以前、ボランティアで
中学生と勉強をしているということを
お伝えしましたが、
その中学生のうちの一人が
昨日、江東区の代表として、
中学生『東京駅伝』大会に出場しました。
場所は調布市の味の素スタジアムです。

東京の23区、26市、そして瑞穂町の
合計50チームで争われ、
女子は、16名で30㎞、
男子は、17名で42.195㎞の周回コースです。

スタジアムに着くと、
場内用の実況と解説が聞こえてきたのですが、
なんか、聞き覚えのある声が…
そう、あの往年の名ランナー
瀬古利彦さんが解説をしていたのです。
なんと贅沢な…

私と勉強している男の子は第一走者。
スタジアムで号砲が鳴り響き、
地元中学生に交じって声援をおくると、
すぐに、ダッシュをしてスタジアムの外へ!
これも地元中学生といっしょに
周回コースをかけずりまわり、
結局、三か所で応援できました。

が、江東区の結果は、
彼が走った男子は30位、
女子は大健闘の3位入賞です。
そして、優勝は、
女子、男子とも足立区でした。
タイムは、女子の一流選手が
一人で走ったのと同じくらい
といったところです。

このようにスタジアムで
大声を張り上げて声援をおくったのは、
三十年前に大学の陸上部にいたとき
今はなき国立競技場で
関東インカレが行われたとき以来
でしょうか。

この三十年前のときとの違いは、
まず、応援です。
関東インカレ(学生選手権大会)の場合、
自校の選手の応援ですし、
応援も組織だっていて、にぎやかというか、
鳥肌が立つくらいの感動さえおぼえます。

今回の中学駅伝は、
自校の生徒だけが走るわけではなく、
応援団とかもないので、
ちょっとバラバラ感はあったのですが、
人口や学校が少ない市区町ほど
声援は大きかったような気がします。

そして、スタジアムなんですが、
味の素スタジアムは、
昔の国立競技場と比べても
大きくて、ものすごく立派です。
自分はサッカーファンではないので、
J1の会場となるようなスタジアムの中を
実際に見るのは初めてだったのですが、
オリンピックとかに使用しても
全然おかしくないと感じました。
(陸上トラックは取り外し可らしいです)

昔の国立競技場も古いので
建て直す必要があったのかもしれませんが、
あれだけのお金をかける必要が
本当にあったのか、
瀬古さんの最後の挨拶の声が聞こえてくる
スタジアムを後にしながら、
ふと思ったしだいです。

東京駅伝外東京駅伝内



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関東学生陸上競技対抗選手権大会
(関東インカレ)で
1,500Mの今季世界記録誕生!

エノック オムワンバくん(山梨学院大)
3分35秒69

どれだけ凄いことなのかというと、
50Mを7秒1台で走ったことになります。



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昨日の話の続きだが、
マラソンに限らず、どのスポーツでも、
現役時代に活躍された方が
解説をされていることが多い。

説得力があるからだ。

ただ、選手の指導となると、
ちょっと違ってくると思う。

箱根駅伝の
ある時期の常勝大学の監督さんは、
現役時代には活躍できなかったが、
その論理力から選手がついてきて、
優勝に導くことができた、
と、ご自身がテレビで語っていた。

プロ野球でも、
故川上元監督、長嶋元監督、王元監督、
野村元監督、原監督、星野監督らのように、
名選手かつ名指導者という方も多いが、
他方、現役時代に活躍できなかった方でも、
名監督だったという方も多い。

なぜかというと、
名選手は自然とうまくプレーできてしまうが、
現役時になかなかうまくプレーできなかった人が、
指導者になった場合、
選手が活躍できなくて悩んでいる理由や原因などが
分かるからであるといわれている。


