東大合格のための勉強方法 | 日記
朝日新聞の「天声人語」日経新聞の「春秋」
毎日新聞の「余録」そして読売新聞の「編集手帳」といった
コラムを要約するのがいいでしょう。

何や、それ!
よく、いわれている勉強方法やん。


私は、以前、
理解をすることが勉強のコツだといいました。

ですから、ここでは具体的に説明したいと思います。

東大や京大は、現代文でももちろん理解を求めてきます。
しかも、対照的に。

すなわち、
東大では、書いてあることを切り貼りするのではなく、
抽象的なことばに置き換えて説明することが求められています。
だから、解答欄が猫の額のように狭いのです。

他方、
京大では、書いてあることを切り貼りするのではなく、
より具体的で分かりやすいことばに置き換えて
説明することが求められています。
だから、解答欄はプールのようにでかいのです。

どちらも、書いてあることを
正確に理解していなければできません。


例えば、
31日付の日経新聞の「春秋」を要約してみると、

 大晦日、アメリカのニューヨークでは
 みんなが歓声を上げ、気持ちを高揚させて
 新年を迎える。

 かたや、日本では、除夜の鐘をききながら
 静かに、厳かな気持ちで
 新年を迎える。

 この凝縮した特別の時間・空間でみられる
 光景としては、日米では対照的である。
 しかし、他人との一体感、親近感、思いやり、
 そうした優しい気持ちが底流をなす点では、
 共通している。
 
 日常生活に戻ると、そうした気高い気持ちは
 あせていきがちである。
 だからこそ、常に大切にしていきたい。

こうした感じになるのではないでしょうか。

ただ「高揚」「厳か」「特別」「光景」
「日米では対照的」「親近感」「思いやり」
「底流」「共通」「気高い」「あせていく」
といったことばは原文にはないもので、
私なりに理解して置き換えたものです。

専門家からすると
適切なことばではないかもしれませんが、
大学入試レベルでは、この程度は許されると思います。

他方「歓声」「静か」「凝縮した空間」「一体感」
「優しい」「日常」「大切」といったことばは
原文にもあります。
無理に置き換える必要ないことばは、そのまま
解答としてつかっても差支えないでしょう。

では、どうすれば、置き換えるべき
ことばを見つけ出せるの?

文章を理解するコツは?


文章を理解するコツは『対』と『共通』を意識する
ということだと思います。

この場合
「歓声」の対は何か?
「歓声」と同じ種類のことばは何か?

「静か」の対は?共通することばは?

このように問いかけることで
「高揚」とか「厳か」ということばを
導き出しました。

ことばだけではありません。

日米の新年を迎える「光景」は対だが、
優しい「気持ち」になる点では共通、

新年を迎える「特別な時間」と「日常」とは対、

といったように、
文章の構成などを理解する上でも、
『対』と『共通』は意識するとよいでしょう。

ただ、私が高3や一浪のときにやってしまったように、
『対』と『共通』を見つけ出すことだけに集中してしまって、
一番大切な文章を理解するということを
決して忘れないでください。


さて、さらに上の文を要約してみると、
例えば、以下のようになります。

 新年を迎える瞬間の光景としては日米では対照的であるが、
 人を思いやる気持ちが底流をなす点では共通している。
 日常に戻ると希薄になりがちだからこそ、
 こうした優しい気持ちを常に大切にしていきたい。

京大を目指される場合、上のような感じで要約
すればよいでしょう。

東大を目指される場合、さらに要約することを
試みてはいかがでしょうか。

例えば

 新年を迎える瞬間に世界の誰もが抱く優しい気持ちは、
 日常生活の中でも持ち続けていきたい。

という具合です。


厄介なのが、センター試験や私大入試です。

私はセンター試験の過去問も解いてみましたが、
点数は6割~8割と安定しませんでした。

言い訳めいたその理由は、こういうことです。

今日、あるテレビ番組を見ていたら、YUIさんという
若い女性シンガーが出演していました。

彼女自らが作詞・作曲をし、歌いあげる
「fight」という曲があります。

その中に「頑張れ、頑張れ」という
歌詞が出てきます。

「頑張ろう」ではなく「頑張れ」ということばには、
何か突き放された響きがあります。

アスリートも「頑張れ」と応援されると、
いわれなくても、当然、頑張っているよ
と、つい思いがちになるそうです。

だから「頑張れ、東北」ではく「頑張ろう、東北」なのですが、
それにもかかわらず、彼女の曲を聴く者は
違和感なく励まされ、感動するそうなのです。

その謎解きを、とある専門家の方がするのですが、
その解説の前に、スタジオにいた何名かの高校生に
同じ問いかけをしていました。

みんな一生懸命に考えて答えていました。

「彼女の声が癒してくれるから」

「頑張れを二回続けているから」

とか、まだあったのですが…

それから、その専門家の方がいったことばに
はっ、とされました。

「みなさんが答えてくれたことも
 正解だと思いますが、
 私が考える正解は、…」

そう、正解は一つではない。

国語入試の選択肢問題の難しさは
ここにあります。

著者自身ではなく、問題作成者が考える正解を
見つけなければならない。

以前、センター試験で出題された文書の作者が
選択肢の正解を見て、
「あー、こういう考え方もあるんだ」と、改めて感心した
という記事を読んだことがあります。

お話をYUIさんの歌詞の魅力に
戻しますと、
先ほどの専門家が考える正解は、
最初の「頑張れ」は他人から、
二番目の「頑張れ」は自分自身から
いわれているように思わせる、
そうした歌詞が前にでてくる、
ということでした。

ある意味、先ほどの高校生の答えも「正解」なのですが、
驚いたのは、作詞されたYUIさんご自身が、
「そう、なんですね!
 そう思いながら歌うと
 なんか緊張しますね。」
と、自覚をされていなかったということ。

まさに、国語入試の選択問題!


じゃー、問題作成者が考える正解は
どうやって選べばいいの?


私は、とある公務員試験問題をつくったことがありますが、
明らかに間違った選択肢を必ず2~3個、
逆に、迷わすような選択肢も必ず2~3個
つくるようにしました。

ですから、明らかに間違っていると思う選択肢から、まず切る。

そして、問題作成者はひねくれていますから、
本文にでてくる言い回しがそのまま使われているような
選択肢は間違いである可能性が高い、
逆に、本文の表現を言い換えたような選択肢は
正解である可能性が高い、と思います。

この点は、先ほどの記述問題を解くコツと
似ているのではないでしょうか。


それにしも、YUIさんという方、
高校を中退され、路上ライブから
メジャーになられたそうで。
本当に尊敬できる方です。
活動を休止されるそうでして、
ご本人は精神的に限界を感じたからだそうですが、
何か残念です。


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東大合格のための勉強方法 | 日記
東大文系数学では4問出題されます。

あくまで、個人的な感想ですが、
うち1問は、数学をふつうに勉強していれば
誰もが解けるであろう基本的な問題。

1問は、とてもじゃないけど解けそうもない問題。
これは、完答しようとしても時間の無駄です。
せめて一部解答にとどめ、早くきりあげないと、
はまってしまい、かえって合格が遠のいてしまいます。

そして、残りの2問が合否を分ける問題で、
本番では、この2問に集中すべきでしょう。

合否を分ける問題、
というと、ぎょうぎょうしく聞こえますが、
文系の場合、一度は見たことがある
いわゆるベタな問題です。

ただ、相当な数の問題を解いた場合のはなしです。
高3や一浪のときの私は、今から思い返してみると、
解いた問題の数が絶対的に不足していました。
ですから、当時、東大を受験していたとしても、
一度は見たことがある典型問題とは思わなかったことでしょう。

問題数としては、月刊の「大学への数学」やZ会の通信添削の問題などを
まじめにやっていれば、大丈夫だとは思います。
ただ、解くことをすぐにあきらめず、
とにかく、さまざまな解法を試みるなどして
考えることがもっとも重要です。

この点、解答をすぐみることができない通信添削がお勧めです。
しかも、いい点数を取ろうとするので、
考えることをなかなかあきらめられないからです。

ただ、私の場合は、考えることに少し
時間をかけすぎていたような気がします。

解答をみるときでも、
注意をしなければならないのは、
機械的に解法を憶えようとしてはいけない
ということです。
これで私は、高3や一浪のとき失敗しました。

例えば、過去の東大入試では、
誰もが「憶えている」公式を証明させる問題が
出されたことがあります。

やはり理解をすること、そして、
ここでも他の解法がないかを考えることです。
と、いうのも、東大数学では
さまざまな解法で解けるような問題が出され、
発想力が試されているからです。

また、典型的な解法では計算などで時間が
かかるような「細工」が施されていることもあります。
工夫された解法には、高得点が与えられる、
というまことしやかな話もきいたことがあります。


私の場合、3問解き、うち3問とも計算ミスで
完答には至っていません。ツメが甘かった…

他科目もありますが、それで合格したのですから、
やはり、解答にまで至る過程にも
かなりの配点がなされているものと思われます。

なお、過去の東大入試では、
πが3.14を超えることを証明させる問題が
出されたことがあります。

この問題は、”πは3と教えれば十分”という
ゆとり教育時代に出された問題です。
  こんな数学教育でいいのか?
という警鐘を鳴らした問題といえるでしょう。


私自身もある公務員試験の問題を作成したことがあり、
やはり、そのときは、
  こんないい加減な政策でいいのか?
と、後の受験生にも訴えかけられるような問題を作成しました。
それは、具体的には、次のとおりです。

昭和62年に旧国鉄がJRに分割・民営化された際に残った旧債務のうち、
結局、約24兆円が、平成10年に国の一般会計に承継されました。
このとき、債務償還の財源に充てるために創設されたのが、
たばこ特別税です。
だからでしょうか、JRのプラットホームでは私鉄と比べ長い間
喫煙所が設けられていました。
ちなみに、この特別税、加藤紘一先生の鶴の一声で決まったものです。

ただ、この税収は年に2,500億円程度で、まったく足りません。
それでは、どうするか?

なんと、その他の償還については、当面は、
一般会計の歳出・歳入両面にわたる努力により対応をする、
ということになったのです。

なんたる、いい加減な政策。

そこで、私は、これを正解肢とする選択問題をつくりました。
通常の受験生なら、まさかこれが正解だと思わないだろう
と考え、この問題をつくったところもあります。
が、それよりも、過去問を学習する公務員受験生をはじめ、
このいい加減な政策を世間に知らしめるために
この選択問題をつくったのです。


大学入試をはじめ試験問題には
作成者のメッセージが隠されていることがあります。

余裕があったら、そんな問題作成者のメッセージを
見つけてみてはいかがでしょうか。



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東大合格のための勉強方法 | 日記
高校3年生のとき、
東北大学、中央大学、立教大学、早稲田大学に落ち、
一年浪人してようやく合格したのが、上智大学。
しかも、予備校の”上智英語”という授業で習った
英単語や熟語がそのまま本試験でも出題されたから
合格したようなもので、この授業をとっていなかったら、
きっと、落ちていた。

そして、社会人になって十年以上も経って、
Z会の通信添削を受けながら、
土日にはZ会東大マスターコースという予備校などに通い、
東京大学文科一類に合格しました。

勉強時間は、高3、浪人時代のときのほうが
はるかに多い。

それでは、なぜ、しかも受験勉強を十年以上ぶりにして、
高3や一浪のときには絶対合格できそうもない
東京大学文科一類に合格できたか?

というより、なんで、そんなタイミングで
東大を受験したの?

そのお応えは、別の機会にさせていただいて、
ここでは、勉強の仕方というか、
コツをお伝えしたいと思います。

巷で売られている合格体験本は、
いかに自分は頭がいいのか、あるいは、
どれだけ気合いを入れて勉強をしてきたのか、
こうしたことの自慢に終始する鼻のつくものが
多いのです。
そこで、ここでは少し違った角度から、
勉強法というものを紹介させていただきたいと思います。


Z会の通信添削にZ会東大マスターコース?
Z会って、そんなにすごかったの?

それもあると思いまが、Z会の通信添削は、
高3のときも受けていました。
一浪のときは某有名予備校にも通っていました。
毎朝、NHK朝ドラの「おしん」のテーマソングが
流れてくる新聞販売所の前を通りながら…

実は、ここに答えが隠されています。

「おしん」のほうではなく、
要は、頭の中の構造が変わらなければ、
いくら通信添削を受けたり、
有名予備校に通っても無駄だということです。

私の頭の中の構造が変わったのは、
大蔵省(当時)主税局調査課に勤めていたときです。

そこは、偏差値70以上の
猛者たちが集まる場所。
常に鋭い指摘や質問、ときには罵声が
飛んできました。

何を調べても、背景、経緯、理由がより深く
問われました。
何を話しても、いっていることが分からないと
相手にされないこともありました。

しかも、頭だけでなく、体力もすごい。
夜中12時過ぎに、
翌朝(今朝?)の国会答弁に必要だから調べておいて、
と当たり前の顔をしていわれたことも
幾度となくありました。
国会で質問される確率5%未満なのに…

体力はさておき、要は、
私の理解が足りなかったのです。
抽象的なことばで理解していたつもりだったのです。

理解をする。
しかも、小中学生にも分かってもらえるくらい
やさしく自分のことばで説明できるくらいに。
この姿勢を欠いて
いくら勉強しても無駄です。
どんな有名予備校に通い、通信添削を受けても。

私が高3のときは漫然と通信添削を受け、
一浪のときは、予備校で教えてもらったテクニックを
理解のための手段としてではく、
目的として勉強していました。
機械的な暗記だけをしていました。
暗記力もないのに…
しかも、無意識に…


つまり、頭がいいとか悪いとかではく、
心がけしだいなのです。

ただ、理解には時間がかかるし、
ましてや、本当に理解できたか心配です。
さらに、理解しようと心がけていても
その姿勢も忘れがちです。

それでは、どうしたらいいか?

そこで大事なのが先生です。
おっしゃっていることが
すんなり自分の頭の中に入ってくる、
自分と波長が合っている先生、
どんな素朴な質問をしてもキレずに
親身になって答えてくださる先生がいいのです。

キレるのは、先生が分かっていない証拠です。
キレるのはまだマシなほうで、適当に答えて
その場をやり過ごす先生もいらっしゃいます。

そこで問題なのが、いかにして、
頭の中の構造を変えてくれるいい先生に、
しかも科目ごとにお会いできるのか、
ということです。

それは、学校の先生かもしれないし、
A予備校の先生かもしれないし、
B予備校の先生かもしれない。

中には、そうした先生にお会いしなくても、
教科書や参考書だけで
きちんと理解できる頭のいい子もいるでしょう。
実際に予備校に通わず
東大に合格している人もいます。

何年か前、
予備校に入学しながら通わずに東大に合格したと
自慢する人のHPを見たことがありますが、
あれは、いただけない。
ご両親が予備校の学費を稼いでくださったことへの
想いがまるでない。
まー学生のうちは仕方がないか、
自分もそうだったし…

いずれにしても、あれだけ抽象的にまとめられた
教科書や参考書で理解できるというのは、
よほどの正確な想像力の持ち主なのでしょう。

教科書や参考書は、専門家が読めば
きれいにまとめられた良書なんでしょうが、
初学者がいきなり読んでも、まとまりすぎて
頭に入ってこないはずです。

理解したと思っても、
実は理解したつもりにすぎない
ということのほうが多いんではないかと思います。

東大合格のため、小学生のときから
多くの有名予備校に通う。

これは、それだけ内容の濃い勉強を
長時間することに意味があるのでしょうが、
理解をすることの重要性を伝えてくれる先生、
自分の理解を助けてくれる先生、
こうした先生に多くお会いできる確率が高くなる
ことにも意味があるのでしょう。

しかも、ある人の理解を助けてくれる先生は、
別の人の理解も助けてくれていることが多い、
そうした先生は有名予備校に多くいらっしゃる
のではないかと思います。

個別指導や家庭教師は、
自分が理解するまで教えてくれるという点では、
一番かもしれません。
ただ、キレたり、てきとうに答えるような先生
だったら、すぐに止めるべきです。

反対に、その場で答えてもらえなくとも、
後日調べて説明してくださるような
そんな誠実な先生がいらっしゃれば、手放してはいけません。

通信添削も、理解していないことを痛感させてくれる、
もしくは、理解を深めさせてくれる、
そうしたものを受けたほうがいいでしょう。
Z会は、そうした意味では良問ぞろいだったと思います。
ただ、私が高3のときもそうだったように、
漫然と受けても意味はありません。

小学生のときから有名予備校に通わせることができ、
家庭教師をつけ、
良質な通信添削も受けさせることができるほど
余裕のある裕福な家庭の子が東大に合格しやすい。
実際、東大合格者の家庭の平均年収は
1,000万円以上ともいわれています。
平均年収400万円の時代に…

私が、社会人になって10年以上も経ち
東大に合格できた、もう一つの理由がここにあります。
それだけ、金銭的に余裕ができたからです。


抽象論はこれくらいにして、
もっと具体的な勉強方法を教えてくれ、
という声がきこえてきそうですが、
科目別の具体的な勉強方法は
別の機会にさせてください。

本日はこれでご勘弁ください。


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新聞の読み方 | 日記
武道家を先生に!

