実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年11月30日(金) -公示日まであと4日-


最近、寝覚めるのが怖い。

やらなければならないことが、
意識していないものまで含め、
頭の中にギューギューに詰まっていて、
しかも、減らない…

さっそく、ATMに駆け込む。

お金がおりない…

  今日中に供託金300万円を法務局にいれなければならないのに、
  このままでは立候補できない…

焦った私は、携帯をかける。

  どうなっているんだ、
  今日ならおろせるといっていたのに…

しかし、つながらない。

仕方なく、もう一度トライ。

おろせた。

  ほっ

としたことは、これ以上ない。

要は、8時がすぎたからだった。

300万円の現ナマをわしづかみに地下鉄に飛び乗った。

実は、半年前まで、法務局の上の階に勤めていたのだが、
お世話になった方々に挨拶をしている暇もない。

法務局で供託の手続きを待っている間にも、
選挙活動を協力していただけそうな知人に
メールや携帯で連絡しまくる。

が、またもや成果なし。

このあたりから、
大阪の党本部で教えてもらった書類の記載内容が、
東京では異なることが明らかになっていく。

この時点で、すでに二か所。
しかも、登記内容が微妙に違うぞ!

支援体制を含め、今さらながら、
維新の会が組織として成熟していないことを痛感させられた。


次は、印刷業者。

また、地下鉄を飛び乗り、道に迷いながらようやく到達。

本当に親切な社長さんだった。

非常にお忙しいなか、急なお願いにもかかわらず、
ポスター、チラシ、ハガキなどの印刷はもちろん、
本来業務ではないポスター撮影やタスキなどの手配もしてくださった。
そして、私が忘れかけていた
事務所の内外備品の調達まで心配してくださった。

やるべきことはもちろん自分でメモをしていたが、
あまりにも多すぎて、意識できてないことが多かった。

しかし、この時点で依頼してもポスターの仕上りは、
どんなに急いでも公示日をすぎて、つまり
選挙運動解禁日から4~5日後といわれた。
そもそもポスターやチラシなどをつくる前に
撮影が、まだすんでいない。

  なら、今すぐ撮影すればいいじゃん。

実はそんなに甘くないのが世の中。

まず、撮影の申込みをしても、順番というものがある。
撮影日は申し込んでから数日かかるのが通常。

写真館は、選挙用ポスターのためだけにあるわけではない。
人生の節目に立派な写真を記念に撮りたいという方々は
世の中にたくさんいらっしゃるのである。

しかも、撮影してから仕上がりまでも
10日ほどかかるのがふつうである。

それでも、その社長さんは、お忙しいなか、初対面の私のために、
写真館に顔がきくご友人をわざわざよんでくださって、
無理くり撮影日を本日の夜にねじ込んでくださった。
ただ、超特急料金がかかった。

世の中、やはり甘くなかった。

  四日前から、いったい何人の方に迷惑をかけているんだ…

ある意味、予想だにしていなかったことである。


またまた地下鉄に飛び乗って、いざ、板橋区へ。

二日前、都の選挙管理委員会から
板橋区の選挙管理委員会からも
必要書類を入手するようにいわれていたからだ。


本日あたりから、私の退職が、元いた職場に知れ渡ったのだろう。
多くの方が驚きと心配の携帯連絡をくださる。

ただ、本日は地下鉄に乗ることが多く、しかも急いでいる。
落ち着いて話ができない。
途中で話を切ることが多い。

せっかく、心配してくださっているのに、
申し訳ない…


公示日4日前にして、ようやく板橋区に足を踏み入れた。

今思えば、こんなやつが、
ここで二十年以上地盤を固めてきた先生に
選挙で勝てるわけがない。

だいたい、この時点で、私の名前を知っている
板橋区民はいない。

しかも、私はパソコンをもっていなかったのだから、
公務員だったこともあり、
HP、ブログ、Facebook、Twitter 何もしていない。
特に私がいた国税という職場では、不祥事と秘密漏えい防止のため、
こうしたのを立ち上げることにもうるさい。

しかし、こんな状態で、
どうやって自分を知ってもらうんだ?

