしいするのを
見苦しく感じるのは私だけであろうか。



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日本維新の会の石原共同代表が、
党の方針に反し、
トルコなどに原発を輸出するための
原子力協定に国会で賛成する旨述べた際、
同党の大阪系の一年生議員が
『出て行け』と噛みついた、ということがあった。

この議員、よく言えば度胸がある、
悪く言えば礼儀知らずで生意気な
同党構成員に多いタイプだ。

石原共同代表が
『トルコは親日国で大切な国だ』
という旨発言した際も、
トルコ以外にも親日国はたくさんある
と反論したらしい。


しかし、
トルコは他の親日国とはちょっと違うみたいだ。

あるテレビ番組によると、
(何度もテレビネタで恐縮です)
トルコが親日国である理由は、
小さいころの教育にもあるらしい。

明治23年、
オスマンの親善訪日使節団を乗せた
エルトゥールル号がトルコへの帰途、
和歌山県沖で台風によって座礁し、
爆発まで起こして沈没した。

そのとき、
地元住民が総出で救助や生存者の介抱に当たり、
官民あげて
犠牲者の遺体や遺品の捜索も行ったらしい。
犠牲者追悼のための慰霊塔も建てられた。

以上のようなことがトルコの教科書に載っていて、
こうした教科書を読んだ子どもたちが大人になる。
これが
トルコに親日家が多い理由の一つらしい。


他方、中国や韓国では、
旧日本軍に侵攻された歴史に偏った教育をしている。

特に、中国では、
25年前の天安門事件以降、
共産党一党支配への批判をそらすため、
反日教育により力を入れ始めた。
そして、
こうした反日教育を受けた子たちが大人になった今、
反日感情が高まっているといわれている。

私もそうだったが、子どもは
大人の言うことや教科書に書いてあることを
無条件に受け入れがちで、
大人になっても
子どものときに聞いた話が
身に沁みついちゃっているから、
なかなか考えを変えることができない。

教育の影響は、
よくも悪くも、とてつもなく大きい。
そう感じた次第である。



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尾木ママこと教育評論家の尾木直樹先生が、
福井市で行った講演で、
“自分の子どもが万引きをしたとしても怒鳴らず、
『どうしたの?』と優しく声をかけるのがいい“
と語ったと報じられ、
ネット上で議論になっているらしい。

福井新聞によると、尾木先生は、
ほめてあげることで自己肯定感が育つとする持論を披露し、
子どもが自立するには一定量の愛情が必要で、
幼いうちはそれをたっぷり注いでほしい
とも訴えたということ。

これに対し、ネット上では、
“万引きは犯罪だとして、
『いやいや、そこは叱れよ』“
といった指摘が相次いでいるらしい。


しかし、そもそも子どもが、
万引きが悪いことだと分かっているのかによると思う。

悪いことと分かっているなら、叱るのが当然。
悪いことと分かっていないのなら、親が叱っても、
子どもはなぜ叱られているのかが分からず、
とにかく親に叱らないようにしようと、
消極的で萎縮した子に育ってしまうような気がする。
そして、事なかれ主義の大人になるのではないか。

また、子どもの性格を把握することも大事。

叱られても反省できる子か、
反発しかできない子か、
萎縮してしまう子か、

叱るべきか、
叱るとしてもどう叱るのか、
そこは、子どもの性格によるんだと思う。

ただ、私も実際、
尾木先生の講演を聴いたわけではないので、
無責任なことをいってはいけないし、
そもそも子どもがいない私が何を言っても、
説得力はないか…



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高校授業料無償化に所得制限を設けることが
決まったらしい。

制限が年収700万円でも900万円でも、
かわいそうなのが、高校生本人らだ。

どういうことかというと、
授業料が無償の生徒とそうでない生徒とに分かれる。
大人だったら、そこはタブーと分かる。
しかし、そうとは分かっても
知りたくなる、聞きたくなるのが高校生。

授業料無償の生徒らが何らかの形で見下される、
そういった学校や学級がでてきてもおかしくない。

政治家や役人らは、
そこまで思いをはせて議論したであろうか。



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数か月前のことらしいが、
広島県廿日市の中3の生徒が自殺したという報道があった。
この生徒は昨夏からいじめに遭っていた可能性があり、
学校に相談しても解決されず苦しんでいたらしい。
市の教育委員会が設置した調査委員会は、
いじめの可能性があるとみて調べているとのこと。

先月も、名古屋市の中2の生徒が
“死ねと言われた”などのメモを残して自殺したばかり。
市の教育委員会は、
同校の全生徒に無記名アンケートを実施してその結果を公表し、
『いじめがあった可能性は極めて高い』との認識を示していた。

いじめの兆候が見られる時点で学校は本腰を入れず、
自殺があって初めて学校も教育委員会も動く。
こんなことが何度繰り返されればすむんだ。

亡くなってからでは遅い。
人の命をなんだと思っている。

いじめられっ子は、
周りにいじめの事実を訴えかけたくても
なかなかできない。

だからこそ、学校のほうから、積極的に
いじめの実態をつかもうとしなければいけないのに、
逆に、その兆候があっても
親身になって取り組もうとするどころか、
面倒くさがって、
“いじめはない”と信じこみ、そのまま放置したがる。