これは文部科学副大臣のご発言
と、12月28日の新聞にあった。

いじめは、ご立派な犯罪。
刑法の傷害罪、暴行罪、窃盗罪、強盗罪、強姦罪、器物損壊罪…
これらの罪の多くは、約3,800年前の
ハンムラビ法典でも裁かれていたらしい。

でも、いじめられた子は誰にもいえない。
仕返しがこわいから。

学校も見つけようとしない。

いじめられた奴は、いじめた奴をいじめ返せばよい!

これは、私の中学時代のバカ国語教師のおバカ発言。
お前は、一人で暴力団に立ち向かっていけるのか!
いじめっ子は腕力がある。
しかも、群れるのがお好き。

勇気を振り絞って、訴えたところで
学校、教育委員会は、いじめを否定するところから始める。
自殺しない限り、警察もとりあわない。

社会の犯罪は、警察が取り締まり、裁判所が裁いてくれる。
学内の犯罪は、誰も取り締まってくれない。

武道家の先生ではなく、
警察官にいつもそばにいてほしい、
でも、現実的でない?

犯罪なら学校内が一番!

だって、無法地帯だもん。
約3,800年前、ハンムラビ法典ができた
文明より幼稚な原始社会だもん。


横で聞いていた政務官が苦笑い

これも28日の新聞にあった。

この政務官、
若いとき、かなりやんちゃだったらしい。
でも、立派に更生された。

それを売りにして本を出し、
国会議員にまでなった。

選挙活動中、演説の聴衆に向かって謝っていた。
さぞかし、気分がよかったろう。

いじめっ子の最大の屈辱は、
いじめた子に面と向かって一人一人謝罪することだから…

若いときに悪いことをして、
大人になって更生すれば、
それを売りにすることができる。

過去の過ちがチャラになっただけなのに、
悪いことをしてこなかった人より
なぜか、世間の注目を集めることができる。

政治家になりたい若い諸君、
芸能人になりたい若い諸君、

犯罪やいじめをするなら今だ!

ちなみに、この政務官、
年が明けて行われた地元選挙区の成人式で、
比例復活で当選した民主党議員より後に紹介され、
「民意の否定」だといって抗議したそうな。
こういう順番って、来賓らにとっては重要かもしれないけど、
主賓である出席者らにとっては正直どうでもいいことで、
それを「民意」の問題にすり替えるとは…



話がそれちゃったけど、要は、
いじめられたことのないやつが
いじめ問題を語っても、解決しないよ。
解決すべき問題の本質が分かりっこないもん。


選挙運動中、一人の娘から嘆願された。

「いじめをなくして、
 おじちゃんしかいない。

 だって、おじちゃんもいじめられたんだもんね。」



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東大合格のための勉強方法 | 日記
選挙に立候補するため公務員を退職したのだから、
中退していた東京大学に復学しよう、
そう思って、駒場東大キャンパスに行った。

『センター試験から受けなおしてもらいます。』

  えっ?

『退学してから10年以上経っていますので。
 2~3年、いや、5年くらいでしたら再入学できたんですが…』

  口から出まかせ?
  そんなこと、どの規則に書いてあんの?
  あなたの判断?

  そのまま聞いたら、理屈をこねるただの小役人。
  これでは、今までの自分と変わらない。
  ここは、ひとつ鎌をかけてみよう。

「たしかに、退学当時のご担当のかたも同じようなことをおっしゃっていました。
 ただ『10年以上たった場合は、入学しても授業についていけるのかくらいの
 試験はさせてもらうことはありますが』と、おっしゃってましたよ。」

『もう一度、確認してきます。』

ホッとした。

  また、また、また受験勉強しなきゃいけないのか…

「失礼しました。
 当時、入学金も前期の授業料も納めていただいてまして、
 再入学できます。」

心底、ホッとした。

  そうそう、何の授業も受けないのに
  東京大学中退という称号欲しさに
  30万円近くも払ったんだっけ。

「それでは、来年の4月から…」

『手続きは11月までとなっていますので、もう無理です。』

「再来年4月の入学の手続きは…」

『早すぎます。
 来年の夏ごろ、もう一度ご連絡ください。』

  中年東大生は、当分、お預けか…




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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月26日(水)


大阪の党本部に全国の落選者が集められた。

そして、その場で、
落選者全員、支部長解任を言い渡される。
これは、維新の会が、選挙での得票率も加味しながら、
候補者や選挙区をゼロから選定し直すことを意味する。

落選者からは、
今からでも運動をしたいので早く支部長を決めてくれ、
支部長が決まるのはいつ頃か、
支部長になったら活動費は月にいくらくらい出るのか、
比例順位の決め方が不透明だ、
比例当選組は参議院にくら替えさせてほしい、
といったお願いや質問がでる。

これには、ある幹部もあきれたらしく、
  そんな自己保身的なことや
  ちまちました手続き的なことばかりいって
  どうする!
  そんなみなさんにはがっかりだ。
  どうしても代議士になりたかったら、
  自民党にでもいってくれ、そのほうが確実だ。
  党ばかりに頼ってないで、
  もっと自立心をもちなさい。
といったようなことをおっしゃって、いさめる。

これに感化されたのか、今度は、
政党交付金は辞退すべきだ、
という党に自立を求める意見がでて、拍手も起こる。

が、その幹部はこれにも切れ、
  そういうなら、OO億円ここに持ってきてください。
  代替案もなく、外から批判だけするようなことは
  止めてくれ!
と、おっしゃる。これにも拍手が起こる。

たしかに、ゼロから党を築き上げ、
政党交付金をもらえるまでに大きくした、
そんなご苦労をされた方々にとっては、
ごもっともなことである。

ただ、若干気になったのが、
幹部の方々がドブ板的な選挙には消極的であること。
政策をきちんと有権者に訴えかければ大丈夫だ、という。
おそらく、しがらみのない政治を目指していることとも関係がある。

それはその通りなのだが、
ただ、人間は理屈だけではなく、感情によっても動く。

今の維新の会の幹部の方々や今回の選挙で当選された方々は、
マスメディアを通じて既に全国的な知名度があったり、
特殊な風が吹いたことによって
現在の地位を得た方々のほうが多い気がする。

それ以外の候補者は、
地道な活動で、せめて地元での知名度を上げるしかない。
多少なりとも、情にも訴えかける必要はある。
ま~、それは、演説で訴えかけるという方法もあるが、
今回の選挙戦で肌で感じたことである。

そうでもなければ、何かマスメディアに長く取り上げられるような
そんな特別なことをする必要がでてくる。

たしかに、ドブ板的な運動は
しがらみのある政治につながってしまう危険はあるので、
そこらへんとの兼ね合いが難しくはなってくる。


今回思ったのは、
従来からの、そして今後の党の候補者の支援の仕方、
比例順位の決め方
そして、先ほどの支部長解任といった一連の方針、
これらを総合的に勘案すると、
維新の会は、候補者個人の事情はあまりかえりみず、
党勢拡大に注力していること。
それが他党より明確になっているということである。

それは、それで当たり前のことではあるが。


そして、身分が安定しないまま、
落選者は放り出されるかのように
党本部を出ていく。

外で待機していた記者たちは、
マドンナ候補といわれた女性らを囲む。

私はというと、ちょうど一か月前、
自分の運命を変えてくださった
このビルの管理人さんにご挨拶。

その直後の私の笑顔を2~3枚撮ってくださった
報道関係者の方もいらしたが、
そのフィルムが無駄にならないようにしたい。



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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月15日(土) -選挙運動最終日-


朝の6時半ころ、いつもどおり、大山駅を下りると、
いつもと違って、他の候補者の巨大な街宣車が

デ~ン

とかまえていた。

マイクを使用できるのは朝8時から、との決まりがあったので、
8時から駅前演説でもするのかと思っていた。

そして、事務所に到着するやいなや、
選挙運動用のジャンパーに着替え、タスキをかけ、
女性スタッフ中心につくっていただいたオシャレ看板二枚を両手にかかえ、
商店街に出る。
毎朝、犬の散歩をされる洋服屋の社長さんにご挨拶申し上げ、
大山駅に到着。

いつもどおり、定位置に看板を置いたときである。

『これが、見えないの?』

相手候補陣営の選挙スタッフの方だった。

「見えてますけど…」

『じゃー、なんで、ここに立とうとするんだ!』

「この場所に街宣車は置いてないし、
 誰も立ってないじゃないですか?」

『駅周辺の一角に街宣車を置いたということは、
 駅周辺の場所をおさえたということなんだよ。』

「そんな決まり、どこに書いてあるんですか?」

『それじゃー、君の理屈だと、
 私が君の隣に立ってビラを配ってもいいということだよね。』

「どうぞ、どうぞ」(by not ダチョウ倶楽部)

この方が私の隣に立ったところで、負ける気がしなかった。

『そっちのスタッフの責任者はどこにいるの?』

「今は、私一人ですし、事務所にも今は誰もいませんが。
 というか、責任者とかいませんけど。」

『話にならん。』


しばらくして、別の白髪の方が近寄って来られた。

『私は、選挙運動の責任者です。』

今度は、責任者の方のお出まし。

『このポスターを利用した板を置くのは違反だよ。』

「あっ、すみません。知りませんでした。」

本当に知らなかった。

そして、自分のポスターを利用したほうの板をひっくり返すと、

『ま~候補者本人が横にいるから、構わないけどね。』

といわれたが、取りあえず、
維新の会のツートップのお二人を切りばりしたほうの板だけ、
それを表にしたままにしておいた。


そして、ついにご本人登場!
わざわざ手袋をはずし、手を差し伸べてくださった。
あまりに急なことで、私のほうは、
手袋をしたまま握手をしてしまった。

『私なんかは、街宣車とかあったら、
 その場は遠慮するようにはしてきたけど。』

「あの~、せめて8時まで
 ここで挨拶だけでもさせてもらえますか?」

『いいけど、あなた、埋もれるよ。』

ざっと見渡すと、
ジャンパーを着てチラシを持ち、待機をしているスタッフが十人ほど。

  おもしれー、受けて立とうじゃねーか。

「おはようございます。」

学生時代に鍛えた声で挨拶。

相手候補陣営が束になってかかってきても負けなかった。
だいたい、一人一人の声が小さいし、
それに、通っていない。

相手陣営の声が大きくなってくる。

私も負けじと、さらに音量を上げる。

すると、十人の束が、チラシを配りながらも
私のほうに近寄ってくる。


本当に大人げない争いである。

  私が予想に反して追い上げているという情報で
  最終日になって、ようやく焦り始めているのか?

いつもここで私に声をかけてくださる方々が
いつも以上に私を応援してくださる。


朝8時前、いつものように、運転手さんが
私に声をかけてきた。
そして、いつもと違って、
相手候補者に近寄り、失礼しましたとご挨拶。

今度は、こちらが素手で、お相手が手袋で握手。



これまで選挙運動をしていても、不思議と
相手候補者とバッティングすることはほとんどなかった。

しかし、この最終日は、行く先々でバッティング。


先ほどの話ではないが、先に相手候補が演説しているときは、
その場所で演説が終わるのを待つか、あるいは
場所を変えるのが暗黙のルールと理解していた。

ルールというか、
相手候補者の演説の邪魔になるし、
そもそも自分の演説も聞こえなくなるので、
常識といえば、常識。

しかし、他の候補者の場合、前もって演説の時間と場所を
緻密な分析のもと、しっかりと決めておくので、
なかなか柔軟な行動がとれない。

他方、こちらはゲリラ戦法。
私の個人的な勘だけで、行き当たりバッタリで演説場所を決める。

だから、相手候補者が先に演説していても、
私のほうは、あまり気にならない。

しかし、相手のほうは、私が先に演説をしていると、
相当イライラするらしい。
計画どおりいかず、予定が狂いだすからである。

先日も、私が駅前で演説中、
相手候補陣営の方が私の選挙スタッフに対し、
この駅はO時から演説することになっているんですけど、
といった、とんちんかんな文句を言ってきたらしい。

そして、この日も、私は高島平団地内で最後のお願いをしていた。
すると、拡声器を使った相手候補者の声が聞こえてきた。

  おいおい、こっちは演説しているんだよ。

そのヒステリックな声は、私の話をかき消そうとするかのように
だんだん大きくなってくる。

しかし、その声は、明らかに団地にこだまして
内容がまるで分からなくなっている。

  これ、逆効果だぞ。

私のほうといえば、先日の ”Hくん”の助言で、
声がこだましないよう、ゆっくり話をすることができていた。

相手候補陣営のほうがスタッフも多いし、
組織も大きいはずである。
それなのに、二十歳そこそこの ”Hくん”のように
助言できる人がいないとは…

これも、大人げない争いである。


この高島平団地内での失敗談を一つ。

ある女性が私に近寄って来られたので、
いつものように
「お願いします」
とご挨拶。

が、この女性の方、明らかに迷惑そうな表情。

すると、ウグイス嬢見習いの娘があわてて
『候補、陣痛中の妊婦さんですよ。』
と、私をいさめる。

その妊婦さんは、私の背後にある病院に急いでいたのだった。

本当に申しわけないことをしてしまった…

その後、無事に元気な赤ちゃんが産まれたことを願ってやまない。


最後は、お世話になった
”ハッピーロード大山”そして、”遊座大山商店街”を
スタッフ総出で行進して、選挙運動終了。

総出といっても4~5人で、昨日の行進と比べると
寂しい感じがした。

そして、事務所に戻り、ダルマの片目を入れる。

最後の最後は、狭い事務所内でみんなと三本締め。


ようやく、明日は、投票日である。

私には、あっという間の選挙運動だった。

何たって、三週間前は、京都の嵐山で
のんびり、紅葉狩りをしていたのだから。



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おもろい話やで | 日記
平成〇年12月24日(?)


イヴの朝に失恋することなど
そうそうない。

仕事が手につかなかった。

「佐藤さん、すみません。
 今日6時で退社します。」

『どうぞ。
 それにしても、今日、テンション
 めちゃくちゃ高かったですね。』

テンション高くしないとやってられなかった。

早めに帰れるときは、
きまって、このうどん屋に寄る。

「こんばんは」

元気な声で言ってみた。

『あら、いらっしゃい』

「今日、息子さんは?」

『町内会で、コレよ』

と、言って右手首をひねった。

「もう、そんな季節なんですね」

『何か、あったのかい?』

おかあさんが、お母さんに変わった。

彼が、この前、この店に来たのは
ちょうど一週間前だった。

彼は、そのとき、
明日、ついに、携帯を買うんだっ!
と、うどん屋のおかあさんに得意げに話していた。

そして、今日、
それを自慢するはずだった。

おかあさんも、あえて聞かなかった。

『はい、サービスよ』

おかあさん手作りのヒジキと
佃煮海苔だった。

意外に、しょっぱかった。



「お会計お願いします」

『いくらだったけ?』

「680円ですよ、間違いなく
 あっ、ヒジキ代とかいいんですか?」

『いいんだよ。
 そんなことより元気だしなさいよ』

「ごちそうさま。」

もう少し元気な声で言ってみた。




やっぱり、ジングルベルが鳴っていた。

親子や恋人どうし、
彼には決して許されない幸せが
すれ違う。

心身ともに冷たかった。

きっと、彼女は今ごろ、
働き盛りの男性から
猛アタックを受けてるにちがいない。

彼には許されなかった攻撃。
彼は指をくわえて見ているしかない。
いや、見ることさえ許されなかった。



彼は勘違いをしていた。

彼女を追いかけて会うことができた場所
そこは、まさに、数年前、彼が
最期にお母さんに愚痴をこぼした場所

「多慶屋、こっちじゃないじゃん」

そんな思い出の場所で出会えたから
すべてがうまくいくと思った。

しかし、彼には、一生でなく、
一日だけの幸せが与えられていた。

彼の本当のお母さんは、
彼ではなく、彼女のほうを
おもんばかったからである。

彼にとっては、
彼女とハンバーガーを分けあって食べたこと、
いっしょに上野公園を散歩したこと
すべてが幸せであった。

おそらく、彼の人生の中で
もっとも幸せなときだった。

しかし、その働き盛りの男性は
ハンバーガーより百倍はするオシャレな高級店で
彼女に猛アタックをしている…

そう想像するだけで
彼は、胸をしめつけられた。




『エ~ン、え~ん』

「お嬢ちゃん、どうしたの?」

彼は、身長を彼女に合わせた。

『エ~ン、え~ん』

「どこから来たの?」

『エ~ン、え~ん』

「じゃ~、もっと簡単な質問、
 お名前は?」

『エ~ン、え~ん』

「じゃ~、何歳かな?」

こどものいない彼は
本気できいた。

『エ~ン、え~ん』

「まいったな、
 俺が泣かしちゃったみたいじゃん」

「よいしょっと」

『おじちゃんの抱っこ、へ~ん』

「おじちゃん、チョンガーだから
 慣れてないんだよ」


『わかんな~い、エ~ン、え~ん』

1オクターブ上がったような気がした。

「まいったな、俺が誘拐したみたいじゃん」




「んっ?お嬢ちゃん、雪だよ、ほら」

粉雪がまっ暗な空から舞ってきた。

その一瞬の親子は
いっしょに空を見上げた。

その娘は、
ピタッと泣き止んだ。

そして、
小さな手のひらをいっぱいに広げて
粉雪をつかもうとした。

その娘は笑顔を初めて
「おとうさん」に見せた。

そして、
そのおとうさんをテコにして
飛び降りた。

「いてっ」

『わ~い、雪だ、雪、雪』

娘は、粉雪と逆方向に舞った。

「お前、迷子だろ…」

彼は、その舞う娘に
ついていくしかなかった。




『あっ、お母さん』

”あんた、どこにいってたの”