冷静に考えればあまりに無謀。
全有効投票数の十分の一得票できなければ、供託金没収。
私の出馬を知った方のほとんどが、そう思ったにちがいない。

しかし、私にはそんなことを考えている余裕がなかった。


板橋区役所の受付で選挙管理委員会の場所を尋ねる。

私が事情を説明すると、

『候補者本人ですか?』

と驚かれる。

こちらが、驚いてしまう。

  ふつう、本人が来るんじゃないの?

教えてもらったとおりに、エレベーターで上がって
選挙管理委員会に。

ここでも、

  候補者本人が?

という反応をされた。

ここでは、選挙ポスターを掲示する場所を示した地図、
選挙カーの警察への届出用紙、
公示日当日についてのお知らせなどたくさんの書類をいただいた。

  掲示版は全部で495箇所。

ここでようやく、ポスター貼り要員が必要であることが
意識にのぼってきた。

が、区役所にいる時だけでも、
印刷業者の社長さんと詳細な打ち合わせのため、
いくどとなく携帯で連絡しあっていた。
その間、いつしか、ポスター貼りのことは頭から
吹っ飛んでいた。

先ほどお世話になった受付で
板橋区の地図と板橋の名所などを紹介した冊子とをいただく。

『選挙期間中、板橋区での催し物の宣伝もしてくださいね。』

とお願いされた。


次に、選挙事務所をすぐにでも探す必要があった。

しかし、区役所を出ても不動産屋さんが見当たらない。

薬局店が目の前にとびこんで来た。

何も買わずに道をきく勇気がなかった私は、
東京に戻って足りなかった日用品を購入して
不動産屋の場所をたずねた。


そして、教えてもらった不動産屋に飛び込む。

挨拶そこそこ、選挙用事務所が必要なことを伝え、
さっそく探してもらった。
その間にも、先ほどの印刷業者の社長さんやガス会社の人と携帯で連絡。

ガス会社のほうは、選挙とは関係がない。
自宅の風呂がまが調子悪かったからである。
もう、既に寒かったから、すぐにでも修理してほしかった。

公示日4日前ともなると、いい場所の事務所はすでに
他党におさえられていた。

しばらくして、川越街道という大通り沿いの
恰好な場所の事務所を見つけてくださった。
ただ、キッチンなし。
この期に及んで贅沢はいってられない。

そして、現地視察。
客観的には狭かったが、この時点で他に選挙運動員がいない状況下、
ちょうどいい広さだと思った。

ここから、さらに手続きに時間がかかった。
このとき、私は、無職。
無職の者には貸せないといわれた。
”責任者”からは、党としてではなく、
個人として契約してくれ、といわれる。
八方ふさがり…

選挙という事情でどうにかならないかと頼み込む。
ご担当の方が本社に連絡してくださり、何とかなった。
この承諾だけでも時間がかかった。

今日だけでも、何度目の無理なお願いだろう。


この後、都庁で生まれて初めての記者会見。

しかし、事務所探しに思いのほか時間がかかり、
もう、電車で行っては間に合わない。

タクシーに飛び乗った。
無職だが仕方がない。

タクシー内では、まず、弟に携帯で連絡し、
事務所の賃料の保証人になってもらうことを依頼。

そして、運転手さんに事情を説明して、急いでもらった。
私が疲れ切った表情をしていたからであろう。
運転手さんが元気づけてくれた。

『大丈夫、当選しますよ。
 私も板橋区民ですから、応援します。
 だから、元気出して!』

これまで精神的にクタクタだった私が、
初めて勇気がわいてきた瞬間であった。

私は、しっかり自分の名前を名乗り、
運転手さんのお名前もうかがった。
私の名前を覚えてくださった初めての板橋区民。
私の支援者第一号。
このお方のお名前は今でももちろん覚えている。
一生、忘れない。


