私は、とある団地に住んでいる。
隣は一年半空室だったが、
最近、外国人家族が引っ越してきた。

親子5人の東洋人だが、
話していることばは中国語でも朝鮮語でもなく、
結局どこのお国の家族なのか、
いまだに分からない。

いつも夜中の12時ごろから、
食事をしながらの一家団らんが始まる。
本人らに悪気はないのだが、
料理の音や話し声などがとにかく大きい。
そして、寝静まるのが夜中の3時すぎ。

これでは私も眠れない。
夜中だから静かにしてほしいと、
何度もお願いした。
簡単な日本語は通じ、
最初は了解してくれたような感じだった。

が、夜中の料理と家族団らんは一向におさまらず、
最後に苦情を言ったときは逆切れされる始末。

そこで、困った私は、
団地の管理事務所に相談しに行った。
しかし、ここは、
近隣トラブルには関わらない方針で、
過去にも
『自分で訴訟でもして解決してください』とか、
『民事には介入できません』とか
とても貸主側の発言とは思えないことを
何度か言われたことがあったので、
今回も期待していたわけではなかった。

が、今回は、
私とは逆側のお隣の方からも相談があったらしく、
『そんなときは110番通報してください』
とのアドバイスを受けた。
が、安易に119番通報しないように言われている昨今、
そんなことで警察が来てくれるとは
信じられなかった。

そして、その数日後、
今度は知人らも交えての宴会みたいなものが
やはり夜中の12時ごろから始まった。

私も当初は我慢していたが、
夜中の2時ごろ、
ついに、生まれて初めての110番通報。

『事故ですか?緊急ですか?』
「事故でもなく、緊急というほどでもないんですが、
ちょっとご相談が…」
『事故ですか?緊急ですか?』
「騒音で困ってまして…」
『緊急ですね。』
どうやら、
事故以外のことを緊急というらしい。

それから、20分後、
二人の警察官が来てくれた。
隣の主人は、
帰宅が遅いんだからしょうがないと
警察官に主張する。

警察官は、
朝が早くで寝ている人もいるから
夜中は静かにするようにと
言ってくれた。


「夜中は静かにすべき。
だから、夜中の家族団らんは控えるべき。」
これは、多くの日本人の常識といってもよい。
だからこそ、
夜遅くに帰宅したお父さんが、
子どもたちを起こさないよう寝顔を見て
一人だけで静かに食事、
こうした旧来の光景がうかんでくる。

『家族団らんの時間は絶対に必要。
だから、他人に邪魔されるいわれはない。』
これが彼らの常識なのかもしれない。

こんな『常識』の違いは
身近なところでは夫婦間や友人間にもあり、
極端に高じると
紛争や戦争の種にもなるのであろうか。

でも、私も含め、周りの多くの居住者が
夜中は静かにしてほしいと思っているのだから、
やはり静かにしてほしい。



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現在、私は大学で、
“世界文学研究入門”なるゼミをとっている。
これは、文献の調べ方、議論・発表の方法、
そして論文の引用の仕方といった
(これには最近の事件と関係しているのか、
大学側もかなり神経をとがらせている。)
研究やプレゼンの方法の基礎を学ぶための
一年生用のゼミである。

こうしたゼミには、
私がとっている文学のみならず、
哲学、歴史、芸術、政治、経済、開発、外交安保など
様々なものがあり、
自分が希望するものを
ある程度選択できるようになっている。

私の場合、
これまで文学にまるで興味がなかったので、
少しでも教養を広げるべく、
あえて、このゼミを選択した。

そして、私は、
夏目漱石の『倫敦塔』について調べているのだが、
同じゼミ生の中には、
『星の王子さま』について調べた者もいた。

文学にまるで疎い私は、当初、
「なんで絵本を?」
と、思ったのだが、
これも立派なフランスの文芸作品である。

しかも、
この第二次大戦のときに書かれた作品は、
当時の子どもたちに、
当時の大人たちのようにはなってはほしくない、
ということを伝えるためにつくられた教訓本
という説もあるらしい。

私がこれまで50年間生きてきて、
たしかにこういう大人は、私自身も含め、
今の時代にもたくさんいるな、
と感じたものを、
他のゼミ生の研究成果ではあるが、
ここで紹介させていただきたい。
(ご本人らからは了承を得ております。)

「大人は数字が好きだ。新しい友だちができたよと言っても、大人は大事なことは何も聞かない。『どんな声の子?』とか、『どんな遊びが好き?』…などとは聞かない。聞くのは『その子はいくつ?』とか、『兄弟は何人?』…などということばかりだ。こういう数字を知るだけで、大人はその子のことをすっかり知ったつもりになる。」
(サンテグジュペリ 池澤夏樹・新訳『星の王子さま』集英社文庫、2005年)

「王さまにとっては…他者(との)支配関係を維持することによって自己の存在価値を満足させる形式を守ることのほうが大切なのである。」
(生越達、おごせとおる『『星の王子さま』におけるおとな性』
茨城大学教育学部紀要、2010年)



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2015.07.09(Thu):ボランティア活動
私は今、東京大学に通っているが、
これもK塾という予備校のおかげである。
もちろん、なかには、
独学で合格したものもいる。

