2016.11.11(Fri):ボランティア活動

(かなりの長文です。)
 私たち学生は、夏休みを利用して、学習支援ボランティアという形で、ある熊本の小学校で一年生の児童といっしょに学校生活を送った。具体的には、私の場合、「こくご大会」、「さんすう大会」と称するテスト時に、児童が自分一人で解こうとしても分からないところがあったときはヒントを与えたりした。また、このテストが返されたときは、児童はその場で百点満点をとれるように問題を解きなおすのだが、この際も、児童にヒントを与えたり、正解した子には丸付けをしたりした。時には、私自身が教壇に立ち、勉強のコツなどを児童に伝えることもあり、その他、いっしょにプールで泳ぎ、給食をとり、掃除もした。そして、何より私が担任の先生から期待されていたであろうことは、落ち着きのない児童をきちんと席に落ち着かせることであったのではないかと思う。
 私たちの活動の目的は、今般の熊本地震で子どもが受けた心の影響などを調べ、こうした子どもやその親御さんらの様子や声を他の人たちにも知ってもらい、ひいては、今度私たちが災害にあったときに、今回熊本で得た知識・情報を少しでも活かすことができるようにすることである。そのため、当初は、熊本の小学校で学習支援をさせてもらいながら、児童の心の様子などを肌で感じるつもりでいた。ただ、先生らのご指摘にもあったように、今回の熊本地震が、入学・新学年開始日の3~4日後という、児童も学校になじむ前の環境下で起こったこと、そして、特に一年生については、子どもたちの行動が地震の影響によるものなのか、生来的なものなのかを判断することが難しいことから、子どもたちの様子を今回の地震と無理に結びつけようとすることは適切ではないと考えた。そこで、ここでは、あえて地震の影響ということから離れ、今日の学校教育の在り方という視点から、自身が小中学生だったころと大きく異なる点を中心に感じたことを述べてみたい。
 まず特筆すべきは、この小学校でも力を入れているという、いじめ根絶への徹底ぶりであった。今回、見聞きしたことの中で、私が小中学生だった1970年代頃との一番の違いは、先生が常時教室にいたという点である。少なくとも自分の経験の中では、教師は授業と授業の間の休み時間は職員室に戻り、その教師のいない間にいじめはおきていた。とくに中学校の場合は、教科ごとに担当教師が異なるため、どうしても教室に教師がいない時ができてしまう。数年前、学校公開で自身の出身中学校に訪れたときも、やはり授業と授業の間の休み時間に、プロレス技をかけて他の生徒をいじめている生徒がいたのを見かけ、それを止めたおぼえがある。この小学校では、いじめ対策のためだけに先生が常時教室にいるわけではないのであろうが、先生、もしくはその代わりとなる者が常時教室にいることでいじめはある程度抑えられるはずである。もちろん、これだけでいじめを根絶することはできない。今回、私が目を見張ったのは、担任の先生がとった以下のような二つの指導・行動である。まず、私がみんなといっしょに、隣の教室、ここは、体育館が被災して使用禁止となったため、剣道など本来体育館で行われることのために使われているのだが、その教室を児童といっしょにそうじをしていたとき、ある児童と児童が突然けんかを始めたのである。すると、担任の先生は、教室内にあったマットをひっぱり出し、そこで二人にすもうをさせ、一回勝負がついても二人が疲れるまで何度もとらせ、最後は、二人お互いに握手をさせたという話である。もう一つは、一日の授業が終わった反省会のときの話である。「今日、悲しいことがあった人」と司会進行役の児童が他の児童に問いかけると、ある女の子が、少しためらった後、しかし思い切って、ある男の子に握りこぶしでつつかれたことを発表した。すると先生は、事実確認をした後、その男の子に注意し、女の子に謝罪させたのである。私が小中学校生だったころは、このように積極的にいじめを見つけ出し、対処しようとした先生はあまりいなかったように思う。もっと、こうした先生がいたならば、いじめはきっと減っていったであろう。
 驚かされたことは他にもあった。それは、そのそうじのときに見かけた光景である。みんなが、まるでお寺のお坊さんのように、一心不乱にあちこちぞうきんがけをしていたのである。床をふくときは、最初、みんなできちんと並んで一定方向にぞうきんがけをしていたのだが、しばらくすると各自好き勝手な方向にふき始めてしまったのだが、そこは、小学一年生ということでご愛敬といえよう。このそうじの直前、担任の先生は、ぞうきんを四つに折った上で裏表八面をきちんと使ってぞうきんがけをするよう児童に指導していた。そのためか、ぞうきんがけをして八面を使った子どもたちが自慢げに私にぞうきんを見せにきてくれたのだが、その姿がとてもかわいらしかった。そして、私が八面使いきったことをほめてあげると、気をよくした子どもたちはそのぞうきんを洗って、さらに、他の子がすでにぞうきんがけしたところを再びふきはじめたのであるが、その姿も実に微笑ましかった。それにしても、このようにぞうきんがけのできる大人が、私含め、はたしてどのくらいいるのであろうか。私はここまでそうじの仕方を教わったおぼえがない。
