2017.06.21(Wed):憲法・法律問題

小池都知事と安倍総理の会見である。

まず、前者。
そもそも移転問題が生じたのは、
あるべき盛土がなされておらず、
基準を超える有害物質も
検出されたからだったはず。

だから、そもそも
移転問題の解決に時間がかかるのは、
専門家の意見を聴きつつ、
都民・消費者らが安心できるような
汚染対策を考え、また、
それが無理なら移転以外の道をさぐる、
こうした理由があったからではないか。

昨日のような、
財源・費用の点はもちろん
消費者の安心・安全を忘れたかのような
具体性を欠いたアイデアを出すだけだったら、
こんなに月日をかける必要はなかったはず。

また、
このどっち付かずのアイデア自体も
“素人考えだ”といった批判もあり、
豊洲にも観光客をよべるような
施策を講ずるべきであるという
江東区議会の意向を無視したもの
といってもよかろう。

とにかく、昨日の小池知事の会見は
都民ファーストではなく
選挙ファーストに思えて仕方ない。


次に、安倍首相の会見について。

『何か指摘があればその都度、
 真摯に説明責任を果たしていく。』

このように明言したはず。
しかし、加計問題について
新たな文書が出てきたにもかかわらず、
前文科次官らを証人喚問するなどして
疑いをはらそうとするなど、
真摯に説明責任を果たす姿勢が
まるで見られない。

国会閉会後の異例の総理の会見は、
都議選を目の前にして、
内閣支持率が急落したため、つまり、
選挙対策のため行われたと
思われても仕方がない。

そもそも会期末
“テロ等準備罪”法案について
更なる審議時間を設けるためにも、
与野党間で十日ほど会期を延長する
合意がなされていたところ、
加計問題で新たな文書が見つかったので、
与党は慌てて委員会採決を省略するという
震災特例法の類の法案を扱うような
緊急手段にでて、
加計問題については、
数時間のみの審議で野党のガス抜きをし
幕引きを図ったともいわれている。

このとき政府与党は、
内閣支持率が下がっても
安保法制後に下がった支持率が
すぐに回復したように、
今回も国民はすぐに忘れるだとうと
高をくくっていたらしいが、
今回は森友・加計両学園問題もあって
事情が異なるようだ。

この加計問題については、
仮に首相や副官房長官らの指示が
あったとしても、
『政治主導の行政で何か悪い!』
『憲法72条を見ろ!』
といった声がある。

たしかに、憲法72条には
『内閣総理大臣は…
 行政各部を指揮監督する。』
とある。

だが、一方で憲法65条は、
『行政権は、内閣に属する。』
と規定しており
『行政権は、内閣総理大臣に属する。』
とは規定していない。

すなわち、巷でいわれているように
議院内閣制の日本の総理大臣は、
厳格な三権分立をとる
米国の大統領のように
強い行政権をもっていないのである。

したがって、内閣法6条は、
憲法72条と同65条を受け
『内閣総理大臣は、
 閣議にかけて決定した方針に基いて、
 行政各部を指揮監督する。』
と規定している。

だから、加計問題も、
閣議決定に基づいて
内閣が指示したものであったら、
問題はなかったのかもしれない。

問題なのは、
安倍総理なり副官房長官なりが
お友だちのため個人的に指示した
と思われていることである。


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2017.06.15(Thu):憲法・法律問題

『テロ等準備罪』(“共謀罪”)が
自民、公明、日本維新の会などの
賛成多数により、可決・成立した。

これはテロ防止に不可欠か。

生命・身体・財産などを侵害したら
罰せられる、これが刑法の原則。

だから、刑法に未遂処罰規定がない限り
いくら“危ない”ことをしても
実際に侵害しなければ罰せられない。

それでも、重大な犯罪については、
“危ない”ことをしなくても、
さらに前の予備段階で罰せられる。

ただ、これはもう例外中の例外だから、
殺人や強盗などに限定されている。

“共謀罪”は、
さらにその前段階の
準備行為段階での刑罰を可能とする。

政府は、国会答弁で、
現行の予備罪では、
相当の危険性が認められない限り
罰せられないから
“共謀罪”が必要である旨述べている。

しかし、先に述べたとおり、
予備罪は例外中の例外なのだから
これは当然である。

だから、その前の準備段階なら
相当の危険性がなくとも
罰せられるということにはならない。
むしろ、逆である。

さらに最高裁判例によれば、
予備罪の共犯も罰せられる。
これは、
殺人を計画している従兄から
執ように頼まれた者が
毒物を入手・手交した事件である。

だから、現行法でも十分のはず。

さらに“共謀罪”は、
曖昧な規定で刑罰は科されない
という罪刑法定主義にも
反するおそれがある。

これに反する規定だと、
人びとが委縮してしまい、
自由な行動が制約されてしまうから
憲法31条で保障されている。

弁護士会はじめ、多くの人びとが
言論の自由が制約される旨の懸念を
表明している。
このように既に委縮効果が出ている。

さらに、準備行為での刑罰は
例外中の例外中の例外なのだから、
その対象はかなり限定されるはずだ。
なのに、対象は277の法律にも及ぶ。

そのくせ、政治資金規正法など
政治家関連の法律は対象外である。

もし“共謀罪”が
テロ防止に必要不可欠なら、
一つ一つの法律について、
その必要性を国会で説明すべきだ。
それが説明責任を果たすことであり、
民主主義である。

民主主義は多数決ではない。
審議・討論を重ねながら
多数案に少数意見を取り込むことが
民主主義である。
単なる多数決なら国会は要らない。

なのに、政府・与党らは、
“共謀罪”を『特に緊急を要する』
(国会法56条の3第2項)ものとして
参院での委員会採決を省略して、
いきなり参院本会議にかけた。

これでは、
衆院の専横を抑える役割を
期待されている参院の存在意義は、
もともとないとは言われているが、
ますますなくなってしまうし、
国会内の権力分立をはかった
憲法の趣旨もないがしろだ。

“共謀罪”の成立で見えたのは、
政府・与党らが
憲法や刑法といった法、そして
民主主義のイロハも知らない
ということだ。


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2017.01.28(Sat):憲法・法律問題

一昨日、韓国の裁判所により、
2012年に韓国人窃盗団が
対馬の寺から盗んだ仏像について、
元の所有権を主張する韓国の寺に
引き渡すよう命じる判決が下された。

ただ、裁判所は、
韓国の寺がある地域に
倭寇が5回侵入したとの記録がある、
像内にあった記録物に
高麗時代を示す年号などが記されている、
これらだけを理由に
以上のような判決をしたらしい。
倭寇が強奪した証拠もないのにである。

仮に仏像の元の所有権が
韓国の寺にあったとしても、
自力救済禁止の原則や
時効の概念というものを知らないのだろうか。

あまりにお粗末な判決である。

これ以外にも、過去には、
日本の賠償問題についても、
日韓基本条約を無視した判決を出している。

司法だけではない。
法令の効力は施行前に遡及してはならない
という法の常識を無視した立法もしている。
日本の憲法でも韓国の憲法でも
遡及処罰の禁止や法の不遡及が明記されている。

それにもかかわらず、
韓国は、日本に併合されていた時代に
親日派が得た土地や利益を没収する
という法律を十年以上前に制定し、
祖父母や親から受け継がれた土地などを
遡及して没収した。

こうした事後法は他にもいくつかある。

韓国の司法、立法、行政は世論に左右される
という話を聞いたことがある。
もはや法治国家とはいえない。

一昨年末の慰安婦問題の合意についても、
十億円を受け取りながら、
慰安婦像の撤去については、
日本政府と韓国の市民団体とで
直接話合ってくれといいだす始末で、
もう滅茶苦茶である。

米国のトランプ大統領の発言が
いろいろ物議を醸しているが、
法令に抵触するようなことはしていない。

韓国は、トランプ大統領以上に
まともにつき合ってはならない相手なのか?


