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新聞の読み方 | 日記
2013.02.02(Sat):外交・安保問題
日本人FW、人種差別を理由に退団


サッカーのスロバキアリーグのチームに所属していた
中村祐輝選手が1月30日、ご自身のブログで
『人種差別的なことを受けて生活できなくなり帰国しました』として、
チームを退団したことを明らかにされた。

この方のブログによると、サポーターから人種差別の標的にされ、
中には彼らに加勢するチームメイトもいたという。
『試合前、後にはサポーターから鬼の形相で自分の名前だけ叫ばれて、
 中指を立てられ…チームメイトは誰も助けてくれない。
 そこに加担するかのような選手もいました…』と。

さらに、チームにも脅迫みたいなものが来て、責任を持てない旨
クラブ側から説明されたという。

実際のブログでは、明るい感じでしめくくられてはいたが。


私にも次のような経験がある。

二十年も前の話で恐縮だが、
私は、OECDの職員といっしょにモンゴルの首都ウランバートルに赴いた。
そこで、西側諸国の税の仕組みや税の調査といったことを
現地の税務職員にお伝えしたときだった。
私だけが現地の職員によばれ、次のようにいわれた。

『白人から教わるよりは、
 OECD加盟国で唯一同じ肌の色をしたアジア人である日本から、
 できれば教わりたい』と。

なお、OECDとは、先進国が加盟する国際機関であり、
日本は1964年に加盟し、アジアの国では他に韓国が1996年に加盟している。


また、ベトナムのハノイにいったときのお話。
あるお寺にお参りしようと、
拝観料がとられていないことを確認した上、お寺に近づいた。
とっ、いきなり現地の方から拝観料を請求された。

つまり、こういうことだったのである。
私が確認したときは、白人観光客が次から次へと
お寺に入っていったのだったが、
その現地の方は白人には何もいえなかったのである。
ただ黙って見過ごしていたのである。
そこへ、同じ肌の色をした私がやって来たものだから、
こいつには請求できる、と思ったのだろう。

なんとなく、この突っ立っているだけの現地の方の存在が
気にはなっていたのだが…


次に、肌の色が親近感を生んだお話。

韓国ソウルに、OECD職員と出張し、
空港から出て、タクシーに乗ろうとしたときである。
みんなの荷物がたくさんあったので、
運転手さんが荷物を後ろのトランクに入れようとしたとき、
いっしょにいたOECD職員は
運転手さんに英語でまくしたてながら行き先を告げていた。
英語の分からない運転手さんは
非常に困惑し、緊張した面持ちだった。

と、その運転手さんは、私を見つけるやいなや、
ほっ、とした表情に変わり、
私に韓国語で話かけてきた。
今度は、こちらが困惑する番だった。


また、ポーランドではこんなことがあった。
とある田舎の空港で、見知らぬ韓国人と出会ったとき、
どちらからともなく、話しかけた。
彼はビジネスでポーランドに来ていたということだが、
お互い、数週間、東洋人を見かけておらず、
なにか、東洋人が懐かしいという感覚をもっていた。

飛行機に乗っていても、隣の席に欧米人が座ったときは、
お互い話しかけるということは少なかった。
しかし、なぜか、隣の席に韓国人が座ったときは、
いつのまにか話をしていた。


さらに、世界税関機構という国際機関の会議に
出席したときのお話。
世界税関機構の加盟国数は、
国連加盟国とほぼ同じで、180近い。
だから、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ
といったように、あらゆる人種がいる。

休憩時間のときである。
私は、なるべくいろいろな方と話そうと、
フランス語でチュニジア人に話しかけた。
が、相手にしてくれない。
自分のフランス語がサバイバル程度にあることに加え、
チュニジアのことは、カルタゴ遺跡のことくらいしか知らない…
当然といえば、当然。厳しい…