 さらに、礼儀やあいさつが徹底していることにも感心させられた。私がこの子たちのように、礼儀やあいさつを教わったのは野球部や陸上部といった学校の運動部、しかも先輩方からであって、教室の中で教師から教わった記憶はない。私が今まで出会った社会人や学生の中でも、この小学生たちのようにきちんと挨拶のできる人はそう多くなかったのではないかと思う。ただ、今回も、授業中にうろうろしだす落ち着きのない子も例外的にはいた。ここが私の出番である。担任の先生はこうした子に注意する一方で、まじめにきいている児童のためにも授業を進行する必要がある。とても一人での対応は難しい。そこで、私がこうした子を追いかけて抑えようとすることになるのだが、これがまた加減が難しい。すなわち、あまり追いかけすぎると、子どものほうがかまってもらえると思い行動がエスカレートしてくるのである。時には無視することで子どものほうから近づいてくることもあるのだが、ただ、担任の先生の一喝でおとなしくなることのほうが多かった。このように、普段、先生が礼儀作法の指導に力を入れている一方で、落ち着かない子への対応にもいかに苦労されているのかを垣間見ることができた。
 そして、最後に、先にも述べたテストの様子にも大変驚かされた。一つは、テスト中、児童が自分で考えてもどうしても分からないときは、先生からヒントをもらってもよいという点である。たしかに、完全に自力で解こうとしても分からないと思ったら、途中で考えるのをあきらめてしまいがちになるが、ヒントをもらうことで自分の頭で考えようという姿勢が再びうまれてくる。また、テスト返却時にも、その場で児童が百点満点をとれるように解き直す時間をとっておられた。これもまた、実際には、自宅で解き直す子はあまりいないであろうと考えると、非常によいアイデアだと思った。児童が、テスト中に分からなくなると、あるいは返却された後に解きなおし終わると、「先生分かりません。」とか「先生できました。」と声をあげならが、われ先にと次々に手をあげる積極性には、ひっぱりだこ状態になった私もとてもうれしくなった。さらに特筆すべきは、返却後の解きなおし時に、できた児童ができない児童に教えはじめたことである。もちろん答えをいきなり教えるのではない。解き方などを教えることで自分の理解も深まるのだが、それよりも、自分さえよければそれでよいという自己中心的な考えをせずに、勉強という点でも助け合いの心をもってのぞんでいる姿には、まだ小学一年生ということからしても、目を見張るものがあった。たしかに自尊心が満たされるという面もあるのかもしれないが、無自覚にせよ、いや無自覚だからこそ、こうした高邁な精神には(といっては大げさなのかもしれないが)見習うべきところがあると感じた。これも、担任の先生の日ごろの指導の賜物なのであろう。私の経験の中では、テスト中にヒントをもらったり、返却されたその場で解き直したりしたということはなく、児童どうしで教え合うということもあまりしなかったように思う。
 ところで、まったくの余談ではあるが、私がこの三日間でもっとも困ったのは、プールの時間、泳げない子の指導を任されたことである。もちろん、私は水泳の指導などしたことがない。それでも、泳げない子どもを見ていると、不思議とだんだんその原因が分かってきて、実際、私の指導で泳げるようになった子が一人だけでもいたことは大きな喜びであった。人生、何ごともやってみなければ分からないものである。
 今回、私たちが熊本を訪れた目的は、先にも紹介したように、熊本地震が子どもの心に与えた影響や親子の様子などを調査し、その結果の周知を図り、ひいては今後の震災復興に活かせるようにすることにあったのだが、本校をはじめ訪問する先々で、自分たちの大学での専攻が教育関係なのかをたびたび問われた。たしかに、今回のように小学校で学習支援ボランティアという形でお世話になったことで、当初の目的からやや離れてしまった感はあるが、教育の在り方というものを深く考えさせられた。そして同時に、先生方が児童に対し、通常の授業の中で、礼儀や挨拶、そうじの仕方、思いやりといった、今の大人たちにも欠けているともいえることを身につけさせようと日々奮闘している実情をうかがい知ることもできた。なるほど、今後、教育関係の道に進もうと考えている若者にとっては、今回の経験が大いに役立ったであろうことには間違いない。ただ、自分自身にとってもこれからの人生の中でこの経験が活かされることはきっとあるであろうし、また、この記事が教育関係に進もうとしている者の目に触れ、少しでも参考になれば幸いである。
 最後に、今回、私たちがおじゃました際にいろいろご配慮くださった、小学校の校長先生、教頭先生、そして、一年生ご担任の先生をはじめとする教職員のみなさまがたには深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
そして、一年生のみんな、ありがとう。

1611 東町小学校給食
熊本小学校 3
1611 東町小学校プール

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