新聞の読み方 | 日記
日本女子柔道監督が辞意表明

今回は、このニュースについて
刑法チックに分析してみたい。

視点は三つ。

加害者、被害者、そして一般人である。

刑法は、基本、加害者目線でできている。
つまり、その気(故意)がなければ、原則、おとがめなし。
ただ、それってあんまりじゃん、
という犯罪には、例外として過失罪がある。

しかし、昨今、だんだん被害者目線も大事になっくる。

まず、酔っ払い運転による交通事故死。
ご遺族の方々は、これは殺人だ、とおっしゃる。
これは、被害者目線。
でも、残念ながら、刑法は、基本、加害者目線なので、
運転手に殺す気がないかぎり、殺人罪は適用なし。
業務上過失致死罪も軽い。

ただ、それはあまりにもひどい!
そこで、酔っ払い運転などをして、誰かを怪我させたり死なせた場合は、
ただの過失罪よりは厳罰に処すべきだということで、
危険運転致死傷罪や自動車運転過失致死傷罪が新設された。
もちろん、ご遺族の方々にとっては、これでも十分ではないはず。


次に、ストーカー規制法、そして、セクハラやパワハラ問題。
こうした今どきの犯罪や問題になると、被害者目線。
加害者が、自分はその気がなかった、といっても、
通じないことが多い。
被害者がどう思ったかが大事なのである。

もちろん、誰がみてもそれはセーフだろう、
という基準もあるはずである。
それが、一般人の目。

この一般人目線も変わらないようで、
実は、時代や場所によって変わる。
極端な例だが、原始社会では、生けにえのために
人を殺すことさえ許されていた。
戦争の場合は、いつの時代でも。

そして、問題となっている体罰。

刑法では、”暴行”とは、不法な有形力の行使をいう。
問題は、この ”不法”。

殴られる側が同意していれば、刑法的に問題なし。
もちろん、形式的な同意ではダメ。
また、この一環ではあるが、
ボクシングといった格闘競技中も問題なし。
もちろん、一般人目線でも、
これはアカンやろ、というラインというかハードルがある。

問題は、このハードルである。
おそらく、一昔前の体罰であれば、
殴られる側も一般人目線も
今よりハードルが低かったのであろう。
だから、一昔前の世代の方たちは、
体罰を全否定することに
戸惑いを禁じ得ないのではなかろうか。

が、今日日、このハードルが上がっているような気がする。
特に、大阪市の高校で不幸にも自殺者がでてしまったことで。

柔道界の頂きにいる女子柔道選手15名が連名で、
監督の暴力行為などを告発したことは、
被害者側のハードルも上がっていることを示している
とも考えられる。

もちろん、いずれのケースとも、
それだけ体罰がひどかったのではあろうが…
ハードルが上がった現在、
当の教師や監督が、自分は ”暴力”とは認識していなかった、
と弁解したところで、通じない。

日本柔道連盟が、本人が改心し深く反省していることを理由に
戒告処分にとどめたのは、
加害者目線にしか立てなかったからであろう。
あれだけお偉い方々になると、
被害者目線や一般人目線を持てないか。


こうして見ると、体罰といじめの違いも分かってくる。
それは、いじめに加害者目線は関係ないということ。
いじめの実態として
”遊びのつもりだった”
という加害者目線は考慮の余地はないということ。
一般人目線でも、許される ”いじめ”はないはず。

だから、いじめ問題は、
いかに被害者側の目線に立つことができるか、
これがより重要になってくる。

そして、学校側や教育委員会が
自分の立場という、まったく的はずれな視点しか持てなかった、
だから、事が大きくならない限り、隠し続ける。
こうした対応が、大津市の中学生が自殺という、
不幸な事件を引き起こすことになる。

だから、一般人目線で、かつ
被害者の立場になって考えてあげることができる
そういう第三者の目というのがより重要になってくる。

この点、
大阪市の高校や日本柔道連盟の対応をみていると、
やなり体罰問題にも同じことがいえるか。

いずれにせよ、
人の命がかかっている。


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