おもろい話やで | 日記
先日、東京地方裁判所に行って、
自分で、行政訴訟を提起してきた。
つまり、弁護士にお願いせず、
自分一人で訴状を書いて、裁判を起こしたということ。

  なんで?

実は、私は、昨年7月の人事異動で、
大阪国税局に異動したのだが、
ポストが、統括国税調査官という役職。

このポスト、分かりやすくいうと、準課長といったところ。
ただ、調査官と名がつくように、本当の課長と違って、
現場に出ることも想定された役職である。

だから、私は、このポスト自体、嫌いではなかった。
というか、むしろお気に入りの仕事だった。

  じゃー、何が不満だったの?

それは、父親の介護を理由に、10年にわたり、
人事課には、在京勤務をお願いしてきたのだが、
一昨年末、父が亡くなったので、
全国どこにでもいきます、といったら、
大阪国税局に異動となった。

大阪という場所は、私の父が生まれた場所であり、
人はみんな明るくて親切で、私のお気に入りの場所でもあり、
本当によかったのだが、
自分が13年前に経験した統括官というポストに逆戻りに、
(このときのお仕事のお話しは、1/14と1/15のブログをご覧下さい。)
そして、自分が12年前に経験した課長というポストから、
事実上、降格扱いにされたことが不満なのである。

しかも、私の14年後輩が、東京国税局で、
私と同じ統括国税調査官というポストに就いているのである。

  お前、何かやらかしんたじゃねー?

そこが、問題なのである。
そう、誤解されるのであり、
実際、精神的におかしくなったと誤解されたこともあった。
これが、訴えた理由の一つめ。

たしかに、在京勤務というわがままをお願いしてきたのだが、
ただ、その間に実際にしてきた仕事は、決して楽なものではなかった。

遅くまで仕事をしていればいいというわけではないが、
延べにすると、二年以上は、23時以降まで仕事をしていたし、
タクシー帰りや徹夜勤務、そして早朝勤務も結構あった。

内容的にも、東京国税不服審判所では、審判官として、
半世紀以上にわたり財務省主税局、国税庁、そして厚生労働省が見過ごしてきた、
厚生労働省の局間で区々であった登録免許税の解釈について、
これを統一させるきっかけとなった議決も行ったりしてきた。

しかも、同じ部のどの審判官よりも多くの議決を行ってきた。

その前は、国税庁の国際支援室長として、
国税庁職員をJICA専門家として
技術協力のためベトナムに長期派遣させるべく、
予算の都合上、この派遣を固く拒んできた外務省とJICAを
説得することに尽力してきた。

これ、本当に、筆舌に尽くし難いほど大変で、時間もかかった。

そのまた前の、東京地方裁判所での仕事内容については、
自身の2/4付のブログをご覧いただきたい。

こうした私の実績を考慮したの?
というのが、訴えた理由の二つめ。

こうして一生懸命に仕事してきたのに、
同期は国税局の部長に昇任し、私は、事実上の降格。
これって、公平じゃないだろ、
というのが訴えた理由の三つめ。
ただ、いやらしいのは、法的には降格ではなく、転任というところ。

  うーん、10年も在京勤務にしてもらったんだから、
  仕方ないんじゃない?

そう、お考えになる方もおおぜいいらっしゃると思う。
それなら、それで、きちんと人事課から説明してもらいたかった。

”在京勤務という希望は叶えてあげるけど、その間の昇進は止まるよ。”
とか。

ただ、本当は、介護や育児を理由とした差別的な人事をしてほしくない、
特に、私の場合、休職とかしたわけではない。
これが、訴えた理由の四つめで、最大の理由である。

きれいごとを言えば、自分のためだけではなく、
育児や介護でご苦労される職員の方がますます増える世の中。
こうした職員の方々のためにも、訴えを起こしたのである。

ただ、お金がかかるので、訴状の書き方とかを自分で勉強して、
弁護士にお願いせず、訴えを起こしたのである。

まー、本人訴訟というのも、やってみたかったし。


私のようなど素人が訴状を提出したときの様子とかのお話しは、
また後日に。



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おもろい話やで | 日記
昨年の夏、大阪国税局に異動になって、いざ大阪へ。


新大阪駅を下りて、エスカレーターに乗ると、
右側が空いている。

  あれ、東京と同じ?

新幹線のホームだけが東京圏だった。

新幹線の改札を抜けると、そこは、しっかり大阪圏。
エスカレーターの左側が空いている。

  よし、よし、大阪だ。

が、私の期待は、早速裏切られる。

  あれ、みんなちゃんと並んでいるじゃん。

みなさん、きちんと整列して電車を待っていた。

  あれ?
  大阪では、並んでいるかいないか分からない列をつくって、
  電車が来たら、みんな、
  われ先にと車内になだれ込むって聞いてたけど…  

街中に出ても違法駐車が見当たらない。

  あれ?
  大阪では、二列、三列駐車は当たり前、
  交差点の真ん中にも駐車の車があるって聞いてたけど…

ヒョウ柄のおばちゃんもいない。

かなり昔の話だが、
大阪と東京の違いを面白おかしく紹介していたTV番組で、
次のような実験をしていた。

大阪と東京の街中で、机の上にティッシュペーパーの箱を山積みにし、
そこに、”ご自由にお持ちください”という張り紙をしておく。

東京では、道通る人がみんな警戒して、
眺めるもののなかなか取りにいかない。
山積みされた箱がなくなるまで30分。

大阪では、なくなるまで数秒。

もちろん、今は、そんな実験はしていない。

肉といったら、牛。
ポークカレーに、肉まん?
ビーフカレーに、豚まんやろ!

海苔といった、味付け海苔。
焼きのり?
味がぜんぜん、せーへんぞ!

私は、大阪勤務にビビッていた。
大阪弁をしゃべらないと、いじめられる。
大阪弁をマネしても、いじめられる。

話し始めたらオチをつけなければならない。

  これじゃ、何もしゃべれないじゃん…


こんな話を職場の仲間に話したら、怒られた。

『大阪を外国と勘違いしないといでください!
 そんなの、外国人が
 日本では、刀をさしたちょんまげ姿の人がまだ歩いていると勘違いしている、
 そんなレベルの偏見ですよ!』

その一方で、私が赴任して数か月が経ったにもかかわらず、
なかなか話にオチをつけられないでいると、
『もう、猶予期間がすぎてますよ。
 そろそろ、話にオチをつけてくれないと。』
と、言い寄られた。


そこで、私は、選挙に出るために退職をするという、
人生をかけたオチをつけた。



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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
先日、
選挙のとき、いろいろ手伝ってくださった方々をお招きし、
カラオケボックスで慰労会。

私は、公務員だったので、
公示日まで一週間を切っていたにもかかわらず、
当初は手伝っていただけそうな方がまるでおらず、
非常に困っていた、というか、発狂しそうだった。

しかし、知人の知人の知人というように、
日に日にだんだん人が集まりだし、
最終的には20人くらいの方に手伝っていただいた。

もう、本当に助かった。
みなさんに手伝っていただけなければ、
とてもではないが、私も選挙運動に専念できなかった。

そして、みなさんがいなければ、
知名度ゼロの私が、5万票近くもいただくことができなかった。

こうした感謝の気持ちを皆さんに少しでも早くお伝えしたかったのだが、
選挙の後は、
退職後の手続きや引っ越し、挨拶まわりなどで落ち着かなかったので、
2月に入ってようやく実現できた。

当日は、ちょうど10人にお集まりいただいた。
急な話にもかかわらず選挙を手伝ってくださった方々なので、
主婦、行政書士、アロマエステティシャン、DJ、就活中の大学生等々
本当に多彩な顔ぶれである。
ただ、共通していたのは、
私も含め、選挙についてはずぶの素人だったということ。

そして、私にとっては、かけがえのない大切な仲間。

が、しかし、である。
場所をカラオケボックスにしたものの、
誰一人として歌が好きな人がいなかった。
あのDJも、歌は唄わない。

これだけ人が集まれば、誰かは歌が好きな人がいるだろうと思い、
自分も歌は嫌いではなかったので、
個室で、落ち着いて話もできると思って
カラオケボックスにしたのだったが…

結局、二時間のうち、私が3~4曲歌っただけだった。
しかも、”長い夜”とか ”贈る言葉”とか、
三十年以上前の曲ばかり。

若い子は、頭がふさふさの松山千春さんを見てビックリ!


今度は、普通に居酒屋さんにしようと思う。



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新聞の読み方 | 日記
2013.02.25(Mon):外交・安保問題
民主党政権下で壊れた日米関係を修復する

これが、今回の安倍総理の訪米の大きな目標で、
そして、その目標はおおむね達成された、
と報じられている。

晩さん会もなく、
当初設定されていた首脳会談の時間も一時間足らずで、
共同声明を出す予定もなかった。

しかし、首脳会談の時間を、昼食会の時間も入れて一時間半とし、
安倍総理がジョークを交えるなどして昼食会の場を和ませることに努め、
オバマ大統領との関係というか、雰囲気をよくし、
ご存知のとおり、共同声明までにこぎつけた。

もちろん、目に見えない事務方の並々ならぬご苦労もあったのであろうが、
外交というのは、両国間の関係というようよりは、
人間関係によるところが大きいんだな、とつくづく感じた。

昨晩の ”Mr.サンデー”という番組でも紹介されていたので、
ご覧になられた方も多いと思うが、
オバマ大統領が、中国の最高指導者・習近平氏と会談した際は、
終始、習近平氏に顔を向け、
会談終了直後は、大統領のほうから握手を求めていた。

一方、先日の安倍総理との会談の際は、
大統領は、会談中、なかなか総理と目を合わせようとせず、
会談終了直後の握手も、記者から促されて、ようやく総理から求めていた。

これは、私の勝手な憶測だが、
大統領は、日本の指導者に対し不信感を抱いていたのではなかろうか。
大統領に就任してから初めて会った日本の指導者が、鳩山元総理。
普天間基地移設問題で、”トラスト、ミー”と言われ、
信じてみたら、問題が余計にこじれた。

2009年の国連総会では、
CO2を25%削減するという無責任な発言があるは、
その数週間後に、オバマ大統領が訪日してみたら、
太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議のためとはいえ、
鳩山元総理に先にシンガポールに行かれてしまい、
置いてきぼりにされた恰好になってしまうは、
これでは、日本の指導者に対する不信感が高まるのも無理はない。

例え、政権が民主党から自民党に変わったところで、
そこは、やはり人間。
人間が変われば、人間性も異なる、
ましてや政権が変われば、考え方も違う、
理屈ではそう分かっていたとしても、
過去の経験から、自然と警戒してしまったのではなかろうか。

安倍総理が、北方領土問題解決のため、
森元総理を特使としてロシアに派遣したのも、
元総理がプーチン大統領とファーストネームで呼び合う仲だからだ。

維新の会が、日本の総理は年間100日以上は外遊するようにと主張していたのも、
諸外国の指導者との良好な人間関係の構築を期待してのことだと思う。

が、同じ日本人どうしでさえ、
良好な人間関係を築くのは簡単なことではない。
ましてや、
文化や風習の異なる人たちとの人間関係を築くのは本当に大変である。
OECD(経済協力開発機構)に勤めていたころの自らの経験からしても、
そう思う。

だから、政治家には人間力が求められる。

選挙期間中の演説を騒音と感じるのか、
自ら足を運んでまで聴こうと思うのか、
しゃべる人の人間力によるのだろう。

自分の場合、選挙期間中の演説では、
罵声を浴びせかけられたり、励まされたり、握手を求められたり、
反応はいろいろ。

四十代も半ばが過ぎ、
今さら人間力を高めるのは容易なことでなはいが、
努めてはいきたい。



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マラソンのお話 | 日記
”スタート30秒前”

それまでの激しかった鼓動が急に鳴り止む。
  
  あれだけ練習したんだ、絶対結果は出る。

”10秒前、位置について”

そんな雑念さえもなくなる。

号砲が鳴った。

  おかしい、あれだけ練習したのに、急に体が重くなった。
  35キロ過ぎて予定のペースより遅くなった、
  きょうは3時間切れない、ダメだ。
  
  ん? 40キロ手前で急に体が軽くなった。
  もしかしたら3時間切れるかもしれない。
  ペースを上げて急ごう。

  あ~、3時間00分20秒、一キロにつき0.5秒じゃん。
  なんで、なんであそこでペース落としたんだ。
  なんであそこで踏ん張れなかったんだ…


”スタート30秒前”

それまでの激しかった鼓動が急に鳴り止む。

  あまり練習できなかったけど、それは自分の責任。
  この期におよんでなにもできやしない。
  なるようにしかならない。

”10秒前、位置について”

そんな雑念さえもなくなる。

号砲が鳴った。

  ん? 予想外に調子がいいぞ。
  3時間切れるかもしれない。

  35キロ過ぎて急に息苦しくなった、
  ペースを落とすか、落としたい。
  いや、ここで落としたら3時間切れない。
  ここでふんばれば夢の2時間台だ、
  こらえろ、イノ…

  よし、2時間58分!

