前回、
私が今学生として通っている東大で
日本史に関する講義をとっている旨
申し上げました。

なぜ、この講義をとったのかと申しますと
二十年以上前に購入した文庫本を
ふと、引っ張り出して読み返したとき、
東大資料編纂所についての記載に
目がとまったからです。

よく、歴史の教科書に書かれていることは
事実とは限らないといわれることがあります。
特に、昔の物語などは
勝者によって書き換えられていることが多い
からだともいわれています。

しかし、そんな中でも、
日記や手紙に書かれていることは、
うわさ話も混在しているとはいえ、
比較的信憑性が高いとされています。

そこで、東大資料編纂所では
こうした手紙(古文書)を中心に
他の資料と照らしあわせながら解読し、
真偽を確認していく作業をしているのです。

まさに、
信ぴょう性の高い原文を解読することで
真の歴史を探求しているのです。

ですから、学生にも、
教科書や書籍の記載を
参考にはしてもうのみにはせず、
古文書などに直接当たることで
真の歴史を自主的に確立していく
そんな姿勢が求められています。

例えば、ある教授によると、
かの有名な『太閤検地』も、
学部学生の論文によって
明らかになったそうです。

しかし、現実的には
入学したばかりの十代の学生に
いきなり古文書を解読しろ
というのは無理な話です。

そこで、私がとった講義では、
すでに解読され冊子となって
きれいに印刷された古文書について
教授の解説も交えながら
自分たちで解読していくのです。

ですから、中には
本気で研究者を目指して学生もいるので、
私は、念のため
教養を身に着ける目的で講義を受けたい旨
教授に伝えたところ、
この教授も大学外のカルチャーセンターで
私のような年代の大人向けに
教えていらっしゃるということで
受講を快諾していただきました。

さて、教科書などではなく、
古文書といった原資料を読み解くことで
真の歴史を追究していくという姿勢は、
東大入試(日本史)でも求められています。

すなわち、東大の入試(日本史)では
些末な知識や用語が問われることはなく、
見やすく加工された資料を提示され、
そこから何を読み解くことができるかが
問われているのです。

ですから、そうした力さえあれば、
細かな知識はなくとも、
合格点に達することができますし、
逆に、思考停止に陥って
覚えた知識をそのまま吐き出しても
高得点は狙えないように問題ができています。

私も、実際に受験した際、
一番勉強時間が少なく
模試でも偏差値40台(平均以下)
をたたき出した日本史で、
他の科目と比べ最も高い得点率を
得ることができました。

こうした歴史に限らず、私たちは
常識や通説とされていることや
自分が与する組織・集団のいうことを
無意識に受け入れ、
思考停止に陥ることがよくあります。

しかし、今一度立ち止まって
常識や通説といわれていることや
自分が属する組織・集団の主張について
自分自身で思考をめぐらすことも
必要なのかもしれません。

ただ、独りよがりに
徒に“思考”しても意味がありません。
様々な考えや知識を修得した上で、
当然に正しいと思いこんでいることにつき、
必ずしも否定するのではなく、
改めて考察してみる必要もあることを
東京大学は入試や講義を通じて
学生に伝えようとしているようです。


スポンサーサイト
Tag:
| TrackBack:0
今回は久しぶりに、
私が今学生として通っている
東大の様子について述べたいと思います。

今年度の新入生ついて
一言で申し上げますと、
意識が高いということがいえそうです。

以前述べたとおり、
私は自主留年をして今も二年生なので、
自分が興味のある教養科目を
何コマかとっています。

そして、そのうち何と、
5コマの教室で立ち見が出たのです。
しかも、数人レベルの話ではありません。

私のような昭和生まれの方は
昔の映画館を思い出してみてください。
人気のある映画では、
物語が終盤に近づくにつれ、
次の回を座って観ようと待ち構えている
お客さんが座席の周りを取り囲むように
大勢立っているあの光景です。

あんな感じです。

もちろん今までも、
大学の事務方の見込み違いで、
教室が狭かったということもありましたが、
私のこの二年間の学生生活で
立ち見が出た教室はたった3コマでした。
(ただ、特に一年生の時は
 語学など必須授業もありましたが。)

講義は基本半年単位ので、
今学期の立ち見率は従来の6~7倍です。
(5×2×2年=20,  20/3=6.66…)

こうした場合、教室は
より広い別の教室に変更となるのですが、
変更後の教室でも、ほぼ満席状態です。
というか、一か月経った今でも
立ち見の学生が依然数人います。

これには、
私が興味をもって選んだ講義が
他の学生にとっても興味のあるものだったり、
たまたま楽に単位が取れるとされる講義だった、
といった理由はあるのでしょう。

それにしても、大学の講義を
立ちながら聴講することになろうとは
夢にも思いませんでした。
少なくとも私が若いころに比べると
全体的に学生はまじめになっているようです。

さて、私が
どんな講義をとっているかと申しますと、
昔も今も中東では常に問題が起きていることから、
中東やイスラム関係の科目をとっています。
特に前者については、
オマーン政府(スルタン)の寄付によって
実現可能となっている貴重な講義です。

また、国内では最近、
道徳教育が問題となっているところ、
パン屋には郷土愛はないと認定するような
そんな国や政府が押し付ける考えではなく
様々な先人の知恵を学ぶべきだろうと思い、
東洋や西洋の思想史をとっています。

特に前者については原文から読むべく
漢文の授業もとっています。

さらに、日本史に関する講義もとっています。
次回は、この講義について
東大の入試傾向とあわせて
紹介してみたいと思います。


Tag:
| TrackBack:0

およそ一か月前にも申しましたが、
私は今、東京大学2年生の学生です。
この春、法学部に進学することが
決まっていたのですが、
自主的に留年することにしました。

東京大学では、
1~2年生全員が教養学部に属し、
かの有名な赤門のある本郷キャンパス
ではなく、
渋谷近くの駒場キャンパスで学びます。

そして、2年生の夏までの
教養科目の試験の平均点で
進学先の学部が決まり、
3年生になると本郷キャンパスで
専門科目を学ぶことになります。

私が自主的に留年して
駒場で引き続き勉強することにしたのは、
教養科目のラインナップが
非常に充実しているからです。
また、この二年間、実際に
教養科目の授業を受けてみて、
どれも素晴らしいものだったからです。

そもそも、五十過ぎの私が
大学に入り直した主たる目的は
卒業ではなく勉強することでした。

授業がつまらなかったら、
さっさと卒業しようとも
思っていたのですが、
というか、そうならないように
東京大学に入学したのですが、
私の期待どおりでした。

大学の外では受けることができない
知的好奇心をそそる教養科目が
目の前に数え切れないほどある。

この機会を活かさない手はありません。

本来の若い学生の場合は、
早めに卒業したほうが望ましいのでしょうが、
私にとって卒業はあまり意味がありません。

あっ、
こんな偉そうなことを言っていますが、
試験の点数は決してよくありません。
やはり、若い脳には勝てませんから…


Tag:
| TrackBack:0
私が東京大学に入学して
二年が経とうとしていますが、
これまで、
講義について語ることがなかったので、
ここで紹介してみたいと思います。

まず、
教授らについて共通していえることは、
単純な知識の伝達を嫌っている
ということです。
それでありながら、
講義中に自然とあふれてくる知識から
当然といえば当然なのですが、
教授らの知識量が測り知れないことが
伝わってきて、
これは、絶対にかなわない
という気分にさせられます。

講義内容も
巷で売っている基本書の類を超えており、
これらの書物や判例を読む上での着眼点を
現在の社会事象と関連づけながら
教示くださるので、
受講してから本を読むと、
行間まで深く読めたような気がします。

紹介される参考文献の量も半端なく、
要は、講義でいわれたことを参考に
学生自らが思考を働かせながら
これらの本を自主的に読むことが
期待されています。
教授らは、ある意味、
学問のおもしろさを伝えてくれています。

同時に、現実の出来事についても、
より適確にみることができるように
なった気になります。

例えば、今の政治家が
どの程度、憲法を理解しているのかが、
憲法改正議論からのみならず、
普段の言動から推し量れたり、
安倍首相とトランプ次期大統領、
どちらの外交姿勢があるべき姿か
考えさせられたり、
また、経済でいうと
電力料金や高速料金などは、
会社に利益が出たら、その一部は、
本来、消費者に還元されるべきことが
経済学的に理解できたりします。

私が若かりし頃は、
教授は自分の研究には熱心だが、
講義のほうは片手間にやっている
と言われることもありました。

しかし、今は、
アンケートを通して
教授も学生に評価されているためか、
講義は、学生より教授のほうが
熱心のようです。

その一端をご紹介しましょう。
それは、先日の憲法の講義です。

その日の憲法は
一時間目にあったのですが、
授業終了時刻になっても
終わる気配がまったくありません。

二時間目は政治学だったのですが、
それが休講だったのを幸いに
当然のように延長です。
しかも、休憩時間なしに。

ここからは、教授と私の戦いです。

そこの大きな教室は、
暖房が効かないためか非常に寒く、
教授もコートを着ながら
立ちっぱなしで講義を続けています。
ちなみに、ご年齢も
五十過ぎの私よりも一世代上です。

一方、
座って聞いている私のほうはというと、
集中を切らさずにノートをとり続けます。
寒かったので
睡魔におそわれることはなかったのですが、
トイレがどうしてもがまんできません。

そして、ついに、
講義の途中、
トイレに行ってしまいました。

東大の授業は105分で、
休憩時間は10分です。
憲法が二時間目から始まる
別の曜日はいつもそうなのですが、
その日も、昼休み時間を
30分ほどくいこみました。

つまり、その日の教授は、
4時間ぶっ通しで
コートを着ながら立ち続けで
講義をしてくださったのです。

まさに、私の完敗でした。


Tag:
| TrackBack:0
私はこの一か月間、
大学での試験のため
普段以上に勉強をしていました。

私が若かりし頃の大学全体の雰囲気と
今の大学の雰囲気とでは、
多少異なっている気がしています。

まず、今の大学の授業は、
いい成績を修めようとすると、
結構しんどいです。

毎回、質量ともハードな宿題を課される
科目もありますし、
授業内容も高度で質が高く、
最先端の研究の一端を学べることもあります。
教授や講師の方々に質問をしても、
分かりやすく説得力ある回答を
いただけます。

また、教授らが
事前に準備をしてくださる
レジュメやプリントなども
毎年の使いまわしではなく、
研究成果を惜しげもなく教示したものなど、
教授らの熱心さが伝わってくるようなものです。

これには、授業の最後でとられる
学生への授業に対するアンケートも
関連しているように思われます。
日本の職場でも
部下が上司を評価する制度が定着すれば、
よりよい職場環境・労働効率が
実現するのではないでしょうか。

また、私は、現在、
教養過程で学んでいるわけですが、
歴史、文学、数学など
社会人が大学以外で学ぶ機会が少ない
科目を学ぶことができています。
巷でも学べる語学や法律などにしても
授業内容や学費などに照らすと、
コストパフォーマンスはかなりよいです。

