(その1)
今から7~8年前、
当時の社会保険庁のずさんな年金記録管理、
いわゆる『消えた年金記録』が
社会問題となったころ、
各人宛に年金記録が、確認のため
郵送されてきたことと思う。

当時、ある人のもとにも
年金記録が送られてきたのだが、
中を開けて見るとビックリ!
過去に、まったく覚えのない
国会議員秘書になっていたことになっている。

ただ、心当たりはあったらしい。
当時の知人に国会議員がいたからである。
しかし、身に覚えのないことだから、
当然、秘書給与を受け取ったこともない。

そのお金はどこにいったことやら…


(その2)
私の知人が、先日、
通勤電車のグリーン車に乗った。

グリーン券購入記録のあるSuicaなどを
座席上方にかざせばランプが赤から緑に変わり、
これにより検札が省略されるとのこと。
だから、ランプが赤なのに座っていると
乗務員から声をかけられるらしい。

グリーン車に乗っていた知人の近くに
男性二人が座っていたのだが、
ランプが赤だったので、
乗務員がやって来た。

すると、男性の一人が、
『あー、議員だから』
と乗務員を𠮟咤するように言ったらしい。

国会議員には電車(しかもグリーン車)
無料乗り放題パスが支給されるので、
別に違法なことではない。

しかし、この議員が仮に、
『国民のため…』とか
『庶民の暮らしは…』とか
普段からいっているのであれば、
こうした特権意識はいかがなものか。

できれば、こうした議員には
満員すし詰めの一般車両に乗って
通勤地獄を味わってほしいし、
グリーン車に乗るなら、
他の国民や庶民と同様、
きちんと追加料金を
別途支払ってほしいと
個人的には思う。

税金節約のためにも、
そして、
公務であることを明確にするためにも、
無料パスの支給をやめて、
多くのサラリーマンなどと同様、
普通乗車券料金のみの
実費精算後払いにしてほしい。



スポンサーサイト
Tag:
| TrackBack:0

東京江東区の朝には、
区から委託を受け、
放置自転車をチェックする方々、
ゴミを拾ってくれる方々、そして
タバコの吸い殻を拾ってくれる方々がいらっしゃいます。
それぞれ異なる色のベストを着用されているので、
一目で分かります。
先日、タバコの吸い殻を拾ってくださる方と
ちょこっとだけ会話をする機会がありました。

多くの地方自治体などと同様、江東区でも
全域で歩きタバコが、一定区域では立ち止まっての喫煙も、
禁止されています(もちろんポイ捨ても)。
お話したこの方によると、
違反して喫煙する人を見つけて注意すると、
たいていの大人はなかなかいうことを聞いてくれないが、
多くの若者は素直に喫煙を止めてくれるということでした。

『最近の若者は立派だよ。』

私も同感です。
もちろん、私が出会った限りのはなしで、
しかも全員当てはまるというわけではなく、
あくまで割合というか、印象というはなしです。

私は結婚をしたことがなく、よって子どももおらず、
以前の職場でも新人と接する機会はめったになかったので、
実は、今どきの若者の実態というのは分かりませんでした。
しかし、仕事を辞めて、
数十年ぶりに予備校や大学に通うようになってから、
多くの若者と接するようになって、
私自身も見習うべき点が多々あることに気がつかされました。

まず、今の若者はきちんと
挨拶やお礼のことばをいってくれます。
私が経験した数々の職場では、
挨拶をしても無視する大人が一定数いました。
自分が若いときに所属していた野球部や陸上部などでは
挨拶が徹底していただけに、これは衝撃でした。
また、仕事上のこととはいえ、
“ありがとう”と言われた記憶もあまりありません。

次に、今の若者はコミュニケーションを図るのが上手く、
適切な距離感というのも分かっているような気がします。
私がいた職場のほとんどでは、
お酒を飲まないというだけで
コミュニケーション力が欠如している
と思われがちでした。

そして、今の若者は私の感情を察しながら話をしてくれます。
一方で、私の感情おかまいなしに
自分の主張だけをしてくる大人が少なからずいました。

また、これに関連して、
今の若者は会話の行間を読むことができる、
と感じています。

例えば、私がAをしているという発言をすると、
私が接した大人の中には、
『どうしてBをしないんだ』と
多くの人が当然と思うようなことを
時には感情的になって言ってくる方もいました。
つまり、こうした方々は、
自身の理解や価値観の範囲で話をしてくるのです。

しかし、今の若者は
『通常ならBをするところ、Aをしているということは、
 きっと、自分とは何か違う考え方がある、あるいは、
 自分には理解できない何らかのわけがあるはず。』
と心中で思って会話をすすめてくれます。
言葉として明言されなくとも、話をしていて分かります。

思い返してみると、
私が25年間経験した職場の中で、
以上のような若者に近い職員が最も多かったのは、
奇しくもOECD(経済協力開発機構)、
つまり日本人以外の方々だったような気もします。

こうした話をすると誤解されがちなので、
繰り返し申し上げますと、もちろん、
私が出会った大人全員、そして若者全員に当てはまる
というわけではありません。
職場での付き合い方とそれ以外の付き合い方との違いや
年齢差という違いなどもあります。

そして、もちろん、
尊敬すべき立派な大人もたくさんいらっしゃいますし、
今の若者にも子どもの面が見受けられるのも確かです。
また、今の予備校や大学で、
授業中に先生に断りなく平然と教室を自由に出入りする姿は
私には驚きです。
先生のほうも昔よりは受け入れているように見えます。