都庁に到着し、若干迷って、開始数分前に記者会見場へ。
党の方が、待ってましたという表情。

各新聞社の記者の方々がよってくる。
名刺と調査票と称するアンケート用紙を次々といただく。
一度に持ちきれないほど。

ついに、生まれてはじめての記者会見開始。

私のほかに三人の東京選挙区の候補者がいらした。
”責任者”から私が紹介され、いよいよ私も自己紹介。
マイクのスイッチをいじってモタモタしていると、

『スイッチ入ってますから』

と、冷たくいわれる。

写真のフラッシュがパシャパシャとなると思いきや
そこは、芸能人の記者会見とは異なる。

「名前は ”いの たかし”と単純ですが、
 頭は単純ではありませんので、ご安心を」

芸人さんがスベることを恐れているのが理解できた。

どうやら、記者会見の様子はどうでもいいらしい。
記者会見自体もどうでもいいらしい。
質問はほとんどなく、私も、立候補の動機をきかれただけである。

本番は、そのあとだった。
各社の担当記者が私を囲み、いろいろと質問してくる。
写真も候補者ごとに、そして各社ごとに何枚も撮られた。

要は、候補者そろって、というのはどうでもよかったのである。

その後、”責任者”を含め党の方々が、
別部屋でちょっと飲みましょう
と候補者を誘ってくださった。
われわれ候補者の労をねぎらってくださる?

  この後、ポスター用の撮影があるのに…
  選挙準備のため一分一秒でも惜しいのに…

階下に降りて、その部屋に入った。
アルコールと中華の混ざった臭いがきた。
そして、食べかけの焼きそば、焼きうどん…

  この人たちは、本当に大阪から
  東京の候補者の選挙運動を助けに来てくれた方々なのか?

  こちらは、朝早くから一人で駆けずり回っていたのに、
  何余裕ぶっこいて、酒かっくらっているんだ…

ここで初めて "責任者”は各候補者の現状を知るべく
簡単なアンケートをとった。

私は、現在、選挙の準備を一人でやっている旨
アンケート用紙に書き、急いで部屋を出た。

  写真館が閉まってしまう。
  せっかく、社長さんがお忙しいなか、予約してくださったのに…
  せっかくのご好意を無駄にしてしまう…

とにかく、焦った。
 
  これ以上、他人様に迷惑はかけられない。


たどり着いた。

開いていた。

幸せそうなご家族の方々がいらっしゃった。
事情は分からない。
でも、きちんとした写真館で記念写真を撮っておくような
そんな幸せな人生の節目を迎えようとしているに違いなかった。

私の番が来た。

ポスター用の写真の他に選挙公報用の写真も
追加で撮影していただきたいことを伝えた。

こんなことも誰も教えてくれない。
都庁でもらった資料を先ほどの不動産屋で
たまたま読んでいたからこそ分かったこと。
読んでいなかったら、
私の選挙公報用の記事が危うく新聞に載らなかったところである。

いろんな角度から、いろんな表情で、何枚も撮られた。
笑った顔、すました顔、さっそうとした表情…
撮影をされる方は、本当に人をのせるのがうまい。
ちょっとした、モデル気分だった。

先ほどのタクシーの運転手さんにお会いしていなければ、
いい表情はできなかった。
あの運転手さんが元気づけてくださったから、
撮影は成功した。

撮影が終わってしばらく経ち、
パソコンの前に担当の女性の方と座った。
何枚もの写真から、私が気に入った奇跡の一枚の写真と
そして、その女性が気に入った一枚の写真とを選んだ。
女性目線も大事にしたかった。
と、突然、その女性から、

『修整しますか?』

と聞かれた。

「顔のシミを薄くしてください。」

ためらいがなかった。

『消すこともできますよ。』

「いや、それはウソになりますので結構です。」

「眉毛は黒くできますかね?」

もう、言っていることが無茶苦茶である。

『それは、無理です。』

久しぶりに楽しかった。


撮影が終わって、会計も終了。

仕上りは翌日。
これも、ポスターをできるだけ早くつくるため
無理にお願いしたこと。
通常は、10日ほどかかるらしい。
もちろん、超特急料金も支払った。

ようやく、帰宅。

先ほどの記者会見にいなかったマスコミからの
調査票のファックスが部屋に散乱していた。

  それより、明後日には
  都の選挙管理委員会に書類をチェックしてもらわなければ…
  そもそも立候補できなくなっちゃう。

でも、都の選挙管理委員会からもらった冊子を見ながら
何枚もの書類を作成する気力はもはや残っていなかった。

  もう、ダメだ。
  明日やろう。

長い一日、ようやく終わらせることができた。




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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年11月29日(木) -公示日まであと5日-


