両親の思い出 | 日記
2013.01.30(Wed):両親の思い出
母が亡くなって、九か月ほど経ったとき、
職場の電話がいつものように鳴った。

しかし、電話先の相手はいつもと違っていた。

『自在園ですが。猪野隆さんですか?』

「はい、そうです。」

でも、馴染みがなかったわけではなかった。
そこは、特別養護老人ホームで、
父方の祖母がお世話になっている施設。
ここ15年ほど、一か月に一回のペースで、
その施設から、お便りが届いていたからだ。

でも、そこの職員の方とお話しをするのは
初めてであった。

『おばあちゃんのことなんですが、
 血圧が段々下がってきていて、
 かなり危険な状態です。』

自宅に連絡をしても、寝たきりの父しかいないので、
つながらなかったのであろう。

「分かりました。すぐに行きます。」

すぐに行くとはいっても、そこは、
愛媛県南宇和郡、数時間で行けるような距離ではない。
おそらく、今から行っても間に合わない…

しかし、部長に事情をお話しし、まずは東京の自宅へ。
自宅に着くやいなや、父にも事情を話す。
電話をいただいてから1時間半ほど経っていたので
自在園に連絡し、これから東京を発つ旨伝えた。

職員の方は、仕事中に東京からわざわざ来るのも大変ですね、
といったことばをかけてくれた。
祖母の様子が先ほどよりは落ち着いているということで、
父からは、現地には宿泊施設なんかないぞ、といわれつつも、
一応、数泊分の身支度をする。

羽田空港で正規料金の航空チケットを購入し、まずは松山空港へ。
私は、十年ほど運転ご無沙汰のペーパードライバーだったので、
松山駅から宇和島駅までディーゼル列車に乗る。
四国の列車は、電化されていないところがほとんどだった。

松山駅で指定席券を購入すると、駅員さんは、
指定席が埋まりそうだったので、あなたは運がいい、
みたいなことをおっしゃる。

列車の中に入ると、たしかに、指定席はいっぱいだったが、
自由席はガラガラだった。


宇和島駅に着いたときは、
既にバスも走っていない時間だった。
自在園のある南宇和郡の御荘は、
ここから車でさらに一時間ほどかかる所。

そこで、タクシーに乗る。
宇和島には二十年以上ぶりに来るが、
断片的な光景は覚えているものの、
地理や交通のことまでは全然覚えていない
といったお話しを運転手さんにする。

運転手さんは、
御荘では真珠がよく採れ、バブルのころは、
宇和島駅からタクシーを利用する漁師さんが多く、
料金のほかにもチップとして一万円はもらっていた
というお話しをする。

ライトの先にいつ幽霊がとび出てきてもおかしくないような
くねくねした暗い夜道をひたすら走る。
タクシーのメータが着実に上がるにつれ、
運転手さんはますます饒舌になり、
私はというと、だんだん無口になる。

そのメータが一万円ちょっと超えたところで、
自在園に到着。
昼に電話をくださった職員の方が、
わざわざ玄関まで出迎えてくださった。

電話の声からすると、もっと年配の方かと思っていたが、
きれいで若い女性の方だった。
この施設で役職をもつ”Hさん”という。


中に入ると、そこは幼稚園と見間違うような雰囲気。
幼児らが心をこめて描いた絵が
ところどころに貼ってある。
ただ、薄暗くて、ひっそりしているところが、
幼稚園らしくはなかった。

祖母のいる部屋に入ると、そこには、
二十年以上前、お会いしたことはあるはずだが、
初めてお会いするような親戚の方々が
ずらりと並んでおられた。

  どなたが、どなたか、まるで分からん…

ただ、間に合ったようだ。
母のときは、1時間でかけつけても間に合わなかったが、
今回は、7~8時間かけて来たが間に合った。

『隆さんが、東京から来てくれたわよ。』

”Hさん”がまだ逝ってはダメだという意味も込めて
大声で話かける。

祖母はすでに眼が見えない状態ではあったが、
微笑んでくれたような気がした。


私のすぐ後には、
タンをつまらせ、それこそ数十分おきに、
職員の方から吸引してもらっている
見ず知らずのおじいちゃんがいた。
もちろん、24時間体制で。


『隆さんが来てくれたというのに、
 元気にならないわね。』

『まだ、誰か他に待っている人がいるのかしら。』

親戚の方々が口ぐちにおっしゃる。


  私には、人の命を救うまでの力はない。


スポンサーサイト

Tag:
| TrackBack:0
TrackBackURL
→http://inoino700.blog.fc2.com/tb.php/52-6f565225