3時間を切った者どうし、お互い見ず知らずのランナーなのに、
自然とそして淡々とした熱い握手が交わされる。


そして、”涙” が遠慮がちにこぼれた。



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新聞の読み方 | 日記
2013.02.23(Sat):経済・税金問題
今回は、19日の勉強会のお話しのつづき。
19日の勉強会で出されたご意見は、
税金に関するものだけではなかった。

まずは、日銀法改正関連のご意見。
奇しくも、同日の参議院予算委員会で、
舛添先生が、質問をされていた。

  日銀法によると、金融緩和や外債の購入は、
  日銀の権限でできることになっている。
  一方、為替操作は、いまだに国のほうに権限がある。
  しかし、金融緩和や外債の購入で円安に動くのは自明の理。
  こうした時代遅れの部分は、早急に改正すべきだ。

こんなことを主張されていたと思う。

ただ、勉強会の折に出されたご意見は、こんな専門的なものではなかった。
が、もっと本質をついたもの。

それは、日銀の権限にせよ、国の権限にせよ、どっちでもいいから、
責任の所在が明確になるような法改正をしてほしい、とのご意見。

常識的には、権限あるところに責任があるはず。

しかし、今の法律だと、
権限の所在は、国とか日銀とか、ざっくりとした感じに書かれているので、
責任の所在もざっくりとした感じになってしまう。
つまり、責任の所在があいまいなのだ。

日銀法に限らない、本質をつかれたご意見である。
まさに、目からウロコ。

役人に言わせしめると、法技術的な問題があるのかもしれないが、
責任の所在が明確になるような法改正というのは、是非、実現させたい。


次のご意見は、アベノミクスに関連するもの。
もはや、税金の勉強会ではなくなっている。

今、マスメディアで注目されているのは、
企業の業績がよくなっても、それが賃上げにつながるかどうか。

しかし、賃上げが実現したとしても、
それが消費につながるかも問題。
私も、1/7付けと1/22付けの自身のグログでも繰り返し述べてきたし、
この問題も、同日の参議院予算委員会で舛添先生が指摘していた。

聴講者のお一人がおっしゃっていたのは、次のようなこと。

  年金生活者ともなると、消費うんぬんよりも前に、
  医療費などがかかる。
  高齢になってもお金のかからない社会にしてもらわないと、
  消費なんかしている余裕はない、とのご意見。

たしかに、現在巷でなされている議論は、健康体を前提したもの。

介護などでご苦労されたことのない政治家は、
年金生活者のことまで考えられないというか、実態を知らないのであろう。

舛添先生ご自身はお母様の介護でご苦労されたことがあるので、
賃上げが消費につながるのかという問題意識をもたれ、
先のような質問をされたのであろう。
ご本人も、質疑中、介護でご苦労されたことに言及されていた。

逆に、子育てでご苦労された政治家が多いためか、
みなさん、幼児教育や授業料などの無償化には熱心である。


最後は、10年~20年先を見据えた国家観、国家像が語られていないというご指摘。
特に、超少子高齢化を迎える将来において、
日本が進むべき道がよく分からないということ。

昔は、田中角栄の列島改造論とか、
何か年計画とかいうものがいくつもあった。
たしかに、現在は、
時代の変化のスピードが早く、専門化も進み、先が見えにくい世の中で、
目先の問題とはいえ、解決しなければならない重要な問題もたくさんある。

ただ、思うに、目先の重要な問題は、衆議院に任せておいて、
参議院に長期的な視野にたった国政を任せればいい。
解散がなく、6年任期の参議院には、
本来、そのような役割を期待されているのだから。


本当に、目からウロコが落ちた勉強会だった。



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新聞の読み方 | 日記
2013.02.22(Fri):憲法・法律問題
明石歩道橋事件で、強制起訴された元副署長が免訴


事実上の無罪ということで、検察審査会制度のあり方を見直すべき、
といった論調が新聞紙上で目立つ。

そもそも、起訴をするかどうか、
つまり、被疑者をわざわざ裁判にまでかけて刑罰を科す必要があるのか、
それを決める権限は検察官だけがもっている。

ただ、検察官も人間。
検察官は起訴しないと決めたけど、
こんなやつ、ほっとくのやばくねー?
と、検察官の判断の当否を審査するのが検察審査会。
検察審査会は、一般市民から無作為に選ばれた者から構成される。

この検察審査会が二回、
検察官が起訴をしないとした判断がおかしいと決めたなら、
被疑者は強制的に起訴される。つまり、裁判となる。

最近、強制起訴されても、結局、無罪となることが多いから、
この強制起訴制度、おかしんじゃねー
というのが、この制度や検察審査会の見直しを求める根拠。

しかし、それなら、最初から、
検察審査会のメンバーを法学者や弁護士などの専門家だけにすればいい話。
そうではなくて、一般市民で構成されているということは、
起訴をすべきかどうかの判断も、裁判員制度と同様、
一般人目線でやってみようという目的でもあるはず。

そこで、今回の判決をみてみる。

元副署長(以後、元は省略)を免訴(事実上の無罪)とした理由は次のとおり。

副署長には現場の統括指揮権がなかった。
現場の警官から、規制が必要である旨の報告がなかった。
副署長は、モニターなどで歩道橋内の混雑状況を直接認識できなかった。

だから、副署長は、今回のように死傷者が出ることを予見することはできなかった。
したがって、副署長に過失なし。
よって、既に有罪が確定している部下との共犯が成立しないのは言わずもがな。
共犯が成立しないので、
副署長は、時効も中断していなかったことになるので、公訴時効が完成。
だから、免訴、
ということである。

これ、管理者はある程度部下を信頼してもいいという
”信頼の原則”といわれる刑法の常識に基づくもの。

ただ、副署長に現場指揮権がないって、おかしくねー
現場警官の報告をきちんと確認しようとしなかったのっておかしくねー
自分で現場の混雑状況を見ようとなかったのっておかしくねー
信頼の原則というのが、ゆるゆるでねー

と、いったところが一般人目線なのではなかろうか?

もっと、分かりやすいのは、
部下が刑事責任を負いながら、管理者が責任を負わないって、逆じゃねー

ほとんどの新聞紙上の論調は、今の刑法の常識を前提としたものだが、
今の社会常識からすると、刑法の常識ほうがおかしんじゃねー
と問いかけることができるという意味で、
今の強制起訴制度や検察審査会には意義があると思う。

ただ、この副署長、
強制起訴された時点で再就職先を退職せざるを得なくなったという社会的制裁を既に受け、
本人も道義的責任を感じているということ。


以上、大腸の内視鏡検査のため、
3時間かけて下剤を飲み続けている間に
新聞を読んで思ったことである。

ちなみに、検査結果は異常なし。

命は、多少お金をかけてでも大切にしたい。



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新聞の読み方 | 日記
2013.02.21(Thu):経済・税金問題
勉強会でお勉強

これ、当たり前だのクラッカーのようだが
(すみません、一定の年代以上の方にしか分からないギャグでした)、
19日の夜、板橋フォーラムという団体が開催している勉強会で、
講師を務めさせていただいたものの、
聴講された方々から、いろいろなご意見・ご助言をちょうだいし、
私のほうが、逆に勉強をさせていただいた、ということである。

ちなみに、板橋フォーラムというのは、
板橋区などがかかえている様々な地域の課題を、行政ばかりに任せず、
区民ら自らが取り組んでいこうという目的で、
平成14年に設立された団体である。

そのためには、自分たちも色々なことを勉強する必要があるということで、
月一回のペースで ”地域政策勉強会”が開かれており、
先日、第70回という節目のときに、元国税職員だった私が
僭越ながら、講師としてお呼ばれされたというわけである。

『目からウロコ! イチからわかる税金と税の仕組み』というテーマで
70~80分ほどお話しをさせていただいた後、
30分ほど質疑応答を含め意見交換をさせていただいたのだが、
そこでいただいたご意見が、私にとって ”目からウロコ”だったのである。

まず、納税者自らが申告をして税金を納めるという建前がとらているわりには、
税の仕組みがよく分からないというご意見。

もちろん、国税当局もHP、説明会、税務相談、広報活動等々
いろいろ実施しているのだが、二つの意味で限界がある。

その方によると、
本当はもっといろいろ控除(収入から差し引くこと)ができたはずなのに、
自分が税務署に行って申告書を提出したときには教えてくれなかったということ。

たしかに、私自身も先日、確定申告をしてきたばかりだが、
申告書の提出という前提で税務署に行くと、機械的に受け取ってもらうだけ。
そこで、申告書に書かれていることが正しいのかどうかの確認はしてもらえない。

そこでも確認をしていると、時間がかかってしまう。
税務職員が無尽蔵にいれば、それも可能かもしれないが、
特に、職員の数が減らされている昨今、物理的に不可能である。

この物理的限界が、一つめの限界。

これを受けて、別の聴講された方から、
納税者のほうも、もっと積極的に自分で勉強したり、
税務署に相談にいったり、あるいは、
金銭的余裕があれば、税理士先生に相談するなど
もっと自助努力すべきだという意見も出された。

ただ、この勉強会で私自身がまさに体験したのは、
自分では分かりやすく説明しているつもりでも、
税金には専門用語が多く、複雑な仕組みがとれているので、
多くの方には、容易には理解していただきにくいということ。

国税庁・国税局のHPなどでも、いろいろな税金の説明をしており、
もちろん、思いっきり分かりやすく説明しているつもりである。
しかし、前提知識がなく、
課税所得、所得控除、税額控除、申告分離、源泉分離といった
専門用語に精通していない方がお読みになっても、
本当にすぐに理解できるかというと、疑問である。

つまり、文書による説明には限界がある。
税務職員や税理士先生による直接の説明も時間がかかる。
この専門性が、二つめの限界。

納税者の自助努力といっても限界があり、
そこを税務当局がいかにして補っていくのかが課題といったところか。

以上は、国税職員といっても、納税者から比較的遠いところで働いていた自分にとっては、
まことに恥ずかしながら、目からウロコが落ちるお話であった。


また、源泉徴収だけですむサラーリマンが多い中、
サラリーマンにももっと税の仕組みを知ってもらい、
ひいては、税金の使い道にもっと関心をもってもらうようにすべきではないか、
というご意見もあった。

そのためには、
サラリーマンにも年末調整くらいはしてもらってもいいのかもしれない。
と、いうのも税収百円当たりの徴税コストが1円台と低いとされているが、
これは、給与を支払う会社などに
源泉徴収をしてもらっていることによるところが大きいからである。
企業コストを下げるためにも、
その分を納税者と税務当局に負担してもらってもいいのかもしれない。

ただ、私の歯切れが悪いのは、
今の職員数で、これ以上大幅に増える申告に対応できるかというと、
現実的に無理に近いという現実を知っているからである。
税理士先生にとっても、いい商売にはならないだろうとおっしゃる方もいる。


これらの話以外も、勉強会ではいろいろなご意見が出されたのだが、
それらのご紹介は、また後日にさせていただきたい。




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おもろい話やで | 日記
当時の大蔵省主税局調査課での私の仕事は、
一言でいうと、外国の税の仕組みの調査。

日本に新しい税の制度を採り入れようとする場合、
外国での税制はどうなっているのか、ということを調査すること。
だから、同じ主税局内の他課からの調査依頼が基本だったが、
時には、外部の有識者などからの問い合わせもあった。

ある日、電話で、ある大学の教授から、
諸外国の付加価値税の税率を問われた。
(日本の消費税に当たるものなので、
以後、あえて ”消費税”といいます。)

  学者なら、そんなことくらい自分で調べろよな、

と、思いつつも税率を伝える。

すると、その日の夜のニュース番組に、その教授が出演。
あたかも自分が調べたように、立派なフリップで
諸外国の消費税の税率を紹介していた。


他には、政府税制調査会などに提出される資料づくり。
もちろん、ゼロから作成することもあるが、
既に作成したものを最新の情報に更新するだけのことも多かった。
ただ、公表されたら、先ほどの教授ではないが、
いろいろなところで使用されることが多いので、
慎重を期す必要がある。

税制調査会の資料ではなかったが、あるとき、
諸外国の消費税の資料について、
最新のものになっているか、チェックをする必要があった。
そこには、諸外国の標準税率だけではなく、軽減税率も載っていた。

そして、スイスのところに軽減税率が書いてなかったので、
軽減税率が載っていないことを指摘すると、
私の直接の上司ではないところから怒られた。

スイスの消費税率は、今も8%と、一桁で、
軽減税率は、もちろん、それより低いのだが、
標準税率が一桁でも軽減税率が存在する国があるということを
公表してはならないということであった。

つまり、そんなことを公表すると、
日本の消費税率は一桁だから軽減税率を導入しない、
そうした理由付けが説得力をもたなくなるから、
ということであった。

当時もネットが普及し始めてはいたが、
情報化社会の現在、
役所が隠したところでどにもならないためか、
現在は、スイスの消費税にも軽減税率があることは公表されている。


他に、国会答弁の案をつくるということもしていた。

役所の部屋では、
国会の委員会での様子を中継した映像が流れている。
ある日、私が答弁案を作成した部分の質疑が淡々と行われていた。
が、質問と答弁がかみ合っていない場面が。

調査課の部屋が、一瞬、静かにざわつく。
課長が、お前何を書いたんだ、という表情で私のほうを睨みつける。

「質問がとんだので、答弁の読むところが違っちゃったんです。」

『そうか。』

その後、すぐに部屋の様子は元に戻り、
委員会においては、
何ごともなかったかのように質疑の応酬が繰り広げられていた。


国会は、立法府とはいわれているが、
成立する法案の大部分が内閣が提出したものであるから、
実質的には通法府といえる。
法案を通すのか通さないのか、いつ通すのか、ということについて、
与野党の重鎮の先生方が真顔で話会う。

呵呵大笑

立法できないのであれば、せめて、
国会で大所高所の議論を自分のことばでしてもらいたい。
そして、決まったことを政策として実行してもらいたい。

国会で質問すること自体があたかも重要だと勘違いし、
その質問数が多いということを自慢している政治家もいる。
今でこそ、政治家が自らのことばで答弁することも多くなったが、
質問も答弁も書いてあることを棒読みするような出来レースを
国会でやるのであれば、
それこそ税金の無駄使いである。

ちなみに、私は、衆議院調査局に勤めていたとき、
何度か、当時の野党の先生方の質問案のほうを作成したこともある。


と、いろいろ批判めいたことを述べてきたが、
外から無責任に批判ばかりしたくなかったこともあり、
昨年12月の衆院選で立候補したわけだったのだが…




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新聞の読み方 | 日記
2013.02.19(Tue):経済・税金問題
最近、国会で予算委員会をやっていたので、
NHKのTV中継を視ていた。
政府と日銀との関係や外債購入とかの話も議論されていたが、
つまらない質問が多かったので、すぐにチャンネルを変えたりしていた。

私が視ていた範囲では、政府・自民党の勝ち。

例えば、昨日の参議院予算委員会での
民主党議員の質問とその答弁

『アベノミクスじゃなくて、アベノマジックではないか。』
→ ”民主党政権のときは結果が出ていなかった”

『金融緩和は円安誘導ではないか。』
→ ”あくまでデフレ脱却のためである。”

『日銀の国債買取りで利子は下がっているのか。』
→ ”下がっている”

どれも、思い付きというか、新聞やTVをみていれば、
誰でもできそうな質問。

その一方、ある自民党議員の質問

『日航株を上場前に有利な価格で外国人に発行。
 事実上のインサイダー取引ではないか。
 
 しかも、経営破たんした日航は、
 税金を投入してもらってまで救済してもらったのに、
 過去に大きな赤字が出ていたため、それと相殺され、
 利益が出ている今でも法人税を払っていない。
 
 しかも、3割以上の保有比率をもっている外国人投資家には
 しっかり配当を支払っている。
 
 国民の税金を使って救ったのに、法人税も納められず、
 その一方で、外国人には巨額の配当が支払われている。

 どれも合法なのかもしれないが、なんか、おかしくないか。』

→ ”感覚的にはおかしいとは思うが、
  おっしゃったことが確認できていないので、
  答弁は差し控えたい。”

