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新聞の読み方 | 日記
一昨日のブログにおいて、
あるテレビ番組で、
都市圏とは逆に、過疎化が原因で児童が足りず、
保育所のほうが存亡の危機に立たされている地方も多いという
”待機保育所”の問題が紹介されていた、
と述べた。

その番組の中では、
児童が集団生活を学ぶためには、
やはり身近なところでの保育所の存在は不可欠である、
というご意見があった。

それはそれで、その通りなのだが、
このご意見は、保育士の方がしっかりされているということが前提になる。
そこは、その番組でも問題視していなかった。
その番組に出演されていた保育士の方々が、
みなさん立派な方々だったからだとは思うが。


保育所ではなく、幼稚園のほうの話になってしまうが、
私は、いわゆる年少組のとき、東京の三鷹市に住んでいたのだが、
年長組のときに、東京の江東区のほうに引っ越してきた。

私は、もともとの内気な性格も手伝って、
新しい幼稚園では、周りの友達と打ちとけることができなかった。
大きなコンクリート製のすべり台の上で、一人、ちょこんと座って、
先生やみんなの姿を遠巻きに見ていた記憶が今でも鮮明に残っている。

つまり、そのときの先生は、
その遠く離れたところで、他の園児たちを相手にしていて、
私のことは、ほったらかしだったのである。

自分で何とかしなさい、という意図だったのかもしれないが、
それは園児にとっては酷である。

そこは百歩譲っても、園児一人一人の性格を把握した上で、
それぞれ異なる対応をするというのが、
本来の先生の姿ではないだろうか。

また当時も、いじめっ子とういうのが、やはりいて、
運動会の練習のとき、楽器を演奏しながらの行進で、
私は、後ろにいたその子から、終始つつかれていた。
その後、幼稚園に戻ると、その先生は、
その子と同時に、というか、むしろ私のほうを ”怒る”。
”叱った”のではない。
(1/11付のブログご参照。)

学芸会の稽古でも、
舞台上でその子から何度も足をひっかけられ、
何度も転ぶも、その先生は全くの知らんぷり。

こんな状態では、集団生活を学ぶどころではない。
私はますます内気な性格を強め、
そのいじめっ子は、ますます横暴になるだけである。


現在でも、保育士のミスが原因で、亡くなる児童がいる。

保育士の方々もさまざまな試験を通って資格を取得されているのだろうから、
児童を預かるというだけではなく、
是非、育てるということもしていただきたい。

そうすれば、小学生や中学生の段階で、
いじめっ子という存在が、グーンと減るような気もする。


と、子どものいない私も考えさせられた番組であった。



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