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両親の思い出 | 日記
2013.01.19(Sat):両親の思い出
母が病院に行くといって
自宅を出てから1~2時間してからだろうか、
電話が鳴った。

病院からだった。

母が入院したという。

てっきり、病院から戻ってくるだろうと思っていた私には、
意外なことであった。

すぐに病院に駆けつけると、
新しい主治医が説明してくださった。
今までの優しい主治医さんは、他の病院に異動になったという。
医師は医師で頻繁に異動があるらしい。

『胃カメラで検査したんですが、
 胃はすごくきれいでした。』

  漢方薬のおかげか…

『しかし、肝臓に転移してます。』
といわれ、エコー写真を見せられた。

それでも、数週間はもつだろうと、
またもや、勝手に判断していた。


GWも終わり、再び、さいたま市の職場に通う。
ただ、宿舎には戻らず、東京の自宅から通うことにした。

そして、毎日、母と父とのお見舞いに行った。
母は、父の入院している病院に入院した。
その病院は自宅近くにあり、私としては、
正直、助かった。

父には、毎日、母の病状のことを説明するも、
相変わらず、聞いてくれているのかどうか
分からない。
本当にボケてしまったのか…


実は、およそ一か月前、父親方の親戚が
やはりガンで亡くなられた。
入院中の父は葬儀に参列できなかったため、
母と私が参列した。

そして、四十九日は、
母も入院したので、私一人で参列する予定だった。
私の勘違いか、先方の連絡ミスか、
本来の日より一週間早い日程を
あらかじめ母に伝えていてしまった。

そして、私自身も喪服に着替え
エレベーターに乗ろうとしたとき、
気がついた。
四十九日にしては早い。

案の定、親戚の方に確認すると、
一週間早かった。

そんな話を病室にいる母にすると、母は、

「こんなに暑くて、隆もさぞ大変だろうなって、
 ちょうど思っていたところだったのよ。」

そう母が言ってくれたと同時に、
5月なのに初夏のような陽気の空を
私といっしょに見上げてくれた。

父には、そんな話をしても反応がないような状態だったので、
というより、その親戚の方が亡くなられた事実も
理解していたかどうか定かではなかったので、
あえて言わなかった。

父のベッドは、窓から一番離れた廊下側にあった。


それから三日後、
仕事帰り、いつものように母の病室にも寄った。
そして、いつものように、同室の患者さんと
そのお見舞いの方にもご挨拶。

たしか、母とは、洗濯物の話をしたと思う。
病院でも有料で洗濯をしてくれてはいたので、
何を病院で洗濯してもらって、
何を自宅に持ち帰って洗濯をして、
何はまだ洗濯をしなくていいのか、
そんな選択の話をしていたと思う。

そして、私が病室を出るときに
母が私にかけてくれた最後のことば


「お疲れさま」


私が産まれたとき、
母が私にかけてくれた最初のことば
それは、何だったんだろう…


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