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両親の思い出 | 日記
2013.02.01(Fri):両親の思い出
私は、ようやくまともな人間になれた。

そもそも父ではなく、私がここへ来たのは、
父が寝たきりであったということもあったが、
祖母が私の名前を

「たかし、たかし」

と呼び続けてくれたから、
そこで、”Hさん”が私のところに連絡くださったからだ。

私は、祖母のことではなく、
親戚の方にせよ、職場の方にせよ、
人の目ばかり気にしていた。
自分のことしか気にしていなかった。

祖母とは、二十年以上、会っていないはずなのに、
”Hさん”によると、
私や弟にずっと会いたがっていたという。

私のほうとはいうと、この自在園からくる
一か月に一度のお便りで、ふと思い出す程度。
陸上のこと、勉学のこと、恋愛のこと、仕事のこと、両親のこと、
そうしたことで頭がいっぱいで、
祖母のことはほとんど考えたことがなかった。

母方の祖父母は、既に亡くなってはいたが、
存命中は東京に住んでいたので、身近だった。
しかし、この目の前にいる祖母のことは…

私は、祖母の手を握りはしなかった。
さすった。
冷たかったから。
この二十年以上
祖母のことをほとんど考えなかったことを
わびるように、
この二十数年を取り戻すかのように、

私が小学生のとき、
祖母が、東京でも売っているお菓子を
ここ御荘で買って、弟のと二人分
小包で送ってくれたことを、ふと思い出した。


祖母の眼から一筋の涙が流れた。

九か月前、母と父もこんな感じだったか、


30分以上、さすっていたらしい。
というのも、同じ部屋にいた親戚の方が
そうおっしゃってくださったからだ。

その後、祖母の脈を測りに部屋にやってきた職員の方が、
祖母の手を握り、思わずこぼした。

『あら、あたたかい。』


その間にも、私の真後ろにいるおじいちゃんは、
職員の方に、のどにつまらせたタンを吸引してもらい続けていた。


それから、数時間が経っただろうか、
いつものように、ソファーの上で横になっていると、
いつものように、突然、起こされた。
そして、いつものように、危ないと。

しかし、いつもと違う、と感じた。


自然死とはこういうものなのだろうか。
本当に意識が徐々になくなっていくのが分かる。
祖母の手を、今度は握っていたから。

私は、最後まで呼び続けた

「おばあちゃん、おばあちゃん」


午前6時、自宅にヘルパーさんがいらしている時間。
私は、自宅に電話した。
ヘルパーさんが出た。
祖母の死を父に伝えていただけるよう、お願いした。


祖母が待っていたのは、
私がにここに来ることではなかった。
私の気持ちを待っていたのかもしれない。


またもや、私が事実上の喪主となり、
四十九日までやってしまうという強引な葬儀も終わった。
そして、いよいよ御荘を発つことに。

私は、祖母がこの十五年間介護を必要としていたことを
気に留めたこともなかった。

その間、”Hさん”をはじめとする自在園の職員の方々が
それこそ、二十四時間体制で祖母の面倒をみてくださった。
だからこそ、自分は今までの生活ができていた。

そう思うと感謝の気持ちでいっぱになった。


今日も、あのおじいちゃんは、のどにタンをつまらせ、
職員の方に吸引してもらっていた。


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