以上とは異なり、
自分が実際に経験もしていないことを
本などから学んで得た知識だけで指導しても、
決してうまくいかない。

なぜなら、
経験しなければ分からない、共有・共感できない
こうした部分が必ずあるからである。

聞いている方からすると、
“こいつ、何いってやがる”
ということになる。

だから、指導ができる否かの分岐点は、
現役時に活躍したかどうかというよりは、
経験したかどうかのほうが重要のような気がする。

これは、スポーツに限らず、
どの分野でもいえることではないのだろうか。



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一昨日の日曜日、
福岡マラソンがあった。

私が本格的にジョギングを始めたのが、
高3のときに受験した大学にすべて落ち、
浪人が決まったときである。

体を鍛えておく必要があったと思い、
てっとり早くできそうだったからである。

それから、
マラソンや駅伝を見るのが大好きになり、
浪人の年の福岡マラソンがあった日、
予備校の模試を欠席してまでテレビ観戦をした。

昨年の福岡マラソンがあった日は、
選挙公示日直前で、
一日中てんやわんやだったので、
福岡マラソンがあったことさえ
気がつかなかった。


昨今のマラソン大会、
特に女子マラソン大会の中継がおもしろい。

解説者の増田明美さんと高橋尚子さん、
ご両名とも、
言わずと知れた名ランナーだった方だが、
今、このお二人のうんちく披露合戦がおもしろい。

当初は、増田明美さんが、
その精力的な取材に裏打ちされた情報量で、
高橋尚子さんを圧倒していた。
しかし、それに負けまいと、
最近は高橋さんのうんちく量もすごい。

そのうんちくの内容だが、
最初はマラソン競技に関するものだったのが、
お二人のうんちく合戦が過熱するにつれ、
走っている選手のプライベート的な話など、
およそマラソンとは関係ない話も出始める。

増田さんがうんちくを披露すると
高橋さんも披露し、
それを聞いた増田さんが、
それを上回るうんちくを披露し、
さらに、むきになった高橋さんが披露する、
といった感じである。

これが本当におもしろい。


このお二人のうんちく合戦は、
いくつかのバラエティー番組で紹介されたので、
結構、有名になっている。

だからだろうか、テレビ局も、最近は、
わざとお二人同時に解説させているようにも思える。

さらに、このお二人に影響されたのか、
一昨日の福岡マラソンでの瀬古さんの解説も
今までより詳しめになっているというか、
マラソンから少し離れだしているというか、
そんな気がした。


さて、増田明美さんにせよ、
高橋尚子さんにせよ、
瀬古利彦さんにせよ、
今、解説者となっているのは、
現役時代活躍されていたからである。


同じことでも、
現役時代に活躍された方が言ったほうが、
説得力があるからであろう。

この点に関連したお話しのつづきは、
また後日。



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気象予報士の森田さんが、ご自身のブログで、
高知県四万十市の江川崎がたたき出した
“41度”という最高気温に
疑問を呈している。

江川崎の気温を測るアメダスの周囲が
アスファルトで舗装されているなど、
法律の定める設置場所の条件を
満たしていないのではないか、ということである。

実は、マラソンにも同様の問題があった。
マラソンは、競技場内の種目と異なり、
高低差などコースの条件が違いすぎるため、
記録も公認されていなかった。

だから、歴代で最も速いタイムが出ても、
『世界新記録』ではなく
『世界最高記録』だった。

それが2004年、国際陸連により
公認コースの条件が定められ、
それ以降、マラソンの記録も公認されるようになり、
最速の記録も、他の種目と同様
『世界最高記録』から『世界新記録』になった。


さて、話を最高気温に戻すと、
スポーツ競技のように、
人の努力とか、人生とかがかっているわけでもないので、
そんなに目くじらを立てるほどの問題ではない
ようにも思える。

が、その一方で、
これまで40.9度という最高気温をたたき出していた
岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市とが
暑さ5番勝負を繰り広げているように、
暑さを理由に町おこしができるかどうか
といった問題もあるので、
やはりアメダスの設置場所の条件も大切か。

それにしても、陸上競技も最高気温も、
0.1秒や0.1度という本当に微妙なところで
争われているんですね。



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今、モスクワで世界陸上が行われている。
100Mなど競技場を走るトラック種目は、
日本人にはメダルが届きそうもない。

10,000Mも、アフリカ勢が席巻しているのは、
みなさんもご存知のとおり。
日本人は、出場しても
アフリカ勢によるペースの揺さぶりにより
途中で振り落されるのが常。

