2017.08.11(Fri):ボランティア活動

突然ですが、
5から見ると、1と2は、
同じようなものなのでしょうか?

今まで二回にわたり、
地元の団地の夏祭りで
裏方としてお手伝いをした
お話をしてきました。

裏方として働くのは
自治会役員の方がほとんどで、
私以外は全員が七十歳以上です。

ただ、地元の中学生や
少年野球チームの小学生らも
いろいろ手伝ってくれました。

そして、中学生らの他にも
引率の若い先生が一人おりました。

自分が中学生の時は、若い先生も
かなりの大人に感じましたが、
今、若い先生をみると
ある意味当然ですが、若者です。

が、中学生らと引率の先生が
いっしょにいるところを見た
八十過ぎのご婦人が一言

『先生も中学生も同じに見えるわ』

中学生らの年齢、先生の年齢、
そしてご婦人の年齢の比率は
大ざっぱに1:2:5。

5から見ると、1と2は、
やはり同じようです。

そして、
野球チームの小学生らを見た
中学生らが一言

『かわいい』

私かれ見れば
中学生も小学生もかわいいものです。

すなわち、10から見ると
3と2は同じようにかわいいのですが
3から見る2もかわいいようです(笑)


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2017.08.04(Fri):ボランティア活動

みなさんは、足がビール臭くなる、
そんな経験がありますでしょうか。

先日、地元の団地で夏祭りがあり、
裏方としていろいろお手伝いを
させていただいたお話をしました。

今回はゴミ収集のお話です。
団地の数か所に
一般ごみ、缶、ビン、ペットボトル用
それぞれ大きなポリバケツを置き、
一時間おきくらいに回収して
新しい袋に替えるという仕事です。

一日目こそ
大雨で人手は多くはなかったのですが、
二日目は
団地の外からも大勢の方々が来られ、
小さなお子さんもはしゃいだりして
非常に賑やかでした。

が、その分ゴミはすぐにたまります。

ゴミを回収している際、
『ありがとうございます』
と一声かけてくださる方も
数名いらしたのですが、
そんなときは本当に嬉しくなります。

一声って大事だな、と実感しました。

逆に困るのは、
飲みかけのままの缶を
捨てられることです。

これが案外多く、
そのほとんどがアルコールで、
ジュースの飲みかけは
ほとんどありませんでした。

ということは、
子どもではなく、大人のほうが
飲みかけのまま捨てていくのです。

『日本もぜいたくになったものだ』

いっしょに回収している七十代の方が
つぶやいていました。

何が困るかというと、回収の際、
アルコールが大量にこぼれることです。
しかも、自分の足元に…

そうすると、
地面はもちろん、自分の足も、
アルコール、特に
ビール臭くなるのです。

昨年は運動靴でまわっていたのですが、
ビールでびしょ濡れの靴は
使い物にならなくなってしまったので、
今年はサンダルにしました。

回収の際、気をつければいいじゃん、
とお思いになるかもしれませんが、
気をつけたところで
避けられる量ではないのです。

一缶の残量が多くなくとも、
缶の数が半端ないので、
ネットの目からこぼれてくる量も
半端ないというわけです。

だから、
缶を捨てる際は中身は残さず
捨ててもらえると助かります。


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2017.08.02(Wed):ボランティア活動

高校野球西東京代表の
東海大菅生は、ここ三年連続
西東京予選の決勝に進出しながら
敗け続けていたところ、今年
四年目にして見事優勝し、
ようやく、甲子園出場という
四年越しの夢をかなえた。

今回は、
その11倍の45年越しの夢(?)が
叶った方のお話。

先日、地元の団地で夏祭りがあり、
私は、裏方としていろいろと
お手伝いをさせていただいた。

その日は、大雨に見舞われていた。

一週間ほど前、
お祭りのため寄附をした住民は、
抽選券付のパンフを受け取っていた。

そして、その日、
パンフから切り取った抽選券を
次々と会場の抽選箱に入れていった。

そして、この箱から
自分が入れた抽選券が取り出されると
賞品がもらえるということだった。

私は、
箱から取り出された抽選券の番号と
住民の方が持参したパンフの番号を
チェックしながら
賞品を渡す役だった。

傘をさそうとしたが
片手がふさがってはできまい。
カッパは用意していなかった。

というか。
この湿気ではカッパも着れまい。
ずぶ濡れになったほうがマシだ。

それよりも
周りの七十代の裏方さんたちも
みなさん、ずぶ濡れになりながら
各々の役目を果たしていた。

パンツまでびしょ濡れになったのは
いつぶりだったか思い出せない。

抽選を待つ住民の方はというと
もちろん傘をさしていた。

いくつもの傘が花畑のように見えた
というと陳腐な表現になるが、
大雨にもかかわらず
それだけ大勢の方が参加下さった。

賞品は一等賞から六等賞まで。
中には胡蝶蘭もあった。

なんで
こんな大きな賞品を用意したのか?

果たして、
八十過ぎのご婦人が当選。

当然傘をさしていたので、
いや、傘をさしていなくとも
お一人で運べるはずがなかった。

必然的に
私が胡蝶蘭をこのご婦人宅まで
運ぶことになった。

会場からご自宅まで、
そのご婦人は
既にずぶ濡れになった私を
傘で雨から守ってくれた。

お話をうかがうと、
このご婦人は私と同様、
四十五年以上この団地に住み、
この抽選会も毎年参加してきたが
一回も当たったことがないらしい。

そして、今年やっと当選できた、
ということだった。

私は、
ご婦人宅の玄関口に胡蝶蘭を置き、
そのご婦人から
感謝のお言葉をいただいた。

四十五年越しの夢の届け人になれた
私の身体は、
冷えきっていたはずなのに
なぜか中から
温かくなってきた。


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2017.07.17(Mon):ボランティア活動

以前にも何度か
お話ししたことはありますが、
現在、様々な家庭の事情で
塾などに通うことが難しい
中学生と勉強する会に
ボランティアで参加しています。

ここで私は、
子育ての苦労のほんの一端を
疑似体験しています。

つまり、中学一年のときは
出会って間もないということもあり、
総じて素直な子が多いのですが、
これが、二年生、三年生となると
身体が大人っぽくなるのに並行して
言うことをきかなくなってくるのです。

私はずっと独身で、よって
子育ての経験もないものですから、
これには正直戸惑っています。

私なんかは、
みんなと接する時間が限られていますが
実際お子さんを育てなければならない
親御さんがいかに苦労されているか
垣間見ることができた気がします。

さらに、もう一つ気になることが。

それは、学校で
昭和から戦後の時代を学んだり、
公民を学んだりしたあたりから、
少し偏った発言をする子が
でてくることです。

おそらく学校の先生としては
中立的に教えている
おつもりなのでしょうが、
教える内容や発言の際に
無意識にご自身の思うところが
反映されてしまっているのかもしれません。

