2017.05.24(Wed):両親の思い出

先日は母の十六回目の命日。
墓前に手を合わせていると、
母が亡くなった日のことではなく、
その数日前のことがうかんだ。

隣の病室に入院していた女の子が、
私の母に向かって愛嬌をふりまく。
それに母は笑顔で応えていた。

眼を開くと、
墓地近くのコートで
テニスに興じる大学生の声が聞こえた。

そして、その数日後、
私は東大本郷キャンパスに向かっていた。

三年前に通っていた
予備校時代の同級生の女の子二人が
五月祭(学園祭)で
各々踊りを披露するからだ。

途上の小路の信号が赤になった。
見知らぬ親子が
信号が変わるのを待っていた。
私も待つことにした。

『あのね、この前、ネコがね、
赤信号なのに渡っていたんだよ』

十六年前、
病室にいたあの女の子と
同じくらいの年齢だろうか。

キャンパスに着くと、まず、
外国の民族舞踊を踊る
元同級生の女の子の姿を観た。

そして、その数時間後、
フラメンコを踊る
やはり元同級生の女の子の姿を観た。

その日は、五月にもかかわらず
夏を思わせる暑さだった。

それでもみんな一生懸命に舞う。
この日のために稽古を積み重ね、
その成果を思い存分発揮するために。

このように華麗な舞を魅せるには、
技術はもちろんのこと、
相当の体力も要るはずである。

三年前に初めて会った彼女たちには
高校を卒業したばかりだったからか
まだ、あどけなさがあった。

しかし今や、
二人とも二十代の立派な女性。
実際、予備校時代には見せなかった
妖艶な姿にドキッとする瞬間もあった。

でも、
十六年前の彼女たちも、
誰かに愛嬌をふりまき、
そして、
赤信号を渡るネコのことを
不思議に思う女の子だったのであろうか。

五月祭2五月祭1
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前回、
私が今学生として通っている東大で
日本史に関する講義をとっている旨
申し上げました。

なぜ、この講義をとったのかと申しますと
二十年以上前に購入した文庫本を
ふと、引っ張り出して読み返したとき、
東大資料編纂所についての記載に
目がとまったからです。

よく、歴史の教科書に書かれていることは
事実とは限らないといわれることがあります。
特に、昔の物語などは
勝者によって書き換えられていることが多い
からだともいわれています。

しかし、そんな中でも、
日記や手紙に書かれていることは、
うわさ話も混在しているとはいえ、
比較的信憑性が高いとされています。

そこで、東大資料編纂所では
こうした手紙(古文書)を中心に
他の資料と照らしあわせながら解読し、
真偽を確認していく作業をしているのです。

まさに、
信ぴょう性の高い原文を解読することで
真の歴史を探求しているのです。

ですから、学生にも、
教科書や書籍の記載を
参考にはしてもうのみにはせず、
古文書などに直接当たることで
真の歴史を自主的に確立していく
そんな姿勢が求められています。

例えば、ある教授によると、
かの有名な『太閤検地』も、
学部学生の論文によって
明らかになったそうです。

しかし、現実的には
入学したばかりの十代の学生に
いきなり古文書を解読しろ
というのは無理な話です。

そこで、私がとった講義では、
すでに解読され冊子となって
きれいに印刷された古文書について
教授の解説も交えながら
自分たちで解読していくのです。

ですから、中には
本気で研究者を目指して学生もいるので、
私は、念のため
教養を身に着ける目的で講義を受けたい旨
教授に伝えたところ、
この教授も大学外のカルチャーセンターで
私のような年代の大人向けに
教えていらっしゃるということで
受講を快諾していただきました。

さて、教科書などではなく、
古文書といった原資料を読み解くことで
真の歴史を追究していくという姿勢は、
東大入試(日本史)でも求められています。

すなわち、東大の入試(日本史)では
些末な知識や用語が問われることはなく、
見やすく加工された資料を提示され、
そこから何を読み解くことができるかが
問われているのです。

ですから、そうした力さえあれば、
細かな知識はなくとも、
合格点に達することができますし、
逆に、思考停止に陥って
覚えた知識をそのまま吐き出しても
高得点は狙えないように問題ができています。

私も、実際に受験した際、
一番勉強時間が少なく
模試でも偏差値40台(平均以下)
をたたき出した日本史で、
他の科目と比べ最も高い得点率を
得ることができました。

こうした歴史に限らず、私たちは
常識や通説とされていることや
自分が与する組織・集団のいうことを
無意識に受け入れ、
思考停止に陥ることがよくあります。

しかし、今一度立ち止まって
常識や通説といわれていることや
自分が属する組織・集団の主張について
自分自身で思考をめぐらすことも
必要なのかもしれません。

ただ、独りよがりに
徒に“思考”しても意味がありません。
様々な考えや知識を修得した上で、
当然に正しいと思いこんでいることにつき、
必ずしも否定するのではなく、
改めて考察してみる必要もあることを
東京大学は入試や講義を通じて
学生に伝えようとしているようです。


