実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月10日(月) -選挙運動7日目-


昨晩、自宅に電話があった。

『明日、池袋駅東口で石原代表が演説します。
 選挙区は違いますが、猪野候補も来ますか?
 他の候補者も来ますが、
 ただ、石原代表以外の候補の場合、
 名前だけの紹介になります。』

  名前だけか…
  しかも、池袋は豊島区で選挙区外。
  けれども、板橋区は隣だから、
  聴衆者のなかにはたくさんの板橋区民がいるかもしれない。

「分かりました。行きます。」

『それなら、政党ビラを持って来てください。
 それから、ビラ配り要員も出してください。
 で、何人、出していただけますか?』

ただでさえ、スタッフが足りない状況、

「えっと、一人でもいいですか?」

『わかりました。
 では、代表の演説は午後3時からですので、
 必ず10分前には来てください。
 OOさんが担当なので、指示に従ってください。』


翌日、午後2時すぎ、政党ビラを小さな段ボール箱につめ、
”Hくん”に持ってもらう。

『ぼくは、何をすればいいでんすか?』

「OOさんの指示に従って、その中のビラを配ってくれる?」

タスキも箱につめ、大山駅へ。

いつものように、通過する急行列車を見送る。
ようやく来た普通列車に乗りこみ、
10分ほどして池袋駅に到着。

すでに人がたくさんいる。
東口に出る。
さらに人がたくさんいる。

  場所はどこだろう?

すぐに分かった。
西部警察のテーマ曲がガンガンに流れていたからである。

  こんなミーハーな感じでいいの?
  それに、裕次郎は連想できるけど、
  慎太郎はイメージできないんですけど…
  ましてや、橋下代行など…

音源に近づきたいけど、近づけない雰囲気。
SPがたくさんいたからである。
このあたりから、昨晩の電話の話と違う、と感じはじめる。

  みんなビラはどこで配っているんだ?
  とりあえず、OOさんを探さないと…

選挙運動用のジャンパーを着てから、SPの一人に声をかけた。

「あの~、候補者の一人なんですけど…」

そのSPさんは、すぐにわれわれ二人を ”護衛”してくれた。

大きな街宣車が目の前にあらわれた。

『箱の中身は何ですか?』

「ビラです。」

『ビラ、チラシだそうです。』

と、われわれを ”護衛”してくれたSPさんが無線で報告。

  一応、中身を調べられたほうが…
  それとも、プロだから、
  われわれ二人の人相や雰囲気だけで判断できたのかも…

と、このときは、余計なことを考える余裕があった。

  それにしても、ビラ配りはどこでやっているんだろう?
  人ごみの中で配っているから見えないのかな?
  OOさんも、人ごみの中にいるのかもしれない。

近くに、同じジャンパーを着た方がいた。

「あの~、OOさん、いらっしゃいますか?」

と、とりあえず、テーマ曲に負けないよう、大声を出した。

すると、意外にも、OOさんが街宣車の横から現れた。

『あっ、お疲れ様です。
 ちょっと、そこで待っていてください。』

これが、OOさんとの唯一の会話であった。

どうやら、ビラ配りはやっていないらしい。
”Hくん”が空しく、爆弾が入っているかもしれない箱をそっと置く。

「や~、せっかく、こんな重い箱もって、いっしょに来てもらったんだけど、
 すまないね。」

”Hくん”に謝りつつ、私はその箱をおもむろに開け、タスキを取り出した。

が、他の候補者が見当たらない。

  みんな、地元選挙区の運動で忙しいのかなあ~

午後3時になって、党の職員らしき人が私に近づいてきた。

何か、嫌な予感がしてきた。

もう、7~8年も前になるであろうか、
郵政民営化が争点となった総選挙の選挙期間中、
地元近くの亀戸駅に
当時の小泉首相が地元候補者の応援演説に来る
というポスターを見かけた。

自分は行く気がなかった。
しかし、当時は、介護を必要としていた父が
ヘルパーさんのおかげで、
杖をつけば多少歩けるくらいには回復していた。
そして、主治医の先生からは、
脚の筋肉をつけるべく、なるべく歩くようにとの助言をいただいていた。