しかし、多くの学生にとっては、
予備校や塾に通うと通わないとでは
大きな違いがあるのではなかろうか。

それは、
高校生の時にどこにも通わず、
MARCHの一部も含め、
受験した大学すべてに落ちた自らの経験からしても、
いえることである。


しかし、世の中には、
いろいろな事情があって
塾に行きたくてもいけない子もいる。

そして、私は先の5月から、
そんな中学生の勉強をみるお手伝いを
ボランティアという形でさせてもらっている。

先の江東区長選で
“教育の経済格差解消”
を公約に掲げた以上は、
落選しても今の自分にできることはしよう、
とも思ったからである。

生徒のみんなは部活動などがあって
全員同じ時間に集まることが難しいことや、
学年や習熟度が区々であることなどから、
画一的な授業をするのではなく、
ある一定の場所にみんなに来てもらい、
学校の宿題含め、
各人が自発的に勉強していることについて、
私と同じような大人たちがその勉強をみる
というスタイルがとられている。


そこで気になったことがある。
学校の成績が伸びない子をみていると、
その原因が、例えば中2なのに
中1で習ったことが身についていないことにある
ということがすぐに分かった。

しかし、学校では、
ある意味当然なのかもしれないが、
そんな各人の習熟度おかまいなしに授業は進む。

これでは、こうした子らにとっては、
まるで授業の意味がなくなってしまう。
すなわち、
中1で教わったことが身についていないのだから、
中2の授業でいわれたことが理解できない。
それでも授業は進み、その一方で、
子どもたちはますます分からなくなる。

もちろん、
学校は個人指導の場ではないので、
ある程度仕方がないことなのかもしれないが、
もう少し各生徒の習熟度を
気にしてあげてもいいのでは、
と感じた。

自分がお世話になった先生方も含め、
いろいろな方々のお話をうかがっていると、
今の学校の先生方は、
とにかく、文科省や都道府県などに
提出するための書類が多すぎるため、
そのための事務作業に忙殺され、
その結果、
生徒へのきめ細かな指導ができにくい、
生徒一人一人までは眼が届きにくい、
という状況にあるとのこと。
いじめを苦にした自殺を予防できない
その原因の一つにもなっているのかもしれない。

しかも、
そうした役所への提出物の効果もみられず、
自分たちが学校を管理しているんだ、
という役所側の満足のための感じがぬぐえない。

また、
いわゆる“ゆとり世代”の子らにきくと、
大人たちが勝手に
ゆとり教育なるものを始めながら、
今になって、何かにつけ、
“これだから、ゆとり世代は…”
と言ってくるのには、
ものすごく納得がいかないらしい。


子どもたちの立場にたった教育行政が
まるでなされていないと感じている
今日この頃である。



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2015.07.05(Sun):憲法・法律問題
ご覧になった方もおられると思うが、
先月下旬、ある報道番組において
日米地位協定に関する特集の中で、
同じ敗戦国でもイタリアやドイツでは、
駐留米軍の演習や訓練には各国政府の同意が必要で、
土壌汚染など基地内の環境問題についても
国内法が適用されるなど、
駐留米軍基地にも各国の主権が及んでいる旨
紹介されていた。

日米地位協定に関しては、昨年、
日弁連も改正意見を書面で表明しており、
その資料によると、
ドイツやイタリアだけでなく、
韓国など他国に駐留する米軍基地にも
各国の主権が及んでいるようである。

こうした国々と異なり、
日本駐留の米軍基地が依然治外法権化していたり、
戦後70年経っても、
米軍基地"周辺"の制空権は米国に握られたままなのは、
日本の有事の際は米軍が守ってくれても
自衛隊は米国を守る必要がないとか、
今まさに議論となっている
集団的自衛権が行使できないとか、
そういったことと関係しているのかもしれない。

(なお、米軍基地"周辺"とはいっても、
横田基地の場合、関東甲信越地方の1都8県を含む、
高さ約7,000メートルの巨大な空間が
米軍の管制下にある。ただ、
一定の高さに限り民間機等の飛行が許されており、
一昔前のように羽田空港を離着陸する際に
大きく迂回する必要はなくなっている。)

集団的自衛権の行使を認める
安保関連法案も、
テロの脅威などにさらされている
現在の世界状勢からして
わが国だけが何もしないわけにはいかない
という背景があるようである。

そして政府は、これらのことについては、
内閣の専権事項である(憲法73条2,3号)
外交の一環として考えている。

しかし、そうだとしても、
憲法つまり日本の主権や人権が
外交によってないがしろにされていいわけがない。
(学説もこちらのほうが多数説)
やるんなら、
憲法改正手続きをきちんと踏むべきで、
参院では与党が改正発議要件の2/3に満たないとか、
時間がかかる、というのかもしれないが、
それが法治国家というものである。

今の政府・与党や外務・防衛官僚は、
沖縄の方々をはじめ、
同じ日本人の声には耳を傾けようとはせず、
異国のはずの米国のほうばかり向いている。
日本の主権や人権といった基本中の基本に
頭がまわっていない。

先にあげたイタリアやドイツでも、
国民の声に応えて、
死亡事故が起きた場所での低空飛行訓練の禁止や
地位協定の改正による基地内の主権回復を
実現させたらしい。

“マスコミを懲らしめる必要がある”
といった一部自民党議員の発言も然り、
今の一部国会議員や官僚は、
あまりにも憲法感覚がなさすぎる。


私のように、
きちんと勉強し直していただきたい。



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