そればかりか、授業を受けることで
今の政治が
学識的にいかに浅いところで行われているか
感じとることもできます。

例えば、憲法改正について、
9条は改正できるとの前提の上に立って、
改正すべきか否かが議論されていますが、
他の人権保障の規定と同様、そもそも
9条も改正できないという考えもあります。
もちろん、結論として、
改正できるという前提に立つのはいいのですが、
国防という重要な問題なのですから、
少なくとも、そこに至る議論を行い、
我々に説明をする必要はあると思います。

中国の南沙諸島侵攻への対処方にしても
過去の外交史からヒントを得ることが
できるような気もしています。

私は、
こうした教育環境に身を置くことができ、
本当に恵まれていると感じています。

大学は多様性を求めているといいますが、
それは性別や国籍などのことであって、
職歴や年齢などは含まれていないようです。

日本の労働社会が
比較的流動性に乏しいことや
家族を養う責任を果たす必要などから、
致し方ないのかもしれませんが、
私のように独身貴族を謳歌しなくとも、
いくつになっても、
学びたいときに学べる
そんな社会になればいいなと
思う今日この頃です。


Tag:
| TrackBack:0

ご存知の方も多いかと思いますが、
私は今、学生として東大に通っています。

その東大駒場キャンパスでは
今月21(土)~23(月・祝)に
駒場祭が開かれます。

そこで、私のクラスは、
チーズ入りオムレツを焼きそばにのせた
“オム焼きそば”なるものを販売します。

半年前の本郷キャンパスでの
二日間の五月祭でも千食以上売り上げた
伝説のB級グルメ(?)です。

駒場キャンパスへは、
京王井の頭線「駒場東大前駅」下車で、
渋谷方面出口目の前です。

“オム焼きそば”の屋台の場所は、
『銀杏(イチョウ)並木』と呼ばれる、
キャンパスを横断するメインストリートで、
8号館という建物の近くです。

お時間のある方は、是非、
私の作る(?)“オム焼きそば”を
ご賞味しにいらしてください。

そして、お越しの際は、
私にお声かけください。
当日より安い(かもしれない)
前売り券をお売りします。

十代や二十歳の若者に交じっている
おっさんなので、
すぐに分かると思います。

ただ、22(日)のみ、
私はおりませんので、ご了承くださいませ。



Tag:
| TrackBack:0

昨年、東大受験に失敗した後、
独学で合格するのは難しいと判断した私は、
予備校に通うことに決めた。

多くの予備校が年齢制限を設けている中、
K塾だけが年齢不問としていたので、
この懐が深い予備校に通学することに決めた。

が、予備校の授業料も安くはない。

しかし、私は、
今の政治家らの言動を見聞きしてきて、
本物の政治家になるためには、
法律や政治をきちんと勉強する必要があると感じていた。

そして、過去の海外勤務時を含め、
社会人として自分の教養のなさを痛感していたため
できるだけ高いレベルのところで、
つまり、東京大学で、
学部から勉強しなおしたい、
そんな想いも強くなっていた。

残りの人生も長くないところで、
独学を続けて東大入学に年数をかけるよりは、
お金を遺すべき家族もいないことだし、
人生悔いが残らないようにするためにも、
お金をかけるところはかけようと決心した。

果たして、K塾に通って正解だった。

まず、すべての先生が
生徒の個別の質問に親切丁寧に答えてくださった。

そして、一クラスは五十人ほどなのだが、
クラスメートはお互い
足の引っ張り合いをするようなことは決してせず、
分からないところを教え合ったり、
欠席した子には、
他のみんなが進んでノートやプリントを見せたりした。

私の場合、昨年の11月~12月、
選挙のため予備校を休んでしまったのだが、
選挙後、クラスメートにはかなり助けられた。

そして、先生の他に、
個別に進学指導や相談にのってくださる
専門の職員の方も数人いらっしゃるのだが、
私が、選挙準備のため、
事情を説明せずに予備校を欠席し始めると、
担当の職員の方が私のことを心配してくれて
何度も連絡をくださった。

このときに限らず、そして私に限らず、
こうした職員の方々は生徒のことを本気で心配してくれる。

自分のことを
こんなにも心配してくれたことに感激した私は、
いつの間にか、
職員の方々やクラスメートのためにも、
絶対合格しなければならないという想いが強くなった。

そして、今年の3月、
みんなに助けられたおかげで、
何とか東大に合格できた。

が、この時期、予備校では授業がないため、
職員の方々にはお礼をいうことはできても、
先生方にはお礼をいうことができなかった。

そこで私は、この4月~6月に、
大学で授業のない日にK塾を訪れては、
お世話になった先生方にお礼を申し上げた。
通常はここまでする必要はないのだろうが、
私の場合、年齢が年齢だけに
先生方にかなり心配をかけてしまっていたので、
どうしてもお礼を直接いいたかったのである。

そして、二ヶ月かけて
すべての先生にお礼を伝え終わり、
K塾を出ようとしたところ、
警備員の方をお見かけした。

そして、その警備員の方にもお礼を申し上げると、
なんと、
その方も私の合格を知っておられたのである。

K塾では、本人承諾の下、合格者の写真が
氏名・出身校・コメントとともに貼り出されるのだが、
警備員の方々も私のことを心配してくださっていて、
私の写真を見て喜んでくださっていたとのこと。


こうした素晴らしい方々と出会う機会を与えてくれた
K塾には感謝の限りである。

そして、ここでのすべての出会いが
私にとっては一生の宝である。



Tag:
| TrackBack:0
もう一週間ほど前になるが、
今月の16日・17日と、
東京大学の本郷・弥生キャンパスで
“五月祭”なるものが催された。

要は学園祭なのだが、
これが本当にうまくできていると感じた。

どういうことかというと、
原則、入学したばかりの一年生が
飲食物などを売ったりするのがミソ!

私のクラスは、
とろーりチーズの溶けたオムレツで
焼きそばを包んだ
“オム焼きそば”を販売したのだが、
これが大盛況!

二日間、お客が絶えなかった。

これには理由があった。

つまり、チーズ入りの“オム焼きそば”という
アイデアがよかっただけでなく、
機材の準備から材料の調達、仕込みや調理まで、
手間暇のかかるものをチョイスしたにもかかわらず、
チームワークが驚くほどよかったからこそ、
うまくできたということである。

準備は、先月の入学早々から始まっていた。
許認可や機材入手などのための諸手続き、
看板の作成やTシャツのデザイン等々…。

ただ、私の場合、
江東区長選挙の準備、選挙運動
そして後始末・事後処理の時期と
ちょうど重なっていたため、
五月祭の準備については何もできなかった。

だからこそ、五月祭の前日の準備と
当日の二日間だけでも、
全力を尽くすつもりだった。

が、私に割り当てられたオムレツづくりが
ダメダメであることが判明。
得意の呼び込みに専念した。
朝の駅頭や選挙でノドは鍛えていたからだ。

『なんで、プロみたいなおっさんが
呼び込みしてるんだ?』
という当然の疑問を抱くお客さんに
丁寧に説明をしてくれる
クラスメートを遠目に見つつ…

当初は、“オム焼きそば”の予想以上の反響で
てんてこ舞いとなる場面もあったが、
これをチームワークでうまく切り抜けることができた。

私のように、
個人個人でみると得手不得手はあるが、
各人が適材適所で一生懸命になれたからこそ、
クラスとして成功した。

準備段階からクラスメートが協力し合うことで
各々の性格をはじめお互いをよく知り、親しくなり、
そして、絆が深まる。


そもそもは、
こうしたことを意図して始まったわけではなさそうだが、
五月祭が学園祭シーズンの秋ではなく春に、
しかも一年生が主体となって催されることの意味は、
ここにあるのではなかろうか。



Tag:
| TrackBack:0
その日の朝も、
一声一声、感謝の気持ちをこめながら
通勤・通学のみなさんに声をかけていた。
しかし、
だんだんと選択の時間が迫って来た。

その日は東京大学の入学式であった。
そろそろ切り上げないと、式に間に合わない。

しかし、ここで去ってしまうと
挨拶を途中で止めてしまうことになる。

以前、東大を中退したのは入学式前だったから、
今回が最初で最後の入学式になる。

そう思い、私は
入学式の出席のほうを選択した。

私が挨拶を止めるのを待っていたかのように、
雨が突然降り出した。


入学式会場の武道館に到着するころには
雨は激しさを増していた。

『保護者はこちらじゃありません』

と言われないよう、常に
左手に傘、右手に学生証を握りしめていた。

その甲斐あって、
係員の方から何の注意も受けずに
すんなり武道館に入場できた。

格闘技やコンサートの聖地、
しかし、式開始間近に行ったため、
座らされたのは二階席だった。

同じ二階席には保護者用の席も見えた。
むしろ年齢的にはこちらのほうに座るべきか。

自分らの子どもが東大に入学。
さぞかし喜ばしいことであろう。
独身で子どものいない私でも、想像がつく。

おばあちゃんやおじいちゃんが
出席されているご家族も少なくない。

私の同級生のなかには、
地方から上京してきたおばあちゃんのために
東京を案内した子もいた。

私には祖父母はおろか両親もいない。
孤独であることが苦にならない私でも、
その日その時だけは、
さみしかった。


が、その数日前の
中学の同窓会の準備のため
居酒屋で数人集まったときを思い出した。

その時、
開始から一時間くらい経つと、
バースデーケーキが運ばれてきた。
四月の誕生日が二人いたからだ。

しかし、
一月が誕生日の私の名前も
チョコレートプレートにあった。

そう、いっしょに
東大合格を祝ってくれたのである。

さらに数か月前の一月にさかのぼると、
自分の誕生日のときには、
予備校で同級生の女の子二人から
『お誕生日おめでとうございます。』
と声をかけてもらっていた。

誕生日に声をかけられたのは、
亡き母がかけてくれて以来、
数十年ぶりであった。多分。


今までの選挙や、その後も
たくさんの方々から励ましの声もいただいた。

そう、私にも仲間がいる。


そう気がつくと、
選挙権のない同級生たちの姿が見えてきた。



Tag:
| TrackBack:0

以前、私についての記事が、
4月7日発売の『サンデー毎日』に掲載された旨
申し上げましたが、
読んでおられない方もいらっしゃるかと思いますので、
記者の方のご厚意により、
以下にその内容を紹介いたします。

