FC2ブログ
おもろい話やで | 日記
2013.03.08(Fri):未分類
本日8日も、対台湾戦があるが、
ワールド・ベースボール・クラシックが盛り上がっている。

なぜ、盛り上がっているといえるかというと、
対ブラジル戦や中国戦でさえ、
NHKドラマや笑点、そして、あのサザエさんより
視聴率がよかったからである。

そこで、本日は、若干強引であるが、野球関連の話題を。


みなさんの母校が突然、高校野球で夏の甲子園に出場、
なんてことになったら、ビックリしますよね。
常連校でない限り、

1999年夏、そんなことが自分自身にあった。
わが母校、都立城東高校が、
東東京代表で甲子園出場を果たしたのである。
1980年夏に、西東京から都立国立高校が出場して以来、
都立高校として2番目の出場であった。

私も高校一年のときだけ野球部に所属していたが、
その頃は、一、二回戦で敗退が当たり前の状態。

卒業後もやはり、夏になると東東京予選が気になり、
予選のどこまで勝ち進んでいるのか時おりチェックしていたが、
ベスト16まで勝ちすすむなど、
着実に力をつけてきたというのは分かっていた。

が、1999年の夏は、
わが母校が、東東京予選でどこまで勝ち上がっているのか
まったくチェックしていなかった。

と、いきなり、都立城東高校が甲子園初出場、
というニュースが飛び込んできた。

私も、野球部が着実に力をつけてきたことを知ってはいたものの、
そこは帝京や関東一高など140校近くがひしめく激戦区東東京、
まさか甲子園に出場できるとは考えたこともなかった。
そんな私でさえ、驚いたのであるから、
いわんや、野球部が強くなっていたのをまったく知らなかった卒業生をや、である。

地元は江東区大島も、お祭り騒ぎ。

準決勝の相手は、当時は東東京にあった、あの早稲田実業高校だった。
スタンドは、ほとんどが早実ファンで埋め尽くされ、
早実は、相手が都立校だったということで、エースを決勝のため温存。
が、城東高校打線が、早実のピッチャーをボコボコにする。
エースが出てきたときは、時すでに遅し、ということだったらしい。

勢いそのまま、決勝では強豪、駒大高を降し、
甲子園初出場、ということだった。

が、甲子園では、智弁和歌山に2-5で初戦敗退。


都立城東高校の野球部が強くなったのは、
ある名物監督さんによるところが大きかったらしい。
一番でなければ意味がない、
二番では初戦敗退と同じである、
という蓮舫先生にもお聞かせしたいような思いで、
部員を指導していたらしい。

その監督さんが城東高校から異動された後も、
その指導の下で育った選手がもう一度夏の甲子園出場を果たす。
2001年の夏であった。

このときは、甲子園に行く前の野球部の打撃練習を見たが、
スイングスピード、打球音、打球のスピード、
久しぶりに見て聞いたというのもあるが、
自分が現役時代とは次元が違うと感じた。

この夏は、私も甲子園まで応援に行った。
東京から、夜行バスで、休憩も入れてだが、十時間ほどかかった。

甲子園に到着したときは、もうヘトヘトである。

第1試合にもかかわらず、地獄のような暑さ。
想像以上である。しかし、
『都立城東高校のスターティングメンバーを発表します。』
とのアナウンスがあったときだけは、
自分の母校が甲子園に出場したんだ、という実感で鳥肌がたった。

元来、恐怖で鳥肌がたつ、といったように、
イメージのよくない場面で使用することばらしいが、
鳥肌がたったのは事実である。

用意した2ℓボトルの水はあっという間になくなる。
かち割氷がとぶように売れるのもうなずける。
第2試合、第3試合だったらと思うと、おそろしい。

前にいる女子高生たちも汗でブラジャーが透けて見えてしまっている。
応援の仕方も、二度目の甲子園出場だったとはいえ、どこかぎこちない。

試合は、佐賀の神崎高校に2-4で、またもや初戦敗退。

しかし、甲子園に二度も出場ということになると、
グランドの様子が変わる。
今までは見たこともないスタンドやナイター設備が現れた。


先ほども述べたが、私は一年間だけ野球部に所属していたが、
受験勉強に専念したく、退部してしまった。
それで確かに勉強時間は増えたが、
当時は予備校にも通わず、というのは言い訳だが、
間違った勉強方法で決して学力は上がらなかった。

だから、野球部退部については後悔した。
その一方で、体は鍛える必要があると思って、
ジョギングを始めるきっかけになったということでは、
よかったのかもしれないが、それも心理学でいうところの合理化か…

当時の練習も、私には勉強との両立ができないほどの厳しさがあった。
チームの強さと練習の厳しさとがそのまま正比例するとは限らないが、
甲子園出場を果たした当時の練習は、質量とも、
おそらく想像を絶するものであったに違いない。

だから、すべてのスポーツの強豪高校の部員にもいえることだが、
失礼、強豪校部員に限らないが、
ベンチ入りできなかった三年生の補欠選手も胸を張っていい。
三年間、厳しい練習を耐え抜いたというだけで、すごいことである。
高校生当時は、自分のすごさに気がつかないものであるが、
きっと、社会に出ても活躍されるはずである。



スポンサーサイト




Tag:
| TrackBack:0
TrackBackURL
→https://inoino700.blog.fc2.com/tb.php/73-504d8617