FC2ブログ
両親の思い出 | 日記
2013.03.22(Fri):両親の思い出
春分の日とか、みんなも墓参りするであろう日は、
わざと、遅い時間にお参りをする。
混んでいると、桶とか柄杓とかブラシが全部使用されてしまい、
せっかく来ても、すぐには使えないからだ。

ただ、お寺さんの事務所は夕方5時に閉まってしまうので、
夕方4時ごろに到着するようにはしている。

一昨日の20日も、ちょうど夕方4時ごろに墓地に到着。
その時、お墓参りをしていたのは、見える範囲では、
私のほかに、一組だけであった。

ただ、車は、5~6台止まっていたので、
私の見えないところで、数組がお墓参りをしているはずだった。

母方の祖父母のお墓参りを終えた時点で、残り20分余り。
急いで、猪野家の墓へ移動。
今にも雨が降りそうな空模様で、既に暗くなり始めていたこともあり。

猪野家の墓には、両親を含め、十二名のご先祖さまが眠っている。
十か月前までは、両親だけだったのが…


東日本大震災の一周年の日は、ちょうど
亡くなった父の百か日に当たっていたので、
父の故郷である愛媛県南宇和郡にあるお寺さんで
法要をあげていただいた。

が、同時に、"友引"の日だったので、
地元のご親戚の方は誰も来ず、
 ”東京にお墓を建てたのだから、
  ここにある猪野家(ただし分家)の墓の性根を断って、
  先祖代々の魂を東京のお墓を移してほしい。”
と、ご住職さんを介して言われたことは、
1/29付のブログでも述べた。

母が亡くなったときは、お墓の知識がまるでなく、
何も深く考えずに、東京にお墓を建ててしまったのだが、
しょっちゅう宇和島まで行く余裕はないので、
いずれにせよ、東京に建てていたとは思う。

また、父方の祖母が亡くなったとき(2/1のブログご参照)、
母の分骨だけは、宇和島のお墓にも納めてはいた。


地方の方は、ご先祖さまを大切にする。
その宇和島の猪野家の墓には、
ご先祖さま代々、両親を除くと、十名眠っていた。

だから、私が東京などにいる間は、
ご近所の親戚の方が、お参りをしてくださっていた。
そうしたご親戚の方にこれ以上迷惑をかけることもできなかったので、
お墓を移すことに決めた。

一言でお墓を移すとといっても、やることはたくさんある。

まずは、お墓や位牌から仏像などすべて
ご先祖さまの魂を抜くためのお経。
だから、そのためのお経は、一か所ではすまなかった。

次に、そのご先祖さま一人につき一枚ずつ、
役所に届ける用紙に、氏名と自分との間柄、
そして没年月日まで書くことになっている。

  そんなの分かるか!

と、思っていたが、お寺さんのほうできちんと記録してある。

記録に残っているなかで、最も昔のご先祖さまは、
江戸時代の安政時代のときに亡くなった(生まれたではない)方で、
祖父母どちらかの祖母である。
祖父母のどちらかまでは分からない。

ご先祖さまの中には、正妻でない女性の方もいらっしゃる。

また、昔の人は、お家を絶やさないことに必死だったので、
養子の方々も以外に多い。

父も養子で、元々の血筋は、猪野家ではない。
だから、私も、三十代のころまでは、
お前が結婚しないと、猪野家が途絶えてしまう、
と、時おり父から言われていた。


父が元々いた家は、曹洞宗、
養子先の猪野家は、浄土宗。

そして、東京や大阪周辺の親戚は、元々いたほうの親戚が多く、
宇和島には、養子先の親戚が多い。

だから、母も父も亡くなったときは、
東京のほうでは、曹洞宗のお経、
宇和島のほうでは、浄土宗のお経で葬儀をした。

そうでもしないと、
それぞれの親戚の方が納得しそうもなかったからだ。

だから、母の位牌は、曹洞宗のものと浄土宗のものと二つある。

祖母が亡くなったとき、宇和島に行って、母の分骨も納めたとき、
母の位牌はすでにあるといったのに、
周りの親戚の方から、祖母の位牌といっしょにつくってもらえ、
と強くいわれつくったからだ。

だから、父の位牌も二つめをつくってもらうとも思ったが、
先ほど述べたように、親戚は葬儀に参列しておらず、
お寺さんからも、なぜか拒否されてしまった。

十年ほど前は、母のはつくってくれたのにである。
理由はご住職から聞いたはずなのだが、よく分からなかった。
やはり、位牌二つは、さすがにまずいということか…

こちらのお寺は、ご住職といっても、
私より若い女性の方なので、十年前は、私と同様、
位牌づくりを拒否できなかったのかもしれない。


次に、遺骨などを東京に移さなければならない。
十二名分の遺骨など東京のお墓に入るのかと心配していたら、
両親と祖母以外のご先祖さまの分は、
小さな骨壺に入った霊土という土に魂がまとめて込められていた。


そして、魂を抜かれたほうの宇和島のお墓はただの石と化し、
その横の墓碑とともに単純に破壊されるだけ。
元の位牌や仏像も無造作にダンボール箱にまとめて入れられ、
焼却される。


東京のお墓のほうでは、
宇和島から届いた遺骨と霊土を納め、
浄土宗のご住職にお経をあげてもらう。
普段は、曹洞宗のご住職にお世話になっているのだが…

そのお経の途中、
浄土宗のご住職がご先祖さまの名前を一名一名呼ぶのだが、
『このご先祖さまは、何とお呼びするのですか?』
と、不意に聞かれる。

ちなみに、東京の墓地のお寺さんは、真言宗。
そのお寺さんの事務所にも、宇和島の役所でもらった書類を渡し、
永代使用許諾書なるものに、やはり、ご先祖さま一人につき、
氏名と自分との間柄、そして没年月日まで書く。


以上、お墓を移すための費用、40万円也。


そんな東京のお墓も、
今までは、ブラシをかける必要もないほどきれいだったが、
だんだん汚れてきた。

母の戒名の刻銘と父の戒名の刻銘との汚れ方も
明らかに違う。


夕方5時の時を知らせる鐘が鳴った。
それまで、両親のことを想っていたが、
宇和島からはるばるいらした十名のご先祖さまを想うのを
忘れていたのを思い出し、
あわてて、また合掌。


夕方5時を5分余りすぎたところで、
事務所にご挨拶申し上げ、墓地を去る。
こうして、総勢15名分のお参りがすんだ。

今にも雨が振り出しそうだった。


そして、帰りのバスに乗ると、雨が降り出した。



スポンサーサイト




Tag:
| TrackBack:0
TrackBackURL
→https://inoino700.blog.fc2.com/tb.php/112-0386f5a3