学校も、教育委員会も、文部科学省も、政治家も、
人の命をなんだと思っている。


たいしたことができない自分が悔しい。



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本日は、江東区の行政評価制度の外部評価委員会のうち、
“子育て家庭への支援”
“地域や教育関係機関との連携による教育力の向上”
の回の様子をご紹介したい。

なお、評価委員会は、社会人でも傍聴できるよう、
夜の7時から2時間かけて行われる。
そして、夜9時の評価委員会終了後も、
職員の方は委員の方ともども残っていたようであり、
夜遅くまで本当にお疲れさまである。

私がいただいた資料も非常に充実したもので、
かなりの時間と労力をかけて仕上げたものと分かり、
これを無料でいただけるわけだから、
非常にありがたいことである。


さて、“子育て”と一口にいっても、
その対象となる“子”というのは、どうやら、
就学前児童から小・中・高校生まで
広く含まれているようである。

そして、子育て家庭への支援策としては、
精神的ものも含めた子育て相談、
保育園等の充実、
育児と仕事との両立の支援、
育児後の就労支援
経済的支援等々があるようだ。

就学前児童から小・中・高校生まで、
子どもの年齢によって子育ての悩みは異なるはずなのだが、
そこを抜きにして、
つまり、各施策が必要とされる背景を抜きにして、
アトランダムに各支援策が議論されるものだから、
傍聴しているほうとしては、
しっくり頭に入ってこなかった。

ただ、経済的施策については、
権限が国に集中しているものだから、
区としては相当苦慮しているというのは分かった。


また、施策実現に関する具体的な指数目標
なるものがあるのだが、
江東区は、
“区内の子育て情報が入手しやすいと思う保護者の割合”
の平成26年度の目標を75%に設定している。

しかし、平成24年度の実績は、48.7%。
『これで、目標は達成できるのか?』
というのは、いの一番に想定される質問だが、
委員からの質問に担当職員の方は答えに窮していたご様子。

その、議事進行役も兼ねていた、質問した委員本人が、
代わりに答えてあげるという始末。
国税庁だったら、長官にご説明する時点で、
いや、室長の時点で、
そうした想定問答が抜けていたら、
そこで、お叱りを受ける。

ただ、税金を使っての効率的な仕事という観点からすると、
その場で、多少返答に窮したとしても、
その場で臨機応変に答えるほうが、
深夜まで残業して、
結果的に無用と帰す膨大な想定問答を準備するよりは、
望ましいのかもしれない。


それにしても、議事進行役を努められていた委員の方、
評価経験者ということもあるのかもしれないが、
かなり頭の切れる方で、かつ思いやりのある方のようだ。


次に、“地域や教育関係機関との連携による教育力の向上”
という点は、
自分が学校に通っていた頃から大きく変化していることを知り、
驚かされたとともに、非常にうらやましいと感じた。

つまり、学校教育とは違う視点からの多様な教育というものを
地域住民や、大学や企業も含む機関と連携して行うことで、
子どもの教育力の向上が図られているのである。

私も、母校に恩返しをすべく、何からの形で貢献したい。



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昨日のブログで、私は、
江東区の外部評価委員の公募に応募したが、
選から漏れてしまったと申したが、
(その理由や選考基準は明らかにされていない)
今回は、まず、そのときに提出した課題作文
(「江東区政の課題と今後の方向性」というテーマで
400~800字の指定)
から紹介したい。

「江東区政の課題は、すでに現在の長期計画にあるように、
 少子高齢化対策、災害の備え、地方分権の推進などであることは明らかである。
 問題はその長期計画の具体的な内容が区民の需要に本当に沿ったものになっているのか、
 そうなっていない場合は、その原因は何か、
 その原因を無くすためにはどうすべきかを明らかにすることにあると考える。
 したがって、これらのことについて、区民に対してきちんと説明責任を果たすことこそが、
 今後取り組むべき課題といえる。
 具体的には、保育所や老人ホームの創設が計画の数で足りているのか、
 計画の数しか施行できない理由やその場所を選定した理由などを
 区民に説明する責任があるであろう。
 
 現在の長期計画にない問題については、
 いじめや体罰の実態をきちんと把握し、予防策や対応策などを明示することで、
 区民が安心して子どもを区内の学校に通わせることができるようにすることが重要である。
 また外国人居住者が増えている昨今、地元や学校において彼らとの交流を進めることで、
 区民、特に子どもの国際人としての素養を育て、
 さらには、現在、カナダのサレー市と姉妹都市を提携しているところ、
 外国人居住者の出身都市などアジアの国々とも
 姉妹都市を提携して交流を深めることこそが、
 江東区を国際都市にする上で重要になってくる。
 
 つまりは、東京、ひいては全国中の市区町村の見本となるような街づくりこそが、
 江東区の今後進むべき方向と考える。」


先日、名古屋市の中学二年生が自殺をし、
残されたメモから、
いじめを苦にした自殺ではないかとされている。

同級生らは、
『この生徒は担任の先生に
 いじめのことで相談をしていた』
『この生徒が同級生に自殺をほのめかしたところ、
 担任の先生もこの生徒に自殺をあおる発言をした』
と証言しているということ。
一方、担任の先生は、
これらのことを否定しているという。