『あのおじちゃんが
 抱っこしてくれたの』

”こらっ、おにいさん、でしょ”

「いやっ、
 誘拐しようとしたわけじゃなくてですね…」

”分かってますよ”

お母さんの微笑みが美しかった。

”ありがとうございました”

『おじちゃん、わたしが大きくなったら
 お嫁さんになってあげる』

彼は、子どもが大好きだった。
だから、こんどは、本当の笑顔ができた。

「んっ?意味分かってるじゃん」

『じゃ~おじちゃん、ば~い、ば~い』

彼は、右手を軽くあげた。

「でもね、おじちゃんには無理みたい…」



イヴだから、一応、おやじと
ショートケーキでも食べるか。
また、まずい、
とか言うんだろうけど…

彼は、来た道を決心したかのように
戻っていった。

そして、暗く冷たい雪の中に
再び消えていった。



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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月12日(水)~14日(金) -選挙運動9~11日目-


選挙運動も終盤にさしかかると、
だんだん手ごたえを感じるようになった。

選挙カーを走らせても、声援をおくってくださる方々が増えた。
期日前投票で私の名前を書いてきた、
といってくださる方が何人もいらっしゃる。
選挙カーを下りて握手をさせていただく機会も増えた。

特に未成年の方からは人気があった。
ま~、学生さんだから、自らの経験からしても、
どの候補者にも同じような反応だったのかもしれないが…
小学生には ”いのっち” ”いのっち”と
からかわれる。

V6の井ノ原さん、すみません…

演説時も、寒いのにわざわざベランダまで出てきてくださり、
聴いてくださる方々も。
あるいは、さすがに寒かったのであろう、
演説が終わると、部屋から出てきてくださり、
手を振ってくださる方々も。
もちろん、演説終了後、こちらも飛び跳ねて声援にお応えする。

どうやら、私の演説は、部屋の中まで聞こえていたようだ。

路上でご声援をいただいたときも、握手をさせていただく。
白い手袋が血まみれになっていないことを確認して。

駅前演説でも、
わざわざ立ち止まって聴いてくださる方々の姿も目立ちはじめた。
最後まで聴いてくださった方々には、もちろん握手。

なかには、某有名塾のカバンをしょった小学生もいて、
演説終了後、パンフください、といってくる。
将来が楽しみというか、末おそろしいというか…

また、演説中に、元の職場でお知り合いになった方が、
握手を求めに近寄ってきてくださった。
急ぎの用があったのだろう。
演説を途中でやめるわけにもいかず、
そのまま握手を交わし、お互いなつかしむ。

別れるときも、演説をしながら頭を下げる。
頭を下げるような演説内容ではなかったので、
まわりの方々は、どう思ってみていたのだろうか。


選挙運動も残りあと二日となった日の午後、
第二のウグイス嬢さんが、
明日最終日には、”甲先生”にも是非応援に来ていただいて、
商店街を行進してフィナーレを迎えるのが理想的だと教えてくれた。

私は、そんないきなりなお願いをきいてくれるはずもない
と思っていたが、第二のウグイス嬢さんの強い押しで、
今どこにいらっしゃるか分からない ”甲先生”に連絡。

そうすると、意外にも、
間もなく石原代表がこの前の商店街を歩かれるから、
近くにいたら合流してくれ、
と ”甲先生”がおっしゃったように聞こえた。

ちょうど10分くらいで商店街に戻ることができる位置、
その場所でたまたま選挙カーを走らせていた。
そこで、私は、ゆっくり運転してくださっている運転手さんに
超特急でかつ安全運転で商店街に戻るようお願いした。

間もなくして、維新の会の街宣車が見えてきた。
選挙カーをあわてて下りると、携帯が鳴った。

二週間ほど前までいた職場からだった。
あれだけ退職時に迷惑をかけたこともあり、
信号待ちを利用して携帯で話す。

しかし、話が思いのほか長くなり、
信号が変わり横断歩道を渡りきったあたりで
ガチャ切り。
石原代表に失礼になると思ったからである。
携帯の相手にも失礼になることは承知で。

が、石原代表はいらっしゃらなかった。
どうやら、石原代表来る、の部分は、
私の聞き違いだった。

なお、ガチャ切りの件については、
選挙後、大阪に戻ったときに、
ご本人にお会いして謝罪した。


”甲先生”は、
九日ぶりにお会いするやいなや、
『頑張っているじゃないですか。
 雑誌とかの分析だと、
 自民党候補をかなり追い上げているらしいですよ。』
と、おっしゃってくださった。

私は、毎晩、早く眠りたいという気持ちが先行し、
雑誌の分析まで目を通そうという気もおこらなかった。
なんとなく、手ごたえを感じはじめてはいたが…
結果からすると、ちょっと大げさな分析ではあったが、
その大げさなお言葉をきいて、元気百倍になった。


そして、公示日以来、
”ハッピーロード大山”そして、”遊座大山商店街”を行進した。
この前と違うのは、党の職員の方や維新の会の塾生の方々と
大勢で縦一列になって行進し、賑やかにできたということである。

さらに違っていたのは、公示日に行進したときよりも、
ウケがよかったということ。
握手に応じてくださった方のほうが明らかに多かった。
そして、若い娘からは、
いっしょに写メを撮ってくださいと、
生まれて初めてお願いされた。
  
  これなら、いけるかもしれない。

そのときは、舞い上がっていたので、そう思った。


ただ、その後、現実に引き戻された時があった。

事務所に戻ると、昔、英会話学校でお知り合いになった
先輩でかつ親友でもある ”N先輩” が外で立って
私の到着を待っていてくださっていた。

私が何時に戻るのか分からないのに、
私をねぎらってくださるためだけにである。

その ”N先輩” は、
『猪野ちゃん、追い上げてるみたいじゃん。』
とおっしゃって、某新聞の分析を見せてくださった。

そこには、私については
”追い上げるも苦戦” とあった。
そして、民主党候補については、単に
”苦戦” とだけあった。
そして、
”無党派層の半分が自民に流れているもよう” ともあった。

  苦戦か…

この分析は、結果的にドンピシャだった。



それでは、最後に、この頃の私の演説内容を紹介します。

  私は、この選挙期間中、多くのみなさんから、
  なんで、石原代表と橋下代行がいっしょになったの、
  という疑問というか、ご意見をちょうだいしました。
  それに対するおこたえは、こういうことです。

  それは、二人とも東京、大阪の二大都市で実際に改革を行い、
  かつ国の規制という壁にぶち当たった。
  自らの経験を通じて、
  同じように国の規制を撤廃すべき必要性を痛感し、
  同じように苦い思いをした。
  実行した二人だけにしかわからないこうした思い、共感が、
  最後は二人に握手をさせたのではないでしょうか。

  理屈だけで人と人が手を結ぶというわけではありません。
  だから、維新の会は、主張する政策が近いはずのみんなの党とは
  いっしょにならず、選挙協力という形にとどまっているのだと
  思います。


  そして、これが、
  維新の会と、みんなの党も含む他党との間で
  大きく異なるところでもあります。
  つまり、維新の会は、
  実行力ある二人がツートップにいるということです。

  例えば、
  二人ともそれぞれ東京と大阪で、財政再建を成し遂げました。
  東京では、複式簿記という当たり前の方式を導入することで、
  財政赤字の原因や責任が明確になるようにしました。

  ですから、日本維新の会は実行力がある。
  これが他党と大きく異なるところです。


  さて、みなさん、先日、中国機が尖閣諸島の領空を侵犯しました。
  これは、そもそも石原代表が都知事のときに尖閣諸島を買う
  といったことから始まった問題ではあります。
  しかし、その後の民主党の外交政策の失敗によるところもあります。

  そこで、自らの経験も踏まえ、
  外交について考えるところを申し上げます。
  
  外交で重要な点は、二つあると思います。
  一つ目は、人脈です。

  そして、二つ目は、日本シンパを増やすことです。
  例えば、私がOECD・経済協力開発機構という
  国際機関に勤めていたときのお話です。

  その頃、私は、東欧諸国や発展途上国を訪れ、
  現地の方々に日本の税金のことについてお伝えする
  という仕事をしていました。
  そのとき、現地の方々からよく言われましたのが、
  
    日本ってすごい国ですね、
    尊敬できます。
    日本が好きになりました。

  と、いうことです。
  このような地道な活動によって、
  日本のことを好きになってくれる人、国を増やす。

  こうして日本に味方してくれる国々を増やすことで、
  中国や韓国、ロシアとの領土問題だけでなく、
  捕鯨の問題、国連安保理の常任理事国入りの問題などでも
  わが国は、外交を有利に展開できるはずです。

  したがいまして、日本維新の会は、
  首相は一年のうち100日は外国にいってこい、
  と主張しています。
  人脈をつくり、そして日本シンパを増やすためにも。

  (あとは、その場の雰囲気で、
   従来の演説内容の一部を取り入れたりして
   時間調整をしていました。)



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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月11日(火) -選挙運動8日目-


いつものように、朝は、
大山駅で通勤・通学される方々にご挨拶。

中高生、そして小学生にまで頭を下げて挨拶した。
礼儀正しい学生さんは私に挨拶してくれる。

さすがに、お母さんに手を引っ張られる園児には
笑顔で手をふるだけ。
それは、もちろん、選挙のためだけでなく、
本当に可愛かったからである。

そして、この頃から、
数人の方から声をかけられるようになっていた。
中には、毎朝、助言してくださる女性の方もいらした。

『毎朝、頑張ってますね。』

『おはようございます、だけじゃなく、
 名前と政党名もいったほうがいいわよ。』

  そんな余裕はないし、名前を言わないほうが、
  かえってみなさんの方からタスキをのぞきこんでくれる、

とは思っていたものの、これがけっこう名前や政党名までいえてしまう。
そうすると、こんどは、

『おはようございます、だけじゃなく、
 いってらっしゃいませ、とか
 バリエーションをもたせたほうがいいわよ。』

『立っている横に何か政策をアピールするような
 そんな看板を置いたほうがいいわよ。』

私が助言どおりに実行していくごとに、
彼女の助言もグレードアップしていく。

そして、選挙運動の終盤時には、彼女からお手紙をいただく。

  ラブレター?

そんなんではない。

私の挨拶の仕方の長所と短所を並べたものであった。
ことばでは伝えきることができなくかったらしく、
わざわざ、私のために時間をつくって、
一枚の紙にしたためてくださったのだ。

なお、ラブレターと勘違いされないように、
お勤めの会社のロゴが入ったお手紙である。

でも、本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。


他に、先日の公開討論会の主催者、
十年以上前に国税庁で同勤させていただいた方、
それこそ、老若男女を問わず、
毎朝、声をかけてくださる方々が他にもいらっしゃった。
今でも、その方々のお顔はきちんと覚えている。


朝の挨拶を終えて事務所に戻ると、
第二のウグイス嬢さんが待ってくださっていた。

そして、挨拶そこそこ、選挙カーに乗りこむ。

第二のウグイス嬢さんは、
私にマイクを渡すときはきちんと合図をする。
そして、マイクを握らないときは、自分のことのように、
窓から身を乗り出して、大声をはりあげてくれる。

私が連呼する内容についても、
そろそろ自己紹介めいたものはやめてもいい、
信号待ちのときには、短めに話を終えたないと、
かえって、うるさがられる、
等々の助言をしてくれる。


この頃になると、
街で手をふってくださる方々をお見かけするようになった。
だから、私も含め、マイクを握っていないスタッフにとっては、
応援してくださる方々を見逃さないこと、
これが重要な役目になってくる。

そして、肉声で ”ありがとうございます”ということで、
マイクを握っている人に伝え、
やはりマイクでも ”ありがとうございます”という。
ご声援をくださる方がいらっしゃれば、
私も選挙カーから下りて握手を求める。

その握手だが、私は今まで素手でやっていた。
第二のウグイス嬢さんから、
すぐに白い手袋、それも上等なやつを着けたほうがいい、
とアドバイス。

手荒れがひどくなってきたので、
たしかに、手袋はほしかった。
と、いう問題ではないが…

  選挙用の手袋?
  そんなのどこで売っているの?

そこは、さすがハッピーロード大山商店街、
すぐに見つかった。

亡くなった母もそうだったが、
私も、クリームを塗ってもすぐに赤切れをしてしまう。
だから、白い手袋はあっという間に血だらけ。
はずすときも、体液が手袋にひっつくので、痛い。
もちろん、手袋は交換する。


そして、演説時。
朝の挨拶時にお会いした女性のご助言で
これまた、女性スタッフらにつくっていただいた、
石原代表、橋下代行ツートップの写真、
そして維新の会のロゴなどを切りばりして、
それこそオシャレに仕上げてくださった板を横に置く。
さすがは、女性目線。
本当に、感謝感激である。

ある朝、このオシャレ板を置いて
大山駅でいつものように朝の挨拶をしていたとき、
八十過ぎのおばあちゃんが
板の上の石原慎太郎の写真を見ながら、
石原裕次郎のほうの思い出話をする。

私も ”太陽にほえろ”の話をしてみるが、
やはり、かみ合わない。
年代が違うか…


演説時、男性スタッフには、ビラ配りはもちろん、
近くに集合住宅があれば投かんしてもらう。

しかし、肝心の私の演説に異変が生じ始めていた。
第二のウグイス嬢さんからも、そして、
なんと、駅前で待機しているタクシーの運転手さんからも、
演説に覇気がなく、単調になってきている、
まるで、念仏を唱えているようだ、と指摘された。

毎日、3~4時間睡眠で、選挙運動中は、
昼食など、スタッフのためにも、休憩はいれているものの、
メールなどのチェックや返信で、仮眠もとれない。
こうした疲労の蓄積が原因の一つであることは分かっていた。

ただ、より深刻だったのは、
演説が自分の中でマンネリ化していたこと。
もう、頭の中にしみついていたので、
無意識に言えてしまっていたのである。
これは、演説に感情がこもっていないことを意味する。

そういえば、最近、特に日が暮れての演説では、
ただただ震えながら
寒さをこらえることに一生懸命になり、
演説内容はまったく気にせず、
それこそ念仏を唱えるかのように
言葉を口から出しているだけだった。

いやっ、念仏に失礼。
念仏は、本来、仏の姿などをしっかり思い浮かべながら唱えるものである。

また、また、大変失礼ながら、
7~8年前の当時の小泉首相の亀戸駅前での演説、
そして、先日の石原代表の池袋駅前での演説、
どちらとも、思っていたよりは、正直、心に響いてこなかった。
おそらく、ご本人らの中で、
おっしゃることがマンネリ化していたのかもしれない。

そこで、私は、石原代表、橋下代行お二人による政見放送を聴き、
演説内容を変更することにした。
これも、第二のウグイス嬢さんのご助言によるものである。

演説のマンネリ化、
これは予想だにしていなかったことである。

それにしても、タクシーの運転手さんからもご助言をいただくとは、
普段、しっかり聴いてくださっていることと合わせ、
感謝の気持ちでいっぱいになった。
と同時に、自分も、早く一人前の候補者にならなければ、
と選挙後半戦に入り改めて痛感させられた。


他にも、第二のウグイス嬢さんから、注意されたことがある。
それは、商店街を行進したことはあっても、
一軒、一軒丁寧に声をかけていなかったことである。

そこで、私は、さっそく、各々の店頭で声をかけたり、
握手を求めることにした。
公務員一筋20年以上、営業経験のない私にとっては、
煙たがられることが本当につらかった。
が、そんなことはいってられなかった。

中には、自分の息子のように慕ってくださる洋服屋の社長さん、
いろいろ辛口のアドバイスをしてくださるお茶屋さん、
自分らの活動を知ってほしいと親切に説明してくださる
ボランティア団体のみなさん、
そして、気さくにお話をしてくださる、うどん屋のみなさん、
こうして親切に、逆に声をかけてくださる方々もいらした。

ときには、商店街を歩くご婦人の方々からも、
もっと、胸をはって元気に歩きなさい、
と、何人かの方からご助言をいただいた。

寒かったこともある。
だた、当選したとたんに、
ステッキ棒を飲み込んじゃったみたいに
急に偉そうになる代議士らの話をきいていたので、
そんな姿は避けたかった。
が、ちょっと、背を丸めすぎたか…

体育会ばりの大声を出して
元気さをアピールしているつもりではいたが、
疲労が表情にあらわれてしまっていたようである。

疲労を押し殺して、元気さを醸し出す。

予想だにしていなかった苦労で、
もっともつらく、難しいことであった。


第二のウグイス嬢さんのご助言で、
東武練馬駅で、
帰宅する通勤者、通学者へご挨拶することは中止に。
選挙運動も後半にさしかかり、
挨拶のための時間を他の選挙活動にあてたほうが
効果があるという。

でも、本当は、帰宅されるみなさんに
ご挨拶し続けたかった。


お手紙をくださった女性の方をはじめ
大山駅で声をかけてくださったみなさん、
第二のウグイス嬢さん、
タクシーの運転手さん、
そして、商店街でお会いしたみなさんだけではなかった。

