実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月11日(火) -選挙運動8日目-


いつものように、朝は、
大山駅で通勤・通学される方々にご挨拶。

中高生、そして小学生にまで頭を下げて挨拶した。
礼儀正しい学生さんは私に挨拶してくれる。

さすがに、お母さんに手を引っ張られる園児には
笑顔で手をふるだけ。
それは、もちろん、選挙のためだけでなく、
本当に可愛かったからである。

そして、この頃から、
数人の方から声をかけられるようになっていた。
中には、毎朝、助言してくださる女性の方もいらした。

『毎朝、頑張ってますね。』

『おはようございます、だけじゃなく、
 名前と政党名もいったほうがいいわよ。』

  そんな余裕はないし、名前を言わないほうが、
  かえってみなさんの方からタスキをのぞきこんでくれる、

とは思っていたものの、これがけっこう名前や政党名までいえてしまう。
そうすると、こんどは、

『おはようございます、だけじゃなく、
 いってらっしゃいませ、とか
 バリエーションをもたせたほうがいいわよ。』

『立っている横に何か政策をアピールするような
 そんな看板を置いたほうがいいわよ。』

私が助言どおりに実行していくごとに、
彼女の助言もグレードアップしていく。

そして、選挙運動の終盤時には、彼女からお手紙をいただく。

  ラブレター?

そんなんではない。

私の挨拶の仕方の長所と短所を並べたものであった。
ことばでは伝えきることができなくかったらしく、
わざわざ、私のために時間をつくって、
一枚の紙にしたためてくださったのだ。

なお、ラブレターと勘違いされないように、
お勤めの会社のロゴが入ったお手紙である。

でも、本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。


他に、先日の公開討論会の主催者、
十年以上前に国税庁で同勤させていただいた方、
それこそ、老若男女を問わず、
毎朝、声をかけてくださる方々が他にもいらっしゃった。
今でも、その方々のお顔はきちんと覚えている。


朝の挨拶を終えて事務所に戻ると、
第二のウグイス嬢さんが待ってくださっていた。

そして、挨拶そこそこ、選挙カーに乗りこむ。

第二のウグイス嬢さんは、
私にマイクを渡すときはきちんと合図をする。
そして、マイクを握らないときは、自分のことのように、
窓から身を乗り出して、大声をはりあげてくれる。

私が連呼する内容についても、
そろそろ自己紹介めいたものはやめてもいい、
信号待ちのときには、短めに話を終えたないと、
かえって、うるさがられる、
等々の助言をしてくれる。


この頃になると、
街で手をふってくださる方々をお見かけするようになった。
だから、私も含め、マイクを握っていないスタッフにとっては、
応援してくださる方々を見逃さないこと、
これが重要な役目になってくる。

そして、肉声で ”ありがとうございます”ということで、
マイクを握っている人に伝え、
やはりマイクでも ”ありがとうございます”という。
ご声援をくださる方がいらっしゃれば、
私も選挙カーから下りて握手を求める。

その握手だが、私は今まで素手でやっていた。
第二のウグイス嬢さんから、
すぐに白い手袋、それも上等なやつを着けたほうがいい、
とアドバイス。

手荒れがひどくなってきたので、
たしかに、手袋はほしかった。
と、いう問題ではないが…

  選挙用の手袋?
  そんなのどこで売っているの?

そこは、さすがハッピーロード大山商店街、
すぐに見つかった。

亡くなった母もそうだったが、
私も、クリームを塗ってもすぐに赤切れをしてしまう。
だから、白い手袋はあっという間に血だらけ。
はずすときも、体液が手袋にひっつくので、痛い。
もちろん、手袋は交換する。


そして、演説時。
朝の挨拶時にお会いした女性のご助言で
これまた、女性スタッフらにつくっていただいた、
石原代表、橋下代行ツートップの写真、
そして維新の会のロゴなどを切りばりして、
それこそオシャレに仕上げてくださった板を横に置く。
さすがは、女性目線。
本当に、感謝感激である。

ある朝、このオシャレ板を置いて
大山駅でいつものように朝の挨拶をしていたとき、
八十過ぎのおばあちゃんが
板の上の石原慎太郎の写真を見ながら、
石原裕次郎のほうの思い出話をする。

私も ”太陽にほえろ”の話をしてみるが、
やはり、かみ合わない。
年代が違うか…


演説時、男性スタッフには、ビラ配りはもちろん、
近くに集合住宅があれば投かんしてもらう。

しかし、肝心の私の演説に異変が生じ始めていた。
第二のウグイス嬢さんからも、そして、
なんと、駅前で待機しているタクシーの運転手さんからも、
演説に覇気がなく、単調になってきている、
まるで、念仏を唱えているようだ、と指摘された。

毎日、3~4時間睡眠で、選挙運動中は、
昼食など、スタッフのためにも、休憩はいれているものの、
メールなどのチェックや返信で、仮眠もとれない。
こうした疲労の蓄積が原因の一つであることは分かっていた。

ただ、より深刻だったのは、
演説が自分の中でマンネリ化していたこと。
もう、頭の中にしみついていたので、
無意識に言えてしまっていたのである。
これは、演説に感情がこもっていないことを意味する。

そういえば、最近、特に日が暮れての演説では、
ただただ震えながら
寒さをこらえることに一生懸命になり、
演説内容はまったく気にせず、
それこそ念仏を唱えるかのように
言葉を口から出しているだけだった。

いやっ、念仏に失礼。
念仏は、本来、仏の姿などをしっかり思い浮かべながら唱えるものである。

また、また、大変失礼ながら、
7~8年前の当時の小泉首相の亀戸駅前での演説、
そして、先日の石原代表の池袋駅前での演説、
どちらとも、思っていたよりは、正直、心に響いてこなかった。
おそらく、ご本人らの中で、
おっしゃることがマンネリ化していたのかもしれない。

