私は現在、大学で
“政治学”を学んでいます。
 
そして、これこそが
東大でも、法学部コースの
文科一類を選択した理由です。
 
政治家を目指す者としては、
学術的な意味でも、しっかりと
“政治”を学んでおく必要があると
考えていたからです。
 
が“政治学”の内容があまりにも空疎。
 
実際に何度か選挙に立候補し、
そのために、常日ごろ政治活動をし、
しかも、他の政治家や候補者なら
秘書やスタッフに任せるであろう
泥くさいことも全て
自分でこなしてきた者からしますと
“政治学”は、
政治活動もしたことがない学者が
頭の中だけで想像して考えた
あまりに抽象的な理屈でしかない、
そのように思えて仕方ありません。
 
そもそも学問とは、
元来、抽象的なものであり、
そこにこそ意義があるのかもしれませんが、
これだけ現実からかい離した学問は
他にないのではないでしょうか。
 
この点
“経済学”に似ているのかもしれませんが、
こちのほうはまだ数学的分析を伴うから、
学問としての“おもしろさ”はあります。
 
だから、三年生になって
法学部に進学するときは、
“政治コース”ではなく、
“公法コース”にしようかと悩んでいます。
 
ただ、二年生で学ぶ“政治学”は
総論的なものですから、
これがつまらないからといって、
“政治コース”を選択する意義が
なくなるわけではないのですが…
 
そんな“政治学”ですが、
一つだけ、実感できた法則があります。
それは
“デュベルジェの法則”。
 
これは“小選挙区制の場合、
二大政党制になりやすい“という
単純な理屈をいっているにすぎない
もののようにもきこえますが、
実感できたのはその理由にあります。
 
すなわち、有権者の中には、
自分の票が死票になるのを避けるため
本当に投票したい候補者ではなく、
不本意ながら
二大政党のどちらかの候補者に
投票してしまう者がいるからである 、
とされています。
 
私も先の十月の衆院総選挙中、
もしくは、その後
『本当は猪野さんに入れたかったけど
 死票になるのが嫌だったから
 他の候補者に入れちゃったよ』
と何人の方々に言われたことか…
 
だからというわけではありませんが、
選挙結果も最下位で落選。
 
もうあきらめようかと
思い悩みながら授業を受けていた際、
一人の学生が私に近寄ってきました。
 
そう、彼の一言が
“デュベルジェの法則”
を吹き飛ばしてくれたのです。
 
このつづきは、また来年。
 
それではみなさん、よいお年を!

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2017.12.29(Fri):ボランティア活動
東京江東区の亀戸天満宮の近くに、
“船橋屋”という
くず餅メインの老舗があります。

そこの従業員さんの発案で、
一年半ほど前から、
清掃活動が行われています。

私も先日初めて参加してきました。
女性5名に、男性は私含め2名、
そう、そこは女尊男卑の世界。

男性はなぜか被りものを強要され、
そのまま清掃活動に…

始めてみると、他の所もそうですが、
タバコの吸い殻が圧倒的に多い…
あとはアルコール飲料の空き缶、
そう、ほとんど大人のポイ捨てゴミです。

子どもは大人といっしょにいることが
多いからか、
お菓子の包み紙といった
子どもが捨てたと思われるゴミは
めったに見ません。

さて、掃除が終わると、みんなで
近くの“EAT CAFE ANZU”さんへ。

このお店のモーニングを
みんなでほおばりながらおしゃべり。
ここのモーニングは
おいしくてリーズナブルです。
正直、この時間が楽しみで
参加したようなものです。

その日は
クリスマスイヴ々だったからか、
2人のかわいい子どもサンタの
塗り絵サービスもありました。

45年ぶりの塗り絵に思わず夢中。
色の使い方や塗り方で
人がらがでてしまいます。

このお店は元々
木型を作っていたところだったらしく、
店内にはサンダーバード1号や
新幹線ゼロ系といった
男子なら興味をそそられる模型も
飾ってあります。

モーニングの他、通常メニューには
ゴロゴロ野菜カレーといった
おいしそうなものが並んでいるだけでなく
高齢のお客さんから
野菜カレーは食べきれないという声をきき
ランチメニューにルーのみカレーを
値段を下げて提供しているという
心配りも行き届いたお店です。

なんか最後のほうは、
このお店の宣伝になってしまいましたが、
非常にアットホームな雰囲気で
くつろげるところでもありますので、
亀戸天満宮を訪れた際は
是非、寄ってみてください。

あっ、もちろん
定番の“船橋屋”さんもです!