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2016.07.22(Fri):憲法・法律問題

同じように感じている都民の方も
おられるかもしれませんが、
都知事選の候補者は三名しかいない、
こうした間違った印象を与える
マスコミ報道の在り方は、
いかがなものかと思わざるを得ません。

視聴率のことなどを考えると
仕方がないとも思ってしまいますが
特にTVは、
放送法四条一項二号に違反している
疑いがあるのではないでしょうか。

特に国政選挙のときには、
候補者にモザイクを入れる徹底ぶりなのに
なぜ今回の都知事選は、
特定候補者のみ極端に露出させることが
許されるのでしょうか。

たしかに、新聞については、
公職選挙法でいうところの
『表現の自由の濫用』
とまではいえない以上、
違法とまではいえないかもしれませんが、
やはり、ここは、
候補者は平等であるという建前を
貫くべきだと思います。

国政選挙では、私自身、
無所属であるが故に、
政党所属候補者とは異なり、
政見放送に出られない、
掲示板以外にポスターを貼れない
という差別を受けてきました。

ただ、国政選挙については、
『選挙制度を政党本位にするという
 政策目的に十分合理性がある』
という旨の最高裁判所の判例もあるので
百歩譲れるとしても、
都知事選は、
議院内閣制のようなものがとられてない
地方公共団体の行政の長を
選ぶための選挙ですから、
他の18名の候補者も
平等に扱われるべきでしょう。

ただ、一方で、注目されるが故に、
誹謗中傷の対象になりやすいという
マイナス面はあります。

ここに、応援する者たちの、
組織人としての悲哀というか、
思考停止をせざるを得ない悲哀が
感じられます。

例えば、普段、
合法カジノ創設を推進している議員が、
政党が応援しているという理由で、
合法カジノ創設に反対している候補者を
応援せざるを得ないという現実があります。

だからなのでしょうか、
応援する候補者が訴える政策や主張
(そもそもこれも薄弱ともいわれてますが)
を強く推すような記事よりも、
相手候補者の揚げ足を取る記事が
SNS上でも氾濫し、
誹謗中傷合戦が繰り広げられているのは
本当に見苦しくて仕方ありません。

とはいうものの、
他の18名の候補者の訴えも
選挙公報で読みましたが、
中には、実現性を無視して
言いたいことだけ言っている
こうした印象がどうしてもぬぐえない
ものもあります。


都知事選まであと約一週間、
誰に投票すべきか、
本当に迷ってしまいます。


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2016.03.04(Fri):憲法・法律問題

私の最近の記事は
批判めいたものばかりで恐縮なのだが、
今回も、あまりに唖然とさせられたので、
あえて述べさせていただきたい。
維新の党が民主党に合流してできる
新しい政党名の公募について。

そもそも民主主義の本質は
国民の意見を国政に反映させることにある。
ただ、一人一人の意見を反映させることは
現実には不可能なので、
多種多様な国民の意見をある程度集約した上で
国民の代表者による国会での審議を経て
国政に反映させる、
という形がとられている。

政党は、このうち、
多種多様な意見の集約という点で
重要な役割を果たす。
だから、政党にとって、
政策や綱領というものが命になる。
そして、その政策といったものを
表わしたものが政党名になるはずである。

なのに、
合流してできる政党の政策や綱領を決めないまま、
政党名を決める、
しかも公募で決めるというのは、
あまりにナンセンスである。
政策とかではなく、
有権者に人気のありそうな
目新しい政党名で当選者増を図るというのが
あまりに露骨すぎて、
むしろ、すがすがしささえ感じる。

新しい政党についてはっきりしているのは、
『政治の流れの転換点をつくり、
 野党結集の大きな核となる』
(民主党と維新の党のHP)
ことなのだが、これは政策とはいえない。

もちろん、
これに賛同して票を投じてもいいし、
新しくできた政党の政策や綱領に賛同して
票を投じるということもあろう。

ただ、先に政策なども決めずに、
有権者に人気のありそうな
目新しい政党名で
有権者の関心をひこうという態度が
民主主義を理解していないというか、
われわれ有権者を
あまりにバカにしているように思えて
しかたがない。

われわれ有権者の見識が
試されているのかもしれないが、
この政党名の公募が
世間ではあまり盛り上がっていないというのは、
当然といえば当然なのかもしれない。



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2015.07.05(Sun):憲法・法律問題
ご覧になった方もおられると思うが、
先月下旬、ある報道番組において
日米地位協定に関する特集の中で、
同じ敗戦国でもイタリアやドイツでは、
駐留米軍の演習や訓練には各国政府の同意が必要で、
土壌汚染など基地内の環境問題についても
国内法が適用されるなど、
駐留米軍基地にも各国の主権が及んでいる旨
紹介されていた。

日米地位協定に関しては、昨年、
日弁連も改正意見を書面で表明しており、
その資料によると、
ドイツやイタリアだけでなく、
韓国など他国に駐留する米軍基地にも
各国の主権が及んでいるようである。

こうした国々と異なり、
日本駐留の米軍基地が依然治外法権化していたり、
戦後70年経っても、
米軍基地"周辺"の制空権は米国に握られたままなのは、
日本の有事の際は米軍が守ってくれても
自衛隊は米国を守る必要がないとか、
今まさに議論となっている
集団的自衛権が行使できないとか、
そういったことと関係しているのかもしれない。

(なお、米軍基地"周辺"とはいっても、
横田基地の場合、関東甲信越地方の1都8県を含む、
高さ約7,000メートルの巨大な空間が
米軍の管制下にある。ただ、
一定の高さに限り民間機等の飛行が許されており、
一昔前のように羽田空港を離着陸する際に
大きく迂回する必要はなくなっている。)

集団的自衛権の行使を認める
安保関連法案も、
テロの脅威などにさらされている
現在の世界状勢からして
わが国だけが何もしないわけにはいかない
という背景があるようである。

そして政府は、これらのことについては、
内閣の専権事項である(憲法73条2,3号)
外交の一環として考えている。

しかし、そうだとしても、
憲法つまり日本の主権や人権が
外交によってないがしろにされていいわけがない。
(学説もこちらのほうが多数説)
やるんなら、
憲法改正手続きをきちんと踏むべきで、
参院では与党が改正発議要件の2/3に満たないとか、
時間がかかる、というのかもしれないが、
それが法治国家というものである。

今の政府・与党や外務・防衛官僚は、
沖縄の方々をはじめ、
同じ日本人の声には耳を傾けようとはせず、
異国のはずの米国のほうばかり向いている。
日本の主権や人権といった基本中の基本に
頭がまわっていない。

先にあげたイタリアやドイツでも、
国民の声に応えて、
死亡事故が起きた場所での低空飛行訓練の禁止や
地位協定の改正による基地内の主権回復を
実現させたらしい。

“マスコミを懲らしめる必要がある”
といった一部自民党議員の発言も然り、
今の一部国会議員や官僚は、
あまりにも憲法感覚がなさすぎる。


私のように、
きちんと勉強し直していただきたい。



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2013.12.13(Fri):憲法・法律問題
みんなの党からの14人の国会議員が離党、
維新の会からも東国原氏が離党した。
これら離党者は、江田氏以外全員、比例代表だ。

