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東大合格のための勉強方法 | 日記
私は、以前、教科書に書いてあることは
抽象的でかえって分かりづらい、
分かったつもりでも、本当は理解していない、
こうした旨のことを書きました。

よく「木を見て森を見ず」といわれますが、
逆に、外から森を見ただけでは十分ではありません。
つまり、教科書だけ読んでも
真に理解することは、多くの人にとっては難しいはずです。

木は広葉樹なのか、針葉樹なのか?
木の幹は太いのか、細いのか?
実は、森林砂漠といわれているものではないのか?
土壌は?森林の分布状態は?
その原因は?
日照の具合?公害?過去の天災?

枝葉まで見る必要はないでしょうが、
森の中にまで入って
以上のような状態まで分かってはじめて
その森を理解したといえるでしょう。

森の中に入らなくても外から見ただけで
すべてが分かってしまうという人もいらっしゃるでしょうが、
多くの人にっては至難の技のはずです。

抽象論やたとえ話はこのくらいにして、
具体的にお話をしましょう。

例えば、ある昔の世界史の教科書に以下のような記述がありました。

「オリエント社会では、大河の治水・灌漑のために、
 はやくから強力な宗教的支配を特徴とする神権政治が
 うまれ…前2700年ごろまでにシュメール人などの都市国家が
 多数建設された。」

ここからは、いきなり強力な支配体制が生まれたかのようにも読めますが、
実際はそうではありません。

都市成立期には、長老会などを中心とした「原始民主政」がはたらき、
対外戦争や内政の危機のときにだけ
一時的な指導者が臨時に選ばれていました。
そして、他都市国家との抗争など危機状態が長引くようになるにつれ、
一時的な指導者がしだいに長くその席にいすわり続け、
やがて専制的な支配者となっていったのです。

前6,000年ごろからはじまったエジプト文明でも、
西アジア文明との接触を機に各地の小王国が支配権を争いはじめました。
そして、上下エジプトを統一するファラオが誕生したのは
前3,100年ごろになってから、といわれています。
エジプト王朝時代の幕開けです。

国家が危機的状況にあるときには、
民主政治より、強い指導者や指導体制の誕生が求められ、
そして、良くも悪くも誕生するというのは、
第二次大戦中の軍部の台頭や大政翼賛会の誕生
にみられるように、歴史が物語っています。

だからこそ、
経済、外交・領土問題、震災などで
危機的状況にある現在のわが国にも
強い指導者が求められているのではないでしょうか。

ところで、なぜ、古代のオリエント社会では、
神権政治がおこなわれていたのでしょうか?

もちろん、社会が未開だったからでしょうが、
具体的には、
都市国家が大きくなるにつれ
強い統率力が求められていたなか、
支配権を神から受け継いだという神話が
住民支配に効果的だったからです。

しかも、メソポタミア文明とエジプト文明とでは、
神権政治のありかたが多少異なっていたようです。

前者について、教科書には
「最高の神官・戦士である王を中心に…都市の神をまつり」とあり、
後者については
「現身の神である王の専制的な神権政治がおこなわれた」
とあります。

つまり、エジプト文明のほうは、
政治的には大王、宗教的には現人神
という形の神権政治だったのです。

実際は2ページ分離れている上の二つの記載が
比較できたのかも、
教科書を読むうえでのミソとなります。

なお、わが国では、
古事記や日本書紀にある神話の体系が
全国制覇をめざしていた大和朝廷の政治目的と
深く関係していたのはあきらかです。
したがって、卑弥呼の時代はメソポタミア版、
大和朝廷の時代はエジプト版の神権政治がとられていた、
と考えてみるのもおもしろいかもしれません。

ただし、エジプトではやがて神官の勢いが増し、
それにつれファラオの威信は衰勢にかたむていきました。
そして、新王国時代には、ファラオはアモン神の使徒にすぎなくなります。
と同時に、民衆の地位も向上し、
すべての人が神になって復活することができるという
民間の来世信仰が広まっていきます。
そこで、初めてミイラづくりの風習が広まったのです。

やはり、以上のようなことも教科書からは直接読み取れません。


若干話がそれてしまいましたが、
ここで申し上げたかったのは、

いきなり専制政治が降ってわいたかのように始まったのか?

なぜ、神権政治だったのか?
未開だったからなんだろうけど、具体的には?

神権政治の内容は?その変化は?