ボランティア1

ボランティア2

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2017.12.26(Tue):政治活動

今回は、教育の無償化に関しまして
みなさまがたにお願いがございます。

先日、政府のほうから、
3歳~5歳児の認可保育園と
幼稚園につきましては無償化、
その他のお子さまにつきましても、
一部無償化や補助がなされるという
旨の発表がございました。

これに対しましては、
煩雑な保活や待機児童の問題のほうを
何とかしてくれ、
という声もございますが、
待機児童対策も
盛り込まれているようではあります。

財源につきましては、
2019年10月に予定されております
消費税率引上げ分の一部が
充てられることになっています。

これに対しましても、
国の借金はどうするんだ、
という意見もございますが、
利率の低い現在、
国の借金を返済するだけでは
経済効果はほとんど見込まれません。

そこで、
みなさまがたにお願いがございます。

教育の無償化などが実現した暁には、
それによって浮いた分のお金は、
是非、お子さまのため、
お子さまへの更なる教育や投資に
回していただきたいのです。

政府は『人づくり革命』と
大げさなことをいっておりますが、
その内容・中身や将来ビジョンは
まるで描かれておりません。

無償化とか補助とか、
お金の話しかしておりません。

そこで
『人づくり』の内容につきましては
政府ではなく、
みなさまがたご自身が判断され、
お子さまに一番合った教育や投資に
是非、お金を回していただきたい。

さすれば、
日本の将来を支えてくれるであろう
みなさまがたのお子さまのため
のみならず、
日本経済全体にとりましても、
教育や投資に向けられたお金が
世の中をめぐって景気も良くなり、
そして税収も上がる。

よって、
みなさまがたのお子さまが
大人になるころには
国の借金も減っていくのではないかと
私は、そのように考えております。


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“宮もあさまかりしをおぼし出づる”

私は現在、東京大学の教養課程で
『源氏物語』の授業を受けています。

それまでは受験勉強や試験の一環で
問題文の一つとして
読んだことはあるのですが、
きちんと読んだことはありませんでした。

いろいろな女性と関係をもった
エロ貴公子の話など読むに値しないと
勝手に思い込んでいたのですが、
読まず嫌いはいけないと
授業を受けてみたのです。

果たして、受講して正解でした。

授業では『若紫』という巻の
さらに一部しか扱わないのですが
登場人物の人がらなどが見事に
表現されていておもしろいのです。

源氏が僧坊をのぞき見した際に
見かけた少女のことが気になって、
ともにのぞき見していた従者に、
その少女のことを聞こうとするも
ストレートにはきけず、
外堀から遠まわしに尋ねていく様子も
なんとなく微笑ましいです。

ことば選びも秀逸で、
継母でもある皇后“宮”との密通も
冒頭にあるように“あさましかりし”と
表現されています。

そう、残念ながら(?)
密通の場面は直接表現されておらず、
冒頭の一文にあるように
示唆されいるだけです。
そんなことさえ、
私は知らなかったのです。

また、その“あさまかりし”の
注釈部分もおかしくて
『最後の一線を越えて…』
とも書かれています。

授業のテキストである文庫本は、
元アイドルの某参議院議員と
某元市議との不倫疑惑が
報じられる以前に
執筆されたものですから、
もちろん、表現の仕方が
たまたま一致しただけですが…

それにしても
“あさまかりし”という表現は、
言い得て妙です。

この言葉は、
意外なことに驚いた際に使われるのですが
この一言だけで、
宮にとっては、源氏との密通が
予想外のことであったことが分かります。

伏線もところどころに張られており、
ネタばれしていない状態で読んでいた
当時の人たちは、
さぞかしワクワクしながら
この物語を読んでいたことでしょう。

前述のような
私が抱いていたイメージからか、
戦前『源氏物語』は不健全とされ
公演も中止にさせられたらしいのですが、
それでも、
その人間描写がすばらしいということで、
なんと、
小学校の教科書に載っていたのです!

ただ、当時の時代背景と
読み手が小学生だったことからか、
源氏の視点がごっそり抜けていて、
この物語が台無しになってしまった
そんな気がします。

みなさんも、お時間があったら
『源氏物語』を読んでみては
いかがでしょうか。

源氏物語2

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東京の上野徒町にある
『健康カフェ ODL』www.kenkocafe-odl.com
というお店で月に一度
“論語塾”が開催されています。

これは、講師が一方的に
論語の読み方を教えるというのではなく、
論語にまつわるトピックについて
参加者どうしが自分らの頭で考え話合い、
最後に、論語では
どのように言及されているのかを
講師が紹介してくれるというものです。

忘年会を兼ねた、今年最後の“塾”では
“平等”と“公平”との違いついて
参加者どうしで話合いました。

この点については、
ネット上でもいろいろ書かれいてますが
万人が納得する一つの正解というのは
ないのではないかと思います。

憲法などでいうところの
絶対的平等を“平等”といい、
相対的平等を“公平”とする者もいます。

辞書を引いても明確には分かりません。

他の参加者と話し合った結果、
私が考える両者の違いというのは、
次のようなものです。

すなわち、人種や性別など人権に絡め
使用されることの多い“平等”は
人間にとって本質的で普遍的なもの、
スポーツや取引、裁判などに絡めて
使用されることの多い“公平”は、
社会で決められたルールに則る
という人為的なもの、ということです。

もちろん、自分一人で調べても
考えることはできるのでしょうが、
いろいろな人の意見に耳を傾けながら
自分の思考も整理し、
ブラッシュアップしていく、
この過程のほうが有意義な気がしました。

さて『論語』による回答は?