離党で問題となるのが、
比例選出の議員が比例で選ばれた政党を離れても、
国会議員のままでいられるのか、ということ。

公職選挙法によると、
他の既存政党に移った場合に限り当選が無効となるが、
今回のケースは、これに当てはまらない。

ふつうの感覚からすると、
比例投票の場合、
我々有権者が投票用紙に書くのは、
個人名ではなく、あくまで政党名なのだから、
離党したら辞職してもらうのが自然に思える。

このふつうの感覚にしたがったのが、東国原氏。
田嶋陽子氏にせよ、竹中平蔵氏にせよ、
著名人は、食いぶちに困らないせいか、
国会議員という身分に
あまりこだわりをみせない方が多いようだ。

かたや、みんなの党の離党者は、
新党を立ち上げる必要もあってか、
議員という身分にしがみついて離れようとしない。

学説にも、賛否両論ある。
国会議員の自由意思を尊重して
辞める必要はないとする説、そして
政党に託した国民の意思を尊重して
辞める必要があるとする説がある。

国会議員は、有権者の命令を聞く必要はなく、
大幅な裁量がある、というのが通説だ。

これは、われわれが医師に治療をお願いするときに、
治療法は、原則として医師にお任せするのに似ている。

しかし、国会には、
千差万別な個々の国民の政治的意見を、
政党を介することによって一定にまとめ上げ、
そして、審議などをとおして
国政に反映させるという役割・機能がある。

そうすると、
国会議員は有権者の命令を聞く必要はなく、
議員の自由意思が尊重されるといっても、
政党に託した国民の意思のほうが
尊重されて然るべきようにも思える。


さらに問題なのが、
国会議員が離党した際、
政党から交付されたお金を
離党した政党に返還すべきか、
ということである。

この問題につては、法律がないようで、
例えば、民主党を離党した議員は、
多分、お一人だけを除いて、全員、
後援会団体や政治団体に資金を移動させるなどして、
返還していないようである。

政党から議員個人(正確には政党支部)
に交付される資金には、
支持団体・個人からの政治献金のほか、
我々の税金(政党交付金)も含まれている。

税金の私物化といっても過言ではあるまい。



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2013.12.07(Sat):憲法・法律問題

来年6月に開幕するサッカーW杯ブラジル大会、
組合せが決まり、日本は、初戦、
コートジボワールと戦うことになったみたいだ。

しかし、肝心の会場のほうは、
先日、建設中のスタジアムが半壊するなど、
12会場のうち、半分の6会場が未完成だという。
さすが、何ごとにも大らかなラテンの国。

ただ、W杯はまだ半年以上ある。
もっと深刻なのが、
開幕まで二ヶ月を切った冬季ソチオリンピックだ。

先月下旬の段階で、多くの会場が未だ建設中で、
現地を視察したプーチン大統領も、
現場で働く人に向かって
『君たちの新年は、パラリンピック閉幕の翌日だ』
といって、キレたらしい。

気になるのが、その後、
建設現場の取材が禁止されたということ。
まるでソ連時代に戻ったようだといわれている。

国のメンツというのも分かるが、
たしかに、これでは、1985年の
“グラスノスチ(情報公開)”による言論の自由化
というのは何だったのだろう、
ということになる。

言論の自由というと、さらに、さかのぼれば、
戦後の日本で、
民主化、日本国憲法をもたらしたGHQも、
一方で、徹底的な検閲を行っていた。


大国というのは、本当に節操がない。
さらに厄介なのは、
その自覚がないということである。



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2013.11.21(Thu):憲法・法律問題
昨日、最高裁判所の大法廷で、
昨年末の衆院選での一票の格差(2.43倍)が
投票価値の平等(憲法14条)に違反するかどうかについて、
“違憲状態である”という旨の判決がなされた。

そもそも“違憲状態”と“違憲”とは、
どこがどう違うかというと、
本当は、投票価値の平等(14条)に反するんだけど、
国会も、一気には見直せないだろうから、
一定の間猶予が与えられているわけで、
まだ、その猶予期間内なら“違憲状態”
その猶予期間を過ぎたら“違憲”ということである。

平成21年の衆院選も“違憲状態”だったと
別の最高裁判決が平成23年に出てたんだけど、
それから1年9か月もの間、
国会が具体的な見直しもしないうちに、
昨年末、解散総選挙やっちゃったけど、
それって、猶予期間を過ぎちゃってるから“違憲”じゃね、
というのが今回の裁判の争点だった。

そして、昨日の判決では、
そもそも猶予期間(判決では『合理的期間』という。)というのは、
1年9か月といった期間の長さだけではなく、
いろいろな事情もあわせて
総合的に考慮しなければならないとされていた。

そして、昨年の衆院解散前に0増5減の法案を通すなど、
国会も一応努力しているみたいだから、
まだ、合理的期間を過ぎたとはいえないとしたのである。


そもそも、議員定数とか選挙の区割りを決めるのは、
国会であって、裁判所ではない。
でも、そうした裁量が国会にあっても、
さすがに最高法規である憲法に反することはできない。

そこで、憲法に違反しているかどうか
そこをチェックするのが裁判所である。

昨日の最高裁判決は、
こうした三権分立というのをきちんと尊重している
と感じた。

マスコミだと、
国会が判決に従わないのは三権分立に反する
といった論調のほうが強いが、
昨日の最高裁の判決は、
裁判所が国会の裁量に軽々しく口をはさんではいけない、
といった逆の調子から、
三権分立の重要性をいっていたような気がする。

さすがは、酸いも甘いも知り尽くしている最高裁判事。
単に目立ちたいだけの高裁判事とは一味違う。

また、先ほど述べた平成23年判決より前は、
最高裁も、格差が3倍未満なら合憲としていたのを、
平成23年になって、急に
『2倍未満でなければ“違憲状態”』
としたものだから、
『合理的期間』というのを大目に見てやったのかもしれない。

ちなみに、なぜ2倍がボーダーラインかというと、
一人一票であって、二票はアカンやろ、
ということからきている。
だから、学説ではずっと前から2倍未満でなければ
平等原則に反するといわれていた。

じゃー、1倍にすべきじゃやないか
とも思われるかもしれないが、
どこの区域であっても、人口は常に変わるし、
選挙の区割りも、行政区画とかあって、
定規で線を引くようにはいかないだろうから、
1倍にすることも現実的ではないといわれている。
(昨晩のあるテレビ番組では、
 そんなことも知らない(ふりをしている?)
 某大学教授が偉そうにコメントしていた。)

ところで、昨日の最高裁は、
0増5減は、あくまで見直し過程といっている。
だから、国会もこのまま何もしなければ、
次は、“違憲”判決が出るだろう。

それでも、国会が何もしなければ、
その次は、選挙無効判決が出るだろう。

そうしたら、消費税増税もなかったことになる?



