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両親の思い出 | 日記
2013.01.25(Fri):両親の思い出
療養型の病院に転院してから、
その病院でリハビリ指導してくださったおかげで
父は、まったくの寝たきり状態からは回復した。

そして、母が亡くなってから数か月が経ったこともあり、
頭のほうもしっかりしてきて、元に戻った。

ただ、トイレに行きたくなっても
すぐには歩行できないので、
オムツははずせない状態だった。


父の最初の病室と同室だった患者は、
食事の配膳など、父の面倒をかなり見てくれた。
だから、父は、その患者から、
二千円を貸してくれ、といわれ
貸したらしい。

九割九分貸したお金は戻ってこない。

そんな経験から、父が別の病室に移ったあと、
私は、父親の見舞いに行くたびに
二千円の返済を催促した。
が、のらりくらりとかわされた。

そして、案の定、とんずらされた。
病院に、退院後の住所をきいても、
知らないの一点張り。
個人情報ゆえ、当然といえば当然だが…


父は、そうめんが大好物だった。
しかし、病院では、そうめんは出ない。
だから、家でそうめんを茹でてから、
病院に持っていく。

新しい病室の同室の患者さんらは、
そんな私と父の姿を見て、うらやましがる。
他の患者さんのご家族の方は、めったにお見舞いに
来ることがなかったからだ。



母が亡くなって初めての元旦、

「おめでとうございます。」

といって、父がいる病室に入る。

「しっ」

と父に言われる。

父を含め、普段四人いる病室に三人しかいない。

たった今、
この病室で最高齢の方が亡くなられたということ。

その方は九十を超えられた方で、寝たきり状態だった。
父の見舞いに来た私にも時おり話かけてくださったが、
うまく聞き取れなかった。
私があいまいなお辞儀をすると、
決まって、横になりながらも片手を上げて
合図をしてくださった。

親族の方は一度たりとも見舞いには来ていなかった。
だから、この病室で体の自由がきく別の患者さんが
お世話をしていた。


『ちっ、あと30分後に死んでくれればよかったのに。』

元旦出勤の医師は、あと30分すれば交代で家に帰れたらしい。
心の中で思っても、他の患者さんに聞こえるほどの音量で
絶対に発してはならない言葉。
やはり、医師にも、常識という教育が必要か。
もちろん、立派なお医者さんも大勢いらっしゃるが…

その亡くなられた方の親族はというと、
その日、初めて病院に来たという。


そんな、よろしくない思い出のある病院も
退院することに。

杖をつきながら、病院をゆっくり出る。
同室でお世話になった別の患者さんが
わざわざ玄関までお見送りにきてくださった。

そして、いよいよタクシーに乗車。
父は、車窓から外を眺め、
一年以上ぶりのシャバの世界を堪能しているかのようだった。

母が生存中からずっと入院していたのだから。



仕事で疲れたあと、病院に毎日お見舞いに行くのも
正直、しんどかった。
そのたびに、父から、病院であったことの愚痴を聞かされる。
愚痴をこぼす本人にはストレス発散になるが、
私には、仕事のストレスの上に
さらにストレスがおおいかぶさってくる。

そして、私には発散の場がない。

ただ、そんなことは序の口だった。

これから、長い長い闘いが待ちかまえていようとは
頭では分かっているつもりだったが、
そのつらさまでは、知るよしもなかった。


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