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今回は久しぶりに、
私が今学生として通っている
東大の様子について述べたいと思います。

今年度の新入生ついて
一言で申し上げますと、
意識が高いということがいえそうです。

以前述べたとおり、
私は自主留年をして今も二年生なので、
自分が興味のある教養科目を
何コマかとっています。

そして、そのうち何と、
5コマの教室で立ち見が出たのです。
しかも、数人レベルの話ではありません。

私のような昭和生まれの方は
昔の映画館を思い出してみてください。
人気のある映画では、
物語が終盤に近づくにつれ、
次の回を座って観ようと待ち構えている
お客さんが座席の周りを取り囲むように
大勢立っているあの光景です。

あんな感じです。

もちろん今までも、
大学の事務方の見込み違いで、
教室が狭かったということもありましたが、
私のこの二年間の学生生活で
立ち見が出た教室はたった3コマでした。
(ただ、特に一年生の時は
 語学など必須授業もありましたが。)

講義は基本半年単位ので、
今学期の立ち見率は従来の6~7倍です。
(5×2×2年=20,  20/3=6.66…)

こうした場合、教室は
より広い別の教室に変更となるのですが、
変更後の教室でも、ほぼ満席状態です。
というか、一か月経った今でも
立ち見の学生が依然数人います。

これには、
私が興味をもって選んだ講義が
他の学生にとっても興味のあるものだったり、
たまたま楽に単位が取れるとされる講義だった、
といった理由はあるのでしょう。

それにしても、大学の講義を
立ちながら聴講することになろうとは
夢にも思いませんでした。
少なくとも私が若いころに比べると
全体的に学生はまじめになっているようです。

さて、私が
どんな講義をとっているかと申しますと、
昔も今も中東では常に問題が起きていることから、
中東やイスラム関係の科目をとっています。
特に前者については、
オマーン政府(スルタン)の寄付によって
実現可能となっている貴重な講義です。

また、国内では最近、
道徳教育が問題となっているところ、
パン屋には郷土愛はないと認定するような
そんな国や政府が押し付ける考えではなく
様々な先人の知恵を学ぶべきだろうと思い、
東洋や西洋の思想史をとっています。

特に前者については原文から読むべく
漢文の授業もとっています。

さらに、日本史に関する講義もとっています。
次回は、この講義について
東大の入試傾向とあわせて
紹介してみたいと思います。


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2017.05.10(Wed):復興・原発問題
福島原発事故の被災地を訪れたお話しも
今回が最後です。
さて、私もこの訪問に参加できるよう
尽力してくださった区議ご自身は、
所要のため、二日目の早朝、
東京に戻られました。

その際、私はその方から
放射線量を測定する装置をお借りし、
富岡町や大熊町を訪れた際も
ずっと測定していました。

意外だったのは、
これら居住制限地域だったところは
原発事故が起きる前の放射線量と
ほとんど変わらなかったということです。
放射性廃棄物の保管場所前でも
若干上がった程度です。
ただ、林の中を通ったときは
10倍近くに上がり、
福島第二原発が見える海辺に出たときは
15倍近く跳ね上がったのも事実です。

おそらく、
居住制限が解除された地域は、
他の地域よりも放射線量が依然高いと
報道されているのも、
このように高く測定される地域もあるから
かもしれません。

それにしても、
居住制限解除地域と
未だ解除されていない地域とが
道一つ隔てたところに並んでいるというのも
おかしなことというか、
人為の限界というものを感じました。

そして、最後に驚くべき事実を。

私は、東京への帰途についても
放射線量の測定を続けました。

福島から離れるにつれ、
値は徐々に下がったかに思われました。

しかし、
東京の自分の部屋に到着したときです。
放射線量が、富岡町での測定値の
1.3~1.5倍の値を示していました。
放射性廃棄物の保管場所前の値と
さほど変わりなかったのです。

もちろん測定器によって
示す値も異なってくるそうなのですが、
同じ機器で測っていたわけですから、
相対的は高低値ということでは
間違いないでしょう。


私たちは、何らかの問題について
意見を形成するとき、
内容をそのまま鵜呑みにしないまでも、
書籍や報道、ネットなどからの情報に
頼ることがほとんどです。

すべての問題について
自らが体験し調査することは不可能です。

ただ、
実際に現地に訪れて見聞したほうが
より正確な情報に基づいて
意見をもつことができますし、
そうした意見のほうが
迫力はあるんだろうと思います。

私も、原発問題については今一つ
確個たる意見をもてませんでした。

これが、今回、
無理をお願いしてまでも
原発事故の被災地を訪れる会に
飛び入り参加させていただいた理由です。
そして、
その意義は大いにありました。

福島3福島4



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2017.05.07(Sun):復興・原発問題
二日にわたる
福島原発事故の被災地訪問。
最後にうかがったところは、
食物など様々な物から人の体まで
放射能を測定する施設でした。