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2013.10.18(Fri):憲法・法律問題
最近、ニュースになっている
『特定秘密保護法案』。
本来、国民が知るべき情報まで
秘密にされてしまうのではないか
危惧されている。

だから、与党内でも
公明党は、この法案に消極的だった。
が、『知る権利』や『報道・取材の自由』などの
文言が明記され、担保されることで、
この法案を了承することになった


もともと昔は、王様独裁の世の中だった。
例えば、王様が自分勝手に税金をつくることができた。

しかし、こうした独裁をやめさせるために、
権力を王様一人に集中させることから
多くの機関に分散させる
という方法がとられるようになった。

例えば、立法権は国会、行政権は内閣、
そして司法権は裁判所という三権分立も、
権力を分散させる手段の一つである。

そして、同じ国会でも、
衆議院と参議院とに分けることで、
権力の分散が図られている。
だから、衆参のねじれというのは、
決して悪いことではない。

むしろ問題は、妥協力の欠如にある。
“妥協”とは、一方的に譲るという意味ではなく、
お互いが譲り合って一致点を見出すという意味だ。

ねじれ結構、
そのねじれ状態から妥協点を見出すこと、
しかも、素早く妥協することこそが、
独裁政治を防ぐための、
政府与党の独善を防ぐための、
本来のあるべき姿なのである。

それなのに、
衆参のねじれは、
決められない政治を生むから悪い、
参議院は不要、あるいは、
ねじれが解消してよかった、
というような言われ方をされる。

それまでは、
参議院は衆議院のカーボンコピー
と揶揄されていたのに…

そうではなく、
今回の特定秘密法案の与党内合意でみられたような
素早く妥協する力があればいいのである
(ただ、集団的自衛権や消費税の軽減税率など
 自民党・公明党間で懸案事項は多い)。

その力が政治家にないから、
政府与党や衆院の暴走を防ぐための
“ねじれ”が悪者扱いにされるのである。

最近の米国議会にも
同様の状態が見受けられる。

ただ、
妥協する力を身に着けるのは難しい。

長くなりそうなので、つづきは後日。



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2013.08.09(Fri):憲法・法律問題
集団自衛権、すなわち、
日本と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を
日本が直接攻撃されていないにもかかわらず
実力をもって阻止する権利について、
日本政府は、憲法上その行使は許されない
と解してきた。

そして、この権利の行使容認派である外務省官僚を
内閣法制局のトップ(長官)にすえることで、
安倍総理は、
集団自衛権の解釈を変えようとしているのではないか
と騒がれている。

しかし、そもそも
集団的自衛権を解釈する者はいったい誰なのか?
あるいは、どこにあるのか?

まず、考えられるのが最高裁判所。
憲法上、法律などの解釈権は
裁判所にあるとされているからだ。

ただ、問題は、具体的な事件が生じて、
誰かが訴えを起こさない限り、
裁判所が解釈を示すことはない。
つまり、今、
集団的自衛権が問題になっているからといって、
最高裁判所の長官が、ひょこっと出てきて、
その解釈を示すようなことはない。

しかも、仮に具体的に裁判になったとしても、
おそらく裁判所は解釈を示さない。
なぜなら、最高裁判所は、
日米安全保障条約などの合憲性について
『直接国家統治の基本に関する
 高度に政治性のある国家行為のごときは…
 裁判所の審査権の外にあり、
 その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの
 政府、国会等の政治部門の判断に委され、
 最終的には国民の政治判断に委ねられている…』
と示しているからだ。

この最高裁判所の見解に従うならば、
集団的自衛権の解釈権は、政府か国会にある。
ただ、
“その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負う”
とか
“最終的には国民の政治判断に委ねられている”
といった文言からすると、
全国民の代表からなる国会が解釈を示すのが筋だ。

しかし、与野党が対立する国会で
統一的解釈を示すのは現実的には無理。

そこで、政府が解釈を示すということになるのだが、
解釈権が内閣法制局長官個人にあるはずがない。
やはり、憲法上、行政権の主体とされている
内閣にあるのであろう。

だから、少なくとも、集団的自衛権のような
高度に政治性のある問題については、
内閣の下にある附属補助機関にすぎない法制局に
統一的見解の作成・解釈を任せるのではなく、
内閣を構成する大臣らが責任をもって解釈をすべきだ。

そして、その内閣が決めた解釈を示すのは、
内閣法制局長官ではなく、
内閣を構成する大臣の首長である内閣総理大臣
というのが自然であろう。


だから、内閣法制局長官となる一個人の思想をもって
騒ぐこと自体がおかしいはずだ。



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2013.04.22(Mon):憲法・法律問題
今までにも数回、このブログでも
マスメディアがいったことをそのままお伝えしたことはあるが、
それでは独自性を発揮できなくなると思い、
なるべく控えるようにはしてきた。

しかし、昨日21日の朝、テレビ朝日系列の
”報道ステーション”で、まさにそのとおり、
ということを解説者がおっしゃていたので、
今回は、そのことをご紹介したい。

一票の格差を解消する ”0増5減”に基づく区割法案のことである。
(一票の格差問題については、3/7、3/27、4/4付のブログご参照。)

先週、衆議院の特別委員会でその法案が採決されたのだが、
その際、野党各党は、
”0増5減”だけでは、定数削減が担保されないなど不十分だとして
特別委員会を欠席した。

その前に、伊吹衆院議長は、野党各党に対し、
委員会に出席して議論することは無駄なようにも見えるが、
実は、重要な役割を果たすんだ、という”無用の用”を説いて、
出席するよう呼びかけた。

しかし、野党各党は、結局、委員会を欠席し、
緊張感ないまま、区割法案は可決された。

ここは、衆院議長のおしゃるとおりで、
国会の場において、各党は、一票の格差や定数是正について
その考えるところを明らかにし、与党と議論を尽くした上で、
法案を採決することが肝要である。

これでは、国会は、”無用の長物”のままである。


以上のようなことをおっしゃっていた。

私もそのとおりだと思う。

たかしに、マスメディアを通じて、
野党各党の考えはすでに知れ渡ってはいるが、
国会の場で議論するというところに意義がある。

国会議員の歳費(給料)は、われわれの税金から払われている。
まさに、税金泥棒である。


この野党各党が特別委員会を欠席したことについて
野党各党、そして地元選出議員がどのような釈明をしているのか、
もしくは、そもそも説明責任を果たしているのか、
そして、与党の場合は、どのように考えているのか、
次の選挙の投票先を決めるためのバロメータとなろう。



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2013.04.17(Wed):憲法・法律問題
本日は、昨日のブログのつづき。

自民党の憲法改正草案では、
現行憲法21条で保障されている結社の自由について、
公益及び公の秩序を害することを目的とした結社は認めない
と明記している問題。

これは、自民党のQ&Aによると、
オウム真理教に対して破壊活動防止法を適用できなかったことへの反省
を踏まえたものらしい。
しかし、これは、サリン事件が起きてからの問題。

先週の衆議院の予算委員会で、民主党代議士が指摘していたのは、
自民党のような案では、
戦前の治安維持法のような法律を認めることにもなりかねないということ。

そして、オウム真理教のような団体への懸念については、
自民党案のように明記しなくとも、
現行憲法で十分対応できるということ。
そうした最高裁の判例があることも、内閣法制局から紹介されていた。

これに対し、安倍首相は、
オウム真理教のような反社会的な団体を取り締まるためには、
改正案のように明記して強調する必要がある旨、答えていた。


以上のやりとりは、”公共の福祉”の意味から考えると分かりやすい。
この意味については、いろいろ学説があるようだが、
大きく二つに分けることができると思う。

一つは、”公共の福祉”という言葉から素直にイメージされる意味。
つまり、社会秩序維持や社会福祉実現などのためにする政策的な制約。
”政策的”ということは、
立法府・国会に裁量が認められているということ。
だから、戦前のように過度な人権制約を認めることになるのではないかと、
まさに前述の民主党の代議士が指摘したような問題があるとされている。