ただ、こうした発言をする子は、
戦争や政治に関心をもっている
という点では、
非常にいいことだと思っています。

中学生の間は
様々な考え方があることを学び、
そして、いろいろな視点から
ものごとを見て考察した上で
自分なりの意見を構築するというのは、
まだ難しいのかもしれません。

今、この勉強会を“卒業”し、
高校生になった子に
たまに会うことがあります。

中学生のとき
“やんちゃ”だった彼は
今は私に礼儀正しく挨拶してくれます。

この子に限らず、
礼儀作法、思考など様々な面で
子どもは立派に成長するようです。

これも親御さんの
子育ての賜物なのでしょう。

子育ての苦労と成果、
そして醍醐味のいったんを
この勉強会を通じて
のぞけたような気がします。


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2017.07.13(Thu):ボランティア活動
ここで問題です。
日本で一番偉いのは誰でしょう?
① 天皇
② 総理大臣
③ 国民みんな

建前としての答えは
“国民主権”ということから、
③でしょうか。

でも“偉い”といわれても、
自分の思い通りに
世の中が動くわけでもないし…

そうすると、
日本は立憲君主国で、
元首は天皇であることからすると、
答えは①?

でも、君主国といわれても、
天皇が王様って感じではないし…

実は“偉い”の意味がミソなんです。
“偉い”を“権力”ととらえるか、
“権威”ととらえるかで違ってきます。

“権力”とは、
人が嫌がっても従わせる力です。

例えば、
国会がつくった法律の力で、
消費税を払いたくないと思っても
払わなければなりません。
払わなかったら警察の力で逮捕され、
裁判所の力で有罪となります。
(これも法律の力によります)

次に“権威”ですが、これは
伝統、風習などにより畏敬させる力、
とでもいえるでしょうか。
“権力”との一番の違いは
“強制”という点がないところです。

多くの日本人が
天皇に対し畏敬の念を抱くのは、
(中にはそうでない方々もいますが)
天皇に“権威”があるからでしょう。

また、日本が君主国であっても、
天皇に“権力”はないので、
私たちがイメージしがちがちな王様、
というわけではありません。

かたや、少し前の安倍総理だったら、
消費税率を10%に引き上げる時期を
決められたことなどからすると、
実質的な“権力”は
安倍総理がもっていたかもしれません。
そうすると、②も答えとしては、
あながち間違えとは
いえないかもしれません。

国民が国会議員を選び、
総理大臣は国会議員から選ばれ、
その他の大臣も過半数は議員から
選ばれなければならないことからすると、
結局、議員を選ぶ国民に権力がある
というのが“国民主権”
ということでしょうか。

と、こんな話を
なぜしたかと申しますと、
中学生に“公務員”を
説明する必要があったからです。

すなわち、ある中学校の
放課後教室というところで、
私が25年間勤めてきた“公務員”を
説明する機会があったからです。

“公務員”といっても、
教師や医師のように
民間と変わらない職種もあるのですが、
とりあえず、
“権力”行使に関連するお仕事が
“公務員”の仕事の本質、
という説明をしてきました。

でも、眠そうにしていた生徒もいて
あまり伝わらなかったみたい…

分かりやすい話し方、かつ
興味をもって聞いてもらえるような話し方は
難しいと実感した次第です。


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2017.03.24(Fri):ボランティア活動

以前申し上げたことはありますが、
私はボランティアで
中学生の勉強会に参加させてもらっています。

そろそろ三年目に突入し、
当初中学一年生だった子らは、
中学三年生になろうとしています。

ここで私は、
子どもの成長というものを目の当たりにし
多少戸惑いをおぼえています。

身長が急激に伸びたり、
身体つきが大人っぽくなるといった
外見的特徴もそうなのですが、
素直でかわいらしかった子が
いつの間にか反抗的になったりして
困惑しています。

反対に、勉強せずに
大きな声でおしゃべりばかりしていた子が
受験が近づくにつれやる気モードになり、
見事、高校に合格した後は、
礼儀正しくお礼をいってくれると
感動的にうれしくなります。

私は独身で、
よって子育ての経験もないので、
困惑も、うれしさも新鮮です。

そして、
この勉強会という活動を通じて、
親御さんや学校の先生がたのご苦労の
いったんだけでも体験できているのは
本当に貴重でありがたいことであると
改めて感じているところです。


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2017.01.19(Thu):ボランティア活動

私が駅前で
通勤・通学するみなさんに
朝の挨拶をする際、
心がけているのは、
笑顔を絶やさないことである。

発する言葉の調子は、
表情によって左右される
という話を聞いたことがあるからだ。

ところが、
もともと表情が豊かなほうではない
私の“笑顔”は、
どうやらうまくつくれていないようである。

私は、週に一回、
ボランティアで中学生と勉強をしている。

ある晩、
その勉強会にやって来た生徒二人が、
開口一番、
相変わらずの敬称付きのタメ口で
私にこう言い放った。

『猪野さん、朝から
 何いやらしいこと考えてんだよ!』

「えっ?」

『今朝、
 俺らが猪野さんの前通ったの
 気がつかなかった?
 朝からにやけてるんだもん。』



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2016.12.18(Sun):ボランティア活動

これまで、
地震のあった熊本で、夏休みに、
学習支援ボランティアなどをしたお話しを
『私の宝物』という題で
数か月にわたりさせてもらいましたが、
今回が最終回ということで、
その『宝物』を紹介させていただきます。

まず、小学校でいっしょに勉強した
一年生のみんなから、
最終日に、一人一人から、
お手紙と似顔絵をもらいました。

それから、東京に戻り、
みんなにお礼の手紙を書いたところ、
一週間ほど経ってから、
児童全員の大きな寄せ書きが
自宅に届きました。
みんな一生懸命に書いてくれていて、
なかには、
他の子に見られるのが恥ずかしいのか、
いくつかの女の子の寄せ書きには
“ふた”がしてありました。

その内容は、もちろん、
ひみつ、です。

みんなからの
お手紙、似顔絵、そして寄せ書き、
私にとって、
これ以上の“宝物”はありません。

みんな、まだ一年生。
私との数日間の学校生活が
いつまでも、はっきりと
思い出として心に残ることは、
残念ながらないでしょう。

それでも、私は、
みんなのことを
死んでも忘れません。

みんな、本当にありがとう。

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2016.12.03(Sat):ボランティア活動

先月の25日~27日、
東京大学の駒場祭において、
8月に熊本地震の被災地などを訪問して
うかがったお話しを
小学校での学習支援の様子も交え、
写真なども展示しながら
来場者のみなさまに
紹介させていただきました。

被災後の親子の様子、
避難所で見過ごされがちな子どもや女性の視点、
避難所の運営の問題点、
水や食糧など備蓄の大切さ、そして
被災された方々が
全国各地から様々な支援を受けたことへの
感謝の気持ちなど
被災された方々がお伝えしたかったことを、
代わって、少しでも来場された方々に
お伝えすることができたものと思います。