まずは、定年を過ぎたご年齢の運転手さん、
カーナビは使えず、トイレも近い。
道もお詳しいとまではいえない。
しかし、ものすごく、気をつかってくださった。

私が勘を頼りに行き当たりバッタリで演説したにもかかわらず、
演説場所はすべて細かく記録にとっていただいた。
私が演説をしている最中、どこまで声が届いているか心配で、
選挙カーで移動しながら、聞こえる範囲を確認してくださる。

また、移動中も幹線道路を避け、
なるべく住宅が密集している場所を通ってくださる。
他方、一目見ただけでは分からないのだが、
ここは住宅が一軒もないとおっしゃって、車をとばしてくれる。

さらに、私がある場所で演説するかどうか迷っていると、
『この団地は耐震工事中で幕がかっていますが、
 実は、住民の方々はしっかりいらっしゃいます。』
と教えてくださる。

細かい道はお詳しくないが、板橋区についてはお詳しい。

コンビニ休憩にはいると、
必ずミニアンパンをほおばる運転手さん。
しかも、ミニアンパンにこだわっていたのは、
他のみんなと一緒に食べることができるから。
本当にお世話になった。


次に、”Hくん”。
私の演説が、特に高層の建物に響くことがあるので、
こだまするのを待ってから、もう少しゆっくりめに話したほうがいいと
アドバイスをしてくれる。

また、演説も長いので、もう少し短くしたほうがいい、とも。


そして、ウグイス嬢見習いの娘さん。
私に子どもがいたら、このくらいの年齢か。
この娘のほうも、父親のからだを気づかうように、
私のからだを心配してくれた。

カーディガンをもってきてくれたり、
カイロを背中や腰に貼ってくれたり、
手荒れに効く薬を教えてくりたり、
本当の娘のように思えてきた。


さらに、事務所に常駐してくれたスタッフのみなさん。

例えば、”Sさん”の大学の四十年近く後輩にあたる ”Y兄妹”。
特に妹さんのほうが、事務所内を切り盛りしてくれたらしい。
のみならず、他の候補の事務所に偵察。
と、いっても、チラシや政策集を入手するだけだが、
現閣僚の候補の事務所は自動ドアだったと報告してくれた。

最後に、”Mさん”。
手続き関係は、ほとんどこの方に任せっきり。

旧友や知人弁護士さんの奥様方みなさんには、選挙管理委員会や郵便局などに
何度も往復してくださった。
しかも、往復せざるを得くなったおもな原因が、
大阪の党本部で教えてもらった手続きや書式では
まったくお話にならなかったということだった。

ちなみに、旧友の奥さんと運転手さんとが
微妙な距離の親戚どうしで、
約二十年ぶりの再会だったらしい。
本当にこんな偶然があるものだとご本人たちも驚いていた。


私は、こうした方々に支えられ、育ててもらった。

もちろん、自分のために選挙活動をしてきたが、
いつしか、こうした方々のご厚意に報いるためにも、
当選しなければ、という思いのほうが強くなってきた。



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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月10日(月) -選挙運動7日目-


昨晩、自宅に電話があった。

『明日、池袋駅東口で石原代表が演説します。
 選挙区は違いますが、猪野候補も来ますか?
 他の候補者も来ますが、
 ただ、石原代表以外の候補の場合、
 名前だけの紹介になります。』

  名前だけか…
  しかも、池袋は豊島区で選挙区外。
  けれども、板橋区は隣だから、
  聴衆者のなかにはたくさんの板橋区民がいるかもしれない。

「分かりました。行きます。」

『それなら、政党ビラを持って来てください。
 それから、ビラ配り要員も出してください。
 で、何人、出していただけますか?』

ただでさえ、スタッフが足りない状況、

「えっと、一人でもいいですか?」

『わかりました。
 では、代表の演説は午後3時からですので、
 必ず10分前には来てください。
 OOさんが担当なので、指示に従ってください。』


翌日、午後2時すぎ、政党ビラを小さな段ボール箱につめ、
”Hくん”に持ってもらう。

『ぼくは、何をすればいいでんすか?』

「OOさんの指示に従って、その中のビラを配ってくれる?」

タスキも箱につめ、大山駅へ。

いつものように、通過する急行列車を見送る。
ようやく来た普通列車に乗りこみ、
10分ほどして池袋駅に到着。

すでに人がたくさんいる。
東口に出る。
さらに人がたくさんいる。

  場所はどこだろう?

すぐに分かった。
西部警察のテーマ曲がガンガンに流れていたからである。

  こんなミーハーな感じでいいの?
  それに、裕次郎は連想できるけど、
  慎太郎はイメージできないんですけど…
  ましてや、橋下代行など…

音源に近づきたいけど、近づけない雰囲気。
SPがたくさんいたからである。
このあたりから、昨晩の電話の話と違う、と感じはじめる。

  みんなビラはどこで配っているんだ?
  とりあえず、OOさんを探さないと…

選挙運動用のジャンパーを着てから、SPの一人に声をかけた。

「あの~、候補者の一人なんですけど…」

そのSPさんは、すぐにわれわれ二人を ”護衛”してくれた。

大きな街宣車が目の前にあらわれた。

『箱の中身は何ですか?』

「ビラです。」

『ビラ、チラシだそうです。』

と、われわれを ”護衛”してくれたSPさんが無線で報告。

  一応、中身を調べられたほうが…
  それとも、プロだから、
  われわれ二人の人相や雰囲気だけで判断できたのかも…

と、このときは、余計なことを考える余裕があった。

  それにしても、ビラ配りはどこでやっているんだろう?
  人ごみの中で配っているから見えないのかな?
  OOさんも、人ごみの中にいるのかもしれない。

近くに、同じジャンパーを着た方がいた。

「あの~、OOさん、いらっしゃいますか?」

と、とりあえず、テーマ曲に負けないよう、大声を出した。

すると、意外にも、OOさんが街宣車の横から現れた。

『あっ、お疲れ様です。
 ちょっと、そこで待っていてください。』

これが、OOさんとの唯一の会話であった。

どうやら、ビラ配りはやっていないらしい。
”Hくん”が空しく、爆弾が入っているかもしれない箱をそっと置く。

「や~、せっかく、こんな重い箱もって、いっしょに来てもらったんだけど、
 すまないね。」

”Hくん”に謝りつつ、私はその箱をおもむろに開け、タスキを取り出した。

が、他の候補者が見当たらない。

  みんな、地元選挙区の運動で忙しいのかなあ~

午後3時になって、党の職員らしき人が私に近づいてきた。

何か、嫌な予感がしてきた。

もう、7~8年も前になるであろうか、
郵政民営化が争点となった総選挙の選挙期間中、
地元近くの亀戸駅に
当時の小泉首相が地元候補者の応援演説に来る
というポスターを見かけた。

自分は行く気がなかった。
しかし、当時は、介護を必要としていた父が
ヘルパーさんのおかげで、
杖をつけば多少歩けるくらいには回復していた。
そして、主治医の先生からは、
脚の筋肉をつけるべく、なるべく歩くようにとの助言をいただいていた。

父は、いつも、テレビをつけっぱなしで、
ベッドの上で横になりながらも、よく政治の討論番組をみていた。
母を亡くす前の元気だったころは、
画面に向かっては、よく文句をいっていたが、
もう、そんな元気はなかった。

  政治には興味をもっていたのは知っていたので、
  小泉首相が亀戸駅に来るということが分かれば、
  聴きに行くというかもしれない。
  でも、小泉首相のことは嫌いだから、
  行くとは言い出さないかもしれない。

と、思いつつ、一応、父に
”小泉首相、亀戸駅に来る!”
という一報を入れた。

すると、
「行ってみようか。」
と言った。

父も意外にミーハーだった。
というより、早く回復したい、
という思いがあったのかもしれない。

現地に着くと、父は意外に積極的で、
係りの方に止められるほど、
なるべく街宣車の近くに寄ろうとする。

このとき、演説開始時刻になっても小泉首相は現れなかった。
それまでは、地元候補者はもちろん、
自民党の参議院議員などが入れ替わり立ち代わり演説をしていく。
しかし、みんな、小泉首相の話を聴きに来たのだから、
そんな演説はどうでもよく、だんだんイライラした空気が漂ってくる。

と、そのとき、ようやく小泉首相が到着。

小泉首相は、米百俵の話をされた。

  窮状にあった長岡藩に米百俵が贈られてきた。
  しかし、ある長岡藩士がこれを他の藩士に分け与えず、
  代わりに米百俵を売却したお金で学校を建てた。

というお話である。

”明日のために今日の屈辱に耐えるんだ、それが男だ。”
という宇宙戦艦ヤマトの第一話での
沖田艦長の名言にも通じるお話しである。


それは、さておき、
この7~8年前の経験、
今、目の前にある街宣車には
石原代表と藤井孝男先生の垂れ幕しかないこと、
そして、藤井先生はおろか、私以外に候補者がいなかったこと、
これらを、総合して考えると、
両先生が到着されるまで、私が前説をしなければならない。

そして、案の定、党の職員の方から言われた。

『藤井先生と石原代表が到着されるまで、
 猪野候補がつないでください。』

  こんな大勢の前でしゃべれというの?
  聞いてないよ!
  名前の紹介だけじゃなかったの?

「”Hくん”困ったよ。」

と私に言われた ”Hくん”も困った顔をしていた。

  何を話そう?
  普段どおりに演説するしかない。
  でも、石原代表の話を聴きに来た方々に
  自分の話をしても…
  んっ、待てよ、
  普段の演説でも、冒頭は石原代表の話だったけ。

と、思ったところで、私が紹介された。

生まれて初めて街宣車の屋根に乗り、
黒山の人だかりを見下ろす。

みなさん、非常に寒そうだった。

  みなさん、わざわざ石原代表の話を聴くために
  こんな寒い中、待って下さっている…

そして、7~8年前の経験もよみがえってきた。

「みなさん、お寒い中すみません。
 石原代表かと思ったら、こんなやつが出てきて、
 きっと落胆されていることと存じます。
 でも、せっかくみなさんがお寒い中、待っていただいているので、
 維新の会の主張を、しっかりみなさんにお伝えしようと思います。
 若手芸人の前説ではありませんが、しばらくご勘弁ください。」

と、本能的にいった。

が、シ~ンとした。
芸人さんがスベルのを恐れる気持ちが分かった。

そして、いつもどおりに演説を始めた。
しゃべり出したら、だんだん快感になってきた。

そのうち、藤井先生がご到着。
止めてください、
とのメモが下から見えた。
切りのいいところで、演説を止めて藤井先生にバトンタッチ。

ホッとして、街宣車を下りてしまった。


いよいよ、石原代表がご到着。

『君、登ればいいじゃないか。』

石原代表を見下ろす位置でお待ち申し上げることはできなかった。

代表の後に、はしごを上る。

そして、あとは代表にへばりつくのみ…


その後、ある板橋区民がわざわざ私の事務所に来られ、

『さっき、池袋で、猪野さんのお話聴きましたよ。
 維新の会、応援していますから。』

と、おっしゃってくださった。

やはり、石原代表の効果はすごい。


その夜、ニュース番組で、予想どおり
私の姿がモザイクになっているのを確認して
就寝した。



 
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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月7日(金)~9日(日) -選挙運動4~6日目-


ウグイス嬢さんに来てもらうまでは、
一人で自己紹介や名前を連呼していた。

だから、演説中はもちろん、
選挙カーで移動中も休む暇がない。

もちろん、コンビニに寄ってトイレ休憩をしたり、
ファミレスで昼食をとる時間はつくった。
ちなみに、コンビニではトイレを借用する前にきちんと断り、
その後は食べ物や飲み物も購入した。

こうした休憩時間も、たまっているメールや留守電をチェックし、
場合によっては返答のメールを打つ。
本当は、寝不足もあり、軽く眠りたかったのだが、
なかなかその時間もない。
つまり、休憩時間といえども、休めなかった。


だから、ウグイス嬢さんに来てもらったときは、
助かったと思った。

しかし…

ウグイス嬢さんからアドバイスを受けたのは、
候補者本人からマイクをにぎってうったえかけたほうが
有権者にアピールできるということ。
特に、信号待ちのときに自己紹介をするといいといわれた。

なるほど、と思い、
最初は信号待ちのときに自分がマイクをにぎるようにしていた。
しかし、だんだんと、自分がマイクをにぎる時間が増えていった。
ウグイス嬢さんは、自分が疲れだすと、

『それでは、候補者本人からうったえかけさせていただきます。』

と、突然、私にふる。

私も自らうったえかけたほうがいいと思い、
そのままマイクをにぎる。
マイクをにぎっていないときは、
窓から身をのり出し、有権者に大声でうったえかける。

自分が休んでいる姿は有権者に見せられない。


運転手さんは、板橋区に詳しい方ということだったが、
それは、昔、仕事上で板橋区に来ることが多かったということで、
最近の街のようすまではご存知ないらしい。
しかも、定年を終えられたご年齢ということもあり、
カーナビもお使いにならない。
行き先や演説する場所は、行き当たりバッタリで、
私が、その場その場でカンで決めていく。

まさに、ゲリラ戦法。

だから、私が次に行く場所を決めると、
運転手さんと助手席にいる私とで、
地図を広げながらその場所や道順を確認してから出発する。
そして、運転手さんは、カーナビを使わず、地図を頼りに運転。
私も時おり指をさしながら、行く方向を指示する。

と、いった具合に休む間などない。


演説する場所は、ときわ台駅や成増駅といった東武東上線の駅前、
そして、高島平団地であることが多かった。
後は、選挙カーで通っていて、住民が多そうな集合住宅が見えたら、
そこでいきなり止めてもらって、演説をしていた。
おそらく、一日十か所以上、演説をしていたと思う。
時には、ファミレスの裏で演説をしたこともあった。
もちろん、付近の住民の方の了承を得て。


また、集合住宅の場合は、まるで人影が見えず、しかも
最近の住宅にいたっては防音サッシが充実しているので、
本当に聴いてくれている人がいるのか、最後まで不安であった。
時には、うるさいとの苦情があるから他でやってくれ、
と管理人さんに注意をされたことも多々あった。

住民の方からも直接、
  うるさい!
  いつまでやっているんだ!
と、怒鳴れたこともあった。

  あっ、聞こえてはいるんだな…

こんな感じなので、友人・知人やマスコミの方から、
前もって演説の場所や日時を教えてくれときかれても、
お答えのしようがなかった。


このころは、区内のあちこちを廻っていたものの、
不思議と他の候補者を見かけることが少なかった。
現閣僚候補の選挙カーを一度見かけたことがあったが、
実におとなしい選挙活動、という印象だった。
さすがは、5期連続当選、
野党候補は新顔ばかり、余裕だったのであろう。


それでは、最後に、このころの私の演説内容を紹介します。
ちょっと、長いです。

  みなさん、政治家の言うことはみんな抽象的で、迫力がないと思いませんか。
  他方、石原代表と橋下代行の言葉は、内容については賛否両論ありますが、
  少なくとも具体的で、迫力がある。
     
それは、なぜか?
  
石原代表も橋下代行も東京、大阪の二大都市で改革を行ってきたからです。
  自ら現場を知り、改革の必要性を肌身に感じ、そして、実際に改革をし、
  かつ国の規制という壁にぶち当たった。
  実際に苦い思いをした。
  だからこそ、どんな規制を撤廃すべきなのか、どんな規制改革が必要なのかを、
  具体的に、自らの経験を通じて知っているからです。

  したがって、私も現場を知る政治を行っていきます。
  実際にみなさんが何にお困りなのか、何をどのように変える必要があるのか、
  そうした具体的なお話を、みなさまからきちんとうかがっていきます。
  
  と、同時にきちんとみなさまに説明責任も果たさせていただきます
  国会議員は、憲法の前文にも書かれているように、
  みなさまから国政の信託を受けた者なのです。
  ですから、国会議員には、憲法上、
  国政を信託したみなさまに説明をする責任があるからです。

  具体的にお話ししましょう。
  たとえば、民主党のお話です。
  民主党は、たしかに、マニュフェストを守れませんでした。
  しかし、それは仕方がなかったところもあったかと個人的には思います。
  なぜなら、事情が変われば、私も、みなさんも考えを変えることもあるからです。
    
それでは、なぜ民主党はあれだけ非難されたのでしょうか?
  
それは、きちんとした説明がなかったからではないでしょうか。
  なぜ、子ども手当や高速道路無料化を実現できなかったのか、また、
  なぜ、マニュフェストに反してまで消費税率の引上げを決めざるをえなかったのか、
  きちんとした納得のいく説明さえあれば、
  あれだけ非難されることはなかったのではないでしょうか。
  
  維新の会は、みなさんにご負担をかけるような
  そんな政策を実行していく場合もあります。
  しかし、そのときは、みなさんにきちんと説明します。
  ご負担をかけざるを得なくなった理由や経緯などを
  みなさんが納得されるまで、きちんと説明をさせていただきます。

  さきほど消費税率の引上げに言及しましたので、
  関連したお話で、消費税についても一言。
  
  消費税率引上げの理由として、よく、
  国と地方合わせて借金が1,000兆円近くにもなるので、
  財源を確保する必要があるんだと、よくいわれています。
  しかし、そんなことは、中学生でも、
  そして、小学生でも高学年であれば分かります。
    
    それでは、なぜ、消費税率引上げについて賛成される方も
    いまひとつ釈然とされないのでしょうか?
  