しかし、昨晩の女子10,000Mは違っていた。

まず、スタートラインについた
新谷選手の体つきが尋常でなかった。
体脂肪率を3%まで落としてきたという。

そして、スタート後、
新谷選手は、4,000Mでトップに立ち、
ラスト1周、つまり9,600Mまで
アフリカ勢を従え、トップを走っていた。

これだけで私は、
夜中の2時を過ぎていたにもかかわらず
興奮していた。

が、案の定、ラスト1周で、
アフリカ勢4名の選手にスパートをかけられ、
あっさり抜かされてしまったが、
新谷選手の結果は、
30分56秒の自己ベストで5位入賞。

この走りっぷりと結果だけで充分称賛ものなのだが、
本人のコメントがすごかった。

“この世界で認められるのは、
 きれいごと抜きで、メダリストだけだと思うし、
 それは去年の五輪(9位)で
 自分があらためて身をもって感じたことなのに、
 今回分かっていなかったのかなと。
 この1年を通して、自分は陸上が仕事で、
 結果がすべてと言っている割には、
 『なんだよ』っていう感じになってしまった。
 それがラスト1周で『新谷は甘ちゃんだな』って
 いうふうに見られたような感じもするし、
 ディババさんにとっては、
 本当にカモみたいだったかもしれない。
 今回、自分的にはタイムより結果が欲しかったので、
 満足はしていないです。“

これが言葉だけではなく、
心底思っていることだということ、
そして、その志の高さは、
彼女から終始流れていた悔し涙で
充分伝わった。



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マラソンのお話 | 日記
昨日10日、世界選手権の代表選考も兼ねた
名古屋ウィメンズマラソンが行われていた。

優勝した木崎選手や3位の野口選手のような
エリートランナーはともかく、
その他大勢の市民ランナーの場合、
少しでも前にスタートラインにつくことに一苦労。

今でこそ、チップというものを靴につけ、
スタートラインを踏んだ時から
タイムを計測してもらえるようになったが、
それでも、周りにランナーが多いと、
その分なかなか前に走れなくなる。

私も、ヨーロッパ滞在中は、
様々な都市のマラソン大会に出場したが、
(1/12付のブログご参照。)
だいたい、持ちタイムごとのグループに分けられるものの、
少しでも前に並ぼうと苦労した。

私が在住していたパリマラソンのスタートラインの並び方は、
当時は、招待選手以外は、早い者勝ち、
という大雑把なものだった。

だから、私も、正確な時刻は忘れてしまったが、
四月上旬の日の出の時刻ごろにスタートラインに立った。
それでも、招待選手以外で、前から五番目くらいだった。

四月に入っていたとはいえ、まだ寒かったので、
ランニングシャツの上から、
捨ててもいいボロボロの服を着て立っていた。

そのうち、前から小便が流れてきた。

  汚ね!何しやがる。

そう思ってから、1~2時間。
自分も小便がしたくてしたくてしょうがなくなってきた。

ここに着いたときは前から五番目くらいのはずだったが、
いつの間にか周りのランナーが増え、
身動きができないような状態になっていた。
そして、そのランナーの多くがその場でしゃがんで
小便をし始めた。

そして、私もついに…

日本だったら、絶対にしなかった。

走り始めたらトイレに行く時間がもったいない、
そんなことを思うほど、タイムにこだわっていた。

が、そのわりに、結果は、3時間かかってしまった。

そして、スタート時に脱ぎ捨てた服を回収するために
スタート地点に戻ったが、もはやそこに服はなかった。

そこで、ランニングシャツの姿のまま、
自宅に戻るため、地下鉄の駅へ。

そして、地下鉄に乗ると、
乗客の一人で、眼鏡をかけたご婦人が
私を見つけ、突然、拍手をし出した。
そして、他のお客さんも。

タイムは決して満足いくものではなかったが、
うれしいやら、恥ずかしいやら…

こうした経験も、日本ではできなかった。



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マラソンのお話 | 日記
”スタート30秒前”

それまでの激しかった鼓動が急に鳴り止む。
  
  あれだけ練習したんだ、絶対結果は出る。

”10秒前、位置について”

そんな雑念さえもなくなる。

号砲が鳴った。

  おかしい、あれだけ練習したのに、急に体が重くなった。
  35キロ過ぎて予定のペースより遅くなった、
  きょうは3時間切れない、ダメだ。
  
  ん? 40キロ手前で急に体が軽くなった。
  もしかしたら3時間切れるかもしれない。
  ペースを上げて急ごう。

  あ~、3時間00分20秒、一キロにつき0.5秒じゃん。
  なんで、なんであそこでペース落としたんだ。
  なんであそこで踏ん張れなかったんだ…


”スタート30秒前”

それまでの激しかった鼓動が急に鳴り止む。

  あまり練習できなかったけど、それは自分の責任。
  この期におよんでなにもできやしない。
  なるようにしかならない。

”10秒前、位置について”

そんな雑念さえもなくなる。

号砲が鳴った。

  ん? 予想外に調子がいいぞ。
  3時間切れるかもしれない。

  35キロ過ぎて急に息苦しくなった、
  ペースを落とすか、落としたい。
  いや、ここで落としたら3時間切れない。
  ここでふんばれば夢の2時間台だ、
  こらえろ、イノ…

  よし、2時間58分!

