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懐かしい自販機の前に立った。
その間、
消費税は8%に引き上げられたはずだが、
値段は変わっていないようにも思えた。

ちょっとふんぱつして、
天ぷら・カレーセットの食券を買って、
お店の人に差し出してみた。

『そばにします?うどんにします?』

「うでんでお願いします。
 あのー、ごぶさたしてます。」

『ですよね。』

その数十分前、私は池袋駅前にいた。
2012年の暮れ、
衆議院解散総選挙があったとき、
私はここで、
当時“日本維新の会”の
石原慎太郎共同代表による演説の
前座を勤めていた。

このとき、私は
”日本維新の会”公認候補として、
東京板橋区から立候補し、
下村前文科大臣と戦っていたのである。

板橋区とは縁もゆかりなかった。
が、選挙戦のときにかまえた
小さな事務所のすぐそばの商店街で
何名かの方々と仲よくさせていただいた。

無性に懐かしくなった私は、
いつの間にか東武東上線に乗っていた。

『もう、三年も経つんですね。』

しばらくすると、もう一人の女性が、
コップに入った水を
私の前にやさしく置いてくれた。

「かな子ちゃん(仮名)、元気?
 おじさんのこと、覚えてる?」

『うん、選挙カーで
 名前呼んでくれたよね!』

そう、選挙が初めてで、
つい、マイクを使って、
個人名をいってしまったのである。

当時、お手伝いもおぼつかなった彼女が、
今は、テキパキと仕事をこなしていた。

私が板橋区に足を踏み入れたのは、
選挙公示日の数日前である。

下村前文科大臣に敗れたとはいえ、
こんな状態にもかかわらず、
五万票近くもいただくことができ、
次点となれたのも
“日本維新の会”の力のおかげである。

当時の“日本維新の会”は、
石原・橋下のツートップ体制で
東京でも多少の勢いはあった。

政党の力とはすごいものである。

選挙後、
落選者全員が大阪に集められた。
そして、そこで
選挙に弱いやつは要らないと
当時の橋下共同代表から
クビを言い渡された。

クビになった私は、
幼稚園、小学校、中学校、そして高校と、
ずっとお世話になっている
愛着のある我がふるさと江東区で
無所属で活動することに決めた。

下村前文科大臣が強いのは自民党だから
というだけでなく、
同区で、都議時代から
数十年活動してきたからだと感じていた。

また、私は、中高校生のとき、
政党の代表や著名人らと
二人並んで写っている
地元政治家らのポスターを見て、
「有名人に頼ってなんて情けない連中だ。
 自分で勝負してみろよ!」
と思ったことがある。

実は、このポスターについては、
選挙の半年前から、
個人ポスターを貼ることは
禁止されているからなのであるが、
当時、そんなことは知るよしもなかった。

下村前文科大臣は
私より一世代前の方である。
板橋区では、私含め、野党候補が
選挙のたびにころころ変わる。

一方、江東区には
自民党比例選出の代議士のみならず
父親から地盤を引き継ぎ、
連続トップ当選を果たしている
強力な野党代議士もおり、
二人とも、若干だが、私より若い。

おそらく、
板橋区で活動を続けていた方が、将来、
当選する可能性は高かったかもしれない。

それでも、やはり
ふるさとで選ばれたい。

それに、イチロー選手いわく
合理的な手段ばかりおっていると
深みのない人間になってしまう。
たしかに、
要領よく立派な肩書きを手にいれても、
M議員のような政治家はじめ
深みのない人間は多い。

だから私は、
自分という人間で勝負して、
深みのある政治家をめざす。

二年後の2014年の暮れ、
衆議院解散総選挙があった。

その前の選挙活動時に、
昼下がりのある駅前で
一度だけお話しをしたことのあるご婦人から、
『今回は板橋から出ないの?』
と、携帯に連絡があった。

この他にも、選挙期間中、
毎朝、私に激励のことばをかけてくれた
いく人かの通勤客の方々がいらした。
こうした方々の顔は今でも覚えている。

そして、顔は分からないが、
私に投票してくれた
五万近くの板橋区民がいらっしゃった。

後ろ髪を引かれる思いだったが、
それでも、ふるさとから出たい、
その思いが勝り、
無所属で江東区から立候補した。

しかし、自分で勝負した結果、
深みのない私は9千票弱で惨敗。

それでも、
ここ江東区で続けよう、
と思った出来事があった。

そのお話は、後日。


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