  一つは、これだけ借金を増やした責任の所在が
  はっきりしていないということではないでしょうか。
  ただ、少なくとも、
  これまでの政府・与党には責任があるということはいえそうです。それにもかかわらず、
  これだけ借金を増やしてしまったことに対して
  みなさんに何の説明も、謝罪の一言もない。

  借金が増えた説明も謝罪もなしに、
  税率引上げだけをお願いされても釈然とされないのではないでしょうか。

  私は、きとんと説明します。筋の通った政治を行います。


  維新の会ときくと、みなさん、
  原発問題でぶれていると思われる方、多いのではないでしょうか。
  しかし、私は、ぶれているとは思いません。
  原発問題は、廃止をするのか、しないのか
  という単純なものではありません。
  〇×クイズではないんです。

  この問題の肝は、
  人の生命・健康そして生活をいかに守るのか
  ということにあります。
  そのためには、即廃止というのが近道のようにも思えます。
  
しかし、火力発電がこれ以上増えれば、地球温暖化や環境破壊が進み、
  それこそ人体に悪影響を及ぼしかねません。
  有害な光線が、原発からではなく、
  こんどは宇宙、上空から地球規模で差し込んできます。
  
  電気料金の高騰も企業の経営やみなさまの家計を直接圧迫します。
  それだけではなく、消費税率引上げと電気料金引上げによる物価上昇によっても、
  さらに家計を圧迫します。
  こうした現実を踏まえ、いかにして私たちの生命・健康そして生活を守るのか?

  それは、原発を稼働させるにしても、
  そのための ”明確で厳格なルール”をつくるということです。
  今、自然エネルギーをはじめとする代替エネルギーは、
  コストが異常にかかります。
  ですから、コストのかからない代替エネルギーの利用が可能になるまで、
  このルールさえ守っていれば、私たちの生命・健康は絶対に守られるんだ、
  そうしたルールが必要なのです。

  TPP問題にしても、交渉するのか、しないのか、
  という単純なものではありません。
  Yes, Noクイズではないんです。
  この問題も、いかに国益を守るのか、この一点に集約されるのです。

  維新の会は、このように、問題の本質をとらえた政治を行ってまいります。


  維新の会がもう一つ主張しているのが、”しがらみのない政治”です。
  しがらみはみなさんの生活にもあります。
  私の生活の中にもあります。
  しかし、それをみなさんのための政治にもってきてはならない。

  ”しがらみのない政治”というだけであれば、誰でもいえます。
  では、具体的なお話をしましょう。
  私は、20年以上、税金問題に携わってきましたが、
  こんな経験をしました。

  税金を安くするためだけに、
  ある会社が資産を買い替えようとしました。
  買い替える必要もないのに、節税するためだけにです。
  しかも、ある決められた資産に買い換えれば、
  今まで持っていた資産を売って利益が出たとしても、
  その時点で税金はかからないのです。
  つまり、二重に税金が安くなるのです。
  
  ですから、その会社は、その決められた資産が見つかるまで、
  税金をかけるのを待ってくれ、と税務署に届け出るのです。
  本当は買い替える必要もないから、こういうことになるのですが…

  これは、別に違法なことではありません。
  しかし、必要ある資産の買替えを税金が邪魔をしない、
  こういった本来の法律の目的からははずれてしまっている、
  ということが問題なのです。

  さらに問題なのは、わが国が一千兆円近い借金をかかえているにもかかわらず、
  なぜ、こういう法律ができ、そして存在し続けているのか、
  ということなのです。

  それは、いろいろな業界としがらみのある政党が後押ししているからです。
  今紹介した節税は、すべての会社ができるというものではありません。
  しがらみのある業界のためには汗を流す政党があるのです。
  
  そして、みなさんのためには汗を流さず、消費税率引上げを求める。
  税率引上げの必要性そのものは否定しませんが、とにかく
  筋が通っていません。

  そして、
  より問題の根が深いのは、
  例えば、こうした筋の通らない法律が存在するということを
  みなさんがご存知ないということなのです。
  
  私は、これではいけないと、
  みなさんに、きちんとお知らせしなければならないと。
  先ほど、個人的に、筋が通らないといってしまいましたが、
  内容の是非も含め、とにかく、みなさんに判断していただく必要があると。
  だから、私は、公務員を辞め、出馬することを決意したのです。


  みなさん、今度の選挙のときは、よく判断してから投票しましょう、
  といわれています。
  しかし、私は、みなさんに判断材料がきちんと示されていないと思います。
  先ほどご紹介した法律のように、みなさんがその存在を知ったならば、
  釈然としないであろうと思われる法律の存在、
  そして、その他、政策が決まるまでの過程や国会での動きなど、
  自らの経験にもとづき、自らの口で、みなさんに分かりやすく伝えていきたい、
  そう思っております。
  
  こうした説明責任が、憲法上、みなさんから信託を受けた
  政治家には課せられているはずだからです。
  
  そして、その説明をきいたみなさんご自身が判断し、投票される。
  そして、それによって選ばれた政治家が、また、自らの言葉でみなさんに説明し、
  その説明を受けて、また、みさんさが判断される。
  私は、こうしたみなさんとの双方向の政治を目指していきたいと思っております。


  最後に、景気の問題について触れさせてください。
  現在、自民党の安倍総裁が、景気対策として、
  公共投資の促進や財政出動、金融緩和をとなえています。
  
  しかし、今や、国境のない時代です。
  数年前のアメリカでおきたリーマンショック、そして、
  スペインやギリシャの財政破たんの問題が、なぜか
  日本経済にも飛び火してくるような時代です。
  
  こんな時代に、一昔前の時代の教科書に書かれているような政策で、
  果たしてマニュアルどおりに景気が回復するのでしょうか。
  景気が回復したようにみえたとしても、
  それは、実感とはかけ離れたマクロの数字でしかありません。

  それでは、どうしたらよいか?

  それは、みなさんがご存知なのではないかと、私は思っています。
  実際に、生活にお困りになり、あるいは苦しんでおられるのは、
  みなさんご自身だからです。
  景気が回復しない根本原因や理由、問題に直面しているのは、
  みなさんご自身だからです。
  
  生活に困っていない政治家は何も知りません。
  だから、みなさん、
  何も知らなない政治家にいろいろ教えてやってください。
  実態を教えてやってください。
  政治家を目指している私がこういうのも変ですが…

  だから、みなさん、お知恵を貸してください。
  ヒントをください。
  もう、みなさんといっしょに考え、
  みなさんといっしょにやっていかないと
  今の日本を元気にさせることはできません。
  
  何の実態も知らない政治家に任せてばかりでは
  何も変わりません。
  どうか、みなさん、お力を貸してください。
  日本を元気にさせるために、
  みなさん、いっしょにやっていきましょう。
  
  どうぞ、よろしくお願いします。

  

  
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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月6日(木) -選挙運動3日目-


朝5時前に起床し、朝6時半ごろ事務所に到着。
しばらく、こうした生活が続く。

この時期の夜明けは朝7時前。
暗くて寒くつらい。
しかも、今冬は12月のなのに真冬なみの寒さ。

事務所の最寄り駅で手袋も着けず、

「おはようございます。」

の一点ばりで挨拶。

学生のとき、陸上部で大きな声で先輩に挨拶していたのが、
ここで役だった。

一時間ほどたって、
運転手さんとその仲介業者の部長さんが私に近寄ってきて、
お互い自己紹介。

そして、三人で事務所に戻ると、
こんどは、ウグイス嬢さんが待っていた。

これで、何とか形がととのった。

昨日の経験から、まず、バス停のある大きな駅、成増駅で演説することに。

実は、この駅、板橋区内で事務所とちょうど反対に位置していたので、
到着までに時間がかかった。
もはや、通勤客がいなかった。

  もっと、早く行けばいいじゃん。

マイクを使えるのは、朝8時から。
板橋区内の駅は一つではないので、選挙カーを常に移動する必要がある。
演説する場所と時間は行き当たりバッタリ。
そして、特に運転手さんとウグイス嬢さんとは、
朝8時に事務所に集合するという内容で契約。

前もって、何々駅に朝8時に集合、ということがいえる状況ではなかった。


成増駅には北口と南口とがあったが、
とりあえず、すぐ行ける南口から演説。

バス停も含め、駅の乗降客もすでにまばらである。

案の定、聴いてくれる人がいない…

と思いきや、演説が終わったとき、
喫茶店から、エプロンをかけたまま
女性従業員の方が近寄ってきた。

『維新の会、応援しています。
 頑張ってください。』

二日前、こちらから商店街の有権者の方々に握手を求めたが、
初めて握手を求められた瞬間であった。

まだ赤ぎれしていないその素手で、
あわてて両手をこすり、いちおう手を温めてから
握手をさせてもらった。

その後意気揚々と、同じ駅の北口で演説。
こちらは、バス停で待つ乗客の方が何人かおり、
明らかに聴いてくださっている方の姿も何人かみられた。

ロータリーでタクシーを止めている運転手さんも
聴いてくださっている様子。

背後では、駅のプラットホームで電車を待つ乗客の方々も
聴いてくださっているのが、見えなくても分かる。

手ごたえを感じることができる最高の場所、
とそのときは思った。


ある程度、選挙区を回っていると、自分のポスターだけが
まったく掲示板に貼られていないことに気がつく。

昨日、業者さんに、
区内のすべての掲示板にポスターを本日中に貼ってもらうことを依頼していた。
公示日は、他の選挙区も含め、他の候補者からの依頼がいっぱいだということで、
応じてもらえなかった。
しかし、選挙運動三日目の本日であれば応じることができる
ということで、お願いしていた。

しかも、ポスター自体の仕上りも当初はさらに2~3日後だった。
しかし、先日、”府議の先生”がそれを許さなかった。
選挙のプロの目からすると、
そもそも公示日からポスターが貼られていないことが
信じられないことらしい。
ましてや、公示日から2~3日になっても貼られないなんてことは
許されないことである。

有権者にしてみれば、
誰のポスターがいつから貼られているなんて、
まったく気にしていない。
2~3日貼り出しが遅れたところで、
どれだけ効果に違いがでてくるというのだろうか。

もっとも、公示日前から、それこそ何年も前から
街中に大きめのポスターが貼ってあることがよくある。
それならば効果は絶大である。
ただ、それだけのお金と人も必要でもある。

公職選挙法は、なるべくお金がかからないように、そして、
財力によって不公平にならないようにはしてある。
しかし、憲法が保障する表現の自由の問題もあり、
さすがに、選挙運動期間外、何年もの空白期間、
その間の政治活動まではなかなか規制できないようである。


さて、個人的には、投票日までまだ10日もあるのだから、
ポスター貼りを慌てる必要はないと思っていた。
ただ、お世話になっている ”府議の先生”の忠告を受け、
印刷業者の社長さんと携帯で相談。
結局、防水加工の予定だったポスターの品質を落とすことで
完成を早めることにした。
選挙期間中は、天気予報によると、雨が降りそうもなかったからである。

このことを ”府議の先生”に報告すると、
  候補者自身がそのように判断したならば構わないけど…
という反応だった。
おそらくは、自分がプレッシャーをかけたことによって
雨でポスターが破れてしまった場合の責任を回避したかったのだろう。

  それにしても ”府議の先生”は、
  ご自分でポスターの作成依頼をしたことがあるのであろうか?
  ポスター作成に日数がかかるのをご存知ないのであろうか?

お昼2時ごろになっても、
いまだにどの掲示板にもポスターが貼られていなかったので、
いや、正確には、一枚だけしか貼られていなかったので、
業者にいそいで連絡。

「すいません、本日中という約束だったんですけど、
 ぜんぜんポスター貼られていないんですけど!」

『順番で貼ってますんで、
 地域によってはまだ貼ってないところもあるかと思います。』

「こっちは、選挙カーで区内隈なく廻ってるんですけど、
 どの地域の掲示板にも貼ってないから、こうやって連絡してるんですけど!」

『わかりました。すぐに貼らせます。』

どうやら、私の目も、
有権者から選挙のプロの方にようやく向かいはじめたようである。

その後、徐々にではあるが、私のポスターが貼り出されはじめていた。


日も暮れたので、東武練馬駅へ。
この駅、名前には「練馬」とあるが、
練馬区と板橋区との堺近くにある。
板橋区の住民の利用客数も多いという情報を得て、
帰宅する住民の方々にご挨拶することにした。

多くの方は、こいつは誰だとタスキをのぞきこむ。
少なくとも、昨晩のように避けて通られることはない。

この時点で、朝の挨拶は大山駅、夕方の挨拶は東武練馬駅と決めた。

運転手さんとウグイス嬢さんとは夜8時までという契約だったので、
帰りは、東武練馬駅から東武東上線に一人で乗車。
一応、駅員さんの了解を得て、タスキをかけたまま車内に乗り込む。
案の定、効果抜群、効果絶大である。
みんな、振り向く。見て見ぬふりをする。
もちろん、駅構内や車内では一言も発しないのにである。

夜8時半すぎ、事務所でスタッフが待っていてくれた。
が、それは、私への報告もあったからだ。

その大半が、”責任者”や大阪の党本部からの
私をけしかける内容のものだった。

選挙管理委員会が、投票日に開票を見守る人をつけるのは必須ではないというが、
それでも、何としてでも探せ!とのご命令。
この見守り役、
日当15,000円はでるものの、投票日の夜8時から翌夜中の3時まで拘束され、
しかも、板橋区民に限られていたため、なかなか見つからないでいた。
”Mさん”にお願いし、至急、コンビニで、”募集中”の貼り出しをすることに。


支部、つまり政治団体設立の手続きは済ませたのか!とのけしかけ。
私は、寄付をいただくのでもなく、そんな設立の手続きをしている暇もなかったので、
無視をしていた。
そもそも、同じ寄付をするのであれば、
世界には食べ物や飲み物、そして住むところにさえ困っている方が大勢いるので、
選挙する余裕のある人よりは、どうぞそちらの方々に寄付を、という思いもあった。

とはいうものの、無視し続けるわけにはいかず、こちらも ”Mさん”にお願い。
が、私の予想どおり、後日、この手続きがまったく無意味なものになる。

あと、チラシの新聞折り込みの手配はしたのか!とのけしかけ。
このけしかけは、正直助かった。
個人用のチラシを何万枚も刷ったのだが、こんなに手渡しできるはずがない、
と思っていたところ、ようやくそれだけのチラシが必要だったことに合点がいった。
こちらは、翌日、とりあえず事務所の目前にある新聞販売店に
手続きや料金のことをきくようにと、別のスタッフにお願い。


このように、必要なこととは理屈では分かっていても、
やはり選挙運動後、疲労困ぱいの中、こうした報告をきくのは、
かなりのストレスになる。


私の自宅は、実は板橋区ではなく、江東区大島というところである。
父が亡くなった後も、引っ越しできないでいた。
もう、45年近くも暮らしている場所。
生前、両親とも愛着をもっていた部屋で、
今も両親がいるような気がするからである。


今までは、帰宅が夜遅く、夜食を食べている気力などなかった。
そして、朝食についても、
食べている時間があったらその分眠っていたかったので、
とっていなかった。
しかし、体力や栄養もつけないと選挙戦を戦っていけないと感じた。
そこで、夜中2時まで営業している ”ラーメン大学”という
近所の中華屋さんで、毎晩、野菜ラーメンを食べることにした。



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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月5日(水) -選挙運動2日目-


朝8時に目覚める。
こんなにゆっくりできたのは、十日ぶりである。
身はスッキリしたが、心は依然スッキリしない。

父が亡くなったのは、一年前の12月6日。

そして、本日は、父の一回忌。
朝11時から八王子のほうのお寺で法要。

選挙期間中ではあったが、
さすがに長男で喪主もつとめた私が欠席するわけにはいかない。

ここ数日、元職場からの事務手続き上の連絡、
風呂がま工事の業者からの日程の連絡、
友人・知人からの応援メッセージ等々
いろんな方からいろんなメールや留守電が入っていた。
しかし、返事をする時間がなかったので、ここぞとばかり、
八王子方面に向かう電車の中で返信メールを打ちまくる。

駅に降りると、地元候補者が演説中。
バス停でバスを待ちながら聴いていた。
ここで初めて、
同じ駅でもバス停のある駅で演説するほうが効果的である
とようやく気がつく。

バスで移動中、”府議の先生”からお叱りのメール。
もちろん、選挙期間中にもかかわらず、
事務所に私がいなかったからである。
”責任者”と”甲先生”には事情を説明していたが、
”府議の先生”には説明するのを忘れていた。

メールで事情を説明するも、
『なんで、選挙カーだけでも動かさないのか!』
とお叱りを受ける。

ウグイス嬢がいない旨伝えると、
『なぜ、業者に依頼しないのか!
 運転手も至急必要だ!』
とまたまたお叱りを受ける。

正直、そんな余裕はなかったのだが、
どうやら、私はあまりにものんびりしすぎていたようだ。

私は、常に、有権者目線ということを心がけていた。
ふつうの有権者は、私もそうだったが、公示日とか、選挙期間とか、
そもそも知らないし、どうでもいい。

数日間、選挙運動しなかったところで、たいして変わらない。
むしろ、選挙カーがしつこくくると、うるさいだけで、
かえって、こいつだけには投票しないでおこう、
と決めることさえある。