実際、首都圏のあるPTAの役員のかたから、
学校における災害対策を検討する上で
非常に参考になりましたと、
感謝のお言葉もいただきました。

大勢のかたが来場してくださいました
とは正直いえませんが、それでも、
一人では対応しきれないときが
少なくありませんでした。

難しかったのは、
来場者の関心度が区々であったことです。
頭では分かっているつもりでも、
関心度に合わせて説明することの難しさを
痛感した次第です。

また、
自分が五十過ぎの学生であることも
話をややこしくしてしまいました。

来場したスペイン人から
『サーティファイブ?』
と言われたときは
リップサービスと分かってはいても
不覚にもよろこんでしまいました。

この外国のかた含め、みなさん、
せっかく来場してくださったのですから、
『ここに来てよかった』
と思っていただくことだけを心がけ、
説明させていただきました。

こうして駒場祭も終わり、
少しでも使命を果たせたような気がして
ちょっとした充実感を味わうことができたのも、
私たちとお話ししてくださった
熊本のみなさまがたのおかげだと
思っております。

改めて、ありがとうございました。

161203 駒場祭



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2016.11.26(Sat):ボランティア活動
 先日、夏休みを利用して、
熊本で学習支援ボランティアなどを
してきたお話しをしてきましたが、
昨日から、東大の駒場祭で、
そのときの様子を紹介しております。

 場所は、駒場キャンパスの11号館
一階の1105教室です。

 明日27日の午後五時までですので、
お時間のある方は是非!

 フジテレビの『とくダネ!』の取材も
予定されています。

 最寄り駅は井の頭線の駒場東大前駅で、
渋谷寄りの出口です。

 あと、900番講堂という建物近くで、
私のクラスで、昨年に引き続き
オムチーズ焼きそばを販売しておりますので、
そちらもご賞味くださいませ。

161126 駒場祭2
161126 駒場祭
161124 駒場祭

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2016.11.19(Sat):ボランティア活動

 8月の一週間、私たち学生は熊本に滞在したわけだが、東京とは何かが違うと感じていた。それは自然環境とか人の多さとかとは異なる何かであったが、それが何だったのかは、ある学童保育施設でお世話になって初めて気がついた。
 私たちは、熊本の小学校で学習支援をさせていただいたわけだが、放課後は、この学童保育施設で同小学校に通う低学年の子どもたちと遊ばせてもらった。そこで子どもたちは、宿題をしてもいいことになっているのだが、ほとんどの子どもはすぐに遊びはじめる。遊びといっても、ファミコンやスマホゲームといった類のものではなく、将棋やオセロといった盤上のゲームであった。そこで私は子どもたちと対戦をしたわけだが、みんな強かった。約四十年ぶりということもあってか、手を抜いたわけでもないのに、オセロでは小学一年生相手に一回敗けてしまった。将棋にいたっては、終始押されっぱなしで、「もっと攻めたほうがいいよ」と子どもから指摘される始末である。
 室内だけでなく、外で遊ぶ機会もあった。鬼ごっこ、かけっこ、ドッジボール、鉄棒、タイヤを使った跳び箱など、こちらも約四十年ぶりに遊んでみて、五十を過ぎた私には体にえらくこたえた。一方、子どもたちのほうはというと、疲れというものを知らないのか終始動きっぱなしで、笑顔も絶えなかった。
 そう、ここが東京の風景とは違うところであった。たまたまなのかもしれないが、東京では、私が小学生だった1970年代のころのように、外で元気に遊ぶ子供の姿をめったに見かけない。その代わり、大人も含め、スマホゲームなどに興じる姿をよく見かける。しかし、熊本では、人口の違いもあってか、スマホをいじっている人の姿は東京のようには目立たなかった。
 同じゲームでも、スマホゲームなどよりは盤上ゲームのほうが頭を使うであろうし、身体も、室内より外で遊んだほうが鍛えられることはいうまでもないであろう。知力も体力も、この学童保育施設の子どもは自然と向上している、そう感じた。