担任の先生のほうがウソを言っている
と決めつけるのはよくないが、
同級生らが、担任の先生を陥れるために、
ウソの証言をしようと事前に打ち合せをした
とは、ちょっと考えにくい。

今回、
私が江東区の外部評価委員の公募に応募した際、
提出した課題作文を載せたのは、
大津の事件のことといい、
こういう悲しい自殺が繰り返されている中、
私の考えていることがいかに重要でるか、
そして、
全国の市区町村でも是非実行していただきたい、
ということを訴えたかったからである。

なんといっても、人の命がかかっている。



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いじめ対策法案、
与党案と野党案とがあって、
どちらも今国会で成立しそうもない。

与党は野党案に対して
『教育委員会や学校ごとに教師、保護者、有識者らによる
 対策委員会の設置を義務づけるのは現場の負担が増す。』
と批判しているらしい。

与党が、いじめ対策を最優先と考えていない証左だ。

野党は与党案に対して
『家庭教育にまで国が責務を課すのはおかしい。』
『懲戒や出席停止は、
 いじめた子への厳罰化に偏りすぎだ。
 指導にとどめるべきだ。』

家庭教育にも問題があるからいじめっ子が絶えない。
指導したくらいで、いじめが無くなるのであれば、
こんな社会問題にはならない。
いじめっ子の性根をなめてはいけない。

いじめの深刻さ、いじめの根本原因、いじめっ子の性根、
こうした実態を知らない先生方が議論するとこうなる。


また、政府の社会保障制度改革国民会議の会長
清家慶応義塾長が
公的年金の支給開始年齢を67~68歳に引き上げてしかるべきだ
とのたまわった。

諸外国でもそういう動きがあるようだが、
老後の心配がない人たちが議論し、結論づけても説得力がない。
支給開始年齢を引き上げざるを得なくした
責任の所在を明確にするのが先だ。


いじめ対策法案にしても、
年金の支給開始年齢の引上げ問題にしても、
実態を知らない先生方に机上で議論させると
こうなる。



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新聞の読み方 | 日記
一昨日のブログにおいて、
あるテレビ番組で、
都市圏とは逆に、過疎化が原因で児童が足りず、
保育所のほうが存亡の危機に立たされている地方も多いという
”待機保育所”の問題が紹介されていた、
と述べた。

その番組の中では、
児童が集団生活を学ぶためには、
やはり身近なところでの保育所の存在は不可欠である、
というご意見があった。

それはそれで、その通りなのだが、
このご意見は、保育士の方がしっかりされているということが前提になる。
そこは、その番組でも問題視していなかった。
その番組に出演されていた保育士の方々が、
みなさん立派な方々だったからだとは思うが。


保育所ではなく、幼稚園のほうの話になってしまうが、
私は、いわゆる年少組のとき、東京の三鷹市に住んでいたのだが、
年長組のときに、東京の江東区のほうに引っ越してきた。

私は、もともとの内気な性格も手伝って、
新しい幼稚園では、周りの友達と打ちとけることができなかった。
大きなコンクリート製のすべり台の上で、一人、ちょこんと座って、
先生やみんなの姿を遠巻きに見ていた記憶が今でも鮮明に残っている。

つまり、そのときの先生は、
その遠く離れたところで、他の園児たちを相手にしていて、
私のことは、ほったらかしだったのである。

自分で何とかしなさい、という意図だったのかもしれないが、
それは園児にとっては酷である。

そこは百歩譲っても、園児一人一人の性格を把握した上で、
それぞれ異なる対応をするというのが、
本来の先生の姿ではないだろうか。

また当時も、いじめっ子とういうのが、やはりいて、
運動会の練習のとき、楽器を演奏しながらの行進で、
私は、後ろにいたその子から、終始つつかれていた。
その後、幼稚園に戻ると、その先生は、
その子と同時に、というか、むしろ私のほうを ”怒る”。
”叱った”のではない。
(1/11付のブログご参照。)

学芸会の稽古でも、
舞台上でその子から何度も足をひっかけられ、
何度も転ぶも、その先生は全くの知らんぷり。

こんな状態では、集団生活を学ぶどころではない。
私はますます内気な性格を強め、
そのいじめっ子は、ますます横暴になるだけである。


現在でも、保育士のミスが原因で、亡くなる児童がいる。

保育士の方々もさまざまな試験を通って資格を取得されているのだろうから、
児童を預かるというだけではなく、
是非、育てるということもしていただきたい。

そうすれば、小学生や中学生の段階で、
いじめっ子という存在が、グーンと減るような気もする。


と、子どものいない私も考えさせられた番組であった。




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新聞の読み方 | 日記
東京の杉並区や足立区などで、
小さなお子さんをもつお母様で、
認可保育所の選考に漏れてしまった方々が、
区に対して集団で異議申立てを行ったりするなど
待機児童の問題が深刻化している。
この問題は、3/5付のブログでも触れた。