結局、予算委員会の委員の中でも、重鎮の委員だけからなる
理事会というところがあずかることとなった。

長銀の経営破たん・新生銀行問題でも同じようなことが指摘されていたが、
日常生活に追われているわれわれが(すみません、私は追われていません)
なかなか把握できない、こうした専門的で、かつ重要な質問をしていただきたい。

本来、野党議員が追及する質問である。


外交面でも、自民党と民主党との差がみられた。

先日閉幕したG20では、ご存知のとおり、
アベノミクスの金融緩和策が円安誘導でないかと批判されるのでは、
との下馬評であった。

特に、ドイツが日本の為替 ”操作”を非難するよう呼びかけていたらしい。
そこで、麻生財務相は、会議前にドイツの財務相と会い、
20分かけて理解を求めたということ。

これだけではなかったと思うのだが、こうした根回しが功を奏したこともあり、
結果、日本が名指して非難されることはなかった。

夏季五輪実施競技除外問題で、
IOC会長らへのロビー活動によりテコンドーが除外候補からはずれ、
一方、協会が、のん気にかまえ、情報収集さえ怠っていたため、
レスリングは除外候補に。
こうしたことからも、根回しの重要性がうかがえる。

かたや、民主党、当時の総理大臣が、国連総会で、
無責任にCO2の25%削減を表明する。

こうした一例だけをとらまえて結論づけるのは危険だが、
外交においても、やはり自民党のほうが一日の長がありそうである。



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おもろい話やで | 日記
みんな夜遅くまでというか、
朝早くまで一生懸命働いていたというのは間違いない。

そして、昼間は、与党や政府の税制調査会があったり、
議員さんに呼ばれたりするので、
じっくり仕事ができるのは、夜になってから、
ということが多かった、というのも確かである。


ただ、効率的だったか、といわれれば疑問である。

念のために調べて準備をしておくという仕事が多かった。
もちろん、議員さんや税制調査会の委員の先生方から聞かれたら
すぐに答えられるように、ということではあるが、
実際に聞かれるというか、活かされる確率と
準備する時間や労力とからすると、
費用対効果は非常に悪かったと思う。

聞かれて分からなければ、すぐに調べておきますといっておいて、
そこで初めて調べればいいのに、とよく思った。
おそらく、みんな、プライドが許さなかったのだろう。

また、効率的・能率的に仕事をするという概念が
みんなの頭の中には、まったくなかったんだと思う。
と、いうか、効率性とかは公務に不要と信じきっていた。
仕事をしていること自体に満足をしている、という感じもあった。

その結果、毎晩、タクシーチケットが大量に使われていたのだから、
相当の税金の無駄つかいがあったはずである。

一年間のコピー代も、主税局だけで、
家が一軒建っちゃうほどかかった、ときいたことがある。
これは、みんな、責任を一人で負いたくないので、
とりあえず、他のみんなにも情報を共有してもらうためである。
ただ、当時は、ようやくメールが普及し始めた時代だったので、
今は、さすがにそんなにかかってはいないと思う。

こういうところは、会計検査院の指摘はなかった。
もちろん、周りのみんなにも、そんな意識はなさげであった。

だから、公務員も民間に出向して、
効率性や能率性といったものを学ぶ必要がある。
なんといてっても、税金で仕事をしているのだから。

あと、夜に、課長補佐同士がよく話をしていた。
ただ、これは一概に時間の無駄とはいえない。
自分一人で考えていては、いいアイデアは出ず、
独りよがりで終わることもあるからである。

みなさん学歴はあるのに、である。

東大出身者が多い、というばかりではない。
法学部主席、経済学部主席が私と肩を並べて座っていた。
司法試験合格者も珍しくなかった。

いわゆるノンキャリの方でも、
税務大学校における研修で優秀な成績を収め、
金時計をもらったような方ばかりであった。

だから、みなさん、仕事をおぼえるのが無茶苦茶早い。


ただ、思考のベクトルは、
減税はダメ、
これ一点だけだったという点では単純であり、
かつ、つらかった。

仕事内容としては、
政治家、税制調査会の委員、学者などの有識者、
金融機関、マスコミ関係者等々外部の人の減税案を
いかに理屈をつけて一蹴するか、
これが多かった。

これが、自分の考えていることと真逆だった場合、
大げさにいえばアイデンティティの崩壊、
自己実現というのは全くなくなる。

また、どんなに些細なことでも逐一上司に報告し、
了承をもらわなければ何もできなかった。

”組織の歯車”

皮肉にも、制度設計を担当するはずの役所であるここで
唯一実感したことであった。

だから、
夜遅くまで仕事をするという意味で肉体的にもつらかったが、
精神的にもつらかった。

天下国家を語る、というふうでは全然なかった。


みんな人間的にはどうなの?
という場面もあった。

まず、入省してきたばかりの若手官僚。
自分の気に入った仕事しかしようとしない。
自分に気に食わないことがあると、すぐふくれっ面になる。
一言でいうと、子どもなのである。

おそらく、
思う存分勉強できる環境にあったことにありがたみも感じず、
自分の意に沿わないことはなく、育ってきたからであろう。

また、正しいことさえ言えばいい、と思っている者も多く、
相手の感情とか気持ち、そういうことは考えられない。

東大合格者の家庭の平均年収は1,000万円近くで、
全国の平均年収の2倍以上である。
こうした家庭で育った者がふつうの人の感覚を持て、というほうが無理か…

ただ、これが課長補佐クラスになると違ってくる。
主税局は出世コースといわれるだけあって、
人格的にも立派な方が多くなる。

しかし、他の部局では、
非常に感情的で、子どもがそのまま大きくなっちゃった、
という人格的にも疑問がある官僚も中にはいた。


私の母方の祖父が亡くなったのは、大蔵省に勤務していたときだった。
この時、周りの職員から
”ご愁傷さま”
という言葉を一言もかけていただけなかった。

唯一、みんなの休暇を管理していた庶務担当の職員の方から
『猪野さん、忌引きよね?』
と言われただけだった。

と、いうか、おそらく、私が祖父の葬儀参列のため休んだときは、
周りのみんなは、なんで私が休んだのかとか、あるいは、
私が休んだことさえも気にしていなかったと思う。

ただ、この数年後、母が亡くなったとき、
このときお世話になった直属の上司だった方は、お忙しいなか、
葬儀場まで、お線香をあげに来てくださった。


朝の挨拶にしても、みんな疲れいてるせいか、
誰も返事してくれなかった。
大学の陸上部時代、部員同士が挨拶することは当然、
というか、声が小さいと注意されるという社会にいた私にとって、
挨拶をしても何ら返事がないというのは、
かなりのカルチャーショックだった。

私は、二週間続けて挨拶をしても、返事がない場合は、
自分も挨拶するのを止めることにしている。
朝から、あまりに、空しくなるからである。

実は、朝の挨拶をしても返事がないというのは、ここだけではなかった。
国税庁と各国税局の職員の方は、みなさん挨拶をきちんとしてくださった。
おそらく、税務大学校でしっかり教育を受けているからであろう。

が、東京国税不服審判所、東京地方裁判所、衆議院調査局では、
中には返事をしてくれない人もいた。
つまり、個人個人の資質によって返事の有無が決まっていたのである。
だから、私のほうはというと、返事をしてくれる方だけに挨拶をしていた。


逆のパターンもあった。OECDに勤めていたときである。
そこでは、個室が原則だったので、一人一人に声をかけるのは無理。
そこで、私は、当初、当時の課長だけには部屋に行って、
朝の挨拶をしていた。

が、数か月がたったころ、朝の挨拶を忘れてしまったら、
課長のほうから、私の部屋に来て、
挨拶をしてもらってしまったことがあった。
日本の職場ではあり得ないことである。


大蔵省でのお仕事から話がそれてしまったが、
次回は、もう少し具体的な仕事内容を紹介させていただきたい。



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私は、現在の財務省、当時の大蔵省で二年間、
主税局というところで勤めていたことがある。

当時は、住専問題が盛り上がっていた時代で、
毎日のように街宣車がやってきては、
スピーカーの音量マックスで何か怒鳴っていた。
だから、電話をとっても、よく聞こえないという状況だった。

電話といえば、消費税率が3%から5%に引き上げられた日、
苦情の電話が鳴り響く。
税制二課という、消費税担当の課の電話では間に合わなく、
私のいた調査課まで電話が回ってくるような状態だった。

また、ノーパンしゃぶしゃぶなど大蔵パッシングが流行った時期でもあった。
当時は発覚していなかったが、居酒屋タクシーがあったのも、この頃である。
そのためか、私の一つ先輩で若手税務署長というのが終了し、
結局、私は退職するまで、署長はもちろんのこと、税務署勤務さえ経験しなかった。
もちろん、ノーパンしゃぶしゃぶも、居酒屋タクシーも。


当時の大蔵省は、いろいろたたかれたが、
みんな一生懸命働いていたのは確かである。

とにかく、知的体力がすごい。
私は、外国の税制を調査するという仕事をしていたが、
夜中の12時に他の課から調査依頼がきたり、
局長から、翌朝の答弁のための調査を命ぜられる。
しかも、当然という感じで。
夜中の1時台に帰宅できる日はマシという感覚になる。

帰りは、自宅が同じ方面の職員とタクシーで帰宅。
なお、先ほど申し上げたように、
運転手さんからビールやつまみを出されたことは一度もない。

たまに、過労死された方の残業時間が新聞に載ることがあるが、
当時の残業時間のほうが多かったということはよくある。
ちなみに、残業手当は、実労働時間の半分ももらえたかどうか、
というくらいであった。

あるTV番組で、ダウンタウンのお二人が年収のことを聞かれ、
当然正確な数値は口に出さなかったものの、
相当もっらている旨の発言をすると、観客席から、
  え~
と羨望の声が上がる。

そうすると、松本人志さんのほうだったと思う。
『お前ら、こっちは寝ずに働いとるんじゃい!』
と、観客に向かって叫んでいた。

  同じように働いて、むこうは収入が100倍か…

当時は、誰でもできる役人仕事と、
芸能界やプロスポーツ界といった技を披露するという仕事と
その違いをよく理解していなかった。

高収入でも、弁護士なら、TVに出演するだけの余裕があるのだから、
羨ましい。
ただ、現在は、弁護士も増え、厳しい時代にはなっている。


よく、外の友人らからは、午前中は新聞を読んだりのんびりして、
午後から本格的に仕事を始めるんでしょ、といわれたが、
そんなことはない。
確かに、朝は午前9時台出勤と遅目ではあるが、
朝一番からフル稼働である。
昼休みも食事をとるだけで、夕食も出前を机上で食べるという状態だった。

朝ごはんだけは、自宅で母がつくってくれたものをしっかり食べたが、
毎朝寝不足状態で、無表情で機械的に食べていたので、
そんな私の様子を見ていた母がどう思っていたかを考えると、
今さらながら、心が痛くなる。

それまで、一番遅くにお風呂に入っていた母が、
毎晩、風呂掃除をしていたのだが、
私が、深夜というか、早朝に帰宅してからお風呂に入るようになり、
初めて、母から風呂掃除の仕方を教わった。

そして、現在、私は、母から教わったとおり、風呂掃除をしている。


ただ、当時、効率的な仕事をしていたかという、そうとも言いきれない。
つづきは、後日に。




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首都メキシコシティ

上空から見ると、どこか東京に似ている。

一つは、広いということ。
ヨーロッパの都市は狭い。
電車で20分もすると景色は緑色に変化するが、
メキシコシティは、ビルの色の面積がやけに広い。
人口も800万~900万と、東京の1,000万に近い大都市だ。

そして、霞んでいること。
おそらく、公害によるものである。
東京の場合、排ガス規制などが厳しく、
世界のどの大都市よりは空気がきれいだと思う。
ヨーロッパの都市の空気はくさいが、
それよりも車の台数が多い東京のほうがにおわない。

しかし、東京の上空は霞んでいるというイメージがある。


そして、メキシコシティ国際空港に降りる。

荷物を受け取る所では、隅で小さな火の手が上がっている。
が、何のサイレンも放送もない。
周りも慌てたふうではなく、
空港職員がすぐにかけつけて来るというわけでもない。
私のような観光客(私はあくまで出張です)が、
こんなんでいいのか、という表情でいる程度。

私も荷物を受け取ると、その場をゆっくりと立ち去る。
その後どうなったか知らない。
しかし、空港が火事になったというニュースは聞かなかったので、
大事には至らなかったのだろう。


街に出るとコンビニが目立つ。
ヨーロッパでは見ない、でも利用したかった施設。
何か、懐かしかった。

夜は夜で、ホテルの外で銃声が鳴り響いていた。

メキシコシティには、日本人の知人が、女性一人と男性一人とがいた。
女性の知人とは、彼女の運転する車で高級なメキシコ料理店に行くことに。
車が信号で止まろうものならば、ストリートチルドレンが車を囲む。
中には、2~3人で曲芸を始める子どもも。
これも、ヨーロッパでは見られなかった光景だ。

ある子どもが勝手に車の窓を拭こうとすると、
彼女は手で追い払うような仕草をする。
お金をやると、きりがないという。
ちなみに、彼女はユニセフに勤めていた。


料理も食べ終わり、お会計を済ませ、店を出ようとする。
すると、彼女が私を引っ張って
『ちょっと、猪野君!』
と、いう。

一瞬、ブダペストの彼女のように、自宅に誘われるのかと思いきや、
声のトーンが少し穏やかでない。
『レディーファーストよ!』

後ろを振り向くと、確かに他のお客さんが私をにらんでいる。

女性を最初にお店から出さなければならない、
そんなことを指摘されたのは、これが最初で、おそらく最後であろう。
でも、気を付けたい。


男性知人には、自宅に招かれ、奥様が手料理でふるまってくださった。
魚を丸ごと一匹調理した豪勢なお料理。
おもてなしの気持ちが十二分に伝わってきた。

奥様はフィリピンの方で、日本語が話せないこともあり、
われわれの会話には入らず、別室に。
英語でも会話はできたはずだから、多分気を遣ってくださったのだろう。
彼を通じて、この感謝の気持ちは伝わったとは思うのだが。

テレビでは、日本のアニメ ”キャプテン翼”が放映されていた。
登場人物の名前はヒスパニック系で、
彼らがしゃべる言葉はもちろんスペイン語だが、
”南葛中”という文字もみえる。
現地の子どもたちは、この文字をどう思ってみているのだろうか?
おそらく、意識さえしていないか…

そういえば、当時から、
たくさんの日本のアニメがフランスでも放映されていた。
”セーラームーン”や ”ドラゴンボール”など、
これらの登場人物の髪の毛が金色だったり、赤かったり、緑色だったりと、
カラフルだったのに改めて気がついた。
だから、当時のフランスの子どもたちは、
どれだけ日本のアニメと気がついていたか。