1611 いくせいクラブ

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2016.11.11(Fri):ボランティア活動

(かなりの長文です。)
 私たち学生は、夏休みを利用して、学習支援ボランティアという形で、ある熊本の小学校で一年生の児童といっしょに学校生活を送った。具体的には、私の場合、「こくご大会」、「さんすう大会」と称するテスト時に、児童が自分一人で解こうとしても分からないところがあったときはヒントを与えたりした。また、このテストが返されたときは、児童はその場で百点満点をとれるように問題を解きなおすのだが、この際も、児童にヒントを与えたり、正解した子には丸付けをしたりした。時には、私自身が教壇に立ち、勉強のコツなどを児童に伝えることもあり、その他、いっしょにプールで泳ぎ、給食をとり、掃除もした。そして、何より私が担任の先生から期待されていたであろうことは、落ち着きのない児童をきちんと席に落ち着かせることであったのではないかと思う。
 私たちの活動の目的は、今般の熊本地震で子どもが受けた心の影響などを調べ、こうした子どもやその親御さんらの様子や声を他の人たちにも知ってもらい、ひいては、今度私たちが災害にあったときに、今回熊本で得た知識・情報を少しでも活かすことができるようにすることである。そのため、当初は、熊本の小学校で学習支援をさせてもらいながら、児童の心の様子などを肌で感じるつもりでいた。ただ、先生らのご指摘にもあったように、今回の熊本地震が、入学・新学年開始日の3~4日後という、児童も学校になじむ前の環境下で起こったこと、そして、特に一年生については、子どもたちの行動が地震の影響によるものなのか、生来的なものなのかを判断することが難しいことから、子どもたちの様子を今回の地震と無理に結びつけようとすることは適切ではないと考えた。そこで、ここでは、あえて地震の影響ということから離れ、今日の学校教育の在り方という視点から、自身が小中学生だったころと大きく異なる点を中心に感じたことを述べてみたい。
 まず特筆すべきは、この小学校でも力を入れているという、いじめ根絶への徹底ぶりであった。今回、見聞きしたことの中で、私が小中学生だった1970年代頃との一番の違いは、先生が常時教室にいたという点である。少なくとも自分の経験の中では、教師は授業と授業の間の休み時間は職員室に戻り、その教師のいない間にいじめはおきていた。とくに中学校の場合は、教科ごとに担当教師が異なるため、どうしても教室に教師がいない時ができてしまう。数年前、学校公開で自身の出身中学校に訪れたときも、やはり授業と授業の間の休み時間に、プロレス技をかけて他の生徒をいじめている生徒がいたのを見かけ、それを止めたおぼえがある。この小学校では、いじめ対策のためだけに先生が常時教室にいるわけではないのであろうが、先生、もしくはその代わりとなる者が常時教室にいることでいじめはある程度抑えられるはずである。もちろん、これだけでいじめを根絶することはできない。今回、私が目を見張ったのは、担任の先生がとった以下のような二つの指導・行動である。まず、私がみんなといっしょに、隣の教室、ここは、体育館が被災して使用禁止となったため、剣道など本来体育館で行われることのために使われているのだが、その教室を児童といっしょにそうじをしていたとき、ある児童と児童が突然けんかを始めたのである。すると、担任の先生は、教室内にあったマットをひっぱり出し、そこで二人にすもうをさせ、一回勝負がついても二人が疲れるまで何度もとらせ、最後は、二人お互いに握手をさせたという話である。もう一つは、一日の授業が終わった反省会のときの話である。「今日、悲しいことがあった人」と司会進行役の児童が他の児童に問いかけると、ある女の子が、少しためらった後、しかし思い切って、ある男の子に握りこぶしでつつかれたことを発表した。すると先生は、事実確認をした後、その男の子に注意し、女の子に謝罪させたのである。私が小中学校生だったころは、このように積極的にいじめを見つけ出し、対処しようとした先生はあまりいなかったように思う。もっと、こうした先生がいたならば、いじめはきっと減っていったであろう。
 驚かされたことは他にもあった。それは、そのそうじのときに見かけた光景である。みんなが、まるでお寺のお坊さんのように、一心不乱にあちこちぞうきんがけをしていたのである。床をふくときは、最初、みんなできちんと並んで一定方向にぞうきんがけをしていたのだが、しばらくすると各自好き勝手な方向にふき始めてしまったのだが、そこは、小学一年生ということでご愛敬といえよう。このそうじの直前、担任の先生は、ぞうきんを四つに折った上で裏表八面をきちんと使ってぞうきんがけをするよう児童に指導していた。そのためか、ぞうきんがけをして八面を使った子どもたちが自慢げに私にぞうきんを見せにきてくれたのだが、その姿がとてもかわいらしかった。そして、私が八面使いきったことをほめてあげると、気をよくした子どもたちはそのぞうきんを洗って、さらに、他の子がすでにぞうきんがけしたところを再びふきはじめたのであるが、その姿も実に微笑ましかった。それにしても、このようにぞうきんがけのできる大人が、私含め、はたしてどのくらいいるのであろうか。私はここまでそうじの仕方を教わったおぼえがない。
 さらに、礼儀やあいさつが徹底していることにも感心させられた。私がこの子たちのように、礼儀やあいさつを教わったのは野球部や陸上部といった学校の運動部、しかも先輩方からであって、教室の中で教師から教わった記憶はない。私が今まで出会った社会人や学生の中でも、この小学生たちのようにきちんと挨拶のできる人はそう多くなかったのではないかと思う。ただ、今回も、授業中にうろうろしだす落ち着きのない子も例外的にはいた。ここが私の出番である。担任の先生はこうした子に注意する一方で、まじめにきいている児童のためにも授業を進行する必要がある。とても一人での対応は難しい。そこで、私がこうした子を追いかけて抑えようとすることになるのだが、これがまた加減が難しい。すなわち、あまり追いかけすぎると、子どものほうがかまってもらえると思い行動がエスカレートしてくるのである。時には無視することで子どものほうから近づいてくることもあるのだが、ただ、担任の先生の一喝でおとなしくなることのほうが多かった。このように、普段、先生が礼儀作法の指導に力を入れている一方で、落ち着かない子への対応にもいかに苦労されているのかを垣間見ることができた。
 そして、最後に、先にも述べたテストの様子にも大変驚かされた。一つは、テスト中、児童が自分で考えてもどうしても分からないときは、先生からヒントをもらってもよいという点である。たしかに、完全に自力で解こうとしても分からないと思ったら、途中で考えるのをあきらめてしまいがちになるが、ヒントをもらうことで自分の頭で考えようという姿勢が再びうまれてくる。また、テスト返却時にも、その場で児童が百点満点をとれるように解き直す時間をとっておられた。これもまた、実際には、自宅で解き直す子はあまりいないであろうと考えると、非常によいアイデアだと思った。児童が、テスト中に分からなくなると、あるいは返却された後に解きなおし終わると、「先生分かりません。」とか「先生できました。」と声をあげならが、われ先にと次々に手をあげる積極性には、ひっぱりだこ状態になった私もとてもうれしくなった。さらに特筆すべきは、返却後の解きなおし時に、できた児童ができない児童に教えはじめたことである。もちろん答えをいきなり教えるのではない。解き方などを教えることで自分の理解も深まるのだが、それよりも、自分さえよければそれでよいという自己中心的な考えをせずに、勉強という点でも助け合いの心をもってのぞんでいる姿には、まだ小学一年生ということからしても、目を見張るものがあった。たしかに自尊心が満たされるという面もあるのかもしれないが、無自覚にせよ、いや無自覚だからこそ、こうした高邁な精神には(といっては大げさなのかもしれないが)見習うべきところがあると感じた。これも、担任の先生の日ごろの指導の賜物なのであろう。私の経験の中では、テスト中にヒントをもらったり、返却されたその場で解き直したりしたということはなく、児童どうしで教え合うということもあまりしなかったように思う。
 ところで、まったくの余談ではあるが、私がこの三日間でもっとも困ったのは、プールの時間、泳げない子の指導を任されたことである。もちろん、私は水泳の指導などしたことがない。それでも、泳げない子どもを見ていると、不思議とだんだんその原因が分かってきて、実際、私の指導で泳げるようになった子が一人だけでもいたことは大きな喜びであった。人生、何ごともやってみなければ分からないものである。
 今回、私たちが熊本を訪れた目的は、先にも紹介したように、熊本地震が子どもの心に与えた影響や親子の様子などを調査し、その結果の周知を図り、ひいては今後の震災復興に活かせるようにすることにあったのだが、本校をはじめ訪問する先々で、自分たちの大学での専攻が教育関係なのかをたびたび問われた。たしかに、今回のように小学校で学習支援ボランティアという形でお世話になったことで、当初の目的からやや離れてしまった感はあるが、教育の在り方というものを深く考えさせられた。そして同時に、先生方が児童に対し、通常の授業の中で、礼儀や挨拶、そうじの仕方、思いやりといった、今の大人たちにも欠けているともいえることを身につけさせようと日々奮闘している実情をうかがい知ることもできた。なるほど、今後、教育関係の道に進もうと考えている若者にとっては、今回の経験が大いに役立ったであろうことには間違いない。ただ、自分自身にとってもこれからの人生の中でこの経験が活かされることはきっとあるであろうし、また、この記事が教育関係に進もうとしている者の目に触れ、少しでも参考になれば幸いである。
 最後に、今回、私たちがおじゃました際にいろいろご配慮くださった、小学校の校長先生、教頭先生、そして、一年生ご担任の先生をはじめとする教職員のみなさまがたには深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
そして、一年生のみんな、ありがとう。