そして、昨日25日、さいたま市でも
同様の異議申立てがあった。

ニュース番組で紹介されるまで知らなかったのだが、
選考は点数によってなされているらしい。

だから、お母様方は、少しでも点数を上げようと、
育児休暇を取るのを止めて職場復帰し、
高いお金を払ってお子さんを認定外保育所に預けたり、
親と同居していたのを、無理に別居状態を作り上げるため、
不必要に引っ越しをしたり、涙ぐましい努力をしているということ。

かたや、そうした点数による選考を知らず、
何もしなかったお母様方が選考に漏れる。

点数による選考は、公平なようだが、
応募者の生活スタイルを変えたり、
点数化を知っている人とそうでない人との間に不公平も生む。

抽選のほうが、よほど公平だと思う。

多分、点数の内容とかは、
実態を知らない役人が、机上で考えている気がする。


介護保険でも、同居者がいる場合は、
掃除や洗濯などの家事が対象外になったり、
週末は、原則、サービスを受けられなくなることなども、
人間を機械的にとらえているからこそ。
(1/26付のブログご参照。)

介護の実態を知っている人なら、
家事こそヘルパーさんにやっていただきたいということや、
週末くらいは自分も休まないと精神的にまいってしまうということが
分かるはず。


さて、先日、あるテレビ番組で、
都市圏とは逆に、過疎化が原因で児童が足りず、
保育所のほうが存亡の危機に立たされている地方も多いという
”待機保育所”の問題が紹介されていた。

長くなりそうなので、そのお話は、また後日。



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新聞の読み方 | 日記
昨日4日の衆議院本会議で、
安倍首相の所信表明演説に対する各党の代表質問があった。

自民党の小池百合子代議士は、
国会議員に占める女性の割合が低くなったことをあげながら、
女性の社会進出促進を訴えかけていた。

人間も動物の一種と考えると、つまり、体の作りからすると、
実際に子どもを産み、おっぱいを出す女性のほうが、
子育てむきにできている。

子どももゴツゴツした体の男性に抱っこされるよりは、
女性に抱っこされたほうが気持ちいいはず。

だから女性が育児、というのは昔の話。

人間は、動物といっても、そこは人間。
体の作りがそうだとしても、社会で活躍したい女性もいれば、
家事や育児をしたい男性もいるはず。

女性も男性も社会で活躍したい場合に問題なるのが育児。
保育所に預けたくとも、保育所が足りないという待機児童の問題。

しかも、無理に保育所に入れてもらうと、
こんどは、定員オーバーによる幼児の事故死
という痛ましい事故も実際に起きている。

だから、保育所や保育士の数を増やすことのみならず、
保育士の質の向上も求められている。

このように、子育てでご苦労されている方が多いので、
みなさん、子ども問題にはご熱心のようである。

それは、それで結構なのだが、
私が気になるのは、お年寄りへの対応。

あたかも、お年寄りのみんながみんな
巨額の資産や富を持っていると思われ、
国や地方の財政が厳しいからと、最近、
お年寄りに冷たい政策が増えているような気がする。

ただでさえ医療費がかかるというのに、窓口負担が増えるとか、
何年も前の話だが、税金の老齢者控除が廃止されるとか。


ママたちは、認可保育所の選考に落ちたことで
東京は杉並区に対して集団で異議申立てを行ったり、
放射能の問題などで、子どもたちのことで一生懸命になる。

かたや、お年寄りたちのほうは遠慮しているように見える。

私もそうだが、200円弁当や
スーパーでの賞味期限・時間切れまじかの割引弁当を買う人に
お年寄りの姿がすごく目立つ。
ご婦人方がセールで衣服の取り合い、というのはよくある光景だが、
お年寄りどうしの割引弁当の静かな取り合いもある。


子どもの問題でも、お年寄りの問題でも、
社会、もっと特定してしまうと会社の理解も必要。
育児や介護で苦労されている職員を差別してほしくない。
利益に影響してしまうのは、分からないわけでもないが、
そこは人間なのだから、数字とかで機械的にみてほしくない。


しつこいようだが、だから、私は本人訴訟を起こした。



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日本女子柔道監督が辞意表明

今回は、このニュースについて
刑法チックに分析してみたい。

視点は三つ。

加害者、被害者、そして一般人である。

刑法は、基本、加害者目線でできている。
つまり、その気(故意)がなければ、原則、おとがめなし。
ただ、それってあんまりじゃん、
という犯罪には、例外として過失罪がある。

しかし、昨今、だんだん被害者目線も大事になっくる。

まず、酔っ払い運転による交通事故死。
ご遺族の方々は、これは殺人だ、とおっしゃる。
これは、被害者目線。
でも、残念ながら、刑法は、基本、加害者目線なので、
運転手に殺す気がないかぎり、殺人罪は適用なし。
業務上過失致死罪も軽い。

ただ、それはあまりにもひどい!
そこで、酔っ払い運転などをして、誰かを怪我させたり死なせた場合は、
ただの過失罪よりは厳罰に処すべきだということで、
危険運転致死傷罪や自動車運転過失致死傷罪が新設された。
もちろん、ご遺族の方々にとっては、これでも十分ではないはず。


