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実録!衆院選挙に立候補したときのお話 | 日記
平成24年11月27日(火) -公示日まであと7日-


まずは、そのラブレター。

「 来る総選挙の準備で大変お忙しいところ、失礼いたします。私は、次期衆議院議員選挙
 候補者第一回公募に応募し、先月に面接をさせていただきました猪野隆と申します。

  現在、すでに全候補者が出そろったころかとは存じますが、どうしても候補者になりたいという私の想いを伝えたく、筆をとらさせていただきました。

  予算、規制、権限などで地方をしばる中央集権をなくし、既得権益にしばられない政治を目指す、そうした必要性は、国のために働きたいと思い国家公務員になって20年あまり、嫌というほど痛感してきました。そして、日本維新の会という、都構想や地方交付税廃止といった具体的に政策を、一部実行しつつ、掲げた初めての政党が出てきたのです。これらの政策を完遂しなければ日本は沈む。だから応募しました。

  ただ、国会議員になることはさりながら、私は演説がしたいのです。橋下代行は、候補者には自分の代わりに上述の必要性を選挙民に訴えかけてほしいはずです。しかし、大変失礼ながら、現在の候補者の演説はマニュアルをただ読んでいるかのような感じで、いっていることも抽象的である、これは私が感じているだけでなく、私の知り合いも口をそろえていっていることです。私なら、聴く者の興味を惹きつけ、心に訴えかけるような演説をする自信があります。

  維新の会は、今回の候補者は150人程度になると聞き及んでいます。しかし、残念ながら、権限ある長のいる地方行政とは異なり、国会では数がものをいいます。だからこそ、国会議員の経験がおありになる石原代表は大同小異を唱え、党勢を拡大することに努めてこられたのではないでしょうか。私を含め、希望者がいるのであれば空白区をつくるべきではありません。

  空白区がないのであればあきらめもつきます。先日、選挙資金がなく立候補を断念した方もいらっしゃると聞いております。是非、私に立候補させてください。演説をさせてください。私は、もう47歳です。政治家になる機会はもうありません。人生はやり直しがききません。このままでは死ねません。お願いします。」


昼休み、党本部のあるビルに行ったときは、
あのご婦人が見当たらず、すんなり二階に上がれた。
そして党の職員にラブレターを渡した。


携帯がなったのは、職場に戻って小用をたしていたときだった。

そうに違いないと思った私は、ばっちい手そのままで携帯をとった。

『島根や鳥取、岩手とか、
 関東でも栃木しかあいてないけど
 それでもよければ、すぐにでも党本部に来て。』

  栃木か~

しばらくだけ迷った。

  取りあえず行ってみるか…
  そうしないと、道は開けないし。

 人生一度きり

そう思って有給をとり、党本部に急いだ。


党本部で即席の面接。

『お金と人は大丈夫なの?』

「お金は大丈夫ですけど、
 正直、一週間で人を集めるのは無理です。」

お金は大丈夫とはいったものの、
もし、私が結婚し、ましてや子どもがいたら絶対無理だった。
私が独身を貫いた理由は、ここにもあった。

すみません、いいわけです。

  だから、ご家族がいながら立候補される方は
  かなりの資産家にちがいない、

と、発言中に一瞬思った。


『ま~、赤帽さんにお願いするという手もあるし。』

『ご家族の方の承諾は?』

「私は独身でして、両親もいません。」


私を止めれくれる人がいなかった。


『じゃー、決まりだな。』

「ちょっと、待ってください。
 一つだけお願いがあります。
 選挙期間中、 昨年亡くなった父の一回忌があります。
 これだけは参列させてもらいます。
 これだけは、人として譲れません。
 絶対に。」

『もちろんだよ。』

『で、選挙区はどこがいいの?』

「できましたら、関東、いや、東京で…」

面接官がとりあえず手元にある紙に目をとおす。

『んっ? 11区ならあいてるね。
 今日、太陽の党の人が辞退したんだ。
 ちょっと、確認するね。』

携帯で維新の会の重鎮と話しはじめた。

『11区大丈夫ですか?
 年齢は47歳です。』

  よしっ。

面接官が携帯を切った。

『よし、決まりだ。
 きみ、運がいいよ。
 昨日までだったら、無理だったよ。』

「あの~、11区って何区でしたっけ?」

地元の江東区が15区ということは知っていたので、
23区のにおいはしていた。

関西出身のその面接官は、またしばらく紙を見た。

『え~と、板橋区だよ。』

「死にもの狂いで頑張ります。」


その直後、党広報用の写真を撮られた。

そのまた直後、
選挙公示日までにやっておくべきこと、
公示日後にやっておくべきことを
10分くらいの間にたたみかけられた。
聞いたことがあまりに多く、かつ
イメージがまったくできなかったので、
ほとんど頭に残らなかった。

NHKの政見放送はすでに撮ってしまったので、
私の場合は、静止画になり、声もアナウンサーのものになります
と言われたことだけははっきり頭に残っている。

そして、いろいろな書類にいろいろ記載し、
たくさんの書類を渡された。

また、
翌日までに供託金と広報活動費用とを合わせて400万円を振り込むこと。
これだけは、きつく言われた。

他の党では、候補者に選挙資金として100万円を渡すらしいが、
維新の会では、候補者から広報活動支援金なるものを徴収する。


それから職場に戻ってからが大変だった。
部長に退職を申し出る。

あまりにも突然のことで、面食らう。
当然といえば、当然。

30分後には退職届を出した。

この前後、職場では、私の見えないところで、
蜂の巣をつついたように、静かに大騒ぎとなっていた。

お世話になった職場に かなり迷惑をかけた。

夜中、宿舎に戻り、身辺整理をはじめた。

翌日、いや、正確には本日中には、
東京都の選挙管理委員会に行かなければならなかった。
だから、身辺整理とはいっても、完全にはできないことは分かっていた。
しかし、できるだけのことはしておきたかった。

このときから、もう、すでに
不安で押しつぶされそうになっていた。


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