ウェブサイトの合格発表で自分の番号を見つけた時、一人、部屋で思わず「やった!」と叫んだ。
猪野隆さん、50歳にして東京大学文科一類に合格。以前に一度合格しており、今回が二度目だ。
東京都立城東高校を卒業後、一浪して上智大学経済学部に入学。卒業後参議院事務局に入局した。
1990年、国家公務員Ⅰ種試験に合格し、国税庁に入った。
そこからOECD(経済協力開発機構)に出向したことが転機となった。
「日本だと上司から仕事をチェックされることが多いのですが、OECDでは自由にやらせてくれた。
国際会議での発言内容も、指示されることはありませんでした」
2年間の出向を終え帰国。職場に戻ると自分の裁量を振るう機会がほとんどない。
鬱積した思いが勉強へと向かう。
「OECDの勤務で、各国の職員と渡り合うには英語力だけでなく
世界の歴史、政治、文化を知ることが必要だと痛感しました。
もう一度勉強して教養を身につけたい、と」
どうせ学ぶなら最高の学府の最高の教授陣でと、東大受験を決意したのが今から約20年前だ。
土日は終日予備校、平日は仕事の後にZ会の通信講座。
一年間仕事と勉強に明け暮れ、見事一度目の東大合格。
しかし両親の病気が悪化し、介護の必要から仕事を続け通学を断念する。
せめて合格した証拠を残そうといったん入学し、前期授業料を支払って健康診断を受けた後、
後ろ髪を引かれながら大学を後にした。
猪野さんがもう一つ胸に秘めていたのが政治への決意だ。
2012年11月の衆院解散。
猪野さんは当時、大阪国税局に勤務し「維新の会」の隆盛を目の当たりにしていた。
立候補者公募に応募し、退職して東京11区から総選挙に出馬、約5万票を集めるも、
下村文部科学大臣に敗れ、次点で落選した。
仕事を辞め、選挙にも落選してやることもなくしてしまうと、またむくむくと東大へ行きたいという思いが湧き上がってきた。2回目は1年間、河合塾に通った。
「一度受かっていたので簡単に考えていましたが、2回目は甘くなかった。
英国数は頭が多少おぼえていたものの、暗記もの、特に歴史が覚えられない。
電車の行き帰りにテキストに目を通し、時間があればNHKの英語講座を聴いていました。
勉強することは好きだったので、つらいとは感じませんでしたね」
河合塾本郷校で猪野さんを担当していた進学アドバイザーの有賀直子さんは言う。
「親と同年代の猪野さんがアドバイスを聞いてくれるか心配でしたが、
こちらが指導したことを素直に受け入れ、すべてこなしてくれました。
教室に猪野さんがいることで、他の受験生にも頑張ろうというムードが生まれました」
貯金で食いつないできた猪野さんにとって、経済的にもぎりぎりだった。
「家族がいないからできた。
政治、法律の勉強をしっかりして、有権者に分かりやすく情報を発信する政治家になりたいですね」



Tag:
| TrackBack:0

先日もお知らせしましたが、
本日7日(火)発売の
『サンデー毎日』の22頁に
私についての記事が載っています。

当初は、半ページにも満たない小さな記事だと
言われていたのですが、
結局、一ページに渡る記事でした。

私の知名度アップにもつながりますので、
もし、よろしければ、
みなさまのご親戚やご友人・知人の方々にも
広めていただけると幸いです。

サンデー毎日写真

Tag:
| TrackBack:0

今週火曜に発売した
『サンデー毎日』4月12日号増大号に
“東大合格者814人が実名で回答『合格の秘訣』”
に私の名前と回答が載っています。

そして、来週火曜7日に発売予定の同誌に、
半ページにも満たない小さなスペースですが、
私についての記事が載る予定です。

取材理由は、
やはり中高年で合格したということで、
先日、記者の方に
インタビューを受けると同時に
笑顔とドヤ顔の表情二パターンで、
桜の木の下で二十枚ほど写真を撮っていただきました。



Tag:
| TrackBack:0
先日、東京大学(文科一類)を受験したのですが、
今日、合格発表があり、
無事、合格していました。

二年前の衆院選で落選後、
昔退学した東大に復学しようと
駒場キャンパスを訪れた際、
『復学はできるが、手続きは翌年の夏以降』
といわれたたことは拙著でも紹介した。

ということで、その翌年の夏、
再び東大を訪れた際、
『復学可能か返答は数か月待ってくれ』
といわれ、その年の9月下旬、
『退学から十年以上経っているので、
入学したかったらセンター試験から受け直してくれ』
といわれてしまった。

それから
「話が違うじゃん」
と思いつつ勉強を開始し、
昨年も東大を受験したが、
案の定、不合格。

そして、今年、再チャレンジし、
なんとか合格できた。

昨年の11月中頃、
「そろそろセンター試験対策をしよう」
と思った矢先、突然の衆院解散。

選挙に出たため、まったく勉強ができず、
今年1月のセンター試験は
ほぼ丸腰状態で受けたため、
得点率が8割を切るという
東大受験生としてあるまじき結果を出してしまった。

しかし、その後、足切は免れたので、
朝の駅頭挨拶後、
予備校の直前講習を受けるなどして
猛チャージ、
その甲斐あって何とか合格できた。

通学の理由は、
勉強したいという純粋な気持ちと
また、塾講師や家庭教師などで
生計を立てるためである。


そして、今日は、
東京大空襲から70年の日でもある。

私の亡くなった祖父は、その時、
防空壕が崩れるのを未然に察知し、
そこから家族といっしょに抜け出し、
難を逃れたものの、
その後、家族がバラバラになったが、
奇跡的に再会できた
そんな話を聞いたことがある。

こうした祖父を始めとする祖先の
生き抜こうという努力、
そうしたことが重なって、今の私がある。

だから、今回の合格は、
祖先のおかげでもある。

東大合格発表の日、
そして
東京大空襲70周年の今日、
3月10日、
そんなことを感じた。



Tag:
| TrackBack:0

先日、東大の合格発表がありましたが、
やはり不合格でした。

結果は分かってはいたのですが、
改めてつきつけられると
やはり、ショックです。

お知らせするのが後れたのは、
やはり、恥ずかしいことは伝えづらいものですし、
そして、ここ数日、
東日本大震災3周年を迎え、
世の中が復興や防災といったことに
思いを寄せているときに、
個人的なことをブログにアップしづらかったからです。


試験結果については、
最近、有料ではありますが、
点数やおおよその順位が分かります。

今回の私の結果は、
不合格者の平均あたりでした。

東大への復学は、
私の今後の人生におけるプランにおいて
不可欠なものと位置づけていますので、
この一年本気で勉強して、
また来年、チャレンジしようと思います。

応援してくださった皆様には、
残念な結果しかお知らせできず、
何か、もうしわけないです。



Tag:
| TrackBack:0
先日、東大を受験してきたが、
昔受験したときと、
えらく雰囲気が違っていたので、
今回はその違いを紹介させていただきたい。

まず、駅を降りて見たときの光景。

東大駒場キャンパスは、
駅を降りてすぐそこにあるのだが、
駅と校舎の間の空間に埋め尽くされた
予備校関係者の数、そして予備校ののぼりの数が、
尋常でない。

そう、あの正月の箱根駅伝の
スタート地点やゴール地点のような
あの賑々しい雰囲気なのである。

昔は、受験生と
数人の父兄の方くらいしかいなかった。


教室に入ると、
木のにおいがまるでしない。
昔の椅子や机をつぶさに思い出すことはできないが、
こんなに無機質な感じではなかった。

ただ、今の椅子のほうが機能的で
座りやすい。

暖房も、昔はパイプむき出しの
スチーム製のやつだったような気がしたが、
今はもちろん、どこにでもあるエアコンである。

教室の上のほうに数台のテレビもあったが、
これも昔はなかった。


試験監督官も、昔は、白髪まじりの、
どう見ても今の私よりも年齢を重ねている
教授らしい方々だったが、
今回の試験監督官は、30代くらいの方々だった。

よって、センター試験のときと同様、
今回も、私が試験室の中で一番の年輩者となった。


試験開始30分前になると、
携帯やスマホを机の上に出し、
そして、目の前で電源をオフにして
カバンにしまうよう言われた。

ここまでするのは、数年前の京大入試で、
携帯によるカンニング事件があったからだろう。


そして、試験が始まる10~20分前くらいに
トイレに行ける再チャンスをもらえるサービスも
新しい。


地震が起きたときの注意事項は、
きっと東日本大震災以降のことだ。


休憩時間も、昔は、
科目終了ごとに教室から追い出され、
それでいながら
キャンパスから出ることも許されなかったので、
休憩時間になると、一時間以上、
ひたすら校内をぐるぐる歩き回っていた。

が、今は、休憩時間になっても、
教室にいてもいいし、校外にも出られる。


試験終了後は、
昔は解答用紙が集められたら
すぐに教室から出られたが、
今は30分くらい待たされる。

しかも、駅が混雑しないように、
教室のある建物ごとに時間差で退出するのだが、
これも昔はなかった。


さて、肝心の試験のできだが、
結論からいうと、散々なものだった。

この前のブログで、
全力を出し切りたい旨ほざいたが、
そもそも実力がなければ、
全力を出そうにも、出せない。

また、真央ちゃんの例も挙げたが、
実力のある彼女に例えたこと自体、
おかしかった。

多くの方から
応援メッセージをいただいていたのに、
本当に情けない…

ここ数か月の努力で得たのは、
実力のなさを痛感できる能力だった。


ショックのあまり、
帰りの電車で乗り過ごしてしまった。



Tag:
| TrackBack:0
さて、いよいよ明日から、東大受験です。
私の1月のセンター試験の結果は、
真央ちゃんでいうSPみたいなものでした。

ただ、違うところは、明日からの二次試験で、
真央ちゃんのフリーように全力を出し切れたとしても、
合格という結果が伴わなければ、
まったく意味のないところです。

ま~、そもそも比べること自体
ナンセンスですが…

メダリストの椅子は世界に三つしかない。
他方、東大合格者は、毎年、数千人もいる。

真央ちゃんは20年近く、
血のにじむような努力をしてきて、
国民もいっしょにそれを見守ってきた。
だからこそ、あの全力を出し切ったフリー演技が
みんなの感動を呼んだ。

真央ちゃんに近い人物ほど、
真央ちゃんと同様、毎日精進を積み重ね、
緊張感ある修羅場を経験してきた人ほど、
あのフリー演技の重みが理解できたはず。

方や、私の努力は5か月足らずの、
しかも、誰からも見守られることのなかった
つまらないもの。


それでも、真央ちゃんのように、
全力だけは出し切れるように頑張ってきます。



Tag:
| TrackBack:0
先月、センター試験を受け、
結果は7割5分。

足切りの可能性はあったものの、
とりあえず東大を受験すべく出願しておいた、
ということは、今月4日のグログでお話した。

そして先日、東大の第一次合格発表があった。

心配していた足切りは免れた。

と、いうより驚いたのは、
足切りを免れた受験生の平均点が
8割を切っていたことである。
昔なら足切りのボーダーラインである。

これは、
『ゆとり世代だから、点数が低かった?』

いや、そうではないみたいだ。

出題する側としては、
ゆとり世代の問題はやさしい
と思われるのが嫌だったみたいで、
ここ数年、国語と数学が難化しているのである。

それで、平均点も
ここ数年下がっているようだ。

特に、国語がひどく、昨年の平均点は、
35年前に始まった共通一次時代も含め、
史上最低だったのだが、
今年はさらにそれを下回り、5割を切った。
50万人以上も受験して、
満点が一人もいなかったのである。

たしかに、私も古文の問題を見た時、
「センターで源氏物語とか出すなよ!」
と思いつつ、一応、読んでみたが、
不倫した夫に愛想をつかした妻が、
子どもを連れて実家に帰るという
相変わらず不らちな内容の作品で、
こんなの、うぶな高校生に読ませるなよ、
と思ったくらいで、
詳細はまるで分からなかった。