『いよいよ来月2日は公示日前最後の日曜日、
 各候補者は演説の場所と時間を私に連絡すること。』

各候補者の事情をまったく無視した、
精神的に追い込むだけのメール

目覚め一発目のメールが、
この ”責任者”からのメールだった。

そういえば、党本部からも ”責任者”からも、
まず、供託金の関係で法務局に行くように、といわれていた。

供託金の300万円は、昨日、党が指定した口座に振り込んでいた。
だから、別途、手続きのためだけに
法務局に行く必要があるのかとばかり思っていた。

ただ、不安もあったので、さきほどのメールをあえて無視し、
”責任者”に法務局に行かなければならない理由をきいた。

不安は的中した。

昨日、払い込んだ供託金は、党の比例分であって、
個人の小選挙区分の供託金は別途300万円かかるということであった。

選挙に出ようと思った以上、
その程度は自分で調べておくべきだった。

ただ、党にも ”責任者”にも、
各候補者の置かれた状況を無視してけしかけるだけでなく、
供託金には二種類あって、合計で600万円必要であることを
きちんと説明しておいてほしかった…

しかも、その別途の供託金は明日までに
法務局にもっていかなければならない。

金融機関にあちこち電話しまくった。

中小企業の経営者とは、こういうものか。

なんとか、明日までに300万円を用意することができそうだ。


落ち着いたところで、もう一つ軽い難題。

私の戸籍は愛媛県宇和島であった。
そこで、昨日、これまた役場に無理をいい、
速達で謄本を東京の自宅のほうに本日の午前中にでも届くように
郵送してください、と電話でお願いしていた。
本来は、電話では受け付けてくださらないらしいが、
事情が特殊であることを説明申し上げ、ようやく納得していただいた。

が、これまで大阪で暮らしていたものだから、
東京の自宅に送られてきた郵便は、すべて
大阪のほうに自動的に転送されてしまう。

郵便局にかけこみ、
転送を至急止めていただくようお願いした。

が、

『手続きまで、3~4日かかりますね。』

といわれてしまった。

戸籍謄本も、今すぐにでも党の東京本部にもっていく必要があった。

ここも、郵便局に事情が特殊であることを説明申し上げ、無理をお願いした。

  もう何回目の無理なお願いになるんだろう。

郵便局から自宅に戻る途中、
神社前でふと思った。

  ポスターとかもそうだけど、選挙カーはどうするんだ?

そこで、何人もの元代議士とお友達で
もっとも頼りになる元上司で退職された ”Sさん”のお顔が浮かんだ。

  神のおかげか、

ただ、この期に及んでも
運転手やウグイス嬢のことまで気がまわらなかった。

それだけ、いろんなことで頭の中がパンパンだった。

いや、おそらく思い浮かんでいた。
しかし、それよりも先にやらなければならないことが
たくさんありすぎて、
故意に頭の中から排除したのかもしれない。

  さすがは、頼りになる ”Sさん”

この近くの印刷業者、そして選挙カーのレンタル方法まで教えてくださった。
ただ、”Sさん”ご自身は東北で暮らされていることもあり、また、
選挙運動期間中は、のっぴきならない御用もあるということで、
ご自身が東京まで行くことは無理である旨もおっしゃっていた。

自宅に戻って、早速、教えていただいた印刷業者に連絡。
社長さんと翌日お会いする約束をした。
この社長さんも
非常に親身になって相談にのっていただけそうな方だった。

しかし、戸籍謄本がまだ届かない。
宇和島の役場に、昨日、速達で送ってくださったか、確認。
本日の昼過ぎには届くはずだとのご回答。
発出する際、わざわざ郵便局に確認してくださったらしい。