父は、いつも、テレビをつけっぱなしで、
ベッドの上で横になりながらも、よく政治の討論番組をみていた。
母を亡くす前の元気だったころは、
画面に向かっては、よく文句をいっていたが、
もう、そんな元気はなかった。

  政治には興味をもっていたのは知っていたので、
  小泉首相が亀戸駅に来るということが分かれば、
  聴きに行くというかもしれない。
  でも、小泉首相のことは嫌いだから、
  行くとは言い出さないかもしれない。

と、思いつつ、一応、父に
”小泉首相、亀戸駅に来る!”
という一報を入れた。

すると、
「行ってみようか。」
と言った。

父も意外にミーハーだった。
というより、早く回復したい、
という思いがあったのかもしれない。

現地に着くと、父は意外に積極的で、
係りの方に止められるほど、
なるべく街宣車の近くに寄ろうとする。

このとき、演説開始時刻になっても小泉首相は現れなかった。
それまでは、地元候補者はもちろん、
自民党の参議院議員などが入れ替わり立ち代わり演説をしていく。
しかし、みんな、小泉首相の話を聴きに来たのだから、
そんな演説はどうでもよく、だんだんイライラした空気が漂ってくる。

と、そのとき、ようやく小泉首相が到着。

小泉首相は、米百俵の話をされた。

  窮状にあった長岡藩に米百俵が贈られてきた。
  しかし、ある長岡藩士がこれを他の藩士に分け与えず、
  代わりに米百俵を売却したお金で学校を建てた。

というお話である。

”明日のために今日の屈辱に耐えるんだ、それが男だ。”
という宇宙戦艦ヤマトの第一話での
沖田艦長の名言にも通じるお話しである。


それは、さておき、
この7~8年前の経験、
今、目の前にある街宣車には
石原代表と藤井孝男先生の垂れ幕しかないこと、
そして、藤井先生はおろか、私以外に候補者がいなかったこと、
これらを、総合して考えると、
両先生が到着されるまで、私が前説をしなければならない。

そして、案の定、党の職員の方から言われた。

『藤井先生と石原代表が到着されるまで、
 猪野候補がつないでください。』

  こんな大勢の前でしゃべれというの?
  聞いてないよ!
  名前の紹介だけじゃなかったの?

「”Hくん”困ったよ。」

と私に言われた ”Hくん”も困った顔をしていた。

  何を話そう?
  普段どおりに演説するしかない。
  でも、石原代表の話を聴きに来た方々に
  自分の話をしても…
  んっ、待てよ、
  普段の演説でも、冒頭は石原代表の話だったけ。

と、思ったところで、私が紹介された。

生まれて初めて街宣車の屋根に乗り、
黒山の人だかりを見下ろす。

みなさん、非常に寒そうだった。

  みなさん、わざわざ石原代表の話を聴くために
  こんな寒い中、待って下さっている…

そして、7~8年前の経験もよみがえってきた。

「みなさん、お寒い中すみません。
 石原代表かと思ったら、こんなやつが出てきて、
 きっと落胆されていることと存じます。
 でも、せっかくみなさんがお寒い中、待っていただいているので、
 維新の会の主張を、しっかりみなさんにお伝えしようと思います。
 若手芸人の前説ではありませんが、しばらくご勘弁ください。」

と、本能的にいった。

が、シ~ンとした。
芸人さんがスベルのを恐れる気持ちが分かった。

そして、いつもどおりに演説を始めた。
しゃべり出したら、だんだん快感になってきた。

そのうち、藤井先生がご到着。
止めてください、
とのメモが下から見えた。
切りのいいところで、演説を止めて藤井先生にバトンタッチ。

ホッとして、街宣車を下りてしまった。


いよいよ、石原代表がご到着。

『君、登ればいいじゃないか。』

石原代表を見下ろす位置でお待ち申し上げることはできなかった。

代表の後に、はしごを上る。

そして、あとは代表にへばりつくのみ…


その後、ある板橋区民がわざわざ私の事務所に来られ、

『さっき、池袋で、猪野さんのお話聴きましたよ。
 維新の会、応援していますから。』

と、おっしゃってくださった。

やはり、石原代表の効果はすごい。


その夜、ニュース番組で、予想どおり
私の姿がモザイクになっているのを確認して
就寝した。



 
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