当時は、ディズニーアニメの ”ライオンキング”が世界中で流行っていたので、
フランスでも、あの手塚治虫大先生原作のアニメ ”ジャングル大帝”も放映されていた。
もちろん、レオもフランス語でしゃべる。

私は、OECD職員をはじめ周りの外人に、
”ジャングル大帝”が先で、”ライオンキング”が後からできたんだ、
とよく言ってまわっていた。
そんなものは見てない、という反応が一番多かったが、
中には、案の定、”ジャングル大帝”は、”ライオンキング”のパクリだ
と勘違いしている輩もいた。
だから、私は、手塚大先生の名誉のためにも一生懸命だった。


話が完全にメキシコからずれてしまったが、
メキシコといえばプロレス。

父親の影響で小学生のころからプロレスを見ていた私は、
ここメキシコシティでも、プロレスを見ることに。
(私がプロレスをみるようになったきっかけは、1/29付のブログをご参照)

会場につくも、試合開始まで一時間以上ある。
わら半紙でできた今にもちぎれそうな指定席券を購入する。

そして、一時間が経ち、会場に。
私の席は、すでに他の誰かが座っていた。
というより、じっと座っている者は少なく、
もはやどこが誰の席という感じではなかった。

さすがは、メキシコ、
ほとんどがミスマスカラスのような覆面レスラーで、
飛んだり跳ねたりする。
これをルチャリブレという。

メインは、ベルトがかかっていることもあり、真剣勝負にみえたが、
それ以外の試合は、明らかにショーだった。

試合後のファンサービスもすごい。
試合が終わるたびに、
子どもたちがレスラーのところにかけよりサインを求める。
そして、レスラーも丁寧にこたえ、サインをする。
日本と比べ観客数が少ないので、できることなのかもしれない。

いつくかの試合をみていて、気がついたことが一つ。
悪役レスラーには、シカゴOOOといったように、
アメリカを連想させるリングネームが多く、
善玉レスラーには、リンゴOOOといった、
日本などを連想させるものが多かった。

あの男性知人によると、彼自身はプロレスには興味なかったのだが、
政治的にはメキシコはアメリカ合衆国にベッタリではあるものの、
庶民は、アメリカ合衆国のことが大嫌いらしい。
19世紀、カリフォルニア、ネバタ、ユタ、テキサスなど国土の大半を
アメリカ合衆国に奪われた歴史があるからだ、ということ。
日韓、日中、英仏など近隣諸国どうし仲が悪いのは、どこも同じか…


すみません。
たしかに私は、出張で訪れていました。




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ハンガリーの首都ブダペスト。

ここでの仕事上の強烈な思い出はない。

聴講していた方から、
日本人というだけで柔術の達人と思われたことくらい。

それは、パリでも日本人というだけで
柔道が強いと思われたことと似ている。

上智大学の陸上部には、時おり、外国人も入部することがある。
他大学のように長距離種目ではなく、
短距離種目にアフリカ系の学生が入部したことがあった。
日本人と比べればがたいもよく、
対抗戦の相手大学もビビッていた。
が、彼、実は遅かった。

どちらとも、一種の偏見か。


ブダペストのエスカレーターは日本のと比べ異常に速い。
そういえば、小学校1,2年生のとき、
デパートで、下りのエスカレーターがこわくて乗れなく、泣いていた。
父は、私を甘やかさないつもりで、ほったらかし。
母は、その場にいなかったと思う。

そこに、突如、見知らぬご婦人がやってきて、
『おばちゃんも、こわいのよね。』
と、おっしゃって、私を抱っこし、
”いっしょに”エスカレーターを下りてくださったことを思い出した。


また、ハンガリーは、日本と同じように温泉大国であり、
私も、ブダペストで温泉に入った。
と、いっても、水着着用。
浴場というよりも、温水プールに入っているような感じであった。
中で、垢すりマッサージも受ける。


といった、つまらない話より、
みなさんが思わず興味を持ってしまうようなお話しを一つ。

このブダペストには、知人が暮らしていた。
その知人は、当時二十代の日本人女性で独身、彼氏なし。

出張でブダペストに行くことが決まり、
現地で久しぶりに会おうと彼女に連絡。

そして、とある日曜日、ブダペストでお茶を飲んだあと、
まだ日は落ちていない時間だったので、これからどうしようかという話に。

すると、彼女のほうから

『家に来ない?』

と誘われる。
考えもしなかった。
彼女とは完全に友達関係にあったからだ。

私は一瞬迷うも、
彼女から誘ったからまーいいか、
くらいの感覚で彼女の家におじゃまする。
もちろん、彼女は一人暮らし。

やはり、こういう時、勘が働くのだろう。
日本にいる彼女のお母様から電話があった。

彼女は口に人差し指をあて、
私も息をひそめる。

だんだん、彼女が女性であることに気がつきはじめる。

限界は、トイレを借りたとき。
トイレの横に洗濯機があったのだが、
そこに使用済みの女性用の下着が山積みに…

これは、絶対にオオカミになってしまう。

そこで、明日早朝ジョギングをしなければならないからといって、
ハンガリー語のできない私は、タクシーを呼んでもらうことに。

間違いをおこして彼女との友達関係を壊したくなかったし、
出張できていたのに講義の時間に遅刻したり、
寝不足状態をみんなの前で披露することはできなかった。

本当です。



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イメージギャップはこわい。

イメージのいい人は損をする。
イメージと異なることをすると、感じの悪い人になる。

イメージの悪い人は得だ。
イメージと異なることをすると、感じのいい人になる。

何年も前の話だが、あるTV番組で、
強面の芸能人が子犬を抱っこしたという話をしただけで、
会場の人から感心される。

不良が更生するだけで注目されることと、どこか似ている。
本当は、過去の過ちがチャラになるだけで、
正しく生きてきた方々と変わらなくなるだけなのに。

だから、有名になるためには、
若いうちに悪さをしたほうがいい、
とは昨年12月28日付のブログでも述べた。


私は、女性から安全パイと思われているというか、
異性としてみられることが少ない。
だからこそ、女性に親しまれることはあるも、
もてはしない。
恋愛対象であることを見せ始めると、
とたんに距離を置かれる。

恋愛までに至ったとしても、
自分のイメージと違うところと見せると、決まってフラれる。

もう、疲れた。

私は、女性を好きになると、多大なエネルギーを使う。
私の残りの人生も長いとはいえない。
こんなことでエネルギーを使っている余裕はなくなった。

つまり、おっさんが悪あがきしているヒマはない。

加藤茶さんやラサール石井さんが
二十代のお嬢さんをお嫁さんにもらって以降、
勘違いしたおっさんがたくさん結婚相談所にやって来るらしい。

おっさんが結婚相談所に来ること自体、別に悪いことではない。
五十代や六十代の男性が、才色兼備の二十代の女性を希望する、
そんなケースが急増しているらしい。

私はそんな身の程知らずではない。


外見もこわい。
最後は性格が重要な要素とはなるが、とっかかりは外見。
美人の女性の方々は、会話のきっかけに苦労したことは少ないはず。
黙っていても、男性から話しかけてくれるからだ。

例え、独身女性の方でも、言い寄られてきているはず。
おそらく、黙っていても男のほうから寄ってくるから、
男性を見る眼が厳しくなっているのだと思う。

芸能人の中でも、先ほどの例とは逆に、
女性が中年といわれる年齢層で結婚される場合も散見されるが、
たいがい、そうした女性の方々は美しい。

もっとも、いっていることが矛盾するようだが、
外見とは、目鼻立ちが整っているということだけをいうのではない。
性格というか、気持ち、心構えといった内心も表情ににじみ出る。
目に見えないオーラも違ってくる。

だから、芸能人やスポーツ選手など、
実力の世界で生き抜いている方たちは、精かんな顔つきをされている。
実際にお見かけすることががあると、
まわりの人とは明らかに違うオーラを感じる、
というようなことは、先日のブログでも何度も述べた。

私が国税庁に入庁したばかりのとき、税務大学校で研修を受けていた。
当時の税務大学校は新宿区にあり、当時は、フジテレビも近くにあった。
だから、昼ごはんをフジテレビの食堂でとっていたこともある。

ある日、フジテレビの食堂で、
自分の視界に入るか入らないかギリギリのところに
女性が入ってくるのを感じた。
はっきりとその女性を視たわけではないのに、
尋常ではない ”美しい”オーラを背後に感じた。

それは、菊池桃子さんだった。


逆のケースだが、二十年以上の役人生活の中で
負のオーラを感じる職員が一人だけいた。
その職員は底意地が悪く、目つきもギョロっとしていて、
ガマガエルのような風ぼうで、負のオーラをバンバンに放っていた。
一所にいるだけで気分が悪くなった。

家庭内がかかあ天下だから、
そのストレスを職場で発散していたという。
人間的にもあまりに最低な職員だったので、
上司に頼んで別の部署への異動を進言したら、異動した。


さて、話を恋愛に戻すことにして、
相手のことが好きな理由について、
私が納得いかないのは、優しいから、という理由。

好きな人に優しくできるのは当たり前。
ましてや、男性が美人の女性に優しくするのは、
下心があるから、本能的とさえいえる。

問題は、
好きな人以外にも優しくできるか、


すみません、
こんなにひねくれているから、私はモテないんです。




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スロバキア

ここでの思い出は、聴講した職員の中に、
我々が話をしている最中にも新聞を読んでいる者がいたこと。

他のOECD職員ら講師陣も、不快な思いをしていたことは確か。
しかし、私も含め、誰も注意しない。

そこで、私の頭の中で、発想の転換が起きた。

  聴くほうに責任はない。
  聴く者に興味をもってもらえるような
  そんな話ができない側にも責任がある。

この発想が自然にわいてきたのか、
他の講師陣の話から出てきたのか、今となっては思い出せない。
この時点から、私は、
聴く者の興味を惹くことができるような話し方をしようと心がけるようにした。

他の講師陣の中にも、そうしようという雰囲気が生まれた。

そうしたら、その職員は新聞を読むのをやめ、
積極的に質問をするまでになった。

学校で生徒が授業中居眠りをすると、
生徒のほうが一方的に悪いようにいわれる。
しかし、生徒に居眠りをされるような話しかできない、
そんな教師にも責任があるのではないか。

おそらく予備校教師にとっては常識。


日本のあちこちの成人式で、新成人が大暴れ、
そんなことがニュースになった時期もあったが、
そうした時期でも、著名人が式で話をするときは暴れない。

著名人だから、ということもあるが、
普通のお偉いさんよりは、著名人や芸能人のほうが場の空気をよむことに長けている。
聴く者にも興味をもってもらえるような話をしよう、
そんなことに神経を集中させることができるのではないか。

芸人にとっては、まさにそれが命。

そして、場の空気を読めない筆頭が政治家。


もちろん、聴く者にもマナーというものは求められる。
話の内容によっては、特に学術的なもののように、
おもしろおかしく話せないテーマもある。
しかし、学術的なものでも、
なるべく分かりやすく興味を惹くように話をする術というのもあるはず。


少なくとも、聴く者に全責任があるような発想は止めよう、
そう気づかさせてくれた、スロバキアの新聞おじさんだった。




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おもろい話やで | 日記
昨日、選挙期間中にも激励に来てくださった、
先輩でり、親友でもある "Nさん"に誘われ、
『かんぽ生命 健康づくりシンポジウム 2013』に行ってきた。

このタイトルだけだったら、行かなかった。

今、2020年夏季五輪実施競技の除外候補となって話題となっている
レスリングの吉田沙保里選手、そして
日本レスリング協会女子強化委員長で、至学館大学レスリング部監督、
というと分かりづらいので、
ロンドン五輪で吉田選手が金メダルを獲った直後に投げ飛ばされていた、
あの頭のまぶしい方、
このお二人のお話しが聴けるということで行ってみた。

お二人のトークは、ボケとツッコミ、間合いなどが絶妙で、
非常におもしろい。
ちなみに、ボケは頭のまぶしい方のほうである。


このお二人の話をうかがっていると、
話は、表面上、お二人の仲は決してよくなく、
選手が監督にここまで言っちゃっていいの?
という感じであった。

が、もちろん、強い信頼関係で結ばれているというのは、
会場にいたみなさんが言われなくとも分かった。

今、女子柔道選手に対する体罰が、日本柔道連盟のみならず、
日本オリンピック委員会まで巻き込んで大きな問題となっている。
個人個人の性格、性別、資質などにもよるのだろうが、
選手を威圧しながら育成するよりは、
やはり、こうした師弟の間柄のほうが望ましいように思えた。

具体的な栄監督(頭の光っておられる方)の指導方針は、
ネチネチというくらいに選手に説明すること、
そして、吉田選手のほうは、その説明に納得したら即頭を切り替える、
こうして吉田選手は強くなっていったらしい。

ちなみに、甲子園で三回の優勝実績がある智弁和歌山高校の野球部監督も、
やはり、選手に、練習の意味や理屈を説明した上で、
練習させることを心がけているらしい。

かつては、体罰による指導もされたこともあったらしいが、
それは、愛情からではなく、単に自分が腹を立てたからにすぎない、
自分の指導が足りなかっただけ、一方通行の独りよがりの指導だった、
ということに気がつかれてから、指導方針を変えられた
と、今夕のNHKの番組で紹介していた。


さて、お二人のお話しの中で意外だったのが、
オリンピック期間中、お二人とも、
尋常ではないほど相当のプレッシャーを感じていたということ。

栄監督は、吐きそうになったとおっしゃっていた。
私も、国家公務員という安定した身分をかなぐり捨てたものの、
選挙の準備に当たって、やるべきことがまるで分からず、
人も集まらず、不安で吐きそうになった経験があるので、
プレッシャーのレベルが違いすぎるものの、
お気持ちだけは、よく分かった。

吉田選手は、バラエティー番組にもよく出られていて、
キャラクターもバラエティー向き。
そんなイメージのある彼女からは、
プレッシャーで眠れなかったというのは、想像もつかなかった。

しかも、吉田選手、ご自身で墓穴を掘っておられた。
みなさん、ご存知のとおり、
吉田選手はオリンピックの開会式で日本選手団の旗手を勤められた。
最初に話があったときは、

  四年に一度のオリンピックの開会式で
  しかも、選手団の先頭に立って歩けるってすごい!

