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新聞の読み方 | 日記
昨日、NHKのクローズアップ現代という番組で、
生徒が教師を評価している大阪府の高校を紹介していた。

生徒が、各先生について、
”授業が分かりやすい”
”授業がたのしい”といった項目ごとに点数をつけ、
その結果は、各先生に通知される。
しかも、評価が給与の額に反映されるという。

つまり、従来は、校長のみが教師を評価していたのが、
生徒も評価するようになるということだ。

当然のことである。


番組では、二つの懸念が示されていた。

一つめは、単純に、好き嫌いという感情で評価されてしまわないか?
という懸念である。

これは、たしかにある。
人間だからまったくの感情抜きで評価するということは無理である。
校長が教師を評価する際にも、
感情が多少なりとも無意識にはたらいているばずである。

要は、評価するがわの能力にある。
たしかに、小学生が先生を評価するのは問題である。
好き嫌いが唯一の尺度になりがちだからである。
しかし、高校生なら、感情だけに左右されず評価できるはずである。
この懸念は、高校生を信用していないからこそ生じるものだと思う。

なお、この番組にでていた当の高校生たちは、
自分たちの評価で先生の給料が下がってしまい、
先生のご家族にも迷惑をかけてしまうことにならないか
という心配をしていた。
これなら、大丈夫である。


二つめは、先生が生徒におもねいてしまい、上下関係が保てなくなる
という懸念である。

ただ、先生と生徒が、一律的、形式的に上下関係にあるべきだ
という発想にそもそも問題があると思う。

先生がきちんとした授業を行い、生徒のことを親身になって指導すれば、
自然と生徒のほうからその先生のことを尊敬しはじめる。
そこで、はじめて、”上下関係”というものが生まれるのではないか。

要は、先生が結果を出せばよい。
結果がすべてである。
結果が、人格を肯定してしまうことさえある。

たしかに、学校と予備校とでは、
前者には教育という要素が強くなるので、
いっしょくたに考えることはできない。
しかし、生徒が先生を評価するという制度は、
いい方向にむかっているようである。

校長が、生徒の評価に基づいて、各先生に助言する。
ある先生の授業を、他の先生がみる。
それは、ベテラン教師が若手教師を指導するという意味合いもある。
だた、それだけではなく、生徒や校長から指摘された欠点について、
逆にその点で優れている先生の授業をみて、先生が学ぶ、
という意味もある。

そして、その高校の教師全体のレベルが上がり、
生徒の先生、ひいては人をみる眼も養われていく。
そして、それがまた教師全体のレベルを上げていく。
まさに、正の相乗効果である。

番組では、ここまで直接言及してはいなかったが、
明らかに見て取れた。


この番組をみていたとき、
自分がOECD(経済協力開発機構)に勤めていたときの経験を思い出した。

このころは、ソ連が崩壊して、まだ十年も経っていなかった。
こうした時代背景のもと、
私は東欧諸国や途上国に赴き、
税の仕組みや税の調査などについて地元の職員の方々に伝える
という仕事もしていた。

ポーランドのとある田舎町でのできごとである。
当然のことではあるが、私の話を聴いた方々にアンケートをとった。
が、特に問題はなかった。
ただ、このアンケート、通訳もこたえることになっていた。
私も含め、OECD職員のほとんどがポーランド語を話せるはずもないので、
ポーランド語と英語の通訳がついていたのである。

そして、このときの通訳が ”タカシの英語の発音が聴き取りにくい。”
と、こたえたのである。
私の英語はカタカナ発音なので、当然といば当然ではある。
その後、当時の課長にもダメ出しをされ、
私は、この仕事から外されてしまった。
これも、当然といば当然ではある。

ただ、一か月間の猶予をいただた。
この間、英語、特に発音を磨くことに専念した。
昼休みに視聴覚室に行き、ひたすらリピーティング。

そして、一か月後、課長をはじめ、職員を前に模擬プレゼン。
いつしか、問題点は、私の発音よりプレゼン内容に変わっていた。

温情もあったとは思うが、何とか、この仕事に復帰できた。

ちなみに、私は、国際課税についてのレポートをまとめる
という仕事もしていたので、
この一か月間、何もしていなかったというわけではない。


そして、OECDにおける人事評価のことについても思い出された。
国際機関といえども、さすがに当時は、部下が上司を評価する
というところまではいってなかった。
しかし、私の評価は、最終的には、
課長と私の直接の上司と私との三人での話合いで決まっていた。

そのとき、私の英語能力の評価がイマイチとなっていたので、
私は、ブラッシュアップ(向上)したと書き替えてくれとお願いして、
そうしてもらった記憶がある。


以上は単なる思い出話だが、この番組を見て、思うところが二つあった。

一つめは、会社や役所でも部下が上司を評価する制度を導入したほうがいいと。
社会人なら高校生よりは人をみる眼はあるはずである。
ただ、会社は、高校ほどピュアな社会ではないので、
変に派閥争いと絡んで、おかしなことになるという懸念はある。

役所については、私が勤めていたとき、
上司が自らの経験に基づいて部下を指導するといのは、まだ納得できた。
ただ、霞が関の場合、ペーパーでの仕事が多いこと、そして、
経験豊かとはいえないキャリアが上司につくことが多いこともあり、
上司のほうが必ずしも能力があるとは限らないはずなのに、
そのことを認識しながら部下と接している者は少なかったと思う。

とにかく、部下にとっては、ゼロから築き上げるということが大変なのである。
そこから、50までもっていくことがどんなに大変なことか、
ましてや、70までもっていけば、もうそれは大したものである。
ただ、座っているだけの上司の頭の中には既に100がある。
100の頭でいきなり50や70を見れば、
  こいつは何をやっているんだ、
  本当に無能なやつだな、
と思ってしまうことになりかねない。

おそらく、同一人物でも、上司と部下という立場を換えただけで、
同じことがおきるに違いない。

だからこそ、部下も上司を評価してはじめて、
公平な評価が可能となるのではないか。

私は、最後、不当な人事評価を受けた。
だが、もちろん、私がその評価を不当だと主張する場はなかった。
だから、私は行動を起こすつもりである。
それは、自分のためだけではない。
詳しくは、私が行動を起こしたときにブログでも報告したい。


さて、番組をみてもう一つ思ったことは、
さすが、大阪だということである。
今回は、大阪市の高校で部活顧問の体罰が原因で高校生が自殺した
という痛ましい事件もあって、
大阪からこのような動きが出てきたのであろう。
しかし、このような全国に共通するような問題は、
国が率先して取り組むのが本来のありようではないか。

いじめや体罰がこれだけ問題になっている昨今、
もう少し、文部科学大臣の顔が出てきてもいいような気がする。
自分が選挙で敗れた相手だけに残念である。

生徒が先生を評価するという試み、
まさに ”大阪から国を変える”を地で行く取組みである。


なお、大阪の橋下市長は当初、愛情ある体罰を肯定していた。
しかし、元巨人軍で元メジャーリーガーの桑田真澄さんが、
今の時代、体罰による指導はあり得ないと体罰を全否定された後は、
あの頑固な橋下市長も考えを改めた。

なぜなら、野球というスポーツをあれだけ極めた方の発言だったからだという。
つまり、結果を残した者の発言にはそれだけ説得力があるということである。
これは、結果の重さを物語っている。

学校の先生にも、生徒に ”この先生のいうことなら信じられる”
と自然と心から思ってもらえるような先生になっていただきたい。


それは、政治家を目指す私自身にもいえることである。


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