さて、事務所そのものは、翌日、板橋区の不動産屋に飛び込むとして、
事務所の看板や備品、そして選挙カーのレンタルも頼まなければならない。

  レンタル先を探すためにはパソコン。

あわてて昨晩購入したばかりのパソコンを箱から出す。
説明書を読んでいる暇はない。
ヘルプサービスに電話して、何とか立ち上げる。

この間にも、昨日までお世話になった職場から携帯が入る。
共済組合員証と記章を書留めで至急郵送してくださいとの依頼。


パソコンのメルアドもようやくゲット。

が、肝心の選挙カーのレンタルは、今さら無理だった。

公示日まであと5日。

選挙カーをレンタルできたとしても
今からでは16日の投票日当日の数日前ということだった。


ようやく玄関のチャイムが鳴った。
愛媛県の宇和島からやって来た戸籍謄本だった。

さっそく、赤坂にある党の東京本部へ急いで届けに行く。
そこの看板がまだ ”太陽の党”となっていたのが
慌ただしさを物語る。

このとき、自分の苦労話や不安な気持ちを、
対応してくださった職員の方に、ぶつけた。
そうでもさせていただかないと、つぶれそうだった。
本当にありがたかった。

すでに日が暮れていた。

それから、何十年も前、私が中高校生のときに
お世話になった方々のお宅訪問がはじまった。

  とにかく、選挙活動に協力してくださる方を見つけなきゃ…

親身になってお話をきいてくださった方、
もしくは、
もう私のことを忘れ、門前払いにした方、

いろいろあって、数時間歩き回った結果、
中学時代に所属していた「大島クラブ」という
野球チームの元コーチに
ハガキを書いていただくことだけお願いできた。


立候補するためにしなければならないことが
頭の中で、優先順位をつけて並んでいたため、
もはや、不安で押しつぶされそうになる余裕はなかった。

夕方、私の愚痴をきいてくださった東京本部の職員の方のおかげもあって。




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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年11月28日(水) -公示日まであと6日-


翌朝、宿舎に洗濯物を干したまま、出勤した。


同じ部署の仲間には、まだ何も伝えていない。

みんなの目の前で、ここでも身辺整理をする。
これほど心苦しい身辺整理はない。

みんなは何も知らず、いつもどおり私と接してくる。
私もいつもどおりに接する。
でも、心は…

  表情は大丈夫か?

別室で退職のための手続きもする。
でも、早く東京に戻って、選挙管理委員会で書類ももらわないと…

このころから、東京選挙区の ”責任者”と称する維新の会の府議の先生から
しきりに私の携帯に連絡が入りはじめた。

自ら行動をおこしたもの、まさか公認されるとは思っていなかった。
もちろん、選挙ははじめてで何をしたらいいのか、まったく分からない。
だから、このときは "責任者”が頼もしく思えた。

ここでも、身辺整理は終わらなかった。
しかし、ついに職場を離れるときが来た。

部長からは、正式に退職するまでは、
他のみんなには黙っておくようにいわれた。

「父親の相続の関係でゴタゴタしているので、
 急きょ東京に戻ります。」

仲間たちへの最後のことば。
あまりに、さみしすぎる…裏切り…

人生、もっとも心が痛んだウソだった。

みんなにお別れだと気がつかれないように
わざと椅子にセータをかけたまま、
職場を去った。


供託金と広報活動費の400万円を指定の口座に振り込んで
新幹線に飛び乗った。

  都庁があいている時間に間にあうのか?

そう焦りながらも、知人という知人にメールをして
選挙活動に協力してくださりそうな知人を探す。
公務員は選挙活動ができないから、
公務員の知人には協力してくださりそうな方の紹介をお願いする。

さらに、党本部からもらった書類にも目をとおす。
でも、イメージがわかない。
つまり、分からない。

でも、さすがに、ポスターやチラシの印刷が必要なことは分かった。
が、そんなものを印刷している業者なんて知らない…

”責任者”にメールで問い合わせるも、まるで返信がない。
ああしろ、こうしろ、とけしかけるメールはしきりに来るのに…

メールを打ち続けているとき、突然、携帯が鳴った。
知らない番号。

  なんだ、このくそ忙しいときに!