そんな感じで安請け合いされたらしい。

しかし、旗手を勤めた選手は金メダルを獲れないというジンクス、
開会式に出たら二週間後の試合まで選手村にいなければならない、
が、練習パートナーは普段なら三十人のところ、帯同したのはわずか二人、
つまり、環境を自ら悪化させてしまったわけである。

しかも、
昨年5月のワールドカップで破れたロシアのジョロボワ選手のことが、
いつも頭から離れないような状態。

栄監督は、三位以内でメダルを獲ってくれれば、
と思ったほどだったという。

そんな状況にもかかわらず、
選手村に応援にかけつけてきてくれた被災地の小学生らに笑顔で接するなど、
吉田選手のそうした人がらには、栄監督も感心させれらたとおっしゃっていた。

そして、見事、オリンピック三大会連続金メダル。

並大抵の精神力ではない。


先日、フィギュアスケート四大陸選手権で、
ショートプログラムで見事トリプルアクセルを決め、
浅田真央選手が200点以上の点数をたたき出し、
見事、女子総合優勝を成し遂げた。

ニュース映像で、リングに滑走していく彼女の背中が映し出された。
録画のはずなのに、ひしひしと緊張感が伝わってくる。

  自分だったら、プレッシャーで逃げ出している…

一流アスリートは、常人では耐えられない
それこそ血のにじむような鍛錬を何年も積み重ねている、
これだけでもすごいのに、
極度の緊張感に挑み、そして打ち勝つ。

  そんな一流アスリートを見たい。

時期は前後するが、昨年の暑い夏、夏休みを利用して、
ロンドン五輪のメダリスト一同を拝見できる銀座パレードに行った。

  こんな機会はめったにない。

そう、私もあの50万人のうちの一人だったのである。

人だかりがすごすぎるので、
メダリストが近づいてきているのかどうかさえ分からない。

しかし、声援の波が押し寄せてくる。
間もなく、観光用の二階建てバスの二階部分が見えてくる。


もう、オーラがまるで違う。
そして、何よりも美しい。

あの、伊調選手でさえ(すみません)。
水泳の入江選手、ボクシングの村田選手等々、
もともとイケメンだが、アイドルとはまた違って、
美しくてかっこいい、というか、うまく表現できない。

フェンシングの太田選手のはしゃぎっぷり。
準決勝で、残り1秒、逆転勝利をしたのだから、
その資格がある。

メダルを獲るまで、
ウエイトリフティングの三宅選手は十二年、
あの卓球の福原選手でさえ、二十年かかっている。

あきらめない気持ち、ということばでは足りない、
執念ともいうべきか。

  こんな方たちを携帯片手に写メを撮るのは失礼。

そこで私は、携帯をポケットに戻し、
握っていた500mlの水のペットボトルを地面に置いた。
周りのみなさんが携帯やスマホで写メを撮っている中、
私一人だけが両手で拍手してメダリストを称える。
しかし、そのときのメダリストの表情は、今でも眼に焼き付いている。

もちろん、メダリストのみなさんが、そんな私に気づくはずもない。
が、女子バレーボール選手のお一人が、
ずっと私のほうを見つめていてくださったような気がした。
そんな気がしただけなのに、恥ずかしくなって私のほうから目線をはずす。
勘違いも甚だしい、とはこのこと。


一流アスリートと、昨日のブログで言及した芸能人、
才能に加え、絶え間ない努力、強い気持ち、タフな精神力等々が
共通している。

だから、一流であり、あのオーラがある。


私のような凡人がこれらを備えることは至難の技。

そこで、TV、雑誌何でもいい、せめて、アスリートや芸能人など、
一流といわれる著名人にできるだけ接し、話をうかがうようにしている。


だから、昨日『かんぽ生命 健康づくりシンポジウム 2013』に行ってきた。




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おもろい話やで | 日記
先の12月の衆議院総選挙に立候補するにあたり、
自分の希望していた東京選挙区から出馬できることが決まり、

「死にもの狂いで頑張ります。」

といったことは、11/27付のブログでも述べた。

今回は、この ”死にもの狂い”ということについて述べたい。


これまた、TV番組で恐縮だが、昨日10日の夕方、
"私の何がイケないの?”という再放送番組を視ていた。
私が視たのは、整形した一般女性が何名か登場し、
整形した動機やいきさつ、整形に対する考え方などを語り、
それに芸能人がコメントをするというもの。


ある五十代の一般女性で、
離婚しただんなが残した二千万円以上の借金をかかえ、かつ、
大学受験を控えた長女らお子さんたちを
女手一つで育てなければならい状況にあった方。

パートをするも、生活をするのがやっとで、
長女も、母を気づかい、大学受験をあきらめて働くと言い出す。
長女にそんなことを言わしめたその母親はがく然とする。

しかし、高収入を稼ぐには水商売しかない。
そこで、その母親は一念発起する。
美容整形で若返って、水商売で稼ごう。

その方は、自称ブス、体重も70kg以上。
まずは、肉食を断って20㎏ほどのダイエット。

そして、娘の学費のために貯めていたお金で、
数百万円をかけて、数年かけて整形を敢行。

まず、この覚悟がものすごい。

そして、美容整形を終えた彼女は、
二十歳以上もさばを読んで実際にホステスとなる。
このさば読み、一度もバレたことがないらしく、
実際のお顔を画面で拝見してもうなずけたが、
むしろ、もっと若くみられることのほうが多かったらしい。

が、実際は五十代、そこは年の功、
本当の若いギャルよりは話はうまいのだから、
数か月たらずでナンバーワン・ホステスとなる。

そして、借金はすべて返済し、
娘さんらも、大学に通わせるなどして立派に育て上げる。

整形手術をしたお医者さんいわく、
これほど見事に若返ることができるのは稀なケースで、
おそらく、彼女が死にもの狂いだったからであろうとのこと。

この覚悟と実行力には、本当に感服させられた。
その原動力が、子どもへの愛情だったとはいえ。


そして、あの有名な女優、綾瀬はるかさん。

大河ドラマ ”八重の桜”を視るまでは、
可愛いらしくも天然ボケな女優さん、
という巷でいわれている程度の認識しかなかった。

これまた、ネタが、”女性自身”という雑誌で大変恐縮だが、
この方が大人気女優というか、
女優として大成されている理由に納得させられた。

それは、非常にストイックであるということ。
しかも、そうした雰囲気をまったく醸し出さない、
というか、ご本人はもしかして意識されていないのかもしれない。

銃、そして特に、”八重の桜”第一話ででてきたスペンサー銃、
これらを使いこなすのは、男性でも大変らしい。
重さがあるので、特に女性は。

もちろん、綾瀬はるかさんも、
専門家の方から銃の使い方を教わる。
ふつうの俳優さんなら撮影が終わると、すぐに銃をスタッフに返すそうだが、
彼女は、撮影の合間を縫って、
銃の持ち方などを熱心に質問しながら、汗だくで猛練習。
ドラマの中の山本八重とまったく同じである。

だから、あの堂に入った、きりっとした美しさがある。

八重の兄・覚馬役の西島秀俊さんが、ドラマの中で
八重に銃を指導する覚悟を決め、
彼女にも厳しい訓練に耐える覚悟があるのかどうかを試すシーンがあった。

彼女に、”やめるなら、今、銃を下ろせ”という。

すると、”綾瀬はるか”は、銃を下ろすどころか、
引き金を引く動作に入る。

この彼女の覚悟のほどを表したシーン、彼女の凛とした姿、
まさに圧巻であった。


なぎなたの稽古にしても、その熱意と努力はすさまじく、
共演したあの大女優、秋吉久美子さんをも奮い立たせたほどだったらしい。
秋吉久美子さんは、先生にもっと稽古をつけてもらえるよう談判し、
やはり、撮影所の隅でなぎなたの練習を積み重ねたということ。

そう思って視たからであろうか、
昨日のドラマの中の秋吉久美子さんの演技からは、
ものすごい迫力が伝わってきた。


綾瀬はるかさんは、会津弁の修得にも非常に熱心で、
台本にあるセリフを覚えるだけではなく、
休憩時間中にも共演者と会津弁で積極的に会話をしているという。
だから、その上達ぶりには、
地元の方々も目を見張るものがあるらしい。


八重の兄役の西島秀俊さんにしても、
十年ほど前のテレビドラマ ”あすなろ白書”で人気を博された方で、
アイドルやトレンディー俳優路線を嫌って本格派俳優を目指し、
5年間もテレビ出演ゼロという不遇の時代を過ごしたらしい。

数年前に公開された映画 ”サヨナライツカ”では、
役作りのため、一か月で13-15kgも体重を増減させ、
大河ドラマ ”八重の桜”でも、惚れ惚れとする肉体美を披露し、
女性ファンを魅了したという。

この筋の通った克己的は姿勢。
この飽くなきストイックな姿勢。


自分にも、
みなさんにきちんと説明責任を果たしつつ、
しがらみのない政治を実現する、
そんな政治家になるという覚悟と実行力、
それが試されている。




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おもろい話やで | 日記
今回は、ポーランドを訪れたときのお話しをさせていただきたい。

ポーランドと一口にいっても、首都ワルシャワ、
アウシュヴィッツ強制収容所から比較的近いカトヴィツェ、
そして、あと町名を忘れてしまったが、
日本人は絶対来たことがないであろうと思われる山奥の田舎町も訪れた。

そこは、ワルシャワから車で数時間もかけて行った所だが、
こんなところで、国際課税の話をしてどうするの?
と思ってしまうような所であった。

今でこそ中華料理屋というと世界中のどこにでもありそうだが、
当時、そこの町にはなかった。
だから、現地の職員の方々は漢字を初めて見たのだろうか?
非常に珍しがられていた。

私は、自己紹介のとき、つかみとして、
自分の名前を漢字で説明することにしていた。

すなわち、漢字一文字一文字に意味があって、
私の場合、”INO”というのは、”猪野”と書くのだが、
”猪”はイノシシとい意味であり、
”野”は野原という意味であり、
したがって、私の祖先は、
野原でイノシシを追っかけていたにちがいない、と。

すると、休憩時間になると、聴講されていたみなさんが
メモ用紙をもって私のところにやってくる。
漢字で名前を書いてくれと。
ちょっとした芸能人気取りだった。

中には、聴講された方ご自身の名前を漢字で書いてくれと
お願いされることもあったが、
”夜露死苦”とか、書くわけにもいかなかったので、
他の日本語で、と説明した上で、カタカナで書かせてもらった。
それでも、非常に喜んでくださった。


私は、当時、ヨーロッパ中のマラソン大会に出場していたので、
こうした出張時にも、朝のジョギングは欠かさなかった。
ジョギング中、現地の方々にも、アジア人が珍しいためか、
よく、声をかけていただいた。

他の国では、中国人と間違われることが多いのだが、
ここポーランドでは、まずベトナム人と勘違いされた。
これは、旧東ドイツに出稼ぎに来たものの、
同国の入管行政の厳格化にともない、
ポーランドに入国したベトナム人などが
たくさんいたことと関係があるのかもしれない、
ということは、1/5付と2/2付のブログでも述べさせていただいた。

ワルシャワで現地の若者に囲まれたヤバい話も、
これらのブログをご覧いただきたい。


ポーランドの人は、日本のことをどれだけご存知なのだろうかと思い、
お会いした現地の職員の方々に、
知っている日本の都市をあげていただくようにしていた。

一番ご存知だったのは、もちろん首都東京。
二番目は、大阪ではなく、広島、そして三番目が長崎。
四番目にようやく大阪か、と思いきや、札幌である。
なぜなら、昔(1972年)、冬季オリンピックがあったからである。

70メートル級ジャンプで、
笠谷選手ら日本人がワン、ツー、スリーフィニッシュは、有名。
ただ、ポーランドの方たちにとって印象が残っているのは、そこではない。

90メートル級ジャンプの金メダリストを覚えてますか?
そう、そのメダリストこそ、ポーランドの若者だったからである。

たしかに、我々も冬季オリンピックの開催地は覚えていることが多い。
ちなみに、当時は、長野オリンピックはまだ開催されていなかった。

結局、大阪は何番目だったか?
残念ながら、ご存知の方はほとんどいらっしゃらなかった。


夜が大変だった。
まず、踊りというか、社交ダンスである。
日本では、社交ダンスは非日常的であるが、
こちらというか、西洋社会では当たり前なのか、
税務職員だというのに、みなさんダンスがうまい。
いっしょに来ていた他のOECD職員まで…

要は、踊れないのは私だけであった。
ふくよかなご婦人が、
私が教えてあげる、とばかりにいっしょに踊ってくださる。

本当は、通訳の綺麗なお姉さんと踊りたかった…

なお、この後、ある男性が、このお姉さんの部屋に入っていくのを
私は目撃することになる。

さらに、なお、アンケートで私の英語にダメ出しをしたのは、
このお姉さんではなく、別のところの通訳さんである。
(詳細は、1/16付のブログ ”結果がすべて”を参照されたい。)


別の夜であるが、
みなさんとチェスをする。
私は、ルールを知らないので、
教わりながらチェスをしていたのだが、
ウオッカもすすめられ、飲む。
歓迎の気持ちが、言葉が通じなくとも十二分に伝わってきたので、
断りきれずに飲む。
飲めない私は、もちろん、チェスをしながら倒れる。

男女一組の職員が介抱してくださり、
ソファーの上に乗っけてもらったのは覚えている。
そして、私が倒れている目の前で、
この二人は、なななんと、熱い熱いキスをかわし始める。

  こ、こいつら、こんなところで、何てことしてやがる!