1611 東町小学校給食
熊本小学校 3
1611 東町小学校プール


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2016.11.06(Sun):ボランティア活動
 私が小学生だった1970年代、放課後は友だちみんなで外で遊ぶことが多かった。この時代、両親が共働きである家庭は今ほど多くはなかったが、そうした家庭や母子・父子家庭の子どもは“カギっ子”と呼ばれ、家の鍵を持ちながらみんなと遊んでいた。ただし、保護者や学校の目の届かないところで子どもが放置されるという点では、カギっ子もその他の子どもにも違いはなかった。そして、この“空白”の時間帯に、子どもが犯罪に巻き込まれることが多かったため、特に共働きや母子・父子家庭から、保護者が安心して子どもを預けられる学童保育施設の設置が求められたとされている。
 私たち学生は、8月、熊本県の大津町立大津小学校に隣接する学童保育施設“NPOこどもサポート・みんなのおうち(つくしんぼ・四つ葉学童クラブ)”に訪れ、同法人の理事長と事務局長から様々なお話しをうかがった。
お話しをうかがって感じたことは、今般の熊本地震など震災にみまわれた際、子どもを安心して預けられる場所の必要性が増すのではないかということである。例えば、避難所で子どもが遊んだり、泣いたりすると、周囲の大人から怒鳴られ、その避難所から出ざるを得なかったという親御さんのお話は、今回の熊本訪問の際に何度かうかがった。遊ぶことは子どもの権利ともいえ、また、子どもは騒いだり泣いたりすることでストレスを発散する。しかし、その一方で、周囲の大人によってはそれがストレスになることも事実のようである。そして、今回の“NPOこどもサポート・みんなのおうち”のお話しにもあったように、被災した大人たちは災害復旧作業などに追われ、その後は、すぐにでも仕事に復帰したいという思いでいっぱいのようで、だからこそ、子どもを安心して預けられる学童保育施設の一日も早い再開を強く望まれていたということである。その結果、“つくしんぼ・四つ葉学童クラブ”としては、安全対策の必要性とのはざまで、再開に相当悩み苦労されたようである。
 もう一つ、今回のお話しの中で印象深かった点は、大津町といった地域の枠にとらわれず様々なところとのつながりや信頼関係を普段から構築しておくことの重要性を痛感したということである。これは、図らずも、別に訪れた“熊本こども・女性支援ネット”からも同様のお話しをうかがった。それだけ、被災した側としては、多方面からの支援をいただいたことで大いに助けられ、感謝の気持ちを深くいだいたということなのであろう。それと同時に、今度別のところで震災が起きた場合は、今回被災したことで学んだことを活かしていきたいという強い想いも伝わってきた。たしかに、完璧とはいえないまでも、震災時の教訓は震災があるごとに活かされ、震災対応という点では徐々に改善されてきてはいるようである。今回の私たちの調査結果も、その一助にでもなれば、これ以上よろこばしいことはない。
 最後に、ご多忙のなか、私どものために貴重なお時間をさいてくださった江口理事長、秋岡事務局長、そしてお世話になった学童保育の職員のみなさまがたにも深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

1611 子どもサポート

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2016.11.03(Thu):ボランティア活動

 私たち学生の活動の目的は、今般の熊本地震で子どもが受けたこころの影響などを調べ、こうした子どもやその親御さんらの様子や声を他の人たちにも知ってもらい、ひいては、今度私たちが災害にあったときに、今回熊本で得た知識・情報を少しでも活かすことができるようにすることである。そのため、8月の熊本訪問に当たり、事前にNPOやNGO、そして保育園など各種団体にヒアリングをお願いしてみたのだが、私たちが学生だけの大学非公認団体であることなどから、お会いする約束をいただける団体を見つけることは容易ではなかった。そんななか、今回、いくつかの団体がこころよくヒアリングを受け入れてくださったのだが、このうち、この度お世話になった“熊本こども・女性支援ネット(KCW)”も、そうした団体の一つである。
 KCWとは、清水菜保子さんらが、熊本地震後の5月、震災などの緊急時に見落とされがちな子どもや女性を支援するために立ち上げた非営利活動団体である。また、体感心理学がご専門の山本トースネスみゆき先生は、日ごろ、お子さんをもつ親御さんや保育士さんらを対象にカウンセリングなどをされている。そして、このお二方らが、KCWの活動の一環として、比較的簡単に緊張・ストレスを緩和させる方法を普及するために日々活動(ハグプロジェクトなど)されている。
 こうした団体が私たちの申入れを快諾してくださった動機は、いろいろ考えられるが、私たちの目的に賛同してくださったことの他に、私たちを通して何か世の中に訴えかけたいものがある、ということもあったのではなかろうか。
 今回のKCWへのヒアリングを通して目から鱗が落ちたように感じたことは、被災後の子どもや女性などの声に耳を傾けることがいかに重要であるかということであった。被災直後は、水や食糧、風雨をしのげる場所やトイレ、そしてお風呂や清潔な衣類などの確保が重要であることは、被災経験のない者でも容易に想像がつくし、実際もそうなのであろう。そんななか、子どもの遊び場を確保すること、女性を男性の視線などから守ること、そして被災者のストレスを解消することなどは後回しにされがちで、私などは、正直、その重要性にさえ気がついていなかった。しかし、子どもや女性にとっては切実な要望であり、それでいながら、今回のヒアリングの対象にはなっていない高齢者の方々も含め、周りの成人男性に遠慮してなかなか声を上げられないということがある。実際、私が熊本に訪問する前にヒアリングのため訪問したNPO法人から、以下のような逸話をうかがった。すなわち、このNPO法人のボランティアスタッフが熊本地震直後に現地に入り、ある避難所の男性責任者に子どもの遊び場の提供を申し入れたところ、そんな余裕はないということをいわれたそうである。しかし、強く説得した結果、遊び場を確保することができ、子どもからだけでなく、子どもの世話もしなければならない親御さんからも非常によろこばれ、感謝されたということであった。
こうした子どもや女性の要望、そして被災者のストレス解消の重要性を知ることができたのだが、KCWへのヒアリングを通して他にもう一つ教わったことがあった。それは、既存の枠組みを超えた様々な地域や団体・組織などと関係性を構築しておくことの重要性である。私たちは、普段、自らが所属する団体や地域といった枠組みを基準に行動し生活していることが多い。例えば、学校での勉強や部活動、仕事なんかもそうであろう。しかし、震災復興においては、被災地域を超えた様々な人や団体の支援に大いに助けられたというお話をきいたことで、容易なことではないのかもしれないが、普段から様々な人たちとのつながりを大切にしておくことの重要性を知ることができた。これと同様のことは、別に訪問したところでもうかがった。
 KCWが私たちの申入れを快諾してくださった理由の一つには、以上のようなことを私たちに訴え、そして、さらに他の多くの人たちにも知ってもらいたいという想いもあったからではなかろうか。KCWは普段いろいろな活動をされご多忙にもかかわらず、相当のお時間をさいてご準備くださった上、私たちの質問に一時間半以上にわたって丁寧にお答えくださった。本当に感謝の念にたえない。と同時に、このご恩に報いるためにも、KCWが訴えかけたかったことを私たちも多くの人に周知しなければならないという、使命みたいなものを感じた次第である。
 最後に、繰り返しになりますが、ご多忙のなか、私どものために貴重なお時間をさいてくださった清水KCW共同代表、山本先生、そして文書によってご回答くださったみなさまがたに深く感謝申し上げます。
 本当にありがとうございました。