もう一つは、政策とか、立法府・国会の裁量とかとは全く関係がなく、
人権そのもの自体に備わっている、普遍的で本来的な制約。
だから、国会とか、誰かが制約の内容を決めることはできない類のもの。
そもそも、誰かが決めるという性質のものではない。

例えば、結社の自由といっても、
犯罪を目的とした結社の自由は認められていないとされているが、
これは、政府や国会が決めたことではない。
誰が何といおうと、結社の自由に元来備わっている制約である。

以上の一つめの意味の制約が、”外在的制約”、
そして二つめの意味の制約が、”内在的制約”ともいわれている。


だから、民主党の代議士が主張していたのは、
反社会的な団体を取り締まるにしても、
内在的制約で十分であるということ。

他方、安倍首相や自民党が主張しているのは、
外在的制約まで必要であるということ。

ご本人たちは、ここまで意識されて質疑応答されていたかは、
分からないが…


だから、自民党の憲法改正草案では、
”公共の福祉”ということばについて、
内在的制約のみならず外在的制約という意味も含まれていることを明確にすべく、
”公益及び公の秩序”と改正している。

そして、外在的制約も含めて解すべき理由については、
自民党のQ&Aによると、
”個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑をかけていけないのは当然のこと”
となっている。

しかし、これは、自民党が同じQ&Aでいっている、
内在的制約としての ”人権相互の衝突の場合”を
単に言い換えたにすぎないものである。

つまり、”公共の福祉”ということばの意味について、
外在的制約も含めて解する理由のところで、
内在的制約の必要性をもって説明してしまっているのである。


いずれにせよ、自民党の憲法改正草案は、
他の多くの方々がおっしゃっているように、
現行憲法より、人権制約が色濃く出ているような気がする。

例えば、消費税率引上げの際に消費税還元セールを禁止する法案なるものがあるが、
これは、営業に自由に対する外在的制約である。
(営業の自由は憲法に明記されてないが、最高裁の判例で、
 22条の職業選択の自由の一環として認められている。)

外在的制約は、営業の自由といった経済的自由の制約にはなじむが、
表現の自由といった精神的自由にはなじまないともいわれている。

ただ、自民党のQ&Aによると、
表現の自由や結社の自由といった精神的自由といえども、
どこまでも自由である内心の自由とは異なり、
社会的に表現する段階になれば、一定の制限を受けるのは当然のこと
とされている。

これはこれで、いっていることはおかしくないと思う。


自民党の憲法改正草案や、そのQ&Aをながめていると、
有識者からのヒアリングや起草委員会での議論を経てできたものなので、
今の憲法で問題とされている点について決着をつけようという姿勢、
そして、通説を認め、それを明文上明らかにしようという姿勢が見受けられる。

しかし、特に自民党の思いの丈が込められているところについては、
改めて専門家にきちんとチェックしてもらっていない
と思われるところも散見される。


今度の夏の参院選で、憲法改正が争点になりそうだが、
各党の案やQ&Aをみるときは、
当然のごとく、もっともらしいことが書かれているので、
その内容を吟味することがとても大事になってくる。



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2013.04.16(Tue):憲法・法律問題
先週の衆議院予算委員会で、
民主党の代議士が安倍首相に対し、
自民党の憲法改正草案について質問をしていた。

自民党という政党のことに関して、
内閣の一員である首相に質問するのも、どうかとも思ったが、
国会で、しかも国民にアピールするような形で質問するためには、
これしか方法がなかったのであろう。


そこで、誠に恥ずかしながら、
初めて自民党の憲法草案なるものをじっくりみてみた。

まず、驚いたのが、国民にも憲法尊重擁護義務を課していたこと。
これは、憲法の意味をまったく理解していない。

そもそも、憲法とは、絶対王政を否定するため、
権力を制限することにより国民の自由や平等を保障する、
こうした考えを基本理念としている。

だから、現行憲法も、99条で、
国会議員や裁判官をはじめとする公務員、
天皇にまで憲法尊重擁護義務を課している。
しかし、国民には課していない。

自民党のQ&Aによると、
国民も憲法を擁護するのは自明
といったことが書かれているが、これは事実上の問題である。
これを憲法に明記することは、
憲法に異質なものを盛り込むことになる。
憲法に明記することではなく、明らかにおかしい。


次に、大きな争点となるであろう9条の問題。
自民党案では、国防軍の創設となっている。
その理由については、Q&Aによると、
軍隊を保有することは今の世界の常識、
といった単純な現状追認ということになっている。

この問題については、私は、結論としては賛成するにしても、
もっと、日米安保も含めた将来のわが国の安全保障のあり方を
国民全体で検討する必要があることは、
4/6付のブログでも述べたばかりなので、ここでは、これ以上は語りません。


さらに、民主党代議士が指摘していた、
21条の表現の自由、
その中でも、結社の自由の問題。

自民党案では、
公益及び公の秩序を害することを目的とした結社は認めない
と追記されている問題である。

この改正は、Q&Aによると、
オウム真理教に対して破壊活動防止法を適用できなかったことへの反省
を踏まえたものらしい。
しかし、これは、サリン事件が起きてからの問題。


これ以上は、ちょっと長くなりそうなので、
つづきは、後日にさせてください。



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2013.04.09(Tue):憲法・法律問題
昨日8日のニュースで、
円安・株高や北朝鮮のニュースの陰に隠れ、
あんまり大きく取り上げられていなかったが、
次のニュースが非常に気になった。

それは、1957年夏、米軍の旧立川基地にデモ隊が侵入した砂川事件で、
駐留米軍を違憲とした一審判決後、
田中最高裁長官(当時)が上告審公判前に、
駐日アメリカ首席公使に会い

『判決はおそらく(1959年)12月』

『結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、
 世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている』

などと、公判日程や見通しを漏らしていたことが、
米国立公文書館に保管された秘密文書(情報源は、自民党・外務省)
でバレちゃったというニュース。

ここから、自民党と裁判所との間で
こんなやり取りがあったんだと推測できてしまう。

当時の自民党いわく
”駐留米軍が違憲だなんて、一審判決がでちゃったんだけど、
 日米安保条約の改定(1960年)も控えているし、
 こんな判決出されると困っちゃうんだよね。
 アメリカ様がお怒りだから、
 最高裁では違憲にしないって、
 アメリカ大使館に行ってちゃんと説明してきてくれる。”

当時の田中最高裁長官いわく
『じゃー、駐日アメリカ大使に説明してきます。』

”アメリカ様のほうが日本より格上だから、
 たとえ、あなたが最高裁判所の長官であっても、
 トップの駐日アメリカ大使は直接会ってくれないよ。
 それより格下の首席公使なら、話を聞いてくれるかも。”

とやりとりがあった後、冒頭のような、
田中最高裁長官による駐日アメリカ首席公使への説明がなされたのか否か、
定かではない。


その後、最高裁判所に戻った田中長官が、
他の最高裁の裁判官に対し

”っていうことだから、一審判決のように駐留米軍が違憲だなんて、
 みんな口が裂けても言わないように。”