そこで、驚いたのは、
もちろん医師なども勤めているのですが、
常駐職員がふつうのお母さんたち
ということでした。

つまり、この施設は
“子どもには汚染された食べ物を
絶対に食べさせない“
という想いから設立されたのです。

だから、職員の方たちも
当初から専門知識があったわけではなく、
いろいろと勉強されたそうです。

私たちが訪問した際も、職員の方が
いろいろ説明してくださったのですが、
次のような言葉が一番印象に残りました。
それは

『原発事故がなければ、
 ふつうのお母さんが
 ここまですることはなかった。』

という言葉です。

以前にも申し上げましたが、
原発事故の責任は、
原発を推進してきた政府や東電にあります。

しかし、推進した政治家や役人らの
歳費や給与はカットされることもなく、
ふつうに昇進・昇格もし、
退職金もふつうに支払われています。

推進したものが甚大な被害を出しても
その責任はまったくとらなくてもよく、
その上、収入や地位も確約されている
何て、お気楽な職業なんでしょう。

先日述べた生活困窮避難者支援にしても、
食物などの放射能測定にしても、
本来は、
原発を推進した政治家や役人ら自らが行い
資金面にしても、まずは
この人たちの収入から賄われるべきでしょう。

しかし、代わりに
こうしたことを市民が行っている
というのが現状です。
今ご紹介した放射能測定施設も
おもに寄附金で運営されています。

地球温暖化、有限な天然資源、
開発途上にある自然エネルギー、
そして経済的問題などから
原発を一切否定することには
正直、躊躇もおぼえます。

しかし、諸外国と異なり、
わが国は、国土が狭いため、
居住地の近くに原発を立地するしかなく、
しかも、地震の多いところです。

明らかに原発には不向きな土地です。

それでも原発を稼働させようというのであれば、
事前に責任の所在を明らかにしておくべきです。

すなわち、
今回のような事故が起きた場合、
原発を推進した政治家や役人らが
歳費や給与、退縮金から費用を出し、
自らも被災者支援を行う。
多くの人の生命・身体、財産に
関わることですから
これくらいの覚悟があって然るべきです。

そして、
原発を利用する電力会社を選択し、
原発による電力を利用した者にも、
費用負担を負わせるようにする、
こうしたことを事前に明確にしておく
ことも必要でしょう。

さて、次回最後は、
私が実際に現地で測った
放射線量のお話しをしたいと思います。

福島6福島7福島5
福島8



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2017.05.05(Fri):復興・原発問題
先日、福島県のいわき市で
原発事故による避難者への支援について、
市民の方や県庁の方々から
お話しをうかがった翌日、
居住制限を指定解除されたばかりの富岡町と
未だ解除されていない大熊町を訪問しました。

居住制限を解除されたとはいえ、
放射線量が十分に下がっていないといわれ、
放射性廃棄物が目前で山積みになっている
ことなどから
帰還をためらっていらっしゃる避難者の方が
ほとんどのようでして、
いまだ町に生活感が戻っているようには
見受けられませんでした。

ただ、この四月に再開したばかりの
小学校の校庭では
体育の時間だったらしく、
数名の児童が元気に駆け回っていました。
私たちを案内してくださった
現地の“語り部”さんによると、
数学年まとめての授業とのことです。

耐久期限が切れそうなシートに覆われた
放射性廃棄物が山積みになっている場所も
何か所か寄りました。

入口にある看板によると
保管期限がこの前の三月末になっていたので、
“語り部”さんに
「保管期限切れているみたいですけど…」
とうかがうと
『あ、また延長でしょう。』
と当然のことのようにおっしゃっていました。

また、この“語り部”さんによると、
六年前の震災直後、役所からは、
原発の放射能漏れの可能性があるので、
西の川内村に避難するよう
指示があったそうです。

しかし、それ以上の情報は提供されず、
例えば、一号機建屋の爆発があった日、
前日からの指示に従い
川内村などに避難するため
素の姿のままで車を運転する町民らが
防護服を着ながら誘導する警察官らの姿に
驚いた、といったこともあったそうです。

