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新聞の読み方 | 日記
2013.01.24(Thu):外交・安保問題
「テロと戦う」

アルジェリア人質事件の政府対策本部で、
安倍総理がおっしゃったお言葉。

この当然のことが、実は難しく、厳しい。
それは、二つの点からである。
一つは、人質の命との関係、そして
二つめは、イスラム原理主義者によるこうした事件が
止まない原因との関係である。


安倍総理が、アルジェリアのセラル首相に、
拙速な武装勢力への攻撃は止めるよう要請。
その翌日、
アルジェリア軍は、人質を乗せた武装集団の車両数台を
ヘリコプターで攻撃し爆破させるなどし、
多くの人質を犠牲にしながら、強行に武装勢力を制圧した。

この攻撃は、セラル首相によると、
人質救出作戦ということだった。
しかし、一方で
テロには屈しないという断固たる姿勢を示すため、
武装勢力が国外へ逃亡し、拡散するのを防ぐため、
アルジェリアの国営企業、イギリスの企業、そしてノルウェーの企業の共同事業による
国家の一大プロジェクトたる天然ガス関連施設を守るため、
ともいわれている。

そして、フランス政府も、
このアルジェリア政府軍の攻撃を評価している。
ファビウス外相にいたっては、
この攻撃を非難する声に不快感さえ示している。

そして、イギリスでも、
当初は攻撃の事前通告がなかったと
議会でアルジェリア政府を非難するかのような発言をしていたキャメロン首相さえも、
後に、攻撃を擁護する姿勢に転じている。

欧米の多くのマスメディアもこの攻撃を擁護しているという。

フランスについては、
アルジェリアの旧宗主国であること、
マリへの軍事介入のため領空への軍機の航行を
認めてもらっていることなども直接関係しているのであろう。


こうした欧米の反応をみて、いつも感じることは、

”一人の生命は地球より重い”という言葉。

35年以上前、ダッカ日航機ハイジャック事件で、
超法規的措置として、
獄中の日本赤軍メンバーらの釈放を決めた
当時の福田赳夫首相のあのお言葉が、
欧米では通じないということ。

欧米では、人命救助よりテロに屈しないことを優先する。
断固たる姿勢をみせなければ、
さらにテロを増長させることになるからである。

ここだけ聞けば、ごもっともなことのようにもきこえる。

ただ、欧米人の心底には、

  大の虫のために、小の虫を殺すのは当然、

という考えがあるようだ。

私がOECD(経済協力開発機構)に勤めていたとき、
職員にいろいろ日本のことを話したのだが、
彼らが一番驚くのは、成田闘争の話である。
彼らによると、

『成田空港が開港されないと世界中の人が困るのに、
 一部の反対者なんか、なんでブルドーザーで
 さっさと轢かなかったの?』

ということになる。

彼らには、
多くの人権のためには、個々の人権が犠牲になるのは当然
という発想があるようである。


二つめは、

  2001年のアメリカにおける9.11事件をはじめとする
  イスラム原理主義者らによるテロが、
  なぜ止まないのか?

という問題である。

イスラム諸国は貧困層が多いため、
比較的生活が豊かな欧米諸国に逆恨みをしているのではないか、
といったような単純な問題ではないような気がする。

まったくの個人的な見解にすぎないが、
やはり、過去の植民地支配が大きく影響しているのではないか?
つまり、キリスト教徒の国による、
アフリカ・中東を中心とするイスラム教徒の国に対する植民地支配。

そこでは、鉱物資源などの権益確保のための搾取が繰り広げられていた。
それにもかかわらず、当然のことながら、
旧宗主国であるヨーロッパの国々は謝罪しないし、そんな気は毛頭ない。
そんな発想は微塵もない。

小さいときから反日教育を徹底し、
過去の日本の植民地支配への恨みを未来永劫に忘れまいとする
中国・韓国と日本との関係に似ているような気もする。
ただ、中国や韓国の過激派といえども、
テロという卑劣な行為にうってでることはないという違いはあるが…

そして、現在のフランス軍によるマリへの軍事介入も
同様のにおいがする。
マリではフランスからの独立後、南北の貧富の差が拡大、
貧困層の多い北部遊牧民族がマリからの独立を図り反乱、
これにイスラム過激派が加わり勢力を拡大。

そこで、旧宗主国のフランスが
反政府勢力を制圧するため軍事介入。
ただ、北部には
ウランなど原子力産業の要となる鉱物資源が豊富にあるので、
フランスはこの権益を守るために軍事介入している、
ともいわれている。

たしかに、過去の欧州列強による植民地支配が
今日の内乱や紛争の遠因にはなっているとはいえる。


欧米が二重外交をとっていることも
イスラム諸国から反感をかう原因の一つだと思う。

欧米は民主化を掲げながらも、
中東や北アフリカでは、
天然資源の権益確保のため、ときには独裁政権を擁護し、
欧米諸国どうしで対立することもある。

また、戦後におけるGHQのわが国に対する占領政策の中でも
アメリカ国内では言論の自由を掲げながら、
日本の共産化を防ぐため、しっかりと言論統制。

第一次大戦中、イギリスが、トルコからの独立をめぐり、
アラブとユダヤ双方にいい顔をした二枚舌・三枚舌外交。
これも、現在の中東紛争の遠因ともいえる。

さらに過去に遡ると、外交とは直接関係ないが、
18世紀後半、アメリカとフランスで
”人間の自由・平等”を求めて市民革命が起きるが、
その ”人間”のなかに有色人種は含まれていない。


ここで、今回のアルジェリア人質事件においても何故、

  キリスト教徒の国ではない、
  アフリカと中東には手を出さなかった
  日本の国民も人質になったのか?