ゆずり葉

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2016.10.29(Sat):ボランティア活動

こうして、
私を含めた学生数人は、
地震のあった熊本の子どもたちのため
学習支援ボランティアを行うことになった。

この他に、
地震が子どもたちに与えた心理面の影響、
そして、
被災後に見落とされがちな
子どもや女性の立場からの視点や要望について
調査すべく、
ヒアリングを行うことも決めた。

これには、
先日、鳥取でも震度6弱の地震があったばかりだが、
私たちの調査結果をなんらかの形で、
今後の震災に活かせるようにしたい、
こうした目的があった。

そこで、今度は、NPOや保育園など
私たちのヒアリングに応じてくださるところを
探すことになったのだが、
これが思いのほか大変であった。

大変だったというのは、
『被災して数か月しか経っていないのに
 来られても迷惑だ』
といわれたからではなく、
私たちが単なる学生の集まりであって、
大学公認といったきちんとした団体ではないため、
素性がはっきりしていないというか、
私たちの信用性が担保されていないからだった。

ヒアリングをお願いすべく、
いくつもの団体に電話連絡をした。
学生離れした私の声から
大学院生と勘違いされることもしばしばあったが、
私が五十を過ぎたおっさん学生と分かっても、
私が教授ではないことや、
大学公認の団体ではないことなどの理由で、
断わられることが多かった。

それでも、数か所、
NPO団体や保育園などが
私たちの依頼に快諾してくださった。
本当に感謝の念に絶えない。

もちろん、
ヒアリングをお願いしたのは
私だけではなく、十代の学生も
数か所にお願いしてみたのだが、
大人相手に見事、約束をとりつけた。
自分が十代のころを振り返ると、
これには感心させられた。

次回からは、
学習支援ボランティアや
ヒアリングを行っての感想を
述べてみたい。

(つづく)


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2016.10.15(Sat):ボランティア活動

地震のあった熊本の子どもたちのため
学習支援をしたい、
こうした想いで
私を含め学生数人が集まった。

だが、国、県、市、町、あるいは小学校、
どこに連絡していいのか、
まったく見当がつかない。

こうしたときは思い切りが必要で、
中間をとって熊本市教育員会に連絡。

すると、市の教育委員会のほうから、
ちょうど支援要員としての学生を
必要としていた
との返答があった。

時期はお盆を除く夏休みか、
二学期が始まる八月下旬。

地震の影響で補習を要するので、
その支援要員が必要とのことだった。

すでにいくつかの団体が
支援することになっていたが、
まだ、人手が足りず、
地元の熊本の大学生は、
やはり地震の影響で講義が遅れ、
夏休み中も試験があり、
なかなか余裕がないとのことであった。

語弊はあるが、ある意味幸運だった。
子どもたちのために何かしたい、
こういう想いを抱いても、
必要とされなければ意味はない。
必要とされないところに
こちらからお願いしても、
それはもう押し付けになる。
(ただ例外もあり、それは後日紹介)

だから、私は、
すでに人手は足りているとか、
そもそも学習支援を必要としていない
という回答を心配していた。

私のまわりにいる十代の若者が抱いた
子どもたちのために何かしたいという
この気持ちを何とか
かなえてやりたかった。

だから、
必要とされていることが分かり、
ホッとしたのであった。

(つづく)


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2016.10.01(Sat):ボランティア活動
学習支援を中心に
熊本で被災した子どもたちのために
何かしたい。

私が通う大学の下級生からの
こうした呼びかけに、
同じ学生とはいえ、
五十過ぎの私が混じっていいのか悩んだ。

が、何かと
成人がいたほうがよかろうと思い、
参加することに決めたのは、
その翌日だった。

そして、その数日後、初の打ち合せ。
そこで、初めて
みんなの想いが区々であることが分かった。

私は学習支援という点から
中高校生を想定していのだが、
他の学生たちは、
幼児から小学生までを考えていたようだ。

しかも、
子どもたちが被災によって受けた
こころの影響なども調べ、
来る震災に備えるべく
自分たちの周りの人たちにも
その結果を知ってもらいたい、
と考えていた学生がいることもわかった。

こうして、
かなり漠然とではあるが、
ある程度の方向性を決め、
具体的な日程も固めたところで、
旅券・宿泊予約、交渉担当など
役割分担も決めたのだが、
ここは、
おっさんの私があまり口出しせず、
本来の十代の学生中心に
いろいろ経験してもらいたいという
思いもあり、
バックアップにまわろうと考えていた。

が、学習支援にするにしても、
子どものこころの影響を調べるにしても、
訪問先さえ決まっていないなか、
そもそもどこに連絡していいのか、
皆目見当がつかない…

学習支援というだけでも、
文部科学省、熊本県教育委員会、
熊本市教育委員会、益城町教育委員会、
あるいは小学校、
どこに連絡していいのか?

しかも、現場から町、市、県、国と
どこまでの了承が必要になって、
いつになったら回答をいただけるのか?

承諾いただけたとしても、
こちらの都合と日程が合うのか?

また、
地震発生から二ヶ月しか経っておらず、
しかも、昨今は、
水害対策に追われているであろうなか、
連絡して迷惑にならないのか?

かといって、
あまり遅くに連絡しても
夏休みに間に合わない…

課題山積だった。

(つづく)


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2016.09.24(Sat):ボランティア活動
6月に入ったある日、
大学からの下校途中、
学生で混雑した車中で、
脚を踏んばって立っていたとき、
LINEグループに
下級生から一通の投稿があった。

“熊本”という文字が飛び込んできた。

内容は、
夏休みを利用して熊本に行き、
被災した子どもたちのために何かしたい、
例えば、学習支援という形で。
だから、
一緒になって参加してくれる人を募集、
というものだった。

私も、ちょうど
熊本で被災した方たちのために
何かしてあげたいと思いつつも、
大学での勉強を言いわけに、
何もできないまま、
地震発生から一か月以上経っていた。

ボランティアというと
がれき処理や掃除、炊き出しなどが
すぐに思い浮かぶ。
ただ、
スポーツ選手ならチャリティー試合、
アイドルなら歌や踊り、
芸人ならお笑いで被災者を励ます。
といったように、
それぞれの得意分野を活かす方法もある。

大学生だったら学習支援、
というのも自然なことであり、
私はすぐに納得した。

ただ、十代の若者の中に
私のような五十過ぎのおっさんが
一人混じってもいいのか。

私は、返答をためらった。

(つづく)


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2016.09.15(Thu):ボランティア活動
私のように、ある年代以上の方にとっては、
敬老の日といえば、今日、
9月15日ではなかろうか。
今年で敬老の日制定五十年になるらしい。