大熊町の山のふもとの地域にいたっては、
当初の避難指示さえ届いておらず、
周囲の町民らの大移動の様子に驚き、
自分たちで計画をたてて避難したそうです。

また、避難所に落ち着いた後も、
全国から多くの支援物資が届きながら、
全員分にゆきわたる量に達しない限り、
支援物資が避難者に支給されることはなく
せっかくの救援物資がむだになった
ということもあったそうです。

これは、役所のほうで
全員分に達しない場合の配布基準について
マニュアルがなかったからだそうです。
(同様のお話は熊本でもうかがいました)

その後、仮設住宅ができると、
そこに住めた方と
自分で民間アパートを探して
住まざるを得なかった方との間で
ちょっとした対立もあったそうです。

例えば、金銭面については
民間アパートでも補助はあったので
大きな問題はなかったそうなのですが、
家電製品など支援物資のほうについては、
仮設住宅の方にしか
支給されなかったそうでして、よって
仮設に入れなかった方たちからは
『自分らは自費で買いそろえたのに…』
といった不満がでたそうです。

また、芸能人やスポーツ選手らの慰問でも
仮設住宅のほうにはあっても
アパートに移った方には
その機会さえ知らされず、後日、
有名人に会えていい思い出になったと
仮設住宅の方の話を聞いて、
嫉妬や不公平感が噴出した
ということもあったそうです。

さて、最後に、
食物など様々な物から人の体まで
放射線を測定する施設を訪問しました。

そこで、私は、
今回の訪問で一番衝撃的というか、
原発事故の問題の本質をついた
職員の方の一言をきくことになりました。

そのお話しは、後日。


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2017.05.03(Wed):復興・原発問題
先日、福島県のいわき市で、
原発事故による避難者への支援について、
市民の方や県庁の方々から
お話しをうかがいました。

要は、福島県庁のいう“避難者支援”は
富岡町を始めとする居住制限解除地域に
多くの方に早く戻ってもらうという意味でした。

他方、市民側が問題視しているのは、
放射線量が十分に下がっていなとされ、
しかも、放射性廃棄物が目前に積まれている
そんな地域には戻りたくないという
避難者も大勢いらっしゃるということでした。

さらに問題なのは、
支援策を知らず生活に困窮している避難者も
全国にたくさんいらっしゃり、
行政側も努力はしているものの
プライバシーの問題などから
そうした実態を把握しきれておらず、
避難先の自治体によっては職員が
支援策について十分な知識をもっていない
ということでした。

そして、より根本的な問題は、
本来、原発政策を推進してきた政府や東電が
とるべき責任や負担を、
自治体や市民団体の方々がおっているという
事実です。

例えば、役所が把握しきれていない
生活困窮避難者の方々の把握や支援を
市民の方がしている、といったことです。

この他の例は、
翌日に訪問した富岡町や大熊町で
うかがったお話しから後日紹介します。

さて、今村前復興大臣が激高した
例の先月の記者会見ですが、
前大臣を追及したフリーの記者さんは、
原発を推進した政府が、本来、
事故責任を負わなければならないのに、
各自治体に投げたり、
生活に困窮している多くの避難者の実態も
把握していないなど、
こうした責任感のない
政府・前大臣を追及していたのです。

このフリーの記者さんは
実態をよくご存知なだけに
当事者意識のない政府・前大臣の姿勢が
許せなかったのでしょう。

各自治体に任せている点は、
現地の事情をよく知る自治体に
任せたほうがいいからであり、
この点は前大臣のいうとおりだと思います。

だた、問題は、
原発を推進してきたことの責任を
とらなければならないという意識が
政府にはまるでないということです。

例えば、
生活に困窮している避難者の方々が
依然多くいらっしゃるのに、
その原因が、推進してきた原発が
事故を起こしたことによるものである
ということに気がついておらず、
したがって、
そうした実態を知ろうともせず、
よって、
こうした方々のために何らかの対策を
講じようという姿勢・意識も全くない
ということです。

だから、フリーの記者さんの問題意識が
今村前大臣にはまるで伝わらず、
それで前大臣が激高するに至ったのでしょう。

本来の責任は
事故を起こした原発を推進してきた
政府や東電にあるのに、
それを避難者のほうに責任があるような
前大臣の言い方にも
記者さんも我慢ならなったのでしょう。

避難者の方に責任転嫁している例は、
居住制限は解除されたものの、
放射線量が十分に下がっていないとされ、
放射性廃棄物が目前で山積みになっている
ことなどに不安をおぼえ、
戻りたくても戻れない避難者を
“『自主』避難者”と
線引きしていることにも現れています。

さて、いわき市で
こうしたお話しをいろいろうかがった翌日、
居住制限を指定解除されたばかりの富岡町と
未だ解除されていない大熊町を訪問しました。

このお話しは、後日。


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