2017.06.24(Sat):両親の思い出

小林麻央さんが亡くなる前に
海老蔵さんに言ったことばである。

このニュースで、
やはりガンで他界した
私の母が残した最後のことばを
思い出さざるを得なかった。

十六年前の5月某日、
当時の職場の机上の電話が
いつものようになった。

『猪野さんですか。』

「はい。猪野です。」

当時母が入院していた
自宅近くの病院からだった。

『今晩、病院に来ますか。』

「はい、面会時間ぎりぎりに
 なるかとは思いますが…」

『今朝まで何ともなかったのですが、
 急に容態が変わりまして、
 今、肺の専門医に
 診てもらっているのですが…』

「危ないということですか!」

『はい。』

妙に落ち着いた口調に
腹立たしくなる余裕もなく、
すぐに職場を飛び出し
病院にかけつけた。

職場から病院まで一時間弱。

間に合わなかった。

病室には医師と
すすり泣く数人の看護師と
そして、
母の手を握ったままの
車いすに乗った父がいた。

「よかった」

なぜか、そう思った。

このとき、
父も同じ病院に入院していて、
母の容態が急変したとき、
看護師さんが
別の病室にいた父を車いすで
母の側まで連れてきてくれたのだった。

その父も
六年以上前に亡くなったのだが、
生前父がこのときのことを
私に語ってくれたことがあった。

このとき、
母と父はお互いの心の中で
最後の会話を交わしたと。

「私が死んでも悲しまないでね」

「ああ、わかった、わかった」

そして、
母の眼から最後の涙が流れた。

外の廊下から
隣の病室の女の子のはしゃぐ声が
きこえた。


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2017.06.21(Wed):憲法・法律問題

小池都知事と安倍総理の会見である。

まず、前者。
そもそも移転問題が生じたのは、
あるべき盛土がなされておらず、
基準を超える有害物質も
検出されたからだったはず。

だから、そもそも
移転問題の解決に時間がかかるのは、
専門家の意見を聴きつつ、
都民・消費者らが安心できるような
汚染対策を考え、また、
それが無理なら移転以外の道をさぐる、
こうした理由があったからではないか。

昨日のような、
財源・費用の点はもちろん
消費者の安心・安全を忘れたかのような
具体性を欠いたアイデアを出すだけだったら、
こんなに月日をかける必要はなかったはず。

また、
このどっち付かずのアイデア自体も
“素人考えだ”といった批判もあり、
豊洲にも観光客をよべるような
施策を講ずるべきであるという
江東区議会の意向を無視したもの
といってもよかろう。

とにかく、昨日の小池知事の会見は
都民ファーストではなく
選挙ファーストに思えて仕方ない。


次に、安倍首相の会見について。

『何か指摘があればその都度、
 真摯に説明責任を果たしていく。』

このように明言したはず。
しかし、加計問題について
新たな文書が出てきたにもかかわらず、
前文科次官らを証人喚問するなどして
疑いをはらそうとするなど、
真摯に説明責任を果たす姿勢が
まるで見られない。

国会閉会後の異例の総理の会見は、
都議選を目の前にして、
内閣支持率が急落したため、つまり、
選挙対策のため行われたと
思われても仕方がない。

そもそも会期末
“テロ等準備罪”法案について
更なる審議時間を設けるためにも、
与野党間で十日ほど会期を延長する
合意がなされていたところ、
加計問題で新たな文書が見つかったので、
与党は慌てて委員会採決を省略するという
震災特例法の類の法案を扱うような
緊急手段にでて、
加計問題については、
数時間のみの審議で野党のガス抜きをし
幕引きを図ったともいわれている。

このとき政府与党は、
内閣支持率が下がっても
安保法制後に下がった支持率が
すぐに回復したように、
今回も国民はすぐに忘れるだとうと
高をくくっていたらしいが、
今回は森友・加計両学園問題もあって
事情が異なるようだ。

この加計問題については、
仮に首相や副官房長官らの指示が
あったとしても、
『政治主導の行政で何か悪い!』
『憲法72条を見ろ!』
といった声がある。

たしかに、憲法72条には
『内閣総理大臣は…
 行政各部を指揮監督する。』
とある。

だが、一方で憲法65条は、
『行政権は、内閣に属する。』
と規定しており
『行政権は、内閣総理大臣に属する。』
とは規定していない。

すなわち、巷でいわれているように
議院内閣制の日本の総理大臣は、
厳格な三権分立をとる
米国の大統領のように
強い行政権をもっていないのである。

したがって、内閣法6条は、
憲法72条と同65条を受け
『内閣総理大臣は、
 閣議にかけて決定した方針に基いて、
 行政各部を指揮監督する。』
と規定している。

だから、加計問題も、
閣議決定に基づいて
内閣が指示したものであったら、
問題はなかったのかもしれない。

問題なのは、
安倍総理なり副官房長官なりが
お友だちのため個人的に指示した
と思われていることである。


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先日、大学の授業の一環で、
東京の渋谷にあるモスクを訪れた。

礼拝所まで入ったのは初めてだ。

オスマン朝のモスクを再現したものらしいが
何度か訪れたことのあった
キリスト教会と比べると
あまりにも質素であることに驚いた。

神と人間を仲介するキリスト教会は
信者にその威厳を示す必要があるからか、
内外とも荘厳な印象が強い。

ひるがえって、
各々の信者が直接アッラーと向かう
イスラム教では、個々の信者が
お祈りさえできればよいからか、
偶像崇拝禁止と相まって、
少なくとも訪れた礼拝所では
一種の合理性を感じた。