そう、あるはずがありません。

なぜなら、
儒教自体が西欧近代思想から
男尊女卑といった考えを
反平等主義だと批判されている
くらいだからです。
(西欧近代思想のいう
“平等”もあやしいものですが…)

しかし“均”という思想が
“平等”に近いともされいます。
ただし「一君万民の中で
民の『均』を求める思想であって、
君と民という上下関係を崩す
という話でなかった」らしいです。
(土田健次郎『儒教入門』東京大学出版会)

つまり、今でいうところの
民主主義の観念はなかったのでしょう。

さて、一方の“公平”については、
“義”という字で表されている
のではないかと思います。

なぜなら
「義は…もともと秩序にのっとる
 という意味合いを持っていた」からです。
(同上)

そして、実際『論語』の中の
“義”が“公正”と訳されていることも
ありますが、同じ箇所なのに、
“節度を知る”と訳されていることも
あるようです。

識者によって訳が異なるのも、
『論語』が深くておもしろい
ゆえんではないのでしょうか。

みなさんも是非一度、
“論語塾”に参加してみては
いかがでしょうか。

いろいろなバックグラウンドをもった
人たちとお話もできて楽しいですよ!

論語塾

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2017.12.13(Wed):両親の思い出

先日、大谷翔平選手の
エンゼルス入団会見があったが、
彼のあるコメントには驚かされた。

それは、
彼と交渉した他球団を気づかうもの。

すなわち、
彼に入団してもらうべく費やした
費用や時間、労力を無にしてしまった
それに対して申し訳ないという気持ち。

心の中で思ったことのある選手は
今までにもいたであろう。
しかし、
その気持ちを公の場で
きちんと言葉として表したのは
彼が初めてではないか。

もちろん、
他球団がかけた労力は仕事の一環である。
しかし、
感謝というか、気遣いの一言。
これで相手も救われた気持ちになる。

かつて、私は仕事上、
上司から労いの言葉をもらった覚えは、
国際機関(OECD)以外ではほとんどない。

もちろん、
仕事として当然のことだから
わざわざ労いの言葉をかける必要もない
という考え方もあろう。

しかし、
労いの一言があるだけでも、
この上司に仕えて仕事してよかった、
今度も頑張ろう、
という気持ちになれる。

この点、国際機関の管理者は、
そうした教育を受けているのか、
よく心得ているようだった。

そして、さらに
以上のことは家族の間でもいえる
のではなかろうか。

親や配偶者への感謝の気持ち。
親が子育てをする上で当然のことでも、
配偶者として当然の行いでも、
一言でいい、
感謝の気持ちを表すことができれば、
きっと、
昨今の家族間の悲しい出来事も
減るのではなかろうか。

と偉そうに語った自分も
両親が存命のうちに
きちんと感謝の気持ちを伝えたかというと
誕生日プレゼントで表したことはあっても
気恥ずかしさで
言葉で表したことはない。

現在は、毎晩、
感謝の念をもって
仏壇の前で手を合わせてはいるが、
親孝行、したいときには親はいず。


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授業中スマホをいじってはいけない。
小学校、中学校、そして高校なら
そうなのであろう。

ただ、大学では黙認される講義もある。

まず、教授らが、
講義内容の本筋ではないが、
学生の知らないことに言及したとき、
検索をして、
そのことについて調べる学生もいる。
教授らがそのことについて
講義中、解説することはないからだ。

また、講義資料は紙ではなく、
ネットに上げられることも多いので、
わざわざ印刷せずに
PCなどの画面で見ることもある。
私も、PCを持ち運ぶのが重たいので
スマホで講義資料を見ることがある。

さらに、板書されたものを
ノートにとらずカメラに収めたり、
字が小さくて見えないときは、
カメラの倍率を上げて見ることもある。

といった具合なので、
スマホというかPCの画面を見ながら
受講している学生は多い。

しかし、講義に無関係な作業をしたり
サイトを見ている学生も少なくない。
ただ、ゲームをしている学生は
私が見た限りではいないようだ。

これが小中高の児童や生徒となると、
スマホで遊んでしまいかねないので
禁じられているのであろう。

つまり、児童や生徒には
まだ自律性を期待できないが、
さすがに大学生ともなると
そこは自律性に任せてもいい
ということなのであろう。

二十年以上前、
フランスに在住していたころ、
ユーラシア大陸の最西端の
崖っぷちを訪れたことがあったが
観光地なのに
柵らしきものは何もなかった。

崖から落ちても落ちたやつが悪い
という発想なのか。
日本なら行政の責任となり、
大問題となろう。

また、南仏で列車に乗った際、
ドアが一つ故障していて
開いたまま走行していたが
乗務員がいないばかりか、
そのドアにひもの一本も
はっていなかった。

列車から落ちても落ちたやつが悪い
という発想なのか。
日本なら鉄道会社の責任となり、
大問題となろう。

これらの場所の
現在の状況は分からないが、
日本の場合は、
各人の自律性に任せるわけにはいかない
ということなのであろうか。


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