国語の試験が終了したとき、
周りでもどよめきが起きていた。


私が感じたのは、
問題作成者を指摘できる者がいなかったんだな、
ということ。

私も昔、
ある公務員試験を作成したことがあるが、
「こんなすごい問題、君たち解ける?」
という感覚で、最初、作ってしまった。

そしたら、人事院の担当者から、
『もっと試験問題であるということを
 意識したものにしてください。』
と言われてしまい、
何度も手直しをした記憶がある。


公務員試験の後、
出題した問題の評価も行われた。

問題の良し悪しは、
選択式問題の場合、正答率だけでなく、
成績上位者の正答率と
下位者の正答率との差で測られる。

例えば、
ある5択問題の正答率が20%であったとしても、
成績上位者の正答率が30%で、
成績下位者の正答率が10%なら、
その問題は良問ということになる。
逆に、
上位者も下位者も正答率が同じ20%だったら、
受験生の能力を測ることができなかった
駄問と評価される。


今年のセンター試験の場合、
国語の古典と数学の確率は、
記述式問題でじっくり考えさせるような問題で、
短時間に基礎学力の到達度を測るための
問題ではなかったような気がした。

学者か誰だか知らないが、
問題作成者に対して指摘できる者が
おそらくいなかったのであろう。



Tag:
| TrackBack:0
裁判所で判決があった後、
東大の入学試験出願のため、
提出する書類を入手すべく、
出身校の城東高校に寄った。

“調査書”という
高校の成績とか当時の担任の先生の
私に対する人物評価とかが記載されている
書類である。

しかし、高校を卒業して30年、
保存年限が過ぎていたので、
調査書は発行できないといわれた。

ただ、実は、
入学試験募集要項にも、
こうした事態は想定されていて、
発行不可の場合は、
その旨の証明書を提出することになっている。

それでは、大学側は、
何のために調査書を提出させるのだろうか?

得点には関係なさそうだが、
変人を排除するためなのか。

入学試験の出願用紙には、
もちろん、
生年月日を記載する欄があるのだが、
そこには『平成』と並んで、
未だに『昭和』もある。
(さすがに『大正』『明治』はない。)

大学側は、明らかに
昭和生まれの人の入学も想定している。

この前の箱根駅伝でも、
“最後(?)の昭和生まれのランナー”
といわれた東農大の選手がいた。

ということであれば、
調査書の保存年限も
半永久的にすべきようにも思えるが、
そんな例外的な者のために、
他の全卒業生の調査書を保存するのも、
費用がかかってしまう。

そうすると、
十代、二十代の受験生にだけ、
調査書を提出させる意味は一体何なのか、
と考えてしまう。

大学側が受験生のプライバシーをのぞいて、
楽しむためなのか。



Tag:
| TrackBack:0
拙著の本にもあるように、
退学した東大に復学しようと、
衆院選後の一昨年末、
東大の駒場にある窓口を訪れた。

そのときは、
今年の4月から復学できる
という話だった。

そこで、昨年の夏、
復学の手続きをしようと、
再び東大を訪れたのだが、
そこでは保留扱いされた。

そして、昨年の9月下旬、東大側から、
退学から10年以上経っているので、
復学できないとの連絡があった。
入学したかったら、
もう一度センター試験から受けなおしてほしい、
そう、言われた。

今さら、なんで?
と思って確認してみると、
どうやら、一昨年末に対応した職員が、
規則をきちんと確認していなかったのが
原因だったというのが分かった。

規則で再入学できない以上、
文句をいっても仕方がないので、
昨年9月末、慌てて現行の教科書などを購入して、
受験勉強を始めた。

そして、先日、
実際、センター試験を受験してきたのである。

一度、東大に合格しているので、
三ヶ月あまりの勉強でも何とかなるかと思ったが、
甘かった。
結果は散々たるもので、7割5分。


そう、まるで
昔はスポーツが得意だったおっさんが、
若いころのように走ったりプレーできると思っても、
身体がついていかない。

それと同じことが、頭の中でも起こったのである。
解けそうで解けない…


東大側から、
もう一度センター試験から受験し直してほしい、
そう、言われたことに納得してしまった。

昔活躍した選手でも、
今、実力がなければ試合に出場できない、
そんな感じである。


それにしても、
足切りはくらわないよう、
8割は取りたかったのだが…

7割5分では、おそらく足切りをくらう。
でも、一応、
出願だけはしてみようと思う。

やはり、東大できちんと勉強してみたいし、
食いぶちとして塾講師などをするにしても、
今のままでは無理。

それに、受験に関していえば、
教育にお金にかけることのできる
そんな家庭に生まれた子どものほうが有利。
こうした不公平な現実を少しでも解消すべく、
自分は、地元の公立の学校に通っている子どもたちに
教えてあげたい。

“今でしょ”の先生みたいに、
教育のプロとして大成することが目的ではないので、
正直、報酬の額は気にしない。
とにかく落選状態でも
生きていければいいのである。

さらに、その選挙との関連でいえば、
自分の支援者を増やすにしても、
既存の団体には相手にされなくとも、
あちこちで教育活動をすれば、
未来の有権者やその親御さんたちに
自分のことを知ってもらう絶好の機会となる。

もともと子どもに教えることは好きだし。

だから教育活動は一石三鳥。

そのためにも、
やはり東大に入学しておきたい。

ただ、そのためには、
もっと本気で勉強する必要がある。

センター試験を受験して、
そう痛感した。



Tag:
| TrackBack:0

数学は、いずれ勉強しておこうと、
中古の『月刊 大学への数学』を
ヤフーオークションで手に入れていた。

センター試験を受けることに決め、
最近、問題を解き始めた。

これが、おもしろい!

数学のいいところは、文系科目と違って、
答えがはっきりしているのに、
その答えを導く過程がいくつもあることだ。

難解な式だらけの解説を見て理解できなくとも、
解説にはない、
図やグラフで視覚にうったえた方法で
解けたときの快感はこの上ない。
私は、右脳人間なのか?

20年近く前、北野武さんが、
フライデー襲撃事件で数か月間謹慎中、
数学の問題を解いて時間をつぶしていた
というのもよく分かる。


ただ、私は、
数学の専門家や学者には
向いていないみたいだ。

大学以上の数学になると、
図やグラフで表せないレベルになり、
式だけでしか表せない
複雑な世界に入ってくるからである。


でも、高校生以下の生徒に教えるという話になると、
私のような解き方のほうがいいのかもしれない。



Tag:
| TrackBack:0
とりあえず、
センター試験を受験することにしたので、
本屋に行って、最新の歴史の教科書を購入した。

世界史の教科書をめくってみると、
中国は“明”の時代(室町時代から江戸初期)の
代表的な小説に、
“三国志演義”、“水滸伝”、“西遊記”に並んで
“金瓶梅”というのがあった。

文部科学省お墨付きの
教科書に載っているくらいだから、
さぞや、高尚な小説なんだろうと思い、
専門書をひも解いてみると、

『(明の衰退期、)善とされたものは偽善と見なされ、
 恥と見られたものは人間の至情とされた。
 そして本能を肯定し、悪の華を賛美した。
 そのことを物語るものに、…
 風俗長編小説“金瓶梅”がある。…
 片いなかに住んで薬屋を営むやくざの主人公が、
 官吏(公務員)に賄賂を送ってコネを求め、
 悪のかぎりを尽くして巨富を築き、
 いっぽう、女色に耽っては多くの妾をおき、
 人妻と姦通するなど、
 ただれた放蕩生活をおくったのち死に、
 やがて一家は離散する、
 という筋だが、
 新興商人の破廉恥な蓄財の経過、
 あるいは性的行為の克明な写実描写などが、
 その麗筆とあいまって天下に宣伝された。
 そこには、勧善懲悪といった倫理的な主張はなく、
 逆に人間生活の恥部とされるものに真実を認め、
 大胆に描いたところに、
 (退廃主義という)時代の精神がうかがわれる。
  ……
 “金瓶梅”に説かれた人間本能の肯定は、
 ここでは人間の純粋性の形で理論づけられた。
 そこに万暦時代(明の衰退期)の精神を見られよう。』

とあった。

現在、大英博物館に展示されている日本の春画も、
これまで、あまりにヒワイで
展示を拒否されるほど描写が露骨らしいが、
この”金瓶梅”の挿絵も、“えぐい”。
R〇指定の小説といっていいみたいだ。


さらに、明代末期について、
こんな記述もあった。
『派閥形成の目的は主義主張ではなくて、
 権力や富貴を得るためにある。
 ここに、…明末の風潮が見られる。』


まさに、現代は、
明の時代の衰退期と同じか?



Tag:
| TrackBack:0
9月26日、お墓参りの後、
地元に戻って、
母校、都立城東高校に寄る。

東大を退学してから十数年、
公務員を辞めたので復学できるかと思い、
衆院選後の昨年末、
駒場にある東大の事務所に尋ねたら、

『2013年4月からの入学は無理だが、
 2014年からの入学は可能。
 ただ、手続きはまだ早いので、
 夏ごろにもう一度来てください』

というようなことを言われた。
(拙著の本ご参照。)

そして、この夏、再度、尋ねたら、
退学に至った経緯と再入学希望の理由を
書面で提出するよう、言われた。

そして、書面を提出してから三週間後、

『先生に聞いたら、
 退学して10年以上経っているので、
 再入学は認められない。
 入学したかったら、再受験して下さい。』

という返事がきた。

昨年末といっていることが違うし、
それなら、なぜ書面を提出させたのか?
そもそも”先生”って誰だ?