と、疑問をもって調べようとする姿勢が大切だということです。

神権政治より前の政治体制そのものが試験で問われることは
ないでしょうが、そういう勉強姿勢が大切だということです。

ただ、いちいち調べる時間もないでしょうから、
それをめんどくさがらず説明してくださる先生が
いらっしゃれば、それがベストなのですが…

また、欲をいえば、ある事象について、
現代を含めいろいろな時代に
思いをめぐらせてみてはいかがでしょうか。

東大の入学者募集要項にも、
「入試の選択科目に偏ることなく、
 現代の複雑な社会現象を捉える眼を養うことが期待される。」
とあります。


さて、次に、以下のような教科書の記述についてです。

「こうした神権政治をおこなった各都市国家は、
 治水や灌漑によって生産力を高め、
 外国と交易して必需物資を手にいれ、また、
 たがいに覇権をきそって戦った。
 そのため、支配層に莫大な富が集まり、
 壮大な神殿・宮殿・王墓などがつくられ、
 豪華なシュメール文化が栄えた。」
 
まず、以上の記述から疑問に思っていただきたいことは、

「必需物資」って、具体的には何?
「そのため」の「その」って?
「富」って、具体的には何?
「交易」の相手は?

といったことです。

「必需物資」とは、まず、
シュメールを含む南メソポタミア地方では、
なかなかとれない小ムギ、ブドウ酒、オリーブ油などであった
と思われます。

ただ、より注目すべきは、金、銀、銅といった鉱物も
交易によって手に入れていたということです。
なぜなら、南メソポタミア地方は鉱産物がとれる
ような土地ではなかったからです。

したがって「富」とは、金、銀、銅などの鉱物のことです。
もしかして「必需物資」も、支配層にとっての「必需物資」
である金、銀、銅といったものだったのかもしれません。

要するに、
南メソポタミア地方では鉱物がとれなかったので、
金、銀、銅なども交易により手に入れ、
支配層に富が集中したということなのです。

ただ、交易先は、諸説あり、はっきりしていないそうです。

トルコのアナトリア高原が鉱産物の宝庫であり、
メソポタミア北部のアッシリア人がはるばるやって来て
現地人と、メソポタミアの織物などと鉱物とを交換していたそうです。
やがて、アッシリア人はこの高原を商業植民地化してしまうのですが、
年代含め、これが「富」や「必需物資」と関係があるのか
よく分かりません。


とにかく、教科書を読むうえで問題なのは、
以上のようなことが読みとりづらい
ということなのです。

「必需物資」が何であるのか、また
「そのため」の「その」が何を指しているのか、
こうしたあいまいさも、教科書を読みづらくしている理由です。


次は

「しかし他方では、たえまない戦争のため、一般人民は苦しみ、
 国家はおとろえて、セム系のアッカド人に征服された。」

という記述です。

これだと、一般人民はたえまない戦争だけに苦しめられた
ようにも読めますが、実際は、
不定期的におこる洪水といった天災や泥などとたたかい、
豊凶の差に苦しみ、
さらに収穫したものの多くを小作料としてとりあげられた
ことでも、苦しんでいたはずです。

ですから、多分に悲観的で、厭世的な叙事詩も
たくさん残されているそうです。

一般の農民は、こうした苦しみは
本当は支配者層の搾取によるものなのに、
そうとは気がつかず、あるいは気がついていたとしても、
苦しい状況から逃れるためには神々に祈るしかない、
農民らにそう思わせたのも、
まさに神権政治の「効用」だったのかもしれません。


さらに

「アッカド人は一時メソポタミアやシリアの都市国家を統一して、
 ペルシア湾と地中海をむすぶ広大な領域国家をつくった。
 
 やがて同じセム系のアムル人のバビロニア王国がおこり、
 ハンムラビ王のとき全メソポタミアを支配し、
 運河の大工事によって治水・灌漑をすすめた。
 王はまた王自身による統治の制度をかため、
 ハンムラビ法典を制定して、中央集権をはかった。」

という記述についてです。

まず「アッカド人は…広大な領域国家をつくった。」という表現と
「ハンムラビ王のとき…中央集権をはかった。」という表現との
差に気づくことができたか、ということです。

実際、アッカドのサルゴン王朝時の地方総督は、
司法を含め独立的な権力をもつ副王のような存在でした。
これに対し、ハンムラビ王のときの地方総督は、
司法、財政の権限はなく、純粋に行政上の問題のみを処理し、
しかも、こうした政務についてさえ、定期的に中央へ報告する
ことが義務づけられていたそうです。

ある意味、地方自治体が行政上の問題さえ
国から全面的にまかされていない今の日本よりは、
地方分権が進んでいるようにも思えますが…

また、上の記述からは、アッカド人の支配から
いきなりバビロニア王国の支配に移行したようにも
読めますが、実際はその間にウル第三王朝が
百年以上続いてます。

しかも、この王朝、ハンムラビ法典より古い
世界最古のウル・ナンム法典を制定するなどして
アッカド人がめざした中央集権的な体制を
完成の域にまで高めたといわれています。