各自治体では
高齢者増と財政難を理由に、
敬老祝い金を廃止し、
記念品の贈呈に切り替えるなどしているそうだ。

私の地元の自治会でも、この時期になると、
七十歳以上の方々に菓子折りを配っている。
そして、先日、
その配る役を、数十軒分ではあるが、
おおせつかった。

最初は、正直、
不在宅もあるし、面倒くさいと思ったが、
せっかく配るのなら、
お祝いの気持ちでやってみようと決めた。

そこで、実際訪問してみると、
ちょっと幸せな気分になれた。
というのも、訪れた先々で、
ねぎらいのことばをかけられたからである。

人に親切するとき、
そして、ちょっとずれるようだが、
仕事をするとき、
相手や上司に感謝されることを期待して
するものでなはいとされている。

しかし、そこは人間。
やはり、ねぎらいの一言があるだけでも
やってよかった、
今度も頑張ろう、
という気持ちになれる。

私は、今でこそ学生の身分だが、
それ以前は二十五年近く勤めてきた。
自分としては、そこで、
一生懸命やってきたつもりだったが、
ねぎらいの言葉をいただいた記憶が
あんまりない。

だからこそ、今回よけいに
しかも二回りも三回りも上の諸先輩から
ねぎらいの言葉をいただいたことが
単純にものすごくうれしかった。


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2016.09.01(Thu):ボランティア活動
熊本の小学校での学習支援ボランティアから、
無事戻ってまいりました。

熊本小学校 3
熊本小学校


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2016.08.28(Sun):ボランティア活動
熊本の小学校で、学習支援ボランティア中!

熊本小学校1熊本小学校2

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2016.08.04(Thu):ボランティア活動
私が居住している団地では、
毎夏、お祭りが催されている。
そして、先日、
私は、そのお祭りに
ボランティアとして参加した。

私の仕事の内容は主に三つ。
一つはゴミの回収、
一つは神輿関係、
もう一つは、諸設備の撤去や
翌日の掃除といった後片付けである。

まず、ゴミについてだが、
お祭りに来られた方々は、
おおよそ分別通りに
ゴミを捨ててくれる。

が、なぜか、
ペットボトルの飲み残しが多い。
これがゴミを回収する上で一番困る。
なぜなら、
飲み物がこぼれて辺りが汚れたり、
回収者の服などが汚れてしまうからだ。

次に、お神輿についてだが、
お神輿を置いておく台、
これを『馬』というのだが、
私の役目は、
お神輿が移動する度に、
この『馬』を持ち運ぶということだった。

そして、担ぎ手さんが
休憩をするため、お神輿を下ろす際、
後ろから『馬』をお神輿に差し入れる
ということもさせてもらった。

これが簡単そうで、意外に難しい。
つまり『馬』を差し入れる際に、
担ぎ手さんに声をかけるタイミング、
馬を置く場所やタイミング等々が
私も最初は、よく分からなかった。

しかし、
担ぎ手さんに教えていただいたおかげで、
徐々に慣れてきた。

最後は、自分も少しだけ
お神輿を担がせてもらったが、
自分の担ぐリズムが悪かったらしく、
棒が肩に当たって痛い…

ともあれ、
こうしたボランティアに参加すると、
日常の光景が非日常的になる。

すなわち、例年だと、
いつの間にかお祭りの準備が整い、
そして、翌日には、
ほとんど元通りになっているということが
当然のことのように思われた。

しかし、ボランティアで
自分が後片付けなどに参加してみると
いつもの当然の光景が当然でなくなる。

ここに裏方の意味があるのだと
改めて感じることができた。

そして、これだけでも、
ボランティアとして
お祭りに参加した甲斐があった。


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2016.06.23(Thu):ボランティア活動
私の近所には、
人生の先輩方がお茶を飲みながら
おしゃべりをする会がある。

人数はいつも十数名で、
六十代の方はほんの数名で、
あとは七十以上の方々。
中には九十代の方もいらっしゃる。

そこで、私は、
会場の準備や後片付け、そして、
お茶やコーヒーをいれるという
お手伝いをさせてもらっている。
五十を超えた私も、
この中では完全な若造である。
男性は、私以外は皆無に等しい。

私がお茶やコーヒーをさし出すたびに、
みなさん本当に恐縮され、
『殿方にお茶をいれてもらえるなんて、
 もうしわけないですね。』
といった言葉を“若造”にかけてくださる。

こうした方々の時代は、
お茶をいれるのは女性の役目
だったのであろう。

「今の時代は、
 女性も男性も関係ないですから。」

と私はお応えしているが、毎回、
先ほどのようなお言葉をいただく。

さて、この会では、
私は完全に聞き役なのだが、
中でもやはり、
戦中のお話しが印象に残る。

二ヶ月おつきあいした彼が出兵し、
まもなく、その彼のお母さまから、
ミンダナオ島で戦死した
という知らせを聞いたというお話。

東京大空襲の際、焼夷弾が落ちて、
“ドーン”という爆音が聞こえると、
ひと安心するというお話。
これは、自分が隠れている防空壕に
当たらなかったことが分かるからだ。

その代わり、
“ヒュー”という落ちている最中の音を
聞いているときがもっとも恐ろしく、
お腹の内臓をえぐられるような
そんな恐怖を感じていたという。

こうしたお話しは、日本人であれば、
どこかで聞いたことがあるかもしれない。
ただ、当事者から体験談を直接うかがうと、
その切ないお気持ちや恐怖心といったものが、
ひしひしと伝わってくる。


オバマ大統領が広島の被爆地を訪ずれてから
一か月が経とうとしている。
世界の指導者がこうした現地を訪れることは、
だから、ものすごく有意義なことなのだと
改めて感じた。

オバマ大統領自身も認めていたように、
世界から核兵器を今すぐ廃絶することは
現実的ではない。
日本も米国の核の傘で守られている。

しかし、世界の指導者らが
核兵器の配備をやめないしても、
戦争の恐ろしさや被爆のおそろしさを
自分が目の当たりにし、
矛盾や葛藤を抱きながらするのと、
こうした恐ろしさを伝えきいているだけで、
観念的に分かったつもりでいるだけとでは、
今後、世界の進む方向が
かなり違ってくるのではないか。

だからこそ、
日本も、昨年の12月、国連総会で、
世界の指導者や若者の被爆地訪問を奨励する
文言を初めて入れた核兵器廃絶決議案を出し、
その案は賛成多数で採択された。
なお、中国、ロシア、北朝政が反対し、
米英仏などの核保有国も棄権したらしい。

昨年の8月6日付の投稿でも、
こうしたお話しをさせてもらったが、
先日、人生の先輩方から
直接お話しをうかがったことで、
改めて感じた次第である。


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2016.04.09(Sat):ボランティア活動
ある朝、駅頭挨拶をしていたとき、
突然、声をかけられた。

