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おもろい話やで | 日記
みんな夜遅くまでというか、
朝早くまで一生懸命働いていたというのは間違いない。

そして、昼間は、与党や政府の税制調査会があったり、
議員さんに呼ばれたりするので、
じっくり仕事ができるのは、夜になってから、
ということが多かった、というのも確かである。


ただ、効率的だったか、といわれれば疑問である。

念のために調べて準備をしておくという仕事が多かった。
もちろん、議員さんや税制調査会の委員の先生方から聞かれたら
すぐに答えられるように、ということではあるが、
実際に聞かれるというか、活かされる確率と
準備する時間や労力とからすると、
費用対効果は非常に悪かったと思う。

聞かれて分からなければ、すぐに調べておきますといっておいて、
そこで初めて調べればいいのに、とよく思った。
おそらく、みんな、プライドが許さなかったのだろう。

また、効率的・能率的に仕事をするという概念が
みんなの頭の中には、まったくなかったんだと思う。
と、いうか、効率性とかは公務に不要と信じきっていた。
仕事をしていること自体に満足をしている、という感じもあった。

その結果、毎晩、タクシーチケットが大量に使われていたのだから、
相当の税金の無駄つかいがあったはずである。

一年間のコピー代も、主税局だけで、
家が一軒建っちゃうほどかかった、ときいたことがある。
これは、みんな、責任を一人で負いたくないので、
とりあえず、他のみんなにも情報を共有してもらうためである。
ただ、当時は、ようやくメールが普及し始めた時代だったので、
今は、さすがにそんなにかかってはいないと思う。

こういうところは、会計検査院の指摘はなかった。
もちろん、周りのみんなにも、そんな意識はなさげであった。

だから、公務員も民間に出向して、
効率性や能率性といったものを学ぶ必要がある。
なんといてっても、税金で仕事をしているのだから。

あと、夜に、課長補佐同士がよく話をしていた。
ただ、これは一概に時間の無駄とはいえない。
自分一人で考えていては、いいアイデアは出ず、
独りよがりで終わることもあるからである。

みなさん学歴はあるのに、である。

東大出身者が多い、というばかりではない。
法学部主席、経済学部主席が私と肩を並べて座っていた。
司法試験合格者も珍しくなかった。

いわゆるノンキャリの方でも、
税務大学校における研修で優秀な成績を収め、
金時計をもらったような方ばかりであった。

だから、みなさん、仕事をおぼえるのが無茶苦茶早い。


ただ、思考のベクトルは、
減税はダメ、
これ一点だけだったという点では単純であり、
かつ、つらかった。

仕事内容としては、
政治家、税制調査会の委員、学者などの有識者、
金融機関、マスコミ関係者等々外部の人の減税案を
いかに理屈をつけて一蹴するか、
これが多かった。

これが、自分の考えていることと真逆だった場合、
大げさにいえばアイデンティティの崩壊、
自己実現というのは全くなくなる。

また、どんなに些細なことでも逐一上司に報告し、
了承をもらわなければ何もできなかった。

”組織の歯車”

皮肉にも、制度設計を担当するはずの役所であるここで
唯一実感したことであった。

だから、
夜遅くまで仕事をするという意味で肉体的にもつらかったが、
精神的にもつらかった。

天下国家を語る、というふうでは全然なかった。


みんな人間的にはどうなの?
という場面もあった。

まず、入省してきたばかりの若手官僚。
自分の気に入った仕事しかしようとしない。
自分に気に食わないことがあると、すぐふくれっ面になる。
一言でいうと、子どもなのである。

おそらく、
思う存分勉強できる環境にあったことにありがたみも感じず、
自分の意に沿わないことはなく、育ってきたからであろう。

また、正しいことさえ言えばいい、と思っている者も多く、
相手の感情とか気持ち、そういうことは考えられない。

東大合格者の家庭の平均年収は1,000万円近くで、
全国の平均年収の2倍以上である。
こうした家庭で育った者がふつうの人の感覚を持て、というほうが無理か…

ただ、これが課長補佐クラスになると違ってくる。
主税局は出世コースといわれるだけあって、
人格的にも立派な方が多くなる。

しかし、他の部局では、
非常に感情的で、子どもがそのまま大きくなっちゃった、
という人格的にも疑問がある官僚も中にはいた。


私の母方の祖父が亡くなったのは、大蔵省に勤務していたときだった。
この時、周りの職員から
”ご愁傷さま”
という言葉を一言もかけていただけなかった。

唯一、みんなの休暇を管理していた庶務担当の職員の方から
『猪野さん、忌引きよね?』
と言われただけだった。

と、いうか、おそらく、私が祖父の葬儀参列のため休んだときは、
周りのみんなは、なんで私が休んだのかとか、あるいは、
私が休んだことさえも気にしていなかったと思う。

ただ、この数年後、母が亡くなったとき、
このときお世話になった直属の上司だった方は、お忙しいなか、
葬儀場まで、お線香をあげに来てくださった。


朝の挨拶にしても、みんな疲れいてるせいか、
誰も返事してくれなかった。
大学の陸上部時代、部員同士が挨拶することは当然、
というか、声が小さいと注意されるという社会にいた私にとって、
挨拶をしても何ら返事がないというのは、
かなりのカルチャーショックだった。

私は、二週間続けて挨拶をしても、返事がない場合は、
自分も挨拶するのを止めることにしている。
朝から、あまりに、空しくなるからである。

実は、朝の挨拶をしても返事がないというのは、ここだけではなかった。
国税庁と各国税局の職員の方は、みなさん挨拶をきちんとしてくださった。
おそらく、税務大学校でしっかり教育を受けているからであろう。

が、東京国税不服審判所、東京地方裁判所、衆議院調査局では、
中には返事をしてくれない人もいた。
つまり、個人個人の資質によって返事の有無が決まっていたのである。
だから、私のほうはというと、返事をしてくれる方だけに挨拶をしていた。


逆のパターンもあった。OECDに勤めていたときである。
そこでは、個室が原則だったので、一人一人に声をかけるのは無理。
そこで、私は、当初、当時の課長だけには部屋に行って、
朝の挨拶をしていた。

が、数か月がたったころ、朝の挨拶を忘れてしまったら、
課長のほうから、私の部屋に来て、
挨拶をしてもらってしまったことがあった。
日本の職場ではあり得ないことである。


大蔵省でのお仕事から話がそれてしまったが、
次回は、もう少し具体的な仕事内容を紹介させていただきたい。


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