と思いつつも気を失う。

ポーランドの夜は何とも不らちだ。

気がついたときは、ベッドの上。
まさに、アニメ ”ヱヴァンゲリオン”第弐話
”見知らぬ、天井”
時期的にも、本当にこれが放映された頃だった。


でも、みなさん、ポーランドの方たちを誤解しないでくださいね。
あくまで、私の個人的な体験をつづっただけですから。




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新聞の読み方 | 日記
2013.02.09(Sat):経済・税金問題
無職になると、時間があるので、
今まで視たことのない番組でもじっくり視るようになった。

その一つが、”池上彰の学べるニュース”。
今までも斜め視はしたことはあるが、
8日の晩、初めてじっくり視てみた。

この方の解説は本当に解かりやすい。
また、実際に現地にも行かれているので、話に説得力がある。

私が1/24付のブログで述べた、アルジェリアでのテロのこと、
そして、1/7と1/23付のブログで述べた、アベノミクスのこと、
この両方についても、解説をされていた。

そこで、その番組で紹介されていたことを、
私のブログで述べたことを補足するような形で紹介したい。


まず、アルジェリアでのテロについてだが、
番組では、アルジェリアでイスラム原理主義が広がった背景が説明されていた。
なお、その番組でも強調されていたが、
イスラム原理主義とイスラム武装勢力とは別である。
武装勢力の中には、原理主義者もいればそうでない者もたくさんいる。

1962年、アルジェリアがフランスから独立した際、
なんと、ほとんどの国民がアラビア語を話せなかったらしい。
なぜなら、120年近くも植民地支配を続けたフランスが、
アルジェリア国民にフランス語を強要してきたからである。

たしかに、かつての日本も、
朝鮮半島の人々に日本語を強要したことはある。
しかし、植民地支配の期間の長短によるものであろうが、
国民のほとんどが母国語を話せなくなるまで、
というのは相当なものである。

そこで、アルジェリアは、
エジプトのイスラム原理主義者からアラビア語を学び、
その際、原理主義の考えも教わった、
ということだ。

私は、1/24付のブログで、テロが絶えない背景の一つとして、
欧米諸国のダブル・スタンダードをあげたが、
この番組では、その具体的な一例を紹介していた。

それは、1991年、アルジェリアで総選挙があり、
イスラム原理主義の政党が圧倒的勝利をおさめたのだが、
これを認めなかった軍部主導によるクーデターで、
この選挙結果は事実上無効となってしまった。

民主主義を標ぼうしているはずの欧米諸国はだんまり。
なぜなら、選挙に勝ったのがイスラム原理主義だったからである。
そして、このクーデターを機に、
『イスラム原理主義過激派によるテロが活発化』し、
アルジェリアは内戦状態に陥った。
この内戦は十年近く続くことになる。

欧米諸国が、この民主主義に反するクーデターを黙認したため、
日本も含め、世界的ニュースにならなかったらしい。

ここからは個人的意見だが、もっと深刻だったのは、
この黙認が過激派によるテロを招いたともいえることであろう。

なお、外務省のHPでも、
イスラム原理主義の政党が圧勝した1991年の総選挙についての言及はなく、
いきなり『1992年よりイスラム原理主義過激派によるテロが活発化』とある。

このとき、総選挙の結果の無効化を図るクーデターを問題にすることこそが、
日本ならではの、とるべき外交政策だったのではなかろか。


次に、アベノミクスについてだが、私の1/23日付のブログでは、
金融緩和によって市中に出回るお金が増えることを
当然の前提としたような書き方になっている。

が、この番組では、市中にお金が出回るメカニズムを
解かりやすく解説されていた。
それは、こういうことである。

ふつうの銀行が、日銀に大量の国債を買ってもらうことで、
銀行には大量のお金が流入する。
そうすると、お金はたくさんあるのだから、
お金のレンタル料ともいえる利子が下がる。

そうすると、企業や個人などがお金を借りやすくなり、
そして、市中にお金が出回るということである。

なお、私が1/23日付のブログで述べた、利子が高くなるというのは、
景気がよくなってみんながお金を借りるようになった時点のことである。


ここからは個人的意見だが、お金を借りる必要がなければ、
いくら利子が下がっても仕方がなかろう。
だから、景気がよくなって、企業などが投資をしよう、
そういう気になることが前提となる。

その意味で、今の円安・株高傾向は、特に輸出企業にとっては、
投資意欲を高める要因にはなり得るだろう。

なお、この円安傾向、特に対ドルは、原発廃止論とも密接しているらしい。
火力発電が増えればそれだけ石油やガスが必要となる。
つまり、さらに輸入する必要がでてくる。
貿易の決済はドルで行われるのが主流であるから、ドルの需要が増えるであろう、
こうした投資家の思惑も働いたらしい。


このように、新たな国債発行をともなわず、
つまり国債の持ち主が銀行から日銀に変わるだけで景気がよくなるのであれば、
なぜ、今まで、こうした金融緩和策がなされなかったのか?
そんな疑問が番組の中でも出された。

この番組によると、今までも金融緩和はなされていたが、
その程度が十分でなかったと安倍総理は考えたのではないかと。
だから、物価上昇率が2%になるまで金融緩和を続けるという合意がなされたと。

ちなみに、金融緩和で物価が上昇するというのは、
市中に回るお金が増えればそれだけお金の価値が下がるから、または、
日本の利子率の低下により、円を買って円で運用しようという気が失せるので、
やはり円の価値が下がり、つまり円安になるので輸入物価が上がるからだと思う、
ということは、1/23付のブログで述べた。

話を元に戻すと、インフレ率2%というのは、
たやすく達成できるものではないらしい。
あのバブル期さえ、2~3%。
たしかに土地などの不動産や株はそれ以上に高騰したが、
平均すると物価上昇率はその程度だったらしい。
なお、株価は物価ではないが。

だから、2%になるまで金融緩和を続けるというのは、
それだけ強い意志の現れだという。


輸出企業が、円安による輸出増によって、
つまり外需によって業績がよくなっても、
また、財政出動によって公共事業の業績がよくなっても、
それが従業員の給与アップにつながらなければ、
消費、内需のほうは増えない、つまり国内景気はよくならない。

現在、企業がためこんでいるお金は200兆円、個人に至っては1,000兆円。
こうしたお金が市中に出回るようになるため、
法人税の減税や贈与税の減税が検討されていることは番組の中でも紹介があった。


番組では、今世界が注目しているミャンマーについても解説がなされていた。
1948年にイギリスの植民地支配から独立したミャンマーでは、
テイン・セイン大統領による民主化政策が行われるまで、
軍事政権が続いていたわけだが、この間、欧米諸国は経済制裁を続けていた。
こうした制裁によってミャンマーは貧しい国になったと。

ここにも、一方でアルジェリアには経済制裁をしなかった
欧米諸国のダブル・スタンダードぶりがうかがえるということは、
番組でも指摘はなかった。

軍事政権下、中国の影響を強く受けていたミャンマーでは、
ダム建設も中国主導で行われてきたらしい。
しかし、中国から、そこから発生する電力の9割はいただく
ということをいいだされるなどして、
中国との関係は悪化し始めているということだ。

他方、民主化によって経済制裁が解除されたことで、
西側諸国の市場進出が勢いを増している。
特に韓国がしたたかだ。
放映料タダで、ゴールデンタイムに韓国ドラマをバンバンに流す。
それを視ているミャンマーの人たちが、そのドラマに出てくる韓国製品にあこがれる。
そこで、韓国の家電製品が、とぶように売れているらしい。

これって、アメリカが昭和30年代に日本に対して行った手法とまるで同じ。
私も、”奥様は魔女”はよく視ていた。
だけど、アメリカ製品は家になかった。



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おもろい話やで | 日記
OECDでの仕事の一つが、
東欧諸国や途上国を訪問し、
税の仕組みや実務などを伝えることであり、
その際は、講師陣として、
OECD職員数名と加盟国の税務職員とでチームを組む
ということは、先のブログでも述べた。

このチームメンバー同士で
ちょっとした小競り合いがある。

各講師に話をするテーマと時間が割り当てられるのだが、
自分のパートで話をしだしたら止まらないというのが常、
後には他の講師が控えているとか、
自分に割り当てられた時間が何時までとか、
そういうことをあまり気にしない。

特に、当時の自分のように、OECDに勤めたばかりの職員に
そうした傾向がうかがえた。

私が、休憩時間や夜に、もっと時間を守ってくれ、といっても、逆に、
日本の青色申告制度の話はどうでもいい、
お前のしゃべる内容を減らせ、
と言われてしまう始末。
ちなみに、こうした職員とも、普段は非常に仲がいい。


他の加盟国の税務職員にも、したたかな者がいる。

OECD全体の予算というか、加盟各国の拠出額は、
それぞれの経済規模に合わせて決まっており、
日本は、米国に次いで二番目である。

その他、特別会計的なものがあり、
各国が特定のプログラムに自発的に拠出する例がある。
東欧諸国や途上国に税の仕組みや実務などを伝える
というこのプログラムについては、日本が最大の拠出国である。

にもかかわらず、他の加盟国の税務職員は、
聴講されている地元職員に、
自国がこのプログラムに拠出しているということを、
しっかりアピールしてくる。

今の自分だったら、
日本が最大の拠出国であることをアピールしたであろうが、
当時のうぶな私は、何かいやらしい感じがして、
よう、言わなかった。

私が、当時、観光でエジプトの首都カイロを訪れたときである。
街が非常にきれいだったのだが、それは、ちょうど
当時のフランスのシラク大統領が、
カイロを訪れていたかららしい。

そして、当時のシラク大統領は、訪問した際の演説で、
フランスは、カイロの地下鉄建設に
更なるODA(政府開発援助)を拠出する用意がある、
とぶちまけ、カイロ市民から拍手喝さいを受ける。

なぜなら、車の排気ガスなどで大気汚染が深刻化しているカイロでは、
地下鉄のような公共交通機関の建設が待ち望まれていたからである。

日本はというと、オペラハウスをODA予算でおっ建てたことが、
建物の名称や用途について政府間で問題になったこともあり、
当時のマスコミでもちょっとした話題にはなっていた。

エジプト政府の要請で建てられたということだが、
一般のカイロ市民の方がどれだけ
日本のODA予算で建てられたことをご存知なのか、
どれだけ感謝をされているのであろうか。
こうしたことを意識するのが、同じODA予算を使うにしても、
重要になってくると思う。

日本もカイロの地下鉄建設にODAを拠出してきたようだが、
どれだけのカイロ市民がご存知で、
どれだけ日本に感謝をされているのだろうか?


そんなことを、欧米人は、個人レベルから意識している、
そんなことを、この仕事を通じて実感させられた。

と、ステレオタイプ的にくくるのはよくないか…



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おもろい話やで | 日記
OECDでの私の仕事の一つが、
市場経済に移行した東欧諸国や途上国に訪れて、
西側諸国の税の仕組みや実務などを伝えることであったことは、
先のブログでも述べた。

通常、講師陣として、特定のOECD職員がリーダーとなり、
他の職員と、あと、加盟国の税務職員とでチームを組む。

私は、OECDに勤める8か月前、日本の税務職員という立場で
モンゴルの首都ウランバートルで、OECD職員らと合流したことがあった。
モンゴルも市場経済に合わせた税制が確立したばかりで、
私は、現地の税務職員の方々に
税務調査や徴収の話をさせていただいた。

みなさんに、秋葉原で買った超薄型の携帯用の計算機を
お土産としてお渡ししたが、あまり嬉しそうではなかった。
そんな物は既に持っている、ということか?

そのときは、
イギリス人である当時のOECDの課長も参加されていたのだが、
実は、私がOECDでもこの仕事をやっていけるだけの力があるか、
その課長に試されていたらしい。


成田から北京まではJALだったが、
そこからウランバートルまではアエロフロート。
パイロットはロシアの軍人出身者だから腕は確かだ、とは聞いていたが
あれだけ機体が揺れると、さすがにビビッてしまう。

しばらくすると、砂漠が広がり始め、
やがて、何本かの煙の筋が見えてきた。
ウランバートルというのが砂漠のすみにあるというのがよく分かる。


私が滞在中、モンゴルでも所得税の確定申告が始まる
というニュースが流れた。
遊牧民の課税所得をどうやって把握するんだろう、
と不思議に思ったが、家畜の頭数で決まるようである。

また、滞在中、当時のジャスライ首相を表敬訪問する機会があった。
それより先に、私が日本の徴収率について
現地の職員に伝えていたところ、
首相がその情報を仕入られたのであろう。
私に対し、モンゴルでは税の徴収がうまくいっていないので、是非、
日本での徴収のノウハウを教えてもらいたい旨おっしゃってくださった。
当時のOECDの課長も、
日本の徴収率は高いから、いい話だと場を盛り上げてくれる。

こういう時は、自分には権限がないので本国に持ち帰って検討します、
とお茶を濁すのが定石であるが、
調子をこいた私は、分かりましたと答えてしまった。

帰り間際、首相の写真を一枚撮らせていただこうとしたら、
カナダ人職員から、横顔を撮ってはダメだと、止められた。
そういえば、皇室の方々の横顔の写真を撮ってはいけない
と聞いたことがあるような…?

後日、何故か私だけがモンゴル国家税務当局の某部長に呼ばれ、
実は、同じ肌の色をした日本人から直接
いろいろなノウハウを教わりたい旨打ち明けられた。


今でこそ、モンゴル人力士が日本の大相撲を席巻しているが、
当時のモンゴルではあまり知られていなかった。
私が相撲のことを紹介し、曙という外国人力士も活躍している
という話をすると、モンゴルにも相撲があるという話をうかがった。
隔世の感である。

当時は、灰色のコンクリートむき出し感の建物が目につき、
泊まったホテルも決して立派なものとはいえなかった。
エレベーターが途中の階で突然止まることも珍しくなく、
シャワーのお湯もいつ出るか分からなかった。

食べ物は干した肉が多く、緑黄色野菜を食べた記憶がない。
昼間から馬乳酒をいただいたが、
私の口にも他のOECD職員の口にも合わず、
翌日からは、普通のコーヒーをいただいた。


私だけが土曜朝の飛行機のチケットを準備していたので、
他の職員の方々は
『さすが、日本人は用意周到だな。』
と言い残し、金曜の飛行機で帰路についた。

その後、派手なチベット仏教寺院を訪れ、
その夜は、当時、私は二十代だったということもあり、
現地の職員の方にウランバートルのディスコに連れて行ってもらった。
お酒を飲めない私は、
そこでもファンタオレンジを飲んで踊っていた。



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おもろい話やで | 日記
私は、二年間、OECD(経済協力開発機構)という
国際機関に勤めていたが、
今回は、そこで経験したことをご紹介。

そもそもOECDの前身は、OEEC(欧州経済協力機構)という組織。
第二次大戦後、ヨーロッパも戦場になったわけであるから、
経済も疲弊しきっていた。

そこで、ほとんど無傷であったアメリカの当時の国務長官マーシャルが、
これで復興せ~い、といって、大枚をはたいたのである。
これがマーシャルプランといわれたものだが、
その受入れ機関がOEECである。

そして、ヨーロッパも見事に復興したわけであるから、
もうOEECはいらなくなったはずである。
しかし、どこの国、どこの時代でも同じなのか、
いったん作った組織はなかなかつぶせないようである。

そこで、欧米先進諸国が経済や貿易のことを話し合う機関に
改組してしまおうということで、
1961年、アメリカとカナダも加わって、
OECDができたわけである。

そして、日本が加盟したのが1964年。
その後、オーストラリアとニュージーランドが
1970年代に加盟し、しばらく加盟24か国の時代が続いた。

が、1990年代初頭、ソ連が崩壊し、東西ドイツが統一した後、
市場経済に移行したチェコ、ハンガリー、ポーランドといった東欧諸国のほか、
メキシコ、そして日本以来のアジアの国、韓国が1990年代に加盟した。