とぼやいても仕方がない。
センター試験受験の申込は10月から始まる。
とりあえず、申し込んでおくしかない。

そのためには出身高校の卒業証明書が必要だった。

証明書を発行してくださった
城東高校の事務員の方、
どう見ても自分より人生の後輩だが、
『なんか、その年齢で大変そうですけど、
 頑張ってください』
という表情をされたように見えた。


と、いっても、世界史と古文は、
家庭教師とか塾講師をしようと思って、
多少、勉強していたのだが、
現代文はともかく、
日本史か地理、数学、理科(物理か生物)は、
今から勉強して間に合うか?
英語は、仕事をしていたときの蓄積に頼るしかない。

でも、何の肩書きもない今のままだったら、
家庭教師とか塾講師とかになるのも難しいし…
とにかく、チャレンジするしかない。


ただ、十数年前の合格は
母校が認めてくれなかったところ、
(これも拙著の本ご参照。)
今度こそ認めさせるチャンスかもしれない。



Tag:
| TrackBack:0
実は、食いぶちを稼ぐために、
塾講師とか家庭教師をしようと考えている。

そこで、今回は、およそ5か月ぶりに
お受験勉強の方法について述べてみたい。
(12/30、12/31、1/6付のブログご参照)

今回は、東大古文についてである。

助動詞などの文法事項や重要単語を知っておくことが
必要不可欠であることは言うまでもない。

ただ、東大古文は一筋縄ではいかない。
まず、実際に東大入試で出題された
次の『大和物語』の一節を読んでみていただきたい。

“近江の介(平安時代の官人)がむすめ、物の怪にわずらひて、
 浄蔵大徳(平安時代の高僧)を験者にしけるほどに、
 人とかく言ひけり。
 忍びてあり経て、人の物言ひなどもうたてあり、
 なほ世に経じと思ひ言ひて失せにけり。”

この解説の前に、東大古文の特色について述べると、
重要単語集にはない語句の意味を文脈から類推させる能力、
そして、その文脈だが、
物語の展開やストーリを
問題の注書きや中世の常識から類推させる能力
これらの能力を試しているように思える。

まず、実際の入試で意味が問われた語句の例として、
“こしらふ”(なだめすかす)
“言ひおもむく”(説得して仕向ける)
“物へいく”(外出する)
“相する”(占う)
“思ひけつ”(さげすむ)
などがあげられる。
これらの語句は、市販の重要単語集に載っていないばかりか、
中辞典程度では載っていないものさえある。

ただ、ここまでは、文脈さえつかめれば何とかなる。
問題は、その文脈というか、ストーリをつかむほうだ。

例えば、実際の東大入試で出題されたお話しには、
次のようなものがある。
『堤中納言物語』の一節である。

 妻のいる男性が、別の女性のところに夜ばいに行く。
 不倫相手の娘のほうの父親はというと、
 まー、しゃーないか、
 とそのまま認めていたのだが、
 さすがに世間のほうがうるさくなってきたので、
 夜ばいをした男に、娘を何とかしろ、という。
 そこで、男は、長年連れ添った妻のほうを
 どこに追いやろうかと悩んだあげく、
 とりあえず、不倫の事実を妻に打ち明けて
 妻の反応を見てみよう、というところで終わる。

女性蔑視もはなはだしいお話しだが、
これなんか、
 男性が女性のところに
 三日連続で夜ばいして、やることやって、
 娘の両親のほうはというと、
 そのことを知っていても知らないふりをし続け、
 それで男性が認められたら正式な夫婦となる、
こうした、当時は三連の夜ばいを必要とした時代背景を知らないと、
なかなか分からない。

また、実の妹に対する恋情を描いた『増鏡』の
一節が出題されたこともあるが、
これなんかも、まさか兄が妹に恋愛感情を抱くはずがない
と思い込んで読むと、まったくストーリが分からなくなる。

さらに、実際の東大入試で出題されたわけではないが、
『古今著聞集』には次のようなお話しがある。

 ある女性歌人がいて、
 自分の歌を勅撰集に載せてもらおうと、
 男性といったん肉体関係をもった後で捨てられ、
 そのことを嘆く歌を事前につくっておく。
 そして、計画どおり、後三条天皇の孫と肉体関係をもち、
 捨てられた上で、その孫に事前に用意した歌を贈り、
 見事千載集入集を果たす
 というお話しである。

現代ふうにいえば、枕営業ともいうべきお話しである。
しかも、お相手は天皇の孫で、目的は官選文集入集である。

もちろん、格式高い古文のことだから、
肉体関係をもつというところは、
“逢ふ”とか、“見る”という表現でごまかす。
いやいやいや、“見る”じゃないでしょう。
いくら、当時の貴婦人が
めったに男性に姿を見せることがないといっても…

こんな感じだから、源氏物語に代表されるように、
倫理や道徳も何もあったものではないことが
中世ではよくあるということを念頭に古文を読む必要がある。


そこで、冒頭の『大和物語』を
もう一度読んでみていただきたい。

これ、実は、
 病気の官人の娘のために
 高僧が加持・祈祷をしている間に
 二人ができちゃって、こっそり交際を続けていたんだけど、
 周りの人から、現代の週刊誌じゃないけど、
 何やかや言われるから、
 こうした噂にこらえきれなくなった高僧のほうが、
 “もう世間では暮らしたくない”
 と思いそう言って、行方をくらました、
という意味である。

たしかに、この文章のあとに、
男女間の恋歌のやりとりがあるのだが、
まさか、こんな不らちな文章がでるわけがない
と思いこみながら読んでしまうと、
“失せにけり”なんか、官人の娘が亡くなった
と解してしまいがちである。

そして、娘は亡くなったはず、
さらに、高僧が恋愛の当事者になるはずがない、
そう思い込んでしまって、後に続く恋歌のやり取りと読むと
もう、頭がこんがらがってしまうのである。

中世は、倫理も道徳もあったものではない、
そう思って読まないと東大古文は解けない。

だから、難しい。



Tag:
| TrackBack:0
東大合格のための勉強方法 | 日記
国会議員になってみたい。

仕事をしているうちに、考えるようになった。

ただ、私は知名度ゼロ。
どうすれば、知名度を上げることができるか?

  そういえば、昔、
  110キロ台のボールしか投げられないのに
  プロ野球選手になれた東大出身のピッチャーもいたな…

東大出身者だからニュースにもなる。
東大というブランドはすごい。

現在も、クイズ番組を中心に、
東大生、東大出身という括りでテレビに出られる。

関係ないが、いつの間にか、女子アナもそんな存在になった。
噛んだほうが人気が出て、芸能人の登竜門と化している。


  東大に通う国会議員って、目立つ!

そう、思ったのが東大受験を決めた直接のきっかけではあった。

ただ、学歴コンプレックスというものが
根底にあったのも確かだ。

20代半ば、私にとっての大恋愛をしたことがある。
と、いってもお付き合いさせてもらったのは
三か月足らずではあるが。

ふられた本当の理由は分からない。

ただ、彼女がよく口にしていたのは、
元カレが東大卒で、会話に教養がにじみ出ていたが、
私にはそれが感じられないということ。

例えば、みなさん ”鹿野山”って読めます?
私は、これを ”しかのやま”と読んでしまいました。
そうしたら、彼女は大笑い。

  昔(1979年)、トラの脱走事件があって
  あれだけ有名になったのに、なんでちゃんと読めないの?

この山は、”かのうざん”といって千葉県は君津市にある山だ。


本当は、東大出身ということと教養があるということとは直接はリンクしない。
しかし、受験生時代には気にしていなかった東大というブランドが
頭から離れなくなってしまった。

それからというものの、今までの人生、
学歴を書いたいり、言わなければならないことが
それこそ、何百回とあったが、その度に釈然としない思いが…

それに、同じことをいうにしても、
東大出身者がいうのと、それ以外の人がいうのとでは、
信用力がまるで違う。

学歴が人生を左右するといっても過言ではない。

会社や役所の採用時に痛感した方も多いはず。
就職にしても、先ほどの野球界や芸能界にしても、
最後は実力だが、スタートが有利であることに間違いない。
職人という学歴不要の世界でも、邪魔にはならない。

要は、東大出身者は有利なスタートをきることができる。
そして、優越感を味わえることもできる。
私の場合、こうしたメリットを享受できる年齢ではもはやなかったが…


そして、もう一つ、実際に受験を決意させたまっとうな動機は、
大学できちんと勉強したかったということ。

社会に出て初めて、勉強の必要性を痛感させられる。
なんとも皮肉なことである。

特に、税務という職業はそうである。
経済や簿記はもちろん、民法、刑法、会社法、訴訟法
そして憲法といった基本法が深くかかわっているので、
本当に、大学できちんと法律、経済を勉強したいと思った。

また、税務調査先の会社の方などとお話しをするときにも、
ある程度の教養は必要である。

さらに、OECD(経済協力開発機構)に勤務をしていたとき、
職員らと話をするにしても、英語力そのものはもちろん、
世界や日本の政治、歴史・文化、教養等々が必要で、
そして、何ごとも個人的見解をもつことが必要であることを、肌で感じた。


だから、週末や祭日などは一日中勉強した。
予備校でも、年齢がいっていたにもかかわらず、
一番前の席で聴講していた。
したがって、年齢も比較的近かったということもあり、
講師ともすぐに打ち解けることができた。

平日も、仕事の前や後に、余裕があったら勉強をしていた。

なお、短時間の勉強で東大に合格できた ”秘密”は、
”お受験勉強の方法”というカテゴリの
この私のブログをご覧いただきたい。



いよいよ合格発表の日。

テレビカメラに映りたくなかったので、
合格発表の掲示板を見ることができる時間ギリギリの時刻に行く。
周りに人影はまばら。
マスコミのみならず、胴上げ要員の学生さんの姿もない。
この時、私は悲観的だった。
不合格した場合のこれから一年の勉強スケジュール、
シミュレーションで頭がいっぱいであった。

ドラマにあるように、上から順番に番号を見る。


が、見つかる瞬間というものは、
意外にあっさりしたものである。

一人ガッツポーズしようとしたが、
うれし涙のほうが先行しかける。
が、こらえた。

人生で三番目にうれしかった。
なぜ、三番目と分かるかというと、
うれし涙をどれだけこらえることができたかで分かる。

ちなみに、今までうれし涙が出そうになったのは
この合格発表のときも含め三回のみ。
一番うれしかったときは、おいおい泣いてしまった。
二番目にうれしかったときは、ギリこらえられなかった。
そのときのお話しは、また、別の機会に。


早速、休学を考えた。そして、
実際に選挙で立候補することが決まったら復学、
そう考えた。

だから、両親には言わなかった。
二人の性格からして、私が退職しないか不安がるのは
目に見えていたからである。
不安がらせるのは、候補者となってからでいい
そう、思った。

当時、私の東大合格を知る者は、
ほんの一部の友人だけであった。

そうそう、あともう一人。
名前も存じ上げない、
当時の都立城東高校の事務職員の方。

よく、この喜びを誰に最初に報告しますか、
という質問があるが、
私の場合、この見ず知らずの職員の方だった。

この方は、非常に喜んでくださった。
というのも、城東高校からは、
東大合格者はめったに出ないからである。

そして、この時、
私が高校時代にお世話になった先生方は
既にいらっしゃらなかったので、
教頭先生にも伝えておいていただきたい旨お願いした。

が、伝えてはくれなかったのか?

城東高校のHPには、在校生、卒業生も含め、
合格した大学とその人数を
過去数年分公表していたのだが、
いつまでたっても、”東京大学”という名前が載らなかった。

翌年、当時の教頭先生に直接電話で、合格した旨
伝えるも、やはり載ることはなかった。

あの時の職員の方は、あれだけ喜んでくださったのだから、
おそらく、伝えてくださったはず。
わが母校が私の東大合格を認めてくれなかったのか…


後日、東京大学の職員の方から、
休学ではなく、退学してくれといわれた。
私は、当時公務員の身分だったので、
休学でも職務専念義務違反になるおそれがあるという。

職員の方が非常に困ったような表情をされていたことと、
休学も、退学も同じか、と思ったこともあり、
いったん入学して、即4月1日付で退学。

ただ、入学する以上、健康診断を受け、前期の授業料も納めた。
健康診断を受けた際、看護職員の方に、すぐ退学するんですけど、
というと
『もったいないわね』
とおっしゃってくださった。

なお、当時は、辞職して立候補することはなかった。


それから十数年、実際立候補するも、
復学の手続きをする間などなかった。

そして、選挙で敗れたのち、
復学の手続きに東京大学に訪れたのであるが…



Tag:
| TrackBack:0
東大合格のための勉強方法 | 日記
私は、以前、教科書に書いてあることは
抽象的でかえって分かりづらい、
分かったつもりでも、本当は理解していない、
こうした旨のことを書きました。

よく「木を見て森を見ず」といわれますが、
逆に、外から森を見ただけでは十分ではありません。
つまり、教科書だけ読んでも
真に理解することは、多くの人にとっては難しいはずです。

木は広葉樹なのか、針葉樹なのか?
木の幹は太いのか、細いのか?
実は、森林砂漠といわれているものではないのか?
土壌は?森林の分布状態は?
その原因は?
日照の具合?公害?過去の天災?

