両親の思い出 | 日記
2013.01.28(Mon):両親の思い出
夜間診療をしている病院に父を連れて行き、そのときは一時的に回復。

しかし、数日後、父はまた動けなくなった。

昼間に弟が来てくれて、車いすに父を乗っけて
病院に。

救急車で行ったわけではなく、
通常の診察という形で行ったので、
そのまま待合所で待機。

しかし、父の様子が尋常でないことを、
看護師さんが見て取ってくださり、
父に至急心臓マッサージ。
なんとか一命をとりとめた。

弟も周りにいた他の患者さんらも
父の異常に気がつかなかったくらいだから、
この看護師さんには本当に感謝である。

原因は肺炎であったが、主治医の先生からは、
心臓が弱っているので覚悟はしておいてほしい旨
告げられた。
しかし、この十年間、覚悟しておいてほしいということは、
いろいろな医師からいくどともなく告げられてきたので、
慣れっこになっていた。

ただ、”心臓が弱っている”という部分だけは、
いつもとは違っていたことに気がついてはいたが、
あまり気にとめていなかった。

それから、一か月程度入院が続いた。
私は、またもや、毎晩の見舞い。
ただ、正直、入院中は父の世話は病院がみてくれるので、
助かるし、何よりも安心だった。


いつも入院していたときとは違うことがいくつかあった。

まず、私が見舞いに行き、病室を出るとき、
父は、決まって、片手を上げて私に合図をしてくれた。
今までになかったことである。

そして、不思議なことが一つあった。

「足の爪を切ってくれないか。」

と、父から突然お願いされた。
今までヘルパーさんや看護師さんらに
ずっとやっていただいたことであり、
このとき初めてお願いされた。

子どものいない私にとって、
自分以外の爪を切るというのは初めてのことだったので、
最初はためらいがあったが、意外と簡単にできた。

最初で最後の爪切り



私が見舞い中も、父は一度心臓に異常をきたした。
そのときは、心臓マッサージでなんとか復活。
その間、看護師さんらは父の手を握りながら一生懸命に声をかけ、
父が気を失わないようにしてくださった。


そんなこともあったのに、病院側は、
肺炎は治まったので、療養型の病院に転院してくれという。
私は、点滴もまだはずれないような状態で転院しても大丈夫なのか
と聞くも、大丈夫だという。
入院の原因となった肺炎が治った以上、仕方がない。
私は、病院側の事情も知っていただけに、
強く転院に反対できなかった。


そして、いよいよ転院。
専用のワゴン車で、千葉県市川市の病院に移動。
平日午前10時ごろの下りだったのですいているかと思いきや、
渋滞にもあい、四十分程度かかった。
車中、父はずっと具合が悪そうだった。

新しい病院に着き、一通りの検査と手続きを終え、
もちろん、そのまま入院。
リハビリの方針やさらなる転院先のことなどは、
看護師長さんと一週間前に打ち合わせずみであった。

主治医となる先生からは、母の時のように、
万が一の場合は人工呼吸器をつけるか問われるも、
NO とこたえておいた。
ただ、心臓マッサージだけはお願いした。
なんたって、ここ一か月の間、
心臓マッサージで二度も命を救われたからである。


その後、病院を出て、元上司の方が入院されたというお話をきき、
そこから電車で一時間ほど離れた別の病院へ行き、お見舞いに。

それから、自宅に帰宅した途端、携帯が鳴った。


父が危篤




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