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2015.05.06(Wed):わたしの信条
先日、東大での英語の授業について、
軽く紹介させてもらったが、
ある授業で、“白熱教室”という
NHKの番組を日本語の字幕なしで聴いて、
感じたことをレポートにまとめる宿題がでた。

その内容の概略は以下のとおりである。

ある事故で負傷した者が五人いたと仮定して、
そのうち、ひん死の重傷者が一人で、
その者の命を助けようとする時間があれば、
残りの四人の命は助かるが、
その重傷者にかかりきりでいると四人の命は助からない
という設定で、あなただったら、
このひん死の重傷者の命を助けるか?
という質問が聴講者らに投げかけられた。

そして、
『このひん死の重傷者を助けずに、
残りの四人の命のほうを助ける。』
と答えた者が多数派だった。

そう答えた理由を問われると、
『多数のほうの命のほうを救うべきだ。』
という答えが多かった。
(一種の“トリアージュ”)

そして、話は続いた。

ある事故で負傷した四人が病院にかつぎこまれたとき、
そこに風邪気味なので診察してほしいという者があらわれ、
この者の臓器を四人に移植すれば、四人の命は助かる
という設定で、あなただったら、
この診察に来た者の命を奪って
事故で負傷した四人の命を助けようとするか?

という質問が聴講者らに投げかけられた。

そして、今度は、
『四人の命が助からないとしても、
診察に来た者の命を奪うことはできない。』
と答えた者が多数派だった。

先ほどの“多数の命を救うべき”
という答えとの矛盾をつかれると
『無実の者(innocent)の命を奪うのは正義に反する。』とか
『自ら手を下して人の命を奪うと罪悪感が生じる。』
という答えが多かった。


ここで私は、
“無意識のダブルスタンダード”
というものを感じとった。

それは、広島と長崎への原爆投下である。

私の狭い経験からあえていうと、
『原爆投下で数十万人の市民の命を奪っておかないと、
もっと大勢の日本人の命が奪われたはず。』
という米国がいう原爆投下の正当性を信じている者は、
特に日本以外では、想像以上に多い。

しかし、原爆で命を奪われた市民は、
上の後者の例え話でいう“無実の者(innocent)”、
つまり、死ぬ運命にある者ではなかったはずである。

にもかかわらず、
“多数の命を救うべき”という
前者の例え話の理由を引っ張りだしてくる。
つまり、原爆投下の正当性は、
『仮想上でも、多数の命を救うためであれば、
自ら手を下して無実の者の命を奪っても正義に反しない。』
ということになる。

それとも、
敵国の市民はもはや“無実の者”ではない、
ということになるのか。

もちろん、
私が見た白熱教室の聴講者の多数派が
米国のいう原爆投下の正当性を信じているとは限らないが、
おそらく、この矛盾には気がついてはいない。

世の中には、こうした類の人は以外に多い。
つまり、
自分の価値観だけが正しいと思いつつも、
そう思っていることにさえ気がついていないから、
それと矛盾した考え・行動をとることもある。
しかも、無意識に。


私もそうなのかもしれない。
自分で気がつくことは難しいから。


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