その合理性は、
質素であることだけでなく、
後付けの感はあるが、
異性に気を取られず
お祈りに専念できるように
礼拝所が女性用と男性用とに
分けられていること、
そして、
各々の信者が平等の立場で
お祈りができるよう、
じゅうたんに横一線の模様が
施されていることにも
表れていたようにも思えた。

そして、
この“平等”に大きな矛盾を感じた。
すなわち、
イスラム教を国教としながら、
アラブ諸国、特に湾岸諸国では、
石油マネーの恩恵にあずかる
裕福なアラブ人と
貧国に苦しむ外国人労働者との間に
歴然とした格差がある。

たしかに、
礼拝所における横一線の模様は
信者どうしのアッラーの前における
平等を示すとはいえ、
信仰の理想と現実とのギャップを
このモスクを訪れたことで感じた。
(写真は許諾を得て載せています)

モスク2
モスク1


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2017.06.15(Thu):憲法・法律問題

『テロ等準備罪』(“共謀罪”)が
自民、公明、日本維新の会などの
賛成多数により、可決・成立した。

これはテロ防止に不可欠か。

生命・身体・財産などを侵害したら
罰せられる、これが刑法の原則。

だから、刑法に未遂処罰規定がない限り
いくら“危ない”ことをしても
実際に侵害しなければ罰せられない。

それでも、重大な犯罪については、
“危ない”ことをしなくても、
さらに前の予備段階で罰せられる。

ただ、これはもう例外中の例外だから、
殺人や強盗などに限定されている。

“共謀罪”は、
さらにその前段階の
準備行為段階での刑罰を可能とする。

政府は、国会答弁で、
現行の予備罪では、
相当の危険性が認められない限り
罰せられないから
“共謀罪”が必要である旨述べている。

しかし、先に述べたとおり、
予備罪は例外中の例外なのだから
これは当然である。

だから、その前の準備段階なら
相当の危険性がなくとも
罰せられるということにはならない。
むしろ、逆である。

さらに最高裁判例によれば、
予備罪の共犯も罰せられる。
これは、
殺人を計画している従兄から
執ように頼まれた者が
毒物を入手・手交した事件である。

だから、現行法でも十分のはず。

さらに“共謀罪”は、
曖昧な規定で刑罰は科されない
という罪刑法定主義にも
反するおそれがある。

これに反する規定だと、
人びとが委縮してしまい、
自由な行動が制約されてしまうから
憲法31条で保障されている。

弁護士会はじめ、多くの人びとが
言論の自由が制約される旨の懸念を
表明している。
このように既に委縮効果が出ている。

さらに、準備行為での刑罰は
例外中の例外中の例外なのだから、
その対象はかなり限定されるはずだ。
なのに、対象は277の法律にも及ぶ。

そのくせ、政治資金規正法など
政治家関連の法律は対象外である。

もし“共謀罪”が
テロ防止に必要不可欠なら、
一つ一つの法律について、
その必要性を国会で説明すべきだ。
それが説明責任を果たすことであり、
民主主義である。

民主主義は多数決ではない。
審議・討論を重ねながら
多数案に少数意見を取り込むことが
民主主義である。
単なる多数決なら国会は要らない。

なのに、政府・与党らは、
“共謀罪”を『特に緊急を要する』
(国会法56条の3第2項)ものとして
参院での委員会採決を省略して、
いきなり参院本会議にかけた。

これでは、
衆院の専横を抑える役割を
期待されている参院の存在意義は、
もともとないとは言われているが、
ますますなくなってしまうし、
国会内の権力分立をはかった
憲法の趣旨もないがしろだ。

“共謀罪”の成立で見えたのは、
政府・与党らが
憲法や刑法といった法、そして
民主主義のイロハも知らない
ということだ。


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2017.06.03(Sat):わたしの信条
今からおよそ400年前、
ガリレイが望遠鏡を発明した際、
誰も望遠鏡を覗こうとしなかったらしい。

『私は、全天の星の数を1,027個とした
 アリストテレスの絶対無誤謬を信じてきた。
 望遠鏡をのぞかなければ、
 その無誤謬を信じる力が残される。』

今からおよそ50年前、
日本の新幹線の話を聞いた中国の鉄道関係者は

『時速200キロを超えることは不可能だ。
 アメリカの従属国の日本の技術者に
 そんなことができるはずがない。
 万が一可能にしても、
 アメリカが自国にまさる列車を
 被支配国で運行することを許すはずがない。』

という理屈で信じようとしなかったらしい。


そして、現在。
①森友学園問題、
②加計学園疑惑、
③ジャーナリストの準強姦疑惑、
④取手市のいじめ問題、
いずれも一方当事者は、
本名と顔を公然にさらけ出し、
相当の覚悟をもって主張している。

しかし、他方当事者らは、
①については、
証人喚問証言に対するFB上での反論、
②については、
公の場での個人への人格攻撃、
③については、
『不起訴処分になってすぐに
 不服申立てをしなかったのは変』
という中学生でも論破できる理屈での
FB上での反論、
④については、
亡くなった生徒の日記に
『いじめられたくない』と
明記してあったにもかかわらず、
『いじめによる重大事態に不該当』
との結論、

といった具合である。

もちろん、現時点で
真実は分からない。

しかし、私たちは
望遠鏡をのぞきたいし、
新幹線も実際に見てみたい。

だから、
一方当事者が相当の覚悟をもって
主張している以上、
他方当事者にも、
もっと誠実な態度で応じてもらいたい。

それとも、
400年前の人たちや50年前の中国人と
変わらないのであろうか。

yjimage[9]新幹線


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