とお願いしたかどうかも定かではない。

ただ、実際の最高裁大法廷判決は、全員一致で、
駐留米軍は、外国の軍隊である以上、
憲法9条2項で保持を禁止している『戦力』に当たらないので、
合憲、とした。


この問題となっている秘密書簡を
開示請求により入手した大学教授によると、
裁判長が裁判の情報を利害関係のある外国政府に伝えており、
評議の秘密を定めた裁判所法に違反する、としている。

ただ、私は、さらに、
①立法(自民党)と行政(外務省)が司法に介入したのではないか、そして
②最高裁長官が他の裁判官の独立を脅かしたのではないか、
と懸念されてしまうのも問題だと思う。

裁判官の独立を規定した憲法76条3項に違反するからである。

特に②は、冒頭の田中最高裁長官の下線部分の発言から、
強く疑われてしまう。

ここで思い出されるのが、120年以上前の大津事件。
それは、当時のロシア皇太子が、現在の大津市で
警衛中の巡査に斬りつけられ負傷した、という事件。

ロシアとの関係悪化を恐れた政府は、この巡査を死刑にするよう
当時の大審院長の児島惟謙に申し入れたが、
児島惟謙は、こうした政府による干渉を退け、
”司法権の独立”を守ったと評価されている。

しかし、一方で、
児島自身が、他の大審院の裁判官の独立に干渉したとして、
問題視もされている。


もちろん、田中裁判長が、他の裁判官に
駐留米軍を違憲としないように、と
働きかけたかどうかは不明である。

しかし、少なくとも、公開された文書からは、
そのように疑われても仕方がない発言をしたことは確か。

”李下に冠を正さず”
である。



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2013.04.04(Thu):憲法・法律問題
昨日、あるお昼の番組を見ていたのだが、そこでは、
先日、全国の高裁で出された 一連の”一票の格差”判決について、
やさしく解説されていた。

私は、当初、その番組を何気なく見ていただけだった。

が、その番組にレギュラー出演していた弁護士が、
”違憲状態”判決と ”違憲”判決と ”無効”判決との違いについて説明していたのだが、
その説明が、どうもおぼつかないというか、にわか勉強風に聞こえた。


そこで、私は、この弁護士の解説が気になり始めた。

まず、その弁護士は、
2011年の最高裁の違憲状態判決が出てからOOO日間、
国会は、最高裁判決を無視し、何もせず放置してきたと、
お怒りの口調で国会を非難していた。

そもそも、
国会が放置していた期間をわざわざ下一桁まで口に出していたことからして、
にわか勉強した跡がうかがえる。

それはともかく、
国会は最高裁判決を気にしていたからこそ、
”0増5減”の法案を解散直前に慌てて可決したのである。
何も、最高裁判決を無視し放置していたわけではない。
だからこそ、東京高裁は、無効判決までは出さなかった。

ただ、この弁護士は、そこは承知しながら、
こうした国会の姿勢というか、事実上の話として、
さっきのような言い方をあえてしたのかなと
善意に解釈しておいた。

が、ゲスト出演していたデーモン小暮閣下が鋭い質問。
”2.43倍という格差は、高知3区と千葉4区との問題なのに、
 どうして無効判決が出た広島や岡山の選挙区が関係あるの?”

 さ~、その弁護士は、
 1976年の最高裁大法廷判決、つまり
 ”定数配分は、相互に有機的に関連しているから、
  不可分一体的に全体として違憲の瑕疵を帯びる”
 という判決を知っているのか…?

案の定、ご存知ないらしい。
さすがに、広島や岡山の選挙区の格差が二倍未満ということまでは
勉強していたみたいだが、
1976年の最高裁判決を紹介するどころか、
デーモン小暮閣下の質問を繰り返すような
そんな回答をするのが精一杯な感じだった。

その後も、
国会は、格差が、参議院なら6倍未満、衆議院なら3倍未満
そこまでなら大丈夫とたかをくくっていた
という旨の発言をしていた。

しかし、国会が勝手にそうした判断をしていたわけではない。
そもそも最高裁が、そこまでなら合憲という判決を繰り返していたからだ。

なのに、2011年に、最高裁のほうが、
時流に乗ってか、一人別枠方式という特殊性からか、
急に合憲のハードルを上げたのである。
だからこそ、そこを考慮して、
”違憲”ではなく、”違憲状態”判決を出したのである。
(以上、3/27付のブログご参照。)

その一人別枠方式だが、
各都道府県に最低一人は定数を確保するということなんだけど、
2011年の最高裁判決で、
衆議院選挙ではそれはあくまで過渡的な措置なんだから、もはや採るべきではない
といったことが示された。

ただ、参議院選挙のほうは、
最高裁も、別の昔の判決ではあるが、
都道府県代表を選出する性質がある旨を認めている。

しかし、その弁護士はそこもご存知ないらしく、
わざわざ憲法43条の ”全国民の代表”という文言を出してきて、
参議院選挙でも都道府県代表を認めるべきではない
みたいなことをおっしゃっていた。

  あの~、憲法47条が、
  その全国民の代表の決め方は国会に裁量権があるといっていて、
  (もちろん、憲法が認める範囲内ではあるが)
  しかも、参議院選挙については、今のところ最高裁も
  都道府県代表という要素を認めているんですけど…

最高裁で無効判決が出たらどうなるのか?
という質問に対しても、
国会を通った法律や予算のことについての言及はまるでなく、
最高裁判決による、
といった素人でもできるコメントをしていた。


私は、あまり人の悪口を言いたくはない。
しかし、問題は、
その番組の観覧者が、しきりにその弁護士の説明にうなずいていたこと。
全国の視聴者も同じ反応のはず。

”弁護士”という専門家の肩書を持つ以上、
正確な解説を是非していただきたい。

もしかしたら、私が今まで述べたようなことはすべて承知の上で、
世論に乗っかって、単に国会を悪者扱いにしたくて、
あえて誤解を招くような言い方をしたのかもしれない。
(口調から、そうは感じれらなかったが)
しかし、それは、それで問題である。


別の弁護士に、やたらに大声を張り上げ、
俳優希望といってはばからない
見るからに痛々しいタレントもいる。

もちろん、どんな考え方をしようが、それはご本人の自由ではある。
しかし、俳優を本業としておられる方々や、
本来の弁護士先生にも失礼に見えるのは、私だけか…
本来の弁護士先生なら、テレビに出演している余裕はないはず。


ただ、弁護士大量の時代、
弁護士にとっても、タレントは生きる術の一つとなったのか…



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2013.03.30(Sat):憲法・法律問題
司法試験の年間の合格者数を3千人にする
という政府の目標が撤回されるらしい。

そもそも、この目標は、
社会が多様化・グローバル化する現在、
社会人や理系出身者など多様な人材の確保、
法曹人口の少ない過疎地域の解消、
こうした司法制度改革の必要があって打ち出されたものである。

ただ、こうした一連の改革は、
訴訟が身近な社会を前提としていたはずである。

実際、弁護士会も、
訴訟にも医療と同様の保険制度の導入を図るなど、
政治への働きかけを以前にも増して強めてはいる。

しかし、医療との決定的な違いは、
人間、必ず、けがをしたり、病気になるが、
訴訟にかかわることは、めったにないというところである。

訴えるにしても、数十万円はかかるし、
そもそも弁護士に相談するだけで、最低、数千円はかかる。
今は、法テラスといった
無料相談ができるところもあるにはあるが。


だから、金銭的にも、慣習的にも、
庶民が気軽に訴えを起こすことができる世の中、
そんな世知辛い世の中にしない限り、
合格者数を増やす意味はない。




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2013.03.27(Wed):憲法・法律問題
一昨日の広島高裁や昨日の同岡山支部の衆院選無効判決、
この結論自体に疑問があるというのではなく、
その判決に関連して、以下のような疑問がわいてきたということ。

まず、国が上告して、最高裁判所でも無効判決が出された場合も、
無効となるのは、各地の高等裁判所で訴訟の対象となった選挙区だけ。

しかし、一票の最大格差2.43というのは、
そもそも千葉4区と高知3区との格差。
実は、この問題の選挙区、
各地の高等裁判所の訴訟の対象とはなっていない。

しかも、一昨日と昨日の無効判決の対象となった
広島1区と同2区、そして岡山2区の格差は、
どれも2倍未満。

問題の根源となっている選挙区の選挙は無効とならず、
訴訟の対象となっている選挙区が、格差がそんなにないのに、
無効となるのは、どういうこと?