結局、アジア人が集まるグループに加わったが、
周りを見渡すと、見事に同様の人種どうしが
集まって会話をしていた。

ちなみに、私は日本代表ではなく、
OECD代表として出席していたので、
他のアジアの国々の代表から
どうすればOECDに加盟できるのか、とよく聞かれた。

「お金をつめばいいんだよ。」

と冗談半分に答えておいたが、あながちウソではないと思う。


厄介なのが、人種差別につながるとき。

パリでホテルの従業員に卑屈になる日本人観光客も、
韓国ソウルでは横柄になる。もちろん、同一人物ではないが…

どちらも実際に見た光景ではあるが、
それが記憶として鮮明に残ってしまうのは、
私の心の奥底に差別意識があるからかもしれない。


次は、身に危険を感じたお話。
場所は、ポーランドの首都ワルシャワ。
街を歩いていると、突然、
十代後半のヤンチャな兄ちゃんたち十人くらいに囲まれた。

こういうときは、たいてい大げさな記憶になっているので、
実際は7~8人くらいだったのかもしれない。

”ヘイ、イエロー、ゴーホーム!”

  やばっ…

周りに人はいなかったものの、昼間であり、
そして、彼らは武器は何ももっていなかったので、
意外と冷静であった。

  スーツこれしかないんだけど…

出張できていた。

結局、見回して一番弱そうなやつに近づき、
一生懸命、ゴルゴ13のデューク東郷の表情を思い出す。

  殺す

本気でそう思いながら睨み付け

「シット」

といったら、どいてくれた。

後ろから

”シット、シット”

という声が聞こえてきた。

そのトーンから

  おそらく、彼らは意味を知らない。

そう、思った。


なお、第二次大戦中のナチスも
同盟国であるはずの日本人に対する
差別感情をいだいていたようだ。

聞いた話で恐縮だが、ナチス手帳というのがあって、
見開きページの片方には、第一人類
そして、もう片方には、第二人類というのが載っているらしい。

第一人類の筆頭はもちろんゲルマン人、
そして、途中に、英語の奴隷(slave)を語源と曲解してスラブ人、
最後は、ユダヤ人である。

それでは、同盟国の日本人はどこ?

日本人は、同盟国だから、もう片方の第二人類の筆頭。
そして、途中にピグミー族といったアフリカ系の民族が並び、
最後は、類人猿である。

つまり、日本人は猿の筆頭だったのである。


フランスのパリで生活していたときは
ちょっと違う経験をした。

フランス人から何度も道をきかれたのである。

日本であれば、街を歩いている外国人に
道を尋ねられることはあっても、
道を尋ねることはない。

そのフランス人らは、肌の色で判断しているのではなく、
現地の人のにおいがするかどうかで、
道をきく相手を選んでいたのである。

パリなどの街にはいろんな人種がいる。
そんな環境で育てば、人種への偏見は
そもそも生まれないのかもしれない。

そいえば、当時、モンゴルで白人を見かけたのは、
いっしょにいたOECD職員だけだった。
ベトナムでは、白人は観光客くらいしか見当たらなかった。
一方、ポーランドでは、有色人種は、日本人観光客と
ホテルのクロークにいたアフリカ系の方しか見かけなかった。
フランスでも、田舎のほうにいくと、私は珍しがられた。

もっとも、ワルシャワのプラガ地区というところには、
旧東ドイツに出稼ぎに来たものの、
同国の入管行政が厳しくなってから、
ポーランドに不法に入国したベトナム人などが
たくさんいるらしい。
だから、私が、ポーランドの若者に囲まれたのも、
そうしたベトナム人らと間違われたからかもしれない。



私が、肌の色の違う人と会話をすることに少しでも抵抗がなくなったのは
英会話学校に通ってからである。

今の日本の子どもたちは、小さいころから英会話教室に通い、
小学校でもネイティブの先生と接する機会があるという。


今の日本の子どもたちには、われわれ大人より
うまく世界の人たちとわたりあえるようになってほしいし、
できるものと信じている。



【More...】

なお、出だし以外の内容は、1月5日付の
”黄色が黄色をやっちゃったから?”
のグログと同じものです。

このニュースにも合った内容であること、そして、
みなさんに是非読んでいただきたい内容であることから、
再掲させていただきました。

ご了承ください。


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