実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年12月16日(日)~17日(月) -投票日以降-


こんなに、ぐっすり眠れたのは、
父親の一回忌の日以来である。

その日は、まさに小春日和。
さっそく、選挙の投票に行く。
自分が立候補した選挙区ではないが。
これまでの12日間の選挙運動の日々が
走馬灯のようによみがえってくる。

投票所に行くと、意外にも長い列が。
こんなのは、初めてだ。

そういえば、この前の選挙のときは、
小さなお子さんづれのヤンママのお姿が目だったが、
今回は、あまり見当たらない。
子ども手当てもなくなったことだし…

各党の比例名簿の名前が小さく張り出されていた。
維新の会の4位というところに私の名前もあった。
でも、周りの方たちは、まさか本人がここにいるとは、
気がつかないだろうな…

他の党では、小選挙区の候補者が同列1位で並ぶことが多いが、
維新の会では、石原代表をはじめ重鎮の方々が比例の上位にのり、
小選挙区の候補者は、実績ある一名を除き、同列4位となる。


投票を終えると、洗濯だ。
選挙運動期間中は、洗濯する時間もなかったので、
山のように洗濯物がたまっていた。
今日は、晴れて本当にラッキーだ。

洗濯物を干したあと、いつの間にか二度寝。

気がつくと、日が落ちていた。
事務所のスタッフから、
いつ来るのかと携帯に連絡が入る。


事務所に向かう東武東上線の中で
つり革につかまって立っていると、
目の前に座っている女性の方が選挙公報の新聞を見ている。
私のところに目をとめてくれるかと、かってにドキドキしていたが、
あっさり、スルーされてしまった。

よほど、私が本人です、と告げようかと思ったが、
今日は、選挙活動してはならないと思い、一応やめた。
本当は、周りの目が気になっていた。

ふつうの人に戻っていた。


事務所に到着すると、みんなが、といっても3人だが、
私を待っていてくれた理由が分かった。
片付いているばかりか、
完全に当選したとき用に事務所が飾られていた。

白いテーブルクロスに、
きれいなお花、花束、
酒樽、
昨日、片目を入れたダルマ、
”必勝”の張り紙…

こぢんまりとしながらも、輝いていた。
それは、ここにいないスタッフも含め、
みんなの気持ちが十分に伝わってきたからだ。

本当に、いいスタッフの方々に恵まれた。


いよいよ、開票。

が、わずか30分後、

  あっ

と、スマホをみていた ”Y兄妹” のお兄さんのほうが声をもらす。

もう、それで十分だった。

当選された方は、現文部科学大臣。
地元で二十年以上、地盤を固めてこられてきた方。
新参者に敗けるわけがない。

ただ、望みがまったく断たれたわけではなかった。
300万円をかけた比例4位で復活できるかも…

比例で復活するかどうかは、簡単にいうと、
自分の得票数が当選者の得票数に
どれだけせまることができたかによる。
どれだけ惜しい敗け方をしたか。

  選挙期間の後半、あれだけ追い上げたんだ、
  あれだけ手ごたえがあったんだ、
  大丈夫。

と同時に、

  開票30分で勝負が決まったということは、
  相当票差を開けられたはず。
  だめかも…

期待とあきらめが交錯する。


ぼちぼちとスタッフが帰宅していく。
というより、二十代そこそこの学生さんということもあり、
帰宅してもらった。

  花束とかあるけど、
  万が一のとき誰が渡してくれるんだろう…


買ったばかりのパソコン画面をにらみ、
NHKの開票速報に釘付け状態。

が、板橋区の開票速報はなかなか出ない。

と、そのとき、
当確の自民党候補が3万票、
私と民主党候補がそれぞれ1万8千票ずつ、
という速報が流れた。
一番気分が高揚した瞬間だった。

というのも、この時点で惜敗率60%、
悪くない数字だったからである。

しかし、その後、東京選挙区における
維新の会の比例の議席数が今一つ伸びない。
大阪や近畿では票を伸ばしているのに…

ただ、東京では、
大阪で感じたような維新の会への追い風が吹いていないことは
選挙期間中、すでに肌で感じていた。

「維新の会です。」といっても、
ピンとこない方が意外に多い。
石原代表や橋下代行の名前を出して初めて、
ピンとこられる方々が多かったからだ。


時たま、前を通る通行人が事務所を覗こうとする。
事務所には薄い白いカーテンが一枚だけ。
これも、今までカーテンさえなかったのを
スタッフが気を使って用意してくれたものである。

おそらく、夜中に煌々とした灯りがみえたからであろう。
話に聞いたところ、この事務所は以前、
アジア系の外国人の方が経営するお店だったそうだから、
不思議に思うのも無理はない。


夜中の3時すぎ、”責任者”から一通のメール。
比例復活の望みも完全に断たれたことの宣告。
すぐに、お礼の返信メール。

このとき初めて、”責任者”が
大学の陸上競技部の7~8年後輩にあたることが判明。
私の3~4年後輩、”責任者”の3~4年先輩にあたる
お互いが知っている元部員の話で
若干盛り上がる。