この答えは、過去の最高裁判決にある。

1976年の最高裁大法廷判決は、
”定数配分は、相互に有機的に関連し、
 不可分一体をなすと考えられるから、配分規定は、
 単に憲法に違反する不平等を招来している部分のみでなく
 全体として違憲の瑕疵を帯びるものと解すべきである。”
という旨を示している。

でも、この理屈なら、訴訟対象となった選挙区だけではなく、
全国すべての選挙区の選挙を無効とするのが筋だと思う。
訴訟の対象となっていない以上、仕方ないのかもしれないが…

この点からすると、みんなの党の渡辺代表が要求している
解散総選挙というのが一番しっくりくる。
ご本人が、以上のことまで意識されているかは分からないが。


次の疑問は、選挙が無効となった場合、
それまで国会を通った法律や予算などは、どうなるのか?

この問題ついては、定説がないらしい。

ただ、この答えは、従来の最高裁が無効判決ではなく、
事情判決を出してきたことにあると思う。

事情判決というのは、行政事件訴訟法31条を援用した、
公の利益に著しい障害を生ずるのを避けるためになされる判決である。

もし、法律や予算などに何ら影響がなく、
選挙のやり直しということだけであれば、
補選や総選挙の場合と変わらない。

公の利益に著しい障害という以上は、やはり、
法律や予算などもチャラになってしまうことなんだと思う。
だから、3/7付のブログでも、そのようなことを書いた。


更なる疑問は、裁判所は、
”司法に対する軽視”と、上から目線で
国会の怠まんを偉そうに糾弾しているけど、
最高裁自身も、1995年以降、三回にもわたって、
最大格差が3倍未満の場合、合憲という判決をだしてきた。

それが、2011年になって、一人別枠方式という特殊性はあるにせよ、
いきなり格差が2.3倍でも違憲状態だと断じている。
これは、裁判所にも、
自身の判断を棚に上げておいて、責任があるんじゃねー?
というものである。

この点については、実は、2011年の最高裁判決も詫びていて、
(もちろん、明確に詫びているわけではなく、
 実際は ”考慮”という言葉を使っている。)
だからこそ、国会に区割規定是正のための猶予期間を与え、
2009年の総選挙を ”違憲”とせず、”違憲状態”としたのである。


最後の疑問が、一昨日の広島高裁のほうにあった将来効判決の意味。
これは、区割りの是正のために与えられた猶予期間といわれているが、
区割りの是正がなされたとしても、
今年の11月26日が経過しさえすれば無効となるのかがよく分からない。
判決文を素直に読めば、そのようにも読める。

ただ、被告たる国の反論は、
区割りの是正がなされれば無効は回避されることを前提になされており、
これを前提に論説している新聞もある。

しかし、広島高等裁判所も、
そうした反論は、憲法の予定しているところではないとしていること、
そして、区割りの是正を条件に無効が回避されるのであれば、
無効判決のインパクトが軽減されてしまうことを考えれば、
判決文を素直に読んだとおりに、
つまり、是正の有無にかかわらず、
今年の11月26日を経過しさえすれば選挙は無効
と解するのが自然か。


なお、”0増5減”では
立法的措置としては不十分とする判決もあるようだが、
これは立法権の侵害、つまり三権分立に反すると思う。

なぜなら、まず、投票価値の平等の要請からすると、
格差がまったくないのが理想だが、
行政区画や面積、交通事情や地理的状況といった
非人口的要素を考慮できることは、
憲法47条も、最高裁大法廷判決も認めており、
一人二票とならないところまで、
つまり2倍未満の格差までなら認められていると
解されているからである。

そして、”0増5減”なら、
この基準をクリアしているからである。
これで十分かどうかは、
裁判所ではなく、国会が決めること。


自分が立候補した選挙区は、
今回の訴訟の対象とはなっていないものの、
問題となっている衆院選に立候補した身としては、
やはり、今後の最高裁の判決が非常に気になるところである。



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2013.03.16(Sat):憲法・法律問題
先日、後見人が付いたら選挙権がなくなる旨定めた
公職選挙法の規定が違憲である、
との東京地裁の判決がでた。

そもそも後見人とは、
成人でありながら、障がいや病気、高齢などの理由で、
自分の財産をきちんと管理したり処分できない方のために、
その本人に代わって、預貯金を引き出したり、契約を結ぶ人のことをいう。

だから、後見人は誰でもなれるわけではなく、
家庭裁判所のお墨付きが必要となる。

以上のようなことは、民法に書いてある。


そこで、今回問題となったのは、
本来、こうした本人の財産を守るための規定を無理やりもってきて、
後見人が付いたというだけで選挙権まで奪うのは、筋違いやろ、
ということである。

被告である国は、どういう主張をしていたかというと、
一つには、こういうことである。

すなわち、選挙のときは、
どの人に投票したらいいのかとか、
どの政党に投票したらいいのかとか、
そういう判断する能力が必要なんだけど、
一人一人、そういった判断能力があるのかを
いちいちチェックするのは現実的ではない。

だから、民法の規定をもってきて、
後見人が付いた人は選挙権を行使できない、
そう規定するしかなかったと。

しかし、東京地裁は、
選挙権は議会制民主主義の根幹といえるし、
憲法で保障された超重要な権利であるから、
現実的かどうかは理由にならない、という判断をした。

ただ、成人たりとも、選挙も一種の公務であるから、
選挙権を行使するだけの能力や資格がない場合があることまでは、
否定しなかった。
例えば、今でも、受刑者には選挙権が認められていない。

ここで、じゃー未成年者はどうなるの?
という疑問がでてくる。
未成年者にだって、きちんと判断できるやつもおるやろ、と。

これに対する答えは、まずは人数の違いにあると思う。
後見人が付いている方は、13万6千人以上といわれている。
一方、未成年者は、赤ちゃんまで入れると数千万人。
さすがに、個別に判断するわけにはいかない。
だから、憲法(15条3項)もそこは認めていて、
選挙権は成年者に限って保障している。

 赤ちゃんは、極端やろ!