だが、選挙をする側の目線は違う。
一分一秒でも惜しい。

そんなことを思いつつ、かつ

  私の父の法要のことを聞いても何の一言もない ”先生”方は、
  まだ両親の面倒をみるということを知らない年代だしな…

と思いつつ、謝罪のメールを打つ。


お寺に到着したらしたで、ひと悶着。
法要開始30分前、選挙用品を扱う某有名業者の社長と言い争う。

昨日、その業者は事務所の外に掲げる巨大な横断幕を
私が住む団地の15階に送ってきていたのだ。
もちろん、私は自宅にはいなかったので、
運送業者は持ちかえっていたのだが、
これでは、特急料金を支払った意味がない。

社長は、事務所の住所を聞いていないというが、
そもそも同時に依頼した立看板のほうは、すでに事務所に届いていた。
社長は明らかに嘘をついていた。
百歩譲って、事務所の住所を聞いていなかったとしても、
プロとしてそんな姿勢が許されるはずがない。
そもそも団地の15階に巨大な横断幕が必要なのか、
ちょっと考えれば分かることである。

弟が、間もなく法要が始まるぞ、
という表情で、心配そうに近づいてくる。

そこで、私は、最後の手段にうってでた。

「訴えてやる!」

結局、その場は、後日、特急料金を返金するということで落ち着いた。

法要は時間どおりに行われ、
その後、墓前でもお経をあげていただき、無事終了。

選挙に出ていることは、弟には知らせていたが、
その他の親族の方には伝えていなかったし、その時間がなかった。

「実は、今、選挙に出ているんです。」

ご住職もいっしょに驚いてくださった。

本当は、法要前にきちんと説明したかったが、
先ほどの社長とのやりとりのせいで、できなかった。

でも、すぐに事務所に戻らなければならない。

通常は、ご住職を見送ってから自分らもお寺を離れる。
しかし、このときばかりは、ご住職より先に失礼してしまった。
ご住職とお寺の職員さんらにお礼を申し上げて、飛び出た。

帰りの電車の中で、”府議の先生”からメールを受け取る。
『これから、他の候補者の応援に行くので事務所を出るが、
 ウグイス嬢と運転手さんはきちんと依頼しておくように。』
との内容。

交渉力のある ”Sさん”にお願いした。


自宅で、父の位牌と写真を元の場所に戻し、
母の位牌にも手をあわせ、
喪服から戦闘服に着替え、板橋区へ急ぐ。


まぬけだった。

急がなければ、と思うあまり大山駅を降り過ごしてしまった。
次の中板橋駅で逆方向の電車を待つも、なかなか来ない。
何本かの急行が通りすぎていくだけ。


予定より20分ほど遅れて事務所に到着。

お疲れさまの一言もなく、
”甲先生”が鬼の形相で待ちかまえていた。
突っ立っているだけで、
選挙のお手伝いをしてくださっているわけではなかった。

チラシができていたので、それに貼る証紙を請求する必要があったが、
書類の書き方が依然分からない。
”法務担当”という肩書きをもつ ”甲先生”に伺うも、

  知らない

の素っ気ない一言。

予想はしていたが、実際に言われるとつらい…

結局、他の手続きも含め、行政書士の ”Mさん”にお願い。

実は、このころから ”Sさん”のおかげもあって、
私の知らないところでスタッフが集まりだしていた。
そして、今まで一人で全部やっていたのを、
スタッフに全面的にまかせることができるようになっていた。

”Sさん”の元同僚、
”Sさん”の40年以上の後輩、
その妹さん、
そのお友達、
知人弁護士さんの奥さま、
もう一人の旧友の奥さまと
そのお友達 等々

  これでようやく選挙活動に専念できる。

問題は、もはや、誰がいつ何時に事務所に来ていただけるのか
把握しきれなかったことである。

ただ、そのときの私にとっては、小さな問題であった。


事務所内の問題をひととおり片づけたところで、
いよいよ、”Kさん”の運転で、完全装備の選挙カーで出発。

”甲先生”は、
  やっとか、
という表情を黙ってする。

まだ、ウグイス嬢もいなかったので、昨日と同様、
”甲先生”がスピーカーでうったえかけ、私が手を振る。

そして、やはり昨日同様、駅前で ”甲先生”が降りる。
ただ、昨日と違っていたのは、
しばらく東京の選挙区には応援に来れないといわれたことだ。

私は、正直、これで自由に選挙運動ができる、と思った。


実は、このころ、
大阪でも、維新の会が意外に苦戦しているという情報があり、
大阪選挙区以外の候補者を ”支援”するはずの ”先生”方も
急きょ大阪に呼ばれたらしい。


日が暮れて、選挙カーが完全装備でないことが判明。
屋根の上がスピーカーだけなのは元々ではあるが、
暗くなると車体に貼ってあるステッカーが見えなくなる。
通行する有権者の方々が、こいつは誰だと
ワゴン車をのぞくような恰好をされていたので、気がついた。

他の候補者の選挙カーの屋根の上には、
名前のかいてある ”みこし”が乗っかっており、
それが夜になるとライトで照らしだされる仕組みになっていた。
と、その日にはじめて知った。

事務所に戻ると、”Sさん”から、
ウグイス嬢と運転手さんを探してくださった、とうかがった。
この時期、引っ張りだこで、なかなか見つからなかったところ、
非常にご苦労されて探してくださった。

ただ、ウグイス嬢については、
沖縄での仕事をキャンセルして
兵庫からはるばる東京に来てくださるということだった。
もちろん、東京までの交通費はこちらが支払う。


その後、最寄りの大山駅で、昨晩同様、帰宅される有権者の方々にご挨拶。
昨晩と異なるのは、
”Hくん”に、証紙を貼り終えたばかりのチラシを配ってもらったこと。

そして、もう一つ昨晩と異なることが。
  
  ご通行中のみなさんが私のほうを向いてくれない…

昨晩は、こいつは一体誰だ、という感じで
一生懸命、タスキをのぞきこんでくれた。
しかし、今晩は、チラシを配り、政治色をバンバン出していたので、
みんな本能的に避けて通る。
私のほうを振り向くどころか、避ける…

もちろん、チラシを受け取ってくださる方もいらしたが、
ごく少数であった。

  こんな方法でいいのか?

と思いつつ、事務所に戻る。

そして、明日の予定もたてず、
というか、予定のたてかたも分からなかったし、
分かる人がいなかった。


とりあえず、明日からは、
先ほどの大山駅で朝も挨拶することだけを決めて、
帰宅した。


「お疲れ様」

といってくれる父と母が待つ自宅へ。



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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月4日(火) -公示日当日-


朝7時前、さみしい事務所に到着。

さっそく、机一脚といすを並べる。
机の上に文具を並べ、トイレに石鹸とトイレットペーパーを置く。

ゴミ袋を設置したとき、
初めてお会いするスタッフ第一号が到着。

一目で元同僚の弟さんの ”Hくん”と分かった。
その弟さんしか来ることになっていなかったからだ。

「これから、区役所に行ってくるので、
 とりあえず、留守番をお願いします。
 何もやることがなくて、かえってつらいかもしれませんが、
 それも仕事なので。
 どうしても、暇でしょうがなくなったら、
 カギを閉めてコンビニで雑誌とか買って時間をつぶしてください。
 近くにコンビニがあるんで。
 一時間くらいしたら戻ってきます。」

と、言い残して区役所に向かった。

途中、心配そうな表情をした ”Sさん”が向かってきた。

  えっ?もう東北から東京に来てくださったの?

前日から東京に入ってくださったらしい。

『今、事務所に誰かいるの?』

「あっ、おはようございます。
 ご無沙汰してます。
 今日は、ありがとうございます。
 今、”Hくん”がいます。」

間もなく、区役所で、ポスターを貼る場所を決める抽選が始まる。
そこで、急いでいた私は、挨拶そこそこ、
必要なことばを並べるのが精いっぱいだった。


締め切り時間の5分前、区の選挙管理委員会に到着。
板橋区からは、維新の会のほかに、
民主党、自民党、未来の党、そして共産党からも立候補者がいた。
が、候補者本人が来ていたのは、私だけだった。

しかも、そこにいた他の各候補者のスタッフも一人ではなかった。

くじ引きの順番を決めるくじは1番だったが、
1番に引いたくじは3番だった。
これによって、掲示板のポスターを貼る場所や書類の届出の順番が決まる。

くじ引きの後、先日、都庁でチェックしてもらった書類を
ここ板橋区の選挙管理委員会に正式に提出した。

職員の方から
『チラシの証紙とかはいいんですか?』
と聞かれ、
「後日でもいいんですよね。」
とこたえておいた。

証紙をもらうための書類の書き方がよく分からなかったが、
公示日当日に提出する必要がないことだけは把握していた。
というか、チラシはまだできていなかった。

その後、選挙の七つ道具といわれているものをいただく。
その中には、事務所に掲げる立て板看板も二枚あった。
道具の数が足りなくても、この部屋から出たら請求できないといわれた。
それは、選挙運動が制約されることを意味する。

他の候補者のスタッフは、
いそいで、手分けして数量などを確認していた。
が、私にとっては、初めて目にするものばかり。
それぞれ、何に使うのかを職員の方にうかがうことから始めた。


大阪の党本部からは、
番号が決定次第、至急、FAXするよう言われていた。
だから、区役所から出るやいなや、コンビニに直行した。
が、三~四度試しても、FAXが通じない。
電話で党本部に確認すると、FAXが一台しかないので、
時間をおいてから送信してください、と言われた。

  ……

事務所に戻る道すがら、コンビニを見かけるたびに
送信を試みるも、まったく通じる気配がない。

最近、ろくに食事もとっていなかったので、
お腹も減ってきた。
喫茶店の入口にあったモーニングの写真にそそられ、
思わず入ってしまった。
事務所に掲げる立て板看板を気にしながら、モーニングをほおばる。

  おいしい

他の候補者は、おそらく選挙運動をはじめているころだった。が、
はやくFAXをしなければ…

事務所には、まだ、
FAX機能つきの電話が秋葉原から届いていなかった。
だから、コンビニに寄るしかなかった。
しかし、さらに5~6度送信を試みても、やはり通じない。

  こんなことを続けていたら選挙活動ができない。

FAX送信はあきらめ、事務所に戻ることにした。

事務所に戻ると、スタッフ用のジャンパーが届いていた。
”甲先生”からだった。
ずっと、必要、必要と頭の中にはあったが、
おそろいのものを一度に買うことができるのかと思い、後回しにしていた。
だから、非常にありがたかった。
ちなみに、無償ではない。

字のお上手な ”Sさん”に
区の選挙管理委員会からもらった立て板看板や運動員用の腕章、
そして演説中に掲げる旗に名前を書いていただき、
看板は事務所の外に立てかけた。

と、そこへ、知人の弁護士事務所に勤める ”Mさん”が来てくれた。

  さて、選挙運動といっても、何をしよう?
  選挙カーはまだステッカーとか貼っていないし、
  ”Mさん”も ”Hくん”も運転できない。
  運転できる”Kさん”はまだ到着していない。

とりあえず、届いたばかりのジャンパーを着て
”Mさん”と ”Hくん”と三人で、
事務所の外で大声をはりあげながら、挨拶をすることにした。
拡声器を使わないので、近くの病院に迷惑はかからないはず。

事務所の場所は川越街道沿いで、目の前で車はしきりに走っている。
現閣僚候補の選挙カーも目の前を走っていった。
通行人も比較的多い。
こちらから動かずとも、車も人もむこうからやって来てくれる。
悪くない方法だと、このときは思っていた。

「よろしくお願いします。」

と、ジャンパーの送り主である ”甲先生”にのんきに挨拶してしまった。

表情が険しかった。
  
  何をやっているんだ!

選挙カーを動かそうにも、
運転できるスタッフが到着していないことを告げると、
近くの ”ハッピーロード大山”そして、”遊座大山商店街”
という商店街を練り歩くことに。

そのためには、拡声器が必要だった。
昨日、東京本部から拝借したものを取りに
結局、コインパーキングにとめてあるご本人の車へ。

今度は、険しい表情ではなく、あきれた表情に。

  拡声器とマイクに電池が入っていない…

このとき初めて、拡声器に10本の単一電池が必要であることを知る。
大至急、”Hくん”に買ってきてもらう。

表情はイライラしたものに変わっていく。

ようやく、”Hくん”が到着。
今朝もらった七つ道具のうちの一つの小札を拡声器につけ、商店街へ。
その道すがら、有権者に握手をするコツを教えていただいた。

商店街に到着し、初めてのご挨拶。
”甲先生”がマイクで、維新の会の主張や私の紹介をしてくださる。
私は、商店街の通行人の方々に握手を求める。

なるべく、老若男女を問わず、求めるようにした。
強面の男性には、体育会ののりで挨拶するとウケがいい。
ほとんどの若い女性は、近寄るなオーラを出している。
両手をポケットに入れていたり、
両手に買い物袋を持っていてくれると分かりやすくて、助かる。

握手してくれた方と、拒絶された方とは半々くらいか。
一番気さくに握手してくださったのは、
性別に関係なく、私の人生の先輩の方々だった。


大山駅の近くで、”甲先生”が、ふと立ち止まった。
私がここで演説をはじめる
と、突然おっしゃりはじめた。

生まれてはじめての演説。
自分は、演説もしたくて立候補したわけだから、
緊張感とワクワク感とが入り混じっていた。

聴いてくれる人がいない演説はもっとつらいものかと想像していたが、
そうでもなかった。


商店街の行進が終わり、事務所に戻ると、
旧友の奥さん ”Kさん”が到着していた。

これで選挙カーを動かせる。
といっても、この時点では、
屋根にメガホンがついただけのふつうのワゴン車だった。

が、とりあえず
”Kさん”の運転で、いざ、区民のみなさんにアピール。
といっても、”Kさん”にとって板橋区はまったく見知らぬ土地。
カーナビ頼みなので、自然と走るところは幹線道路ばかりになる。

最初のうちは、ウグイス嬢もいないので、
”甲先生”がマイクで叫び、見本を示してくださる。
私は、窓から身をのり出して、大声をあげながら手をふる。
はじめは恥ずかしくてできないだろうと思いきや、
すんなりできた。

このとき、手をふるなどして応えてくれる通行人の方はほとんどいない。
それもそのはず、外見はふつうのワゴン車なのだから、
そもそも選挙カーだと自信をもって思うことができる人は少なかったと思う。

数年前、宮本警部が勇気ある行動で市民の命を救い、自らは殉職された場所、
ときわ台駅に到着すると、”甲先生”は他の候補者の応援に、
と車を降りられた。

ここからは、素人だけで車を動かす。
そして、私がウグイス嬢役。

とりあえず、高島平団地へ。
板橋区で人が多そうな場所は、ここしか知らなかった。
二十年ほど前、5キロの周回コースを四周する
20キロのロードレースに出場した場所だが、
感慨にふけっている余裕はなかった。

コンビニで小休止。
今朝、喫茶店で食べたモーニング以来の食事。
といっても、あんまん一個に”Kさん”差入れの栄養ドリンク。

この間に、選挙公報の原稿を印刷業者に取りに行ってくださっている
”Sさん”に現状を確認。
区の選挙管理委員会から、本日中に提出しないと、新聞に載らなくなる
と催促の連絡があったからである。
でも、”Sさん”のおかげで、何とかギリギリ間に合いそうだ。

再び、車を走らせる。
ここで、大阪の党本部からFAXはまだか、
との問い合わせが入る。
今朝、何度も試みたが通じなかったと理由を説明し、
とりあえず3番だったと告げて、いそいで携帯を切る。


夕方6時すぎ、いったん事務所に戻ることに。
正直、事務所には戻りたくなかった。

とても十分に選挙活動ができる体制にはない
という現実に引き戻されるからだ。
選挙参謀なんていう人はいないので、
私が留守中にあったことは、すべて私に報告が上がり、
疲労しきった頭で、その場で判断しなければならなかったからだ。

マスコミから、まだアンケートをいただいていないとの連絡。
  そんな時間はない…

別のマスコミからは、今後の演説の場所や日時を教えてほしいとの連絡。
  そんなの決められるわけない…

党本部からは、投票日当日の開票を見届けてくれる板橋区民を決めておくようにとの連絡。
  選挙管理委員会に問い合わせたら必須ではないといわれたと、党本部に連絡…

郵便局からは、持ち込み予定の選挙ハガキの枚数や日にちを教えてほしいとの連絡。
  ハガキを出すための名簿もないし、
  郵便局が想定しているような枚数なんか出せるわけない。
  よって、とりあえず無視…

秋葉原から、まだ電話・FAX機が届いてない。
  怒るしかない…

机がもう一脚きたけど、いすも机も足りそうもないので、追加注文をしてほしい。
  その場で、携帯で追加注文…

TBSからは、当選した場合の ”朝ズバッ!”の出演依頼が。
  ……

そして、一番まずかったのは、区の選挙管理委員会からの連絡。

『メガホンしか装着していないので、警察に届け出なかったのかもしれないが、
 それでも早く警察に届け出てくれ、
 それに、選挙カーには、今朝渡した小旗をつけれくれ。』

との連絡があったとのこと。

  なんで、メガホンしか装備していないといったことまでの通報が?
  それに小旗はつけていた…

もう、戦争が始まっていた。

”Mさん”が行政書士だったので、届出は彼にお願いした。
ただ、ステッカーは、これから夜8時すぎに
”府議の先生”のお知り合いである業者の方が
大阪からわざわざいらして装着してくださることになっていた。
よって、届出はそれからでないとできなかった。