そして、2000年にスロバキア、2010年にはイスラエルなど四か国が加盟し、
現在は、34か国までになっている。


私が勤務していたのは、1994年から1996年までの2年間だったが、
その頃は、メキシコ、ポーランド、韓国などが加盟審査を受けていた。

メキシコの審査は、アメリカの露骨な後押しもあり、スムーズにいく。
ポーランドなどヨーロッパ諸国の審査も、スムーズにいく。
しかし、韓国の審査だけは、いろんな規制が残っているとして、
難くせをつけられ、スムーズにいかない。
審査の仕方が公平でないように見えた。

それでも、韓国は、頑として日本を頼ろうとはしなかったらしい。
結果的に、韓国も、ポーランドなどの東欧諸国と同じ1996年に加盟したのだが。


私が勤めていたとき、韓国はオブザーバーという立場ではあったが、
韓国人職員もいた。
同じアジア人ということもあり、
他の課の韓国人職員とも仲良くなった。

お互い、カタカナ発音の英語だからコミュニケーションもしやすい。
英語でうまく表現できなくとも、漢字で意思疎通可能である。
例えば、彼が英語で何を話しているのか分からなかったとき、
漢字で、”森林浴”と書いてくれた。

ただ、普段、そんな仲のよい韓国人も領土問題や歴史問題になると熱くなる。
詳細は忘れてしまったが、日韓で竹島問題が生じた翌日の朝、
いつものように ”Goood Morning”と挨拶したとたん、
彼にいきなり胸ぐらをつかまれ、どなられた。

『なんで、お前の国は、おれの国に
 いつも迷惑をかけるようなことをするんだ!』

これには、本当に驚いた。

私の考えるところの
彼がこれだけ熱くなった背景については、
1月5日付のブログ
”黄色が黄色をやっちゃったから?”
をご覧いただきたい。

なお、OECD職員は、日本人と韓国人以外は、みんな欧米人だった。
だからか、ハングル語のFAXが、よく私の机の上に置いてあった。


あと、韓国人以外のOECD職員から、というか一般的によく言われるのは、
日本は小さいということ。

しかし、みなさん、
ドイツを小さいといいますか?
日本の面積は、東西統一ドイツより広いのです。


経済規模は世界3位、人口は1億2千万人以上。
日本が小さいといわれる要素はありません。
ただ、国土の約7割が森林なので、住めるところが少ない
という意味では、”狭い”とはいえるかもしれません。


ところで、私は、OECDで具体的に何をしていたかというと、
一つは、移転価格という国際課税についてのガイドライン作りだった。
OECDのガイドラインは、加盟国に法的拘束力をもつわけではないが、
”国際”課税という以上、加盟国の法制度がバラバラになるのもまずいので、
各国に、ある程度、このガイドラインに沿ったものにしてもらう必要がある。

課長代理に相当するアメリカ人女性弁護士を頭に、
ドイツ人と私との三人のチームで行っていた。
各国代表から出された案やコメントを参考に、われわれがまとめの作業をする。
実際の会議でも、このボスが司会進行をしていた。
複数の国の代表から各々の案が提案された後、その場で折衷案を提案する、
まさにネイティブならではの技。

だからであろうか、OECD職員でも、課長といった実務的に重要なポストには、
英米人が就くことが多い。
サンドイッチに例えれば、はさんである主役の ”中身”である。
日本人はというと、
平職員か、または、金は出しているので、局長級に多く、
まさにサンドイッチの ”食パン”状態だった。


私は英語の文書力を上げようと、OECDレポートを参考にしていたが、
ネイティブの職員の方が次のようなことをいってくれた。
すなわち、日本のみならずドイツやフランスなどの欧州諸国も含め、
ノンネイティブの国の英文を本当は添削したい、と。
ただ、それをすると角が立つので、控えているんだと。

私の英文は、よくズタズタにされたが…

それに、欧米人は Yes,No がはっきりしていて、
日本人はあいまいであることが多い、とよくいわれているが、
OECDレポートに限っていえば、そんなことはない。
そこはやはり公的な文書であり、
各国の案を折衷させたものだからであろうか、
"wouid" とか "might"といった助動詞が多用され、
表現が非常にあいまいで、
結局、何がいいたいのか分からないところも多かった。


私のOECDでのもう一つの仕事が、
ソ連崩壊や東西ドイツ統一といった時代を背景に、
市場経済に移行した東欧諸国や途上国に訪れて、
西側諸国の税の仕組みや実務などを伝えることであった。

私の場合、ポーランド、ハンガリー、スロバキア、
そして、当時、加盟審査中の韓国とメキシコに訪れた。

そのときのお話しは、次回以降にさせていただきたい。



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新聞の読み方 | 日記
2013.02.05(Tue):経済・税金問題
生活費が高い都市ランキング、東京1位・大阪2位


イギリスの経済誌エコノミストの調査部門
エコノミスト・インテリジェンス・ユニットが、
2月4日に発表した生活費の高い都市ランキングだ。

これは、世界の140都市について、食料や衣料、家賃など
160項目以上の価格を調べた結果らしい。
もちろん、日本の消費税に当たる付加価値税も含まれた価格である。

しかも、1992年以来、東京が1位以外だったのは6回のみ。

デフレ、デフレといわれ、インフレ目標2%とまで設定されているだけに、
意外な調査結果ではある。


EUでは付加価値税率が15%~25%となっているのに比べ、
日本の消費税率は5%となっているので引上げの余地は大いにある、
とよくいわれている。

しかし、これは物価を考慮しない乱暴な議論といえよう。
消費税とは最終的に消費者が負担することを予定した税であるから、
消費者の実際の負担額も考慮すべきであろう。

5%の消費税込みのわが国の物価が
15%~25%の付加価値税込みのEU各国の物価より高いという結果からすると、
日本の消費税率が例えばEU各国と同様15%~25%にでもなったら、
消費税込みの物価はとんでもないことになりそうである。


もっとも、以上のことを証明する客観的な資料はない。
しかし、従来の自民党政権下における政府税制調査会では
表面的な付加価値税(消費税)率の国際比較を示す資料しか提出されていなかった。
が、民主党政権下の税制調査会では、
付加価値税収の規模(対国民所得比又は対総税収比)の国際比較を示す資料も
提出されるようになった。

そこで、これらの資料を基に、
表面税率の国際比較と付加価値税収の規模の国際比較との差異をみてみる。
なお「総税収」とは、国税と地方税との合計で、
標準税率は2012年1月現在、
対国民所得比は、スウェーデンを除き、2009年(度)、
その他は、2007年(度)の数値である。

  
       標準税率  比率  対国民所得比  比率  総税収構成比  比率
日 本    5%      1     2.6%       1    14%       1
イギリス   20%     4     5.7%      2.2    22%      1.6
ドイツ     19%     3.8    7.4%      2.8    31%      2.2
フランス   19.6%    3.9     7.1%      2.7    26%      1.9
スウェーデン 25%    5    12.3%      3.6    26%      1.9


もっとも、この比較でも、企業利益に占める報酬額の割合や配当性向
(国民所得のうち企業ではなく個人に分配される比率(社内留保の程度))および
消費性向(個人に分配されたもののうち資産形成ではなく消費にまわる比率)の違い、
さらには軽減税率の有無などによっても数値が左右される。
総税収についても、法人税収など個人が負担しない税収が含まれていることには
注意が必要である。

ただ、少なくとも、表面税率の差異に比べれば、
対国民所得比の付加価値税収の規模の違いは相対的に小さくなっている。
対税収構成比でみてみると、さらにその差異は小さくなっている 。

いずれにせよ、日本の実質的な消費税負担は、
5%という数値以上のものであることは確かなようである。
軽減税率を設けないのであれば、EU諸国並みの消費税率というのは、
対国民所得比で11%~18%、対税収構成比で8%~11%となる。

したがって、今後、消費税率は、
来年4月から8%、再来年10月から10%に引き上げられることが予定されているが、
これで、対税収構成比でみれば、EU諸国並みになるといえる。

消費税率の引上げ幅を議論する際には、
表面的な税率の国際比較に終始することなく、
物価なども折り込んだ実際の負担率の比較をすることが肝要である。




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おもろい話やで | 日記
私は、東京地方裁判所刑事8部というところで、三年間、
調査官という仕事をさせていただいたことがある。

ここでいう裁判所調査官の仕事とは、
裁判官や書記官の方に、税務に関する調査を依頼されたら、
それに答えるということである。

答え方は、様々で、その場で口頭ですることもあれば、
数日間かけてレポートにまとめることもある。


行政府での仕事と違って、ある意味、楽であり、
ある意味かなりプレッシャーのかかる仕事であった。

楽という意味は、手続き面である。

行政府の場合、最終的に決まるまで
何人もの上司にチェックを受けなければならない。
しかも、上にいけばいくほど、
説明をするための資料作りやスケジュール調整に時間がかかる。

まさに、車田正美先生原作の格闘漫画
”リングにかけろ”や ”聖闘士星矢”さながら、
本丸の敵と闘う前に、
次々と現れる敵を順番に倒していかなければならないように。


一方、裁判所の場合、裁判官は各々独立した存在なので、
調査依頼をされた裁判官に直接お答えすればよいのである。

ただ、これがプレッシャーとなる原因でもある。
全責任は自分が負うことになるからである。
これが行政府だと、責任が分散され、その所在はあいまいとなる。


なお、刑事8部とは、脱税事件のすべてを扱う部であるが、
もちろん窃盗や傷害といった他の刑事事件も扱っている。


さて、私は、すべての脱税事件の公判を傍聴していた。
公判時のやりとりについて、後に裁判官や書記官の方から
質問をされることがあるからである。

裁判所職員ではあったが、バーの中には入れなかった。
つまり、傍聴席にしか座れなかった。
そこで、傍聴時に体験したおもしろ話をいくつか紹介。

私は、当初、裁判の手続きを勉強しようと、
他の事件も傍聴するようにしていた。

ある日、傍聴した事件。
それは、強盗致傷事件で、
被告人の精神状態が正常かどうかが争点となっていた。

裁判長は、まず、目の前にいる人物が被告人本人かを確認する。
そして、その確認のための手段の一つとして、
本籍地を確認する。

裁判長が問う。
『本籍地は?』

被告人が答える。
『海王星です。』

裁判長が真顔で切り返す。
『えっ、福島県じゃないの?』

傍聴席には、確かに、
まったく聞こえることのない笑いが起きた。

それは、序章にすぎなかった。

今度は、弁護士が、やはり真顔で被告人に質問する。
『あなたは、犯行時、悪魔に操られたといっていますが、
 その悪魔は今どこにいますか?』

被告人が答える。
『200万光年彼方のアンドロメダ星雲です。』

  この被告人、
  おそらく冥王星が準惑星に降格したことも知っている。
  天体には詳しそうだな。

弁護士は続けた。
『その悪魔とあなたとでは、どちらが偉いのですか?』

被告人は懲りずに答える。
『力はむこうのほうが上ですが、地位は私のほうが上です。』


私が、脱税事件以外の事件を傍聴したのは、この事件を含め
二件のみであった。
もう一つの事件は、女性が男性にストーカー行為をしという事件。
男性が女性に、ではない。
公判では、いつホテルに行ったとか、行かなかったとか、
いつやったとか、やらなかったとか、赤裸々に語られる。

この公判は、”人気”があったので、満席になった時点で退室したが、
あとで検察官の方からツッこまれてしまった。

『調査官、なんでいたんですか?』

検察官のほうも、
刑事8部担当といったように決まっていたので、
私の面もわれていたのである。

それから、私は、脱税事件以外の傍聴を止めた。


脱税事件は、”人気”がない。
そんな”人気”のない脱税事件でも、
傍聴席が埋まっていたことが二回あった。

まず、一つめだが、
裁判官が法廷に入るやいなや、おもむろに口を開いた。

『傍聴席のみなさんに申し上げます。』

  えっ?

裁判官が傍聴席に直接話しかけるのは滅多にないことである。

『次の事件を傍聴される方は、すぐに退室して下さい。』

次の事件がわいせつ系の事件だったのである。
わいせつ系事件は、”人気”がある。
ストーカー事件でさえ、あれだけ赤裸々に語られたのだから、
ましてや、わいせつ系は…

だから、私と、被告人の関係者の方以外、
”傍聴者”は全員、そそくさと退出した。
つまり、彼らは、場所とりのため、
聞く気もない脱税事件を傍聴しようとしていたのである。

脱税事件の公判が終わって、外に出ると、
廊下には、男だらけの長蛇の列。

『も、もう終わった?』

と、その列の先頭にいた、常連の男性が
待ちわびたかのように、そして、どもりながら、
私に問いかけてきた。


被害者女性からすると、本当に忍びがたいところであろう。

こうした不届きな ”傍聴者”は、
その日に公判がある事件名を確認してから傍聴にやって来る。

だから、本日の公判事件の欄には、
強盗など他の罪にも問われている事件の場合、
わいせつ系の事件名は、”等”と表示することで、
なるべく分からないようにすることもあるらしい。


脱税事件にもかかわらず、
”人気”のあった事件をもう一つ。

公判が行われる部屋の扉を開けると、
大きな法廷であったにもかかわらず、
傍聴席がほぼ満員だった。
わいせつ系の事件かと思って、いったん外に出て、
事件名を確かめたくらいだ。

もう一度法廷に入ってよく見ると、
一角だけ開いていた。
ラッキー、とそそくさと座った瞬間、

  今日は、なんか、お化粧が濃いめの、
  綺麗な女性が多いなー。

と、のん気に思ったのもつかの間、私の耳奥から、

  チャララーン、チャララーン

というヤクザ映画定番のあの音色が聞こえてきた。

周りには強面の方々が私を取り囲むようにして
お座りになっている。

カタギの方たちは、私にいる場所とは反対側。
今さら、カタギ席には移動できなかった…

そして、被告人が入廷すると、
みなさん一斉に起立してご挨拶。
普通は、裁判官が入廷するときに起立して礼をする。

この事件は、地方税の軽油引取税の事件で、
不正軽油がらみなので、暴力団が関与していることが多い。

石原慎太郎代表が都知事になってから、
不正軽油取締り強化の一環で、
脱税の取締りも強化するようになり、
それから、起訴されるケースが多くなったらしい。


と、おもしろおかしく書きましたが、
実際の調査官の仕事は地味なものです。
ただ、裁判官の判断を左右しかねない重責ある仕事で、
かつ、自身にとっても勉強になる、
私の二十年以上の役人生活で、
もっともやりがいのある仕事の一つでした。