3時間を切った者どうし、お互い見ず知らずのランナーなのに、
自然とそして淡々とした熱い握手が交わされる。


そして、”涙” が遠慮がちにこぼれた。



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マラソンのお話 | 日記
日本体育大学が30年ぶりの総合優勝!


「下級生がキャプテン」

昨年の箱根駅伝で、
日本体育大学史上最悪の19位で終わった直後の
監督の英断である。

理由は簡単明瞭、
一番はやいからである。

ここに実力世界の厳しさがある。

経験年数とは無関係に結果が問われる。

それがもっとも如実にあらわれているのが、
プロスポーツの世界や芸能界。
結果がともなわなければ、クビ。
芸能界でも出番がなくなり収入激減。

もちろん、実力とは関係なく、
先輩・後輩という関係はある。
一応、実力のある後輩でも、どんな先輩であれ
礼はつくす。


これを履き違えていたのが、大学時代の私である。

私は、上智大学で陸上競技部に所属し、
5,000m以上の長距離種目を専門にしていた。
零コンマまで結果が問われる厳しい世界。

といっても、私の場合、
専門というにはおこがましいほど遅かった。

上智大学には、陸上をはじめスポーツ推薦がない。
だからというわけではないが、
同じ部員でもかなりの実力差がある。

私がいたころは、1,500mを3分台で走る先輩や
3,000m障害で全日本インカレの決勝まですすんだ同輩がいた。

このお二人、当時であれば、
箱根駅伝を走っていても、おかしくないほどの実力者である。
本当に、アスリートとして尊敬すべき方々なのである。

が、当時の私は、このお二人をすごいとは思っていたが、
尊敬の念までは抱いていなかった。

その理由は、実力と礼節との区別ができていなかったこと。

これは、同時に、私の記録が伸び悩んだ原因でもある。

実力のある後輩でも、私に礼をつくしてくれる。
全日本レベルの仲間とまったくいっしょの練習ができる。

後者については、陸上の一流校では、到底考えられないことである。
まず、一軍、二軍などに振り分けられる。
と、いうか、遅ければそもそも入部さえできない。
入部できたとしても、記録が伸びなければ、
退部か、マネージャーをいいわたされる。

マネージャーがよくないという意味ではなく、
アスリートとして扱われなくなるということである。

全日本レベルの同輩が私と仲良くしてくれ、
実力のある後輩が私に礼を尽くしてくれた。

それで、私は、いっしょに練習させてもらうことのありがたさ、
そして、自分の実力のなさを痛感できていなかった。

最悪なのは、本当に悔しいという気持ちがなかったこと。

だから、悔しさをバネに練習をしてきた後輩にも
記録を抜かされる。
自分が練習をサボっていたわけではない。
血尿が出るくらいは練習した。

おそらく、悔しいという気持ちの強さの違い。

プロの世界のように、
結果がそのまま自らの生活に影響してこないだけに
厄介である。


今の私は、選挙に落選し、無職だ。


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マラソンのお話 | 日記
日本体育大学が30年ぶりに総合優勝!


箱根駅伝の過熱ぶりが生んだ
アフリカ系選手の登場と長距離のレベルアップぶりは
関東インカレにも影響を与えた。

まず、日本学生記録。
アフリカ系選手が記録をつくれば、
日本の大学の留学生である以上、
立派な日本学生記録である。

だから、長距離種目に限っては、
日本学生記録が日本記録を上回る。


そもそも、関東インカレとは、各種目、
1位に8点、2位に7点…、8位に1点が与えられ、
総合得点で争われる関東の大学の陸上競技大会で、
毎年5月に、国立競技場(当時)などでおこなわれる。

上位16校が1部校で、その他の大学が2部校となり、
毎年、1部校の下位2校と2部校の上位2校とが
入れ替わる。

といっても、5,000m、10,000mといった長距離種目
に限っては、1部校と2部校との差が感じられない。

箱根駅伝に力を入れている大学のなかには
長距離種目だけは強いというところもある。
だから、2部校のレースといっても、
箱根駅伝常連校の選手が出場するわけだから、
とにかく、はやい。