次に、ストーカー規制法、そして、セクハラやパワハラ問題。
こうした今どきの犯罪や問題になると、被害者目線。
加害者が、自分はその気がなかった、といっても、
通じないことが多い。
被害者がどう思ったかが大事なのである。

もちろん、誰がみてもそれはセーフだろう、
という基準もあるはずである。
それが、一般人の目。

この一般人目線も変わらないようで、
実は、時代や場所によって変わる。
極端な例だが、原始社会では、生けにえのために
人を殺すことさえ許されていた。
戦争の場合は、いつの時代でも。

そして、問題となっている体罰。

刑法では、”暴行”とは、不法な有形力の行使をいう。
問題は、この ”不法”。

殴られる側が同意していれば、刑法的に問題なし。
もちろん、形式的な同意ではダメ。
また、この一環ではあるが、
ボクシングといった格闘競技中も問題なし。
もちろん、一般人目線でも、
これはアカンやろ、というラインというかハードルがある。

問題は、このハードルである。
おそらく、一昔前の体罰であれば、
殴られる側も一般人目線も
今よりハードルが低かったのであろう。
だから、一昔前の世代の方たちは、
体罰を全否定することに
戸惑いを禁じ得ないのではなかろうか。

が、今日日、このハードルが上がっているような気がする。
特に、大阪市の高校で不幸にも自殺者がでてしまったことで。

柔道界の頂きにいる女子柔道選手15名が連名で、
監督の暴力行為などを告発したことは、
被害者側のハードルも上がっていることを示している
とも考えられる。

もちろん、いずれのケースとも、
それだけ体罰がひどかったのではあろうが…
ハードルが上がった現在、
当の教師や監督が、自分は ”暴力”とは認識していなかった、
と弁解したところで、通じない。

日本柔道連盟が、本人が改心し深く反省していることを理由に
戒告処分にとどめたのは、
加害者目線にしか立てなかったからであろう。
あれだけお偉い方々になると、
被害者目線や一般人目線を持てないか。


こうして見ると、体罰といじめの違いも分かってくる。
それは、いじめに加害者目線は関係ないということ。
いじめの実態として
”遊びのつもりだった”
という加害者目線は考慮の余地はないということ。
一般人目線でも、許される ”いじめ”はないはず。

だから、いじめ問題は、
いかに被害者側の目線に立つことができるか、
これがより重要になってくる。

そして、学校側や教育委員会が
自分の立場という、まったく的はずれな視点しか持てなかった、
だから、事が大きくならない限り、隠し続ける。
こうした対応が、大津市の中学生が自殺という、
不幸な事件を引き起こすことになる。

だから、一般人目線で、かつ
被害者の立場になって考えてあげることができる
そういう第三者の目というのがより重要になってくる。

この点、
大阪市の高校や日本柔道連盟の対応をみていると、
やなり体罰問題にも同じことがいえるか。

いずれにせよ、
人の命がかかっている。



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新聞の読み方 | 日記
埼玉県の教職員100人以上が
退職金を減らされる前に今月で早期退職。


3月いっぱいまで働いたら、
70万円損するのだから、仕方がない。

70万円といったら大金である。

埼玉県の上田知事は

  特に担任を持っている先生が辞めるのは不快な思いだ。
  担任の先生が3月まであと2ヶ月のところで辞めてしまうのは
  無責任のそしりを受けてもやむをえない。

といって、早期退職を希望されている教職員の方々を批判したらしい。

と、いうより、
このように早期退職を希望する方々が出てくるであろうことは
労組のほうからさんざん指摘されていたにもかかわらず、
2月1日からの退職金引下げを決めた
行政のほうに責任があると思う。

それなのに、早期退職の意向を示されている教職員の方々を
批判するのは、筋違いであろう。

なぜ、新年度の4月1日からの施行にしなかったのか、
という疑問について、上田知事は

  2月から減額しなければ、39億円の負担が生じるので、
  逆に、国民から『あなたたちは、わざと遅らせている』
  という批判を受けてしまう。

とのたまわったらしい。

それなら、もっと早く引き下げろよ、
という話になるし、
それが、法的に不可能だったとしても、
『わざと』でないことは、明々白々である。

このような推測にもとづいた、しかも
責任を国民に転嫁するような発言はいかがなものか…


実際、東京都では、
一月から退職金を引き下げてはいるが、
こうした事態にならないよう、
自己都合退職の場合は、退職金が減額になるようにしているため、
早期退職希望者はでていないらしい。
(ただ、これはこれで、不利益を受ける側にとって、
 手続上まったく問題ないのか、疑問は残る。)

また、鹿児島県などでは、
退職金の引下げは新年度からと決めているので、
やはり、早期退職希望者はでていないらしい。


先生に苦渋の選択を迫らせるような
そんな仕組みをつくってしまった行政の責任は重い。



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新聞の読み方 | 日記
昨日、NHKのクローズアップ現代という番組で、
生徒が教師を評価している大阪府の高校を紹介していた。

生徒が、各先生について、
”授業が分かりやすい”
”授業がたのしい”といった項目ごとに点数をつけ、
その結果は、各先生に通知される。
しかも、評価が給与の額に反映されるという。

