両親の思い出 | 日記
2013.01.27(Sun):両親の思い出
母が亡くなってから、父が亡くなるまで
その期間は約10年半だった。

その間、父の体の状態は、
ヘルパーさんらの介護のおかげ、
そして、本人の努力によって
寝たきりから、杖をついて歩行ができる程度に回復。
しかし、入院をきっかけにまた悪化する
そんな繰返しであった。

ただ、介護保険制度の見直しで
介護認定が厳格化されたこともあり、
要介護度だけをみると、
5から3といったように回復基調にあった。


介護を必要としている方は病気にもなりやすい
ということは、直前のブログにも書いたが、
父の場合も、母が亡くなってからだけでも、
何度入退院を繰り返したか、数えきれない。

インフルエンザ、肺炎、緑内障、百日咳、サルコイドーシス等々、
他にもあったと思うが、同じ病状でも複数回入院したこともあり、
思い出せない。

父親がベッドからころげ落ち、
私が帰宅するまで数時間も床に横たわっていたということは
何度かあったが、
ある日、まったく動けなかったことがあった。

こういうときには非常に困るというとことも、
直前のブログで書いたが、
このときはさすがに救急車を呼んだ。

救急隊員から、かかりつけの病院に搬送が可能か
問い合わせるようにと電話で言われた。
自ら、父かかりつけの自宅近くの病院に問い合わせるも、
病院側は、確認するふうでもなく、間髪入れず、
病床がいっぱいだから来てくれるなという。

到着した救急隊員も自ら確認することなく、
別の病院を探す。
結局、救急車で15分くらいかかる病院に搬送された。

診断結果はインフルエンザ。

  インフルエンザでも体が動かなくことがあるんだ…

そして、このときも、肺に腫瘍のようなものがみえるので、
余命は数か月程度かもしれないという告知を受けるも、
結果として、その腫瘍のようなものは何でもなかった。

2~3日もすると、やはり、かかりつけの病院がいいだろう
ということで、自宅近くの病院に戻る。

ベッドはたくさん空いていた。
あの、数日前の
病床がいっぱいだから、
というのは何だったんだろう…


父は元気になるたびに
楽しみのグレードがアップしていく。
最初は、出前をとるだけでも楽しみにしていた。
それだけ病院食が口に合わなかったのであろう。

ある日の休日、私が出かけて、お昼1時前に戻ってくると
なんで正午に帰って来なかったんだと
えらいけんまくで怒られた。
それだけ楽しみにしていたのであろう。

次の楽しみは、近所の回転ずしに行くこと。
胃を摘出していたこともあり、ふだんは小食だったが、
お寿司だけは私と同じ量、
あるいはそれ以上食べることもある。
よほど好きだったのであろう。

ただ、若いとき、故郷の愛媛県宇和島で
一時漁師をしていたこともあり、
魚にはうるさい。
魚屋さんの前で、全然活き活きしてないじゃないか
と店頭に並んでいる魚にダメ出しをしたことがある。


その次の楽しみは、
自宅から健常者の足でも徒歩20分はかかる亀戸天神に行くこと。
よほど楽しみにしていたのか、夢にまででてきたそうである。
父と亀戸天神に行った帰り道、
女性用のブルゾンをサイズがぴったりだと買った。
以後、それを好んで着ていた。

そのブルゾンについては、
たまたま父が亡くなる日の昼にクリーニングに出し、
その数日後、告別式が始まる直前、
クリーニング屋さんに急がせてしまいながら引き取って
棺桶に入れたという思い出がある。


そして、一番元気だったときは、
いっしょに温泉にも行った。
二人でスイートルームに泊まった。
さすがに眺めがいい。
テレビのある部屋がいくつもあったが、結局、使ったのは一室のみ。
家族用の露天風呂も、
父は広い方がいいといって、未使用。
一般用の温泉に、杖をつきながら入った。
もちろん、私はつきっきりである。

ある意味ぜいたくな温泉旅行だった。


しかし、その後、まさしく山なりのように
父の活動範囲が狭まっていく。

入退院後動けなくなっては、
介護を受けては回復し、多少動けるようになる、
そんなことの繰返しではあったが、
その回復度合いがだんだん悪くなっていた。

そして、ある日、帰宅すると、

「隆、動けなくなった。」

と言われた。

私は、その時、またリハビリを受ければ
動けるようになると思っていた。

今までも、こういうことの繰り返しであったからである。


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