おもろい話やで | 日記
私は、二年間、OECD(経済協力開発機構)という
国際機関に勤めていたが、
今回は、そこで経験したことをご紹介。

そもそもOECDの前身は、OEEC(欧州経済協力機構)という組織。
第二次大戦後、ヨーロッパも戦場になったわけであるから、
経済も疲弊しきっていた。

そこで、ほとんど無傷であったアメリカの当時の国務長官マーシャルが、
これで復興せ~い、といって、大枚をはたいたのである。
これがマーシャルプランといわれたものだが、
その受入れ機関がOEECである。

そして、ヨーロッパも見事に復興したわけであるから、
もうOEECはいらなくなったはずである。
しかし、どこの国、どこの時代でも同じなのか、
いったん作った組織はなかなかつぶせないようである。

そこで、欧米先進諸国が経済や貿易のことを話し合う機関に
改組してしまおうということで、
1961年、アメリカとカナダも加わって、
OECDができたわけである。

そして、日本が加盟したのが1964年。
その後、オーストラリアとニュージーランドが
1970年代に加盟し、しばらく加盟24か国の時代が続いた。

が、1990年代初頭、ソ連が崩壊し、東西ドイツが統一した後、
市場経済に移行したチェコ、ハンガリー、ポーランドといった東欧諸国のほか、
メキシコ、そして日本以来のアジアの国、韓国が1990年代に加盟した。

そして、2000年にスロバキア、2010年にはイスラエルなど四か国が加盟し、
現在は、34か国までになっている。


私が勤務していたのは、1994年から1996年までの2年間だったが、
その頃は、メキシコ、ポーランド、韓国などが加盟審査を受けていた。

メキシコの審査は、アメリカの露骨な後押しもあり、スムーズにいく。
ポーランドなどヨーロッパ諸国の審査も、スムーズにいく。
しかし、韓国の審査だけは、いろんな規制が残っているとして、
難くせをつけられ、スムーズにいかない。
審査の仕方が公平でないように見えた。

それでも、韓国は、頑として日本を頼ろうとはしなかったらしい。
結果的に、韓国も、ポーランドなどの東欧諸国と同じ1996年に加盟したのだが。


私が勤めていたとき、韓国はオブザーバーという立場ではあったが、
韓国人職員もいた。
同じアジア人ということもあり、
他の課の韓国人職員とも仲良くなった。

お互い、カタカナ発音の英語だからコミュニケーションもしやすい。
英語でうまく表現できなくとも、漢字で意思疎通可能である。
例えば、彼が英語で何を話しているのか分からなかったとき、
漢字で、”森林浴”と書いてくれた。

ただ、普段、そんな仲のよい韓国人も領土問題や歴史問題になると熱くなる。
詳細は忘れてしまったが、日韓で竹島問題が生じた翌日の朝、
いつものように ”Goood Morning”と挨拶したとたん、
彼にいきなり胸ぐらをつかまれ、どなられた。

『なんで、お前の国は、おれの国に
 いつも迷惑をかけるようなことをするんだ!』

これには、本当に驚いた。

私の考えるところの
彼がこれだけ熱くなった背景については、
1月5日付のブログ
”黄色が黄色をやっちゃったから?”
をご覧いただきたい。

なお、OECD職員は、日本人と韓国人以外は、みんな欧米人だった。
だからか、ハングル語のFAXが、よく私の机の上に置いてあった。


あと、韓国人以外のOECD職員から、というか一般的によく言われるのは、
日本は小さいということ。

しかし、みなさん、
ドイツを小さいといいますか?
日本の面積は、東西統一ドイツより広いのです。


経済規模は世界3位、人口は1億2千万人以上。
日本が小さいといわれる要素はありません。
ただ、国土の約7割が森林なので、住めるところが少ない
という意味では、”狭い”とはいえるかもしれません。


ところで、私は、OECDで具体的に何をしていたかというと、
一つは、移転価格という国際課税についてのガイドライン作りだった。
OECDのガイドラインは、加盟国に法的拘束力をもつわけではないが、
”国際”課税という以上、加盟国の法制度がバラバラになるのもまずいので、
各国に、ある程度、このガイドラインに沿ったものにしてもらう必要がある。

課長代理に相当するアメリカ人女性弁護士を頭に、
ドイツ人と私との三人のチームで行っていた。
各国代表から出された案やコメントを参考に、われわれがまとめの作業をする。
実際の会議でも、このボスが司会進行をしていた。
複数の国の代表から各々の案が提案された後、その場で折衷案を提案する、
まさにネイティブならではの技。

だからであろうか、OECD職員でも、課長といった実務的に重要なポストには、
英米人が就くことが多い。
サンドイッチに例えれば、はさんである主役の ”中身”である。
日本人はというと、
平職員か、または、金は出しているので、局長級に多く、
まさにサンドイッチの ”食パン”状態だった。


私は英語の文書力を上げようと、OECDレポートを参考にしていたが、
ネイティブの職員の方が次のようなことをいってくれた。
すなわち、日本のみならずドイツやフランスなどの欧州諸国も含め、
ノンネイティブの国の英文を本当は添削したい、と。
ただ、それをすると角が立つので、控えているんだと。

私の英文は、よくズタズタにされたが…

それに、欧米人は Yes,No がはっきりしていて、
日本人はあいまいであることが多い、とよくいわれているが、
OECDレポートに限っていえば、そんなことはない。
そこはやはり公的な文書であり、
各国の案を折衷させたものだからであろうか、
"wouid" とか "might"といった助動詞が多用され、
表現が非常にあいまいで、
結局、何がいいたいのか分からないところも多かった。


私のOECDでのもう一つの仕事が、
ソ連崩壊や東西ドイツ統一といった時代を背景に、
市場経済に移行した東欧諸国や途上国に訪れて、
西側諸国の税の仕組みや実務などを伝えることであった。

私の場合、ポーランド、ハンガリー、スロバキア、
そして、当時、加盟審査中の韓国とメキシコに訪れた。

そのときのお話しは、次回以降にさせていただきたい。


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