という疑問が生じる。

この疑問に対しては、
日本が、特に軍事面で、アメリカ追従の姿勢をとっているからだ、
ということはよく言われている。

イスラム教徒の国々も、
わが国がアメリカに原爆を落とされたことをよく知っている。
また、これまでは、日本製品の家電や自動車が
これらの国々を席巻していた。

だから、わが国も、
もう少し中東やアフリカ諸国に対する外交をじょうずにやれば、
現在とは違った局面になっていたかもしれない。


要は、わが国と欧米諸国との間で
人権に対する考え方が違うということ。

先ほど、欧米人には

”多くの人権のためには、個々の人権が犠牲になるのは当然”

という発想があるようだ、と述べたが、

”自分たちの『正義』を貫くためには、犠牲となる人権があってもかまわない”

と言い換えることもできそうである。


まさに、第二次大戦中に、何十万人もの民間人を平気で殺りくした
東京や大阪などの主要都市に対する大空襲、そして
広島と長崎への原爆投下も、その例ではなかろうか。

話はそれるが、私がパリで暮らしていたころ、
フランス人らに、日本への原爆投下についてどう思うか、
と尋ねたところ、みんな口をそろえて、

  原爆投下がなければ日本はいつまでも降伏せず、
  戦争が長引き、より犠牲者は増えたはず

というアメリカのいう原爆投下の正当性を信じて疑わない。
どうやら、学校でそのような教育を受けているうようである。

一万歩譲ってこの正当性を認めるにしても、
広島へ投下されたあとの8月9日、
前日に日本に宣戦布告したソ連が満州に侵攻、
これで日本が降伏する可能性は高まったのだから、
その日のうちに長崎に投下する必要は
まったくなかったはずである。

ただ、原爆投下の理由については、
ソ連に対し占領政策を有利にしたかったという
アメリカの思惑があったということも
よくいわれていることではある。

それにしても、そのためには、
何十万人という何の罪もない日本人の命を奪うことを厭わない
人権感覚は、冷酷無情としかいいようがない。

2001年9月11日のアメリカにおける同時多発テロ事件、
ボーイング機が世界貿易センタービルに突っ込んださい、
アメリカでは、”パールハーバーの再来”といわれていた。
不意打ち攻撃という点をとらまえて
このようないい方がされたのであろうが、
真珠湾攻撃は軍事施設への攻撃であった。

だから、事前通告なく何の罪もない民間人を無差別に殺りくした
という点で、本質的には、むしろ原爆投下に近いといえる。
当時の石原都知事も同様のことをいっている。

なお、真珠湾攻撃については、
実は、アメリカが事前の攻撃を知りながら、
日米開戦の口実のため、
わざと日本軍に攻撃させたという陰謀説もある。



さらに、厄介なのが、
彼らのいうところの『正義』である。
自分らの『正義』が絶対であって、
それ以外の『正義』については、
その存在という概念さえないように思える。

先の例においても、
原爆投下は『正義』になるのである。


先日、あるバラエティー番組で、
明石家さんまさんが次のような話をされていた。

お正月に外国へ行き、
空港の税関で荷物検査を受けた際、
お年玉の説明に四苦八苦した後、
七福神の説明をしなければならなくなり、

”Seven Gods”

と何度も繰り返したらしい。
しかし、税関職員は、

”No! One God”

と繰り返し、断固として譲らなかったそうだ。

つまり、多神教の文化がある、
ということを、そもそも考えることができないのである。


また、私が税務調査の仕事をしていたころのお話である。
外資系の会社にいくと、相手のアメリカ人は、
召喚状(Summons)を見せてもらわないと、
税務調査に応じられない、という。

おそらく、税務調査に応じないための口実なのではあろうが、
相手のことばの調子や表情からすると、
日本にも、アメリカと同様に召喚状という制度があるのが当然、
と思っていた節がある。

つまり、アメリカとは違う税務調査の方法がある、
ということを考えることができないのである。



以上のように、

”一人の生命は地球より重い”

という発想が通じない欧米人の人権感覚を踏まえたうえで
テロと戦わなければならない。

ここに、日本人として戦わなければならない難しさがある。

それだけではない。
テロには屈しない、
という通り一遍の姿勢を見せるだけでは、
根本的には何の解決にもならない。

テロの根本原因・背景それを歴史的にも追求し、
それから、イスラム諸国といっしょになって
根本的な問題解決を考え、実行しなければならない。

そして、欧米諸国に対しても、
欧米基準が決してグローバル・スタンダードではない、
ということを認識させる必要がある。


だから「テロとの戦い」は難しく、厳しい。


今回、犠牲になってしまわれた方々のご冥福をお祈り申し上げるばかりである。
そして、こうした方々の犠牲を無駄にしないためにも、
「テロとの戦い」方を間違ってはならない。


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