朝6時半過ぎ、いつものように大山駅で挨拶。
しかし、いつもと違って、通勤・通学される方々に
大声でお礼のあいさつ。

だんだん、悔しさが疲労を凌駕していく。
あまりの情けなさで涙が出そうなのを
必死でこらえる。

いつも応援してくださった方々が、
残念だったね
と声をかけてくれる。

かたや、
俺、自民党に入れたから、
と、わざわざ意地悪をいってくる人もいた。

学生時代、
馬券売り場が近くにある駅前で
募金活動をしたことがあるが、
何人もの人から、お金を入れるふりをされたのを思い出した。

  もちろん、彼らは打ち合わせたうえで
  こうした意地悪をしているわけではない。
  こうした人たちの考えることはみんないっしょなんだな、

と思ったということを思い出した。


そして、商店街のお店が開いたころの時間、
体に鞭打って、一軒一軒、
お騒がわせしましたということでご挨拶。
何十軒も周っていくうちに、
今度は徹夜による疲労が悔しさを凌駕していく。


私は、この選挙戦を戦う前、
大阪の職場を飛び出してきてしまった。
今まで大阪でお世話になった方々に
きちんとご挨拶申し上げていなかった。

宿舎も、洗濯物を干したまま
夜逃げをするかのように飛び出してきた。
退職のための諸手続きもほとんどしていなかった。

だから、その日のうちに大阪に行く必要があった。

余ったポスターやチラシ、転居不明で戻ってきた多数のハガキ、
不要となった机やいす、事務所の横断幕や立て看板、選挙道具等々
処理する必要があった。
ふつうに粗大ゴミに出すわけにもいかない。

  酒樽とかあるけど、俺、酒飲めないし…
  そういえば、片目のダルマとかどうすればいいんだろう?

そのほか、電気、ガス、水道、電話、そして事務所自体の契約のこと、
そうそう、収支報告書も年内に作成し、
都の選挙管理委員会に提出する必要もある。

そんな心配をじっくりしている余裕もなかった。

すぐさま大阪に出発するため、とりあえず自宅へ。


東武東上線の中で、
選挙期間中にたまっていた
大阪の元職場からのメールをようやくチェック。

その途中、”府議の先生”からメールが入ってきた。
ついさっきまで、私が実際に行っていた敗戦処理を
”人として”きちんとするように、という内容だった。

もう、そんなことはとっくに済んでるんですけど、
という思い、そして、

「選挙期間中といえども、父親の一回忌法要には、
 人として欠席するわけにはいきません。」

という、先日私が ”府議の先生”に送ったメール内容の
一番の核心となる言葉を皮肉を込めて使ってきた無神経ぶりは
本当に許せないという怒りで、
はらわたが煮えくり返るほどだった。

しかし、”府議の先生”には、
選挙カーの件では大変お世話になったことを一生懸命思い出し、
ご助言に対するお礼の返事を送信しておいた。


開票結果?

当選された現文部科学大臣が11万6千票余り、
私はというと、5万票弱で、
3位の民主党候補に1万3千票以上の差をつけ、
堂々の次点であった。

12日前の公示日の時点で知名度はゼロに等しく、
板橋区には地盤となる組織も知縁も何もなかった。
板橋区に初めて足を踏み入れたのも公示日4日前。
落下傘候補にしても、落下するのが遅すぎた。

それまで、HPもブログも何も立ち上げておらず、
当初は供託金没収の心配も周りからされていた。
なお、没収ラインは、有効投票総数の10%である。

それにもかかわらず、
甲子園球場が満員になるくらいの区民の方々に
投票していただけたというのは、
奇跡に近い。
それにしても、この5万票近くの票、無駄には絶対できない。

これも、第一にスタッフさんらのおかげである。
選挙に詳しい方が一人もいなかったにもかかわらず、
党との連絡、諸手続き、証紙貼り、おしゃれな宣伝用の板づくり等々、
私が外で運動している間に、私の見えないところで、
いろいろご苦労されたおかげ。

また、いっしょになって外での運動に協力してくださった
運転手さん、ウグイス嬢さん、ウグイス嬢の見習いさん、
そして、旗を持ってくれたり、チラシを配ってくれたりした
スタッフさんのおかげ。

こうした方々のおかげで、何万票もいただくことができた。
ただ、不思議なのは、
スタッフの中に一人として板橋区民がいなかったということ。


次に「維新の会」という党のおかげ。
しかも、石原代表と橋下代行という
ツートップのお二人の顔のおかげ。

おそらく、私がまったくの無所属で立候補していたならば、
これほどたくさんの票をいただくことはできなかったであろう。
これなら、100万円という広報活動費というのもうなずける。

そして、ワゴン車を貸してくださり、
短時間ではあるが、選挙運動について指南してくださった ”甲先生”、
選挙カーに関して大変お世話になった ”府議の先生”。
そして、”責任者”。
こうした先生方がいらっしゃらなかったら、
少なくとも、選挙カーを公示日から動かすことはできなかったはずである。


そして、”責任者”は、次のように総括された。

  今回の選挙では、各候補者に対して
  十分には支援できなかった。
  ただ、そもそも自分の世話もできない人が、
  他人の世話なんかできるはずがない。

  そして、候補者みなさんは立派に戦った。
  そんなみなさんを誇りに思う。

立派なことをおっしゃるな、とも思ったが、
  そもそも自分の世話もできない人が、
  他人の世話なんかできるはずがない。
の部分は、橋下代行の受け売りであったことが
後日分かった。

私は、こうした自己責任という考え方が
大好きであり、賛同もする。

ただ、それなら、もう少し自分のペースで
自分の好きなようにやらせてほしかった。
責任は全部自分が負うのだから。

指示をするなら、少なくとも指示した分は、
結果責任も取ってほしいものである。


ところで、東京選挙区は小選挙区全滅、
比例代表も、定数29人の近畿比例区が10人だったのに対し、
定数17人の東京比例区はわずか3人にとどまった。


東京選挙区の ”責任者”は責任を取ったのか、
定かではない。


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