この十日ほど寝不足状態だったので10分ほど居眠り。

前日の公開討論会で、一番幸せと感じる時は、という質問で、
ある候補者が、事務所に戻って一息つけるとき、
と答えていたが、とても信じられない。

ちなみに、私の答えは、
お風呂の湯ぶねにつかる瞬間と床に入った瞬間である。


軽い眠りから覚めたあと、
印刷業者の社長さんに依頼していたほうのタスキが届いていたので、
それを着けて、最寄りの大山駅で帰宅する有権者に一時間余りご挨拶。

夜8時過ぎ、本日は解散した。

ただ、私は、大阪から来られる業者さんから、
『海老名で渋滞にあったので、一時間ほど遅れる。』
という連絡が入っていたので、その場で待機。

そして、夜9時過ぎ、業者さんが到着。
コインパーキングにとめてあったワゴン車を
なるべく街灯のあたる場所に移動して、作業をしていただく。
作業に数時間かかるといわれたので、私は帰宅した。

その数時間後、選挙カーに変わった写真が送信されてきた。
さすがは、プロの方、
大阪から到着された直後にかかわらず、きれいに仕上げてくださった。

自宅で、お礼のメールを打って、就寝。


明日の朝は、十日ぶりにゆっくりできる。




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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月16日(日)~17日(月) -投票日以降-


こんなに、ぐっすり眠れたのは、
父親の一回忌の日以来である。

その日は、まさに小春日和。
さっそく、選挙の投票に行く。
自分が立候補した選挙区ではないが。
これまでの12日間の選挙運動の日々が
走馬灯のようによみがえってくる。

投票所に行くと、意外にも長い列が。
こんなのは、初めてだ。

そういえば、この前の選挙のときは、
小さなお子さんづれのヤンママのお姿が目だったが、
今回は、あまり見当たらない。
子ども手当てもなくなったことだし…

各党の比例名簿の名前が小さく張り出されていた。
維新の会の4位というところに私の名前もあった。
でも、周りの方たちは、まさか本人がここにいるとは、
気がつかないだろうな…

他の党では、小選挙区の候補者が同列1位で並ぶことが多いが、
維新の会では、石原代表をはじめ重鎮の方々が比例の上位にのり、
小選挙区の候補者は、実績ある一名を除き、同列4位となる。


投票を終えると、洗濯だ。
選挙運動期間中は、洗濯する時間もなかったので、
山のように洗濯物がたまっていた。
今日は、晴れて本当にラッキーだ。

洗濯物を干したあと、いつの間にか二度寝。

気がつくと、日が落ちていた。
事務所のスタッフから、
いつ来るのかと携帯に連絡が入る。


事務所に向かう東武東上線の中で
つり革につかまって立っていると、
目の前に座っている女性の方が選挙公報の新聞を見ている。
私のところに目をとめてくれるかと、かってにドキドキしていたが、
あっさり、スルーされてしまった。

よほど、私が本人です、と告げようかと思ったが、
今日は、選挙活動してはならないと思い、一応やめた。
本当は、周りの目が気になっていた。

ふつうの人に戻っていた。


事務所に到着すると、みんなが、といっても3人だが、
私を待っていてくれた理由が分かった。
片付いているばかりか、
完全に当選したとき用に事務所が飾られていた。

白いテーブルクロスに、
きれいなお花、花束、
酒樽、
昨日、片目を入れたダルマ、
”必勝”の張り紙…

こぢんまりとしながらも、輝いていた。
それは、ここにいないスタッフも含め、
みんなの気持ちが十分に伝わってきたからだ。

本当に、いいスタッフの方々に恵まれた。


いよいよ、開票。

が、わずか30分後、

  あっ

と、スマホをみていた ”Y兄妹” のお兄さんのほうが声をもらす。

もう、それで十分だった。

当選された方は、現文部科学大臣。
地元で二十年以上、地盤を固めてこられてきた方。
新参者に敗けるわけがない。

ただ、望みがまったく断たれたわけではなかった。
300万円をかけた比例4位で復活できるかも…

比例で復活するかどうかは、簡単にいうと、
自分の得票数が当選者の得票数に
どれだけせまることができたかによる。
どれだけ惜しい敗け方をしたか。

  選挙期間の後半、あれだけ追い上げたんだ、
  あれだけ手ごたえがあったんだ、
  大丈夫。

と同時に、

  開票30分で勝負が決まったということは、
  相当票差を開けられたはず。
  だめかも…

期待とあきらめが交錯する。


ぼちぼちとスタッフが帰宅していく。
というより、二十代そこそこの学生さんということもあり、
帰宅してもらった。

  花束とかあるけど、
  万が一のとき誰が渡してくれるんだろう…


買ったばかりのパソコン画面をにらみ、
NHKの開票速報に釘付け状態。

が、板橋区の開票速報はなかなか出ない。

と、そのとき、
当確の自民党候補が3万票、
私と民主党候補がそれぞれ1万8千票ずつ、
という速報が流れた。
一番気分が高揚した瞬間だった。

というのも、この時点で惜敗率60%、
悪くない数字だったからである。

しかし、その後、東京選挙区における
維新の会の比例の議席数が今一つ伸びない。
大阪や近畿では票を伸ばしているのに…

ただ、東京では、
大阪で感じたような維新の会への追い風が吹いていないことは
選挙期間中、すでに肌で感じていた。

「維新の会です。」といっても、
ピンとこない方が意外に多い。
石原代表や橋下代行の名前を出して初めて、
ピンとこられる方々が多かったからだ。


時たま、前を通る通行人が事務所を覗こうとする。
事務所には薄い白いカーテンが一枚だけ。
これも、今までカーテンさえなかったのを
スタッフが気を使って用意してくれたものである。

おそらく、夜中に煌々とした灯りがみえたからであろう。
話に聞いたところ、この事務所は以前、
アジア系の外国人の方が経営するお店だったそうだから、
不思議に思うのも無理はない。


夜中の3時すぎ、”責任者”から一通のメール。
比例復活の望みも完全に断たれたことの宣告。
すぐに、お礼の返信メール。

このとき初めて、”責任者”が
大学の陸上競技部の7~8年後輩にあたることが判明。
私の3~4年後輩、”責任者”の3~4年先輩にあたる
お互いが知っている元部員の話で
若干盛り上がる。


朝6時半過ぎ、いつものように大山駅で挨拶。
しかし、いつもと違って、通勤・通学される方々に
大声でお礼のあいさつ。

だんだん、悔しさが疲労を凌駕していく。
あまりの情けなさで涙が出そうなのを
必死でこらえる。

いつも応援してくださった方々が、
残念だったね
と声をかけてくれる。

かたや、
俺、自民党に入れたから、
と、わざわざ意地悪をいってくる人もいた。

学生時代、
馬券売り場が近くにある駅前で
募金活動をしたことがあるが、
何人もの人から、お金を入れるふりをされたのを思い出した。

  もちろん、彼らは打ち合わせたうえで
  こうした意地悪をしているわけではない。
  こうした人たちの考えることはみんないっしょなんだな、

と思ったということを思い出した。


そして、商店街のお店が開いたころの時間、
体に鞭打って、一軒一軒、
お騒がわせしましたということでご挨拶。
何十軒も周っていくうちに、
今度は徹夜による疲労が悔しさを凌駕していく。


私は、この選挙戦を戦う前、
大阪の職場を飛び出してきてしまった。
今まで大阪でお世話になった方々に
きちんとご挨拶申し上げていなかった。

宿舎も、洗濯物を干したまま
夜逃げをするかのように飛び出してきた。
退職のための諸手続きもほとんどしていなかった。

だから、その日のうちに大阪に行く必要があった。

余ったポスターやチラシ、転居不明で戻ってきた多数のハガキ、
不要となった机やいす、事務所の横断幕や立て看板、選挙道具等々
処理する必要があった。
ふつうに粗大ゴミに出すわけにもいかない。

  酒樽とかあるけど、俺、酒飲めないし…
  そういえば、片目のダルマとかどうすればいいんだろう?

そのほか、電気、ガス、水道、電話、そして事務所自体の契約のこと、
そうそう、収支報告書も年内に作成し、
都の選挙管理委員会に提出する必要もある。

そんな心配をじっくりしている余裕もなかった。

すぐさま大阪に出発するため、とりあえず自宅へ。


東武東上線の中で、
選挙期間中にたまっていた
大阪の元職場からのメールをようやくチェック。

その途中、”府議の先生”からメールが入ってきた。
ついさっきまで、私が実際に行っていた敗戦処理を
”人として”きちんとするように、という内容だった。

もう、そんなことはとっくに済んでるんですけど、
という思い、そして、

「選挙期間中といえども、父親の一回忌法要には、
 人として欠席するわけにはいきません。」

という、先日私が ”府議の先生”に送ったメール内容の
一番の核心となる言葉を皮肉を込めて使ってきた無神経ぶりは
本当に許せないという怒りで、
はらわたが煮えくり返るほどだった。

しかし、”府議の先生”には、
選挙カーの件では大変お世話になったことを一生懸命思い出し、
ご助言に対するお礼の返事を送信しておいた。


開票結果?

当選された現文部科学大臣が11万6千票余り、
私はというと、5万票弱で、
3位の民主党候補に1万3千票以上の差をつけ、
堂々の次点であった。

12日前の公示日の時点で知名度はゼロに等しく、
板橋区には地盤となる組織も知縁も何もなかった。
板橋区に初めて足を踏み入れたのも公示日4日前。
落下傘候補にしても、落下するのが遅すぎた。

それまで、HPもブログも何も立ち上げておらず、
当初は供託金没収の心配も周りからされていた。
なお、没収ラインは、有効投票総数の10%である。

それにもかかわらず、
甲子園球場が満員になるくらいの区民の方々に
投票していただけたというのは、
奇跡に近い。
それにしても、この5万票近くの票、無駄には絶対できない。

これも、第一にスタッフさんらのおかげである。
選挙に詳しい方が一人もいなかったにもかかわらず、
党との連絡、諸手続き、証紙貼り、おしゃれな宣伝用の板づくり等々、
私が外で運動している間に、私の見えないところで、
いろいろご苦労されたおかげ。

また、いっしょになって外での運動に協力してくださった
運転手さん、ウグイス嬢さん、ウグイス嬢の見習いさん、
そして、旗を持ってくれたり、チラシを配ってくれたりした
スタッフさんのおかげ。

こうした方々のおかげで、何万票もいただくことができた。
ただ、不思議なのは、
スタッフの中に一人として板橋区民がいなかったということ。


次に「維新の会」という党のおかげ。
しかも、石原代表と橋下代行という
ツートップのお二人の顔のおかげ。

おそらく、私がまったくの無所属で立候補していたならば、
これほどたくさんの票をいただくことはできなかったであろう。
これなら、100万円という広報活動費というのもうなずける。

そして、ワゴン車を貸してくださり、
短時間ではあるが、選挙運動について指南してくださった ”甲先生”、
選挙カーに関して大変お世話になった ”府議の先生”。
そして、”責任者”。
こうした先生方がいらっしゃらなかったら、
少なくとも、選挙カーを公示日から動かすことはできなかったはずである。


そして、”責任者”は、次のように総括された。

  今回の選挙では、各候補者に対して
  十分には支援できなかった。
  ただ、そもそも自分の世話もできない人が、
  他人の世話なんかできるはずがない。

  そして、候補者みなさんは立派に戦った。
  そんなみなさんを誇りに思う。

立派なことをおっしゃるな、とも思ったが、
  そもそも自分の世話もできない人が、
  他人の世話なんかできるはずがない。
の部分は、橋下代行の受け売りであったことが
後日分かった。

私は、こうした自己責任という考え方が
大好きであり、賛同もする。

ただ、それなら、もう少し自分のペースで
自分の好きなようにやらせてほしかった。
責任は全部自分が負うのだから。

指示をするなら、少なくとも指示した分は、
結果責任も取ってほしいものである。


ところで、東京選挙区は小選挙区全滅、
比例代表も、定数29人の近畿比例区が10人だったのに対し、
定数17人の東京比例区はわずか3人にとどまった。


東京選挙区の ”責任者”は責任を取ったのか、
定かではない。



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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月3日(月) -公示日前日-


朝一番は、選挙公報の原稿やチラシの内容などについて
印刷業者の社長さんと打ち合わせ。

この打ち合わせの間にも、四日前に私の愚痴をきいてくださった
党の東京本部の職員の方が心配して連絡をくださった。

ポスター貼りの要員で困っている旨告げると、
業者にお願いする方法もある旨おっしゃってくださった。

  もう、それはお願いしました。
  それでも、無理だったので困っているんです。

とは、さすがに言えなかった。


思いのほか、打ち合わせに時間がかかった。

この後すぐ、板橋の不動産業者と
事務所賃貸の正式な契約を交わす約束もあった。

電車で行っては間にあわない。

再び、無職のくせにタクシーに飛び乗った。
痛い出費。

それでも、10分ほど遅れた。

事務所の賃貸契約は、初めて。

賃料、敷金・礼金はもちろん、保証、保険等々の説明、契約書の読み上げ、
契約終了後の話、電気・ガス・水道の契約、ゴミの出し方まで
いろいろあり、ここでも思いのほか時間がかかった。

私がそわそわしていたころ、携帯がなった。
”府議の先生”からだった。

『まだ、不動産屋?
 もう、到着したから、早く来て。』

近くの商店街で待ち合わせの約束をしていた。
わざわざ、”甲先生”からお借りした
選挙カーとなる車に乗ってきてくださっていた。

ようやく正式な契約が終わり、あわてて飛び出る。

「今、商店街ですが、どこにおられますか?」

『ローソンの前、早く。』

それしか告げたくないという機嫌であることが伝わってきた。

この商店街、結構長い。
とりあえず、視界にローソンがない。
三日前に板橋に足を踏み入れたばかりの私にとっては、
まるで、場所が分からない。

  もう、賭けだ!

とりあえず、右のほうに走った。
携帯片手に ”府議の先生”に実況生中継のように、
視界に入ってくる両サイドのお店の名前を告げながら…

自分の居場所を伝えるため、そして、免罪符のための情報ではあったが、
私と同様この商店街に不案内な ”府議の先生”にとっては、
どうでもいい情報であった。

しばらくすると、屋根にメガホンのついた車が見えてきた。

  賭けが当たった。

『なんで、契約するだけでそんなに時間がかかるの?』

  この方、選挙のプロみたいなこといってたけど、
  もしかして、事務所の契約は人まかせ?

「すみません。」

わざわざ、車をここまで運転して来てくださっただけに
こう返事するしかなかった。


その車で、党の東京本部へ。
演説用の拡声器とマイクを借用するためだった。
正直、ここまで頭が回っていなかった。


それから、再び、板橋の事務所近くまで行く。

『駐車場とかの契約は?』

正直、気づきもしなかった。

『まー、この期に及んだら、コインパーキングでも同じか…』

と、いってコインパーキングに車をとめてもらった。

『また、明後日に様子を見にきますから。』

と、おっしゃってくださり、そこでお別れした。


この ”明後日”ということばに気をつかっていなかったがために、
後日、ちょっとしたトラブルを招いてしまうはめになった。


それから、事務所に戻り、
事務所の机やいすを購入するため、数社の業者に連絡した。
もう公示日を翌日に控えていたので、
すぐにでも持ってきてくださる業者さんを探していた。

ようやく、いすと机一脚だけなら本日中に持ってきてくださる
という業者さんをみつけることができた。

  あとは、電話とFAXか…

秋葉原に向かった。

購入中にも、二件の連絡が入った。

一つは、選挙カーに装着するため
自分の名前と写真がのったステッカーを作成してくれた業者からだった。
見本の写真を送信してきてくださった。
自分が考えていた写真とは異なるほうの写真だったので、
奇跡の一枚のほうと変更するよう依頼。

また、このとき、印刷業者さんにタスキの作成を正式に依頼していたものと
勘違いしていたことが発覚したため、
タスキの作成も至急お願いした。

と同時に、印刷業者の社長さんにも、お知りあいの業者さんに
タスキの作成依頼をお願いしておいた。

もう一つは、党のチラシ7万枚を事務所にもっていきたいという運送業者から。
なんと、数日前、大阪の党本部の手違いで文京区にもっていってしまったらしい。
どうすれば、板橋区と文京区とを間違えるのか…
東京で暮らす者からすると不思議でたまらない。

一時間後に事務所で待ち合わせることにした。


そして、私は急に選挙運動を手伝ってくださるスタッフが
まるで足りていないことに気がついた。

いや、気がついていたが、
立候補するための手続きで頭がいっぱいだったので、
あえて、意識から排除していた。

公示日である明日は、元同僚の弟の ”Hくん”が朝8時から、
知人の弁護士の事務所に勤めている ”Mさん”が朝10時から、
旧友の奥さん ”Kさん”がお昼ごろから事務所に来てくださることにはなっていた。
あとは、週末だけ何名かの方が助けに来てくださることになっていたが、
他にスタッフはいなかった。

  このままでは、選挙運動ができない。

また、大きな不安が私の精神をむしばんでいった。

  まずい、本当に頭がおかしくなりそうだ…

このときは、もう、元上司で退職された、あの頼りになる”Sさん”
にSOSを発する以外になかった。

泣きついた。

”Sさん”は、
大学時代の将棋部の後輩などいろいろ探してくださるのみならず、
ご自身も、明日から数日間、
東北からわざわざお手伝いに来てくださる旨
おっしゃってくださった。

四日前におっしゃっていたように、
選挙期間中は、
のっぴきならない御用が本当におありだったらしいが、
数日間だけでも、私のほうを優先するとおっしゃってくださった。

  本当の恩人。

  選挙とは、いろんな人に甘え、
  迷惑をかけながらでないとできないものなのか?