そのままデッキに急ぐ。

別の部長からだった。

『この通知をもって正式に退職になります。
 お疲れさまでした。』

「お世話になりました。
 ありがとうございました。」

このことの重大さを痛感したのは一か月以上
経ってからだった。


メールの返信がきはじめていた。

  自分は無理なので、協力してくださりそうな人を探しておきます。

そういった、もっともな、でも、
ありがたい内容のものがほとんどだった。

と同時に、自分の人徳のなさにも気づかされていた。
 
  普段、自分は他人のために何もしていないのに、
  こんなときだけお願いするなんて、
  虫がよすぎるよな…


このころ、
維新の会の最後の公認のニュースが流れていた。


こんな短い旅は生まれて初めてだった。

東京駅から中央線に乗って新宿へ急ぐ。

  6時までに間にあうのか?

勝手に時間を設定した私は、
新宿駅から都庁に向かって走った。

これが結構、遠い…
背中には重いリックを負い、
片手には軽くはない荷物をもったまま走る。
これが、しんどい。

  よし、数分前、滑りこみセーフ

どころか、余裕でセーフだった。
と、いうのも、この時期、都知事選も重なって、
選挙管理委員会はてんやわんやの大忙し。

そんな中、私が候補者ということで、
担当の方が丁寧に対応してくださった。
でも、私の頭の中では丁寧ではなかった。

冊子四冊と、たくさんの書類が入った
大きな手さげの紙袋をいただいた。

  これも税金だよな。

荷物が増えた。


それから、秋葉原に行った。

「今すぐにでも、メールができるパソコンをください。」

実は、私はそれまでパソコンをもっていなかった。
不要だったから。

会計の途中、また、知らない番号から携帯がはいった。

もう、慣れた。

『あさって金曜夕方に、都庁で記者会見がありますから、
 絶対来てください。』

  芸能人でもないのに?

なかば公人になったことを自覚させられた瞬間だった。


  パソコンの使い方も分からない。

  人も集まりそうもない。

  書類の内容も、意味も、書き方も分からない。
  しかも、多い。

  事務所の開き方も分からない。

ここで初めて、選挙事務所の中はどうしたらいいのか
疑問をもつことができたが、事務所の外までは気がまわらなかった。

  ポスターに、チラシに、ハガキに、たすきに…
  制作を依頼すべき業者が分からない。

この時点で、選挙カーやウグイス嬢のことまで
気がまわっていなかった。
ポスター用の写真撮影のことも。

  これらを、公示日までに全て自分でやらなければならないのか…

ちょうどそのとき、”責任者”から
大阪の広告代理店を紹介するメールが入った。

押しつぶれそうになった。

  本当に、これで選挙活動ができるのか?

いつもおいしく食べていたはずの
丼ぶりものがおいしくない。

というより、のどを通らない。
というより、もどしそうだった。

  誰も助けてくれない…

体力的にも、
そして、
精神的にも限界が近づいていた。


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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年11月27日(火) -公示日まであと7日-


まずは、そのラブレター。

「 来る総選挙の準備で大変お忙しいところ、失礼いたします。私は、次期衆議院議員選挙
 候補者第一回公募に応募し、先月に面接をさせていただきました猪野隆と申します。

  現在、すでに全候補者が出そろったころかとは存じますが、どうしても候補者になりたいという私の想いを伝えたく、筆をとらさせていただきました。

  予算、規制、権限などで地方をしばる中央集権をなくし、既得権益にしばられない政治を目指す、そうした必要性は、国のために働きたいと思い国家公務員になって20年あまり、嫌というほど痛感してきました。そして、日本維新の会という、都構想や地方交付税廃止といった具体的に政策を、一部実行しつつ、掲げた初めての政党が出てきたのです。これらの政策を完遂しなければ日本は沈む。だから応募しました。

  ただ、国会議員になることはさりながら、私は演説がしたいのです。橋下代行は、候補者には自分の代わりに上述の必要性を選挙民に訴えかけてほしいはずです。しかし、大変失礼ながら、現在の候補者の演説はマニュアルをただ読んでいるかのような感じで、いっていることも抽象的である、これは私が感じているだけでなく、私の知り合いも口をそろえていっていることです。私なら、聴く者の興味を惹きつけ、心に訴えかけるような演説をする自信があります。