枝葉まで見る必要はないでしょうが、
森の中にまで入って
以上のような状態まで分かってはじめて
その森を理解したといえるでしょう。

森の中に入らなくても外から見ただけで
すべてが分かってしまうという人もいらっしゃるでしょうが、
多くの人にっては至難の技のはずです。

抽象論やたとえ話はこのくらいにして、
具体的にお話をしましょう。

例えば、ある昔の世界史の教科書に以下のような記述がありました。

「オリエント社会では、大河の治水・灌漑のために、
 はやくから強力な宗教的支配を特徴とする神権政治が
 うまれ…前2700年ごろまでにシュメール人などの都市国家が
 多数建設された。」

ここからは、いきなり強力な支配体制が生まれたかのようにも読めますが、
実際はそうではありません。

都市成立期には、長老会などを中心とした「原始民主政」がはたらき、
対外戦争や内政の危機のときにだけ
一時的な指導者が臨時に選ばれていました。
そして、他都市国家との抗争など危機状態が長引くようになるにつれ、
一時的な指導者がしだいに長くその席にいすわり続け、
やがて専制的な支配者となっていったのです。

前6,000年ごろからはじまったエジプト文明でも、
西アジア文明との接触を機に各地の小王国が支配権を争いはじめました。
そして、上下エジプトを統一するファラオが誕生したのは
前3,100年ごろになってから、といわれています。
エジプト王朝時代の幕開けです。

国家が危機的状況にあるときには、
民主政治より、強い指導者や指導体制の誕生が求められ、
そして、良くも悪くも誕生するというのは、
第二次大戦中の軍部の台頭や大政翼賛会の誕生
にみられるように、歴史が物語っています。

だからこそ、
経済、外交・領土問題、震災などで
危機的状況にある現在のわが国にも
強い指導者が求められているのではないでしょうか。

ところで、なぜ、古代のオリエント社会では、
神権政治がおこなわれていたのでしょうか?

もちろん、社会が未開だったからでしょうが、
具体的には、
都市国家が大きくなるにつれ
強い統率力が求められていたなか、
支配権を神から受け継いだという神話が
住民支配に効果的だったからです。

しかも、メソポタミア文明とエジプト文明とでは、
神権政治のありかたが多少異なっていたようです。

前者について、教科書には
「最高の神官・戦士である王を中心に…都市の神をまつり」とあり、
後者については
「現身の神である王の専制的な神権政治がおこなわれた」
とあります。

つまり、エジプト文明のほうは、
政治的には大王、宗教的には現人神
という形の神権政治だったのです。

実際は2ページ分離れている上の二つの記載が
比較できたのかも、
教科書を読むうえでのミソとなります。

なお、わが国では、
古事記や日本書紀にある神話の体系が
全国制覇をめざしていた大和朝廷の政治目的と
深く関係していたのはあきらかです。
したがって、卑弥呼の時代はメソポタミア版、
大和朝廷の時代はエジプト版の神権政治がとられていた、
と考えてみるのもおもしろいかもしれません。

ただし、エジプトではやがて神官の勢いが増し、
それにつれファラオの威信は衰勢にかたむていきました。
そして、新王国時代には、ファラオはアモン神の使徒にすぎなくなります。
と同時に、民衆の地位も向上し、
すべての人が神になって復活することができるという
民間の来世信仰が広まっていきます。
そこで、初めてミイラづくりの風習が広まったのです。

やはり、以上のようなことも教科書からは直接読み取れません。


若干話がそれてしまいましたが、
ここで申し上げたかったのは、

いきなり専制政治が降ってわいたかのように始まったのか?

なぜ、神権政治だったのか?
未開だったからなんだろうけど、具体的には?

神権政治の内容は?その変化は?

と、疑問をもって調べようとする姿勢が大切だということです。

神権政治より前の政治体制そのものが試験で問われることは
ないでしょうが、そういう勉強姿勢が大切だということです。

ただ、いちいち調べる時間もないでしょうから、
それをめんどくさがらず説明してくださる先生が
いらっしゃれば、それがベストなのですが…

また、欲をいえば、ある事象について、
現代を含めいろいろな時代に
思いをめぐらせてみてはいかがでしょうか。

東大の入学者募集要項にも、
「入試の選択科目に偏ることなく、
 現代の複雑な社会現象を捉える眼を養うことが期待される。」
とあります。


さて、次に、以下のような教科書の記述についてです。

「こうした神権政治をおこなった各都市国家は、
 治水や灌漑によって生産力を高め、
 外国と交易して必需物資を手にいれ、また、
 たがいに覇権をきそって戦った。
 そのため、支配層に莫大な富が集まり、
 壮大な神殿・宮殿・王墓などがつくられ、
 豪華なシュメール文化が栄えた。」
 
まず、以上の記述から疑問に思っていただきたいことは、

「必需物資」って、具体的には何?
「そのため」の「その」って?
「富」って、具体的には何?
「交易」の相手は?

といったことです。

「必需物資」とは、まず、
シュメールを含む南メソポタミア地方では、
なかなかとれない小ムギ、ブドウ酒、オリーブ油などであった
と思われます。

ただ、より注目すべきは、金、銀、銅といった鉱物も
交易によって手に入れていたということです。
なぜなら、南メソポタミア地方は鉱産物がとれる
ような土地ではなかったからです。

したがって「富」とは、金、銀、銅などの鉱物のことです。
もしかして「必需物資」も、支配層にとっての「必需物資」
である金、銀、銅といったものだったのかもしれません。

要するに、
南メソポタミア地方では鉱物がとれなかったので、
金、銀、銅なども交易により手に入れ、
支配層に富が集中したということなのです。

ただ、交易先は、諸説あり、はっきりしていないそうです。

トルコのアナトリア高原が鉱産物の宝庫であり、
メソポタミア北部のアッシリア人がはるばるやって来て
現地人と、メソポタミアの織物などと鉱物とを交換していたそうです。
やがて、アッシリア人はこの高原を商業植民地化してしまうのですが、
年代含め、これが「富」や「必需物資」と関係があるのか
よく分かりません。


とにかく、教科書を読むうえで問題なのは、
以上のようなことが読みとりづらい
ということなのです。

「必需物資」が何であるのか、また
「そのため」の「その」が何を指しているのか、
こうしたあいまいさも、教科書を読みづらくしている理由です。


次は

「しかし他方では、たえまない戦争のため、一般人民は苦しみ、
 国家はおとろえて、セム系のアッカド人に征服された。」

という記述です。

これだと、一般人民はたえまない戦争だけに苦しめられた
ようにも読めますが、実際は、
不定期的におこる洪水といった天災や泥などとたたかい、
豊凶の差に苦しみ、
さらに収穫したものの多くを小作料としてとりあげられた
ことでも、苦しんでいたはずです。

ですから、多分に悲観的で、厭世的な叙事詩も
たくさん残されているそうです。

一般の農民は、こうした苦しみは
本当は支配者層の搾取によるものなのに、
そうとは気がつかず、あるいは気がついていたとしても、
苦しい状況から逃れるためには神々に祈るしかない、
農民らにそう思わせたのも、
まさに神権政治の「効用」だったのかもしれません。


さらに

「アッカド人は一時メソポタミアやシリアの都市国家を統一して、
 ペルシア湾と地中海をむすぶ広大な領域国家をつくった。
 
 やがて同じセム系のアムル人のバビロニア王国がおこり、
 ハンムラビ王のとき全メソポタミアを支配し、
 運河の大工事によって治水・灌漑をすすめた。
 王はまた王自身による統治の制度をかため、
 ハンムラビ法典を制定して、中央集権をはかった。」

という記述についてです。

まず「アッカド人は…広大な領域国家をつくった。」という表現と
「ハンムラビ王のとき…中央集権をはかった。」という表現との
差に気づくことができたか、ということです。

実際、アッカドのサルゴン王朝時の地方総督は、
司法を含め独立的な権力をもつ副王のような存在でした。
これに対し、ハンムラビ王のときの地方総督は、
司法、財政の権限はなく、純粋に行政上の問題のみを処理し、
しかも、こうした政務についてさえ、定期的に中央へ報告する
ことが義務づけられていたそうです。

ある意味、地方自治体が行政上の問題さえ
国から全面的にまかされていない今の日本よりは、
地方分権が進んでいるようにも思えますが…

また、上の記述からは、アッカド人の支配から
いきなりバビロニア王国の支配に移行したようにも
読めますが、実際はその間にウル第三王朝が
百年以上続いてます。

しかも、この王朝、ハンムラビ法典より古い
世界最古のウル・ナンム法典を制定するなどして
アッカド人がめざした中央集権的な体制を
完成の域にまで高めたといわれています。

さらに、シュメール行政文書のうち、
この王朝時代のものが圧倒的に多いそうです。

つまり、ウル第三王朝も歴史上無視できない存在だったのでしょうが、
教科書からは直接知ることができません。


ちなみに、エジプト文明でも、前3,100年ころに
上下エジプトが統一され、ファラオが登場した後でさえ、
当初は、州の自治制はおおはばに認められていたようです。
さらに、ファラオに対する従属関係にしても、
貢納や有事の際の軍事義務を負う程度の緩いものだったそうです。

各地の騒乱がすべておさまり、エジプトが完全に統合されるまでに
さらに約400年かかっています。
ここで、ようやく、ピラミッドを建設できるくらいの
多くの労働者を動員できるようになったのです。

ちなみに、この400年間を初期王朝時代といいます。
今から400年前といったら、江戸幕府が始まったころです。


最後に

「都市国家では、最高の神官・戦士である王を中心に、
 神官・官僚・戦士などが政治・経済・軍事の実権をにぎって、
 自由民や奴隷などを支配する階級社会が成立した。」と

「この(ハンムラビ)法典は復讐法の原則に立ち、
 また被害者の身分によって刑罰がちがっていた。」

という記述です。

実は、この二つの記述、1ページ分離れています。
上のようにつなげれば、
ハンムラビ法典が身分法であった背景が分かりますが、
教科書をボヤっと読んでいるだけでは、気がつきません。

ちなみに、ハンムラビ法典、
被害者の身分によって刑罰がちがっていただけではなく、
加害者の身分によっても刑罰がちがってたのですが、
これも教科書を読んでいるだけでは、分かりません。