そこで、憲法でいうところの ”成年者”とは、
何歳以上のことをいうのかが、問題となる。

今の民法とかの法律では、二十歳以上ということになっているが、
十八歳以上でもええやん、とも考えられる。

だから、憲法を改正する際には、国民の意見もきく必要があるんだけど、
その国民の意見をきくための ”国民投票法”では、
十八歳以上の者に投票権が認められている。
ただ、今の民法とかの法律が変わったらね、
という条件付きではある。

ちなみに、この ”国民投票法”でも、
後見人が付いた方に投票権は認められていない。


もう一つ、国側が主張していたのは、
第三者が、後見人が付いた人をそそのかしたりすると、
不正な選挙が高い頻度で行われ、選挙の公正が阻がいされてしまうと。

たしかに、過去には、こういった不正も実際にあったらしい。
裁判所も、
これがなければ、公正な選挙が実現できなくなるような
”やむを得ない”理由がある場合に限って、
選挙権行使の制限を例外的に認めている。

ただ、国がいっている因果関係、
特に ”高い頻度”というところが証明されていないとして、
国の主張を認めなかった。

国の法律や政策だけではないが、
起こりそうもないことを針小棒大にいって、
つまり大げさにいって既得権益を守ろうとすることが多い。

そして、厄介なのは、
自分を守ろうという方向だけにベクトルが向くものだから、
起こりそうもないことを考えなければいけない場合に限って、
考えない。

それが、福島の原発事故を招いた。


こうした東京地裁の判決を受け、マスメディアは、
公職選挙法を所管している総務省にコメントを求めている。
これは、今の国会が単なる ”通法府”に堕ちたことを示している。
法律の改正については、本来は立法府・国会が考えるべきこと。

法律をつくったり変えたりするのは、本来国会のお仕事だから、
裁判所が国会に法律改正をせまるような違憲判決は
控える方向で判断しなければならいともされている。


あと、気になったのは、
原告の方が、選挙権を失うまで、毎回投票していたということ。
一方で、選挙権がありながら、選挙に行かない人もいる。

あえて、今の憲法とか法律とか実現性とかを無視していうと、
後見人が付いていよういまいが、未成年者だろうが成年者だろうが、
投票する意思のある人にだけ選挙権を与えればいいような気がするのは
私だけか。

 
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新聞の読み方 | 日記
2013.03.07(Thu):憲法・法律問題
昨日6日、東京高裁は、
昨年12月の衆院総選挙が、
一票の価値に格差があったとして、
(正確には、区割りを定めた公職選挙法の規定が)
憲法14粂(法の下の平等)違反である旨の判決を下した。

それまでも、最高裁が、
2009年に民主党が圧勝した総選挙は ”違憲状態”という判決を出していた。
”違憲状態”と ”違憲”が具体的にどう違うかというと、
本当は違憲なんだけど、国会も法律とかを改正するのに年数がかかるだろうからと、
裁判所が、具体的にではないけれど、猶予期間を与え、
その猶予期間内なら、”違憲状態”
その猶予期間を経過したら、”違憲”ということになる。

ただ、昨日の東京高裁は選挙は違憲としながらも、
総選挙の直前に成立した”0増5減”の法律が実施されれば、
一票の格差は2倍未満になるということを考慮して、
選挙自体は有効とした。

これは、”事情判決”とよばれるもの。
もともとは行政事件訴訟法に規定されているものだが、
この規定を援用した判決が、選挙無効訴訟でよくなされる。

この事情判決、
これ、無効にしたら、さすがにアカンやろ、
とういう場合になされる。

選挙の場合だと、選挙のやり直しはもちろん、
それまでなされた国会での審議のみならず、
成立した法律や予算まで無効となってしまう。
だから、裁判所もなかなか無効判決までは出せない。

ただ、裁判所も、そろそろ堪忍袋の緒が切れるだろうといわれており、
今回の判決や、他の高裁などに提訴されたものの判決が注目されている。

だからこそ、国会は、この前の総選挙直前になって
慌てて、”0増5減”の法案を通したのである。

弁護側は、選挙無効判決がなされなかったことを不服として、
最高裁に即日上告。

それにしても、あの三人の弁護士たち、
単に自分たちが目立ちたいだけ、というのが、
ありありである。
さすがに、あれだけ露骨だと、鼻についてしまう。

他の原告の方たちも、
モザイクがかかっていなかったことからすると、
顔が露出するのを避けてはいなかったはず。
あんなに他の原告の方たちを押しのけて、自分たちが前面に出なくとも…

ところで、最高裁が、もし、あの選挙を無効としたら、
やっぱり、選挙はやり直し?


どうでもいいけど、3ヶ月が経とうとしているのに、
数百万円の供託金、まだ戻ってきていないんですけど…



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新聞の読み方 | 日記
2013.02.22(Fri):憲法・法律問題
明石歩道橋事件で、強制起訴された元副署長が免訴


事実上の無罪ということで、検察審査会制度のあり方を見直すべき、
といった論調が新聞紙上で目立つ。

そもそも、起訴をするかどうか、
つまり、被疑者をわざわざ裁判にまでかけて刑罰を科す必要があるのか、
それを決める権限は検察官だけがもっている。

ただ、検察官も人間。
検察官は起訴しないと決めたけど、
こんなやつ、ほっとくのやばくねー?
と、検察官の判断の当否を審査するのが検察審査会。
検察審査会は、一般市民から無作為に選ばれた者から構成される。

この検察審査会が二回、
検察官が起訴をしないとした判断がおかしいと決めたなら、
被疑者は強制的に起訴される。つまり、裁判となる。

最近、強制起訴されても、結局、無罪となることが多いから、
この強制起訴制度、おかしんじゃねー
というのが、この制度や検察審査会の見直しを求める根拠。

しかし、それなら、最初から、
検察審査会のメンバーを法学者や弁護士などの専門家だけにすればいい話。
そうではなくて、一般市民で構成されているということは、
起訴をすべきかどうかの判断も、裁判員制度と同様、
一般人目線でやってみようという目的でもあるはず。

そこで、今回の判決をみてみる。

元副署長(以後、元は省略)を免訴(事実上の無罪)とした理由は次のとおり。

副署長には現場の統括指揮権がなかった。
現場の警官から、規制が必要である旨の報告がなかった。
副署長は、モニターなどで歩道橋内の混雑状況を直接認識できなかった。

だから、副署長は、今回のように死傷者が出ることを予見することはできなかった。
したがって、副署長に過失なし。
よって、既に有罪が確定している部下との共犯が成立しないのは言わずもがな。
共犯が成立しないので、
副署長は、時効も中断していなかったことになるので、公訴時効が完成。
だから、免訴、
ということである。

これ、管理者はある程度部下を信頼してもいいという
”信頼の原則”といわれる刑法の常識に基づくもの。

ただ、副署長に現場指揮権がないって、おかしくねー
現場警官の報告をきちんと確認しようとしなかったのっておかしくねー
自分で現場の混雑状況を見ようとなかったのっておかしくねー
信頼の原則というのが、ゆるゆるでねー

と、いったところが一般人目線なのではなかろうか?

もっと、分かりやすいのは、
部下が刑事責任を負いながら、管理者が責任を負わないって、逆じゃねー

ほとんどの新聞紙上の論調は、今の刑法の常識を前提としたものだが、
今の社会常識からすると、刑法の常識ほうがおかしんじゃねー
と問いかけることができるという意味で、
今の強制起訴制度や検察審査会には意義があると思う。

ただ、この副署長、
強制起訴された時点で再就職先を退職せざるを得なくなったという社会的制裁を既に受け、
本人も道義的責任を感じているということ。


以上、大腸の内視鏡検査のため、
3時間かけて下剤を飲み続けている間に
新聞を読んで思ったことである。

ちなみに、検査結果は異常なし。

命は、多少お金をかけてでも大切にしたい。



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