つまり、従来は、校長のみが教師を評価していたのが、
生徒も評価するようになるということだ。

当然のことである。


番組では、二つの懸念が示されていた。

一つめは、単純に、好き嫌いという感情で評価されてしまわないか?
という懸念である。

これは、たしかにある。
人間だからまったくの感情抜きで評価するということは無理である。
校長が教師を評価する際にも、
感情が多少なりとも無意識にはたらいているばずである。

要は、評価するがわの能力にある。
たしかに、小学生が先生を評価するのは問題である。
好き嫌いが唯一の尺度になりがちだからである。
しかし、高校生なら、感情だけに左右されず評価できるはずである。
この懸念は、高校生を信用していないからこそ生じるものだと思う。

なお、この番組にでていた当の高校生たちは、
自分たちの評価で先生の給料が下がってしまい、
先生のご家族にも迷惑をかけてしまうことにならないか
という心配をしていた。
これなら、大丈夫である。


二つめは、先生が生徒におもねいてしまい、上下関係が保てなくなる
という懸念である。

ただ、先生と生徒が、一律的、形式的に上下関係にあるべきだ
という発想にそもそも問題があると思う。

先生がきちんとした授業を行い、生徒のことを親身になって指導すれば、
自然と生徒のほうからその先生のことを尊敬しはじめる。
そこで、はじめて、”上下関係”というものが生まれるのではないか。

要は、先生が結果を出せばよい。
結果がすべてである。
結果が、人格を肯定してしまうことさえある。

たしかに、学校と予備校とでは、
前者には教育という要素が強くなるので、
いっしょくたに考えることはできない。
しかし、生徒が先生を評価するという制度は、
いい方向にむかっているようである。

校長が、生徒の評価に基づいて、各先生に助言する。
ある先生の授業を、他の先生がみる。
それは、ベテラン教師が若手教師を指導するという意味合いもある。
だた、それだけではなく、生徒や校長から指摘された欠点について、
逆にその点で優れている先生の授業をみて、先生が学ぶ、
という意味もある。

そして、その高校の教師全体のレベルが上がり、
生徒の先生、ひいては人をみる眼も養われていく。
そして、それがまた教師全体のレベルを上げていく。
まさに、正の相乗効果である。

番組では、ここまで直接言及してはいなかったが、
明らかに見て取れた。


この番組をみていたとき、
自分がOECD(経済協力開発機構)に勤めていたときの経験を思い出した。

このころは、ソ連が崩壊して、まだ十年も経っていなかった。
こうした時代背景のもと、
私は東欧諸国や途上国に赴き、
税の仕組みや税の調査などについて地元の職員の方々に伝える
という仕事もしていた。

ポーランドのとある田舎町でのできごとである。
当然のことではあるが、私の話を聴いた方々にアンケートをとった。
が、特に問題はなかった。
ただ、このアンケート、通訳もこたえることになっていた。
私も含め、OECD職員のほとんどがポーランド語を話せるはずもないので、
ポーランド語と英語の通訳がついていたのである。

そして、このときの通訳が ”タカシの英語の発音が聴き取りにくい。”
と、こたえたのである。
私の英語はカタカナ発音なので、当然といば当然ではある。
その後、当時の課長にもダメ出しをされ、
私は、この仕事から外されてしまった。
これも、当然といば当然ではある。

ただ、一か月間の猶予をいただた。
この間、英語、特に発音を磨くことに専念した。
昼休みに視聴覚室に行き、ひたすらリピーティング。

そして、一か月後、課長をはじめ、職員を前に模擬プレゼン。
いつしか、問題点は、私の発音よりプレゼン内容に変わっていた。

温情もあったとは思うが、何とか、この仕事に復帰できた。

ちなみに、私は、国際課税についてのレポートをまとめる
という仕事もしていたので、
この一か月間、何もしていなかったというわけではない。


そして、OECDにおける人事評価のことについても思い出された。
国際機関といえども、さすがに当時は、部下が上司を評価する
というところまではいってなかった。
しかし、私の評価は、最終的には、
課長と私の直接の上司と私との三人での話合いで決まっていた。

そのとき、私の英語能力の評価がイマイチとなっていたので、
私は、ブラッシュアップ(向上)したと書き替えてくれとお願いして、
そうしてもらった記憶がある。


以上は単なる思い出話だが、この番組を見て、思うところが二つあった。

一つめは、会社や役所でも部下が上司を評価する制度を導入したほうがいいと。
社会人なら高校生よりは人をみる眼はあるはずである。
ただ、会社は、高校ほどピュアな社会ではないので、
変に派閥争いと絡んで、おかしなことになるという懸念はある。

役所については、私が勤めていたとき、
上司が自らの経験に基づいて部下を指導するといのは、まだ納得できた。
ただ、霞が関の場合、ペーパーでの仕事が多いこと、そして、
経験豊かとはいえないキャリアが上司につくことが多いこともあり、
上司のほうが必ずしも能力があるとは限らないはずなのに、
そのことを認識しながら部下と接している者は少なかったと思う。