いずれにせよ、
教科書の記載を丸暗記しようという考えでは
合格はおぼつきません。

そもそも、そんな丸暗記は無理ですし、
仮に暗記できたとしても、
憶えたことをそのまま吐き出せば正解となるような
試験問題は、少なくとも良識ある大学では出ません。

かくいう私も、高3、一浪のとき、
歴史は丸暗記と誤解していたので、
社会が必須科目となっている大学学部は、
文系のくせに受験しませんでした。

当時の共通一次(センター試験に相当)も、
暗記量が少ないとされた「倫理社会」と「地理B」で受験し、
世界史、日本史は社会人になってから本格的に勉強しました。


教科書は、以上のように、数ページ分だけでも
ツッコミどころ満載です。
このようにツッコミを入れながら、
歴史を勉強してみてはいかがでしょうか。

ただ、その解答を知るのには、身近に先生がいないと、
時間がかかってしまう
というのがネックにはなりますが…

それにしても、
専門的な勉強をしたあとに教科書を読み返したときに、
はじめて、教科書がいかにまとまった良書なのかが分かり、
また、わざと表現をあいまいにしていることや
微妙な言い回しをしていることまでも、
その理由とあわせて、
気がつくようになるというのは、
皮肉としかいいようがありません。

いったん森の中に入ったあと、
もう一度外から森をながめてみてはじめて
森全体がきちんと見えてくるように。

森の中で迷わないためには、目次と表題が重要です。
読むことに夢中になると、今読んでいるところの
全体の中の位置づけが分からなくなります。
そんなときは、目次をみて、位置を確認しましょう。
そして、表題をみて、今まで読んできたことの内容や
これから読む概要も把握しておきましょう。


それから、次に厄介なのが
歴史上の人物や制度、戦いの名称などについてです。

これは、もう、憶えるしかないのですが、
東大の場合は、幸い、日本史では出題されません。
世界史でも、難関私大のように
受験生を落とすためだけの
どうでもいい枝葉はきいてきません。
歴史上意義のある、かなり太い枝をきいてきます。

例えば、ギリシアでとられた
市民が僭主になるおそれのある人物の名を
陶器の破片に書いて投票する制度の名称が
問われたことがあります。

この制度は、古代文明でありながら、
市民の意思をまがりなりにも政治に反映させた制度として
意義があるので、
このくらいの名称は知っておいてね、
という出題者がわの意図が伝わってきます。

最近ですと、日本への原爆投下を命じた
アメリカ大統領の名前が問われています。

ただ、この場合、トリッキーなのは、教科書には
そのまま書かれていないということです。

かといって、教科書に書かれていないことが
出題されたわけではありません。

教科書には

「4月ルーズヴェルトの急死後大統領となった
トルーマンは、7月…ポツダム宣言を発表した。
そして、8月6日、アメリカは広島に原爆を投下し…」

とあります。

実際の文書では「トルーマン」と「広島に原爆を投下」との間に
二行はさまっていますので、
この文章をふつうに読んだだけでは、
原爆投下を命じたのがトルーマン大統領であることが
頭の中にすんなりは入ってこないと思います。


とにかく、世界を舞台に活躍しようという人にとっては、
外国人とコミュニケーションをとる上でも、
歴史を学んでおくことは必要不可欠です。
この私自身の実体験は、
別の機会に紹介させていただきたいと思います。


Tag:
| TrackBack:0
東大合格のための勉強方法 | 日記
朝日新聞の「天声人語」日経新聞の「春秋」
毎日新聞の「余録」そして読売新聞の「編集手帳」といった
コラムを要約するのがいいでしょう。

何や、それ!
よく、いわれている勉強方法やん。


私は、以前、
理解をすることが勉強のコツだといいました。

ですから、ここでは具体的に説明したいと思います。

東大や京大は、現代文でももちろん理解を求めてきます。
しかも、対照的に。

すなわち、
東大では、書いてあることを切り貼りするのではなく、
抽象的なことばに置き換えて説明することが求められています。
だから、解答欄が猫の額のように狭いのです。

他方、
京大では、書いてあることを切り貼りするのではなく、
より具体的で分かりやすいことばに置き換えて
説明することが求められています。
だから、解答欄はプールのようにでかいのです。

どちらも、書いてあることを
正確に理解していなければできません。


例えば、
31日付の日経新聞の「春秋」を要約してみると、

 大晦日、アメリカのニューヨークでは
 みんなが歓声を上げ、気持ちを高揚させて
 新年を迎える。

 かたや、日本では、除夜の鐘をききながら
 静かに、厳かな気持ちで
 新年を迎える。

 この凝縮した特別の時間・空間でみられる
 光景としては、日米では対照的である。
 しかし、他人との一体感、親近感、思いやり、
 そうした優しい気持ちが底流をなす点では、
 共通している。
 
 日常生活に戻ると、そうした気高い気持ちは
 あせていきがちである。
 だからこそ、常に大切にしていきたい。

こうした感じになるのではないでしょうか。

ただ「高揚」「厳か」「特別」「光景」
「日米では対照的」「親近感」「思いやり」
「底流」「共通」「気高い」「あせていく」
といったことばは原文にはないもので、
私なりに理解して置き換えたものです。

専門家からすると
適切なことばではないかもしれませんが、
大学入試レベルでは、この程度は許されると思います。

他方「歓声」「静か」「凝縮した空間」「一体感」
「優しい」「日常」「大切」といったことばは
原文にもあります。
無理に置き換える必要ないことばは、そのまま
解答としてつかっても差支えないでしょう。

では、どうすれば、置き換えるべき
ことばを見つけ出せるの?

文章を理解するコツは?


文章を理解するコツは『対』と『共通』を意識する
ということだと思います。

この場合
「歓声」の対は何か?
「歓声」と同じ種類のことばは何か?

「静か」の対は?共通することばは?

このように問いかけることで
「高揚」とか「厳か」ということばを
導き出しました。

ことばだけではありません。

日米の新年を迎える「光景」は対だが、
優しい「気持ち」になる点では共通、

新年を迎える「特別な時間」と「日常」とは対、

といったように、
文章の構成などを理解する上でも、
『対』と『共通』は意識するとよいでしょう。

ただ、私が高3や一浪のときにやってしまったように、
『対』と『共通』を見つけ出すことだけに集中してしまって、
一番大切な文章を理解するということを
決して忘れないでください。


さて、さらに上の文を要約してみると、
例えば、以下のようになります。

 新年を迎える瞬間の光景としては日米では対照的であるが、
 人を思いやる気持ちが底流をなす点では共通している。
 日常に戻ると希薄になりがちだからこそ、
 こうした優しい気持ちを常に大切にしていきたい。

京大を目指される場合、上のような感じで要約
すればよいでしょう。

東大を目指される場合、さらに要約することを
試みてはいかがでしょうか。

例えば

 新年を迎える瞬間に世界の誰もが抱く優しい気持ちは、
 日常生活の中でも持ち続けていきたい。

という具合です。


厄介なのが、センター試験や私大入試です。

私はセンター試験の過去問も解いてみましたが、
点数は6割~8割と安定しませんでした。

言い訳めいたその理由は、こういうことです。

今日、あるテレビ番組を見ていたら、YUIさんという
若い女性シンガーが出演していました。

彼女自らが作詞・作曲をし、歌いあげる
「fight」という曲があります。

その中に「頑張れ、頑張れ」という
歌詞が出てきます。

「頑張ろう」ではなく「頑張れ」ということばには、
何か突き放された響きがあります。

アスリートも「頑張れ」と応援されると、
いわれなくても、当然、頑張っているよ
と、つい思いがちになるそうです。

だから「頑張れ、東北」ではく「頑張ろう、東北」なのですが、
それにもかかわらず、彼女の曲を聴く者は
違和感なく励まされ、感動するそうなのです。

その謎解きを、とある専門家の方がするのですが、
その解説の前に、スタジオにいた何名かの高校生に
同じ問いかけをしていました。

みんな一生懸命に考えて答えていました。

「彼女の声が癒してくれるから」

「頑張れを二回続けているから」

とか、まだあったのですが…

それから、その専門家の方がいったことばに
はっ、とされました。

「みなさんが答えてくれたことも
 正解だと思いますが、
 私が考える正解は、…」

そう、正解は一つではない。

国語入試の選択肢問題の難しさは
ここにあります。

著者自身ではなく、問題作成者が考える正解を
見つけなければならない。

以前、センター試験で出題された文書の作者が
選択肢の正解を見て、
「あー、こういう考え方もあるんだ」と、改めて感心した
という記事を読んだことがあります。

お話をYUIさんの歌詞の魅力に
戻しますと、
先ほどの専門家が考える正解は、
最初の「頑張れ」は他人から、
二番目の「頑張れ」は自分自身から
いわれているように思わせる、
そうした歌詞が前にでてくる、
ということでした。

ある意味、先ほどの高校生の答えも「正解」なのですが、
驚いたのは、作詞されたYUIさんご自身が、
「そう、なんですね!
 そう思いながら歌うと
 なんか緊張しますね。」
と、自覚をされていなかったということ。

まさに、国語入試の選択問題!


じゃー、問題作成者が考える正解は
どうやって選べばいいの?


私は、とある公務員試験問題をつくったことがありますが、
明らかに間違った選択肢を必ず2~3個、
逆に、迷わすような選択肢も必ず2~3個
つくるようにしました。

ですから、明らかに間違っていると思う選択肢から、まず切る。

そして、問題作成者はひねくれていますから、
本文にでてくる言い回しがそのまま使われているような
選択肢は間違いである可能性が高い、
逆に、本文の表現を言い換えたような選択肢は
正解である可能性が高い、と思います。

この点は、先ほどの記述問題を解くコツと
似ているのではないでしょうか。


それにしも、YUIさんという方、
高校を中退され、路上ライブから
メジャーになられたそうで。
本当に尊敬できる方です。
活動を休止されるそうでして、
ご本人は精神的に限界を感じたからだそうですが、
何か残念です。


Tag:
| TrackBack:0
東大合格のための勉強方法 | 日記
東大文系数学では4問出題されます。

あくまで、個人的な感想ですが、
うち1問は、数学をふつうに勉強していれば
誰もが解けるであろう基本的な問題。

1問は、とてもじゃないけど解けそうもない問題。
これは、完答しようとしても時間の無駄です。
せめて一部解答にとどめ、早くきりあげないと、
はまってしまい、かえって合格が遠のいてしまいます。

そして、残りの2問が合否を分ける問題で、
本番では、この2問に集中すべきでしょう。

合否を分ける問題、
というと、ぎょうぎょうしく聞こえますが、
文系の場合、一度は見たことがある
いわゆるベタな問題です。

ただ、相当な数の問題を解いた場合のはなしです。
高3や一浪のときの私は、今から思い返してみると、
解いた問題の数が絶対的に不足していました。
ですから、当時、東大を受験していたとしても、
一度は見たことがある典型問題とは思わなかったことでしょう。

問題数としては、月刊の「大学への数学」やZ会の通信添削の問題などを
まじめにやっていれば、大丈夫だとは思います。
ただ、解くことをすぐにあきらめず、
とにかく、さまざまな解法を試みるなどして
考えることがもっとも重要です。

