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東大合格のための勉強方法 | 日記
国会議員になってみたい。

仕事をしているうちに、考えるようになった。

ただ、私は知名度ゼロ。
どうすれば、知名度を上げることができるか?

  そういえば、昔、
  110キロ台のボールしか投げられないのに
  プロ野球選手になれた東大出身のピッチャーもいたな…

東大出身者だからニュースにもなる。
東大というブランドはすごい。

現在も、クイズ番組を中心に、
東大生、東大出身という括りでテレビに出られる。

関係ないが、いつの間にか、女子アナもそんな存在になった。
噛んだほうが人気が出て、芸能人の登竜門と化している。


  東大に通う国会議員って、目立つ!

そう、思ったのが東大受験を決めた直接のきっかけではあった。

ただ、学歴コンプレックスというものが
根底にあったのも確かだ。

20代半ば、私にとっての大恋愛をしたことがある。
と、いってもお付き合いさせてもらったのは
三か月足らずではあるが。

ふられた本当の理由は分からない。

ただ、彼女がよく口にしていたのは、
元カレが東大卒で、会話に教養がにじみ出ていたが、
私にはそれが感じられないということ。

例えば、みなさん ”鹿野山”って読めます?
私は、これを ”しかのやま”と読んでしまいました。
そうしたら、彼女は大笑い。

  昔(1979年)、トラの脱走事件があって
  あれだけ有名になったのに、なんでちゃんと読めないの?

この山は、”かのうざん”といって千葉県は君津市にある山だ。


本当は、東大出身ということと教養があるということとは直接はリンクしない。
しかし、受験生時代には気にしていなかった東大というブランドが
頭から離れなくなってしまった。

それからというものの、今までの人生、
学歴を書いたいり、言わなければならないことが
それこそ、何百回とあったが、その度に釈然としない思いが…

それに、同じことをいうにしても、
東大出身者がいうのと、それ以外の人がいうのとでは、
信用力がまるで違う。

学歴が人生を左右するといっても過言ではない。

会社や役所の採用時に痛感した方も多いはず。
就職にしても、先ほどの野球界や芸能界にしても、
最後は実力だが、スタートが有利であることに間違いない。
職人という学歴不要の世界でも、邪魔にはならない。

要は、東大出身者は有利なスタートをきることができる。
そして、優越感を味わえることもできる。
私の場合、こうしたメリットを享受できる年齢ではもはやなかったが…


そして、もう一つ、実際に受験を決意させたまっとうな動機は、
大学できちんと勉強したかったということ。

社会に出て初めて、勉強の必要性を痛感させられる。
なんとも皮肉なことである。

特に、税務という職業はそうである。
経済や簿記はもちろん、民法、刑法、会社法、訴訟法
そして憲法といった基本法が深くかかわっているので、
本当に、大学できちんと法律、経済を勉強したいと思った。

また、税務調査先の会社の方などとお話しをするときにも、
ある程度の教養は必要である。

さらに、OECD(経済協力開発機構)に勤務をしていたとき、
職員らと話をするにしても、英語力そのものはもちろん、
世界や日本の政治、歴史・文化、教養等々が必要で、
そして、何ごとも個人的見解をもつことが必要であることを、肌で感じた。


だから、週末や祭日などは一日中勉強した。
予備校でも、年齢がいっていたにもかかわらず、
一番前の席で聴講していた。
したがって、年齢も比較的近かったということもあり、
講師ともすぐに打ち解けることができた。

平日も、仕事の前や後に、余裕があったら勉強をしていた。

なお、短時間の勉強で東大に合格できた ”秘密”は、
”お受験勉強の方法”というカテゴリの
この私のブログをご覧いただきたい。



いよいよ合格発表の日。

テレビカメラに映りたくなかったので、
合格発表の掲示板を見ることができる時間ギリギリの時刻に行く。
周りに人影はまばら。
マスコミのみならず、胴上げ要員の学生さんの姿もない。
この時、私は悲観的だった。
不合格した場合のこれから一年の勉強スケジュール、
シミュレーションで頭がいっぱいであった。

ドラマにあるように、上から順番に番号を見る。


が、見つかる瞬間というものは、
意外にあっさりしたものである。

一人ガッツポーズしようとしたが、
うれし涙のほうが先行しかける。
が、こらえた。

人生で三番目にうれしかった。
なぜ、三番目と分かるかというと、
うれし涙をどれだけこらえることができたかで分かる。

ちなみに、今までうれし涙が出そうになったのは
この合格発表のときも含め三回のみ。
一番うれしかったときは、おいおい泣いてしまった。
二番目にうれしかったときは、ギリこらえられなかった。
そのときのお話しは、また、別の機会に。


早速、休学を考えた。そして、
実際に選挙で立候補することが決まったら復学、
そう考えた。

だから、両親には言わなかった。
二人の性格からして、私が退職しないか不安がるのは
目に見えていたからである。
不安がらせるのは、候補者となってからでいい
そう、思った。

当時、私の東大合格を知る者は、
ほんの一部の友人だけであった。

そうそう、あともう一人。
名前も存じ上げない、
当時の都立城東高校の事務職員の方。

よく、この喜びを誰に最初に報告しますか、
という質問があるが、
私の場合、この見ず知らずの職員の方だった。

この方は、非常に喜んでくださった。
というのも、城東高校からは、
東大合格者はめったに出ないからである。

そして、この時、
私が高校時代にお世話になった先生方は
既にいらっしゃらなかったので、
教頭先生にも伝えておいていただきたい旨お願いした。

が、伝えてはくれなかったのか?

城東高校のHPには、在校生、卒業生も含め、
合格した大学とその人数を
過去数年分公表していたのだが、
いつまでたっても、”東京大学”という名前が載らなかった。

翌年、当時の教頭先生に直接電話で、合格した旨
伝えるも、やはり載ることはなかった。

あの時の職員の方は、あれだけ喜んでくださったのだから、
おそらく、伝えてくださったはず。
わが母校が私の東大合格を認めてくれなかったのか…


後日、東京大学の職員の方から、
休学ではなく、退学してくれといわれた。
私は、当時公務員の身分だったので、
休学でも職務専念義務違反になるおそれがあるという。

職員の方が非常に困ったような表情をされていたことと、
休学も、退学も同じか、と思ったこともあり、
いったん入学して、即4月1日付で退学。

ただ、入学する以上、健康診断を受け、前期の授業料も納めた。
健康診断を受けた際、看護職員の方に、すぐ退学するんですけど、
というと
『もったいないわね』
とおっしゃってくださった。

なお、当時は、辞職して立候補することはなかった。


それから十数年、実際立候補するも、
復学の手続きをする間などなかった。

そして、選挙で敗れたのち、
復学の手続きに東京大学に訪れたのであるが…


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