とにかく、部下にとっては、ゼロから築き上げるということが大変なのである。
そこから、50までもっていくことがどんなに大変なことか、
ましてや、70までもっていけば、もうそれは大したものである。
ただ、座っているだけの上司の頭の中には既に100がある。
100の頭でいきなり50や70を見れば、
  こいつは何をやっているんだ、
  本当に無能なやつだな、
と思ってしまうことになりかねない。

おそらく、同一人物でも、上司と部下という立場を換えただけで、
同じことがおきるに違いない。

だからこそ、部下も上司を評価してはじめて、
公平な評価が可能となるのではないか。

私は、最後、不当な人事評価を受けた。
だが、もちろん、私がその評価を不当だと主張する場はなかった。
だから、私は行動を起こすつもりである。
それは、自分のためだけではない。
詳しくは、私が行動を起こしたときにブログでも報告したい。


さて、番組をみてもう一つ思ったことは、
さすが、大阪だということである。
今回は、大阪市の高校で部活顧問の体罰が原因で高校生が自殺した
という痛ましい事件もあって、
大阪からこのような動きが出てきたのであろう。
しかし、このような全国に共通するような問題は、
国が率先して取り組むのが本来のありようではないか。

いじめや体罰がこれだけ問題になっている昨今、
もう少し、文部科学大臣の顔が出てきてもいいような気がする。
自分が選挙で敗れた相手だけに残念である。

生徒が先生を評価するという試み、
まさに ”大阪から国を変える”を地で行く取組みである。


なお、大阪の橋下市長は当初、愛情ある体罰を肯定していた。
しかし、元巨人軍で元メジャーリーガーの桑田真澄さんが、
今の時代、体罰による指導はあり得ないと体罰を全否定された後は、
あの頑固な橋下市長も考えを改めた。

なぜなら、野球というスポーツをあれだけ極めた方の発言だったからだという。
つまり、結果を残した者の発言にはそれだけ説得力があるということである。
これは、結果の重さを物語っている。

学校の先生にも、生徒に ”この先生のいうことなら信じられる”
と自然と心から思ってもらえるような先生になっていただきたい。


それは、政治家を目指す私自身にもいえることである。



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新聞の読み方 | 日記
バスケ部顧問の体罰で大阪の高校2年生が自殺


報道によると、この顧問の体罰は常態化しており、
昨年9月にも、この教諭らによる体罰を指摘した通報があったという。

この通報を受け、学校は
この顧問教諭だけに聞き取り調査をし、
生徒には聞き取りを行わなかったという。

しかも、この顧問教諭は、体罰があったという通報に対し、
”えっ”とかいってとぼけ、体罰を否定したという。
それだけで、学校と大阪市教育委員会は、
体罰はなかったと結論づけたらしい。

実は、副顧問の教諭二人もそばにいて体罰を黙認していた
というから最悪だ。
顧問は副顧問二人にとって恩師だったから、
何もいえなかったらしい。
しかし、
恩師なら殺人、といいすぎなら犯罪を見過ごしていいのか。

そして、昨年末、
体罰を受けた生徒が自殺。

そこで、ようやく、市の教育長が再調査の意向を示した。

 自殺がないと、生徒にきかないの?


しかも、体罰でいったん停職処分を受けたバレー部顧問が
処分後再び体罰をし、
それにもかかわらず、校長は、
教育委員会に報告をしなかったことが、後日、発覚。
その理由は、この顧問教諭の将来を考えたためというから、
もう頭がどうかしている。
生徒のことは考えなくてもいいの?
と、誰でもすぐにつっこみたくなる。


これこそまさに、私が先の12月28日付のブログで指摘した

「学校、教育委員会は、いじめを否定するところから始める。
 自殺しない限り、警察もとりあわない。

 社会の犯罪は、警察が取り締まり、裁判所が裁いてくれる。
 学内の犯罪は、誰も取り締まってくれない。

 武道家の先生ではなく、
 警察官にいつもそばにいてほしい、
 でも、現実的でない?

 犯罪なら学校内が一番!

 だって、無法地帯だもん。」

の例である。

いじめっ子と教諭という違いはあるものの。


生徒を自殺に追い込んだほうのバスケ部顧問は、
大阪市教育委員会の再調査で、体罰につき

『選手の気持ちを発奮させたかった。
 試合でミスが続くと、たたくことで、良くなることがある』

と説明したという。


この言い訳の中で、指摘したい点が二つ。

一つ目は、
生徒さんのご遺体の唇は切れ、
頬は腫れていたらしい。

これが、気持ちを発奮させるレベル?