この関東インカレ、誰もが出場できるわけではなく、
オリンピックのように、出場するために
突破しなければならない記録が設けられている。
つまり、このくらいの記録がなければ、
そもそも勝負になりませんよ、
という「標準記録」と呼ばれているものである。
この標準記録が、5,000m、10,000mに限っては、
1部校も2部校も同じなのである!
(ただし、B標準は異なる。)

こうした長距離偏重にキレた関東学連は、
箱根駅伝予選会にインカレポイントというものを設けた。
すなわち、長距離種目だけ強くても、
箱根駅伝に出場できないようなシステムを一部取り入れた
というわけである。

本日、日本体育大学が箱根駅伝で
みごとに予選会からはい上がって優勝したが、
私が学生のとき、関東インカレでちょっとした
思い出がある。

それは、日本体育大学の選手から、時おり、
遠くから挨拶されたということである。

おそらく、当時の上智大学のジャージが、
遠目でみると日本体育大学のそれと似ていたため、
疑わしきは挨拶を、
ということだったんだと思う。


さて、そのころ、つまり、
箱根駅伝がTVで生中継されるようになったころ、
標準記録の加速度的なインフレがはじまった。

私が大学2年生のころは、2部校であれば、
36分を切れば10,000mに出場できた。
しかし、その翌年、その標準記録が、
記憶はさだかではないが、グ~んと跳ね上がった。

その年、私は、法政大学で行われた10,000mの記録会で
35分台を出したが、時すでに遅しである。

「陸上の聖地、国立競技場で走る夢が…」

そう、思ったときである。
陸上競技部のなかまが私を胴上げしてくれた。

最初で最後の胴上げ

この記録、はっきり申し上げて、
大学で陸上をやっていた者としては
非常にはずかしい記録である。

しかし、
関東インカレに出場するより、
おそらくうれしかった。


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マラソンのお話 | 日記
日本体育大学が26年ぶりの往路優勝!


箱根駅伝の転換期は、おそらく1987年である。
まさに、日本体育大学が、前回往路優勝したころである。

それまでは、東京大学など陸上推薦のない大学でも、
血のにじむような努力で
箱根駅伝に出場できる余地はあった。

きっかけは、TV放映。
それまではテレビ東京のダイジェスト版だったのが、
1987年から
日本テレビ系で完全生中継されるようになった。

1月2日~3日と延べ12時間以上放映され、
その間、大学名が映り、連呼されるのだから、
大学の宣伝効果ははんぱない。

その頃から関東の大学は駅伝に力を入れはじめた。

まず、無名大学だった山梨学院大学。
私が上智大学で陸上競技をしていたころ、
関東インカレの2部で
山梨学院大が長距離種目で活躍していた。

どこの大学?
文字どおり山梨の大学なんだろけど…

みんな、そう思った。

そして、山梨学院大学は、
私も出場した箱根駅伝予選会を突破し、
その翌年、箱根駅伝に初出場。

そして、二年後、
  なんでアフリカの選手がいるの?
  反則!

そう思った。

ワキウリ選手と今は亡きオツオリ選手である。

その後、神奈川大学、中央学院大学、上武大学
といった、箱根駅伝がなければ
決してメジャーとはいえない大学が台頭してきた。

関東学院大学、帝京大学、拓殖大学、城西大学
といった他のスポーツでおなじみの大学も
駅伝に力を入れ始めた。

青山学院大学のように、かつての強豪校が
再び駅伝に力を入れはじめた大学もある。

関東学院大学は、かつて上智大学と対抗戦を戦った大学だったが、
いつしか相手にされなくなった。
帝京大学も、当時は、決して陸上が強い大学ではなかったが、
1999年に駅伝部が創設され、
今や箱根駅伝の常連校となった。

東海大学、亜細亜大学、国士舘大学、専修大学、筑波大学といった古豪さえ
何校も予選会で落ちるというレベルアップぶりである。

上智大学や、かつて箱根駅伝にも出場した東京大学など
陸上推薦のない大学が予選会を突破する可能性は、
もちろんゼロではないが、
それに近くなってしまっているのではないか。

アフリカ系選手の登場と長距離のレベルアップぶりは
関東インカレにも影響を与えた。

明日も箱根駅伝があるので、
そのお話は、明日にさせてください。



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