『いのさん、俺、俺!』

この敬称とタメ口の入り混じった言い方で
すぐ、分かった。

以前も何度か述べたが、
私は、ボランティアで
いく人かの中学生と勉強をしている。

彼ら、彼女らは、
1~2年上の先輩には敬語を使うが、
35歳以上年の離れた私には、
タメ口をきく。

この男の子が勉強会の仲間に入ってきたのは、
昨年の晩秋ごろだったか。
当初は、周りの女の子が気になって
勉強も手がつかない状態だった。

中学校でも勉強が得意とはいえない彼は、
当時中三だったが、数学では、
中二や中一程度の計算もおぼつかなかった。

それでも高校に行きたい。
だから、彼は仲間に入ってきたんだと思う。
私は、そんな彼に
なんとしても合格してもらいたかった。

入試まで数か月。
数学でできることは、
計算問題で満点を取ってもらうこと。

私は、彼とひたすら、
過去の計算問題を解きまくった。
年末が近づくにつれ、
彼は本気モードになっていった。

そして、年明けには
計算は完璧な状態になっていた。

世の中、
テストの点数や偏差値が高いほど頭がいい
と思われがちだが、それは、実は、
やる気があるかないか、
努力してきたかどうか、
環境に恵まれていたかどうか
といった違いだけであって、
理解する能力とかはあまり差はないんだと
彼といて実感することができた。

そんな彼も、見事
第一志望の高校に合格。
ま新しい高校のブレザー姿の彼が
そっそうと私の前に立っていた。

『昨日、入学式だったんだよ』

私は、これまでの人生で
自分のことでうれしかったことは
何度かあった。
高校や大学に合格したとき、
陸上競技で自己ベストを出したとき、
特にフルマラソンで2時間台を出したとき。

しかし、正直、他人のことで
こんなにうれしくなったことは
今までになかった。

もちろん、彼の合格は知っていた。
しかし、あらためて、
朝日に照らされた彼の制服姿を見ると、
こみあげてくるものがあった。

私は独身なので子どもがいない。
彼とのつきあいは数か月にすぎない。

だから、世間の親御さんらが、
手塩にかけて育ててきたお子さんの
入学する姿がどんなにうれしいことか、
想像できた。


彼は二日目にして、さっそく、
首もとのネクタイをゆるめていた。

私がそのネクタイをなおそうとすると、

『遅刻しちゃうから』

と言って、駅の中に消えていった。



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2015.11.27(Fri):ボランティア活動
朝の駅頭挨拶も終盤にさしかかり、
疲れがみえはじめたころ、
普段見かけない中学生の団体が
やって来た。

こちらから
「おはよう」と声をかけると
何人かの中学生は応えてくれた。

すると、そのうちの一人の女の子が
『あっ、先生』
と言って口をおさえた。

先日のブログでも紹介させていただいたが
私は今、ボランティアで
中学生らと勉強をしている。
彼女はその一人である。

そして、
中学生らが次々やって来て、
そのうち
いっしょに勉強している何人かの子らが
私を見かけ、やはり驚いていた。

私も、彼女ら彼らに、
こんなところで、こんな時間に
会えるとは思っていなかったので、
驚いた。

しかも、
みんなの制服姿を見るのは初めてだ。
彼女ら彼らが
私のスーツ姿を見るのは初めてだ。

普段、みんなと勉強するときは
お互い普段着である。
時間は部活後の夜で、
眠そうにしている子も時にはいる。

しかし、
その日の朝のみんなの表情は
ものすごく明るかった。
その日は、郊外学習の日だったらしい。

私は、子育ての苦労を知らないためか、
子どもが大好きである。
朝の駅頭挨拶時も
小さな子に会うと必ず手をふり、
たいていの子は
無邪気にこたえてくれる。


駅の中に消えていく
中学生らの背中を見送りながら、
「これからも大変だろうけど、
 ここまで育てるのに、親御さんらも
 そうとう苦労されたんだろうな。」
と勝手に思いながら、
彼女ら彼らから元気をもらった私は、
挨拶を続けた。


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2015.07.09(Thu):ボランティア活動
私は今、東京大学に通っているが、
これもK塾という予備校のおかげである。
もちろん、なかには、
独学で合格したものもいる。

しかし、多くの学生にとっては、
予備校や塾に通うと通わないとでは
大きな違いがあるのではなかろうか。

それは、
高校生の時にどこにも通わず、
MARCHの一部も含め、
受験した大学すべてに落ちた自らの経験からしても、
いえることである。


しかし、世の中には、
いろいろな事情があって
塾に行きたくてもいけない子もいる。

そして、私は先の5月から、
そんな中学生の勉強をみるお手伝いを
ボランティアという形でさせてもらっている。

先の江東区長選で
“教育の経済格差解消”
を公約に掲げた以上は、
落選しても今の自分にできることはしよう、
とも思ったからである。

生徒のみんなは部活動などがあって
全員同じ時間に集まることが難しいことや、
学年や習熟度が区々であることなどから、
画一的な授業をするのではなく、
ある一定の場所にみんなに来てもらい、
学校の宿題含め、
各人が自発的に勉強していることについて、
私と同じような大人たちがその勉強をみる
というスタイルがとられている。


そこで気になったことがある。
学校の成績が伸びない子をみていると、
その原因が、例えば中2なのに
中1で習ったことが身についていないことにある
ということがすぐに分かった。

しかし、学校では、
ある意味当然なのかもしれないが、
そんな各人の習熟度おかまいなしに授業は進む。

これでは、こうした子らにとっては、
まるで授業の意味がなくなってしまう。
すなわち、
中1で教わったことが身についていないのだから、
中2の授業でいわれたことが理解できない。
それでも授業は進み、その一方で、
子どもたちはますます分からなくなる。

もちろん、
学校は個人指導の場ではないので、
ある程度仕方がないことなのかもしれないが、
もう少し各生徒の習熟度を
気にしてあげてもいいのでは、
と感じた。

自分がお世話になった先生方も含め、
いろいろな方々のお話をうかがっていると、
今の学校の先生方は、
とにかく、文科省や都道府県などに
提出するための書類が多すぎるため、
そのための事務作業に忙殺され、
その結果、
生徒へのきめ細かな指導ができにくい、
生徒一人一人までは眼が届きにくい、
という状況にあるとのこと。
いじめを苦にした自殺を予防できない
その原因の一つにもなっているのかもしれない。

しかも、
そうした役所への提出物の効果もみられず、
自分たちが学校を管理しているんだ、
という役所側の満足のための感じがぬぐえない。

また、
いわゆる“ゆとり世代”の子らにきくと、
大人たちが勝手に
ゆとり教育なるものを始めながら、
今になって、何かにつけ、
“これだから、ゆとり世代は…”
と言ってくるのには、
ものすごく納得がいかないらしい。


子どもたちの立場にたった教育行政が
まるでなされていないと感じている
今日この頃である。



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