  いや、心からこの候補者を支援したい、
  と他人に思わせるほどの人徳者になる必要があるのかもしれない。


と、思ったのもつかの間、
至急、タスキ代を振り込んで、板橋区の事務所に戻った。

運送業者の運転手さんが待っていた。

チラシ7万枚。

その運転手さんと二人で、空だった事務所に運び入れた。
7万枚ともなると、時間もかかる。
すでに12月だったが、コートはもちろん、
背広を脱ぎ、ワイシャツの袖もまくり上げながらでなければ
暑くてしょうがなかった。

このチラシ、石原代表と橋下代行のツートップがうつったものだが、
実は、公示日前までに配布するためのものであった。
あと数時間で公示日となるので、本来、不要なものだった。
実際、この後の選挙期間中も、これらを配布するだけの余裕がなかったので、
7万枚まるまる余るはめになってしまった。

選挙後に処分した費用も含めると40万円近くもかかった。
もちろん自腹だ。
これ以上虚しいことはないし、なんといっても環境に悪すぎる。


と、そこへタイミングよく、いすと机一脚が到着した。
料金は、選挙が終わり落ち着いてからでもいいと
業者の方がおっしゃってくださった。

残りの机は翌日持って来てくださるという。


その後、ペン、ノート、ガムテープ、ゴミ袋、ティッシュ、
トイレットペーパー、石鹸など、当面必要だと気がつくものを
近所のスーパーマーケットで購入。

事務所に戻り、すぐにでも、机といすを並べたかったが、
あと20分もすれば公開討論会が始まる時間だった。


歩いて10分ほど会場に到着。
楽屋のような所に案内された。

そこには、他の候補者が勢ぞろいしていた。
初めてお会いする戦う相手。

公開討論会の説明を受け、いざ本番。

政治信条、原発問題、消費税問題等々の
テーマごとに持論を制限時間内に披露。
〇×形式の質問にも何問か答えたが、
ポスターの写真に修整をいれたか、という質問で
私だけが、〇を上げたらしい。

後日、選挙運動をしている際、
この討論会に来てくださった方から
『猪野さんて、正直な方ですね。』
と声をかけられた。

緊張していたためか、終了するまでの二時間が
あっという間に思えた。

なお、討論会のようすは、
以下のアドレスからご覧になれます。

e-みらせん http:www.e-mirasen.jp

もしくは、”公開討論会 板橋 衆議院”の
検索であれば、一発でヒットします。


終了したあとも、
公開討論会中に携帯に数件連絡が入っていたので、
こうした方々に連絡。
すぐには帰宅できなかった。


この日から3~4週間後、
主催者をはじめ、この討論会を支えてくれた方々の集まる
忘年会に参加させていただいた。

自分の主張を披露する機会、そして名前をみなさんに知ってもらう機会を
くださったあの討論会を行うまでに、
どのような方々がどのようなご苦労があったのかを知るため、
そして、みなさんに感謝の気持ちを伝えるためであった。

衆議院の解散が急に決まったので、会場をおさえるのが大変だったこと、
人を集めるのにご苦労されたこと、等々を知った。

また、定年退職された方や大学生の方など
ボランティアの支えによって公開討論会が成り立っていた
ことも知った。

  党の方針に反して、公開討論会に出席して本当によかった。

改めて、ありがとうございました。



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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月2日(日) -公示日まであと2日-


頭はスッキリしていなかった。

でも、選挙公報の原稿を書くしかなかった。
なぜなら、本日の夕方には、その原稿を
都の選挙管理委員会にチェックしてもらう必要があったからだ。

いそいで、ワープロで原稿を書き上げ、都庁へ。
そこで ”府議の先生”と落ち合った。
選挙管理委員会に、夕方からの最終チェック前に
そもそも書類がそろっているかなどを事前にみてもらうためだった。

すなわち、夕方の最終チェックで不備が見つかっても、時間がなく、
公示日当日に区の選挙管理委員会に書類を提出できなくなる可能性があったからだ。
提出できないと、そもそも立候補できなくなる。

この事前にみてもらうという作業、他の維新の会の候補者はすでに済ませていた。

が、都の選挙管理委員会に断られた。

これから、民主党候補者の最終チェックが始まるからだという。
もう、夕方にぶっつけ本番でのぞむしかない。

そこで、”府議の先生”と車で事務所に移動。

車内でも、選挙運動を助けてくれそうな方を、メールなどで探す。

運転しながらも ”府議の先生”が人集めのコツを教えてくださる。
と、同時に、
  ポスター貼り要員、選挙カーの運転手、
  そして、ウグイス嬢の手配を早くしないと間に合わない、
  もう、知人ではなく業者に依頼するしかない、
とも。


既に14時をまわっていた。

『食事はしっかり取ろう。』

ファミレスに入った。

一週間ぶりの昼食であった。

立候補が決まってから、食事は一日一食、できて二食だった。
しかも、ファーストフードで10分足らずでかきこむ食事。

ただ、その一週間ぶりの昼食もじっくり味わってはいられなかった。

事務所に到着してからやろうとていたことを、自然にやり始めていた。

まず、会計責任者やポスター掲示責任者を探す。
何人かにあたり、結局、旧友にお願いした。

それから、事務所の電話設置のためNTTに連絡。

次に、ポスター貼りをしてくれる業者を何社か探し、連絡。
案の定、どこも、公示日とその翌日はすでに予約でいっぱい、と断られた。

その間にも、先週までの勤務先の職員からメールが入る。
その内容は、宿舎の退去のことや健康保険料の支払いのことなど
今後の手続きについてであった。
今までも、何度か携帯に連絡はあったが、あまりに忙しく出られなかった。

だから、その職員としては、休日に私にメールをするはめになってしまった。
退職時、あれだけ迷惑をかけのに…
落ち着いて返信できるのは今だけだと思いつつ、そして、
申し訳なかったと思いつつメールを打つ。

  えーと次は、事務所に設置する机やいすの調達先を探さなければ…

と、そこでタイムアップ。

今から都庁に戻らないと、書類の最終チェックに間に合わない。


”府議の先生”と都庁に戻ると、
東京選挙区の候補者の使いの者がたくさん待機していた。
が、チェックをしてくださる職員の数のほうが圧倒的に少ない。
すなわち、順番が最後のほうで、
数時間待たなければならないという状況だった。

これは、幸いだった。

このころになると、数日なら手伝えるといってくださる方から、
数名だが、メールが入っていた。
時給や交通費、車の運転の可否などの確認がしたかった。

また、選挙用品や選挙カー装備などにかかった料金を振り込む必要があったので、
そのための時間もほしかった。

一分、一秒でも惜しかった。

「しばらく、はずします。」

と ”府議の先生”、そして、都庁にいらした ”責任者”に告げた。

  何しに行くの?

という表情をされたので、事情を説明した。


まず、友人の奥さんが手伝いに来てくださるということで、
友人と相談。
時給や旅費については、結構、シビアに交渉してくる。
複雑な気持ちだった。

  お金は、人間関係を破壊する。

中学生のときの担任の先生がおっしゃっていたことばが、
不意に思い出された。


そんな、複雑な思いをかかえながら、
銀行のATMで振り込みをしているときだった。
こちらも、不意に携帯がなった。
新聞記者からだった。

『明日、午後7時から、
 板橋区文化会館で公開討論会があるそうです。』

「えっ、明日?
 そんな、あまりに突然ですね。」

『主催者が連絡をとりたがってますので、
 とりあえず、連絡してみてください。』

 ”ATMの前では携帯電話はご遠慮願います。”

という目の前の注意書きを無視して、主催者の方に携帯で連絡してみた。

どうやら、私と連絡をとりたくても、連絡先が分からなかったらしい。

私は
「党と相談してから返事をします。」
といって、携帯を切った。


とりあえず、中途だった振込みをすまして、都庁に戻った。

”責任者”をはじめ、都庁にいらした党の方々に相談すると、
新人候補が公開討論会に出席するのは原則禁止
というのが党の方針であるとの説明を受けた。

  マスコミが今回の候補者らを
   ”橋下チャイルド”と揶揄する理由が分かった。
  党は、新人候補を完全に信頼していなかったのである。

この目の前にいらっしゃる方々も本気で心配してくださっていた。

ただ、”府議の先生”だけは、
『最後は、候補者本人の判断に任せますよ。』
と、おっしゃってくださった。

主催者に再び連絡すると、
『過去も今回も欠席者はいません。』
ということで、出席を決めた。

と、いうより、
知名度ゼロの私が、自分を売り込む絶好の機会だと思った。


ついに、自分のチェックの順番が来た。
”府議の先生”は、
他の候補者の分も面倒はみていたのであろうが、
数時間も待ってくださっていた。


大阪の党本部からきいていた内容と違っていた点が数か所あったものの、
特に大きな問題はなかった。
選挙公報の原稿を除いては…

私は、今朝、急いでワープロを打った文章だけで十分かと思っていた。
しかし、この都庁の職員の方は、
明らかに選挙の素人であると分かる私を不憫に思ったのであろう、

『もうちょっと絵柄とか入れ、字体も工夫して
 有権者にアピールできるものにしたほうがいいですよ。
 今までのアンケート結果によると、
 この選挙公報は、投票先の決め手として上位に
 ランクインしてますから。』

とアドバイスをしてくださった。

そこに、たまたま、元国会議員である候補者の使いの者が
隣の机でチェックを受けていた。
彼がよさげな原稿をもっていたので、
そのコピーを参考のためいただいた。

電源が切れそうな携帯で、印刷業者の社長さんに至急連絡を入れ、
翌朝、相談にうかがうことにした。

やはり、不憫に思われたのであろう、
”府議の先生”がもう半日だけ
私に付き合ってくださることになった。


休日の夜遅くにもかかわらず、都の選挙管理委員会のお仕事は
まだ終わる気配がなかった。

大変なのは候補者サイドだけではない、
という当然のことを改めて感じた一日であった。



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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月1日(土) -公示日まであと3日-


朝起きて最初にやったことは、お寺への連絡。
選挙の準備で頭がいっぱいだったため、
父の一回忌の日程と参列者の確認を忘れていた。

あと、大阪で愛飲していた青汁の契約をストップする連絡も。
そうしないと、明日、誰もいない大阪の宿舎に
配達しに来ていただくはめになってしまう。

その後、再び頭を選挙モードに、

  とりあえず、明日までに都庁でチェックしてもらう必要のある
  書類を作成しなければ、
  あと、マスコミからのアンケートにも答えて、

  そうそう、二日前に頼まれていた共済組合員証と
  記章も大阪国税局に返送しなきゃ。

  そうそう、三日前に頼まれていた、戸籍謄本
  速達代分の切手を宇和島の役場に郵送しなきゃ。
 
  んっ、待てよ。
  二日前、戸籍謄本が自宅に届いて中断しちゃった、
  事務所の看板の調達や備品のレンタルもしなきゃ。


再び頭がごちゃごちゃになった。

  とりあえず、今日は内部事務にしよう。
  まずは…、今、土曜日の午前中だから、
  書類を作成するのも超重要だけど、
  看板の調達と備品のレンタルから。

と、ネットで何社か探し、連絡…
が、備品のレンタルのほうは、二日前の選挙カー同様、
今さら無理だった。

公示日まであと3日。
全国で300選挙区。

もう、どこも備品はすべて貸出中。

ただ、事務所にかかげる看板や幕だけは購入できそうだ。
土曜の午前中ということもあり、申込みはドタバタ。
超特急料金も払うはめに。

しかも、この選挙用品を扱う某有名業者、雰囲気がよくなかった。
HPにのっていた携帯番号にかけたら社長の携帯だった。
迷惑そうに、事務所に連絡するように言われた。

  だったら、土日・至急時はこちらに連絡、とかHPにのせるなよ…

そして、後日、トラブルが発生することになろうとは、
このとき想像する余裕さえなかった。


  さて、事務所の備品のレンタルが不可能であれば、
  購入をしなければ。

しかし、机、いす、電話・FAX…そもそも何を揃えていいのか、
選挙をしたことがない私にはすぐに思いうかばなかった。
思いうかんだとしても、
それぞれの備品ごとにネットで業者を探しているひまもない。

  もう、さすがに書類を作成しなきゃ。

書類の作成中ではあったが、郵送しなければならないものもあったので、
郵便局が閉まる前に郵便局へ。

と、そのとき、維新の会の地方議員のお一人である ”甲先生”から携帯に連絡があった。
なんと、ご自身の自動車を私に選挙カーとして貸し出してくださると
おっしゃってくださった。
どうやら、私の現状を知った ”責任者”が手配してくださったようだ。

とにかく、ありがたかった。

実は、このとき、私は選挙カーをあきらめ、
自転車で選挙区を回ることを考えていた。
しかし、選挙のプロには考えられないことだったらしい。

自転車をこぎながらマイクでうったえかけることができないので、
タスキをかけたおっさんが自転車で通りすぎていくだけになるらしい。


夕方、昨日撮影した写真館に向かう。
写真はデータとして送信してもらうことも可能だったが、
選挙公報に使用する写真は、
指定の台紙に現物を貼る必要があった。

その途中 ”責任者”から携帯に連絡があった。

  もう一人の ”府議の先生”が、
  全国の候補者の支援をしていたところ、
  急きょ、明日一日だけ
  私に付きっきりでお手伝いしてくださる、
  そして、間もなく東京に到着すると。

よほど、私の準備状況が悲惨に思えたのであろう。
とにかく、私にとっては、本当にありがたいお話であった。


書類をすぐにでも作成する必要があった私は、
道すがら、必要な印鑑を購入し、いったん自宅に戻った。

先ほどの連絡があって3時間ほど経っただろうか。
”府議の先生”が池袋のホテルに到着されたということで、
池袋に呼び出された。

池袋駅前で ”責任者”、”府議の先生”そして、他の候補者と合流。
府議のお二方は、お酒をかっくらいながら
私の到着を待ってくださっていたようだ。
そして、昨日借りたばかりの事務所に、飲酒をしていない他の候補者の車で向かう。

車内で、現状を報告。
事務所内の備品の調達、選挙カーの装備、マイク等の準備、
そして選挙スタッフ集めがまるで出来てないことを。

府議のお二方は、今まで何をやっていたんだ、という表情。

『板橋区の人口は?』

「いや、資料だけは区役所でもらいましたが、
 まだ見てません。」

『そのくらい、調べとかなきゃ』

  そんなことは、言われなくても分かっていた。
  ただ、そんなこと調べているより、
  先にしなければならないことが山ほどあった。

私としては、頭の中で、やらねければならいことを
とりあえず優先順位をつけて十個ほど並べていた。
そして、一番目、二番目、三番目…と片付けていく。
これらの手順を知らず、でも
五番目、六番目が必要であることだけは知っている人からみると、
私は何もしていないように映ったのであろう。

人を思いやること、それは想像力。

こう、理屈っぽい反論をする気力も、勇気もなかった。

『候補は、HPも、ブログも、FaceBookも、Twitterも
 何もしてないんでしょ。
 それで、どうやって有権者に知ってもらうの?
 このままじゃ、供託金没収だよ。』

正論をぶつけながら、
大阪からの応援隊は、私をどんどん精神的に追いつめていく。

『ポスターの掲示板の数は?』

「495箇所です。」

さすがに、そのくらいは知っているか、
という表情をしながら、こう続けた。

『ポスター貼りの要員は?』

昨日、区役所で思い浮かんで以来だった。

「まだ、目途がついてません。」

「いいわけに聞こえるかもしれませんが、
 何も準備してこなかったわけではありません。」

こう、こたえるのが精いっぱいだった。

やる必要のあることをけしかけるだけでは支援にならない。
要は、言い方の問題。
言い方によっては、支援どころか、精神的においこむだけになってしまう。
こんなことも、分からないのか…


こう、理屈っぽい反論をする気力も、勇気もなかった。

見かねた ”府議の先生”が知人に連絡し、
選挙カーの装備を依頼してくださった。


事務所に到着した。

『いい場所、見つけたね。』

『広さも、ま~十分か。』

『んっ、病院の近くか… 大きな音出せないね。』

  さすがは、選挙のプロ。

と、同時に、
この時期に、こんないい場所を借りることができた理由が分かった。

”責任者”は、その事務所を写真に収めていた。

”府議の先生”とは、翌日、落ち合う時間と場所を決め、解散した。


午前12時ちょっと前に自宅に戻り、
書類作成のつづき。
完成したのが夜明け前。
と、いうより、書類の内容がよく分からないものもあったので、
とりあえず完成したと思ったのが夜明け前。

この後、選挙公報の原稿書きが残っていたが、
これは、有権者にアピールするのに重要な手段。
スッキリした頭で書きたかった。

  少しでも寝てから書こう。





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