  維新の会は、今回の候補者は150人程度になると聞き及んでいます。しかし、残念ながら、権限ある長のいる地方行政とは異なり、国会では数がものをいいます。だからこそ、国会議員の経験がおありになる石原代表は大同小異を唱え、党勢を拡大することに努めてこられたのではないでしょうか。私を含め、希望者がいるのであれば空白区をつくるべきではありません。

  空白区がないのであればあきらめもつきます。先日、選挙資金がなく立候補を断念した方もいらっしゃると聞いております。是非、私に立候補させてください。演説をさせてください。私は、もう47歳です。政治家になる機会はもうありません。人生はやり直しがききません。このままでは死ねません。お願いします。」


昼休み、党本部のあるビルに行ったときは、
あのご婦人が見当たらず、すんなり二階に上がれた。
そして党の職員にラブレターを渡した。


携帯がなったのは、職場に戻って小用をたしていたときだった。

そうに違いないと思った私は、ばっちい手そのままで携帯をとった。

『島根や鳥取、岩手とか、
 関東でも栃木しかあいてないけど
 それでもよければ、すぐにでも党本部に来て。』

  栃木か~

しばらくだけ迷った。

  取りあえず行ってみるか…
  そうしないと、道は開けないし。

 人生一度きり

そう思って有給をとり、党本部に急いだ。


党本部で即席の面接。

『お金と人は大丈夫なの?』

「お金は大丈夫ですけど、
 正直、一週間で人を集めるのは無理です。」

お金は大丈夫とはいったものの、
もし、私が結婚し、ましてや子どもがいたら絶対無理だった。
私が独身を貫いた理由は、ここにもあった。

すみません、いいわけです。

  だから、ご家族がいながら立候補される方は
  かなりの資産家にちがいない、

と、発言中に一瞬思った。


『ま~、赤帽さんにお願いするという手もあるし。』

『ご家族の方の承諾は?』

「私は独身でして、両親もいません。」


私を止めれくれる人がいなかった。


『じゃー、決まりだな。』

「ちょっと、待ってください。
 一つだけお願いがあります。
 選挙期間中、 昨年亡くなった父の一回忌があります。
 これだけは参列させてもらいます。
 これだけは、人として譲れません。
 絶対に。」

『もちろんだよ。』

『で、選挙区はどこがいいの?』

「できましたら、関東、いや、東京で…」

面接官がとりあえず手元にある紙に目をとおす。

『んっ? 11区ならあいてるね。
 今日、太陽の党の人が辞退したんだ。
 ちょっと、確認するね。』

携帯で維新の会の重鎮と話しはじめた。

『11区大丈夫ですか?
 年齢は47歳です。』

  よしっ。

面接官が携帯を切った。

『よし、決まりだ。
 きみ、運がいいよ。
 昨日までだったら、無理だったよ。』

「あの~、11区って何区でしたっけ?」

地元の江東区が15区ということは知っていたので、
23区のにおいはしていた。

関西出身のその面接官は、またしばらく紙を見た。

『え~と、板橋区だよ。』

「死にもの狂いで頑張ります。」


その直後、党広報用の写真を撮られた。

そのまた直後、
選挙公示日までにやっておくべきこと、
公示日後にやっておくべきことを
10分くらいの間にたたみかけられた。
聞いたことがあまりに多く、かつ
イメージがまったくできなかったので、
ほとんど頭に残らなかった。

NHKの政見放送はすでに撮ってしまったので、
私の場合は、静止画になり、声もアナウンサーのものになります
と言われたことだけははっきり頭に残っている。

そして、いろいろな書類にいろいろ記載し、
たくさんの書類を渡された。

また、
翌日までに供託金と広報活動費用とを合わせて400万円を振り込むこと。
これだけは、きつく言われた。

他の党では、候補者に選挙資金として100万円を渡すらしいが、
維新の会では、候補者から広報活動支援金なるものを徴収する。


それから職場に戻ってからが大変だった。
部長に退職を申し出る。

あまりにも突然のことで、面食らう。
当然といえば、当然。

30分後には退職届を出した。

この前後、職場では、私の見えないところで、
蜂の巣をつついたように、静かに大騒ぎとなっていた。

お世話になった職場に かなり迷惑をかけた。

夜中、宿舎に戻り、身辺整理をはじめた。

翌日、いや、正確には本日中には、
東京都の選挙管理委員会に行かなければならなかった。
だから、身辺整理とはいっても、完全にはできないことは分かっていた。
しかし、できるだけのことはしておきたかった。