さらに、シュメール行政文書のうち、
この王朝時代のものが圧倒的に多いそうです。

つまり、ウル第三王朝も歴史上無視できない存在だったのでしょうが、
教科書からは直接知ることができません。


ちなみに、エジプト文明でも、前3,100年ころに
上下エジプトが統一され、ファラオが登場した後でさえ、
当初は、州の自治制はおおはばに認められていたようです。
さらに、ファラオに対する従属関係にしても、
貢納や有事の際の軍事義務を負う程度の緩いものだったそうです。

各地の騒乱がすべておさまり、エジプトが完全に統合されるまでに
さらに約400年かかっています。
ここで、ようやく、ピラミッドを建設できるくらいの
多くの労働者を動員できるようになったのです。

ちなみに、この400年間を初期王朝時代といいます。
今から400年前といったら、江戸幕府が始まったころです。


最後に

「都市国家では、最高の神官・戦士である王を中心に、
 神官・官僚・戦士などが政治・経済・軍事の実権をにぎって、
 自由民や奴隷などを支配する階級社会が成立した。」と

「この(ハンムラビ)法典は復讐法の原則に立ち、
 また被害者の身分によって刑罰がちがっていた。」

という記述です。

実は、この二つの記述、1ページ分離れています。
上のようにつなげれば、
ハンムラビ法典が身分法であった背景が分かりますが、
教科書をボヤっと読んでいるだけでは、気がつきません。

ちなみに、ハンムラビ法典、
被害者の身分によって刑罰がちがっていただけではなく、
加害者の身分によっても刑罰がちがってたのですが、
これも教科書を読んでいるだけでは、分かりません。

いずれにせよ、
教科書の記載を丸暗記しようという考えでは
合格はおぼつきません。

そもそも、そんな丸暗記は無理ですし、
仮に暗記できたとしても、
憶えたことをそのまま吐き出せば正解となるような
試験問題は、少なくとも良識ある大学では出ません。

かくいう私も、高3、一浪のとき、
歴史は丸暗記と誤解していたので、
社会が必須科目となっている大学学部は、
文系のくせに受験しませんでした。

当時の共通一次(センター試験に相当)も、
暗記量が少ないとされた「倫理社会」と「地理B」で受験し、
世界史、日本史は社会人になってから本格的に勉強しました。


教科書は、以上のように、数ページ分だけでも
ツッコミどころ満載です。
このようにツッコミを入れながら、
歴史を勉強してみてはいかがでしょうか。

ただ、その解答を知るのには、身近に先生がいないと、
時間がかかってしまう
というのがネックにはなりますが…

それにしても、
専門的な勉強をしたあとに教科書を読み返したときに、
はじめて、教科書がいかにまとまった良書なのかが分かり、
また、わざと表現をあいまいにしていることや
微妙な言い回しをしていることまでも、
その理由とあわせて、
気がつくようになるというのは、
皮肉としかいいようがありません。

いったん森の中に入ったあと、
もう一度外から森をながめてみてはじめて
森全体がきちんと見えてくるように。

森の中で迷わないためには、目次と表題が重要です。
読むことに夢中になると、今読んでいるところの
全体の中の位置づけが分からなくなります。
そんなときは、目次をみて、位置を確認しましょう。
そして、表題をみて、今まで読んできたことの内容や
これから読む概要も把握しておきましょう。


それから、次に厄介なのが
歴史上の人物や制度、戦いの名称などについてです。

これは、もう、憶えるしかないのですが、
東大の場合は、幸い、日本史では出題されません。
世界史でも、難関私大のように
受験生を落とすためだけの
どうでもいい枝葉はきいてきません。
歴史上意義のある、かなり太い枝をきいてきます。

例えば、ギリシアでとられた
市民が僭主になるおそれのある人物の名を
陶器の破片に書いて投票する制度の名称が
問われたことがあります。

この制度は、古代文明でありながら、
市民の意思をまがりなりにも政治に反映させた制度として
意義があるので、
このくらいの名称は知っておいてね、
という出題者がわの意図が伝わってきます。

最近ですと、日本への原爆投下を命じた
アメリカ大統領の名前が問われています。

ただ、この場合、トリッキーなのは、教科書には
そのまま書かれていないということです。

かといって、教科書に書かれていないことが
出題されたわけではありません。

教科書には

「4月ルーズヴェルトの急死後大統領となった
トルーマンは、7月…ポツダム宣言を発表した。
そして、8月6日、アメリカは広島に原爆を投下し…」

とあります。

実際の文書では「トルーマン」と「広島に原爆を投下」との間に
二行はさまっていますので、
この文章をふつうに読んだだけでは、
原爆投下を命じたのがトルーマン大統領であることが
頭の中にすんなりは入ってこないと思います。


とにかく、世界を舞台に活躍しようという人にとっては、
外国人とコミュニケーションをとる上でも、
歴史を学んでおくことは必要不可欠です。
この私自身の実体験は、
別の機会に紹介させていただきたいと思います。

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