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新聞の読み方 | 日記
日本女子柔道監督が辞意表明

今回は、このニュースについて
刑法チックに分析してみたい。

視点は三つ。

加害者、被害者、そして一般人である。

刑法は、基本、加害者目線でできている。
つまり、その気(故意)がなければ、原則、おとがめなし。
ただ、それってあんまりじゃん、
という犯罪には、例外として過失罪がある。

しかし、昨今、だんだん被害者目線も大事になっくる。

まず、酔っ払い運転による交通事故死。
ご遺族の方々は、これは殺人だ、とおっしゃる。
これは、被害者目線。
でも、残念ながら、刑法は、基本、加害者目線なので、
運転手に殺す気がないかぎり、殺人罪は適用なし。
業務上過失致死罪も軽い。

ただ、それはあまりにもひどい!
そこで、酔っ払い運転などをして、誰かを怪我させたり死なせた場合は、
ただの過失罪よりは厳罰に処すべきだということで、
危険運転致死傷罪や自動車運転過失致死傷罪が新設された。
もちろん、ご遺族の方々にとっては、これでも十分ではないはず。


次に、ストーカー規制法、そして、セクハラやパワハラ問題。
こうした今どきの犯罪や問題になると、被害者目線。
加害者が、自分はその気がなかった、といっても、
通じないことが多い。
被害者がどう思ったかが大事なのである。

もちろん、誰がみてもそれはセーフだろう、
という基準もあるはずである。
それが、一般人の目。

この一般人目線も変わらないようで、
実は、時代や場所によって変わる。
極端な例だが、原始社会では、生けにえのために
人を殺すことさえ許されていた。
戦争の場合は、いつの時代でも。

そして、問題となっている体罰。

刑法では、”暴行”とは、不法な有形力の行使をいう。
問題は、この ”不法”。

殴られる側が同意していれば、刑法的に問題なし。
もちろん、形式的な同意ではダメ。
また、この一環ではあるが、
ボクシングといった格闘競技中も問題なし。
もちろん、一般人目線でも、
これはアカンやろ、というラインというかハードルがある。

問題は、このハードルである。
おそらく、一昔前の体罰であれば、
殴られる側も一般人目線も
今よりハードルが低かったのであろう。
だから、一昔前の世代の方たちは、
体罰を全否定することに
戸惑いを禁じ得ないのではなかろうか。

が、今日日、このハードルが上がっているような気がする。
特に、大阪市の高校で不幸にも自殺者がでてしまったことで。

柔道界の頂きにいる女子柔道選手15名が連名で、
監督の暴力行為などを告発したことは、
被害者側のハードルも上がっていることを示している
とも考えられる。

もちろん、いずれのケースとも、
それだけ体罰がひどかったのではあろうが…
ハードルが上がった現在、
当の教師や監督が、自分は ”暴力”とは認識していなかった、
と弁解したところで、通じない。

日本柔道連盟が、本人が改心し深く反省していることを理由に
戒告処分にとどめたのは、
加害者目線にしか立てなかったからであろう。
あれだけお偉い方々になると、
被害者目線や一般人目線を持てないか。


こうして見ると、体罰といじめの違いも分かってくる。
それは、いじめに加害者目線は関係ないということ。
いじめの実態として
”遊びのつもりだった”
という加害者目線は考慮の余地はないということ。
一般人目線でも、許される ”いじめ”はないはず。

だから、いじめ問題は、
いかに被害者側の目線に立つことができるか、
これがより重要になってくる。

そして、学校側や教育委員会が
自分の立場という、まったく的はずれな視点しか持てなかった、
だから、事が大きくならない限り、隠し続ける。
こうした対応が、大津市の中学生が自殺という、
不幸な事件を引き起こすことになる。

だから、一般人目線で、かつ
被害者の立場になって考えてあげることができる
そういう第三者の目というのがより重要になってくる。

この点、
大阪市の高校や日本柔道連盟の対応をみていると、
やなり体罰問題にも同じことがいえるか。

いずれにせよ、
人の命がかかっている。



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2013.02.02(Sat):外交・安保問題
日本人FW、人種差別を理由に退団


サッカーのスロバキアリーグのチームに所属していた
中村祐輝選手が1月30日、ご自身のブログで
『人種差別的なことを受けて生活できなくなり帰国しました』として、
チームを退団したことを明らかにされた。

この方のブログによると、サポーターから人種差別の標的にされ、
中には彼らに加勢するチームメイトもいたという。
『試合前、後にはサポーターから鬼の形相で自分の名前だけ叫ばれて、
 中指を立てられ…チームメイトは誰も助けてくれない。
 そこに加担するかのような選手もいました…』と。

さらに、チームにも脅迫みたいなものが来て、責任を持てない旨
クラブ側から説明されたという。

実際のブログでは、明るい感じでしめくくられてはいたが。


私にも次のような経験がある。

二十年も前の話で恐縮だが、
私は、OECDの職員といっしょにモンゴルの首都ウランバートルに赴いた。
そこで、西側諸国の税の仕組みや税の調査といったことを
現地の税務職員にお伝えしたときだった。
私だけが現地の職員によばれ、次のようにいわれた。

『白人から教わるよりは、
 OECD加盟国で唯一同じ肌の色をしたアジア人である日本から、
 できれば教わりたい』と。

なお、OECDとは、先進国が加盟する国際機関であり、
日本は1964年に加盟し、アジアの国では他に韓国が1996年に加盟している。


また、ベトナムのハノイにいったときのお話。
あるお寺にお参りしようと、
拝観料がとられていないことを確認した上、お寺に近づいた。
とっ、いきなり現地の方から拝観料を請求された。

つまり、こういうことだったのである。
私が確認したときは、白人観光客が次から次へと
お寺に入っていったのだったが、
その現地の方は白人には何もいえなかったのである。
ただ黙って見過ごしていたのである。
そこへ、同じ肌の色をした私がやって来たものだから、
こいつには請求できる、と思ったのだろう。

なんとなく、この突っ立っているだけの現地の方の存在が
気にはなっていたのだが…


次に、肌の色が親近感を生んだお話。

韓国ソウルに、OECD職員と出張し、
空港から出て、タクシーに乗ろうとしたときである。
みんなの荷物がたくさんあったので、
運転手さんが荷物を後ろのトランクに入れようとしたとき、
いっしょにいたOECD職員は
運転手さんに英語でまくしたてながら行き先を告げていた。
英語の分からない運転手さんは
非常に困惑し、緊張した面持ちだった。

と、その運転手さんは、私を見つけるやいなや、
ほっ、とした表情に変わり、
私に韓国語で話かけてきた。
今度は、こちらが困惑する番だった。


また、ポーランドではこんなことがあった。
とある田舎の空港で、見知らぬ韓国人と出会ったとき、
どちらからともなく、話しかけた。
彼はビジネスでポーランドに来ていたということだが、
お互い、数週間、東洋人を見かけておらず、
なにか、東洋人が懐かしいという感覚をもっていた。

飛行機に乗っていても、隣の席に欧米人が座ったときは、
お互い話しかけるということは少なかった。
しかし、なぜか、隣の席に韓国人が座ったときは、
いつのまにか話をしていた。


さらに、世界税関機構という国際機関の会議に
出席したときのお話。
世界税関機構の加盟国数は、
国連加盟国とほぼ同じで、180近い。
だから、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ
といったように、あらゆる人種がいる。

休憩時間のときである。
私は、なるべくいろいろな方と話そうと、
フランス語でチュニジア人に話しかけた。
が、相手にしてくれない。
自分のフランス語がサバイバル程度にあることに加え、
チュニジアのことは、カルタゴ遺跡のことくらいしか知らない…
当然といえば、当然。厳しい…

結局、アジア人が集まるグループに加わったが、
周りを見渡すと、見事に同様の人種どうしが
集まって会話をしていた。

ちなみに、私は日本代表ではなく、
OECD代表として出席していたので、
他のアジアの国々の代表から
どうすればOECDに加盟できるのか、とよく聞かれた。

「お金をつめばいいんだよ。」

と冗談半分に答えておいたが、あながちウソではないと思う。


厄介なのが、人種差別につながるとき。

パリでホテルの従業員に卑屈になる日本人観光客も、
韓国ソウルでは横柄になる。もちろん、同一人物ではないが…

どちらも実際に見た光景ではあるが、
それが記憶として鮮明に残ってしまうのは、
私の心の奥底に差別意識があるからかもしれない。


次は、身に危険を感じたお話。
場所は、ポーランドの首都ワルシャワ。
街を歩いていると、突然、
十代後半のヤンチャな兄ちゃんたち十人くらいに囲まれた。

こういうときは、たいてい大げさな記憶になっているので、
実際は7~8人くらいだったのかもしれない。

”ヘイ、イエロー、ゴーホーム!”

  やばっ…

周りに人はいなかったものの、昼間であり、
そして、彼らは武器は何ももっていなかったので、
意外と冷静であった。

  スーツこれしかないんだけど…

出張できていた。

結局、見回して一番弱そうなやつに近づき、
一生懸命、ゴルゴ13のデューク東郷の表情を思い出す。

  殺す

本気でそう思いながら睨み付け

「シット」

といったら、どいてくれた。

後ろから

”シット、シット”

という声が聞こえてきた。

そのトーンから

  おそらく、彼らは意味を知らない。

そう、思った。


なお、第二次大戦中のナチスも
同盟国であるはずの日本人に対する
差別感情をいだいていたようだ。

聞いた話で恐縮だが、ナチス手帳というのがあって、
見開きページの片方には、第一人類
そして、もう片方には、第二人類というのが載っているらしい。

第一人類の筆頭はもちろんゲルマン人、
そして、途中に、英語の奴隷(slave)を語源と曲解してスラブ人、
最後は、ユダヤ人である。

それでは、同盟国の日本人はどこ?

日本人は、同盟国だから、もう片方の第二人類の筆頭。
そして、途中にピグミー族といったアフリカ系の民族が並び、
最後は、類人猿である。

つまり、日本人は猿の筆頭だったのである。


フランスのパリで生活していたときは
ちょっと違う経験をした。

フランス人から何度も道をきかれたのである。

日本であれば、街を歩いている外国人に
道を尋ねられることはあっても、
道を尋ねることはない。

そのフランス人らは、肌の色で判断しているのではなく、
現地の人のにおいがするかどうかで、
道をきく相手を選んでいたのである。

パリなどの街にはいろんな人種がいる。
そんな環境で育てば、人種への偏見は
そもそも生まれないのかもしれない。

そいえば、当時、モンゴルで白人を見かけたのは、
いっしょにいたOECD職員だけだった。
ベトナムでは、白人は観光客くらいしか見当たらなかった。
一方、ポーランドでは、有色人種は、日本人観光客と
ホテルのクロークにいたアフリカ系の方しか見かけなかった。
フランスでも、田舎のほうにいくと、私は珍しがられた。

もっとも、ワルシャワのプラガ地区というところには、
旧東ドイツに出稼ぎに来たものの、
同国の入管行政が厳しくなってから、
ポーランドに不法に入国したベトナム人などが
たくさんいるらしい。
だから、私が、ポーランドの若者に囲まれたのも、
そうしたベトナム人らと間違われたからかもしれない。



私が、肌の色の違う人と会話をすることに少しでも抵抗がなくなったのは
英会話学校に通ってからである。

今の日本の子どもたちは、小さいころから英会話教室に通い、
小学校でもネイティブの先生と接する機会があるという。


今の日本の子どもたちには、われわれ大人より
うまく世界の人たちとわたりあえるようになってほしいし、
できるものと信じている。



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両親の思い出 | 日記
2013.02.01(Fri):両親の思い出
私は、ようやくまともな人間になれた。

そもそも父ではなく、私がここへ来たのは、
父が寝たきりであったということもあったが、
祖母が私の名前を

「たかし、たかし」

と呼び続けてくれたから、
そこで、”Hさん”が私のところに連絡くださったからだ。

私は、祖母のことではなく、
親戚の方にせよ、職場の方にせよ、
人の目ばかり気にしていた。
自分のことしか気にしていなかった。

祖母とは、二十年以上、会っていないはずなのに、
”Hさん”によると、
私や弟にずっと会いたがっていたという。

私のほうとはいうと、この自在園からくる
一か月に一度のお便りで、ふと思い出す程度。
陸上のこと、勉学のこと、恋愛のこと、仕事のこと、両親のこと、
そうしたことで頭がいっぱいで、
祖母のことはほとんど考えたことがなかった。

母方の祖父母は、既に亡くなってはいたが、
存命中は東京に住んでいたので、身近だった。
しかし、この目の前にいる祖母のことは…

私は、祖母の手を握りはしなかった。
さすった。
冷たかったから。
この二十年以上
祖母のことをほとんど考えなかったことを
わびるように、
この二十数年を取り戻すかのように、

私が小学生のとき、
祖母が、東京でも売っているお菓子を
ここ御荘で買って、弟のと二人分
小包で送ってくれたことを、ふと思い出した。


祖母の眼から一筋の涙が流れた。

九か月前、母と父もこんな感じだったか、


30分以上、さすっていたらしい。
というのも、同じ部屋にいた親戚の方が
そうおっしゃってくださったからだ。

その後、祖母の脈を測りに部屋にやってきた職員の方が、
祖母の手を握り、思わずこぼした。

『あら、あたたかい。』


その間にも、私の真後ろにいるおじいちゃんは、
職員の方に、のどにつまらせたタンを吸引してもらい続けていた。


それから、数時間が経っただろうか、
いつものように、ソファーの上で横になっていると、
いつものように、突然、起こされた。
そして、いつものように、危ないと。

しかし、いつもと違う、と感じた。


自然死とはこういうものなのだろうか。
本当に意識が徐々になくなっていくのが分かる。
祖母の手を、今度は握っていたから。

私は、最後まで呼び続けた

「おばあちゃん、おばあちゃん」


午前6時、自宅にヘルパーさんがいらしている時間。
私は、自宅に電話した。
ヘルパーさんが出た。
祖母の死を父に伝えていただけるよう、お願いした。


祖母が待っていたのは、
私がにここに来ることではなかった。
私の気持ちを待っていたのかもしれない。


またもや、私が事実上の喪主となり、
四十九日までやってしまうという強引な葬儀も終わった。
そして、いよいよ御荘を発つことに。

私は、祖母がこの十五年間介護を必要としていたことを
気に留めたこともなかった。

その間、”Hさん”をはじめとする自在園の職員の方々が
それこそ、二十四時間体制で祖母の面倒をみてくださった。
だからこそ、自分は今までの生活ができていた。

そう思うと感謝の気持ちでいっぱになった。


今日も、あのおじいちゃんは、のどにタンをつまらせ、
職員の方に吸引してもらっていた。



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