このときから、もう、すでに
不安で押しつぶされそうになっていた。



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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年11月26日(月) -公示日まであと8日-


三日前、京都嵐山でのんきに紅葉狩りをしていた。

しかし、心中はのんきではなかった。

大蔵省で勤務していた当時
隣の課の職員だった先生のポスターが
不意に目にとびこんできた。

その誇らしげな表情がうらやましった。

「そういえば、ここが選挙区だったな。」


解散があったのは十日前、

その翌日、維新の会は一次公認候補者を発表。

TVの中の若者がみんな活き活きしていた。

「自分はまだよばれないのか」

TVの外の私は、ゴロゴロしながら、焦っていた。


公募の書類審査が通り、面接を受けたのがその一か月前。

結果通知用の封筒に自分の氏名と住所をわざわざ書いて
維新の会の職員に手渡した。

が…

それ以来、合否の知らせがこない。

あのTVを見てから、
何度も本部に電話をかけ、合否結果を照会するも、
しばらくお待ち下さいの一点ばり。

すでに選挙運動をしている候補者を
TVの外から見て、うらやましく思う。

公認候補者がどんどん決まっていく。

自分が希望していた東京の選挙区もどんどん埋まっていく。


公示日まであと一週間近く、もう時間がないのに…

業を煮やした私は、

  もう、直接、党本部に行ってきくしかない、

そう思った。

四か月前、
東京から大阪に転勤になっていたから思えたこと。
この転勤も、まさに運命だった。

勤務後、
宿舎とはちょうど反対方向に位置する本部のあるビルに行き、入ろうとした。

あるご婦人が、数秒間だけではあるが、私にくっついてきた。
 
  うっとうしいな~

と、思ったそのとき、
そのご婦人がはじめて私に声をかけてきた。

『どちらに、行かれるんですか?』

「二階ですけど…
 公募に応募したんですけど、合否の結果がこなくて、
 自分が公認されるのかが知りたくて…」

『私は、このビルの管理人ですけど、
 維新の会さんから、
 誰も入れるな、といわれているんですよ。』

  そういうことは、党の職員にやらせろよな

と心の中だけで思った。

「そうですか、分かりました。」

と、困った表情で帰ろうとしたときだった。

まさに私の人生を変えた一言が
そのご婦人の口から発せられた。

お名刺があれば、私から渡しておくことはできますよ。
 他の方も、よく来られるんですけど、
 お名刺をお持ちの場合、維新の会さんに渡してますし。』

  こんなときに、なんで持ちあわせていないんだ…

焦った私は、ポケットじゅうのポケットに手をつっこんで、
ようやく見つけたのが、東京で勤務していたときの名刺。

かじかんだ手で、自分の名前以外の肩書き、住所、電話番号等々
を書き換え、その汚い名刺をそのご婦人に渡した。

『私なら事務所の中に入れますので、渡しておきますね。』

「ありがとうございます。どうぞ、よろしくお願いします。
 本当に助かります。」

深く深く、頭を下げた。

『ご丁寧にありがとうございます。
 なかには ”なんで中に入れないんだ”
 といって怒りまくって帰っちゃう人もいるんですけど。』

といって、後光の射すそのご婦人はエレベーターの中に消えていった。

そのときは、本当に助かったと思った。


私は、宿舎に向かう電車の中で考えていた。

  本当に、あんな名刺でなんとかなるのか…

  でも、中には入れない。

  ただ、あのご婦人に手紙を託せば、
  自分の想いは伝えられる。

  よしっ、手紙を書こう。

  ことばより、かえって想いは伝わる。

そうして、その晩、想いをつづった。

まさに、ラブレターを


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