いろいろ勝手なことを申し上げましたが、
私がお伝えしたかったのは、
“今どきの若者は…”と思う場面が、
私にはあまりなかったということです。



Tag:
| TrackBack:0
2015.08.15(Sat):政治活動
朝の駅頭挨拶で、
2時間~3時間立っていることは
体力的にはほとんど問題ない。
なぜなら、若かりし頃、
これと同じ時間、走っていたからである。

問題は、気持ちである。
自分のためだけに挨拶をしていると、
時間が経つのが遅く感じられる。
そこで、
駅前を歩く方々に
気持ちよく出勤・通学をしていただこう、
そう思いながら挨拶するようにした。

「水分を十分に補給くださいますよう、
よろしくお願い申し上げます。」

これは最近の駅頭挨拶の言葉の一部だが、
最初から決めたセリフではなく、
自然と発せられたものである。
気持ちを切り替えたからこそ
出た言葉なんだと思う。

そしたら
『あんたこそ、水分を摂りなさい』
と水を差しだされたこともあった。

たしかにこの時期、日差しがきつい。
場所によっては、直射日光を浴び続ける。
日焼けがいけていると思う若者には
実感がわかないかもしれないが、
中高年にもなると
日差しはシミやしわの原因にもなり、
とにかくお肌によくない。

また、脱水症状の危険もある。
下着やワイシャツはもちろん、
スーツのズボン・パンツまで
汗でびっしょりになる。
25年間の社会人生活の中でも、
外回り営業の経験もない私にとっては、
一度も経験したことがないことだ。

先ほどの方に注意されてからは、
水分を摂りながら挨拶することもあり、
最高で一リットルの水を飲み干したこともあった。


先日、小学校の同級生が
突然、亡くなった。
『猪野くんの本読んだよ。応援してるからね。』
小学生のとき、
ホウキをもって私を追いかけまわしていた彼女が、
最近、私にかけてくれた最後の言葉である。

与えられた命に感謝しつつ、
残りの人生を悔いのないよう、
一日一日を一生懸命に生きよう。

「だから、こんなことで挫けるわけにはいかないよね。」

周りに幸せを与え、
みんなから愛されていた彼女に伝えるため
高く見上げた空は、

青かった。



Tag:
| TrackBack:0
2015.08.06(Thu):外交・安保問題
広島原爆投下から70年。
記念式典で安倍首相が
非核三原則に言及しなかったことが
ニュースになっている。

核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず、
これが非核三原則なのだが、
最後の『持ち込ませず』は空文化している。
すなわち、
アメリカ側からの申し出がない限り、
日本に寄港するアメリカ艦船は
核兵器を搭載していないことになっている。

これは、
軍事機密ということもあるのかもしれないが、
我々が危険物を持っていると申告しない限り、
手荷物検査をパスできるようなものだ。

一方、
反核政策をとっているニュージーランドは
疑わしき艦船の寄港は絶対に許さない。
もちろん、日本とは、
地理上の位置、国力などの点で
事情が異なるのかもしれないが、
それだったら、最初から
『持ち込ませず』なんてことは
言わないほうがいい。


核兵器がある限り、核戦争は起こり得る。
一歩手前までいったキューバ危機が
そのいい例である。
だから、核兵器を廃絶すべき。

しかし、
地球上に生物が誕生して以来、
攻撃をしかけてくるものは
必ずいる。
特に、防御力がないとみた相手に対して。

だから、けん制のためにも、
集団的自衛権を認めるべき、
軍備を増強すべき、
核兵器を保有すべき、
と主張する方もいる。

核兵器は軍備の究極である。

たしかに国際的にも
昔から核軍縮は唱えられているが、
核保有国が自らは核兵器を保持しつつ
非核保有国には
『核兵器を持つな』といっても、
喫煙者が
『タバコを吸うな』
と言っているようなもので、
まるで説得力がない。

被爆者の方の中で核兵器の保有に
賛成する方はいらっしゃらないかと
想像する。

戦争を体験した方の中で
賛成する方もめったにいらっしゃらないかと
想像する。

日本人の中で賛成する方は
少数派のほうだと想像する。

世界中の中で賛成する方の割合は
日本人よりは多いのではないかと
想像する。

要は、
被ばくの恐ろしさ経験したかどうか。
具体的に知っているかどうか。

戦後生まれでも、
私のような昭和生まれの者はまだ、
実際に戦争を体験した方々から
直接お話しをうかがう機会はあった。
『はだしのゲン』などのように、
生々しく知る機会は多かった。
(描写が過激という理由で図書館から排除するという問題もあったが…)

しかし、今後は、日本の中でさえ、
知る機会は少なくなっていく。
核兵器の恐ろしさを知ろうとしない、
もしくは
観念的に分かったつもりでいる外国では
なおさらである。

人間が地球上に存在する限り、
軍備の究極である核兵器はなくならい。

しかし、一方で
核廃絶をうったえることを止めてしまえば、
核戦争の可能性はぐんと高まる。

だから、
広島・長崎の原爆投下の悲惨さ、
戦争の悲惨さを伝えること、
そして、知ろうとすることが
大切なんだと思う。



【Read More...】

Tag:
| TrackBack:0