そこで、私は、石原代表、橋下代行お二人による政見放送を聴き、
演説内容を変更することにした。
これも、第二のウグイス嬢さんのご助言によるものである。

演説のマンネリ化、
これは予想だにしていなかったことである。

それにしても、タクシーの運転手さんからもご助言をいただくとは、
普段、しっかり聴いてくださっていることと合わせ、
感謝の気持ちでいっぱいになった。
と同時に、自分も、早く一人前の候補者にならなければ、
と選挙後半戦に入り改めて痛感させられた。


他にも、第二のウグイス嬢さんから、注意されたことがある。
それは、商店街を行進したことはあっても、
一軒、一軒丁寧に声をかけていなかったことである。

そこで、私は、さっそく、各々の店頭で声をかけたり、
握手を求めることにした。
公務員一筋20年以上、営業経験のない私にとっては、
煙たがられることが本当につらかった。
が、そんなことはいってられなかった。

中には、自分の息子のように慕ってくださる洋服屋の社長さん、
いろいろ辛口のアドバイスをしてくださるお茶屋さん、
自分らの活動を知ってほしいと親切に説明してくださる
ボランティア団体のみなさん、
そして、気さくにお話をしてくださる、うどん屋のみなさん、
こうして親切に、逆に声をかけてくださる方々もいらした。

ときには、商店街を歩くご婦人の方々からも、
もっと、胸をはって元気に歩きなさい、
と、何人かの方からご助言をいただいた。

寒かったこともある。
だた、当選したとたんに、
ステッキ棒を飲み込んじゃったみたいに
急に偉そうになる代議士らの話をきいていたので、
そんな姿は避けたかった。
が、ちょっと、背を丸めすぎたか…

体育会ばりの大声を出して
元気さをアピールしているつもりではいたが、
疲労が表情にあらわれてしまっていたようである。

疲労を押し殺して、元気さを醸し出す。

予想だにしていなかった苦労で、
もっともつらく、難しいことであった。


第二のウグイス嬢さんのご助言で、
東武練馬駅で、
帰宅する通勤者、通学者へご挨拶することは中止に。
選挙運動も後半にさしかかり、
挨拶のための時間を他の選挙活動にあてたほうが
効果があるという。

でも、本当は、帰宅されるみなさんに
ご挨拶し続けたかった。


お手紙をくださった女性の方をはじめ
大山駅で声をかけてくださったみなさん、
第二のウグイス嬢さん、
タクシーの運転手さん、
そして、商店街でお会いしたみなさんだけではなかった。

まずは、定年を過ぎたご年齢の運転手さん、
カーナビは使えず、トイレも近い。
道もお詳しいとまではいえない。
しかし、ものすごく、気をつかってくださった。

私が勘を頼りに行き当たりバッタリで演説したにもかかわらず、
演説場所はすべて細かく記録にとっていただいた。
私が演説をしている最中、どこまで声が届いているか心配で、
選挙カーで移動しながら、聞こえる範囲を確認してくださる。

また、移動中も幹線道路を避け、
なるべく住宅が密集している場所を通ってくださる。
他方、一目見ただけでは分からないのだが、
ここは住宅が一軒もないとおっしゃって、車をとばしてくれる。

さらに、私がある場所で演説するかどうか迷っていると、
『この団地は耐震工事中で幕がかっていますが、
 実は、住民の方々はしっかりいらっしゃいます。』
と教えてくださる。

細かい道はお詳しくないが、板橋区についてはお詳しい。

コンビニ休憩にはいると、
必ずミニアンパンをほおばる運転手さん。
しかも、ミニアンパンにこだわっていたのは、
他のみんなと一緒に食べることができるから。
本当にお世話になった。


次に、”Hくん”。
私の演説が、特に高層の建物に響くことがあるので、
こだまするのを待ってから、もう少しゆっくりめに話したほうがいいと
アドバイスをしてくれる。

また、演説も長いので、もう少し短くしたほうがいい、とも。


そして、ウグイス嬢見習いの娘さん。
私に子どもがいたら、このくらいの年齢か。
この娘のほうも、父親のからだを気づかうように、
私のからだを心配してくれた。

カーディガンをもってきてくれたり、
カイロを背中や腰に貼ってくれたり、
手荒れに効く薬を教えてくりたり、
本当の娘のように思えてきた。


さらに、事務所に常駐してくれたスタッフのみなさん。

例えば、”Sさん”の大学の四十年近く後輩にあたる ”Y兄妹”。
特に妹さんのほうが、事務所内を切り盛りしてくれたらしい。
のみならず、他の候補の事務所に偵察。
と、いっても、チラシや政策集を入手するだけだが、
現閣僚の候補の事務所は自動ドアだったと報告してくれた。

最後に、”Mさん”。
手続き関係は、ほとんどこの方に任せっきり。

旧友や知人弁護士さんの奥様方みなさんには、選挙管理委員会や郵便局などに
何度も往復してくださった。
しかも、往復せざるを得くなったおもな原因が、
大阪の党本部で教えてもらった手続きや書式では
まったくお話にならなかったということだった。

ちなみに、旧友の奥さんと運転手さんとが
微妙な距離の親戚どうしで、
約二十年ぶりの再会だったらしい。
本当にこんな偶然があるものだとご本人たちも驚いていた。


私は、こうした方々に支えられ、育ててもらった。

もちろん、自分のために選挙活動をしてきたが、
いつしか、こうした方々のご厚意に報いるためにも、
当選しなければ、という思いのほうが強くなってきた。


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