この点、解答をすぐみることができない通信添削がお勧めです。
しかも、いい点数を取ろうとするので、
考えることをなかなかあきらめられないからです。

ただ、私の場合は、考えることに少し
時間をかけすぎていたような気がします。

解答をみるときでも、
注意をしなければならないのは、
機械的に解法を憶えようとしてはいけない
ということです。
これで私は、高3や一浪のとき失敗しました。

例えば、過去の東大入試では、
誰もが「憶えている」公式を証明させる問題が
出されたことがあります。

やはり理解をすること、そして、
ここでも他の解法がないかを考えることです。
と、いうのも、東大数学では
さまざまな解法で解けるような問題が出され、
発想力が試されているからです。

また、典型的な解法では計算などで時間が
かかるような「細工」が施されていることもあります。
工夫された解法には、高得点が与えられる、
というまことしやかな話もきいたことがあります。


私の場合、3問解き、うち3問とも計算ミスで
完答には至っていません。ツメが甘かった…

他科目もありますが、それで合格したのですから、
やはり、解答にまで至る過程にも
かなりの配点がなされているものと思われます。

なお、過去の東大入試では、
πが3.14を超えることを証明させる問題が
出されたことがあります。

この問題は、”πは3と教えれば十分”という
ゆとり教育時代に出された問題です。
  こんな数学教育でいいのか?
という警鐘を鳴らした問題といえるでしょう。


私自身もある公務員試験の問題を作成したことがあり、
やはり、そのときは、
  こんないい加減な政策でいいのか?
と、後の受験生にも訴えかけられるような問題を作成しました。
それは、具体的には、次のとおりです。

昭和62年に旧国鉄がJRに分割・民営化された際に残った旧債務のうち、
結局、約24兆円が、平成10年に国の一般会計に承継されました。
このとき、債務償還の財源に充てるために創設されたのが、
たばこ特別税です。
だからでしょうか、JRのプラットホームでは私鉄と比べ長い間
喫煙所が設けられていました。
ちなみに、この特別税、加藤紘一先生の鶴の一声で決まったものです。

ただ、この税収は年に2,500億円程度で、まったく足りません。
それでは、どうするか?

なんと、その他の償還については、当面は、
一般会計の歳出・歳入両面にわたる努力により対応をする、
ということになったのです。

なんたる、いい加減な政策。

そこで、私は、これを正解肢とする選択問題をつくりました。
通常の受験生なら、まさかこれが正解だと思わないだろう
と考え、この問題をつくったところもあります。
が、それよりも、過去問を学習する公務員受験生をはじめ、
このいい加減な政策を世間に知らしめるために
この選択問題をつくったのです。


大学入試をはじめ試験問題には
作成者のメッセージが隠されていることがあります。

余裕があったら、そんな問題作成者のメッセージを
見つけてみてはいかがでしょうか。



Tag:
| TrackBack:0
東大合格のための勉強方法 | 日記
高校3年生のとき、
東北大学、中央大学、立教大学、早稲田大学に落ち、
一年浪人してようやく合格したのが、上智大学。
しかも、予備校の”上智英語”という授業で習った
英単語や熟語がそのまま本試験でも出題されたから
合格したようなもので、この授業をとっていなかったら、
きっと、落ちていた。

そして、社会人になって十年以上も経って、
Z会の通信添削を受けながら、
土日にはZ会東大マスターコースという予備校などに通い、
東京大学文科一類に合格しました。

勉強時間は、高3、浪人時代のときのほうが
はるかに多い。

それでは、なぜ、しかも受験勉強を十年以上ぶりにして、
高3や一浪のときには絶対合格できそうもない
東京大学文科一類に合格できたか?

というより、なんで、そんなタイミングで
東大を受験したの?

そのお応えは、別の機会にさせていただいて、
ここでは、勉強の仕方というか、
コツをお伝えしたいと思います。

巷で売られている合格体験本は、
いかに自分は頭がいいのか、あるいは、
どれだけ気合いを入れて勉強をしてきたのか、
こうしたことの自慢に終始する鼻のつくものが
多いのです。
そこで、ここでは少し違った角度から、
勉強法というものを紹介させていただきたいと思います。


Z会の通信添削にZ会東大マスターコース?
Z会って、そんなにすごかったの?

それもあると思いまが、Z会の通信添削は、
高3のときも受けていました。
一浪のときは某有名予備校にも通っていました。
毎朝、NHK朝ドラの「おしん」のテーマソングが
流れてくる新聞販売所の前を通りながら…

実は、ここに答えが隠されています。

「おしん」のほうではなく、
要は、頭の中の構造が変わらなければ、
いくら通信添削を受けたり、
有名予備校に通っても無駄だということです。

私の頭の中の構造が変わったのは、
大蔵省(当時)主税局調査課に勤めていたときです。

そこは、偏差値70以上の
猛者たちが集まる場所。
常に鋭い指摘や質問、ときには罵声が
飛んできました。

何を調べても、背景、経緯、理由がより深く
問われました。
何を話しても、いっていることが分からないと
相手にされないこともありました。

しかも、頭だけでなく、体力もすごい。
夜中12時過ぎに、
翌朝(今朝?)の国会答弁に必要だから調べておいて、
と当たり前の顔をしていわれたことも
幾度となくありました。
国会で質問される確率5%未満なのに…

体力はさておき、要は、
私の理解が足りなかったのです。
抽象的なことばで理解していたつもりだったのです。

理解をする。
しかも、小中学生にも分かってもらえるくらい
やさしく自分のことばで説明できるくらいに。
この姿勢を欠いて
いくら勉強しても無駄です。
どんな有名予備校に通い、通信添削を受けても。

私が高3のときは漫然と通信添削を受け、
一浪のときは、予備校で教えてもらったテクニックを
理解のための手段としてではく、
目的として勉強していました。
機械的な暗記だけをしていました。
暗記力もないのに…
しかも、無意識に…


つまり、頭がいいとか悪いとかではく、
心がけしだいなのです。

ただ、理解には時間がかかるし、
ましてや、本当に理解できたか心配です。
さらに、理解しようと心がけていても
その姿勢も忘れがちです。

それでは、どうしたらいいか?

そこで大事なのが先生です。
おっしゃっていることが
すんなり自分の頭の中に入ってくる、
自分と波長が合っている先生、
どんな素朴な質問をしてもキレずに
親身になって答えてくださる先生がいいのです。

キレるのは、先生が分かっていない証拠です。
キレるのはまだマシなほうで、適当に答えて
その場をやり過ごす先生もいらっしゃいます。

そこで問題なのが、いかにして、
頭の中の構造を変えてくれるいい先生に、
しかも科目ごとにお会いできるのか、
ということです。

それは、学校の先生かもしれないし、
A予備校の先生かもしれないし、
B予備校の先生かもしれない。

中には、そうした先生にお会いしなくても、
教科書や参考書だけで
きちんと理解できる頭のいい子もいるでしょう。
実際に予備校に通わず
東大に合格している人もいます。

何年か前、
予備校に入学しながら通わずに東大に合格したと
自慢する人のHPを見たことがありますが、
あれは、いただけない。
ご両親が予備校の学費を稼いでくださったことへの
想いがまるでない。
まー学生のうちは仕方がないか、
自分もそうだったし…

いずれにしても、あれだけ抽象的にまとめられた
教科書や参考書で理解できるというのは、
よほどの正確な想像力の持ち主なのでしょう。

教科書や参考書は、専門家が読めば
きれいにまとめられた良書なんでしょうが、
初学者がいきなり読んでも、まとまりすぎて
頭に入ってこないはずです。

理解したと思っても、
実は理解したつもりにすぎない
ということのほうが多いんではないかと思います。

東大合格のため、小学生のときから
多くの有名予備校に通う。

これは、それだけ内容の濃い勉強を
長時間することに意味があるのでしょうが、
理解をすることの重要性を伝えてくれる先生、
自分の理解を助けてくれる先生、
こうした先生に多くお会いできる確率が高くなる
ことにも意味があるのでしょう。

しかも、ある人の理解を助けてくれる先生は、
別の人の理解も助けてくれていることが多い、
そうした先生は有名予備校に多くいらっしゃる
のではないかと思います。

個別指導や家庭教師は、
自分が理解するまで教えてくれるという点では、
一番かもしれません。
ただ、キレたり、てきとうに答えるような先生
だったら、すぐに止めるべきです。

反対に、その場で答えてもらえなくとも、
後日調べて説明してくださるような
そんな誠実な先生がいらっしゃれば、手放してはいけません。

通信添削も、理解していないことを痛感させてくれる、
もしくは、理解を深めさせてくれる、
そうしたものを受けたほうがいいでしょう。
Z会は、そうした意味では良問ぞろいだったと思います。
ただ、私が高3のときもそうだったように、
漫然と受けても意味はありません。

小学生のときから有名予備校に通わせることができ、
家庭教師をつけ、
良質な通信添削も受けさせることができるほど
余裕のある裕福な家庭の子が東大に合格しやすい。
実際、東大合格者の家庭の平均年収は
1,000万円以上ともいわれています。
平均年収400万円の時代に…

私が、社会人になって10年以上も経ち
東大に合格できた、もう一つの理由がここにあります。
それだけ、金銭的に余裕ができたからです。


抽象論はこれくらいにして、
もっと具体的な勉強方法を教えてくれ、
という声がきこえてきそうですが、
科目別の具体的な勉強方法は
別の機会にさせてください。

本日はこれでご勘弁ください。


Tag:
| TrackBack:0
東大合格のための勉強方法 | 日記
選挙に立候補するため公務員を退職したのだから、
中退していた東京大学に復学しよう、
そう思って、駒場東大キャンパスに行った。

『センター試験から受けなおしてもらいます。』

  えっ?

『退学してから10年以上経っていますので。
 2~3年、いや、5年くらいでしたら再入学できたんですが…』

  口から出まかせ?
  そんなこと、どの規則に書いてあんの?
  あなたの判断?

  そのまま聞いたら、理屈をこねるただの小役人。
  これでは、今までの自分と変わらない。
  ここは、ひとつ鎌をかけてみよう。

「たしかに、退学当時のご担当のかたも同じようなことをおっしゃっていました。
 ただ『10年以上たった場合は、入学しても授業についていけるのかくらいの
 試験はさせてもらうことはありますが』と、おっしゃってましたよ。」

『もう一度、確認してきます。』

ホッとした。

  また、また、また受験勉強しなきゃいけないのか…

「失礼しました。
 当時、入学金も前期の授業料も納めていただいてまして、
 再入学できます。」

心底、ホッとした。

  そうそう、何の授業も受けないのに
  東京大学中退という称号欲しさに
  30万円近くも払ったんだっけ。

「それでは、来年の4月から…」

『手続きは11月までとなっていますので、もう無理です。』

「再来年4月の入学の手続きは…」

『早すぎます。
 来年の夏ごろ、もう一度ご連絡ください。』

  中年東大生は、当分、お預けか…




Tag:
| TrackBack:0