どうどうたる傷害罪である。


二つ目は、
仮に体罰が発奮をうながす程度だったとしても、
体罰を受けて発奮する子もいれば、
傷心するだけでやる気を失せる子もいる。

たしかに、この教諭がバスケ部の顧問になってから、
この高校は全国の常連校になったらしい。

だから、この顧問教諭に肩をもつ意見もある。

ただ、人間にはいろいろな性格の持ち主がいる
という至極当然なことを忘れているのではなかろうか。

教諭だけでなく、会社の上司とかもそうだが、
生徒や部下の性格によって叱りかたを変えたほうがいい。
そうしないと、叱る意味がない。
叱るというのは本当に難しいことなのである。

かくいう私も叱ることができない。
というか、叱りたくなる人物はたいがいもう立派な大人で、
叱ったところで、反発するだけの
もうどうしようもない人物ばかりだからである。

この顧問教諭の場合、生徒を一緒くたに考えていた節がある。
もし、そうなら、この教諭には生徒に体罰を加える資格はない。


また、叱ると怒るとを混同している人が多い。

相手に対する愛情なんかまるでなく、
たんに自分の気分が害されたから怒るという人ばかりだ。


私が生まれてはじめて ”叱られた”と感じた例を一つ。

私が、OECD(経済協力開発機構)という国際機関で勤めていたとき、
上司は、アメリカの女性弁護士だった。

私がはじめてある英語の報告書をまとめたとき、
彼女からえらくほめられた。

そして、また、別の報告書をまとめ、彼女に提出した。

しばらくして、電話が鳴った。

『タカシ、私の部屋に来なさい』

「O.K.!」

と、のんきな声でこたえた。


国際機関だから個室が原則であるが、
通常、部屋の扉は開いたままにしておく。

彼女の部屋に入ったとき、
扉を閉めろ、といわれた。

 やばい…

彼女から叱られた。

『なんだ、この英文は、
 この前は、あんなに立派な英文を書いていたのに、
 本当にがっかりだ。
 タカシならもっとしっかりした英文書けるでしょ!
 やり直し!』

たぶん、こんなことを言われた。
口調はえらく厳しかったが、
私への愛情がひしひしと伝わってきた。
だから、叱られてもすがすがしい。

要は、最初にほめられたもんだから、
私は慢心していたのである。

小学校の担任の先生に叱られて以来である。
ただ、小学生のときは愛情を感じる能力はなかった。


ちなみに、人を叱るときは、
相手の立場を考え、
他の人にはみられないようにするのが
グローバルスタンダード。

日本では、場所がないとうこともあるが、
人前で ”怒る”ことが多い。


その後、報告書を書き直して、再び提出したとき、
その上司は、内容を見ずにそのまま受け取った。


私を選挙で破った文部科学大臣は、
教育委員会への指導を強める意向を示した。

しかし、生徒への聞き取り調査をしない
高校の調査結果をそのまま認めるような
性根の腐った教育委員会、
このようなことを何度も繰り返すような
腐った教育委員会を指導しても仕方がない。

そんなことよりは、日本の学校でも、
この上司のような先生を増やすことのほうが
大切なのではなかろうか。



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新聞の読み方 | 日記
武道家を先生に!

これは文部科学副大臣のご発言
と、12月28日の新聞にあった。

いじめは、ご立派な犯罪。
刑法の傷害罪、暴行罪、窃盗罪、強盗罪、強姦罪、器物損壊罪…
これらの罪の多くは、約3,800年前の
ハンムラビ法典でも裁かれていたらしい。

でも、いじめられた子は誰にもいえない。
仕返しがこわいから。

学校も見つけようとしない。

いじめられた奴は、いじめた奴をいじめ返せばよい!

これは、私の中学時代のバカ国語教師のおバカ発言。
お前は、一人で暴力団に立ち向かっていけるのか!
いじめっ子は腕力がある。
しかも、群れるのがお好き。

勇気を振り絞って、訴えたところで
学校、教育委員会は、いじめを否定するところから始める。
自殺しない限り、警察もとりあわない。

社会の犯罪は、警察が取り締まり、裁判所が裁いてくれる。
学内の犯罪は、誰も取り締まってくれない。

武道家の先生ではなく、
警察官にいつもそばにいてほしい、
でも、現実的でない?

犯罪なら学校内が一番!

だって、無法地帯だもん。
約3,800年前、ハンムラビ法典ができた
文明より幼稚な原始社会だもん。


横で聞いていた政務官が苦笑い

これも28日の新聞にあった。

この政務官、
若いとき、かなりやんちゃだったらしい。
でも、立派に更生された。

それを売りにして本を出し、
国会議員にまでなった。

選挙活動中、演説の聴衆に向かって謝っていた。
さぞかし、気分がよかったろう。

いじめっ子の最大の屈辱は、
いじめた子に面と向かって一人一人謝罪することだから…

若いときに悪いことをして、
大人になって更生すれば、
それを売りにすることができる。

過去の過ちがチャラになっただけなのに、
悪いことをしてこなかった人より
なぜか、世間の注目を集めることができる。

政治家になりたい若い諸君、
芸能人になりたい若い諸君、

犯罪やいじめをするなら今だ!

ちなみに、この政務官、
年が明けて行われた地元選挙区の成人式で、
比例復活で当選した民主党議員より後に紹介され、
「民意の否定」だといって抗議したそうな。
こういう順番って、来賓らにとっては重要かもしれないけど、
主賓である出席者らにとっては正直どうでもいいことで、
それを「民意」の問題にすり替えるとは…



話がそれちゃったけど、要は、
いじめられたことのないやつが
いじめ問題を語っても、解決しないよ。
解決すべき問題の本質が分かりっこないもん。


選挙運動中、一人の娘から嘆願された。

「いじめをなくして、
 おじちゃんしかいない。

 だって、おじちゃんもいじめられたんだもんね。」



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